5 呼び出しをかけられた
父のフェリルドは軍で働いている。そして貴族だ。
知らなかったとはいえ、子爵家の娘が王子に無礼を働いたとなれば、これはまずいと思ったのだろう。
朝から国立サルートス上等学校まで出向き、謝罪したらしい。
(ごめんなさい、パピー。だけど見ただけで王子様だなんて分からないんだし、今度から王子様には王子様プレートをつけるべきだとお願いしたいの)
というわけで、私はその日の授業が終わった途端、教師から呼び出しを受けて、学校長室まで連行された。
そこには学校長ばかりか、男子寮にいる筈の五人の寮監も揃っていた。そして私が変質者扱いした王子もいた。
(そこまで大袈裟なこととは思わなかったぞ。なんて怖いところなんだ、サルートス国。だけど、学校長が中央にいるのはいいとして、寮監五名の一番上席が昨日の寮監。実は五人の中で地位が一番上だったのか)
寮監五人が並んだ横に座っている王子は、何かをその眼差しで語ってくる。
もうドキドキが止まらない。許してくれたんじゃなかったのか、王子様。
男なら自分の言葉に責任を持てや、コラ。
「いや、悪かったね。まさか本当に王子の顔を知らないとは思わなかったそうだよ。君のお父上にはとても悪いことをしてしまった。しかも君がお父上にそれを報告するとは、殿下も全く思っていなかったそうだ。こんなことなら誰か寮監からウェスギニー子爵に説明連絡してもらえばよかったと、殿下も反省しておられた。どうかウェスギニー君ももう気にしないでほしいと、殿下は望まれていらっしゃる」
どうやら父が速攻で謝罪に訪れたものだから、そこまでのことではなかったのだよと説明してくれる為に呼んだらしい。なんだ、よかった。
昨日のことは貴族として駄目な行動だったけど、場所が男子寮、私が女子生徒ということで寮監も報告の必要なしで何も無かったことにしていたらしい。
「え? いえ、私が殿下のお顔を存じあげなかったのが問題だったわけで・・・。本当に申し訳ありません」
誰に謝ればいいのか分からないけれど、一応は学校長に向かって謝っておこう。この中では一番身分が高いのに学生だからだろうか、向かって右に並ぶ六人の中で王子は末席にいるのだ。
だけど私を庇ってくれていたとはいい王子様だ。私が父に言わなければ、本気で何もなかったことにされていたのだろう。なんて素敵な王子様だ。
ここにいるのも、もしかしたら自分の目の届かない所で私がいじめられないかを心配してくれたのかもしれなかった。
「いやいや、君はサルートス幼年学校には行っていないと聞く。ならば殿下方のことを知らなかったのも無理はない。何より殿下は普通の学生として過ごしたいと望まれて入学なさった。殿下もいい経験をしたと思っておられる。実はあの日、殿下はあそこまで生徒達に囲まれることになるとは思っておられず閉口し、寮に戻っておられたそうなのだよ」
「そうでしたか。身分を隠して生徒の間に混ざっておられたかったのですね」
「・・・う、うむ?」
別に王子の状況に全く興味のない私である。だが、それを言ったら問題がありそうなので、頷いてみた。
やっぱり王子様業は大変らしい。
そこでトントンとノックの音がして、女性が入ってきた。
「お茶のご用意ができました」
「ああ。では隣に移動しようか。ウェスギニー君も気楽にしたまえ。これは叱る為でも何でもなく、本当に気にしなくていいという気持ちで呼んだのだよ。皆様もどうぞ」
学校長に促されて隣の部屋に行けば、丸いテーブルに八つの椅子が設置され、お茶とタルトがもう置かれていて、淡い青磁の瞳を持つ学校長が私の顔を覗きこんでくる。
「ウェスギニー君は、こういうお菓子は嫌いじゃないかな?」
「大好きです」
「それはよかった」
いい人だ。私は学校長をいい人認定した。
ただ、学校長。何か手がわきわきしてますよ? これでも色々な人に可愛いねって言われてしまうアレナフィルちゃん、遠慮なく頭を撫でて構いませんよ? なんといっても学校長といえば学校内で一番偉い人。遠慮なく贔屓してくれて構わない。
私は学校長と王子の間に挟まれる座席に案内されたが、そういうことならばと、隣の王子に再度謝れば、あちらからも謝られた。
「本当にすまない。自意識過剰と思われるだろうが、僕の顔を知らない人がいるとは思わなかったんだ」
「いえ、そんなの当たり前です。誰だって3年も学校生活していて、自分の顔を覚えてくれてないなんて思わないですよね。本当に申し訳ありません」
「え? 3年?」
「え? 違うんですか?」
「いや、どうしてここで3年?」
私は悪くないと思う。
だから私は青林檎の黄緑色の髪をした寮監の方を向いた。
「たしかあそこの棟は、2階が1年生で、1年ごとに上の階に上がっていくんですよね? じゃあ、4階にいらっしゃるということは、3年生ですよね?」
2階が1年生、3階が2年生、そしたら4階が3年生。うん、間違いない。
「あのなぁ、2階だと外からすぐ侵入できるだろうが。王子の警護も一晩中、窓の外で立ちっぱなしになる。だから特別に最初からずっと4階なんだよ」
「そうでしたか」
うむうむと、私は頷いてみるが、なんだか大人には聞かない方がいいような気がする。
馬鹿にしてくる気配が濃厚すぎた。知らない人を知らないって馬鹿にする方が馬鹿なんだ。
誰かそれをそこの態度のでかい寮監達に言ってやってくれ。
「すみません、殿下。それでしたら殿下は1年生ですか、2年生ですか」
「数日前に入学したかな」
「同い年だったんですね。背が高いから上級生だと思いこんでいました。すみません」
「え。いや、・・・うん」
照れる王子様は可愛かった。
いいなぁ、高い身長。アレンルードと私も平均程度には伸びているけど、やはりもう少し背が欲しい。いずれドレスを着こなす為にも、長い足と高い背を私は必要としている。
だが、隣からはなんだかとても呆れたような視線が向けられているような気がしてならなかった。
「入学式で君は何をしていたのかな、ウェスギニー君? 殿下は新入生の代表を務めておられたのだが」
「え? ・・・いえ、あの、その、実は兄が入寮するものだから、・・・実は前夜、寂しいからと別れを惜しんでいたら、かなり夜更かしをしてしまいまして。その、双子なのでいつも一緒だったから、不安で・・・。だから入学式の間もぼうっとして、頭が働かなくて・・・。すみません。言われてみれば、たしかに新入生代表で堂々としたお姿を拝見しておりました」
嘘です。入学式なんて、挨拶ばかりですよね。起立が必要になるのは最初と最後だけなので、普通に居眠りこいてました。
そんなことを言うに言えず、私は神妙な表情を作ってじっと俯いた。
すると柔らかな水色の髪をした寮監の一人が話しかけてくる。
「意外だなぁ。自分が学校に通っていた時は、数才違いで王女様がいらしたからさ。もう大人気だった。それにほら、君の横にいる王子ってば見た目も悪くないと思うんだけど、今の子はそんなドライな感じなんだ?」
「殿下と同じ部なら騒ぐ生徒もいたかもしれませんけど、一般の部は校舎も違いますし・・・。騒ぐには恐れ多いと思ったのではないでしょうか」
いや、思い返せば、なんか誰かがいるとかいないとか騒いでいた人達がいたかもしれない。
だけどしょうがないだろう。
私は青い果実を物色するような変態ではなかった。それだけだ。
二十代後半の女が十代前半の少年を本気で落とそうと狙うなんざ犯罪だよ。かつて年の離れた弟がいて、その弟を親切そうな男女や大人の魅力で籠絡しようとする女がいたことに本気で怒りを覚えていた私だからこそ、未成年への性的搾取を容認する気はない。
「ふぅん。それでさ、こうして間近で見てみてどう? うちの王子様、けっこう女の子に人気出そうじゃない? この際、ガールフレンドに立候補してみない?」
言われてみれば、隣に座る王子は素直そうだ。
だけどベビーブルー頭よ、君は大切なことが分かっていない。
永遠の二十代としての誇りにかけて、私は未成年者に手出しはしないのだ。
「先生。それは大人として考えなしなセリフですよ」
「え? そう?」
何が「え、そう」だよ。まさか可愛い女子生徒を見繕ってんじゃなかろうな。
これだから女子生徒とかいうパターンに鼻の下伸ばす奴ってのは。
「そうです。よく言うでしょう、一生の親友は十代で作れと。国内の優秀な生徒が集まるサルートス上等学校。そして人は朱に交われば赤くなるもの。
つまり自堕落な友人に囲まれていれば自堕落になり、努力を貴ぶ人間に囲まれていれば努力するようになるものなのです。
私はあくまで広く浅くといった一般の部の生徒です。殿下にとっては、授業数も少なく、楽な日々を送っているとしか思えないでしょう。そんな生徒を間近に見てしまったら、自分の努力が馬鹿らしく思えるだけです。
ですが、他の部は国内でも優秀な生徒が既に進路を決め、邁進すべく集っているのです。年長者としてそういったことも考えて殿下を導いて差し上げるべきです。寮監とは、寮におけるみんなのお兄ちゃんじゃありませんか」
私は、軍から出向しているという脳みそ筋肉な寮監にきっちりと言い聞かせた。
他の寮監達も耳をよーく広げて聞き入るがいい。何でも与えてあげて、全ての問題を大人が解決してあげて、ちやほや甘やかすだけならただの虐待だ。そんな育てられ方をした子供は何もできない大人になるだけ。
やはり国民の一人として、王族が馬鹿なのは困る。友人にも優秀な人間を揃えて、国を豊かにしてほしい。
「言うことがいちいちババくさいが、一理ある」
青林檎の黄緑色の髪にワインレッドの瞳をした寮監が、とても失礼なことを呟く。
13才の私より10は年上であろうおっさんに、ババア呼ばわりされる覚えはない。
そもそもこいつが変なことを言い出さなかったら、私は今こんな目にあっていないのではないか。
「だがな、そこの王子はあまりにもみんなに押しかけられて握手をせがまれ、席から立ち上がればみんなに囲まれ、もうびびっちまったのさ。友達を作る前に、友達になりたい奴の近くにも行けねえ有り様だ。これも何かの縁だ。せめて話し相手の一人になってくれねえか?」
なんでそんな危険地帯に入りこまねばならんのだ。そういうのはもっと高い身分の生徒に促すことである。
ただでさえ他の部からは見下されている一般の部というのに、王族でもなければ公爵家でもなく、更には侯爵家でもないばかりか伯爵家でもない子爵家の娘に無茶をかまさないでほしい。
全女子生徒からいじめられたらどうしてくれる。
私はそよ風にも折れそうな、まさに楚々とした風情で現実を伝えてあげた。
「この場だけでしたら。殿下のお話し相手など、私には力不足もいいところです」
いい男を巡る女同士の嫌がらせときたら、もうどうしようもないレベルで陰険だ。私はそんなものに巻き込まれたくない。
「この場だけって・・・、まあ、いい。いや、こっちも色々とお近づき希望の奴が多すぎて、困ってたんだ。対処法を考える間、肝心の王子をどこに置いておくかって話なのさ。ちょっとここで子供同士、お茶飲んでお喋りでもしといてくれ。ああ、不純異性交遊は許さん。ドアは開けておくぞ。・・・学校長、すみませんがこちらへ」
「はあ。・・・遅くなったら帰りは送っていくから大丈夫ですよ、ウェスギニー君」
たとえドアを開けっぱなしにされても、大切な王子様を女子生徒と二人きりにされるのはどうかと思うのだが、それは私だけなのか。
さりげなく女性が入室してきて、私達二人に新しいお茶と薄い焼き菓子を置いていった。
「友達も作れないなんて大変だったんですね、殿下」
「そうだね。友達ってどうすれば作れるんだろう」
「・・・えーっと」
それは私も聞きたい。私の友達の作り方は、まさにできる女のやり方なのだ。
ここで、酒と食事が美味しくて気のいい料理人がやってる小さな店のカウンターで食事を注文しながら同じく一人客とその場限りの友情を築くのだと言ったらどうなるだろう。
まさに身の破滅だ。言うまでもなく子供が一人で飲食しているのはワケありとされる。
出会いがあまりにも強烈すぎると、気が抜けてしまうのだろうか。王子はけっこうフレンドリーに話しかけてきた。
先生達も少年時代の悩みはもう遠すぎて理解できず、都合がいいとばかりに私を捕獲したのかもしれない。
「君はどうやって友達を作ったの? 一般の部ってどんな感じ?」
「そうですね。一般の部は男女比もクラス毎に違っていい加減なものですが、収納鍵箱は所属クラスにあり、お昼は所属クラスで食べます。聞いた話だと他の部はロッカールームが更衣室も兼ねているそうですが、一般の部は更衣室に荷物を持っていくんです。後は授業数やその内容が大きな違いでしょうか。ただ、友達はですね・・・。私もあまり殿下のことは言えないんです」
「どうして?」
ああ、純粋な疑問を浮かべているローズピンクの瞳が眩しい。
これがかつての弟の「どうして?」なら、その裏の意味は「僕に言えない、隠していることがあるからなの?」となるのに。
世間の純粋培養な少年ならそのままの意味で、その健全さがあまりにも薄汚れた世間に染まった私の目には眩しかった。
「いや、それが・・・殿下は秘密って守れますか?」
「努力する」
「約束ですよ。死ぬ気で努力してください。守れなかったら三日絶食する気合いで」
「どこまでハードル上げるんだっ」
「努力という言葉には責任が伴うのです。責任を持たない努力など、ただの言い逃れです」
「う。・・・分かった」
これでも私はファレンディア国民だった女。「努力します」と言って、「努力したけど駄目だったんだよねー」な、軽薄フラフラ人間には飽き飽きしているのだ。どうしてそんな口先だけの言い逃れを許せるだろう。
だが、私とて鬼ではない。
友達も作れないで授業をさぼり、寮に帰ってうじうじしていたという王子を勇気づけてあげようと、自分のことを話してみせるぐらいの優しさはある。
だけど王子は兄と同じ寮生。兄に知られて馬鹿にされたくないので、口止めはしておくのだ。
友達作りは双子の兄の方が上手なのである。
「実は私も入学して友達を作ろうと思ったんです。だけど友達を作る為には、何か気の合うネタで話しかけ、きっかけを作るしかありません。そこで、問題が一つありました。私はとても心が大人びていたのです」
「えーっと、あの少女の皮をかぶったババアとか言われてた奴?」
「あの寮監先生は心が子供なんでしょう。赤ん坊や幼児から見れば、殿下だっておじさんです。つまり寮監先生の内面は赤ちゃんレベルだったのです」
何故だろう。扉の向こうでガタンッという音がした。
だが、後悔はない。ざまあみやがれと、私は内心で雄叫びをあげた。
そもそもあの寮監が、王子がどうこうという話のネタをあそこで持ち出さなければ、私はこんな目にあわなかったのだ。父にだって呆れられたりしなかったのだ。
チャンスを逃さずに反撃する、これは生きる為の基本だ。
「そうかもしれない。たしかに姉上の子供におじさん呼ばわりされた」
それはおじさんで合っていると思うのだが、それを言い出したら話が進まない。
「気にしちゃいけません、殿下。世間一般の大人から見れば、殿下は夢と希望に満ち溢れた活きのいい美少年です。変なおじさんやおばさんにはついていかないようにしてくださいね。特に目がはぁはぁしている人からは全速力で逃げてください」
「うん、・・・ありがとう?」
王子の戸惑ったような表情が素直で可愛かった。
うちの双子の兄と違って憎まれ口を叩かない上、見た目がほわほわな色合いなのである。淡紫の花色の髪に、ローズピンクの瞳。
これもまた兄と違った癒し系と言えるだろう。顔立ちはどう見ても男の子なので、色合いだけだけど。
「どういたしまして。そういうわけで、友達を作ろうにも同じ趣味の持ち合わせなどなかった私は、周囲を見渡しました。するとやはりおとなしくてお友達作りができていない女子生徒がいました。というわけで、私は決めたのです。彼女達と友達になればいい。お互いにメリット相互関係は築けると」
「そ、そうなんだ」
私は重々しく頷いた。
これで王子も学ぶだろう。私のやり方はきっと王子の役に立つ筈だ。
「だから私は彼女達に近づいて言いました。『あなたとあなたとあなた、私と友達になって』と。彼女達は頷きました。そうして私はお昼ご飯を一緒に食べるお友達を手に入れたのです」
「・・・なんだかそれ、友達を作ったというよりも命令した、いや、捕まえたように聞こえるのだが」
どうやら戸惑っているようだが、どんな人間関係も始まりなんてすぐに忘れる。大切なのはいい関係を維持するシステムを構築してしまうことだ。
ゆえに私は始まりなんて気にしない。
「お互いに対等な関係ですよ? 私、何の権力も持ちませんから」
「まあ、いいか。それで一緒にお昼を食べるようになって、仲良く過ごせているんだ?」
「いいえ。それが三日目にして文句を言われたのです」
思い出すと切ない友情のメロディーだ。
「なんて文句を言われたんだ?」
「たしか、いい加減に自分の名を名乗れってことと、友達になったならせめて自分達の名前を聞けということだったと思います」
いきなり怒ったりせず、気になるなら自分から聞けばよかったのに。
言わなくても分かってもらえると思うべきではない。いつか私はそれをあの三人に教え込もうと決意している。
「僕もあまり友達作りが得意なわけじゃないけど、君ほどではないかもってちょっと自信を持てたよ。それでどうしたの?」
「要求に応え、名乗りました。そうして彼女達は私の愛称を決めたのです」
「それ、初日にすることじゃないの?」
「殿下も大人になれば理解します。数日なんて一瞬のこと、タイムラグなどないのだと。いつか切ない気分で分かる日がくるでしょう」
「・・・うん? まあ、いいか」
そう、今はまだ十代の王子には分からないだろう。人は、年を重ねていけば重ねていくほど、時の流れを短く感じてしまう魔法にかかっていくことを。
そして私はどんな友情も時には変化していくことがあると知っていたが為に、せいぜい名前と連絡先程度に留めていた。その場限りの友情を続けることで、いつか本物になると信じていたかった。
だけど王子様にはまた違う友情があるだろう。友達の作り方は一つだけではない。
「だからですね、殿下もまとわりついてくる生徒が煩わしいなら、自分から目をつけた生徒に、友達になれって言えばいいと思います。権力と言うのは悪く使えば悪く作用しますが、良く使えば良く作用するのです。目をつけた優秀そうな人間を青田買いしていけばいいんです。入学したばかりなら誰もそこまで友人はできていません。そこが狙い目。一気に好都合な優位性をとれば、後が楽です。いい人材は宝です」
それを言いたかったのだ。
あちらからの訪問押し売りが嫌なら、自分の好みのものを店まで買いに行けばいい。
世間の人はそうやって生きている。良いものを安く買う。それは大事なことだ。
(優秀な人材に少年時代から目をつけ、その友情で国を発展させようという礎の一つになってもらう。うん、完璧だ)
かつての私とよく似た、少し赤みがかったピンクの瞳。いつも鏡で見ていた色合いが私を見つめてくる。
それは私の言葉に感動して熱く潤んで・・・・・・は、いないな。なんだか責めているような眼差しに見える。
いや、気のせいだろう。私の言葉は社会における普遍の真理だ。
世間知らずな王子だからこそ、こういった下々の声に耳を傾けて優秀な人材となり、国を導いて便利な国にしてもらいたい。
だけど何かを咎めてくるような視線が気まずいから、お茶でも飲むことにしよう。
(人が淹れてくれたお茶はいい。マーシャママ、私が立派なお嫁さんになるようにって、お客様へのお茶の出し方練習させてくるからなぁ。ほっとけば飲むと思うんだけど。あ、だけどお祖父ちゃまに淹れるとお小遣いくれるんだった。それに私、これでもハーブティーとか詳しいのに。だけどさ、子供がいきなりそんなのし始めても不自然。あ、そうだ。学校で友達に教わったって言えばいいのか)
さすがに幼年学校では難しかったが、上等学校ならそういうことに詳しい友達ができたと言えば不自然ではないかもしれない。
素晴らしいな、架空のお友達。
「自分から友達になれって言えばいいって言うけど、僕、今さっき断られなかった?」
「お友達作りより大切なことは、小さく弱い生き物を慈しむ心です、殿下」
「・・・小さく弱い生き物? えっと、どこに?」
「あなたの隣に座っているじゃありませんか」
「え?」
隣でお茶を飲んでいる王子は微妙な顔になって、薄い焼き菓子をぱりぱりと食べだした。私も食べてみたが、なかなか美味しい。マーサに持って帰ってあげたい。
そういえば私、本当はお菓子作りも得意なんだった。こっそり作ってあげようかな。だけどあまり美味しく作れてしまうと問題だ。
ファレンディアで、料理できない女を演じていたのは理由がある。そして今、私がマーサの負担を減らしつつ甘えていることにも。
私達はすぐに食べ終えてしまった。時間がもたないからもう少し沢山お菓子を持ってきてくれてればよかったのに。
「ねえ、何考えてるの?」
「母の味というものを考えてました」
「・・・あ。・・・ごめん」
何故か謝られた。どうしてだ?
そういえば私には母がいないんだった。
王子はそれをもう知っているのか。場合によっては母が殺されたことも知っているのかもしれない。
父もどうして私が王子の顔も知らないのかという話になれば、説明するしかなかっただろう。
目の前で母を殺されたショックで言葉を忘れ、記憶も失い、日常生活を送れるようになっても、学校にしか行かせず、ほとんど家の中で育てていたのだと。だから普通の人が知っていることも知らないのだと。
双子の兄であるアレンルードはウェスギニー子爵邸にも出かけ、何かと裕福な家の子供達とも交流していたけれど、私は祖父母や叔父しかいない時しかほとんど行かなかった。
好奇の目が煩わしかったこともある。
(もしかしてこれは不憫で可哀想な女子生徒に優しくするという、情操教育だったか? 病院とかに慰問に行くのと似たような話で。・・・ならば私が罰せられることは確実になくなった。よし)
すみません。三食昼寝付きな子供生活サイコーとか思って、勝手に1階にある応接用の書斎をあさっては色々な本を読み耽っていました。バーレンの家も私の別荘、バーレンの本は私の図書室だと思ってました。
その不自然さは、
「あのね、フィル・・・。お外、怖いの。おうち、安全」
で、乗りきってましたよ。いくらでも賛美してください。
マーサは家事で忙しかったから、その目を盗むことは簡単だった。下働きをしてくれる人達にもあどけなさを装って目を光らせていましたとも。
私達の顔は庇護欲をそそる。頼りなさは、たどたどしい言葉遣いで倍増だ。父とマーサは、私のおねだりに弱かった。
とはいえ、王子に気を遣わせてはいけないだろう。そしてか弱さアピールも大事だ。
ここはおどおどと、そして悲しげに語らなくては。
「あ。いえ、あの、・・・実は私には親代わりで育ててくれた人がいるのですが、何かと実の母がいないことを謝るんです。私は十分に愛情を注いでもらい、第二の父と母だと思っているのですが、実の母が作ってくれたようなお菓子を作ってあげられないことが辛いらしくて・・・。母が作ってくれたお菓子を私は覚えていません。今、お菓子を食べながら、それを考えてしまったんです」
嘘です。どうやって不自然じゃなく自分でお茶や菓子を作れるようになるかを考えていました。
子供の私なら甘いお菓子もいいが、マーサの年齢を考えると糖分過多は望ましくない。
だが、子供がヘルシー食をやり始めるのは不自然すぎるだろう。以前は友達の知り合いが煎じ茶を販売する会社に勤めていたので、ハーブの種と一緒にその茶も割安で売ってもらっていたのだ。
隣のお姉さんのお宅にお邪魔してはご飯をご馳走になりつつ、飲みやすいお茶や甘いけど砂糖が入っていないお菓子とかを渡していたのは、・・・・・・寂しい顔をさせたくなかったからだ。いつまでも手のかかる子供だと、笑っていてほしかった。
「君は、・・・・・・そういえば、僕達も結局、名前を教え合ってないような気がするんだけど、君、僕の名前、知ってる?」
何かを言いかけたらしいが、全く違う話題をぶっこんできたな、王子様。
なんとなく気づいてはいたけれど、とても優しい子なんだと思う。
相手を傷つけまいとして言葉を選んでいるような気がする。
「え? 勿論ですよ。えーっと、・・・えーっと、・・・明日になったら教えてあげます。実はこの学校では三日目に名前を教えてあげるっていう局地的風習があるのですっ」
「勝手に風習にしないっ。自分が名乗るのを忘れてたのと、相手の名前を知らないのとは別だろっ」
「嫌ですねぇ、殿下ったら。そんなお名前を知らないだなんて、あるわけないじゃないですか」
「いや、なんで顔を逸らしているんだ。忘れてるか知らないかのどっちかだろう、それ。もう自分で言うよ。エインレイドだ」
そうなのか。この国では父の姓(既婚女性は夫の姓)・母の姓(既婚女性は父の姓)・名前の順で名乗るもんだと思ったが、王族だと名前だけなのだな。
「失礼しました、エインレイド殿下。私はウェスギニー・インドウェイ・アレナフィルと申します」
「うん。それで愛称ってどんなの? 友達が決めてくれたんだよね?」
「私はウェスというのを希望したのですが、結果的にアレルとなりました」
「・・・なんで苗字を愛称にしようと思うのかが分からない」
ファレンディア国ではよくあったことなのだが、これが文化の違いだろうか。人間関係トラブルを避ける為にもニックネームは余程親しくない限り苗字を使うのがファレンディアだ。
たとえばA君をニックネームで呼んでいる長い付き合いの女友達がいたとして、A君が付き合い始めた恋人がまだニックネームで呼ぶ程になっていなかった場合はどうなるか? 名前をニックネームにしていたら修羅場だよ。女友達だって本当はA君に恋心を持っていたら、その恋人に自分の方が親しいんですアピールしかねないよね? だから苗字でいいんだ。
恋人同士はお互いの呼び名を自分達で考えればいい。そういうことだよね。
(サルートスだもん。そういうことまで考えてないのかもね)
私はサルートス国では苗字をあまりニックネームに使わないのだと学んだ。しかし、ここは強気でいくべきだろう。
「だってカッコよくないですか? アレナだと可愛すぎるでしょう」
「君、可愛いんだし、いいんじゃないの?」
私はショックを受けた。
家族とか、通りすがりの大人達が「可愛いね」を言うのはいい。だけどある程度交流がある微妙な関係にあって「可愛いね」というのは駄目だ。
セクシャルハラスメントに繋がる第一歩だ。
最初は何とでも取れる褒め言葉から、やがてどこまで行けるかを見ながらヒートアップしていく、そうやって相手を落とせるかどうかを見極めて落とすといった思考の男達を私は知っている。
「なんてことでしょう。女の子に向かって
『可愛いね』
だなんて。子供の頃からそんな女たらしへの道を進んではなりません、殿下。子供の内は気になる女の子がいても突っ張ってしまって、
『ど、どうせ、僕、女の子になんか興味ないし』
って、明後日の方向を向いて地面を蹴ってるぐらいでちょうどいいんです。異性の友達よりも同性の友達といる方が楽しいからいいんだって、強がりを言ってるぐらいでいいんですよ?」
「どこのおばさんだっ」
これでも私は人を見る目があるのだ。
王子という立場を持っていても、この少年はとても素直でいい子だと判断した。
だからまさに「お姉さんが教えてあ・げ・る」な気持ちで指導してあげたのに、何故かこの思いやりが伝わらない。
「おばさんじゃありません。お姉さんです」
「同い年だろっ!?」
「・・・むぅ」
永遠の二十代に対しておばさん呼ばわりは許せん。
だが、言われてみれば今の私はもっと若い13才だった。
「じゃあ、僕もアレルって呼んでいいか?」
「呼ぶも何も、もう会うことないと思います。うちの兄だって部が違うから全く会いませんし」
なんか眉根を寄せているが、それは似合わない。少年は太陽とスマイルが似合う。
誰かこの王子にそれを教えてあげてほしい。
「だけど男子寮には来るんだろう?」
「はい。兄の生活が心配ですから。だけどそんな、みんながお友達になろうと企んでいる王子様に近づいたら身の破滅じゃないですか。いきなり知らない人達に呼び出されて、
『王子に近づくなんて生意気だ』
『そうだそうだ、身の程を知れ』
とか言われるの、嫌です。全身全霊をこめて素知らぬフリして、こっそりと物陰で、
『え? あの素敵な方が殿下だったのね。恐れ多くて近づけないわ。取り巻きの方々も素敵』
とか言っておきますよ」
「正直すぎないかっ!?」
「それが現実なのです」
同じ国立サルートス上等学校でも階層的な上下は存在する。一般の部は最下層なのだ。
私はそういった現実を、世間知らずな王子に懇切丁寧に図を書き出しながら教えてあげた。
「いいですか、殿下。この三角形の頂点に立つのが選ばれし特権階級なのです。そして、この学校では王族や高位の貴族のご令息ご令嬢が、この辺りになります」
「ふんふん」
おかげで私は悪気があって断ったわけでも何でもなく、王子は自分がそれだけ注目されていて、しかも暴走する人は自分が正しいと思って行動することを理解したのである。
子犬の集団でも弱い子は淘汰される。それが自然の掟なのだと。
「パワーゲージがこんなちびちゃんな私は、この広く押しつぶされている底辺になるわけです」
「はあ」
私は集団の中でも一番弱く、底辺で青息吐息している存在。
王子は頂点にいるが、最下層の特定人物に手を差し伸べようものなら、もう大変。中間層にいる人達が、
「お前なんかが僕達よりも目をかけられるとは生意気だ」
と、最下層にいる私を蹴り、殴り、ぼろぼろにしてしまう。
父と兄と私。社会の隅っこで親子三人、身を寄せ合って生きている儚い存在を、国の頂点にいる王子が踏みにじるようなことはすべきではない。
弱いものを守ってあげる心が大切なのだと、私は教えてあげた。
「いいでしょうか、殿下。子爵なんて貴族社会では低位。しかも我が家は使用人すら臨時の単発でしか雇えないような貧乏子爵家なのです。あ、だからってお金をせびっているわけじゃありませんからね? そういう金銭とか権限とか利益供与とかのドロドロにうちを巻きこまないでください。我が家はささやかに心の充足を見つめ、ひっそり生きているのです」
「・・・はあ」
隣の部屋からなんだかぶふぁっとか、ぐふっとかいう笑い声が出ていたような気もするが、気のせいだろう。
いつか男子寮監達は給料泥棒だと投書したい。
「それなら、・・・誰も見てない時にこんな風に喋ったりするのは?」
おや。この王子様、結構賢い。
実は知る人ぞ知る、そしてほとんどの人は知らない特別扱いというものに私は慣れていた。
「それは、・・・問題ないですけど。だけど私が年頃の殿下に近づいて誘惑したと思われるのも困りますので、先生の監督下じゃないといけません。いいですか、殿下。世の中には幼気な少年を引きずりこみ、毒牙にかける悪女もいるのです。偶然を装って近づいてくることなど、よくあります。それに騙されず、警戒心を常に忘れず生きていってください」
「・・・そ、そーなんだ」
というわけで、私達は先生の監督下において、「レイド」「アレル」と呼び合うことが決まった。人目がある時は、顔も名前も知らない赤の他人だ。
そして顔がよく似たアレンルードとの見分け方も特別に教えてあげた。
「兄には頬のこの位置に小さな黒子が一つあるんです。細かい違いは幾つもありますけど、手っ取り早く父が見分ける時はこの頬にある位置ですね。レイドもまずはその位置を確認してください。幼年学校でも兄と私を間違えて気まずい思いをした子が多かったです」
「そっか。彼とはあまり話したことはないんだよね。どういう性格?」
アレンルードなら誰とでも仲良くお喋りしていそうだけど、言われてみればあの泥だらけの室内だ。
毎日放課後は遊びまくっていて王子と顔を合わせることもないのだろう。
「あんまり物事を考えてない感じです。もう少し落ち着いてほしいんですけど。・・・レイドが兄と親しくなるのはやめた方がいいです。もっと優秀な生徒は沢山います。ただでさえ少年期特有の優位性誇示行動を取ってくるのに、更にレイドの威光で偉そうにされたらムカつきますから」
「・・・とても私情が入りまくった意見なのはよく分かった」
というわけで、エインレイドと私は、真面目にお友達捕獲作戦を考えてみた。
「優秀さも大事ですが、一番はフィーリングなんですよね。友達付き合いなんて、お互いの好みが合わないと続きません。この際、変装してみたらどうです?」
「変装かぁ。だけど目の色とかは変えられないしね」
「ファレンディアの製品は手に入らないんでしょうか。それに、前髪を伸ばしたり、髪型を変えたりすれば分かりにくいですけど」
まずは違う部門の聴講をしに行って、そこで友達を作ればいいんじゃないかということになった。基礎課程は教師のランクが違うだけで、どこの部も同じだ。ならばよそに聴講しに行って、試験でちゃんと単位を取ればいい。それに部が違っても教師は同じことだってある。
その為に教師の時間割を調べ、権力を使うのだと私は教えてあげた。
王子の瞳は薔薇のように少し赤色が入ったピンクの瞳だ。とある眼鏡で誤魔化せることを私は知っている。
すると、隣の部屋から裏切り者寮監がやってきて会話に加わったので、私は色々と説明してみた。
「本来はそういう製品じゃないが、光に弱い目を守る為の眼鏡で、幾つかの会社の製品だとピンクの目が紫に見えるのか」
「はい。だけどそれも製品の善し悪しが出るので、日中の店で実際に試した方がいいです。そして殿下の髪を濃い青にしておいたら、髪が影を落として更に分かりにくくなります。薄紫の髪にピンクの瞳で知られているなら、紺か青紫、もしくは焦げ茶の髪に紫の瞳で眼鏡をかけたら、ぐっと気づかれにくくなると思うんです。ほら、このふわふわした柔らかな印象が、暗くきつい印象に変わりますから」
私はその場で王子の髪型を幾つか変えてみせる。基本的にこの学校の生徒は男女共に髪を伸ばしているので、実はスカートかスラックスかで男女を見分けた方が早い程だ。
だからこそ普段の髪型に個性が出る。ちょっと髪を一部だけ固めて逆毛にしたり、分け目を変えたり、制服の着方をちょっと崩したり、そういうことで印象を変えることも可能なのだ。
「なるほどな。眼鏡屋を当たってみよう」
薔薇のような瞳を持った私は何かと苦労した。勿論、私が美人だったせいもあるだろう。だが、外見で決めつけられるのはとても迷惑だ。
それは身分で色々と不便になっている王子にも言えることだと思う。
王子だって人の子だ。きっと普通に話せるお友達が欲しかったんだね。だけど私は貴族としても下の位置にいる子爵家の人間で、将来は安定した役人を目指している。
だから王子様の話し相手とやらも断るしかなかった。どんなに王子に同情する気持ちがあっても。
(たしかあの眼鏡、レンさんも買ってたんじゃなかったっけ。本当の瞳を変える為の商品は扱ってなかったけど、もしかしたらあの後、入荷されたかも)
あの瞳保護の為の眼鏡は、ファレンディア国では変装グッズとしても売られていたが、ちゃんとこの国に入ってきていることは確認済みだ。
それでも、そちらを紹介するようなことはしない。だって、ずぶずぶに踏みこみたくないから。
縁故はあって困らないが、強すぎる縁故はいらない。
(私を巻きこまず、普通に友達を作らせてやれよ。その為に給料もらってんだから)
その気持ちを分かっているのか、寮監は明日の昼にでも眼鏡屋を当たる様子だ。
感謝するがいい。この私をこんな状況に放り込んでくれた青林檎頭よ。
― ◇ – ★ – ◇ ―
帰りは、学校長が移動車を出してくれた。
乗り合い路面車と違って、座っていればおうちまで着いてしまうところがいい。運転してくれた人も気さくな人だった。
淡い黄土色の髪はグラウンドの色だなと、そんなことをふと思う。
「すみません。お手数をおかけします」
「いやいや、こんな遅くまで勉強してたなんて偉いね。どう? 学校生活は」
「お友達作りが難航中です。女の子に人気な小物とかが分からなくて」
「うーん。それはおじさんも分からないなぁ」
何が二十代でおじさんだよ。私に喧嘩売ってんのか、オラ。
ファレンディア国で十代の頃から年齢不詳と言われた私は、間違ってもおばさんなんぞと呼ばれた覚えはない。女は死ぬまで現役だ。八十、九十になっても恋する現役淑女なのだ。
「おじさんって言うけど、私、お兄さんより年上の人をお兄さんって呼んでますよ? 若いのにおじさんなんて、勿体ないです」
「はは、ありがとね。だけど生徒さんと変な関係を構築しないよう、あくまでおじさんとして距離を取っておかなきゃいけないのさ」
「そうなんですね」
その人もサルートス上等学校を卒業しているそうだ。私と違って一般の部ではないそうだが。
「ところで聞いてもいいですか?」
「いいよ、何でも聞いて」
「今の王子様と王女様って何人いるんですか? ついでに年って分かりますか?」
ここが難しいところなんだよね。
うちの父や叔父はとても私に甘い。もしもそんなことを尋ねて、やっぱり王子様に興味があるのかなって思われたら、それこそあの叔父のことだ。さりげなくそういう集まりに連れていかれかねない。
私の幸せを思えば貴族よりは平民と結婚した方がいいだろうと思われているけど、私が望むならちゃんと子爵家令嬢として恥ずかしくないバックアップをするのがウェスギニー子爵家なのである。
「いやぁ、一般人でそこまで知ってる人、いないんじゃないの。おじさんも知らないしねー。あ、今年の新入生に王子様が入ってきたのは聞いたけど、まだお見かけしたこともないなぁ」
「そっか。そんなものですよね」
「そうそう」
うん、私は悪くない。
それが今、証明された。できれば父にもその事実を教えてくれると有り難い。
いいや。是非、うちの父にも普通は王子や王女のことなんて誰も知らないのだと教えてあげてほしい。
私はその辺りをちゃんとわかりやすく説明してみた。
「それでですね、王子様の名前も顔も知らなかったというので呆れられたのです。私は悪くなかったと、是非、大人のお兄さんからうちの父に言ってあげてください。一般人は知らないのが当たり前だと」
そうだ、私は悪くない。
あの状況では私が非常識だということになっていたが、世間一般ではこんなものだ。父には正しく私を評価してもらわなくてはならない。
「い、いやいや。あのね、おじさんね、しがない用務員だから。生徒の親御さんに何か言うとかは無理かなー。クビになっちまうよ」
「そうでしたか。すみません、無理を言いました」
私も優しさを知らないわけではない。用務員という仕事をゲットしたばかりの若者がクビになると聞けば勘弁してやる思いやりを失ってはいなかった。
ああ、だけどそうしたらどうすればいいのだろう。私は悪くなかったのに。
(仕方ない。パピーには何かと私は悪くないんですアピールをしておこう)
そんなことを思っていたらすぐに到着してしまう。
父が家にいるからなのか。いつもは閉じられている二重の門が、今日は全開だった。
うちは使用人もいない上、父も留守がちなので、普段は門を閉ざしているのだ。そして私達は門の横についている小さな扉から出入りしている。
そしてウェスギニー家のロータリーに従って玄関前で停まった車から降りた途端、私は開け放されていた玄関扉から飛び出てきたマーサに抱きしめられた。
「フィルお嬢ちゃまっ。旦那様からもしかしたら帰りが遅くなるかもしれないとは言われてましたけどっ、ああっ、無事でよかったっ」
「マーシャママぁ」
ぎゅっと抱きしめてくるマーサの愛は本物だ。
私は運転してくれた人がいるのは分かっていたが、がくがくと震えているマーサを優先した。
きっと王族に無礼を働いたというので、ずっと心配してくれていたのだろう。
「あのね、怖くなかったよ。フィル、王子様のこと知らなかったけど、よくあることって、みんな言ってたもん。それにね、王子様とはお友達になったんだよ。あ、だけど、会った時にご挨拶するだけだけど」
「ルード坊ちゃまはともかく、フィルお嬢ちゃまは関係ないと思っていた私共が悪かったのですわっ。まさか王子様が寮にいらしたなんてっ」
「えーっと、うん、だけど、もう寮で会っても知らんぷりするってお約束したし、問題ないよ。ね、マーシャママ、泣かないで。それにね、ルードには、王子様のこと言わないってことになったの」
エインレイドと私が寮で出会ったことは存在しない出来事となった。
やはり王子が変質者扱いされたことは記録に残したくなかったのだろう。すまない、王子。悪気はなかった。
「ですが、フィルお嬢ちゃまは子爵家のお嬢様ですのよっ。それが通じるんですかっ」
考えてみれば子爵家の娘が王子を知らないなんて誰も思わないよね。たしかに無理があったのかもしれない。そこはサルートス幼年学校に通っていなかったということで納得されたけど。
「なんか、・・・私、少女の皮をかぶってるだけって言われたから。もう、期待してないと、思う」
するとマーサの動きが止まり、ぐいぐいと抱きしめていた体を引き離すと、まじまじと私を見た。
「そう、・・・ですわね。それはもう外見はおしゃまなお嬢様ですけど、フィルお嬢ちゃまはまだまだ赤ちゃんですもの。お勉強ができても、お嬢ちゃまはまだまだ子供ですもの」
納得してくれたのはいいけど、マーサにかかれば私は少女の皮をかぶった赤ちゃんらしい。数年前、全ての言葉や記憶が分からなくなった子供だから。
本当はこうしている私が一番の嘘つきなのだ。いつだってこの居心地良い場所が自分のものじゃないのにと、情けなくなる。だからいつか私はウェスギニー家を離れて自立するだろう。
今は頼りない子爵家のお嬢様であっても。今はマーサにとって中身は赤ちゃんな少女であっても。
だけどそれでいい。
私は普通に進学し、安定した人生を歩む。軍にいる父、貴族として生きる兄とは全く関係ない人生になるだろうが、その辺りはローグが考えてくれるだろう。分からないことは人に教えてもらえばいいのだ。
ぎゅっと自分からマーサに抱きつけば、ほっとしたように背中へ腕が回される。
「も、おとなしくしてるからいいの。ルードは自分でお洗濯すればいいんだよ」
「そうですわね。ルード坊ちゃまも自分で頑張ってもらわないといけませんわね」
そうなるとマーサも、車を運転してきた人に意識が向いたようだ。
「よろしければお茶でもいかがです? レミジェス様も、きっとご心配なさっておられたでしょう。レミジェス様はおいでになりますの?」
ウェスギニー子爵家の使用人は、領内にある屋敷と使用人が時々シャッフルされる。だから運転手もいつも同じ人というわけではない。
「あ。いいえ。私はウェスギニー家の方ではなく、学校長より、生徒さんが遅くなったから送っていくようにと言われまして・・・」
送ってもらったお礼を言ったマーサは、彼が子爵家の使用人ではなく学校長の手配によるものだと知ると青ざめたけど、運転してきた用務員のお兄さんが遅くなった生徒の安全対策するのは当然だと説明したので安心したらしい。
「ご親切にありがとうございます。どうか学校長先生にもよろしくお礼をお伝えくださいませ」
車内でお礼は言ったけど、やはり重ねて言うべきだろう。
だから私もマーサの袖をぎゅっと握りながらお礼を言うことにした。
「あの、送っていただいて、ありがとうございました」
「いやいや。こちらも気遣いが足りていなかった。今度から学校の事情で帰宅が遅れる生徒には予め保護者に連絡しておく必要があるということも留意しておくべきだな。特に女子生徒の母親は心配にもなるだろう。・・・いいお母さんじゃないか」
家政婦だというのはばれていたみたいだけど、お母さんだと言ってくれたのが嬉しい。いい人だ。なんかルーズなところはありそうだけど、この人はいい人だ。
そう思ったら、ぽんぽんと頭を撫でられてしまう。
「世界で、一番素敵な、・・・母なんです」
他人向けと家族向けの顔が違う少女、それが私だ。
どちらからも不自然じゃないような言葉遣いを考えつつ、たどたどしく言ってみる。
そうなの。素敵なお母さんなんだよ、マーサってば。誰もが分かっちゃうよね。
「フィルお嬢ちゃま・・・!」
ぎゅっと背後から抱きしめられた。
お前、家族の前でだけ可愛い子供のフリしてねえかと、その茶色の瞳が語っていたかもしれないが、この運転してきてくれた人が教師でも何でもないことは確認済みだ。成績評価表には反映されない。
おうちでは甘えてんだなで、終わらせてくれ。
「ああ、分かるよ。・・・それでは失礼します。お嬢様はたしかに送り届けました」
さっと移動車に乗りこむと、その人は去っていった。
「とてもきりっとした方でしたわね。けっこう鍛えてらっしゃるのかしら」
「えー。パピーの方がかっこいいよ」
言われてみれば鍛えている体だったかもしれないが、私の基準は父のフェリルドだ。学校の雑用も大変だろうが、やはり仕事で訓練がある人とは違うだろう。
最後だけぴしっとしていたが、それまではかなりフランクだったしね。
すると玄関から父が出てきたらしく、声を掛けられた。
「おかえり、フィル」
「パピー」
駆け寄ってどーんと抱きつけば、よしよしと優しい笑顔で頭を撫でてくる。
「パピー、ごめんなさい」
「いや、いいよ。娘に王子の顔も特徴も教えてなかったなんて、本気で王子に取り入る気がなかったんだなと、そっちに感心されたぐらいだ」
「うん。悪いのは、寮監先生だと思う」
「・・・ああ。まあ、もう男子寮には行かないようにしなさい」
「うん」
エインレイドにはちゃんと変装テクニックと友達作りの方法を教えてあげた。
十分だろう。
それに父も学校長とどんな話をしたか知らないが、心配していない感じだ。
うん、これで問題は全て片付いた。
というわけで、私は忘れることにした。
え? 王子とアレル、レイドと呼び合う約束? 会わなければそんな約束、無いのと同じことだよね。
王子様には強く生きていってほしい。