52 ローゼンゴットの平穏はどこだ
王子の護衛業務なら是非とか言ってやってきた坊ちゃん客達。
それは、大公妃もいずれおうちにお帰りいただく彼らとは今後も顔を合わせる貴族だし、どんな縁がどう繋がるかも分からないというので、適当にあやしながら扱っている「お預かり様」だ。
ミディタル太公軍においてはただの役立たずでも、いずれ大貴族の娘婿とか未亡人の再婚相手とか繰り上がっての跡取り息子とか、あるかもしれないのだから。将来のことを何も考えずに喧嘩を売るのはウサギ娘ぐらいである。
三人はとても荒れていた。何故なら護衛達用の移動車を残して大公妃と王子達一行は先に帰ってしまったからだ。
「護衛を置いていくだなんて何を考えてるんだっ」
「これだからまともな教育を受けてない子爵家の不出来な娘なんてのはっ」
「大体、金が全てだなんてなんて卑しい思考だっ」
あのな、護衛ならあれぐらい適当にあしらって抜けてくるのもお仕事なんだよ。どあほうが。
ミディタル大公家は「お預かり様」にとても優しい教育を行う。そう、程々の仕事を与えておいて上司となる者達は、
「さすが〇〇家のご子息ですね」
「見事なものだ。こんな優秀な方がいずれご実家に戻られるとは残念です」
などと、褒めたたえて適当に仕事をした気分にさせておくのだ。
そして程々の所で、
「もう教えることなど何もありません」
と、おうちにお帰りいただくパターンである。
彼らはそれにより「あのミディタル大公家で鍛えられた実績」を手に入れる。ミディタル大公家はにこにこと肯定しておくだけだ。
ミディタル大公家内において「お預かり様」イコール「鍛える価値もない奴」、それが現実だ。
だけど何の仕事をしていたかを語り始めたら、坊ちゃん客達も自分が何もマスターしていないことがばれてしまう。だから、ミディタル大公家のしごきはどれ程に厳しいものだったかを吹聴するのだ。
それを信じて、いずれ獲得しておく価値のある奴が釣れたらいいと考えているミディタル大公夫妻。
お預かりしているお坊ちゃま客は、本当に使える奴を釣り上げる為のエサだ。
「そう怒るな。かえって小生意気な小娘を護衛しておくより、よほど有意義な時間だったんじゃないか? 先に帰宅された以上、動物園を出た時点で録画は終了だ。全てはまとめて王城へ提出される。礼儀正しい貴公子であるということも、そして護衛対象者の秘密も守るということも、ここで証立てておいて困らないさ」
私が軽くいなせば、三人も少し落ち着き始めた。
「そりゃそうだが。そういえばローゼンゴット、護衛の女達はどこ行ったんだよ。全然見ないぞ。明日の打ち合わせもあるっていうのに」
「そうだ。日中だけの護衛だからって何を弛んでるんだ。引き継ぎもできないのか、誰が上司だと思ってるんだ」
少なくともお前らではないだろう。
ローゼンゴットと勝手に私の名前を呼び捨てるフォリエルは女好きで有名だ。誰にでも馴れ馴れしく近寄っていく。
引き継ぎというが、こんなものに何の引き継ぎが必要なのかが私には謎だよ、ドリンゴーラス。
「王子の一行に一人だけとはいえ、女の子が混じってるんだぞ。ヴェラストールの有名カフェや飲食店でも、個室を手配できる場所確認と、監視映像装置設置許可の交渉に行かせたに決まってるだろう。
個室で少年四人に少女一人。みだらなことがなかったことの証明として監視映像装置はつけるし、トイレに立った隙に王子を誘惑されるのも論外だ。そんな雑用に行かせるのなんて女だけで十分だろう。その為にいるんだ。
まさかこの私に足を棒にして『すみませんがお願いいたします』などと経営者を訪ねて頭を下げることを繰り返せというのか? それともそんなのをやる為にお宅らは来たのか?
どの店舗にも監視映像装置を取り付け、更にそのテストも行うとなると徹夜だ。トイレや店の天井裏でネズミとゴキブリの死骸に混じって埃だらけになるような作業、手伝いに行きたければ勝手に行ってくれ」
ミディタル大公家に仕える者達は、よそからの「お預かりカス」の為に存在するわけではない。何が上司だ。仕事している気にさせてやって、「よちよち、りっぱでちゅねー」扱いされてることも分からん奴らが。
この手間で要した費用を思うだけでむかつく。こんなアホ達が来なければ女護衛達のホテル代や交通費、追加の護衛、アレナフィルを守る為のメイド達も必要なかった。
ヴェラストール別邸に来させられた使用人のランクと数を見れば、どれ程にガルディアスがアレナフィルを大事にしているか分かるというものだ。大公妃の目が逸れても、あのメイド達がアレナフィルから目を離さないだろう。
吐き捨てるように言えば、三人もその勢いに呑まれたらしい。
「はは。ネトシル様は以前、それに同行してひどい目に遭いましたからね。
廊下の天井裏を開けて設置するとなると、凄まじい埃が積もっている上、虫の死骸も凄いんですよ。しかも取り付け作業の際にそれらが全部通常の廊下に落ちます。だから最初に帽子と防護メガネとマスクで顔を覆い、作業服を着てゴミ袋数杯分の埃を取り除いて清掃しなきゃなりません。その清掃作業で一度シャワーを浴びないと、汚くて触れた物全てが汚れていくから、『動くな、ドブネズミがっ』と、従業員に怒鳴られる始末。あちらはそんな身分など分からないですから。
その後、再び天井裏に入りこんで装置を設置し、そして作業によってパラパラ落ちた廊下も全て掃除しなきゃいけないっていうんで、一ケ所につき、着替えが三回分は必要になるんです。マスクしていても鼻の穴が真っ黒になります。
あのくしゃみが止まらずに鼻水だらけになった顔といい、埃で爪の隙間も真っ黒になった姿といい、どこの浮浪者だ、煙突掃除夫かよって庭でホース洗いされてましたか」
話を合わせてくれた運転手もまた護衛の一人だ。和やかに護衛していたのをぶち壊しに来やがった三人に、実はとてもムカついている。
護衛ができる女性は貴重だからだ。男なら傷も勲章と言えるだろうが、女の傷は周囲からも眉を顰められる。いざという時には我が身で護衛対象者を庇わねばならないと分かっていて護衛任務に志願している彼女達は、貴婦人を守る際にとても重要な役割を果たすのだ。
体格的にハンディがある女という性別で、護衛対象を襲ってくる男達と渡り合わなくてはならない分、人数も必要となる。それを大事に育てることで使えるようにしてきているのに、護衛業務に就く女達を自分達の玩具だと思われてはたまらない。
そんな事実はなかったが、まるで見ていたかのように彼は説明することで、私に味方してきた。
「おかげであんな裏方にある狭苦しい上、掃除もできてないぼろいシャワーを借りなきゃならんし、夜間は湯が出ないようになってるし、冗談じゃなかったよ。ここまで来たんだ。お宅らも一度はやっていけ。いい経験だ」
さすがに三人も、「いや、いいよ」とか「そんな経験、役立つことはなさそうだしな」とか、口の中でもごもご呟く。
掃除など自分達が命じるものだとしか思っていない彼らには耐えられない苦行だろう。
「お預かり様」な坊ちゃん客達は、その身分上、完全下っ端ともできない為、「厄介な客対応訓練」として使われていた。
地味にミディタル大公家において連携プレイ上達に役立っている。
― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―
基本的に護衛任務と言っても、「お預かり様」が絡んできた時には、わざと処理作業を増やすのが暗黙の了解だ。
馬鹿なことをやらかさないように、仕事を量産するのである。
この真に迫った演技力は、今までの坊ちゃん客、即ちお預かり様によって磨かれてきた。
(大体、監視映像装置なんざ手を抜く為に決まってるだろが。どこの城だってそんなの後からチェックするわけないだろ。ま、今回のは楽しく見ることができるように編集予定だが)
夜行列車に乗った昨夜の件にしても、
「王子はクラブメンバーの少年三人と共に一つのブースで就寝したものの、夜更けまで騒いでいました。クラブメンバー唯一の女子生徒アレナフィル嬢は大公妃様がご自分のブースに連れていって就寝しました」
で終わりだ。
監視映像が必要となるのは、たとえば毒物が盛られたとか、危害を与えられたとか、そういったことが後から判明した時の為で、現在の私達の監視映像装置フル出動は給料カット阻止活動の一環である。
「それでは護衛業務の報告の仕方について説明いたします。まず、その護衛業務における指揮を執られた方が一名、そして補佐として二名。この三人が名前を明記して提出いたします。他のメンバーは、その護衛業務のメンバーとして名前を列記いたします。基本的に今回の護衛業務は、全てネトシル様が隊長として指揮を執られておられますが・・・」
ちらりと私を見る彼の演技も堂に入ったものだ。
「折角来たんだ。三人でこれは出してみたらどうだ? 大公妃殿下、エインレイド殿下の護衛に来ておいて、ただの添え物だったなんて気の毒すぎる。勿論、私が書いてそれにサインする二人を選ぶのでも構わないが」
「ローゼンゴットはそれでいいのか?」
ミトファンが私を上目遣いで尋ねてくるが、私は軽く肩をすくめた。
「どうせ私は昨日の夜行列車からずっと指揮を執ってる。一つぐらい譲っても大したもんじゃないさ。何よりこういう実績があると、近衛とかにも採用されやすいぞ。まあ、そんなものに入りたいかどうかは知らんが」
軍でも王族の身近に仕える近衛は花形だ。容姿や所作、行動全てに品格が求められる。
外国語にも堪能な方がいいし、突発的に自国や外国の王侯貴族のエスコートを命じられても務められるだけの礼儀作法が身についていることも必須で、行儀見習いと称して王城で侍女をしている貴族令嬢とも知り合いになりやすい。
近衛に属しているというだけで、独身の貴族子弟なら箔が付く。
「ローゼンゴット、君は前々からいい奴だって思ってたんだ」
「はいはい。書き方は彼らがよく知ってる。実績アピールしやすい書き方もな。私の報告書は簡潔すぎるとよく言われてるんだ。つまりあまり評価されない。それでも私は長いから問題ないが、書き方一つで評価が違ってくるってのはあるのさ」
フォリエルの「いい奴」っていうのは「都合がいい奴」って意味だよな。
私は他の居並ぶ護衛達をくいっと顎で示した。
「えっと、じゃあ誰が指揮してたことにする?
「そりゃあ勿論、私だろう」
「何もしてないだろ。私はちゃんとエインレイド様にも話しかけてたんだぞ」
「それを言うなら私だって大公妃様と親しく語り合ってた」
なんか喧嘩してるが放っておこう。なんで護衛対象者との会話数で偉くなれるんだよ。
そこへカチャッと音がして扉が開き、大公妃とアレナフィルが入ってきた。
「妃殿下。あちらでお休みになる筈では・・・」
立ち上がって尋ねた私に、大公妃は軽く苦笑する。
「アレルがこっちで眠ってくれるというから連れてきたのよ。もう報告はしたの?」
「いえ。これから作成し、提出するところでした」
「そうなのね。いいわ、私もまとめてサインするから」
私は慌てて脳内を回転させる。メイド達も彼らが変なちょっかいをかけぬよう、あちらの王子がいる棟の上階に移しておいたのだ。
いや、問題ない。映像記録が撮られているところに立ち入ったなら、こいつらこそ問題となる。
しかしアレナフィルがこちらの本館か。客室前に映像監視装置をつける様子を彼らにも見せておかねば。大公妃も一緒だろうから問題はないにせよ、こいつらはどうも信用できない。
「おじゃまします。私はここにいるので大事なエインレイド様を襲ったりしないから大丈夫です。というわけで私のことはお気になさらずお仕事してください。あ、通話通信装置をお借りします」
「あ、あの、妃殿下。令嬢をこんな所に連れてきては・・・」
「寝室で私が見張っているより確実じゃない。それより報告書はどこまでできたの?」
後から呼ばれもしないのにやってきた奴らにしてみれば、護衛と言いながら警戒対象でもあるアレナフィルがいるのは邪魔に思えるだけだろう。
しかしアレナフィルの許可の件を知ってしまった大公妃は、もう目の前で見ておこうといった気分のようだ。
(ん? その気になればこいつ、私達にも協力要請として命じられる立場じゃないのか? 世も末だな)
あの権限を使えばアレナフィルは護衛の指揮ばかりか、どうでもいい雑用すら私達に命じられる立場となる。大公妃もそれを分かっているから観察しているのだろう。アレナフィルは大公妃にとても懐いている。
大人が集まっている事務室だというのに、アレナフィルは平然と通話通信装置で叔父を呼び出していた。ホームシックだろうか。
「えっと、アレナフィルです。ジェス兄様、・・・じゃなかった。叔父様呼んでください」
この場に似つかわしくない少女の声はよく響いた。こんな夜に呼び出されたというのに怒る様子もなかったらしい叔父と仲良く話し始める。
叔父が父親代わりだと聞いていたが、確かにそのようだ。
「お昼寝したから大丈夫。えっとね、みんなはもう寝ちゃったの。だけどフィ・・・私は大公妃様のお仕事見に来たの。大公妃様、私が不純異性交遊しなかった証拠で一緒に寝てくれるんだけど、どうせまだ眠くないからお仕事場に行けばいいかなって。お父様とニシナさん、いる?」
どうやら自分の状況は理解していたようだが、明け透けすぎて何も言えない。
こんなことまで細かく当日中に状況報告するような娘に手を出したなら、どこまで保護者に細かく話しまくることか。
こっそりと手を出して遊んでから捨ててやろうとか言っていた三人だが、この子ウサギ娘、秘密の恋人なんてものに甘んじてくれそうにない気配が濃厚じゃないか?
それこそ朝食タイムに昨夜の口説き言葉を全て報告しそうな気配だ。ということは王子エインレイドもリアルタイムで知るってことか。
何にせよ、叔父にはきちんと敬語を使うべきだ。躾がなってない。
「ニシナさん、とっても勝手な人だけど大丈夫? 我慢しない人だし、大変じゃない? ・・・・・・そうだった。あの人、性格破綻者だけど頭はいいんだった」
こんな小生意気な娘から性格破綻者なんて言われたら、半周回って常識人じゃないのか?
私はこの子爵家令嬢に人を見る目がないことを十分に理解していた。
「あ、お願い。・・・えっと、大公妃様。こっちに文書通信送ってほしいんですけど、アドレス教えていただいてもいいですか?」
「いいわよ。そこの壁に貼ってあるアドレスの内、右側の一番上を使えばここの部屋で受け取れるわ」
「ありがとうございます。・・・じゃあ、送ってもらってもいい? 今からアドレス言うね」
何の文書を受け取る気か知らないが、くだらない内容じゃなかろうな。いや、大人しくしててくれるならそれでいい。
「え。お祖母様、知っちゃったの? えっと、それ、今日はどっきりニュースの日で、嘘ニュースが流れる日なんだよっ。だからそれ関係ないよっ」
後からの合流組は移動でニュースなど見てなかっただろうから分かっていない顔だったが、私と他の護衛達は疲れた顔で瞳を見交わした。
勝手に変な日を設定している小娘の嘘に騙される奴なんているんだろうか。
おろおろとしている様子は、親に叱られるのを恐れているといった具合である。もしかしたら親に言いつけると言うのが、言うこときかせるのに一番効き目があるのかもしれない。いや、叔父に言いつける、か。
明日から言うこと聞かせたい時にはお祖父さんと叔父さんに言いつけるぞと言おう。
「ええっ? どうしてばれちゃったのっ!?」
見ているだけで飽きない。それはあるかもしれない。
なるほど。このちょこまかしているところにガルディアスははまってしまったのか。世話してやらなくても自分でお着替えもトイレも歯磨きもできるペットがここにいる。
むぅっとした顔で何やら考えながら話していたが、ころころと表情が変わるものだから退屈しないものがあった。
皆も仕事の手を休めて見ているのは、ちょっと面白いからだろう。
「あ、そうそう。そういえばね、ここ、リオンお兄さんのお兄さんがいたんだよ。色合いは似てるけど顔は似てないの。ついでに性格も似てなかった。普通は二番目の子って要領がいいのに、全然冗談が通じないんだよ。生まれてくる順番間違えてるよ。真面目で堅苦しいのは一番目の子でいいのに」
このダメダメな子爵家令嬢は礼儀正しさを学び、マナーというものを身につける必要があると私は知った。
まあ、私が一番目に生まれてくるべきだったというそれは見る目があると言ってやってもいいが、兄の前で言ったらとんでもない目に遭う発言だ。
あの兄は私をかなり警戒している。そして子爵家の娘なぞ令嬢と思っていないところがあった。
「してないよ。やっぱりお父様と叔父様が一番素敵。男は包容力なの。そういう意味で一番大公妃様が魅力的。ほかの人と違ってちょっとした冗談でピリピリしないし、周囲をよく見てるから多少のことでおたおたしないし」
ここまで配慮してその身を守ってあげていた私に対して包容力が足りないとかぬかす小娘。
前ウェスギニー子爵にあのマーケットでの映像を送りつけてやろうかと、私の心で悪魔が囁く。後でウェスギニー家用の複製を作っておこう。
「あ、そうそう、大公妃様からとっても可愛いお洋服ももらっちゃったんだよ。刺繍って後からしてもらわなくちゃいけないし、布の再利用が面倒だから今まで考えなかったけど、ちょっと考え直しちゃったぐらいに可愛いんだよ。でね、本題なんだけど、こっちにあるおうちの下のお部屋、入る方法ある? いざという時はホテルに泊まればいいやって思ってたし、慌てて来ちゃったからおうちの鍵を持ってこなかったの」
こっちにある家というと、ウェスギニー家の別宅だろうか。
今まで舞踏会に送り出す令嬢もおらず、さほど社交に力を入れていなかったウェスギニー家は、アパートメントしかここには持っていなかった筈だ。
そこに行くつもりだろうか。だが、入り方を聞いたということは、そこには使用人がいないということだ。世話をするメイド達を行かせているなら、ドアはちゃんと開けてもらえるのだから。
(この考え無し娘が・・・!)
知らないのだから仕方がない。分かってはいる。だが、よりによってこいつらの前で・・・!
「ありがとう、叔父様。今日のお買い物で荷物沢山になったから置いておく場所が必要だったの。どうせまた来るもん。じゃあ、これね、明日にでもお返事書いたらそっちに送信するから、ユウトに送ってもらってもいい?」
ユウトというのが誰だか知らないが、何も旅行中にやり取りするようなことなどないだろうに。
それでも幸せそうに喋っている様子を見ていると、愛されて育てられてきたのだと分かる。礼儀知らずはどうしようもないが、かえって通常の貴族令嬢よりも恵まれていたと言えるだろう。
家族の顔色を窺う必要もなく、この子は育っていた。
「だけど叔父様、帰ったらお昼もデートしてほしいな。やっぱり叔父様とのデートが一番素敵。男の子にロマンチックは無理だった」
このサルートス王国において、上等学校女子生徒の誰もがデートしたいであろう王子エインレイドと一緒に過ごしてこの暴言。
何がロマンチックだ。まさか店内に溢れんばかりの薔薇でも飾り立てろというのか。
(なんか本気で金かかりそうだな、この子。てか、こいつら三人じゃ太刀打ちできんだろ)
ウェスギニー子爵の弟、レミジェス。
何かと浮名を流しているが、未だに独身。樹の種と言ってもスポーツが得意で武芸にも秀でている為、女性からの人気は高く、既婚未婚問わず舞踏会では何かと違う女性をエスコートしている。
兄の小間使いをしているのも辛かろう、冷や飯食いに甘んじるよりはうちに来ないかといった誘いを数多く受けている筈だが、兄の為に働くのが生き甲斐だと言ってのけたとか。
(働かされるだけ働かされて、まともな給料ももらえていないという専らの評判だが、多分違うよなぁ。多忙なのは兄の雑用を押し付けられているからじゃなく、完全に子爵代理だからだ)
自分が二番目の息子だから分かる。恐らくこの三人も分かっているだろう。
あれは長男という当主に給料を恵んでもらっている立場の金の使い方ではなかった。そうでなければあんなにも金のかかる貴婦人ばかりとデートはできない。
(そりゃ当主夫人という金食い虫がいないんだから、十分余裕はあるか)
そんなことを思っていたら、通話を終えたアレナフィルが届いた文書を見ながら考えこんでいた。
「アレル、何かあったの?」
「あ、はい。大公様とガルディアス様の要望がおかしいらしくて・・・」
「何がおかしいの?」
大公妃が声をかければ、アレナフィルが困った顔で打ち明ける。
「いえ。サルートス国及びその近辺の国の河川データ、どうやら私に与えられていた資料と、あちらが持っている資料が異なっていたようです。つまり私に渡されていた河川や水質データが間違っていたか、私に軍の情報を漏らさない為にわざと違う国のデータを近郊国としてのデータとして渡していたか、それともあちらのデータが間違っているか、ですね。
それから大公様の測定データが体格や筋肉量から考えておかしい部分が少しあるようです。恐らくお怪我なり筋をいためるなりしているのでしょうが、それは今後もこの数値なのか、それとも快復した時のデータを予測して組み立てるべきかという問い合わせです」
てっきり子供のお手紙かと思いきや、その口から飛び出てきたのはかなり真面目な内容だった。
賢い子だと聞いていたが、あんなアホな会話しながらそんな文書を受け取っていたのか。
「そこまでチェックしてくるの? 親切なのね」
「どちらかというと警告です。勿論、部外者に手の内を見せるわけにはいかないこちらの事情も理解しますが、信頼できないと判断されかねない状況です。困りました。とりあえずガルディアス様に連絡を取りたいのですが」
「そういうことなら、違う部屋をお使いなさい。・・・あなた達は報告書を作成していてちょうだい。いらっしゃい、アレル」
「はい」
大公妃がアレナフィルを連れて部屋から出ていく。
その会話をここのメンバーに聞かせる必要はないと判断したのだ。
「えっと、アレルお嬢さんは一体・・・。あれ、何語ですかね? ちらりと見たものの全く読めませんでしたよ」
「ファレンディア語だろう。婚約したとは聞いていたが、大公妃様が可愛がる理由もあったということだ」
「へえ。あんな世界で一、二を争う難しい言語とやらをねぇ」
ゲルロイゼは感心するだけでいいが、私は大公が何を手に入れようとしているのかを考えるだけで胃が痛い。アレナフィルは警告だと言っていたが、要はアレナフィルに虚偽情報を渡して動かそうとしたら、あちらからその欺瞞を見抜かれたということだ。
そこでアレナフィルはどう動くべきかをまずガルディアスに相談しようと考えたのだろう。
すぐに大公妃は戻ってきたが、質問を許さぬ雰囲気があった。
「さ、護衛の報告書を早く書いて。時刻ごとに行動を記載していくの。記憶に怪しいところがあれば映像をチェックして」
「かしこまりましたっ」
そうして大公妃は違う資料を見始めたが、いきなりアレナフィルの悲鳴が響き渡った。
『大公妃様ぁっ!! 大公様が無茶ばかり言いますぅっ! だからガルディアス様にしてって言ったのにぃっ!!』
バタンッとどこかの扉が思いっきり開けられる音がしてバタバタと駆けてくる足音。
もう令嬢教育、待ったなしで行わなくては。きっとこの本館の夜間警備も一斉に警戒態勢に入ったぞ。夜中に叫ぶか? あそこまで大声で叫ぶかっ?
大公妃はさっと机を飛び越えてドアの前に待機した。
「大公妃様ぁっ! 大公様がぁっ!! やっぱりガルディアス様にチェンジでぇっ!」
そしてドアを大きく開けて飛び込んできた小娘を抱きしめる。
それによりこの部屋の家具やライト他、暴れ子ウサギの衝突で壊れる被害は防がれた。
「手間がかかるものだな。檻に入れていないペットというものは」
私はそっと呟いてみた。
うん、しっくりくる。そうだな、ペットだと思えば腹も立たない。
そうして私は心の平安を取り戻した。
「あの人がどんな無茶を言ったのかしら?」
「なんか疑われてたからその必要はないってことを、理由を挙げて説明したらいいように解釈するんですっ。大公様の身勝手ルールを押し通すのに私を巻きこむつもりですっ。そしたら私が恨まれますっ」
「全くあの人は・・・。いいわ、一緒に話しましょうね」
「はいっ」
そこでコホンと咳払いしたのが、ミトファンである。
「アレナフィルさん。我が儘ばかり言うんじゃありません。よりによって大公殿下のお言葉に異を唱えるとは何事ですか。言われた通りにすればいいだけでしょう。別に大公殿下が命じたことなら誰も文句は言いません。そんなことも分からないのですか」
たかが子爵家の格落ち令嬢如きが大公妃を煩わすなと、ミトファンは言いたかったのだろう。いずれどこぞの家に嫁ぐにしても、大公夫妻に対してここまで直接何かを要求できると思っているような不見識は許されない。
子爵家の瑕疵付き娘ごときがと、彼の言葉の裏には隠れた思いが存在していた。
だが、それで恐れ入るようなウサギ娘ではない。アレナフィルはハッと鼻を鳴らすと、両手を軽く広げて馬鹿にした仕草を取った。
「これだから世間知らずな男は。物事を深く考えないんだから困っちゃいますよ」
「なんだとっ?」
ぷふぁっと笑い出しそうになった両サイド平民出身護衛の脇腹に、私はすかさず肘を食らわせておく。ぐぇっとか、げっとかいうくぐもった声があがったが、笑い声を聞かれるよりマシだ。
甘やかされて育った貴族の恨みは根深いんだ。こんなことで目をつけられてどうする。恨まれるのはそこの生意気ウサギだけでいい。
「分かりました。ではそちらのお兄さん、私の行動における責任保証書にサインしなさい」
「は? なんで私がそんなのをサインしなくちゃいけないんだ」
「大公様は私に、近衛が所有する戦闘用兵器を大公家へ横流しするようにと言いました。言うまでもなく近衛の了承は得ていません。さて、ここで大公妃様に泣きついた私は悪者ですか? そして大公様の命令だから従えというお兄さんは正しいですか? それらは安くて1600ローレはいきますが、その王城納品分を横流しせよという横領罪の責任は黙って従えと言い放ったお兄さんが取ってくれるんですよね?」
※
1600ローレ=1600万円(物価を考えると貨幣価値は約1.5倍として2400万円)
※
「い、いや、ちょっと待て。なんでそんな話が出てくる。そもそも君は王城にも近衛にも出入りなんてしていないし、そんなものを持ち出せるわけがないだろう」
戸惑った様子で、ドリンゴーラスが間に入った。
金額が問題ではない。そして王弟が直接やるなら国王も許すだろうが、貴族が王城の横領に関与したなら禁固刑だけですむかどうかの事態だ。
「そういう話だからです。私はガルディアス様からの依頼で大公様のサイズを計り、発注書を書き上げました。翻訳そのものは大した手間ではありませんが、幾つか整合性が取れない箇所が出てきた為、確認していたのです。すると近衛用発注分を大公様が使えるように書き換えろと言われたわけですね。
そうなるとかなり話が違ってきます。だから王城に納められる筈のものが納められず、大公家に流されるという横領の責任を取ってくれると一筆書いてくれるなら私も考えましょう。ただし私には一切の罪がなく、お兄さんがそれをかぶってくれるという話であれば」
サルートス上等学校一年生ながら、サンリラにあるうちのアパートメントで王族や貴族といった成人男性達と過ごしていた少女。
サンリラにいる管理人から、グラスフォリオンはかなりアレナフィルに夢中のようだと報告が入っていた。
あちこちで可愛がられ、調子に乗ってる子爵家令嬢が無垢そうな表情で彼らを見上げる。
「ところで私、今回のエインレイド様の旅行報告で王妃様にお会いする予定があるのですが、この話をしてもいいですか? 勿論、横領罪についてお尋ねしたいなって思います」
「・・・くっ」
なんて少女だ。注意された仕返しに脅迫してやがる。
そっと脇を向きながら「もっとやれ」「ファイトだ、アレルちゃん」とか応援している小声は聞こえなかったことにしよう。
ちょっと楽しかったし。
許可の権限を使うまでもなくアレナフィルは勝者だった。
「そこまでにしなさい、アレル。あなた達も落ち着きなさい。いくらアレルに令嬢達の鼻先にほいっと追いやられたからっていじめたら可哀想でしょう」
「・・・おお。そう言えばそんなこともあったかもしれません。無事に帰れてよかったですね。てっきりどこかにお持ち帰りされたかと思ってました」
「こっ、この・・・っ」
つんっとそっぽを向いている少女は、人の目がこんなにもなかったら殴られていたかもしれない。彼らの鍍金が剥がれかけていた。
「全く、もう。アレルは追撃も忘れない子なのね」
「はい。だっていじめられたらいじめ返しておかないとまたいじめられちゃいます。だから大公妃様、大公様を説得してください。大公様、自分が大暴れできたらいいって感じで後のこと考えてないです。全く帰ったらガルディアス様に文句言わないといけません」
なんで大公の文句を息子に言うんだよ。本人のことは本人に言えよ。そもそもガルディアスはミディタル大公家で暮らしていない。ミディタル大公の予定にも無関係だ。
大公妃もどうしてここでガルディアスなのかと眉根を寄せる。
「多分だけどガルディアスは知らなかったんじゃないかしら」
「私もそんな気がします。だけどいいんです。そしたらチョコレート二粒くらいオマケしてくれそうな気がします」
「あらあら。それが目当てなのね」
「はい。ガルディアス様はとても太っ腹なんです。この間もたくさん問題集をくれました」
チョコレート二粒の為に押しかけられる予定のガルディアスに同情した。それぐらいメイドに買ってこさせればいいだろうに。
口に出す言葉と思考は腐っているが、アレナフィルは有能だ。エインレイドは可愛いタイプの女の子が好みだったのだなとみんなで言い合っていたが、外見の可愛さではなく中身の面白さにはまった気配がある。
(考えてみりゃエリー王子にも新鮮だっただろうしなぁ。変に寄ってくる奴らから逃げる為に煙幕弾ぶちかまして更にあんなゴースト映像ぶちあげるガールフレンドなんて他にいないだろ)
出ていった大公妃と少女はなかなか戻ってこなかったが、どうやら問い合わせが終わった後、そのまま客室へと行ってしまったかららしい。
だが、皆の前で少女一人に言い負かされた事実。
私は厄介な流れだなと感じていた。・・・・・・ヴェラストール、来るんじゃなかった。
― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―
思うのだが、大公妃にとって私は都合のいい男なのかもしれない。
貴族としての権限を使うこともできれば、下っ端の兵士がやるようなこともこなせるというので、とっくに雑用係と思われているのかもしれない。
「アレナフィル、どうも何かやらかしそうなのよね。適当に見守っておいて、危なくなったら助けてあげてちょうだい」
「大公妃様。よく動く小動物は無責任な放し飼いなどせず、首輪をつけて檻に入れておくものです」
少年達が起きてこなかったのでアレナフィルと二人きりの朝食をとった大公妃はとても機嫌がよかった。
あの小生意気な子爵家令嬢は誰に取り入れば一番美味しい思いができるのかを知っていやがる。それを堂々と言うから裏を考えるまでもないのだろう。
固形に整形された餌よりも新鮮な人参をくれる人に懐くウサギの分かりやすさを咎める人がいるだろうか。
「可哀想じゃない。それに好きにさせておいた方が楽しいでしょう? エインレイド様を逃がす為にあの巨大ゴーストが出現したと知って、陛下が大笑いしていらしたそうよ。王妃様もね」
「エインレイド様の教育上、よろしくない影響があります」
国王夫妻にとっては笑いのネタかもしれないが、私達にとっては給料カットの元凶だ。
「侍従達が教育スケジュール組んでた時より、王妃様に相談しながらアレナフィルが勉強スケジュール組み立てている今の方が成績もいいんですって」
「勉強が全てではありません」
あの小娘、本当に王妃にも取り入っていたのか。大物狙いで動いてないか、あの小生意気ウサギ。
「そうね。今までのエインレイド様なら誰かを出し抜いて行動するなんて考えなかったでしょうね。アレナフィルのおかげで扱いやすかった王子様がどんどんたくましくなっていきそうね」
「嘆かわしいと思っておられる方も多いことでしょう」
国を背負う意味を忘れられては困る。大軍を指揮すべき王子がゲリラ戦を学んでどうするということだ。あのウサギ娘はエインレイドに抜け道ばかり教える上、王子もまたそれを楽しくマスターしようとする。
料理店と提携したことにしても、貴族たる子爵家を利用されない為に上等学校を使ってみせたアレナフィル。王子としてエインレイドも学ぶものがあっただろう。なんでもかんでも自分の身分で解決する必要はないのだと。
大公妃は小首を傾げた。
「ああいうお立場だもの。かえってああいうトリックスターがエインレイド様の近くにいてくれた方がいいわ。そうでしょう?」
「トリックスターどころか、ただの小悪魔では?」
イタズラ小妖精と言えば、善と悪、どちらともつかず、様々に物事を引っ掻き回す存在だ。味方かと思えば敵、敵かと思えば味方。それでいて本人に深い思慮などなく、思いつくままに生きているだけ。
「そうかしら。あのネトシル家のローゼンゴットがそこまで振り回されてるのよ。本当に不思議よね。誰もが双子の兄の方を評価するわ。それでいて手に入れたがるのは妹の方。私もだけど」
「男を手に入れるなら部下にするしかありませんからね。あれは性別的に自宅で飼えますが」
「結局はそれね。まあ、いいわ。お願いね。アレル、エインレイド様達が起きてくるまで自由に過ごしたいんですって」
「多分、昼過ぎまで起きてきませんよ。夜明け近くまで何やら騒いでましたからね。もう眠くて寝たいのにハイになってるって奴だったかと思います」
「そんな気はしたのよ。夜食は差し入れさせておいたけど」
初めての友達とのお泊まり旅行だ。存在さえ知らなかった夜行列車、同じ部屋で寝泊まりするという新鮮な体験。王子だけではなく、他の三人も興奮してしまったのは無理も無い。どんなに騒ごうとも怒られないし、注意もされない。夢のように楽しい時間だ。
初日から飛ばしすぎたのもあって疲れていても、興奮しすぎて眠れないことはあるだろう。
(問題はあの悪ガキ娘だ。ちゃっかり睡眠は確保してんだよな)
放っておきたいのは山々だが、昨夜のことがある。あいつらとアレナフィルが会っても面倒だ。
私もあいつらの急所が全力で蹴られ、身動き取れなくなったあいつらを病院に担ぎこむ作業をさせられるのは遠慮したい。
あの鍛錬場での動きを見ていないからあいつらは知らない筈だが、アレナフィルはかなり身が軽い。油断している男を蹴り上げるぐらい平気でやらかす。なんといっても卑怯技ばかり提案していた姑息娘だ。
そう思って探していたら、アレナフィルは白いケープを羽織った青いワンピースドレスで中庭をてくてくと歩いていた。
「おや、おはようございます、アレルちゃん。今日の恰好も可愛いですね」
声を掛ければ、パッと花が咲いたような笑顔になる。うん、こうして見る分には頭を撫でてやってもいいかもしれない。
「あ、リオンお兄さんのお兄さん。おはようございます。大公妃様が着せてくれたのです。遠慮なくもっと褒めてください。地上に降りた天使とか、まさに朝の妖精とか、いずれ成長したら女神様になっちゃうねとか言ってくれていいです」
頭を撫でる気は一気に失せた。こんな図々しい奴を調子に乗らせてはいけない。
両手を広げてくるくる回るものだから、白いフリルがついた青いスカートが花のように広がり、肩から羽織った白いケープもふんわりと空気をはらんだ。
褒め言葉を強要してくるのはどうしようもないが、本気で喜んでいる。どうやらおしゃれ好きらしく、褒めて褒めてと表情でも丸わかりだ。
ちらっと眼の端に映る本館窓際の大公妃。彼女がくすくすと笑っているのが見えた。
大公妃が貴族令嬢に贈るなら舞踏会に着ていけるような正式なドレスだろうが、こうやって普段使いできる服を着せるだけでここまで大喜びするのだ。その無欲さが好ましく思えることはあるだろう。
(あの国で見た朝顔みたいだな。たしか朝だけ咲くんだったか)
清純なお嬢様に見える洋服を着せてもらって、くるくる回っている様子はとても可愛い。
しかし言うか? 自分から言うか? なんで自分から誉め言葉を指定してくるんだ、この外見詐欺ウサギが。
「ははは。まだ寝ぼけているみたいですね。で、どこに行こうとしてるんです?」
可愛くしてれば誰もが騙されるとか思うんじゃねえよ、この小生意気娘が。
その首にある赤い薔薇のついた黒い幅広チョーカーが怪しすぎる。
「ちょっとうちのアパートメントに行って戻ってきます。みんなはまだお寝坊さんなのです」
やっぱりそうか。昨夜、叔父に言っていた通り出かけるつもりだったか。
問題はあの三人だ。昨日は夜間の護衛に入ったからということで、今日も昼過ぎからとなっている。
本当は朝の内に出かけてもらって夕方まであいつらとは接触しないでいてほしかったのだが仕方ない。こちらの事情を王子達に知られるわけにはいかず、ならば明け方まで起きていた少年達が寝坊するのは当然だった。
「ああ。かなり遅くまで騒いでましたからね。あれ、眠くて反対にハイになってたって奴でしょう。昼過ぎまで起きてこないと思いますよ」
「なんということでしょう。いいですか、リオンお兄さんのお兄さん。そういう時は大人として、早く寝るように諭すものですよ」
大げさに嘆いた小娘は、私に説教してきた。
こういう時は大人として、目の前の生意気娘に礼儀というものを教え諭したい。
「その呼び方止めてくれませんかね。ちゃんとネトシルって姓があるんですから。忘れてるかもしれませんが、私達はあくまで見守るだけなんです。生活指導は請け負ってません。とりあえず一人で行くのは危ないからやめなさい。すぐに外出報告してくるから待ってること」
「平気です。私、これでも市立の幼年学校通ってた庶民生活中の庶民生活プロですよ。それでは行ってきまーすっ」
言うなりアレナフィルは駆けだした。
「あっ、待てっ」
聞こえているくせに立ち止まる気配すらない。
あんなクソガキのどこが良かった、グラスフォリオンッ。
跳躍して部屋に戻った私は荷物を引っ掴むとゲルロイゼの部屋に駆けこみ、驚いて私を見返す彼に告げた。
「ゲルロイゼッ、護衛対象アレナフィルが脱走だっ。五人、三輪でつけろっ」
「五人もか? エインレイド様はどうなる」
ゲルロイゼはさっと立ち上がり、着替えを取り出しながら廊下で怒鳴る。
「護衛五人、今出られる奴出てこいっ。三輪尾行だっ」
がたがたっと音がして、あちこちで用意し始めたであろう音が響いてきた。
「あの小娘、ウェスギニー家のアパートメントに行くとか言ってたが、全然荷物持ってなかった。坊ちゃん客は二人が外出中だっ」
「はあっ? 荷物が多いからと言ってたじゃないかっ。アパートメントだなっ。分かった、追いかけさせる」
「私の不在はごまかしてくれ。昨日はフルだったから今日は休みだと」
「分かったっ」
よりによってドリンゴーラスとフォリエルが外出中で、ミトファンだけが残っているのだ。
私がアレナフィルを追いかける為に駆けだせば、追いついてくる人間が二人ほどいた。
「三輪がいいですかっ?」
「いや、相手は歩きだ。お前達はこのままで。問題はお預かり様、二人が朝からいない」
「ぅげっ」
「そりゃ無事に連れ帰らねえとっ」
気に入らない人間に対し、使い捨てのチンピラを雇ってけしかける奴は珍しくない。
― ◇ – ★ – ◇ ―
アレナフィルはアパートメントに行くとか言って、大ウソつきだった。お前の別宅はいつから店舗になった。
「ああしているととっても可愛いお嬢様が一人でお買い物って感じですよねぇ。誘拐されちゃいますよ」
「昨日は安いマーケットだったのに、今日は外国からの輸入品を扱っている高級店ってところがメリハリきいてますよね。ちゃんと配達頼んで賢いなぁ」
「あの子爵家令嬢はここがアパートメントだとでも言う気か。どんだけでかい缶で茶葉買えば気が済むんだ」
動物園で飲んだハーブティーが気に入ったのか、試飲させてもらいながらあれこれと選び、配達を頼んでいる様子はしっかりしたものだ。
十五種類ものハーブティーを買おうと思う気持ちが分からない。
『ところで、このハーブティー用の茶器ってどこで売ってますか?』
『当店でも置いてあります』
『美味しく淹れられますか? 美味しくないお茶は出したくないんです』
『少々お待ちくださいませ。・・・・・・どうぞお嬢様、こちらにおいでくださいませ。店長がご案内いたします』
配達先が配達先である。
アレナフィルは店長、そしてどうやら茶の管理を行っているらしい数人に囲まれながら美味しく淹れるコツを伝授してもらい、自分でも茶器による違いを試させてもらい、茶器を選んだ。そして少し離れた所から見ていた私達は、アレナフィルが教わっている間に、店員が茶器専門店に走っていったことに気づいていた。
「ミディタル大公家別邸への配達です。そりゃ一番良いのを用意して出してきますよね。自分の所の茶器じゃみすぼらしいって思ったら事情を説明して売ってもらいますよね」
「あの小娘、わざと先に配達先を伝えたんじゃないのか。どうせ買った茶葉も一番新鮮な奴に変更されて届けられるだろ」
異国風テーブルセッティングを褒めながら、アレナフィルはそういったインテリアの店を紹介してもらってそちらに向かう。
『なんてエキゾチックな布。これってテーブルクロスにしては分厚い・・・?』
『ベンチに敷く布です。木製ベンチだと体が少し痛くなりますのでこういうものを敷くのです。テーブルクロスにも使えないことはありませんが、ベッドの埃避けカバーに使っても雰囲気が出ます。こちらではご希望のサイズにカットして販売しております』
『たしかに光らない黄金色? 赤と茶を帯びた暗い黄色で刺繍された黒い布ってシックで素敵。・・・とても男性的でいい気がします。そしてそちらの紺色の布にうっすらピンクかかった白の刺繍がされたのも。ベンチの上に敷くと言っても屋外には勿体ないです。こんな布が敷かれたベッドの上で男性が座っていたらとってもカッコいいですよね』
『はい。ベンチではなくスツールにかぶせるようにしてお使いになる方もいらっしゃいます。シーツとして使うのでしたら同じ模様で薄手のがございます』
結局、ベッドサイズで購入している小娘がいるのだが、何に使う気なのか。
「あの小娘、本気で人の弟使って恥ずかしいフォト撮る気じゃなかろうな」
「別にいいじゃないですか。もしかしたら弟さんの恋人になるかもしれないけどならないかもしれないお嬢さんなんですよね?」
「大丈夫ですよ。仕事で不在がちな父親の為に買いたいんだって話してるじゃないですか。一つは父親、一つは自分を可愛がってくれる叔父にって、可愛いですよねぇ」
店員にはそう言っていても、あの黒いクマの毛皮を買えなかった事実がこういう行動に走らせているのではないか。
私は弟の性的被害を案じ、どうするべきかと悩まずにはいられなかった。
(アンジェ姉上に絶望し、その認めたくない事実がお前を、あの小娘に対して身を捧げるという意味不明な行動に走らせるのか? 私もあの時は兄上のしつこさに手一杯だったが、もっと気にかけてやるべきだったのか? お前を巻き添えにしたくなかっただけだというのに)
護衛を撒いて出かけようとしたアレナフィルだが、一人で出かけても大丈夫と言った通り、その行動はとても賢かった。
大通りに面していて、大きな窓ガラスが入っている高級店ばかりに入る。どう見ても貴族のお嬢様のお買い物。それでいて仕草はちまちまとしていて愛らしい。
誰もが、「あら、可愛い」と、アレナフィルを見ていた。
変な人間が近づこうものなら、即座に通報されるだろう。それ以前にアレナフィルの服装がかなりお嬢様すぎて、貧相な服では近寄っていけない。
「あれ? 今度は手芸用のお店ですよ。可愛いなぁ。ああいう子が刺繍とかせっせとするんでしょうね」
「いや、ループタイの材料とか言ってるぞ」
「ループタイって、まあ男へのプレゼントなら・・・。で、誰にあげるんだ?」
「そりゃお父さんとか・・・? レイド様に手作りのループタイってどうなんでしょうねぇ」
「あ。シルクの紐、黒と茶、二本ずつ買ってますよ。だけど金具は二組みたいです」
私達はそこで静かに悩んだ。
ループタイ用の紐を四本買い、金具は二組。では、残りの二本は何に使うのか。
「好みを聞いてから決めるんじゃないですか。俺達だって小物は黒系と茶系って、好み分かれるじゃないですか。アレルちゃんもどっちがいいか分からなくて、聞いてから作るんですよ」
「なんという推理能力・・・! お前、天才だなっ」
「へへっ、それほどでも。あ、じゃあ、誰に渡すんでしょうね。二人か、・・・二人?」
「父親と叔父の二人じゃないか? 何かと昨日から、一番素敵だとか喚いていたし」
まだ子供だ。父親と叔父へのプレゼントを手作りするなんて可愛いところもあるじゃないか。
しかし私の目の前で、ちっちっちっちと指を左右に振る奴がいる。
「いやいや、待ってくださいよ。たしかアレルちゃんってガルディ様と弟さん、二人と仲いいんですよね? これはアレかもしれませんよ。私は違う外国人と結婚しちゃうけど、どうか私の手作りの品を見て思い出してねって奴」
「思い出すも何も、結婚するとして成人してからだ。普通にここで生きて暮らしてる上、あんな紐見て思い出す前に、あの映像だけで十分に笑える」
「それを言ったらおしまいですって」
さすがに今度は小さすぎて配達を頼むものでもなかったらしい。持っていた手提げ袋に入れて、アレナフィルはふらりとカジュアル路線なジュエリーショップへ入っていった。
そしてロケットペンダントを見せてもらっている。
「ロケットペンダントっつーと、亡くなった人のフォトを入れたり、遺髪を入れたりしとく奴ですよね」
「あと、薬とかな。だが、現実的には薬を入れたらパカッと蓋が外れた拍子に落ちるか、劣化が早いかの不向きグッズ」
「ま、妥当に思い出のフォトだろ」
「あんなの年寄りが使うもんだろう? 大体、誰と離れ離れになってフォトを持ち歩くと言うんだ? 外国人婚約者とやらか?」
そこで私達は顔を見合わせた。
他の店と違い、ジュエリーは小さくて高価だ。だから扉もきっちり閉まっていて、窓を通して見ることしかできない。会話が聞こえてこないのだ。
「あ。なんかさっきの黒と茶の紐を見せてますよ。金具も」
汚れたエプロンをつけた男が出てきて会話しているところを見ると、彼が職人なのだろう。金具を見ながら何やら打ち合わせ始めた。
「アレルちゃんの瞳の色に似た緑の石が入ったロケットペンダント。まるでアレルちゃんの髪のような黄金の金具。・・・ふっ、閃きましたよっ。『これを見たら私のことを思い出してね』って奴だ。泣かせるじゃないですか。だけど四つって、アレルちゃん、四人も恋人いるんですかね」
「二股どころか四股。そんなら今回のレイド様達にあげるってとこかな」
「そっか。・・・いや、まずいだろ。同じクラブ内で女の子の取り合いはまずいだろ」
しかし職人らしき男はとても優し気な顔でアレナフィルに語りかけている。アレナフィルも悲し気な表情を浮かべていた。
「てか、もしかしてアレルちゃん、亡くなったお母さんのフォトを入れておきたいんじゃないですか? だってなんか泣きそうじゃないですか」
「そうだよな。ああ、そうか。亡くなったお母さんを入れて家族四人でお揃いか」
「あの女店員、こっそり横向いてもらい泣きしてるじゃないか」
アレナフィルの母親が亡くなったのは、私の従姉が原因だ。
あの底抜けに明るい言動の裏で、ずっと慕っていたのだろうか。
そうしてジュエリーショップを出てきたアレナフィルは、リボンを売っている店に行って、幅広の青いリボンを買った。
そして首につけている黒いチョーカーの上からその幅広のリボンを巻いて結ぶ。
「可愛いですねぇ。たしかにあの黒い首飾りは大人っぽくて似合ってなかったからあれだと可愛い」
「それなら外せよと思うのは私だけなのか?」
小さな店で栄養補給バーとパック入りドリンクを買ったアレナフィルは、手提げ袋にそれを入れて元気にスキップしながら、とうとうウェスギニー家のアパートメントへ向かった。
「やっと到着か」
アレナフィルが共用扉を開けて入っていった。
だが、三輪移動車で先行していた男達三人が私達を認めて身を潜めていた街角から駆け寄ってくる。
「あの、なんかあのアパートメント、何人かの男が入っていってたんですが」
「ウェスギニー家の関係者かどうかが分からず、こちらも困っていました」
「下の階の住人かもしれませんし」
と思ったら、いきなりアパートメントの前に移動車がつけられ、アレナフィルが抱えられて出てきた。
男が二人がかりで抱えているが、あのワンピースドレスはアレナフィルだ。
「追跡しろっ。全て映像記録に撮れっ。移動車ナンバーッ、剥がして正しいナンバーを撮れっ」
私も自分の映像記録装置をオンにした。移動車に付けられた登録ナンバーだが、恐らくあれは偽装だ。誘拐する時にそのままの登録ナンバーの移動車を使う馬鹿はいない。
「取り戻すのではなくっ?」
「ぶつけて足止めしますかっ?」
「この際、一網打尽だっ」
私達はアパートメントよりかなり手前の角で話していた。こちらの存在には気づかれていない筈だ。
三台の三輪移動車に二人ずつ乗り、先行したり後行したりと、交代しながら尾行する。
移動車はちょっと街中から離れた私有地へと入っていった。
「可愛さに血迷った変態か、ウェスギニー子爵家令嬢と知った上での計画的誘拐か。それが問題ですね」
「だけどあのメンバーに、見覚えある坊ちゃん客いましたよね」
「アレですかね。『誘拐された君を助けに来たんだ』『まあ、素敵。私、恋に落ちちゃう』を狙った奴。あんだけの買い物できるお嬢様ですよ。お金持ちじゃないですか」
そう、本日のアレナフィルの買い物はかなり派手だったと言えるだろう。
子供にいくら金を持たせているのか、ウェスギニー家。そりゃ貴族令嬢なんだから大した金額ではないが、どれだけ持ってきたのかと言いたい。
「三人離れて待機、出入りを記録。二人ついてこい」
私は二人を連れ、その私道の先にある建物へと向かった。
― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―
三人、離れて待機させておいたのは正しい判断だった。
移動車に鍵がついたままで置かれていたからだ。すぐに出ていくつもりらしい。
「ここでナンバーを剥がして撮影記録を。その後、望遠で全員の顔を映せ」
「はい」
一人を移動車の所に残し、もう一人と建物の窓際に行けば、どうやら一階の部屋にいる様子だ。
「音声も撮れるようなら撮れ。無理せず望遠で映像だけでもいい」
「はい」
私は屋根まで跳躍し、屋根裏にある換気口を壊して入り込む。それから屋内へと入りこめば、どうやらアレナフィルを縛り上げている様子だ。
(なんてことしやがる。よりによってあんな子供を・・・!)
すぐにでも助けてやりたかったが、どれだけの人数が絡んでいるか分からなかった。
だから言い逃れできないようにと録画の精度を最大に高める。
『はっ、いい気味だ。身の程知らずだからこんな目に遭うんだよっ』
『安心しろよ。外国なんざ行かなくてもいい嫁ぎ先を用意してやる』
『ウェスギニーだって喜ぶさ、外国に出さずにすむ。ちょっと年寄りだけど子供好きな変態親父だからな』
まさかミトファンも合流していたとは。だが、あの移動車には見覚えがあった。この三人とは関係ない貴族の持ち物だ。この誘拐、何人の貴族が絡んでいるのか。思ったより力のある貴族が関与している可能性が高い。
それでも勝手に変態親父に売られていい筈がないだろう。あのウェスギニー子爵を大人しい羊だとでも思っているのか。
(妻を殺されて金で引き下がった男。だから娘を同じようにされても黙ると考えたか。しかし色恋沙汰とこれとは全くの別物だ)
ウェスギニー・ガイアロス・フェリルド。王子エインレイドの上等学校生活の警備総責任者を任されたくせに代理としてガルディアスを利用し、全く違う任務にばかり出向していて国王を怒らせない男。双子を王子の私的護衛として差し出しているからだとも言われているが、ガルディアスとエインレイドによれば、フェリルド自身は双子を王子につける気はなかったという話である。
出世の為なら誰にでも尻尾を振るともっぱらの評判だが、彼の本来の実績ならばもっと出世している筈だとも囁かれている。そんな男の愛娘に手を出して無事ですむと本気で思っている方がおかしい。
グラスフォリオンとて未来における求婚予定の少女に手を出されたと知ったら、その変態親父とやらを暗殺するだろう。どうしようもない愚弟だが子供に対する節度は弁えているからこそ、こんなことを受け入れる筈がない。
いや、ガルディアスこそがこいつら共々関係者全員殺しかねない。どんなに穏やかでも、彼はあのミディタル大公の一人息子だ。
(なんでどいつもこいつも動く前に相談しないんだ。相談さえしてくれたらとどまるだけの情報をくれてやったってのに)
アレナフィルに下りている許可。ミディタル大公も知らない内に国王の許可をとったとあれば、それだけの力を持つ将軍は限られる。
だからこそミディタル大公夫妻も静観しているのだ。
『どうせここは近くに民家もない。遠慮なく泣きわめいておけ』
『全くだ。たかが子爵家程度で生意気なんだよ』
『しかもあのウェスギニーだろ。はっ、何を大公妃に取り入ってるんだか』
投げつける言葉に、成人した男としての誇りはもうない。
こういう貴族の別荘はそれなりに広々としたものだ。階段の下も複数の人が隠れられる広さだし、そこからレンズだけを出しておけば、こちらの存在に気づかれることもなく録画できる。
(だけどなぁ。ここ、どう考えてもあいつらとは違う家の持ち物なんだよなぁ)
彼らが出ていったのを確認してから私はアレナフィルが閉じこめられている部屋に入った。
せめて客室のベッドに寝かせるのであればともかく、物置部屋に閉じこめるとは。そりゃ鍵もかかってなくて、ドアも開けっぱなしだったが、ここまで縛り上げられていて逃げられるものではない。
せいぜい芋虫のように這って移動する程度だ。それさえ彼らにとっては楽しい狩りになるだろう。
(なんてことしやがる。あいつらはどこまで恥知らずな・・・!)
アレナフィルは布の袋を頭にかぶせられ、手や腕を縛られて床に転がされていた。
まだ14の女の子だ。どれ程に怖かったことだろう。
(ここで男から声をかけられるのは恐怖だろう。これは大公妃様に連絡して、通話できるようにした方がいいのか。女の護衛を下げたのが裏目に出た)
そんなことを思っていたら、床に転がっていたアレナフィルが、ぐいっと身を起こした。腹筋だけで起き上がる様子は静かなもので、令嬢の起き上がり方にしてはちょっと違うというか、なんだか毛虫の起き上がり方に似ていた。
(ああ、そうか。たしかに素人の結んだ縄ってのは、上手に縛られてないことがある。今の間に逃げようと努力する気なんだな)
手をこすり合わせようとしているアレナフィルは、その手を縛っている縄をほどこうとしているのだろう。けれどもあいつらはぎちぎちに縛り付けていた。
あれではすぐに鬱血してしまう。もしかしたらあまりの痛みに手を動かさずにはいられなかったのか。
だが、普通は手をぐいぐいと動かす筈が、アレナフィルは爪をこすり合わせていた。
(何やってんだ?)
私の見ている前で両手の爪、それぞれの中央部分がいきなり伸びる。それはどうやら刃となっていたらしく、アレナフィルは無言でその刃を使って縄を切った。
(切れ味いいな。で、これって録画し続けていいんだろうか。この子、被害者な筈なんだが。被害者な筈なんだがなぁ)
手首から先が自由になったアレナフィルは、落ち着いた様子で腕を縛っていた縄も切る。
私はもう手伝う気にもならずに、アレナフィルの前に行ってしゃがみこんだ。ウェストポーチに入っている録画機能はオンのままだ。
すっぽんっと顔にかぶせられていた布を取り外したアレナフィルが、ぶるんぶるんと首を横に振って、はぁっと大きく深呼吸すると私を認めて目を丸くする。
「ふー、ひどい目に遭いました。これはもう倍返ししないと気が済みません。全くなんてことでしょう。リオンお兄さんのお兄さんが私を拘束してこんな所に監禁した奴らの仲間だとは」
無人だと思っていたところに人がいたのだ。悲鳴をあげるかと思いきや、クソ生意気なことをぬかす小娘がいた。
「何言ってるんですか。私は助けに来たんですよ。だけど全く泣く様子もないし、もう恐怖で心がいっぱいいっぱいなのかと、これは落ち着かせる為にも奥方様に連絡取って来てもらおうかと悩んでいたら、勝手に変なことして縄切ってるし、しかも平然と倍返しとか言ってるし。・・・ほら、帰りますよ。あいつらは責任取らせます。証拠も映像に収めましたからね。昨夜、なんか怪しいと思って朝から見張っていたら、悪ガキ護衛対象は待てと言っても待たずに出かけやがるし」
放っておいてもこいつ、自力で逃げ出せたんじゃないのか?
あまりにも自分が虚しすぎた。
「なんてひどい人でしょう。幼気な私が恐ろしさに震えているというのに、助けもせずに証拠保全に勤しんでいたとは。優しさが足りませんよ。そんな男はもてないんですよ」
「別にもてなくても、好きな相手に愛されればそれで十分です」
証拠がないと責任を取らせられないだろうが。言いがかりだと主張されてごねられたなら、傷つくのは被害者の方だ。完全なる証拠を突きつける必要があった。
ミディタル大公家で預かっていた子爵家令嬢を誘拐した罪は決して軽くない。
無能なだけなら許せた。だが、これはもう許せない。
「それは一理あります。それはリオンお兄さんのお兄さんが正しいです。私も恋人にしたい父に愛の言葉をシャワーのように浴びせてもらい、結婚したい叔父には甘く微笑んで溺愛してもらい、祖父母には頬ずりしてもらいながら甘やかされ、ちょくちょくとガルディアス様にお金を使ってもらってお出かけして、リオンお兄さんにおねだりを聞いてもらって、ヴェインお兄さんを使い走り兼荷物持ちにして、婚約者からは程々に便宜を図ってもらえさえすれば文句ありません」
「どこまで図々しいんですか、このミニサイズ悪女が」
これ以上、愚かな発言されては悲愴感がぶち壊しだ。こんなものを証拠提出されたウェスギニー子爵家の方が恥をかく。
私は呆れながらも黙らせる為、この困った子爵家令嬢を担ぎ上げた。
「ところでここの建物はどなたの持ち物ですか? 見た所、なんか別荘っぽい?」
「さあね。あいつらの内、誰かの持ち物でしょう」
問題はあの三人の実家の持ち物ではないかもしれないことだ。だが、調べれば分かる。
「そうですか。この場所は私有地ですよね。道から離れてます?」
「道路からちょっと入り込んだ場所です。たしかに泣き叫ぶ程度じゃ通行人には聞こえないでしょう。全くなんて奴らだ」
もしもこれが普通の貴族令嬢なら、どんなに泣き叫んでも道路までは聞こえなかっただろう。誰もが変な道具を持ちこんで誘拐されるわけじゃない。
あいつらは腕と手を縛り上げていた。どんなに頑張っても本来は顔の布をどうにか外すぐらいしかできなかっただろう。そして両手を縛られたまま、鍵をかけられた玄関や格子戸の入った窓からは逃げられず、アレナフィルはどこかに隠れるしかなかった筈だ。
あいつらは戻ってきたらそんな怯える小娘をまさに脅し言葉で怖がらせながら狩るつもりだったと分かる。
「何か起きたらすぐに治安警備隊、到着します?」
「その『何か』にもよるでしょう。何を考えてるんですか」
アレナフィルは、私の腕からすたっと飛び降りた。着地した途端、両手を広げてポーズを取っている。
まさかここでそのポーズを褒めろとか言うんじゃないだろうな。
「決まってるでしょう。こんなことに味を占めたらどうなると思ってるんです。気に入らない女の子は監禁していいんですか、何をしてもいいんですか。誰もがこうして助けに来てもらえるわけじゃないんですよ。というわけで、お兄さん。私をぐるぐる巻きにしてください。この別荘をぶっ壊します。そして駆けつけた治安警備隊が見つける、拘束された可哀想な被害者の私。新聞一面トップ。特ダネニュース」
冗談じゃない。ウェスギニー子爵家令嬢の名は地に落ちる。
誘拐された令嬢がどんな目に遭っていたのかと、面白おかしく新聞は書き立てるだろう。
「あなたの名誉がどうなると思ってるんです? 認められるわけないでしょう」
とてもまともな意見の私に対し、アレナフィルは、鼻でせせら笑いやがった。
「何言ってるんですか。大事なのは私が大々的に救出されることです。そうじゃないと私があちこちでお買い物していたこととか、ゆえに襲われたところで大して時間が経っていなかったこととか、そういった検証、行われないじゃないですか。そしてこの建物の持ち主が明らかになることも大事です。ですが、それは下ごしらえに決まってるでしょう」
まさか・・・。一気によみがえるアレナフィルの買い物。
そう、アレナフィルはとても印象的な買い物ばかりしていた。
よりによって配達先がミディタル大公家。可愛らしい少女は店員に色々と話しかけながら、記憶に残りそうな買い物をしていた。
きっと誰もがこの子のことを覚えている。
「何をやる気ですか」
「第二、第三の犯罪を防ぐことこそ大事なんです。かつて私の師匠は言いました。見せしめとは非情であればある程、結果的に被害者を少なくするものなのだと」
そんなこと言う奴なんざ大抵が喧嘩好き、戦好きなイカレた奴だ。
「そいつ、まともな人間じゃないですよ、アレルちゃん」
「知ってます。さ、お兄さん、一緒に探検しましょう。証拠は大事です」
いや、証拠はもう撮ったんだが。
そう思ったが、何をする気かと思ってついていったら、アレナフィルはあちこちの部屋の引き出しやら棚やらを勝手に開けて、そこらの洗濯物回収用布袋にポイポイ入れていった。
「さ、これ、持って帰ってください。指紋付きの大事な証拠です」
袋を突き出す少女は、私を何だと思っているのか。そして、なんという用意の良さなのか。自分の指紋がつかないよう、アレナフィルはシーリング手袋をしていた。
私は元から黒い手袋をしている。
「いつの間に手袋していたのかな、アレルちゃん?」
「こんなところ、素手で触る馬鹿になった覚えはありません。何より後日の脅迫ネタですよ。持ち帰らなくてどうするんですか。特に家紋とイニシャル入り封蝋用スタンプなんて脅しネタに最適ですよね」
てへっと照れながら言うアレナフィルだが、私は気づいていた。アレナフィルが引き出しにあった手紙や書類を全て袋に入れていたことに。
何故、こいつだったのか。
どうしてあの真面目なアンジェラディータから、真逆の狡賢いツルペタなのか。
「グラスフォリオンは何を血迷いやがった・・・!」
「まあまあ。いつかは兄弟仲良くなれますって」
訳の分からないことを言いながら、アレナフィルは小さなケースを私にぐいぐいと押しつけてきた。
「何を押しつけてるんですか」
「爪ナイフなんて見つかりやすい物を身につけてたら、拘束されていた信憑性が薄くなってしまいます。恐ろしさに震えていた少女を助けなかった罪悪感を解消する為にも責任もって私が戻るまで預かっていてください」
「少しは震えてから言いなさいっ」
安心しろよ。恐ろしさに震えていなかったことはもうとっくに録画済みだよ。
全くもって罪悪感をどこに持てばいいのか分からない。
それでも胸ポケットに私はそれを仕舞った。同じ物を作れないか、相談してみるか。潜入時、手の爪はばれやすいが足の爪なら隠し持てるだろう。
「あ、栄養補給バーとドリンクも持ち帰っておいてください。まさか助けに来る人いないと思ってたから、腹ごしらえ用に持ってきてたのに。これ、美味しい奴なんです」
「弁当持参で誘拐されるんじゃありませんっ。最初からそのつもりでしたねっ!?」
あまりの図々しさに眩暈を起こしそうだ。
言ってやる。絶対に保護者に苦情を入れてやる。
「思うんだけど、リオンお兄さんのお兄さんは被害妄想に陥っています。私が初めて会った人の思考なんて知るわけないじゃないですか。私がしたことは、今日はうちのアパートメントに行くつもりだと、昨日の通話でにおわせたことぐらいですよ」
「分かってて誘導した人間のセリフですかっ」
あの叔父との通話はその為だったのか。
こんな子供にいいように動かされたあいつらが間抜けすぎて救われない。
「つまりお兄さんは、未成年の女の子が誰もいない場所へ行くと聞いたら襲っていいと考えるわけですか?」
アレナフィルの針葉樹林の深い緑色の瞳はとても冷めていた。
「そんなわけないでしょう」
「だけど、そんなわけがある人がいた。それも複数。どう思います?」
「罰せられるべきですよ」
分かってはいるのだ。アレナフィルもまた怒っている。
自分がされたからではない。一人の人間として、他者に平気でそんなことができる彼らの思考に怒りを覚えているのだ。
「その通りです。私もそう思います。そしてただの救助であれば言い逃れることが分かってます。せめて誘拐されたという醜聞に塗れる私への慰めとして、この別荘には一緒に滅んでもらわなくてはなりません。それだけなのです」
何が一緒に滅ぶというのか。縁起が悪いと、せいぜい安値で売られる程度だろう。
しかしアレナフィルは他のことが気になるようで、更に言い募った。
「ところで自分の息子が子爵家の令嬢を監禁したという醜聞を出回らせるぐらいなら、貴族の父親とはどこまで私に融通してくれる生き物だと思います? 新聞社の買収だけでも大変でしょうが、詳細を知る私にどれだけ貢いでくれるものなんでしょう」
どこまで考えているのだ、この子ウサギは。
止めたいのは山々だ。だが、昨夜からここまで計画を立てて実行した以上、アレナフィルは行き当たりばったりで動いているわけではない。その為の買い物だった。
醜聞リスクも十分に踏まえた上で動いている筈だ。次の段階を考えているのだから。
「知りませんよ。もういいです」
もういい。どうせどんな醜聞に塗れたところで、うちの弟が引き取るだろう。あまりにも心ない声が大きければ私が責任をとってやってもいい。クソ生意気だが、小娘一人ぐらいは守れるつもりだ。
いや、あの大公妃の気に入りようからしてガルディアスなのか。
そもそも遠く離れた国に暮らす外国人と結婚するなら、サルートスでの醜聞なんて砂一粒の重みもない。
「そう拗ねなくても。栄養補給バー、特別に1本食べてもいいから元気出して。ね? プレゼントです。可愛い女の子からプレゼントだなんて、もうお兄さんったら世界中の男の子が嫉妬しちゃいますねっ。よっ、色男っ。バナナ味がお勧めです。甘くて美味しいの」
「安っぽくて全く有り難味のない買収ですね。幼年学校生でも叩き落としますよ」
一本1ナルの栄養補給バーに、誰が嫉妬するのか。
しかも自分で可愛いとか言ってる。
※
1ナル=100円(物価を考えると貨幣価値は約1.5倍として150円)
※
「仕方ありません。じゃあ、ラズベリー味も食べていいです。甘酸っぱくてちょっとリッチ気分。私のお気に入りはバナナとラズベリーとチョコレートがスリートップなのです。だけどチョコレートは帰ったら食べるからあげません。それでも女の子の宝物を2つもプレゼントされるだなんて、お兄さんってばもう果報者っ。いやん、もう憎いねっ、このこのっ」
「はっ。何がスリートップですか」
お前の宝物は栄養補給バーなのか。
合計3ナルの栄養補給バーを宝物呼びする令嬢で大丈夫なのか、ウェスギニー家。
「んもう、なんて強欲なんでしょう。それならドリンクも飲んでいいです。ドリンク1本にバー2本。これでお昼ご飯は完璧です。お昼ご飯をあげる代わり、料理人の小父さんにフレッシュジュースを用意しておいてほしいと頼んでおいてください」
「どこまで図々しく生きれば気が済むんですっ」
みずみずしく食べごろの果実が納品されているミディタル大公家。
このバーとドリンク合わせたところで、あそこのフレッシュジュース1杯すら買えないだろう。
3ナルで3ロンの買い物をしようとするぐらいに愚かな生き物を、ウェスギニー家は責任もって躾け直すべきだ。
「全く今時の若者は我が儘すぎて困っちゃいますよ。じゃあ、特別に動物園ソーダにアイスクリーム浮かべたのを戻ったら分けてあげます。もう終わり。それ以上はあげません。我が儘言えばどこまでもおねだりできると思うんじゃありませんよ、全く」
何が特別だ。それ、用意したのミディタル大公家の料理人だろうが。
あまりにもこの子爵家の娘は、人のものを我がものとすること甚だしすぎた。
「調子乗るんじゃねえよ。やっぱり今すぐここから逃げるか、このクソ生意気娘?」
凄んでみせたら、さすがにまずいと思ったようだ。慌てて可愛く振る舞い始める。
「いえいえ。ほら、お兄さんも次の被害者を未然に防ぐというヒーローになりましょう。ね? 見えない善行が罪のない少女を救うのです。さ、私をぐるぐる巻きしてください。まさになす術もなく拘束されていたって感じでお願いします」
小さな刃をこちらに渡し、再び自分の腕を縛れと言うアレナフィルは、もうやる気なのだろう。
仕方がないから見届けるしかあるまい。
本来は止めるべきだが、ミディタル大公夫妻ならアレナフィルがどう決着をつけるかを知りたいと考える筈だ。おそらくは国王も。
「そこまでグルグル巻きにする必要はありませんよ。手首だけで十分です。もし何かあったらそこのまな板にナイフを突き立てておくから、それで縄を切るんですよ? ハムを切ろうとして何か起こってナイフを突き立てていったかのように、ハムの塊も隣に置いておくから不自然さはありません」
「はぁい」
キッチンのまな板に包丁を突き立て、アレナフィル程度の力では抜けないようにしておく。うまく包丁を使えなかった時の為に、手首をねじるようにして縄の隙間を確保して挟んである小さな紐を使えばほどけるのだとも教えた。
アクシデントが起きてこの包丁の所まで辿り着けないことはあり得るのだから。
後ろ手に縛ったアレナフィルに、
「この椅子に座った状態でちょうど真後ろの手と手の間に刃があります。くれぐれも怪我をしないように」
と、言い含めた。
「それじゃ誰にも見つからないようにここから離脱してください。なるべく遠くへ。言っておきますが、あなたも容疑者になり得るんですよ、リオンお兄さんのお兄さん。あなたにアリバイはありません」
「その前にこの状態でどうやってここをぶっ壊すというんですか。できるわけないでしょう」
こんな所に一人置いていくと思うと、やはり連れ帰りたくなる。
この子は何をしようとしているのか。
「できるから言ってるんです。さっさと行ってください。大公妃様に、黙って見ててくださいって伝えておいてください」
「・・・仕方ありませんね。無茶はしないんですよ」
「はぁい」
建物を出れば、いた筈の二人がいない。何があったのかと警戒しながら私道の脇にある木々の枝に身を隠しつつ空中を跳んで道路まで出たら、そのずっと先で止まっている移動車に気づいた。
その運転席から手招きしているのは・・・。
「何故ここに。いえ、お嬢様が・・・」
駆け寄って話しかければ、くいっと助手席を示される。
「知ってる。乗れ、お前の仲間達五人も荷台にいる」
助手席に乗りこめば、途端に発進した。
「顔も見られん方がいいからな。このまま送り届けてやる。それでアレナフィルはなんと言っていた?」
「あの別荘をぶち壊して救出されるつもりだ。縄で縛られた自分が見つかれば、新聞一面、本日の特ダネニュース。第二、第三の被害を防ぐ為、派手にやるつもりだ。先程まであちこちで買い物していた自分の姿が見られている以上、誘拐されてから大して時間が経っていないと検証されるだろう。さほど名誉は傷つかない。黙って見ていてほしいと大公妃に伝えてほしい、と」
まさか彼が指示していたのか? いつの間に?
当主でありながら、弟に全てを任せて常時不在のウェスギニー子爵。ウェスギニー・ガイアロス・フェリルド。
まさに荷物を運んでいますといった作業服で運転する姿はとても貴族に見えない。背後の荷台にいる奴らもお互いに気まずそうな顔でいるばかりだ。
「ふん」
「本当に放置しておいていいのですか。言われた通り、後ろ手に縛ってきましたが・・・」
「安心しろ。アレナフィルは爆発物を所持している。十分に可能だそうだ」
まるで他人事のような言い草だ。そこに娘を案じる様子はカケラもなかった。
「それが・・・、それが父親のセリフですかっ! 令嬢ですよっ。どんなに生意気でもまだ14才ですっ。どんな爆発物を持っていたとしても、仮に手が縛られていなくても危険なことに代わりありませんっ。やるなら交代させてくださいっ! あなたがバックアップしているなら私でもいいでしょうっ!」
「んな図体でかい男が誘拐されたって誰も同情しねえよ。悔しかったらうちの娘レベルで可愛く賢い貴族令嬢を手配しやがれ。アレナフィルが心配ならば治安警備隊の所で降ろしてやる。すぐに駆けつけることができるよう手配してやってくれ」
治安警備隊の駐車場近くに移動車を停止させると、彼は荷台に声をかけた。
「俺が来ていたことは言うな。うちの娘にはやりたいようにやらせる。大公妃にも娘をよろしくと伝えておいてくれ」
「ですが・・・、ウェスギニー大佐」
あまりにも薄情すぎると、私だけでなく皆が説得しようとした時だった。
――― ドガガガガガッ!! ガラガラガラガラッ!! ドッコーンッ!!!
地面が大きく揺れた。
荷台に載せていた三輪移動車も倒れそうになる。
「なるほど。ホント、派手だな」
まるで知っていたかのように空を見つめる男を薄気味悪く思ったのは私だけじゃないだろう。
派手だとかいう問題じゃない。あれでは、・・・あの子が助からない。
――― ゴオオオオオッ!! グァアアアアアッツ!! グォオオオンッ!!!
噴き上げる炎。それは私達が先程までいた方角からだった。
「急げっ、救急の手配をっ!! 医師も同行させろっ。病院から強制的にでも連れて行くんだっ! 治安警備隊も行かせろっ!!」
「はいっ」
命じれば、慌てて荷台から降ろした三輪移動車で二台が病院へと走り去る。もう一人は治安警備隊の詰め所へとそのまま駆けこんだ。
「大佐っ、引き返してくださいっ! あの子を助けなければっ!」
「おいおい、落ち着け。あと一つあるだろう? アレナフィルは言ったんじゃなかったか? 特ダネにするのだと。全国放送で決定的な場面を流させろ」
「令嬢の安否確認が先ですっ!」
「その娘の要望だろうがっ! あいつは分かっててやってるんだっ。怖がりな娘の勇気を踏みにじる気かっ! 教えてもらってた子供の計画が実行された程度でオタオタしてんじゃねえよっ!」
なんという凶悪な兵器を持たせていたのか。あんなにも大きな炎が上がったというのに、それでも娘を心配しないのか。
だが、この男の言う通りだった。
「分かりました」
「この移動車は貸してやる。じゃあな。俺はここに来てなかった。それだけだ」
ひょいっと移動車を降りた彼を、二輪移動車が拾ってどこかへ去っていく。もしかしたら彼こそが戻るのかもしれない。あの一人で残った娘の元へ。
(工作部隊の父親が動いている以上、根回し済みだろう。新聞社も向かわせよう。そして映像が国全体に流れるように手を回さなくては)
たしかにトップニュースだろう。昨日のゴーストどころではない。
あれ程の爆発物を所持していたとして、あの別荘の持ち主にも大掛かりな調査が入る筈だ。
意識を切り替えれば、かなり使えるカードだった。これ以上ない程に。
――― ドガガガガガッ!! ガラガラガラガラッ!! ドッコーンッ!!!
轟音と共に、再び地面が揺れる。
――― ゴオオオオオッ!! グァアアアアアッツ!! グォオオオンッ!!!
そして先程よりも大きな炎が上がり、天を焼いた。
たしかに手を縛られていてもここまでやらかしたのは凄い。凄いんだが・・・。
(本気であの石造りの別荘を一気に滅ぼしやがった。醜聞に塗れるどころか、あれで生きてたら奇跡の生還、完全にヒーローだろうが)
昨日のヴェラストール城のニュースの際にもらっていたカードに片っ端から連絡を取り、彼らを荷台に乗せてあの場所へと連れていった。
燃え盛る別荘から助けられたアレナフィルがまだ焼死していなかったのは、石造りで燃える物が限られていたからだろう。
そうして後ろ手に縛られた状態で救出された、見た目だけはとても愛らしい子爵家令嬢の映像は全国に緊急放送で流れ、大きな驚きと共にサルートス王国全体を揺るがせた。
ウェスギニー子爵家令嬢アレナフィル。
第二王子エインレイドの学友として、学年一位の成績を取る優秀な子爵家令嬢。
その少女を誘拐し、拘束して爆殺しようとしたのは誰なのか。
少女が訪れた店や目撃談が新聞社や雑誌社に殺到し、一躍アレナフィルは時の人となった。




