55 獲物は分かち合うべきか
もう貴族の人達と会わないならおしゃれして出かけてもいいかなと思ったけれど、かなり私の顔は全国放送で知られてしまった。
だから庶民の男の子っぽい恰好をするしかない。
「本当にアレル見てたら、小さなことで悩むのがバカバカしくなるよね」
「誉め言葉はもっと分かりやすく言わないとモテませんよ、レイド。ここは勇気を与えてくれる愛の妖精とか、天使のように正義を体現しているとか、はっきり言ってくれる場面です」
「どこまで図々しいんだ、このビーバー。動物園のセット料金が勿体ないからって、そんな理由で殺されかけた上等学校生が次の日も遊びに行くと普通思うか?」
「お金は大事なんだよ。ここで遊びに行くのを取りやめたら負けになるじゃない。どんな悪党が私に危害を与えようとしても、私は昼夜セット割引料金を無駄にはしないのです」
「もういいから行くぞ、ディーノ。あんな嘘イメージなアレル特集見てるより、嘘のない動物見てる方がマシだって。な、リオ?」
「そうかも。なんか僕、アレルがいれば何があっても大丈夫な気がしてきた」
何やら王城では従弟ラブな男子寮監が激怒しているそうで、全ては王子の行動を貴族に垂れ流している侍従や近衛がいるからこんなことになったのだと全員を詰問して遠慮なくクビにするつもりらしい。そんな愛されている従弟は、
「ガルディ兄上、だから僕がすぐに戻ってこない方がいいらしいんだよね。普通はこういうことがあったら即座に帰城するものなんだけど」
と、肩をすくめていた。
肝心の第二王子が泣き落としされては困るそうだ。
(あの別荘や高級移動車。それこそ場所や移動手段を貸しただけって言い張ろうにもあそこまでの事件になったらもう無関係は言い張れないもんなぁ。フォリ先生ってば遠慮なくやりそう。結局は王子の予定を漏洩した侍従や近衛がいたからこうなったわけだし)
全く世の中は物騒なことがいっぱいだ。暗躍する人も多すぎて善良な私には付き合いきれない。ここはもう動物を見て心を癒されるしかないよ。
今回は昼間なので、私達はケーブルウェイで動物園に向かうことにした。大公妃は顔が知られているから同行しないらしい。
「そんな・・・! お母さんが同行してくれなかったら、誰が私を守ってくれるのでしょう」
「あらあら。大丈夫よ、アレル。あなたはあまりのショックで寝込んでしまい、男の子達も全員落ち込んでいるから通話通信には出られないってちゃんと伝えておくから楽しんでらっしゃい」
甘やかしてくれる権力者が不足中だ。
ネトシル少尉の兄にあたるローゼンゴットと、その他の人達が護衛として同行するけれど、
「空気だと思ってくださいね」
と、言われた。
空気は私をぐるぐる巻きにしてセーターでラッピングしないと思う。
ケーブルウェイで向かう動物園は、家族やグループごとに乗ることができるらしい。だけど十五人乗りって多くないだろうか。だから護衛の人達まで全員乗ってしまうのだ。
「まさか連休が延びるとは思わなかった。そうなると明日からの方が平日でかなり空いてそうだが、さすがに平日に遊んでるのはまずいだろ」
「僕達、本当に全校集会出なくていいのかな。そりゃ出たらみんなに取り囲まれそうだけど」
ダヴィデアーレとマルコリリオは、キャビンから街を見下ろしながらそんなことを話していた。
私は無傷だから大丈夫だと説明したのに、後遺症を案じる学校長先生も担任教師も一週間、どんなに少なくとも三日間は休むようにと譲らなかったのだ。
なんでも連休明けには全校集会が行われ、更には一日中ホームルームということで命の大切さや誘拐に加担することの罪、国内外における歴史上の事例など、倫理についての教育が行われるらしい。
それは学校で働く人に対しても同様だ。改めて文書にて生徒の個人的な事情をよそに流すことについての罪に対し、注意喚起が行われる。
関係ない隣のサルートス習得専門学校でも各講師の授業で冒頭にそういった内容について訓示が行われるらしいが、それはどうやら私がちょくちょく出入りしているからだとか。もう私、顔だけでフリーパス時代が到来だ。
「実は僕達五人お休みって、単に元気な顔を見せたらホームルームにならないとか、そういうのがあるんじゃないかなって思っちゃった」
「言うな、リオ。無傷なのは喜ばしいが不死身伝説が生まれるんじゃ意味ないんだろ、どうせ」
自宅が同じ方向にあるせいか、ダヴィデアーレとマルコリリオは何かと仲がいい。キャビンから眼下を眺めつつ、さりげなくねちねちとしつこい。
「何事もポジティブに考えよう。これはアレだよ。私のおかげで皆が心に善性を取り戻すってことなんだよ」
「僕ね、アレルのこと、苦労してるのに天真爛漫さを失わずに何でもできるお嬢様なんだって思ってたんだ。だけど実は貴族令嬢とは仮の姿、レイドを守る為の特別訓練を受けた精鋭兵なのかなって思い始めてきた」
大きなガラス窓の向こうに広がる街の景色を眺めていたマルコリリオは、答えを求めるような顔で私を振り返った。
「それなら同じクラスに配属されてたよ。私、ひっそりと平和かつ地道に足場を固めるつもりで一般部だったんだし」
「懐かしいな。アレル、僕がアレンそっくりな顔だから名前尋ねてお友達になろうとしたら、初対面で名前聞くなんて変質者だな、お前こそ名乗れ、学校に報告してやるって言ったんだっけ。あれ以来、僕、人に声をかける時は自分の名前を先に言うようにしているからか、外国の人からよくびっくりされてるよ」
それを恨みがましく言われたならうーんと考えるが、特に王子様は怒ってる様子も恨んでいる様子もない。
エインレイドは男子寮で生活している筈だけど、ちょくちょくと王城にも戻っているようだ。そもそも送り迎えがあるなら城から通学できたと思う。
「だけどアレル、必要と判断したら軍とか治安警備隊に協力要請できる許可もらってるんだろ。その上で破壊活動も殺傷も認められるって凄くないか? お前、真の実力を隠してないか?」
「違うって。要は緊急事態の保険だよ。たとえば遭難時、私達だけじゃ何もできないでしょ? 領主やその代理人、治安警備隊の上層部に業務として協力要請できるんだよ。そういう時、父の名前出せる私だと話が早いでしょ」
言葉だけは感心しているような内容だけど口調がかなり低めなベリザディーノは、色々と気に入らないことがあるようだ。思うに、女の子を前面に出すというのが引っ掛かってるんだろう。
(許可が羨ましいわけじゃないよね。そんなものを私に持たせなきゃいけないぐらいに危険なのかって、そっちの方だ)
本当に鈍痛とか不調とか体にどこか気になる異常はないのかと、昨日もかなり心配してくれていた。今は気が昂っていて痛みに気づいてないだけじゃないのか、吐き気はないかと、かなり尋ねられ、メイドさんにも同じ部屋で眠って異常に気づいたらすぐに医師を呼んでほしいと、そんなことを要求していたぐらいだ。
いい子だ。私が目をつけただけあってベリザディーノはいい子だ。
うちの弟もこんな感じでまっすぐ育ってほしかったのに、なんでああなっちゃったのかな。
「だから狙われたんじゃないのか? そんな許可、まず生徒に出ないだろ」
「メンバー中、一番に踏みにじられるだろう私への特別配慮だよ。たとえばトイレや着替えって確実に一人になるよね。寝てる間も無防備でしょ。その時、その場にいないみんなが許可持ってて、私の危機の役に立つ? みんなはレイドといれば何しても追認されるけど、私は一人で対応しなきゃならないもん」
王子を守る為なら他のメンバーはどんな反撃をしたとしても許されるだろう。だけど性別的にこのメンバーだと私の寝室はみんなと別だし、着替えやトイレなども私は単独行動だ。その時に何が起こるかを考えれば、私はその場で必要な保護者を確保しておかねばならない。
「え? あ、そっか。そうだな。言われてみれば部屋もフロア別とかか」
「うん。夜行でもそうだったでしょ」
「そういうことか。言われてみればそうだよな」
ベリザディーノもそれで納得する。
それこそ王子の護衛を女の子一人に押しつけるのは卑怯者みたいな気分になるけど、その女の子が一人で行動する際の保険ならば問題ないようだ。
まっすぐな気性が素晴らしい。
同じ少年の意見であってもそこで、
「僕以外の人間と出かけなければいいじゃない」
という結論に達するかつての弟と違って、ベリザディーノはとてもいい子だ。
「そう考えるとアレルのお父上はさすがだよな。実際にアレルは誘拐された。これがもしも貴族令嬢達のお茶会で、他の出席者が口裏を合わせた場合、アレルは抵抗できずに頭からポットごと茶をぶっかけられかねない。たしかそれで心を病んだ令嬢がいた筈だ」
「え。そんなことあったの?」
「第一王子の時の話だそうだが。だから僕は医療薬品部に行ったんだ。気に入らない奴を追い落とす口裏合わせに巻き込まれるなんて御免だ。だが、自分の美学を貫くことで家に迷惑をかけるわけにもいかない」
ダヴィデアーレのぼやきにベリザディーノは無言で頷き、マルコリリオがうわぁという顔になった。
「結局それなんだよね。私も強引な多数に囲まれてそこそこの賄賂でレイドへの繋がりを要求されるのか、いびられて髪の毛焼かれちゃうのか分からないからお茶会なんて行けるわけないのに、交際関係皆無だから余計にひどく言われると言う・・・。うちの父も、いざとなれば無条件で全ての破壊行動が認められると思えば対応できるだろうって言ってくれたけど、本当に有り難かったな」
権力のある令嬢グループでいびられるのはごめんだ。だけど影響力がない立場の令嬢達を率いる気もない。
私の場合は母親が平民だということで馬鹿にされやすいから社交に力を入れていなかったけど、フォリ中尉やネトシル少尉、何よりエインレイドの影響で価値が上昇していた。
「ま、一人で誘拐されちゃったのは悪かったけど、誰か連れてってたら、手引きをした容疑者になってたんだ。ごめんね」
「もういい。結局、僕達が無力だってだけだ。ごめんな、アレル。一人で抱え込ませた」
ベリザディーノはいい子だ。体を鍛えるのとは別な方向で自分が無力であることを知っている。
だから私は首を横に振った。
「アレで良かったんだよ。今、私に何かできるお嬢様もお坊ちゃまもいないからね。殺人犯の容疑者にはなりたくないだろうし」
「問題はアレルの名誉だろ」
「名誉と言われても結婚が難しくなるって奴ならどうせ私、婚約者いるし。それにこの程度でおたおたする人とは結婚なんてできないよ。だからいいんだ」
現在の婚約者は論外というか、名前だけだ。どうせ後始末をつけたら解消するから私にとっては名目だけの婚約である。かつての弟も同じ思いだと信じたい。いや、信じる。何があろうとも信じ通して終わらせる。
だけどこの国において貴族令嬢の名誉はとても結婚に響くもので、スキャンダルを起こしたら良い条件なお相手との縁談はなくなってしまう。
私は気楽に生きる為なら平民と結婚してもいい、苦労したくなければ結婚などしなくていいとまで言われていたわけで、貴族令嬢として値踏みされることへのデメリットは全く気にしていなかった。
たかが名誉だの醜聞だので騒ぐような男と結婚できる程、私の周囲は甘くない。
(優斗に見つかり、更には和おじさんまで来てしまった今、私の恋愛ハードルはかなり上がったと言えるだろう。この程度の名誉でおろおろする男なんぞいくらいたところでアリさんレベル。水撒いてさくっと駆除される)
独身でとても好みな男性は見つけたけれど、血の繋がった父と叔父ではどうしようもない。
今日の護衛は五人で全員男性。タフでいい男がいるかなと思ったけど、私に対する警戒モードが発動しまくりでラブのつぼみなど全く育たなそうだ。
女の人はいないのかと尋ねたら、私が何をやらかすか分からないから全員男にしたと言われた。切ない。せめて気の合う同性の友人が欲しい。
この話題は不毛なので、私は関係ない話を振ってみた。
「ねー、それより十五人乗りのキャビンって、そもそも十五人家族なんてそうそういないよね」
「動物園って祖父母の持つ別邸にやってきた孫達が一緒に行くこと多いんだ。だからじゃないか?」
それなりにヴェラストールに来たことがあるベリザディーノが打てば響く感じで返事してくる。
「あ、そっか。祖父母と子供達夫婦と孫達なら人数多くなるよね」
「いや、祖父母は留守番、夫婦は一組だけで後は留守番、そして孫達全員の組み合わせだ」
「ああ、元気な子供達がうるさすぎるからお外に連れていってね、残りの人は静かにすごしているわって奴だ」
「そう、それそれ」
ベリザディーノの実体験なんだろうなって、私には分かった。
「そこで動物園のチケットがもったいないからしっかり観光していこうと言い出すアレルがあまりにも守銭奴すぎる。うちなんてすぐに帰宅すると思ってたらしいぞ。今日も観光すると知って絶句してた」
そう言いながらダヴィデアーレは、キャビンの窓から街をきょろきょろと見下ろしている。
「諦めろよ、ダヴィ。うちだってアレルを心配してたが、救出後はパン作り体験して博物館行ったって言ったら絶句してた。僕達が知ったのは博物館であの特集を見たからで、アレル、自分からは言わなかったっていうんで、どこまで気丈で頑張り屋なんだって感涙してたぐらいだ。おかしいだろ、それ。で、何を熱心に見てるんだ?」
「いや、そのアレルが閉じこめられたっていう建物はどこかと思って。多分、周囲は誰も入れないようになっていると思うが、上空からなら見えるだろ? 住所は流れなかったが、あの爆発があったなら見たら分かると思うんだが」
「そういえばアレってどこだったのかな。目隠しされてたし、あまり街中じゃなさそうなことしか分からなかったんだよね。リオンお兄さんのお兄さん、あの建物ってどこですか?」
私を助けに来たぐらいだから知っているだろうと思い、私は聞いてみた。
「ここからじゃ見えないでしょうね。見たいなら、ヴェラストール要塞6番・ヴェラストール城間のケーブルウェイのキャビンタイプに乗って、東方面にあります」
「凄いですね。全部頭に入ってるんですね。もしかしてあの建物の常連だったんですか? いやーん、もう、このっこのっ」
ぐふふふふとにんまりしながら尋ねて肘で脇腹をつついた途端、その茶色い瞳が冷たく光る。
「アレルちゃん。あまりにも人を侮辱するとあなたが護衛達を置き去りにして出かけた挙句、わざと目立つような買い物をして誘拐されるよう仕組んだのだと暴露されるだけだと知りなさい。しかもあの爆発と炎上が起こることを理解した上で、あなたは救助を拒んだのだと。
そして私達が護衛対象の令嬢を守ることができなかったことで、帰還後にはミディタル大公殿下から直々に鍛錬指導を受け、甘ったれた根性を叩き直されることが確定している事実を理解していますか?」
「調子に乗りました、ごめんなさい。えっと、大公様には怒られないようにお願いします。お兄さん、侯爵家のお坊ちゃまだから大丈夫だと思ったんです」
なんということだ。あの大公の梃入れ。恐ろしすぎる。
私があそこに置いていってほしいと頼んだがゆえに、それが彼の失点とされてしまっていた。
「生憎と子供に庇ってもらう方が名折れです。自分の責任は自分で取ります。それは気にしなくてよろしい。社会に何の罰則もないのであれば、誰もが何の責任を取ることもなく好きに動き、不正が横行するだけです」
ぽんっと頭に手を置かれたけれど、かなり護衛としてはまずいことだったらしい。叱責程度だと思っていたのに。
私も護衛対象だったのか。王子のおまけだと思っていたよ。
だけど結果を分かっていて協力してくれたのなら、その誇りは奪うべきではないのかもしれない。
「そうですね。現場の自己判断で勝手なことをし始めたら癒着や横領が跋扈するだけです。だけど申し訳ないから、今度お兄さんには素敵なプレゼントをあげます」
その提案は容赦なく却下された。
「要りません。そんなものをもらうなら結局は賄賂を受け入れることになります。アレルちゃん、自分が正しいと思ってやったことならどんな犠牲をはらおうとも進みなさい。そこで心が折れるような腑抜けた覚悟なら最初から何もすべきではないのです。あなたはあなたの信念に従って選択したのです。違いますか?」
「・・・違いません」
私の手を縛り直して去った時に、彼は覚悟を決めていたのか。
誰にも迷惑をかけるつもりはなかったのに。
「誰もが私のように考えるわけじゃありません。中にはあなたを罵る人もいるでしょう。その辛さに耐えてでもやるだけの気概があるかどうか、自分の心によく問いかけてから行動は起こすものです。そして私だけでなく昨日と今日の護衛チーム一同、護衛対象の少女一人を逆恨みするようなクズはいません」
「・・・はい」
彼は真面目過ぎると思う。
こういう兄がいてくれたなら優斗ももっとまともに育ったんだよね、きっと。
「じゃあ、見逃してくれたお礼に頭撫でていいです。ついでにおてて握ってあげます」
「何がおててですか。私は変態でも変質者でもないのですがね」
「まあまあ。あまり真面目に考えすぎても人生が苦しいだけですって」
私は勝手に膝の上に座ってその手を握ってみた。
諦めて私の頭を撫でてくるが、その際、一気に自分の気を叩きこむ。
「っ!?」
恐らく彼の鎖が幾つか壊れただろうが、ここまで真面目なら大したことにはならないだろう。私もあまりやったことがないのだ。
ゆっくり時間をかけた大公妃と違ってちょっと乱暴だったかもしれないけど、多分大丈夫。よく分からないけど若いんだし、多分大丈夫。
ひょいっとその膝を降りた私は、元の席に座った。
「ねえ、アレル。やっぱりわざと誘拐されたわけ? うちの親もびっくりして、ウェスギニー子爵様のおうちに連絡を取ろうとしたけど、回線がパンクしていて通じなかったらしいよ。子爵様もヴィーリンさんも良い人だからアレルが可哀想すぎるってかなり心配してたんだけど」
「やだなあ、リオ。わざと誘拐されるなんてできるわけないよ」
「もういいよ。アレルってば規格外だってこと、僕達が忘れすぎてたんだ」
私の返答に何を感じたのか。マルコリリオがぷいっと拗ねてしまったのだが、どうすればいいんだろう。
ネトシル少尉のお兄さんがやらかした暴露は、キャビン内の空気を一変させてしまった。
仕方がないのでマルコリリオ攻略ならダヴィデアーレかなと、私はそっちに甘えモードで話を持っていく。
「ダヴィ、リオが怒った」
「誰だって怒るに決まってるだろう。なんで自分から誘拐されに行くようなことしたんだ。どんな理由があったとしてもやっちゃいけないことはある。今の会話は聞かなかったことにするが、それだけ切実な理由があったと信じるからで、だけど僕はアレルがあんな危険と醜聞に巻き込まれた事実に心から不快感を覚えている」
「全くだな。アレル、勿論理由はあるだろう。だけどその為にアレルが犠牲になることなんて誰が望むんだ。たとえ遠回りでも大人が動くべきだった。少なくともアレルのしたことは、アレルを大事に思う人達の心を傷つける所業だ」
ダヴィデアーレとベリザディーノもマルコリリオに同意する構えだ。どうやら私は信頼を失ってしまったらしい。
助けて、王子様。今こそ、あなたの協力が必要なの。
私はそんな思いを込めてエインレイドを見た。苦笑してくるエインレイドとは目と目で通じ合っちゃう仲だ。
「アレルってば行動する時、いつもぎりぎりでしか教えてくれないからね。だからネトシル殿も追認するしかない流れだったんだと思うよ。みんなもここは聞かなかったことにしてあげてよ。
ところでみんな、おうちに帰って大丈夫? 多分、断れない筋からアレルへの接触を頼まれる状況になると思うけど。今、ウェスギニー子爵への取り次ぎを頼もうと凄い騒ぎになってるらしいよ。だけど子爵、不在らしいんだよね」
「うちの父は常に留守ですよ、レイド。それになんで父に会う必要があるんでしょう」
帰って大丈夫も何も、帰らなくてどうする。私はおうちでごろごろする時間が大好きだ。
和臣が足場を固める前にこちらが取り込まなくてはならないというミッションも控えている。
「多分だけど、矛を収めてほしいんじゃない?
なんかね、アレルが僕を守る為ならどの軍や治安警備隊でも幹部クラスに協力要請できる許可をもらっていたって話が水面下で流れてるらしくて、アレルが誘拐されて殺されそうになったのって、僕を殺そうとしている貴族の犯行じゃないかって話になってるらしいんだ。おかげであの建物の持ち主も、移動車の持ち主もかなり取り乱してるらしいよ。僕の予定を流していた城の人達も大掛かりな調査が入ったみたい。
ガルディ兄上は僕の予定を漏洩した人達を解雇して建物や移動車の持ち主にも責任を問うつもりだったらしいけど、今、ウェスギニー子爵が姿を見せないのって、アレルを排除して僕を殺そうとした人達の調べを進めているからなんだって。アレルがあの許可をもらってたなら、子爵はもっとその許可が与えられる資格があるわけだし、そうなるといきなり子爵から殺されても文句言えないってことらしいよ。罪状は僕の殺人計画ってことなのかな」
「え? あれって私の殺人未遂事件じゃなくて、レイドの殺人未遂事件にランクアップしてるの? うわあ、びっくり」
なんてことだ。そこまで大事になっていたとは。
(つまり、もっと慰謝料は跳ね上がるってこと? だけど多すぎても使いきれない。いや、今は和臣がいるんだった。お金はあって困らない)
そう考えれば許せる気がした。だけど・・・。
(なんかこれ、誰かに都合よく運んでる感じになってる?)
私はそんなエインレイド狙いだなんて誘導はしていなかった。あり得ないからだ。だけど・・・。
そう、だけど何故なのかな。私の計画をいいように利用されているような気配がほんのり漂っているのは。
むむむと思っていたら、エインレイドは軽く肩をすくめた。
「何よりアレルが誘拐される場面を撮った人が行方不明なんだよね。あれはアレルを抱えている人の特徴が分かりにくかったけど、ああいう状況なら顔も映っているフォトもありそうだよね? だけどフォト提供者、ちょうど休暇中の軍人だったらしくてさ、どこかがその軍人を確保しているって話」
「確保? 休暇中でもいつかは出勤になりますよね? それとも長期休暇でも取ってるんですか?」
「その休暇中の軍人の上司、実はウェスギニー子爵の部下として働いていたことがあったらしいんだ。だからなのかな、取り付く島もないって話。僕とアレルを殺される為に子爵は国を守ってたんじゃない、犯人は前線に送ってやるって気炎吐いてたらしいよ。だから何が何でも子爵とアレルを口説き落とさないと、関係者全員の処刑が行われかねないってことじゃないの?」
王子の殺人未遂事件も何も、その時間帯はみんなでベッドの住人だったじゃないか。関係ないよね?
ダヴィデアーレが思慮深そうな表情になる。
「となると、ディーノ、リオ。二人はしばらく僕と一緒にうちのホテルに泊まるか? 送迎も出させよう。こういうことなら祖父も納得する筈だ」
「あれ? なんで私は無視なの? そこは私も誘うとこだよ、ダヴィ」
「アレルは女の子だろ。僕達と同じホテルに泊まるだなんて、フロアが別だろうが醜聞もいいところだ。それに保護の面から考えるならウェスギニー子爵こそ専門家じゃないか。何より女の子一人守れずにお前は何してただなんて責められるのはもうごめんだ」
きっと最後だけが本当の理由だ。真の友情はなかなか手に入らない。
「全くだ。その時間、お前は何してたって言われて、正直にみんなで寝坊してたって答えた時の沈黙、その後には念入りな侮蔑の言葉を向けられた気持ちがわかるか? 僕は、お前の体はただの飾りか、ガールフレンドのエスコートもできないのかとボロクソに言われた。ダヴィと僕はレイドやアレルといることも知られている。事情を聞き出したい人間がうちに押しかけたらしい。うちの家族は、事件当時は寝坊していたとも言えず、沈黙するしかなかったそうだ」
すまん、二人共。今度、とっても頼りになるんですって機会があったら父に言ってもらうから許して。
私の頭に軽く手を置いて、エインレイドが口を開いた。
「それなんだけど、男子寮って一年生用の部屋は満室だけど、実は僕が暮らしている階は三年生用で空きがあるんだよ。何なら男子寮で生活してみる?」
「え? 男子寮?」
即座に反応したマルコリリオにエインレイドが頷く。
「貴族には不向きって言われるけど、アレンならかなり馴染んでるし、多分、みんなならそこまで苦痛じゃないと思うんだよね」
そこで動物園に到着したので、皆はキャビンから降りた。
ちょっと下町の不良っぽい男の子達五人に、やはりガラの悪そうな父兄が五人くっついてきたような一行だけど、まあ、こんなものだろう。
ラフな私服であっても、育ちの良さって滲んでしまうもんなんだよね。だからこれぐらいでまあまあってとこだと思う。
「もしかしてもうそこまで手配されてるのか、レイド?」
「提案だけだよ。寮監から連絡が来たんだ。本来の一年生は2階だけど、特別保護でどうかって。僕の部屋の両側と真下は空室が義務付けられているけど、特別に使わせてくれるみたい。つまり3階の一室と4階の二室だから、一人だけ3階なのは気の毒なんだけど、個室だからあまり関係ないかなって」
「男子寮か。たしかに変な訪問は断ることができるだろうが、問題は家に戻れないことだよなぁ。そりゃ世話はしてくれるだろうが」
ベリザディーノの質問にエインレイドが詳しく答えていた。
毎朝の乗馬が日課なベリザディーノには辛いことなのかもしれない。かなり悩んでいる様子だ。
仕方ないから私はトロッコ乗り場を指差す。
「ねーねー、今度は昼間のトロッコ乗ってみようよ。悩みながら歩いても誰かにぶつかるだけだよ」
せっかくだからと最初はトロッコ列車に乗りながら、夜は暗くて見えなかった動物達を眺めることにした。その後は歩いて見逃した動物達をじっくり眺めるのだ。
その間に三人は、男子寮の生活スケジュールを尋ねていたらしい。子供達が「わーい」「ボク、いちばんまえー」「えー、ずるーい」と、前の方に乗ろうとするのを、あえて一番後ろの車両に乗り込んだ私達は、実は後ろの方が周囲を気にせず過ごせることを学んでしまった経験者達だ。
「なあ、アレル。アレンは毎朝個人授業で体を動かしてるらしいんだが、それって一緒に頼むことできるか?」
「大丈夫じゃない? そこのお兄さんの弟のリオンお兄さんだよ、教えてくれてるの。だけど一緒にやり始めたら、その内ディーノ、近衛にスカウトされちゃうかもしれないよ。知らないよ」
がったんごっとんとゆっくり走るトロッコ列車は、天井からアナウンスが流れるシステムだ。一昨日は女性の声だったけど、今日は男性の声だった。
『ようこそ、ヴェラストール動物園へ! さあ、元気なちびっこ達。ここは初めてかな? それとも何回も来たことがある? 大丈夫だ。いつだって動物達はみんなが来てくれるのを待っている。今日も張り切って行こう!』
元気なちびっこ達・・・。
ん? と思ったら、なんか親子連れが多くて、その子供は幼児が多い。
「もしかしてこれに並んでるお客さんが少なかったのって・・・」
「えっと、アレル気づいてなかったの? トロッコも大人用と子供用とちびっこ用があって、これ、ちびっこ用だよ」
「・・・たまには童心に帰ることって大事だよね」
空いている行列を即座に見つけてみんなを先導したのは私だ。
マルコリリオの眼差しが優しくなった。
「そうだよね。アレル、しっかりしてるけど、たまにやらかしちゃうんだよね。ごめん。さっきは言いすぎた。分かっていても辛くて怖い思いをしたのはアレルだったのに。責める権利なんてなかったのに」
「権利なんて言い出したら誰も何も言えない世の中になるだけだよ。私達は対等に議論できる仲間でしょ」
よく分からないけど機嫌は直ったらしい。
「何も考えずに乗り込んだだけのちびっこ列車はともかくとして、お前の常識は相変わらずひどすぎる。いいか、アレル。近衛なんて入りたい人の方が多いんだ」
「そうなの? だけどリオンお兄さん、普通の軍に入れば良かったとか言ってたよ」
「そりゃ謙遜だ。アレンを鍛えてるなら迷惑かな。多分、僕の朝のスケジュール、男子寮よりかなり早い」
「それなら一緒にマナーレッスン受ける? 朝なら私、貴族令嬢のお茶会レッスン受けてるんだよ。色々な人が招待客の役してくれるの。お菓子も美味しいよ。ルードはよく分からないけどお菓子食べるより強くなりたいんだって」
毎朝のお菓子は貴婦人(推定王妃様)を迎えてのお茶会マナーレッスンだけど、女官の人達も貴婦人役をしてくれるので為になる話がいっぱいだ。
ここでみんなも加わっておいた方が、いずれ社交界に出て年上の貴婦人達に囲まれても上手くやれると思う。
だけどベリザディーノはお茶会に興味がない様子だった。
「それなら見学だけでもさせてもらえないか、アレンから尋ねてもらうか」
「だからそこにそのお兄さんいるけど?」
そのお兄さん達は、さりげなく床に何かを当てて異音がないかをチェックしている人もいれば、一般客に紛れているであろう人に合図をして頷く人もいた。誰もが周りに目を向けている。
護衛ってそういうものだよね。護衛対象を値踏みするのではなく、周囲からの危険に対応すべきなんだよ。
話題の主であるネトシル少尉のお兄さんは、かなり周囲に目を配っている様子だ。
「いや、違う所属だからまずいんだって。私的なことならいいが、自分の兄から言われてしまえば断りたい事情があっても説明できずに言葉を濁すしかなくなる。兄弟仲が壊れるだけだ」
「そんなので壊れないよ」
「壊れる。うちがそうだ」
以前、兄から面倒なことを命令されてしまったものの事情があって断ったベリザディーノは、それで兄弟仲が壊れたそうだ。兄は弟の答えを聞く前に、それを持ちかけてきた人に了承を伝えていたらしい。
苦労していたんだね、ベリザディーノ。
「わざわざアレンを鍛えているなら、違う思惑や指示が出てる可能性だってある。アレンを通してまずは尋ねてみる方が迷惑なら断りやすいだろうし、そうあるべきだ。迷惑をかけてからじゃ遅い」
変なところで真面目だが、経験者ならば仕方がない。
弟なんて命じれば言うことを聞くものだと思っていた兄とは、言いなりにならなかったということでベリザディーノと今や険悪な仲になったそうだ。
(わざわざ弟に持ちかけて断られたぐらいで険悪か。それってレイドへの口利きかな。思えばディーノもダヴィもわざと経済軍事部を避けてた。お兄さん、強烈な人なのかもしれない)
ダヴィデアーレとマルコリリオは二人同室でも生活できるのかとエインレイドに尋ねて、広さ的に可能かもしれないとかやっている。だけど同じ建物内なら階が違っても十分行き来できると思う。
「別に気にしないと思うよ。リオンお兄さん、自分一人で鍛錬するのはつまらないからって言ってたけど、多分あれ、ルード使って教え方の訓練もしてるんだと思うな。なんかリオンお兄さん、強くなってる気がする。反対にガルディお兄さんはいつか鎖をぶっちぎってしまいそうで、あれもあれで怖いんだけど、どっちも色々くれるからいっか」
「何だそりゃ」
裏金作りにも協力したし、多分二人共、私を傷つけない。だけど分かるのはそれだけ。
所詮、自分に理解できるわけがないのだ。私に虎の種の印は出ないだろうから。
「んー。今はとても穏やかそうな顔してるかもしれないけど、ガルディお兄さん、いつか一気に化けるかもしれないってことだよ。その時には巻き込まれない方がいいと思う。虎の印が出てるだけで大人しいと思ってたら痛い目見るよ」
「化けるも何もあの方お強いだろが」
「それは一般的な強さでしょ。あれでかなりがちがちに拘束されてる状態なんだよ。どっちにしても乱暴なことに巻き込まれたくないならあの人ヘタに刺激しない方がいいよ」
無理に自分を抑制して樹の種の印が出た人みたいな生き方をするから苦しくなるのだ。いつまでミディタル大公を反面教師にするのかは分からないけど、人は自分を欺き続けられるものじゃないのに。
「誰があの方を刺激すると言うんだ」
「それは知らないけど」
フォリ中尉の自制心はあくまで理性によるものだ。それって自分の感情が上回れば終わりってことだよ。
そう、和臣は正しい。かつての私も我慢したり、適当に受け流したりしていたから、結局は取り返しがつかないところまで進んでしまった。
優斗の母親にしても、私が義母だからと遠慮せずに戦って排除していたなら違っていたのではないだろうか。息子を殺そうとしたりせず、離婚しても父からの手切れ金で生活できて、たまに息子とも会えていたのではないだろうか。
(そして私ももう少し会話していたなら・・・、いや、無理。なんかああいう値踏みしてくる目って無理。ああいう奴らに自分から歩み寄ったところで意味ないし)
フォリ中尉はミディタル大公の息子とは思えないぐらいに理性が働いていると思う。たまに私をいじめるけど。
それでもきっと大公妃のように我慢していることが多い筈だ。
(我慢してるだけの人って、その枷を外してしまえば終わりなんだよ。その枷が外れないならともかく、外れる要因があるなら怒らせるべきじゃない)
私が考えることじゃないけど。
だけど大公妃を怒らせるべきじゃなかったし、フォリ中尉を侮るべきじゃなかったと思う。私は私に優しくしてくれる大公妃になら楽しい情報を流しちゃうし、ちょっとしたお手伝いだってしてあげてもいいかなって気分にもなっちゃうから。
フォリ中尉だって、私にはそこまで真面目に行動しなくてもいいかといった傾向が出てきている。私だって自分にお金を垂れ流してくれるフォリ中尉に多少の横流しなど何とも思わない。
だけど所詮、私は子供だ。私の知らない場所で様々な物事が動いていく。
私の誘拐殺人未遂事件を第二王子殺人未遂事件にグレードアップさせたのは、恐らくフォリ中尉だ。
早くフォリ中尉に会わなくては。
私の獲物を横取りされる前に。
― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―
ちびっこ向けのトロッコにおける説明はまさにお子ちゃま向けで、全然聞く価値がなかった。だって、
『右は分かるかなぁ? 手をあげて。さあ、そっちの右手がある方向にピンクのクマさんがいるよ。手を振ってあげよう。バイバーイ』
なんだもん。
降りた後は、てくてくと歩いて動物園を回ってみたけど、やはり太陽光の下にいる方がよく見える。
「問題はこの後だな。もう列車はやめておくんだろう?」
「さすがにこんな騒ぎになってしまうとね。僕達、アレルの家に制服置いてきただろ? 叔母さんの家に運んでもらってるから、明日はそっちから通学すればいいって言ってた。アレルもおうちに帰りたいとは思うんだけど、凄い状態らしいよ」
ベリザディーノは、囲まれたら逃げ場のない列車はまずいと思ってるらしい。
だからってミディタル大公邸で寝泊まりする方がもっとまずいと思わないんだろうか。そりゃお城よりはマシだけど。
「残念だけど仕方ないね。普通の指定席や自由席の体験もしておくつもりだったけど、次にしよっか。それに沢山お土産届けてもらったし、持って帰るなら移動車の方がいいや。だけど私、可愛い便箋と封筒がいるからおうちに帰りたいかな。祖父のおうちは人がいっぱいかもしれないけど、私のおうちは静かだし」
私がミディタル大公家のヴェラストール別邸に届けてもらうようにしていた買い物は、あの騒ぎがあったからだろう、なんか凄い量が届いていた。
要は、あれだけ素敵なお買い物をしてくれた女の子が悲惨な事件に巻き込まれたというので、お見舞い分としてオマケが沢山つけられていたのだ。
するとマルコリリオが首を傾げる。
「封筒と便箋? なんに使うの?」
「オマケのお礼状。買ってないハーブとか、同じ布の小物まで足してくれてたの。なんかアクセサリー屋さんもね、ちょっと納品が遅れるって連絡があったらしいけど、それはしょうがないかな。元々、半日で作成するっていうのも特別配慮って奴だったし。昨日の騒ぎがあったんじゃ取りかかれなくても無理なかったからね」
あのループタイは出来上がり次第ミディタル大公家のヴェラストール別邸に届けられ、それは本邸に送られてから私に渡されるそうだ。
どうやら昨日は私が買い物していた時間帯などについて色々と取り調べられていたらしく、仕事にならなかったらしい。一応、どのお店も買いに来た少女の情報を誘拐した人達に流していた路線を疑われていたようだ。
「便箋と封筒ならあると思うけど。叔母さんに言ってみたら?」
「お母さんが使ってるのはかなり上品だと思うもん。見た目的にも子供っぽい方がいいと思う。そうじゃないと変な使われ方するかもしれないから。たとえば私が成人してからレイドを誘惑して一躍有名人になった時、私と親しいんですよって手紙を利用されたら困るでしょ?」
「アレルに誘惑される状況が演技か詐欺かしか想像できないけど、もう有名人だしね。だけど子供っぽい便箋なんてあるの?」
ライラックの髪と薔薇の瞳を持つ花のような王子様は、私に対してとても遠慮がない。いつか私がお年頃な魅惑的美女になった時に今の軽口を後悔することだろう。
「カラフルなのとか、可愛いイラストが入っているのとか、絵葉書みたいなのとか、そういうのでいいかなって」
一番いいのは絵葉書だ。内容がとても分かりやすい。
「絵葉書ならここの売店にもありそうだけどな。何なら動物の絵葉書でお礼だけ書いて出してもいいんじゃないか? そんなのにそこまで丁寧なお礼状とか考えなくていいぞ、アレル。何なら手分けすればすぐに終わる。ちょっとしたオマケ程度なんて、大抵はその場でお礼を言ったら終わりだ」
「そんなもんなんだ? それなら絵葉書買っていこうかな。ペンギンが寝てる奴ないかな」
「やめんか。シャレにならん」
ダヴィデアーレが苦々し気な顔になるけど、やはりペンギン倒れまくり絵葉書は駄目らしい。
仕方がないからピンクのクマにしてみた。
それから嫌がる護衛の人達におねだりしまくり、ケーブルウェイを乗り継いで、キャビンの窓からネトシル少尉のお兄さんが指差す方向を見下ろす。
私が閉じこめられた建物というのは、どうやら別荘が立ち並ぶ区画だったらしい。
「おお。すばらしく全焼してる。私有地だなって思ってたけど、門と塀にしっかり囲まれてたんだ。木が大きい感じだったから、てっきり塀なんてないんだと思ってた」
「周囲もそこそこ自然を生かした別荘ばかりだが、あの細道って周囲のどの別荘とも行き来できるようになってるのか?」
ベリザディーノがポケットからミニ双眼鏡を取り出して、周囲の敷地と繋がっている細道を指摘した。
「幾つの敷地と繋がってるのかな。リオンお兄さんのお兄さん、双眼鏡貸してください」
「なんで私が持ってると思うんですか」
「持ってないんですか?」
「・・・ちゃんと返すんですよ。これは片目で見るタイプですが」
折り畳み式の単眼鏡を貸してくれたので私も見てみる。
エインレイド達も違う護衛の人から借りて見ることにしたようだ。
「木々でよく見えないけど、たしかに小道があるな。無造作に茂らせているのはそれが分かりにくくする為なのか? ディーノ、あの周辺の別荘の所有者って誰なんだろう」
「別荘と別荘の間に細い道が入って入るんだが、もしかして袋小路ってやつか? そうなると周囲一帯、地主か建て主は同じかもな」
「つまり自然に囲まれる時間を過ごす為の別荘だったのかな。避暑地だもんね、ここ。もしかしたら使ってないってことでアレルを連れこむのに使われた・・・・・・わけはないか。持ち主が気づかないわけないよね。管理人もいる筈だし」
マルコリリオの本家も別荘を持っているけど、そこの管理人は周囲一帯の別荘をまとめて管理しているそうだ。わざわざ自分の別荘専用で管理人を置かなくても、そういうやり方もあるのだとか。
「あの木々がなくなったらよく分かったのかな。隠し小道って奴かも。ねーねー、リオンお兄さんのお兄さん、あの近くに行くことってできますか? お兄さんの権限で見学できますか?」
「周囲はやじ馬でいっぱいですよ。レイド君をそんな所へ連れていくつもりですか。いくら変装していても、誰だってあなたに気づきます。知らない男女にもみくちゃにされてみたいですか?」
私は改めてあの焼け焦げた別荘の周辺を見てみた。道路には人が多く集まっている。
「やっぱりやめておきます、ごめんなさい」
「分かればいいんです」
「その代わり不動産の登記所に連れてってください。あの別荘と周辺の別荘の所有者が知りたいです」
なるべく情報を集めておきたい私は、可愛くおねだりしてみた。
「観光って意味を知ってますか、アレルちゃん?」
「みんなも行きたいと思います。登記所見学です。お勉強になります、きっと」
「えっと、・・・ネトシル殿。すみませんが、連れて行ってください。かえってアレルが夜行列車使って一人で往復する方が心配です。連れて行かなかったらアレルってば一人で実行しそうです。それに僕も登記所ってどういう仕組みなのか知りたいです」
うん、いい感じだ。私とエインレイドは呼吸ぴったりで補い合っている。
「仰せのままに。・・・ところでアレルちゃん。何度も言っていますが、私にはネトシルという姓があるのですがね?」
「この国では苗字で呼ぶのは普通じゃないと教わりました。それともシルさんって呼んでもいいですか?」
「苗字を呼ぶのは普通です。そして何を勝手に人の苗字を縮めているんですか」
「愛称というのは縮めるものなのですよ? だけどネトさんっておかしくないですか? あ、じゃあネッティさん。ちょっと可愛い」
さすがは私、センスがある。ネッティちゃんとか呼んだらラブリーだ。
そんなことを思っていたら、不意に私の両のほっぺたがぐにぐにっと摘ままれた。フォリ中尉程は痛くない。
助けて大公妃様、護衛なのに護衛対象者をいじめてる人がいます。
「仕方ありません。もうローゼンと呼んでいいですよ」
「じゃあローゼンお兄さんでいいですか?」
「ええ。全く、いつまでもレイド君が甘いと思って人生舐めてたらその内痛い目見ますよ。よく覚えておきなさい、このミニサイズ悪女が」
「ミニサイズ悪女じゃないです。うちの父ならもっと素敵に呼んでくれるのに。そしたら私、ネトシル侯爵家のお坊ちゃま二人をお兄さんとして手中に収めたわけですね」
「知り合いになることを手中に収めるとはどこまで思考が腐ってるんですかね、このミニサイズ」
そうぼやきながらも、彼は私と目を合わせて言い聞かせてきた。
「いいですか、アレルちゃん。あの愚弟は好きにしていいですから、その代わり、うちの兄には近づいてはいけません。それだけは約束しなさい」
「何故ですか?」
「うちの愚兄は強ければ何をしてもいいと考える男だからです。三兄弟とひとくくりにされることが多いですが、私達兄弟はかなり性格も考え方も異なります」
「言われてみれば、ローゼンお兄さんは真面目ですが、リオンお兄さんは見えない所で適当に手抜きしている緩さがあります」
ネトシル少尉は校内で歩いている様子をたまに見かけるが、多分だけど授業中はさぼっているんじゃないかなって思うところがある。だけどこのネトシル家次男が弟と同じ任務に就いていたなら、他の用務員に紛れて雑用をこなしていそうだ。この人は決して手を抜かないタイプ。
「そうですね。そして自分の感情次第で動くのがうちの兄です。何かあってからでは遅いんです。私と知り合いになったことも決して言ってはなりません。あの弟にもです。いいですね?」
「何でですか?」
「愚兄は、私の友人やガールフレンドを横取りするのが趣味だからです。そして程いいところで捨てます。愚弟は愚兄にとってライバルになり得ないのでそんな経験がないから分かってないでしょうが、愚弟から紹介されると言われても相手が愚兄なら断りなさい。そして愚弟から愚兄に私の情報が流れたらあなたが面倒なことになりますよ」
「・・・うわぁ」
聞いていたクラブメンバーもドン引きだ。他の護衛さんも同情する眼差しとなっているが、そちらはどうやら事情を知っている様子である。
道理で動物園のトロッコ列車に乗っていた時、弟への口利きに対してノーコメントだったわけだ。
「真面目なローゼンお兄さんが言うのなら信用するしかない情報です。分かりました、ローゼンお兄さんのことはネトシル家関係者には言いません。うちの家族には、知り合った人の名前は報告しなくちゃいけませんが口止めしときます。ね、レイド」
「そうだけど僕はとっくに三人共知り合いなんだけど。僕の場合は関係ないと思うよ」
「というわけでローゼンお兄さん、そのお兄さんの交際関係のリストをください。近づかないことにします」
「生憎と兄の交友関係など知りません。何の為に大公家に入ったと思ってるんですか。愚兄関係者など鬱陶しすぎて顔も見たくないからに決まってるでしょう」
「・・・そんなにお兄さん、嫌いなんですか?」
「ええ、とてもね」
彼はにっこりと微笑んだ。非の打ち所がない、まさにお手本のように爽やかな笑顔だった。
色々とあるんだね、ネトシル侯爵家。
「こちらのネトシル殿は学業もその年のトップだったと思うよ。生徒会でも副会長として有能だったって聞いたし、誰もがつい惜しんじゃうものがあるんじゃないの?」
「それならなんで生徒会長じゃなかったんでしょう」
そこでヴェラストール城の乗降場に到着したのでキャビンを降りて、少し離れた所にある乗り場から違うキャビンに乗り換えた。
さすがにここで見逃したヴェラストール城内を見に行こうと言う程、私の度胸は強くない。次のキャビンに乗ってから、エインレイドはネトシル家次男と目と目で会話してから口を開いた。
「アレルも学年一位の成績だけど生徒会長目指すの?」
「それはないですね。ああいうのは目立つのが苦にならない人に向いてる職業です」
「それと同じでネトシル殿には副会長が向いてたんじゃない?」
「ああ、腹黒な参謀系だから」
エインレイドはやはり主要な貴族を頭に入れているようで、よく知っている。
たしかに生徒会長とかより副会長とかの方がそれっぽいなと、私も思った。
「アレルちゃん、やっぱり帰りの時間は淑女教育しましょうね。特に口にしていいことと悪いことを。私もウェスギニー家の皆様にあなたのことを報告する以上、成果というものが必要ですから」
「調子に乗ってごめんなさい」
ぐるぐる巻きにされる前に謝ることを即座に選択する私は賢い。
「心のこもっていない謝罪は聞き飽きました。ちょうどここには四人ものご令息がいますし、いい勉強になるでしょう」
「お願いだからそれはやめてください。やめてくれたら、・・・えーっと、えーっと、私がこれから始めるかもしれない商売に一口噛ませてあげますっ。跡取りのお兄さんと仲が悪いなら副業はあって困らないですよねっ? さあ、空き時間を有効活用して私とウハウハ儲けましょうっ」
彼はとても嫌そうな顔で私を見下ろした。
「その商売とは何ですか?」
「可哀想な私に同情した色々な人から領収書不要な寄付を集めるお仕事です」
「それは商売とは言いません。恐喝もしくは口止め料と言うのです」
そうは言うが、フォリ中尉は基本的にプライバシーのない人である。ネトシル少尉はうちの叔父や兄と親しすぎる。
私は家族に知られずにコトを運びたい。そして生徒会の副会長経験者なら、それなりに人あしらいも得意だろう。
だから私はネトシル少尉のお兄さんの腕をぽんぽんと軽く叩いてみた。
「まあまあ。魚心あれば水心。あちらだって私を殺そうとしただなんて明るみに出たら悪いことしてない身内の人生まで狂ってしまうのです。お金でカタをつけるって大事ですよね?」
「それこそ今度はあなたが片づけられてしまうかもしれないのですよ?」
「私一人ならそうでしょう。だけど大公家にいるローゼンお兄さんを片づけるなんてできません。だけど私、一人で乗りこむのは不安だからエスコートしてくれる男性が必要なのです。そして祖父母には知られたくなくて、父の不在中に終わらせたくて、叔父は巻きこみたくないのです」
「私ならいいのですか」
その通りだ。私は自衛能力を持ち、そして私が分からない社交界を知り、その上で祖父母や叔父に言いつけない男性を必要としている。
「失うものがないじゃないですか。ローゼンお兄さんはその人達に、第二王子殺人未遂を子爵令嬢殺人未遂で済ませる為だと言ってくれればいいのですよ。何より私、これでもガルディアスお兄様とグラスフォリオンお兄様に可愛がられている独身未婚令嬢ですよ? エインレイド様の学友しているガールフレンドですよ? そして今ならファレンディア人の婚約者として準ファレンディア人としてのあちらの国も噛ませることができます。私の婚約者はとても私を大切にしてくれているのです」
「大して国交のない国なんですがね」
「そうかもしれません。だけど今、大臣が私のアドバイスでファレンディアからそれなりに大量の買い付けを考えていることを知っていたらまた違ってくるでしょう。その取引先の会社に、私の婚約者から圧力をかけてもいいのですよ? というわけで大臣を巻きこんでもいいかもしれません。・・・ほら、私が黙っていてあげることって、とても素敵なことに思えてきますよね? その努力をお金で買うって必要経費だってみんな思っちゃいますよね?」
その根回しについては貴婦人(推定王妃様)に相談してみよう。大公妃だって協力してくれる筈だ。
考えてみると、ネトシル家の次男はとてもいい立ち位置にいる。
私の計画は完璧だった。恐喝どころか、私への口止め料であちらがホイホイ払うことが見えている。
それを察したか、彼はとても素敵な微笑を浮かべた。
「なるほど。仕方ありません。やはりあなたの保護者に全て報告しましょう」
「それはだめっ」
なんてことだ。彼はあまりにも真面目過ぎる。
私はいつもバーレンが「しょうがねえな」と、有耶無耶にしてくれる力技でネトシル家次男の隣の座席にジャンプする。
「こらっ、キャビンが揺れたじゃないですかっ」
「男なら一発勝負してもいいじゃないっ。このままだとガルディアス様に取られちゃうんだからっ」
おねだりは強引に行くべし。私はそれを知っていた。
ゆえにダイナミックにごねておく。
「私が可哀想だって思わないのぉーっ」
「こらっ。キャビン内で暴れるんじゃありませんっ」
がしっとネトシル家次男の腕にしがみついたが、ひょいっと抱えられたかと思うと座席に座り直させられた。そして膝を揃え、両手を重ねて太ももの上に置いてお嬢様スタイルを取らされる。
「あのさあ、アレル。ガルディ兄上に取られるって何? いつの間に競争してたの?」
「何の勝負に入ってるんだ、このビーバー。よりによってあのお方に。しかもそちらのネトシル殿をどんなことに巻きこむつもりだ。普通はいつかいいご縁があるかもしれないとお淑やかにしとくもんだぞ」
「誘拐されてもう口止め料の回収方法を考えてたのか。それを商売って何なんだ、アレル。まだレイドを巻きこまないだけマシだが、ガルディアス様を巻きこんだら意味ないだろ。ついでに言うならもうお淑やかにするには全てが遅すぎる」
「やっぱりアレルってたくましいよね。どこまで人を動かすつもりなんだろう」
なんという覇気のない少年達だ。こういう時こそ、男の子は強くたくましく乗り出すべきだ。
私はぴしっと言い聞かせるべく、皆を見渡す。
「みんなも味方してよっ。私の誘拐殺人未遂を勝手にレイドの殺人未遂にしたんだよっ、ガルディアス様っ。私の獲物を横取りに入ったんだよっ。さっさとメンバー集めてガルディアス様に圧力かけないと、私に1ナルも入らないじゃないのっ」
エインレイドは基本的に私の味方だが、そこで首を傾げた。
「それでネトシル殿を巻きこむぐらいなら、叔母上に協力してもらった方が早いと思うけど」
「お願いならしたもんっ。昨夜の内に通話したもんっ。大公妃様だって協力してくれるって言ったもんっ。そしたらガルディアス様、私の計画聞いて、保護者にばれないと思ってるのかって鼻でせせら笑ったんだよっ。しかも見逃してほしければ先に報告しろとか言うんだよっ。やっていい限度は保護者と相談の上で決定するとか言うんだよっ。それが約束できないならこっちでやるからもう何もするなって言うのっ」
この悔しさを分かってほしいと、私はエインレイドに訴える。
それなのにケーブルウェイ・キャビン内にいた全員が一斉に、ああそうかと、頷いた。
「ガルディ兄上がそう言うならそうなんだと思うよ」
「よかった。つまりガルディアス様とウェスギニー家は繋がってるってことか」
「考えてみればそうだよな。ビーバーの性格ぐらい誰しも把握してるか」
「えっとね、アレル。次も無傷ですむとは限らないんだし、・・・ね?」
所詮、扶養家族はこんなものなのかもしれない。
私は救いを求めて護衛の人達を見る。五人中四人はそっと視線を逸らして警備しているフリをした。
一人だけ見返してくる茶色い瞳のネトシル家次男坊は味方だと思いたいけど、さっきからお上品な着席スタイルを実力行使で強要してくる生粋のお坊ちゃま貴族だ。
「ガルディアス様が相変わらず賢明なお方で何よりです」
「ローゼンお兄さんはどっちの味方なのっ」
「ガルディアス様ですが?」
さらりと言いやがった。ここは嘘でも少女の味方をすべきなのに。
「ひどいっ。やっぱりそれならリオンお兄さんにお願いするもんっ。聞いてよ、レイドッ。ローゼンお兄さん、私の護衛のくせに私の味方してくれないんだよっ」
「言っておきますが、私はレイド君の護衛なんですよ、アレルちゃん。それをあなたが何をやらかすか分からないからということで土壇場でチェンジさせられたのです。分かりますか? 本来の護衛対象者を守る為、護衛対象者をチェンジさせられた私の気持ちが」
別に団体行動してるんだから交代する必要はないと思う。何よりちょこまかと小さなおねだりをしてみて気づいたのだが、彼が一番私のお願いを叩き落としてくるのだ。
「私はとてもいい子です。だから本来の人で構いませんよ? どなたが本当の私の護衛ですか?」
とても愛らしいと言われる私の針葉樹林の深い緑色の瞳で四人の護衛を見てみれば、にっこりと笑って誰もが視線を外す。
「生憎と仲間を都合よく利用されるわけにはいきません。大体、私がガルディアス様の判断を支持しただけで愚弟を選ぶとは、また何やら悪だくみしていますね?」
その茶色い瞳は私を疑っていた。いや、決めつけていた。
「ちょっと待ってよ、アレル。何する気か知らないけど、何かあった時の為にガルディ兄上の方がいいよ。いざとなればそれだけ動かせるんだから。どっちのネトシル殿も振り回したら気の毒じゃないか」
「だからレイド。それだとまずいんだって」
「なんでさ」
そこでキャビンが到着する。
「仕方がないから改めてゆっくり説明してあげましょう、レイド。物事には程々が大事なのだと言うことを」
「それをアレルが言うの?」
私は程々を常に追求して上手に世の中を泳いでいる少女だ。そして今の内に観光して皆の気を逸らしながら、いい言い訳を考えなくては。
大金を巻き上げようと思ったら保護者は邪魔なんだなんて、・・・・・・言えない。




