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51 ローゼンゴットの安息はどこだ



 

 ウェスギニー・ガイアロス・フェリルド。

 現在、ウェスギニー子爵と呼ばれている男の名前は、ネトシル家にとって忌々(いまいま)しいものだった。

 バイゲル・ネトシル・アンジェラディータ。

 私にとって従姉、両親にとっては姪にあたる彼女が、彼の妻を殺したあの日から。

 特に私の弟であるグラスフォリオンの荒れようは凄かった。弟にとってアンジェラディータは性別を持たぬ聖母にも思えていたのだろう。

 私達の実母が侯爵家の夫人として社交に力を入れ、子育ては乳母に丸投げしている人ならば、アンジェラディータは私や弟の怪我を手当てしてくれたり、こっそりとお店に連れていって外食させてくれたり、勉強を教えてくれたりする人だった。

 うちの弟は、いずれアンジェラディータが誰かと結婚するという現実すら認めたくなかったかもしれない。しかも色恋が絡んだ刃傷沙汰ともなれば受け付けるものではなかったのだろう。

 誰よりも大好きな従姉の弱さや苦しみ、そして社会のありようが、弟は見えていなかった。

 

「おい、ローゼンゴット。お前、家を出るって本気か」

「何か問題でも?」

「問題だろうがっ。お前はうちの息子を守る人間なんだぞっ」

「バカバカしい。ネトシル家は武の名門。守ってあげなきゃいけない当主なんて笑止だ。あの幼さで癇癪(かんしゃく)持ち、気に入らないとメイドに暴力といった我が儘ぶり。あれは何事ですか、兄上」

「いずれ虎の種の印が出る息子だ。幼い頃から傑物で結構じゃないか」

「ただの甘ったれ坊やです。可愛いからと甘やかすだけのことなぞ乳母に任せておけばいい。あれをそれで良しとするのは父親による虐待ですよ、兄上。愛するのはいい、だけど正しく育てなさい。それだけです」

「・・・結局、お前は妬んでるんだろうっ。ははっ、ざまあみろっ。お前に虎の種が出たところでそれは俺も一緒だっ。所詮お前は負け犬なんだよっ」

「誰がそんな話をしていますか」


 アホにつける薬はない。

 私はミディタル大公家の門を叩いた。




― ◇ – ★ – ◇ ―




 どうして軍に入らず、わざわざミディタル大公領に仕官したかというと、軍だとネトシル家やその縁戚が多いからだ。父をトップとするネトシル家一門は、いずれ兄を頂点として戴くことになる。

 それぐらいならばミディタル大公の方がいい。ミディタル大公家に仕官するならば、ネトシル家に連なる者がいたとしても、それは軍に入ってネトシル家の嫡流を盛り立てることを望まなかった者だからだ。

 そんな私の気持ちを認めてもらえず、大公夫妻へ直談判したのはいつだったか。


「何故っ、私がゲリラーデン行きから落とされたのですかっ。これで十度目ですっ」

「何のことだ。ゲリラーデン? 行きたかったなら行けばよかろう」

「あなたはまた何を考え無しに言い出してるのかしら。どんな所にも希望配属をまずは募るものよ。その上で決定しているのです。その書類を一枚も見ないあなたがネトシルの配置に口出しするんじゃありません」

「む。・・・では、妃に言っておけ」


 相変わらず大公はそんな感じだった。


「妃殿下っ。ならば私が落とされた理由をお教えくださいっ」

「あなたがネトシルだからよ。こんなことで貴重な血筋を失わせるわけにはいかないわ」

「関係ありませんっ」

「関係あるのよ。あなたのご実家からも言われているわ。いずれ戻すつもりなのでよろしくと。それで大怪我もしくは死亡しかねない地に赴かせるわけにはいかないでしょう」

「・・・分かりました。つまり私の実家が問題なのですね」

「ありていに言えばその通りね」


 ミディタル大公の隣に並び立つ大公妃。ドルトリ伯爵家令嬢から大公妃となった彼女は、王妃や王女に次いで身分の高い女性となったが、それゆえに色々と難しい立場だった。

 何故なら伯爵令嬢としての時代を知る人間は、たとえ今は大公妃となっていても、昔の気分が抜けないからだ。

 公的な場所では彼女に対して礼をとっても、私的な場であればその思いが透けて見えることもしばしばで、よりによってうちの母もその一人だった。


「ごらんなさい。あなたのご実家からの手紙よ」


 大公妃の執務室で見せられたネトシル侯爵家からの手紙はとても丁寧に私のことを頼む旨を書かれていたが、同時にネトシル家一門の者が、大公妃の実家であるドルトリ伯爵家一門の者と同じ部署に軍で所属していることにも触れられており、それゆえに大公妃もあまり強く出られない理由が察せられた。

 なんという恥ずかしい手紙を寄越しているのか。これはドルトリ伯爵家の者を人質にした要求以外のなにものでもない。


「そんな根性で我が家に寄越すなと言うのだ。私の好きにできんでは意味がない」


 一緒についてきた大公はその手紙を見て不愉快そうに顔を(しか)めた。


「申し訳ございません」

「いいのよ。あなたの気持ちも分かるわ。先頭に立って血路を開き、低い勝率を一気にひっくり返してこそというのはね。だけど独身時代は王家、公爵家、侯爵家の血筋だからと私が礼をとっていた相手は、大公には言えなくても私には言ってくるものなの。いくら大公が陛下の弟でも、あまり自由勝手にはできないわ。陛下が実子より実弟を重視していると見られるのもよろしくないのよ」

「別に構わんだろう。よちよち歩き王子より私の方が兄上の役に立つのは事実だ」

「あなたは黙っていらしてっ。・・・今の言葉は脳内から即刻抹消しなさい、ネトシル」

「かしこまりました」


 結局、うちの実家が問題だった。本来は飛ぶ鳥を落とす勢いで我が世の春を謳歌していいミディタル大公妃は、王子のことも考えて動いている。だから貴族とのバランスも重視しているのだ。

 そこに私の希望など入る余地はない。何故なら私一人とネトシル侯爵家一門の数。どちらが多いかは言うまでもないからだ。


「我が母ながら愚かなことです。嫁いだならば嫁いだ家に染まるもの。嫁いでも独身時代の身分を保持できるのは王女殿下のみ。何より大公妃殿下は人間としてもこの大公家で一番です。・・・っと、失礼いたしました」

「別に構わん。うちの妃は口うるさいのが玉に瑕だが、当時、一番魅力的な貴族令嬢だったものだ。残りカス如きがほんにうるさいことよ」

「そんなことを言うのはあなただけですわよ」

「見る目がない奴は放っておけばよい」


 仕方がないからちょくちょくと実家に顔を出し、ネトシルの強さなどハリボテだと思われているのだとぼやいた。


「ネトシルなんぞ名前だけの武にすぎないと大公家では(もっぱ)らの評価です。本当に大変な場所には行かずに震えてお留守番ですからね。おかげで平民の樹の種の印を持つ者の方が強いと、いい笑いものですよ」


 それでブチ切れたのが祖父と父だった。何かの舞踏会で、大公夫妻にその真偽を尋ねたらしい。

 大公妃は平然と答えたそうだ。


『いずれネトシル家の役に立たせる息子さんだと伺っております。絶対に安全な場所に置いてほしいとのご要望でしたもの。髪一筋の怪我すらしない場所に配置しておりますわ。うちは鍛錬ですら怪我人が、演習でも死人が出るのが当たり前のミディタル。虎の種の印を持とうがデスクワークしかできない者の強さを評価はいたしません』


 周囲で聞いていた人達の失笑に、父はその場で、たとえ死んだところで文句は言わない、その力を見極めてほしいと言ってのけたとか。

 その場で大公妃は却下した。


『私の所にはネトシル侯爵家の家紋とサイン入りでお手紙を頂いております。帰宅なさってからお確かめになり、口頭ではなく文書で改めてお伝えくださいな』


 次の日、大公家を訪れた祖父と父は大公妃の所にある手紙を確かめた上で妻達の非礼を詫び、二人連名で遠慮なく使って欲しいという旨を書いて寄越した。


「さあ、あなたはもう自由よ。好きな要望があるなら出しなさい。鍛えられたい人間を鍛えない理由はないわ」

「では様々な部署に配属してください。全てをこなせるようになりたいのです」

「分かったわ」


 実力があれば平民の部下としても働いた。貪欲に学ぼうとする私の姿勢は、最初は高く評価されたものの、やがて上司に嫌がられるものとなった。何故なら私の身体能力が高すぎたからだ。


「これが武の名門と呼ばれるネトシル家かよ。どこまで凄いんだよ」

「何を(おっしゃ)いますか。さあ、次の命令をどうぞ」

「もうねえよっ。何が部下だよっ。上司の心を折りに来てるんじゃねえよっ」

「ミディタル大公率いる軍は勇ある者しかおりません。私も隊長も、心技共に強さを目指せば問題ないことです」

「大ありだっ」


 そんな上司の都合に頓着していても何も身につけられない。嫌がられてもあちこちを好きに回った後は、大公妃の直属となった。


「あの人の直属が一番鍛えられるのだろうとは思うんだけど、違法行為のオンパレードなのよね。ローゼン、あなた、たとえばちょっと輸送業務をやってる人間の家族を人質にとって殴りつけ、密入国に協力させたり、たとえば運転手を樽に詰めてその人に成りすまして密航したりして、現地で暴れまわってくるのってやりたい? 樽に詰めた人間は逃げ出されたら困るから、最低限の食べ物だけ与えて後は放置とかね。あれはね、トイレにも行けずに泣きつかれても放置する胆力が必要なのよ。そしてその状態で捨ててこられるだけの倫理観欠如心もね」

「強くなりたいのは山々ですが、人間としての最低ボーダーを踏み外さない自分でいたいと思います」

「そうね。じゃあ、私の下でいいかしら」

「是非お願いいたします」


 姓で呼ばれるのが当たり前ではあったが、ネトシル侯爵家の名前は大きかったようで、目立たぬようにと大公妃は私を名前で呼ぶようになっていた。

 大公妃の側でいれば色々なものが見えてくる。

 ミディタル大公家は短期間だけ貴族の子弟を預かるということも多く、だから自分もこれらと同じ扱いをされていたのだなと分かった。


(なるほどな。こっち側になって分かるものはあるものだ。こいつら、ミディタル大公家で勤めたことがあるって箔をつけに来ただけじゃないか)


 愚かしいことだ。

 そんなある日、ミディタル大公家に王子エインレイドとウェスギニー家の双子がやってきた。

 別に王子がやってくるのはいつものことだったが、お友達として貴族子女を連れてきたのは初めてだ。


「男女の双子って言うけどそっくりだな」

「あのウェスギニーだろ。取り入るのはお手の物か」

「だけど可愛いよな。同じ顔してるし」


 門をくぐった時点で様々な目がウェスギニー家の子供を見ていたが、一番怒り狂っていたのは大公妃だった。


「どうしてお茶会の筈が訓練なのっ。あの人は何を考えているのっ」

「きっとご自身で確かめられたいと思われたのでしょう。妃殿下、気になるなら鍛錬場へ来るようにとのご伝言です」


 茶会に王子と双子を招いた筈が、大公が勝手にメイド達に命じて鍛錬場に引き出したのである。大公妃が知った時にはもう稽古が始まっていた。怯えて泣き出したなら子爵家の娘だけは回収するつもりだったらしいが、大公妃が鍛錬場に行ってみたら泣きだすどころか、弱いくせに勝ちを狙っている。

 茶会の予定を壊されてぷりぷり怒っていたが、所詮、大公妃も虎の種の印を持つ女性だ。楽しんで二人の相手をし始めていた。

 どうやら息子の方は片手剣術の心得もあるようだが、娘は全然らしい。

 しかし地味に卑怯で、指導についた男に変なことばかり尋ねていた。


「蹴りが許されているなら、私は子供だからハンディ分ということで離れた所からクロスボウとか使って大公様に油をぶっかけたり、砂をぶっかけたりしてもいいと思うのです。やってもいいですか?」

「駄目です。正々堂々と木刀持って己の体一つで戦いなさい」

「それは無茶と言うものです。ライオンの檻に入れられたウサギさんです」

「練習指導だから無茶じゃありません」


 もしもミディタル大公が子供相手に怪我をさせるようなハード練習をしたなら止めるつもりで待機していたが、弱すぎて本気になることもなく、ミディタル大公は息子の方を気に入って鍛えていた。

 私も息子の方が気になってはいたが、娘に対して注意を向けずにいられない理由があった。

 ウェスギニー子爵家令嬢、ウェスギニー・インドウェイ・アレナフィル。

 よりによって私の弟が、いずれ成人した彼女に婚姻を申し込みたいと、実家でやらかした相手である。

 肝心の当事者はそんなことを知りもせず、王子と一緒にミディタル大公やっつけ作戦を立てて無駄に終わっていた。


(あのグラスフォリオンがこの子をね。まさか妻に迎えていびり倒そうとか考えてないよな?)


 実はネトシル侯爵家でもそれを疑っていた。だが、弟はどうやら本気でこの子を気に入ったらしい。

 王子エインレイドの警護に抜擢されたと聞いてはいたが、アレナフィルを間近で見ることにより宗旨替えしたのか。

 

(アンジェ姉上はいつまで苦しみ続けるのだろう。他の家に生まれていれば幸せに生きられたものを)


 かなりアンジェラディータに懐いていた弟はあの事件以降凄まじく荒れていたが、私はほとぼりが冷めたところでちょくちょくと彼女の所を訪れていた。

 二度と会うなと言われていたが、ミディタル大公の所にいる私の行動などどうにでも隠せる。

 彼女が暮らす辺境の地は観光用花畑メインの村で、心の洗濯にぴったりだった。観光エリアを外れると一気に違う景色が現れたが、どこも表と裏はある。

 その村では、通りすがりに数人殺してくるのが日課だぜって雰囲気の奴らが常にうろついていた。聞けばウェスギニー子爵の部下らしく、ちょくちょくと害獣駆除や治安維持、そして男手が必要なことを手伝ってくれるのだとか。


『内緒よ? あの人達の子供も預かったりしているの。ここは攻められやすい立地だから危ないんじゃないかと思うけど、誰かは療養中でいるから安心だって』


 侯爵家令嬢として生きてきた彼女は、粗末な木綿の服に身を包み、それでも幸せそうに笑うようになっていた。ウェスギニー子爵が知らないだけで、実戦部隊の療養スケジュールも把握しているとか。

 子供達に勉強を教えたり、近隣の村とも連携を取って戦う訓練もしたりしている。

 バイゲル侯爵家においては樹の種の印が出てしまったことから失格とされた人でも、軍の訓練を受けた人間ならではの視点があって、国防についての知識と判断能力もあったということだ。

 女性が身を隠しやすい設備、時間稼ぎをする方法、危機を知らせる合図など、長閑(のどか)だけではないものを着々と備え続けている。

 あまりにも私がちょくちょく訪ねていってアンジェラディータと語り合うものだから、なんだか喧嘩を売るような視線を感じたこともあったが、私達は実の姉弟みたいなものだ。

 やがて私専用の家も提供してもらったので、療養中だとかいう奴らと語り合うのも楽しみとなった。何故ならウェスギニー子爵の部下だという彼らは、貴族は貴族で全員偉いんだろうという認識で、その貴族にも身分の高低があることは知っていてもそれだけだったからだ。

 侯爵家令嬢のアンジェラディータが面倒見も良く、きりきりと皆を働かせて楽しそうに笑う人なので、私に対しても普通に接してくる。

 肝心のウェスギニー子爵は一度も来たことがないという話だったが、アンジェラディータももう恋心など抱いていない様子だった。

 そんなアンジェラディータを仇だと恨む権利のある子爵家令息と令嬢。


(色合いしか父親に似なかったんだな。考えてることが丸わかりで、父親の胡散臭い愛想笑いとは別物だ)


 そう思ったのは私だけじゃないらしい。

 名乗り合うこともなく稽古をつけた大公妃は、ぽそりと呟いた。


「似てないものね。血が繋がっていたところで」

「同じ親を持つ兄弟ですら似ていないことはあります。うちがそうです。たしかに色合いしか父親に似ていなかったですね」

「・・・そうね」


 大公妃が双子に面影を偲びたかったのは、ウェスギニー子爵の実母だと、その時の私は分かっていなかった。




― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―




 正直、男と女の惚れた腫れたなんて、当事者だけでやってもらいたい。他人を巻きこまなければどうでもいいことだ。

 現在は王位継承権第一位となっているミディタル大公家の一人息子ガルディアス、そして私の弟であるグラスフォリオンがウェスギニー家のアレナフィルと共に夏の長期休暇を過ごすと聞いた時、目が点になったものだ。

 どいつもこいつも子供相手に何をやっているのか、ウェスギニー子爵を取り込むための布石かと。

 

「私が言ってはならぬことではありますが感心しませんね。そうやって子供を有頂天にさせて何をなさりたいのか」


 身分の低い娘に甘い夢を見せて、土壇場で身分の高い令嬢へ乗り換える。よくあることだ。数える気にもならない。

 人の心を(もてあそ)ぶような行為として私は軽蔑していた。わざわざ口に出すことはないが。何故なら貴族の男達、多かれ少なかれ結構やっている。

 付き合い始めた頃には身分なんて関係ないし、好きになったものは仕方がないとか言うくせに、付き合いが長くなり始めて結婚を考えなくてはならなくなった途端、やっぱり愛だけではどうしようもできないことはあるとか言い出す。

 本当に愛情があったなら、そこで別れを切り出される女性のことを考えて最初から付き合わないことを選ぶべきだ。

 鍛錬場で王子エインレイドと仲良く連携していたアレナフィルを思い浮かべれば、大人の事情など関係なしに生きている子供達を哀れにも思った。


「そうね。だけど本気ならできないことではないわ。問題はその父親よ。ウェスギニー子爵も娘のことを思えば根回しに動くべきでしょうに」

「そうですね。何故、あそこまで仲がいいのに養子縁組の打診もしていないのでしょうか。社交界に出す前にそれぐらい根回ししておくべきでしょうに」


 ガルディアスもしくはエインレイド狙いなら侯爵家あたりと名前だけでも養子縁組させておくものだ。そうなるとうちの弟狙いだろうか。

 意味が分からない。

 そんなことを思っていたら、いきなりウェスギニー家のアレナフィルは外国人と婚約したらしいという噂が流れてきた。

 王子エインレイドに一番身近な女子生徒を潰す為、様々な家がウェスギニー家の事業に圧力をかけている話は聞いていた。それに耐えきれず、外国人との婚約をあの子は受け入れたのか。


(可哀想に。あんなにもエリー王子や双子の兄と楽しそうに駆けていた子が)


 不憫ではあるが、貴族の家に生まれてしまえば仕方のないことだ。誰もが様々な枷に繋がれている。

 そう思っていたら、いきなりそのアレナフィルが大公妃に連絡を取ってきた。


「あなた、私、ちょっとヴェラストールに行ってきますわ。エインレイド様が学校のお友達と一緒に王城の手配で行く予定だったそうですけど、そのやり方が気に入らないとアレナフィルが裏をかいて動くみたいですの」

「子供如きに裏をかかれる近衛と侍従ではあるまい」

「そうでもなさそうですわよ。明日のお昼過ぎの列車で行く予定でチケット取ってもらうことになっていたそうですけど、あの子達、学校長の許可をとって明日の授業は来週の聴講でカバーするとかで、こっそり今から夜行列車に乗るつもりですもの」

「夜行列車か」


 夜の出発というのは、後ろ暗いことのある人間がすることだ。そういう感覚をミディタル大公夫妻も知らないわけではない。


「ええ。さっき決めたみたいですの。親にも今から連絡するって言ってましたわ。うちなら急な護衛も対応できるだろうと思ったようですのよ。エインレイド様の護衛がいないのはまずいから、気づかれないように離れて護衛できる人間を融通してほしいんですって。王城の勝手なやり方が許せないから、もうホテルに泊まるか、ウェスギニー家のアパートメントで雑魚寝(ざこね)するとか言ってましたわね」

「なかなかたくましいが、それはまずかろう。いや、面白いか?」

「とりあえず私は出ますわ。アレナフィルをエインレイド様と同じブースで寝かせるわけにはいきませんもの。尾行が得意な者達を連れて行きますわね。後から人を送ってくださいな」

「うむ、そうだな」


 遠征慣れしている大公妃は用意も早い。


「妃殿下っ、私もお連れくださいっ」

「エインレイド様のお友達は伯爵家が二人と平民一人、そして子爵家の女の子。侯爵家の人間が頭を下げて世話も護衛もできるものじゃないでしょう? しかも一般人に変装しての護衛よ。留守番してらっしゃい」

「大丈夫ですっ」

「それならさっさと荷物をまとめなさい。私もウェスギニー家に連絡したらすぐ出るわ」


 外国人と婚約した傷心状態の子爵家令嬢。物悲しくも夜行列車を使用し、王子達を連れてセンチメンタルトリップかと思いきや、その行動に至った理由は王城に勤務する侍従と近衛達に喧嘩を売って活を入れる為だった。

 なんでそんなことを考えついたのかが分からない。




― ◇ – ★ – ◇ ―




 思い付きの行動をやらかす方は自由で結構だが、裏方は大変だ。王子達がチケットを買って乗り込む前に残っていたブースのチケットを全て購入し、後は子供達にのみ売るようにと手配した。

 もっと前の駅から列車に乗り込み、全てのブースを点検し、備品を取り替え、通路などに音や映像の監視装置を取り付ける作業はとても大変だった。

 四人用のブースと二人用のブースチケットを買って乗り込んできた子供達はディナーボックスで夕食にしたらしく、交代で歯磨きやトイレにも行っていた。

 その際、少年達に盗難リスクや安全リスクを語っていた少女に好感を抱いた者は多かった。


「しっかりしたもんじゃないか。これは護衛しやすいな」

「そうですね。あそこまで周囲に対して警戒心があるなら変なことにもならないでしょう」

「うーん。男の子達に複数で行動するようにとか言っといて、本人は一人で二人用ブースなんですよね? いや、そりゃ別に危険はありませんけど。・・・常識的に一番危ないのってあの子じゃないですか?」

「言える。何だ、あの可愛いウサギは」


 簡易監視装置の映像は荒かったが、二人用ブースで着替えてきたアレナフィルはウサギ耳フードがついたパジャマだった。おしり部分にはシッポのアップリケがついている。


「これは、・・・謎が解けましたよっ。時に手厳しい女教師モード、そして一気に可愛らしいウサギさんに変身して王子様を落とすって奴ですねっ」

「なるほど! 天才じゃねえか」

「ふっふっふ、私の目にはお見通しですわっ」

「あれは見せちゃいかんだろ。反則だ」

「だけどあの子、何を抱えてたんでしょうね」


 やがてそのウサギパジャマ娘は大公妃に引き取られていった。

 健全で結構なことだ。だが・・・。


「なあ、何が起きているんだ?」

「何だろうな。だが、・・・攻撃されてるわけじゃないっぽいな」

「怪談でもやってるのか?」


 問題は少年四人が残されたブースだ。

 最初は何かトラブルが起きたのかと思い、強引にドアを開けて無事を確認しようかと悩んだ。


『うわああっ』

『やめてよっ、僕っ、幽霊嫌いなんだよっ』

『死神だぞっ』

『うわああっ、気持ちわるーっ』

『くそアレルッ、覚えてろっ』


 よく分からないが、きっと大丈夫だろう。


「若いっていいですね」

「そうだな。大人になったら夜行列車に乗っても寝ようとしか思わねえ」

「次の日を考えてしまうようになったら大人さ」


 少年四人がいる筈のブースからは訳の分からない悲鳴と、幽霊だとか死神だとか、毛布に隠れろとか、記念に撮らなくてはだとか、よく分からない騒ぎがかなり廊下まで響き続けていた。




― ◇ – ★ – ◇ ―




 もうすぐヴェラストールに到着するというのに、子供達はなかなか起きてこない。

 大丈夫か、だから早く寝るべきだったのにとやきもきしていたら、ウサギパジャマのままでアレナフィルが少年四人のブースをドンドンと叩き始めた。


『みんなっ、起きてるっ? もうすぐ着いちゃうよっ』


 ガチャガチャとドアレバーを動かしてはドアをドンドン叩く様子に、

「おい、手伝ってやれよ。あんなに必死で可哀想だろ」

と、ゲルロイゼが囁いてきた。

 今の外国人との婚約とやらが壊れた場合、弟の妻になるかもしれない女の子だ。この変装を見られたくなかったが仕方がない。


「あの、アレルお嬢様。よければ鍵、開けましょうか?」


 寝癖がついた髪をウサギフードで隠している少女は可愛かったが、さすがに自分の恰好がまともではないのは分かっていた。だから丁寧な口調を心がけて話しかけた。

 普通の女の子なら悲鳴をあげて逃げてしまう。


「勿論、鍵を開けたら即座にこの場を離れさせていただきます。かなり夜更けまで騒いでおられたのでまだ寝ているのではないかと」

「あ、護衛の方ですね。ありがとうございますっ」

「いえ。今回の護衛は左腕と右腕に黒の腕輪をはめておりますので、何かありましたらそれを目印になさってください」


 どこぞのチンピラ風な私に対し、ゲルロイゼは腹に詰め物をして個人事業主といった風体だ。針葉樹林の深い緑色(フォレストグリーン)の目が丸くなる。


「凄い。護衛さんだなんて全然分かんない」

「恐縮です」


 ネトシル侯爵家ではウェスギニー子爵の娘とあってグラスフォリオンを誑かした小娘扱いだが、思ったよりも素直そうだ。

 可哀想に。王子と仲良くなったが為に、この子は外国人と婚約させられたのか。それでも少年達に明るく接している様子に寂しげなものは見当たらなかった。今はまだ婚約の意味も分かっていないのかもしれない。


「感謝ですっ、ありがとうございますっ。みんな、大変、大変っ、もう着いちゃうっ」


 鍵を開ければ、笑顔で礼を言って飛び込んでいく。

 どう見ても少年達は熟睡していた。

 これはもう起こすのを手伝ってやるしかないかなと思ったが、ゲルロイゼと私が驚くのはそこからだった。


「みんな起きてっ、もうすぐヴェラストールだよっ。ヴェラストール通り過ぎて終点まで行っちゃうよっ。みんな起きてぇっ」


 可愛く揺り動かすのかと思いきや、ウサギ娘は四人の胸倉掴んで上下に揺さぶりやがった。どこのカツアゲだ。それ、うちの国の王子様。

 そして天井や壁から何やら透明のフィルムを剥がし、目覚ましタイマーも自分のバッグに回収していく。

 最初の揺さぶりでちょっと意識が浮上してきていたらしい少年達は、再びウサギ娘に襲撃された。


「もうすぐ着いちゃうよっ。さっさと荷物持ってっ。着替えてる暇もないよっ」


 そこに可愛い子ウサギ娘が「王子様もみんなも起きて。乗り過ごしちゃうよ。ね?」と、優しく揺り起こす甘いシーンは存在しない。

 あのね、痛くはないだろうけど、君が胸倉掴んでグラグラ揺さぶった挙句、ペシペシ平手で叩いているの、うちの国の王子様達。

 そこにいたのはただの凶悪ウサギだった。


「え? うわぁっ、もうヴェラストールッ? ダヴィ起きてっ! 起きてよっ」

「起きろっ。レイド、朝だぞっ」

「みんなっ、もう着替えるのは後だよっ。まずは降りなきゃ遠い街に連れてかれちゃうっ! 荷物持って、靴履いてっ」


 アレナフィルがそこにあった荷物を抱えあげれば、クマ着ぐるみパジャマのベリザディーノがそれを横から引き受ける。


「荷物持つからアレルッ、レイドの腕引っ張ってけっ!」

「ラジャーッ」


 ウサギ娘が黒ぶち白ウシ着ぐるみパジャマなエインレイドの腕を引っ張って強引に動かすが、そこに色気は全くなかった。

 やがて列車の速度が落ちて駅に到着する。


「急いで降りるのぉーっ」

「靴履いてるなっ、レイドッ」


 クマ着ぐるみパジャマなベリザディーノが王子の足元を案じれば、少し目が覚めたエインレイドはそこに残っていた荷物を手に取った。


「大丈夫っ。ダヴィの荷物は僕が持ってくっ。だからリオッ、そのままダヴィの腕放さないで連れてけっ」

「うーっ、頭ぐらぐらするっ」


 アライグマ着ぐるみパジャマなマルコリリオが、ヒツジ着ぐるみパジャマなダヴィデアーレの腕を掴んで連れ出していく。


「ダヴィこっちっ、足元見てっ! 足を大きく踏み出してっ」


 そんな大騒ぎをしながら少年達が出ていった後、私とゲルロイゼ達は忘れ物チェックをした。

 王城にいる侍従や近衛達を出し抜いて勝手に旅行した少年少女達と聞けばどんな不良だと言いたくなるが、仲良く協力しあっていた。

 というより、あのパジャマに毒気を抜かれたと言うべきか。なんであんなパジャマにしたのか分からないが、令嬢の可愛さアピールではなかったらしい。


「パジャマは女の子だけじゃなかったんだな。全員着ぐるみパジャマって、お揃いで着ぐるみパジャマって・・・」


 ぷぷぷぷっと笑いながら座席の隙間を探るゲルロイゼは髪ゴムを一つ見つけた。本来の列車備え付けではなく、こちらで手配した毛布を回収したデルフォンドが、そこに重なっていた小さなタオルを見つける。

 

「どのパジャマも可愛かったですよね。うちの甥っ子にも着せてみようかしら」

「まだ小さいでしょ」

「だからいいんじゃない。エリー様のあんなパジャマ姿、分かっていたらフォト撮ったのに。きっとガルディ様がお喜びになったわ」

「じゃあ、後は頼む。これ渡してくるよ」

「はい。それでは」


 ホームに行って忘れ物を渡せば、私の変装に気づいたエインレイドが眉根を寄せていた。

 軽くウィンクしておいたが、どうも不評らしい。

 そして大公妃は、少年達の着ぐるみパジャマを見て笑い転げていた。




― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―




 ヴェラストール城へと向かうケーブルウェイ。キャビンは六人乗りだ。

 少年少女達が一般人に聞かれてまずいことを口走ってはいけないと、その前後に護衛達が並んだところ、老婆に扮していたデリアンテッセが一緒に乗り込むことになった。

 あのガッツポーズ、思いっきり自慢してたな。


「あのアレルちゃん、人懐っこかったですよ。ふっふっふ、私の腕輪を確認した後でですが、エリー様と記念フォト撮らせてくれました。ああ、そんなサービスしてくれるなら美人メイクしてくるんだった・・・!」

「それはいいんだが、なんで変な道に入っていってるんだ? 入口はまっすぐ道なりなのに横道に入っていってる」

「私の渡したマップを見たからじゃないですか? 私達の知る限りのお別れネタを網羅した完全マップです。出口からもチケット買って入れるんですよ、あのお城」


 先行してヴェラストール城に何人か入ったところ、どうやら朝からヴェラストール城の会議室などを貸し切りにした貴族達がいたと、慌てて報告が入れられた。


「やはり王城から情報が流れていたのは事実のようですね」

「先に予定表を出していたのが裏目に出た形ですね。もうメンバーも割れています」

「こう言ってはなんですが、伯爵家の息子達と子爵家の娘ではね。そりゃ王子に話しかけてきたら間に入ることもできません」

「・・・仕方ない。変装で流用できそうなのあるか?」

「待機させてある移動車から取ってきましょうか」


 不幸中の幸いは、彼らは入り口を見張っていることだ。出口から入った少年少女達は、通常のルートを完全に逆流していたのでばったり会うまで時間は稼げる。入口付近には近づかず、このまま会わずに出口から出ていってくれればいいのだが。


「まずいですっ。会議室にいた令息達も観光し始める様子ですっ」

「レイド様達も彼らに気づいたか、2―2―1に別れて出口から逃げる様子です」

「分かった。これはもう仕方ない。ちょっとカツラかぶってもらって抱き上げさせていただいて逃走しよう」


 よりによってアレナフィルが最後だという。たしかにあの身の軽さを思えば妥当かもしれない。

 全員を集合させ、それぞれに担当を決めて追いかけようとした時、私達は目を疑った。


「え? 変装?」

「なんだ、あれは」


 アレナフィルはミラータイプのサングラスをかけ、首には赤い模様が付いた黒い幅広チョーカーをつけていた。

 少なくとも出かける際にはつけていなかったものだ。

 しかも玉蜀黍の黄熟色(メイズイエロー)の髪を黒く塗り塗りしている。


「つまり変装しているわけですね」

「かえって目立つ格好じゃないのか?」

「木々を利用して身を隠している様子といい、あの反応といい、集音装置で様子を見ているのでは?」

「そんな気がします。あのミラーグラスが集音装置なのでは? さすがウェスギニー大佐の娘」

「だけどよ、変装して周囲の状況を窺ったところで何もできないよな?」


 アレナフィルの斜め後方で壁に体を隠しながら囁き合う私達も戸惑っていた。

 王子よりも私達の注目を集めているアレナフィルは、手に何か粒を載せたかと思うと前に突き出す。


「幸運を祈るまじないか?」

「女の子はおまじないって大好きですよね」

「あんな迷彩柄の服着て、しゃがみこんでる女の子がまじないに頼るのか?」


 そうこうしている内に、エインレイドとベリザディーノの二人組に声をかけた男達がいた。どこぞの令息なり令嬢なりに付けられた使用人達だろう。


「誰かお助けしろ」

「私が行こう」


 問題はその時だった。

 アレナフィルが掌に載せていた粒が消失した。いや、灰色の煙を噴き出しながら飛んでいった。


――― バアアアアンッ!!


 誰もが驚いて(うずくま)るような凄まじい音が響き渡り、どの観光客達も足を止めて周囲を見渡す。

 エインレイドとベリザディーノの周囲を灰色の大きな煙幕が包んだ。


「やりやがった・・・!」

「煙幕弾かっ」

「なんつー令嬢だっ」

「二班、迂回して先行の一班と共に保護しろっ」

「レイド様、駆けだしましたっ」


 灰色の煙はあまりにも大きく広がり、少年達は分かっていたかのように駆けだしている。角度的にその状況はここからもう見えない。

 アレナフィルがいる角度じゃないと見えないのだ。

 跳躍してアレナフィルのかなり後方へ立てば、次の粒を手に載せている。


「まさか、第二弾をやらかす気か」

「やっちまった以上、止めるわけにはいかないな。少なくとも四人は合流した」

「なあ、おとなしくあの貴族達の相手をすればよかっただけじゃないのか?」

「これってばテロと思われかねねえ騒ぎだろ」

「もうやってしまった後だ。せめてレイド様が逃げてから後始末をしよう」


 アレナフィルは冷静な様子で何かを呟いた。


――― ゴオオオオンッ。


 四人を包む真っ黒な煙幕。

 これで終わりかと思いきや、アレナフィルはポケットから取り出した何かペンっぽいものをカチャカチャしている。

 ここまでくると、好奇心も出てくるというものだ。


「どこまで面白グッズを持ってきたんでしょう」

「ちょっと気になりますよね」

「どこで売ってるんだ、あんなの」


 私達はその様子をじっと観察に入った。

 次は何をやらかすつもりだ。足止めならこの煙幕だけで十分だろうに。


「なあ、今度は白い粒を載せてるけど、あれで煙が消えるって奴か?」

「そうかもな。すぐに消してしまえばさほど騒ぎにならん」

「ちゃんと後始末できる子か」

「お片付けしていくのね」


 私達はそう信じていた。


【発射】


 白い煙を噴き出しながら飛んでいった粒は、灰と黒の煙幕を背にして真っ白なスクリーンを広げる。

 煙は消えなかった。

 そしてアレナフィルはペンっぽい何かを手に載せて何やら呪文を唱える。

 もしかしてあれが全てを消すのだろうかと、私達は固唾をのんで見守っていた。既にそこには祈りがあった。

 これで終わりに違いないという祈り、いや、願いが。


【発射】


 だが、白いスクリーンを背に行われたのは消煙ではなく、とんでもなく大きなゴースト達の映像だった。

 しかもアレナフィルは一気に駆けだしていく。


「追いかけろっ」

「・・・うっ」

「きゃあっ」

「なんだっ」


 何があったのか分からない。

 アレナフィルに近づいて捕まえようとした途端、私達の体から一気に力が抜けた。

 いや、跳躍してアレナフィルのすぐ後ろにつこうとした途端、叩き落とされたのだ。まるで空気が私達を殴ったかのように。


――― ケーケッケッケ、ワーハッハッハ。

――― ガハハハ、ホーホッホッホ


 ゴースト達の映像がそんな笑い声を立てていた。私達をあざ笑うかのように。


「毒ガスかっ? 近づくなっ」

「今すぐ解毒剤を用意しますので動かないでくださいっ」

「送風機を持ってこいっ」


 だが、私には分かっていた。毒ガスではないと。アレナフィルの体から発せられる何かが私達の動きを奪ったのだと。

 その証拠に、アレナフィルが遠ざかっていけば体も少しずつ動きを取り戻す。

 とんでもない失態だった。

 

「も、申し訳ありません。アレル嬢が追いついた時点で保護しながら逃げようとしたら、体から力が抜けて追跡失敗しました」

「申し訳ございませんっ」

「・・・いや、それはこちらも一緒だ。アレル嬢が持っているのはただの煙幕弾と思っていた」

「まさか見失うことになるとは。どういたしましょう」

「そうなるとどこへ向かったか分かりません。予定を変更した可能性もあります」

「奥方様に連絡を」


 これ程に人数を揃えていながら、子爵家の娘一人に撒かれるとは。

 さすがの大公妃も驚いた様子だった。


『あなた達がついててアレル一人に? 何を持ってきていたのかしら。だけどあんなゴーストを列車用で持ってきてたぐらいだもの。そうね、後始末はちゃんとしておいてちょうだい。とりあえずウェスギニー家に連絡を取ってみるわ』

「はい」


 無駄かもしれないがニュースに映し出されることで、ちゃんと連絡してくるようにと語りかけておいたが、子供一人に撒かれただなんて、帰ったらミディタル大公のしごきが凄そうで今から嫌だ。

 しかもこの失態、全員、今月の給料3割引きが決定していた。


「だってあんな卑怯道具持ってるなんて知らなかったんだからしょうがないじゃない。そりゃそんなの、実戦じゃ通じないって分かってるけどぉっ」

「離れて見守るどころか、離れていたら敵と一緒に排除されるんじゃどうしようもねえだろっ」

「くっそぉっ。あんなガキ一人にっ」

「・・・安心しろ。俺達全員、戻ったら大公様直々、(たる)んだ根性叩き直してくださるそうだ」


 大公家に報告していたゲルロイゼが、一番聞きたくなかった現実を突きつけてくる。


「いやああーっ」

「ぅげええっ」

「一番楽な仕事の筈なのにぃっ」

「しかもエリー様守れなかったなんて、ガルディ様まで乗り出してくるじゃないのぉっ」

「大公様だって許さねえよっ」


 卒倒したくなった私達の気持ちなど、ミディタル大公家に仕官している者にしか分からないだろう。

 ギラッと私を睨んでくる皆の目は血走っていた。


「ネトシル様っ、もうあの子どうにかしてくださいっ」

「なんで私だっ」

「弟さんとデートしてた女の子じゃないですかっ。ボーイフレンドのお兄さんって思えばアレルちゃんだって同行許してくれますよっ」

「そうですよっ。(しょ)(ぱな)からコレですよっ。戻る頃には給料10割引き決定じゃないですかっ。俺達、薄給なんですっ」

「あんなのどうしようもないですっ。責任もって弟さんのチビちゃんガールフレンド抑えておいてくださいっ」

「どんな責任だっ」


 しかも大公家は三人共、アレナフィルに対して甘々だった。やってくれるじゃないかと、面白がっていた。


(いじめたらすぐ泣く子だからいじめるなって・・・。いじめられたのはこっちだってのに)


 仕方がないのでケーブルウェイ乗り場で待ち構え、強引に同行することにしたが、本人は怒られそうになったら王子を身代わりに差し出そうとする卑怯なウサギ娘だった。




― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―




 それでもコレがネトシル家における三男坊ご乱心の元凶と思えば、興味も出てくる。

 私達を無力化した何らかのカラクリを所有しておきながら、睡眠不足が原因だろうと言い放った小娘はヴェラストール要塞で元気にはしゃいでいた。


(そうだな。可愛いっちゃ可愛いか。あれらにしても父親が持たせていたんだろうし、頼もしいと言えなくもない)


 もしも本当に護衛がいなかったなら、王子にとって頼りになる仲間であることはたしかだ。

 いざとなればあれだけのことをやらかす度胸だってある。

 言ってることは生意気で可愛げがないが、酒グセも足クセも悪い子爵家息女はヴェラストールの誓いについて説明し始めていた。

 誰もが聞き耳を立てていたのは、アレナフィルの言葉をエインレイドが肯定したからだ。王族が知ることのできる歴史は一般人とはまた違う。

 アレナフィルはどうやら誰か研究者から教わったらしい。

 

「変装してるからいいんだが、子爵家のお嬢さんに王子様が忠誠誓っちゃいかんだろ」

「だけど可愛いですよね。ああやってると」

「とても悲しい現実を教えてあげよう。大公様、アレルちゃんの持ってきた道具に興味津々。お前らだけが楽しい思いしやがってとか呟いてたらしいぞ」

「ぅげっ。じゃあ一緒に来ればよかっただけ・・・・・・いや、あの方と同行じゃ子供達のお出かけにならんだろ」

「それ以前に大公妃様だって本来はまずいだろ」

「なんか体調が悪くて欠席ってことにするらしいぞ」

「なんだかなぁ」


 しかも衝撃の事実が、アレナフィルの口走った言葉によって判明した。


――― 今回のことも大丈夫ですよ、レイド。レイドと私達の身を守る為ならば何をやっても構わない、全ては不問にされるという許可が私にはあります。


 そして王子エインレイドもその事実を把握していた。カフェから通話通信をかけた際、ガルディアスから教えてもらったのだとか。

 あのゴースト騒ぎを映像で確認したガルディアスがもしやと思って問い合わせた結果、その事実を掴んだらしい。つまりアレナフィルのやったことだと明るみに出ても騒乱罪は適用されない。そしてたとえ被害を出していても、アレナフィルにはそれが許される。

 追ってガルディアスから聞かされた大公妃もブチ切れたとか。



『特別許可。サルトス・ミヌエ・ラルドーラ・エインレイド第二王子の護衛業務及び本人の身辺安全の為、我が国においてウェスギニー・インドウェイ・アレナフィルに全ての軍の士官に協力を要請できる特別権限を与える。また、本人が必要と判断した全ての攻撃及び破壊活動、更には全ての殺傷を認める。尚、期間は国立サルートス上等学校在籍中とする』



 そんなものを届け出ることができるのは父親のウェスギニー子爵しかいない。だが、彼は大佐だ。彼の権限ではここまでの許可を取れる筈がない。

 ミディタル大公他、数人しか取れる筈のない許可だった。誰がその許可をあんな子ウサギ娘に与えたというのか。


(あの特別許可が与えられる人間なんて、まさに軍のベテランクラスだろうがっ)


 軍における体術や技術だけでなく、精神面でも高潔、様々な判例を頭に入れた人間にしか下りない特別許可だ。その人間のやったことにその許可を出した将軍も連帯責任を負う。

 軍でもそれなりの実績を積み重ねた人間に特別任務を与える際、将軍が国王のサインをもらった上で許可を出すという特別許可。


(これがウェスギニー大佐に対してミディタル大公が許可を出して与えたというのなら分かる。だが、なんであんな子供に与えられてるんだっ)


 将軍クラスが認めたことはたしかだが、あんな子供に過ぎた許可だろうと、もうやる気が本気で失せた。

 しかもご本人様、何かあったら軍の人に誰でも協力要請できるんですよと、鼻高々で王子に自慢してやがった。国王陛下、息子可愛さに許可を与える人間に対して目が曇りまくりではないか。


「ガルディ様の言ってたアドバイスが完全有効に思えてきた」

「ああ。アレルちゃん達の映像取って陛下に『可愛い息子の休日』とか名付けて献上すれば給料天引きもやめさせてくれるって奴な」

「大公様も陛下に言われたら譲るもんな」

「かなり信憑性出てきてますよね」

「そんな気がする。とても楽しそうだし」

「それ以前におとなしく普通に過ごすことができないのか」


 要塞式オーブン料理の店ファラレフでも私達は四人でテーブルに座り、体で機器を隠すようにして映像を撮っていたのだが、五人はクマ肉に釣られてクラブとの提携を推し進めていた。

 それはいいのだが、アレナフィルを見ていると、うちの弟はアンジェラディータが原因で心を病んだのではないかと思えて仕方がない。


(なんでこんなおかしい生き物にのめりこんだんだ? いや、この子も母親を目の前で殺されて心を破壊されたという。そのショックが思考をおかしくさせているのかもしれない)


 私もなるべく好意的に考えようと努力した。

 しかし王子エインレイドの休日を映像に収めることで給料カットを逃れようとしている皆は、あちこちから隠し撮りしている。

 マーケットで私を毛皮の上に座らせてとんでもないことを言い出した破廉恥娘を止める為、ついに私は手を縛り、口をぐるぐる巻きにした上でセーターをかぶせ、抱っこして連れ帰ることにした。

 ウェスギニー子爵家は、娘の恥ずかしい言動映像がこれ以上皆の目に触れずにすむようにしてあげた私に対し、涙を流して感謝すべきだ。




― ◇ – ★ – ◇ ―




 ミディタル大公家のヴェラストール別邸に戻ったら、人数がかなり増えていた。

 アレナフィルを寝室に運んだ大公妃によると、アレナフィルは装身具に見せかけた様々な道具を身につけていたらしく、それがないと守れないと呟いていたとか。


「ちょっと派手だったけど、あの子なりに頑張ってみたのね」


 ちょっとだろうか。大公妃も夫が夫なので、死傷者が出ていなければもう大したことではないと思うようになっているのかもしれない。

 問題は調理人ばかりか、メイドまで補充されていたことだ。家令やメイド長までやってきている。

 

「たかが二泊三日にここまで人を増やしたとは」

「自分達でやりたいってことだったから最低限でいいかと思ったんだけど、ガルディアスが寄越したのよ。アレルってばおしゃれもご飯も大好きなんですって」

「甘やかしすぎじゃないでしょうか。そりゃ可愛いですが、あのお口と根性は全く可愛くないですよ」

「それとは関係なく、坊ちゃん客が来たのよ。王子の護衛なら自信あるんですって。女の子のエスコートも完璧だそうよ」

「ああ、坊ちゃん客ですか。つまり見張りの為にも人数を増やしたと」

「恐らくそれが本当の理由ね。ガルディアスはそういうのを嫌がるから」


 坊ちゃん客というのは、ミディタル大公家へ腰掛けで働く貴族令息達のことである。恐らく私も過去にはそう呼ばれていた筈だ。

 どうやらこのヴェラストール行きを知って追いかけてきたらしい。

 だが、彼らと私の間には明確な違いがあった。ゆえに大公妃の前から下がると、私はゲルロイゼを探した。


「良かった、探してたんだ」


 ゲルロイゼは私を見るなり、ほっとした顔になった。私も頷く。

 ミディタル大公の一人息子でもあるガルディアスは大公家で暮らしているわけではない。だからそこまでは知らないのだ。

 私達もそこまでミディタル大公一家に報告していなかったこともある。なんでもかんでもお伺いを立てずとも、現場で処理してきた。


「ああ。女の護衛を外せ。入れ替えさせるんだ」

「問題はそうなると人数が減ることだ。エインレイド様のことを思えばさすがにまずい」

「今夜の分は私がフォローする。今日の夜さえ乗りきればいい。明日の朝までに男を来させろ」


 一般人にも化けられる護衛となると、平民がほとんどだ。身分上、逆らいにくい相手はどうしても存在する。だから私は夜間も入ると伝えた。


「多分、それを見越して動いてきたと思うが」


 その推察は正しいが、あいつらの言い分よりも大きな言い分があればあちらも動く。


「王子の護衛は女狩りする為にあるわけじゃない。陛下への報告の為、複数の映像を撮り続けていることを伝えて脅しておけ。それがガルディアス様にも届けられることもな。男を来させるんだ。女は全員下げろ」

「分かった」


 ゲルロイゼが慌てて追加護衛の要請で駆けだした後は、護衛業務についていた女達を集め、明日の下見と称して即座に離れて今夜はホテルに泊まるよう指示した。


「申し訳ございません」

「ありがとうございます」

「荷物は後でまとめて届けさせる。今は姿を見られる前に離脱しろ」

「はい」


 大公夫妻やガルディアス、そしてエインレイドの前では好青年であろうと、身分が低い女達は自分の好きに扱ってもいいと考える手合いは一定数存在する。

 恐らくメイド長や家令まで寄越したのは、アレナフィルがどこかに連れこまれないようにというガルディアスの思惑があったからだろうが、私達は護衛業務に就く女達の身をまず案じた。

 何故なら誰もが成人した女性だからだ。アレナフィルは可愛いが、ただのツルペタで、あと数年はお呼びではない。

 そうして彼女達を追い出すようにしてしまえば、次はあの小娘だ。

 ウェスギニー子爵家令嬢アレナフィル。

 彼らにとっては自分達より身分低い貴族令嬢。責任取って恋人にしてやり、適当なところで捨てればいいだろうといったぐらいの認識しか彼等には無い筈だ。


(あの子の特別許可使ってもらって、あいつら一掃できないかな)


 そんな誘惑も生まれたが、さすがに実行はやばかった。

 厄介なことだと思いながら、ここで与えられた部屋に向かっていたら早速出会う。

 私はにこやかに話しかけた。


「なんだ、来たのか。離れて見守るような子守り護衛なんてつまらないって言うかと思ったぞ」

「そりゃまあね。だけど聞いたらあのウェスギニーの娘がいるって話じゃないか」

「そうそう。どうだった? ガルディアス様とお宅の弟がご執心なんだろ」


 フォリエルが早速アレナフィル目当てのようなことを言えば、ミトファンがにやにやと笑う。

 ドリンゴーラスも馬鹿にした様子を隠さなかった。


「双子の兄とそっくりなんだろ。オトコ女って奴か」

「はは、まだ子供さ。双子の兄も妹も子供らしくて可愛いタイプだ。はっきり言ってお宅らには物足りないだろ。見たいだけなら残念だったなとしか言えないね。舞踏会には早すぎる」


 言外にまだ子供で色恋沙汰には程遠く、興味を持つ価値などないと言ってのければ、余計に気持ち悪い笑みで近づいてくる。


「そうだが、何でも外国人と婚約したらしいじゃないか。あのガルディアス様がフラれたんだぜ。だが、まだ婚約だ。しかも婚約者は外国にいる。ちょっと惚れさせてみてもいいだろ?」

「おいおい。相手はまだ子供だ。惚れさせるも何も、理想の男はパパだとか言ってる子だぞ。しかもホットミルク飲んでお昼寝してる赤ちゃん相手にどんな恋愛ゲームができるのか、是非詳しく教えてくれ」


 フォリエルを殴りつけたいのは山々だったが、そんな流れなどあり得ないのも事実だ。フォリエルは自分が女にもてていると信じている。しかしガルディアスと比べたら月と(すっぽん)、天に舞う雪と地を這う埃。

 100人中99人の女が、フォリエルよりガルディアスの方がいい男だと言うだろう。違うと言う1人はフォリエルの母親だけだ。


(こいつらに、大人の女との恋愛もできないのかと、実は馬鹿にしている裏の意味は通じるのだろうか。通じてないな。通じないからコレなんだよな)


 貴族社会で侮られやすいウェスギニー子爵だが、アンジェラディータをたまに訪ねている私は彼を侮る気などなかった。

 妻を殺した女のいる村の安全を守る為、療養と称して男達を送りこむ男。それでいて何の要求もしない。

 一度も来たことがないそうだが忘れているだけではないかというのが、部下達の意見だった。

 あれで結構いい加減なところもあるらしい。

 それでも自分の娘にあんな許可を手配していた男だ。その娘が傷つけられることがあったならどれ程に怒り狂うことか。


「分かってないな、ローゼンゴット。勿論、手は出さないさ。平民の血が流れているとかいう欠陥品じゃないか。だが、惚れさせて捨てる分には構わないだろ」


 微妙に姑息なミトファンだったが、まだ少年のエインレイドの方がよほどいい男だ。少なくとも身近な子爵家令嬢を守る気概がある。


「そうさ。それにまだ子供ならこれから育つってことだろ。数年後、ちょっと食わせてもらってから後始末はその外国人の婚約者にくれてやればいい」

「父親と同じく、取り入ることしかできない娘だろ。少年グループに一人だけ入りこんだんだ。一目瞭然じゃないか」


 数年後とか言っているが、口先だけだろう。私はフォリエルを信じる気などない。そしてミトファン、なんでそう前のめりなんだよ。


「そりゃ魅力的なゲームかもしれんが、惚れさせるも何も、離れて護衛だぞ? しかも五人で仲良く遊んでるのに、まさかあれに混ざるのか? それこそいつもはゲームに興じながらワイン傾けてるお宅らが、子供達に混じってホットチョコレート飲むのか? 私でさえ今日は、

『このレンタル衣装はもう片付けていいですか?』

『フォトを撮るんですね。では順番に撮らせていただきます』

『このお買い物、荷物は持たせていただきますね』

で、子供達の使用人状態だった。エインレイド様はともかく、それ以外はお宅らにとっては雑魚(ザコ)だろうに耐えられるのか?」


 侯爵家、伯爵家、子爵家でも貴族の両親を持つ彼らにとって、アレナフィルは子爵家に生まれた愛人の子みたいな感覚だろう。

 

「大丈夫さ。ダヴィデアーレは友人の弟だ。無茶は言わないよ、あの子は昔から大人しい子だった」


 ミトファンがダヴィデアーレと顔見知りとは知らなかった。あの一行で一番貴族令息として模範的な子だ。そりゃあの少年は無茶など言わないだろうが、一番の無茶を言う少女がメンバーにいる。


「大公妃様にもお願いするのさ。わざわざ我が国の貴族令嬢を外国に出すなんて可哀想だとね。それぐらいならば結婚相手として俺達は決して悪い条件じゃない」


 ドリンゴーラスの言うことは確かに間違っていなかった。この三人、血筋は悪くない。人前では好青年だし、物腰も丁寧だ。

 私達は子供の頃から顔なじみだからこんなものだが、人前では紳士的だったりする。

 大体、幼年学校、上等学校と同じところに通っている以上、顔見知りじゃない貴族子女の方がいないだろう。


「そうさ。もしかしたらガルディアス様やお宅の弟が好みじゃなかっただけかもしれないしな」

「まあ、私も人数が増えるのは助かるが。ただし、今回、エインレイド様の初めての友達との旅行って奴だ。だから私にしても他の人間にしても録画装置を持たされている。また、離れた所からもそれぞれの様子を録画している。口説くならちょっとした誉め言葉に留めておいた方がいい。夜間はエインレイド様に接触した事実がないことを証明する為、廊下も録画装置で記録されている」


 こいつらが来たところで全然助けにはならないが、来てしまったものは仕方がない。大事なことを私は言い聞かせることにした。

 さすがに三人がげっという顔になる。


「何だよ、それ」

「当たり前だろう。将来のエインレイド様ご落胤問題を防ぐ為なら子供であろうがその対象者だ。何の為に大公妃殿下が予定をキャンセルしてこちらに来ていると思っている。同じ寝室を使うことでウェスギニー家令嬢とエインレイド様の間に間違いがなかったことを証明する為さ。今回の移動中も複数の録画装置が動いていた。それを提出して複数名のサイン入りで王子に間違いがなかったことを証明するんだ。既に昨夜から日中にかけてのそれは提出済みだ。ああ、安心しろ。今の会話は録画していない」

「げ。持ってるのかよ」


 嫌そうな顔になるフォリエルは、決定的な証拠を撮られたくないのだろう。証拠がなければどうにでも言い逃れできるが、証拠を握られたうえでガルディアスを怒らせたなら貴族生命が断たれる。

 本来は大公妃を怒らせることこそ恐れるべきなのだが、こいつらにその頭は無かった。


「ああ。この後も使うからな。だから恋愛ゲームを仕掛けるのは構わんが、今回は顔を覚えさせる程度に留めて、改めてどこかで偶然の出会いを仕組むことを勧める。エインレイド様が関与する時にやるのはお宅らの身の破滅だ」

「・・・チッ。嘘じゃないよな?」

「見るか? ウェストポーチに仕込んであるのさ」


 疑い深いドリンゴーラスにニヤリと笑い、その場でウェストポーチを開けて見せれば誰もが納得した顔になる。

 

「凄いな。これ、どれくらい録画できるんだ?」

「半日だな。そして護衛は全員持たされている。私は提出したばかりだからまだオンにしていなかったが、護衛任務の時は気をつけてくれ。まずい言動をされても隠せないんだ。こちらで加工はできん。本来はここまで話さないんだぞ」

「ああ、分かったよ」


 仮眠を取ることにしながら、これであいつらが諦めてくれればいいと思わずにはいられなかった。

 同じ貴族社会で生きる者同士、下手にトラブルは起こしたくない。

 



― ◇ – ★ – ◇ ―




 夜の動物園は、何故か一人だけ可愛い恰好をした子爵家令嬢がいた。

 大公妃に頼みこんで動物園の護衛を勝ち取ったらしい三人は、

「あ。なんか可愛いんじゃないか?」

みたいな顔になっている。

 着せてもらった洋服をくるくる回りながら少年達に見せている様子は微笑ましかった。


(まあな。見た目は愛らしい子なんだ。見た目だけは)


 問題はぐるぐる巻きにされた恨みを忘れていなかったのか、夜間の護衛、私が外れてもいいんじゃないかと言い出してきたことだ。

 誰がお前みたいなクソ生意気な小娘を守る為についてきてやったと思っているのか。


「アレルちゃん。ちょっと相互理解の為にも後でお時間取ろうか」


 一度きっちり身の程というものを教え込んでやらねばなるまい。

 物陰できっちり話をつけてやろうと思ったら身の危険を感じたか、小娘はとんでもないことを言い出した。


「生憎と私、これでも未婚の未成年令嬢なのです。男の人と二人きりになろうって言われたら、そいつの急所を全力で蹴り上げ、悲鳴をあげて周囲の人に助けを求め、その男を社会的にも抹殺するようにと、娘を案じる父からも涙ながらに言い聞かせられております」


 急所を全力で蹴り上げた挙句、社会的に抹殺って何なんだ。しかも二人きりになろうと声をかけられた時点でそれは発動するのか。

 私は護衛として加わった三人をちらりと見た。

 三人共なんだか内股になっているのは、二人きりになろうと誘うつもりがあったからか。


(青年男性と、外見だけは愛らしい少女。誰が見ても加害者は男の方だな)


 とんでもない主張だったが、クラブメンバーは全く驚く様子がなかった。昼間のそれで察していたが、こういった主張にも慣れているのだろう。


「というわけで、代わりにレイドを貸してあげます。そして怒ったガルディアス様から鉄拳制裁を受ければいいのです」

「アレル、僕を勝手に貸し出さない。それに僕をネトシル殿の前に出してもせいぜい『あまり夜更かしせずに寝るんですよ』の注意ぐらいだよ。彼、いつだって真面目な人なんだから。それにアレルがネトシル殿をおちょくらなければ、優しくていい人だよ」

「子供のちょっとしたコメントぐらいでキレる大人という、昨今の寛容不足のテーマを話し合うべきです、レイド」


 王子は人を見る目がある。そして自分の無礼を顧みることもなく、大人の寛容不足で話を片づけた小娘が図々しすぎた。

 うちの弟はどうしてアンジェラディータからこっちに転んでしまったのだろう。

 

(アンジェ姉上の恨みを晴らす為ってのはないな。少し話せば分かる。この小娘、黙っていびられるタイプじゃないだろ。ネトシル侯爵家の名前に目がくらんだにせよ、この性格を隠せるとは思えん。何より一番目がくらみそうな王子の前でこの恥ずかしい性癖を隠してないんじゃどうしようもない)


 それでも相手は成人した男だ。何かあっては遅い。

そしてこの生意気な性格であいつらを刺激してもまずいのだ。

 だから私は動物園に入り、歩き出そうとしたアレナフィルの両肩に両手を置き、しゃがみこんで視線を合わせてから言い聞かせた。


「いいですか、アレルちゃん。何かする前に声をかける、いいですね?」


 あいつらには常時、映像が撮られていると伝えてある。だから何もしないとは思うが、物事にアクシデントはつきものだ。

 そんな私の思いやりに対し、子爵家の娘はまたもや王子を利用した。


「聞いてくださいレイド、これを人は被害妄想と呼ぶのです」


 何かあれば王子に言いつければ解決すると思ってやがる子爵家息女。

 なんでこんな奴にあの父親は特別許可証なんぞを手配したのか。しかもそれを知ったミディタル大公家も沈黙している。

 いや、面白がっている。

大公妃は、私達護衛が王子一行の映像を編集して国王に提出するという計画に理解を示し、許可を出した。

 編集していないものはそのままミディタル大公へ提出するようにと言われている。

 私には分かっていた。大公妃はこの常識を破っていく小娘が気に入ったのだと。


(たしかにこれは・・・。ガルディアス様もグラスフォリオンも、この非常識っぷりにやられたのか)


 夜の動物園で寝ているペンギンに驚いている様子は可愛かったし、見ていて飽きない。

 だが、その行動が読めなさ過ぎた。そして少女は我慢という言葉を知らなかった。注目を恐れないふてぶてしさもある。


「あ、クマだっ! レイド、ディーノ、今日食べたクマがいるよっ!」


 可愛い少女の声でそんな言葉が響き渡った時、皆が一斉にクマの檻へと走っていく姿を見つめた。上着がぼんやりと黄緑色に光っていたから余計に目立っていた。

 たしかに私達は昼間にクマ料理を食べた。だが、こういう夜の動物園に来ている人は観光客がほとんどで、そういった野生の鳥獣料理などまず食べたことがない人ばかりだ。

 エインレイドとベリザディーノが追いかけていったが、それは可愛くて放っておけないのではなく、何をやらかすか分からないから追いかけていったのだと、今の私には分かる。

 夜行列車に乗る前のアレナフィルに対するイメージは既にぶち壊されていた。全然可哀想じゃない。不憫でもない。お仕置きがわりに外国で苦労してこいって奴だ。


(まさか子爵家令嬢に四人が夢中なのは、あまりの可愛さに恋心を抱いているってわけじゃなく、ただの悪ガキを放っておけない男同士の友情みたいなものだとは)


 周囲の、「クマなんて食べるってどんなんだよ」「原始人か」みたいな声に、残ったダヴィデアーレとマルコリリオはサルを見て他人のフリをしようとした。

 それがアレナフィルを怒らせたらしい。


「ダヴィーッ、リオーッ! 今日二人が美味しいねってぱくぱく食べてたクマがいるよぉーっ! サル見てるより、クマの方が好きだよねーっ!!」


 手を振って二人に叫ぶ少女。

 

(ああ、こいつ大丈夫だ。この三人じゃ太刀打ちできないだろ。惚れさせて尽くさせて捨ててやるだなんて以前に、どうやって捨てるところまで持ってくんだよ。黙って尽くすタイプじゃないだろ。それ以前にこんな奴、どうやって惚れさせるってんだ)


 まだ少年のクラブメンバーと違い、成人した貴族令息が護衛として側にいたなら、いくら子供でも少しは頬を赤らめて見惚れるだろうに、アレナフィルは全くその気配がなかった。アレナフィルが護衛してほしいとリクエストしたのは老婆に扮して同じケーブルキャビンに乗った女護衛だ。

 その理由もお喋りしたらきっと楽しいだろうという理由ときた。


(なんで護衛に人生経験が濃い奴を希望するんだよ。しかもどこからそれを弾き出したよ。その前に目の前にいる貴族の青年に家名を尋ねて、将来の結婚相手になりうるかどうかのチェックをするのが普通だろうが)


 やがて立ち飲み用スタンドでホットティーを買ったアレナフィルがまた奇妙な主張を繰り広げたものだから、エインレイドが肩をすくめた。


「もう僕はどうすればいいのか分からないよ。叔母さん、そもそもアレル、自分のお父さんと叔父さんが世界で一番素敵な兄弟だって思ってる子だし、年上で身分が高ければいいってもんじゃないし」

「そうね」


 どうやら王子は護衛とは名ばかりの彼らに、アレナフィルとのフィーリングを見る為のメンバーだと判断していたらしい。つまりお見合いの前段階というものだ。

 そんな事実はなかったが、良くも悪くも護衛慣れしているエインレイドだからこそ彼らが護衛ではない、ならばどういう存在かと考えたのだろう。

 大公妃も話を合わせて、この中でいいと思う人はいなかったのかと尋ねたが、本人を目の前にしてアレナフィルはとても勝手な少女だった。

 こういう時は嘘でも誉めろ。この非常識娘が。


「身分は凄いなって思いますけど、よそのおうちの身分と財産はよその家のものだし、関係ないですよ? あ、私、これでも婚約中なのでボーイフレンドは特に募集中ではないのです。ついでに私に一番お金を使ってくれる上、おねだりと自由を叶えてくれるのは祖父と叔父だって分かってるので、よそのお坊ちゃまに興味はないのです。お母さんが私の為に出会いを考えてくださったお気持ちはとても嬉しいのですが、この場で一番私を大事にしてくれて手間をかけてくれて魅力的なのはお母さんだから、正直、目に入らなかったです」


 よりによって、まずは自分にかけてくれる金でジャッジすると言い出した子爵家令嬢。

 目に入りもしなかったと言われた三人だが、三人なりに貴族の嫡男だというプライドはあって、地味にショックを受けていた。


(これがただの平民貧乏少女に言われたのなら、ブサイク女子が「わたしぃ、イケメンには興味ないからぁ」と体くねくねトークしているレベルで気にもしなかったんだろうがなぁ。言ってることは間違ってないところがなぁ)


 ウェスギニー子爵家の家格はさほど高くない。だが、裕福だ。ウェスギニー前子爵セブリカミオと子爵代行レミジェスの資本力に三人が勝てる筈もない。

 何故なら嫡男であっても爵位を継承しているわけでもなく、個人資産をまだもらっていない三人は、あくまで爵位のある家の息子にすぎないからだ。

 しかも目の前で、この場で一番のお金持ちは大公妃だから他の奴は論外と言われてしまえば反論もできないだろう。

 同情した。ここまで鼻っ柱を叩かれてしまった彼らに。


(グラスフォリオン。お前、方向性が一気に振りきれ過ぎてないか? なんで正反対に行っちゃってんだ?)


 微笑んで沈黙している三人の心中は怒りのマグマが渦巻いていることだろう。大公妃の手前、そして全てが記録されているということで取り乱さないだけだ。

 どちらかというと、こんな映像を提出されるアレナフィルの名誉が問題かもしれない。

 肝心の外国人婚約者、つまり金持ちなのか?


(ウェスギニー家に同情する。双子の兄の名誉はどこだ)


 国王夫妻は知っているのだろうか。王子のガールフレンドとも言うべきアレナフィルのこの性格を。

 しかもアレナフィルは、猛獣コーナーには待ち伏せしている貴族令息令嬢がいる筈だから行きたくないと駄々を捏ねた。


「そこの護衛のお兄さん達が現役有望株なら、そっちを先行させればいいんだよ。そしたら大抵声をかけてくるよ。その隙に逃げるっ。護衛なんだからきっと囮になってくれるっ」

「あのな、アレル。とても大切なことを教えてやる。このお兄さん達は護衛かもしれないが、成人していてお前より身分も高い。つまりアレルが命じていい相手じゃない。大体なんでそこまで図々しい主張ができるんだ。ついでにあそこで囲まれると決まったわけじゃない。暗いんだし、今までだって何もなかったじゃないか」


 アールバリ伯爵家のベリザディーノの説得に皆がうんうんと頷いたが、アレナフィルは納得しなかった。


「そこまでもてたことのないディーノが言っても説得力無いもんっ」

「はいはい。言ってろ、ビーバー」


 自分のフォローをしてくれる伯爵家の息子を味方攻撃するバカがいたが、肝心のベリザディーノは怒る様子もない。慣れているのか。

 私はアールバリ家の息子はとても忍耐強い性格であることを記憶した。

 いつか成人した彼と会う時には、そのあたりを覚えておこう。貴族社会は信頼できる人脈が大事だ。


「そんなら護衛してるお兄さん達を三人ぐらい先行させてみなよ。暗いところから見てたらいいよ。絶対声かけられるっ。あのねっ、猛獣コーナーってのは、

『怖くて震えてましたの。お願いですから一緒にいてくれません?』

『いえ、実はこちらもそれは・・・』

『・・・そうですわね。恐ろしさに失礼なことを申し上げました。どうぞお行きになって』

で、ぽろりと涙を一粒流せば終わりなんだよっ?

 よくあるパターンに引っ掛かるのが男なのっ。さあ、リオンお兄さんのお兄さんっ、時間外なんだから先行して女の子に囲まれてウハウハしてきてくださいっ」

「どうして私なんですか。この被害妄想娘が」


 どうせお前が気に入っていないのはそこの三人だろうが。そいつら指名しろよ。

 誰がお前みたいなのを守るためについてきてやってると思ってるんだ。


「被害妄想と言うならばやってみればいいじゃないですか。そんなことにならなかったら、明日はおとなしくお口チャックして抱っこされてあげてもいいです」

「・・・全然有り難味がない」


 こんな生意気な少女を抱っこして運ぶことに何の魅力があるのか。ただの荷物の方が黙ってるだけマシだ。


「いいわ。あなた達、アレルが言ってるからまずはちょっと一巡してきてちょうだい。その少し後をあなた達が追いかける形で確認してきて」


 大公妃が命じた以上、それは絶対だ。


「かしこまりました、奥様」

「それでは回ってまいります」


 監視映像が撮られていることを知っている三人は素直に応じる。そしてクソ生意気少女の予言通り、私達はわいわいがやがや、きゃぴきゃぴきゅんきゅん貴族令息令嬢達に囲まれた。


(まさか、本当に見通していたとは)


 私もそうだが、三人もまた爵位のある家の息子だ。

 しかもミディタル大公家に所属していることを知っている者は知っている。


「もしかして大公様がいらしてるんですか? それとも大公妃様が?」

「あの・・・、もしかしてこの連休ですもの。本当はエリー様といらしてるんじゃないですか?」

「ここだけの話、教えてください。ガルディアス様とエリー様がおいでなのでは?」

「ハハ・・・、そんなことありませんよ」

「えー。本当は今からいらっしゃるんじゃありませんの?」


 公爵家の令嬢や侯爵家の令息相手となれば、こちらも振りきって逃げるわけにはいかなかった。怪しんでくださいと言っているようなものだ。

 何より監視映像が撮られているとなると、その対応力も評価されかねない。

 私達は身動き取れない状態に置かれた。


(ということにしておこう。こいつら三人、隔離しておけたらそれでいいだろ。どうせ妃殿下いらっしゃるし、離れて見守ってる奴らもいるし)


 それでもアレナフィルの闇に浮かぶ黄緑色の上着は特徴的だ。

 出発地からじゃないと乗れない筈のトロッコ列車に乗ってガッタンゴットンと去っていきながらニコニコして手を振る少女に、三人の殺意が膨れ上がったことを私は感じずにいられなかった。


(なあ、グラスフォリオン。お前さ、どうして耐えてひっそり泣いてますってタイプから、ああいう男を値踏みして金持ちだけ狙っていくようなタイプに変節しちゃったわけ? あのクソ兄上への反抗心か? あんな兄が継ぐネトシル家の名誉なんぞ、いっそぶち壊しちまえって奴か?)


 まあね。一つだけ認めてやってもいいことはある。あの小生意気で礼儀知らずな子爵家令嬢、それでも毎回王子を守り通してるってことだけは。

 護衛を置き去りにするとんでもない護衛対象者だが、アレナフィルは常に王子を安全圏へと逃し続けてもいたのだ。





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