46 ヴェラストール要塞はコスプレの香り
ヴェラストール要塞は、幾つもの山にまたがる巨大要塞だ。
国防を担っていたという歴史の重みがそこにあった。
どうして今、それが使われていないのかというと、このヴェラストール要塞よりも向こうまでサルートス王国の領土となっているからである。
かつては背中の領土を守ってそびえていた要塞も、背中側もお腹側も自国の領土となってしまうと、観光地になるしかなかった。
「アレルちゃん、危ないからあまり身を乗り出さないでね」
「はーい。だけど私の首までこんな分厚い石壁があって、落ちたりなんかするのかな。ここまで来たんだからレイドもここまで近寄ってもいい気がする。だってほら、とっても頑丈だよ」
私は靴でガンガンと石壁を蹴ってみた。
こんな程度ではびくともしないこの要塞。できあがった当時、どれ程に頼もしかったことだろうか。歴史のロマンがここにある。
どうしても中身がファレンディア人の私、外国の歴史的建造物にロマンを感じていた。今の私、サルートス人だけど。
「そこの足クセ悪いアレルちゃん、そういうことをしていいのは幼年学校に入るまでですよ」
なんかいい人そうな声が、いやみったらしい内容で飛んできた。さすがにお嬢様呼びは目立つので、護衛のお兄さんはみんなを「ちゃん」や「君」で呼び始めた。
だけど列車で声をかけてきた時にはとても丁寧だったのに、この短時間で落差が凄まじくなってないだろうか。
(何だろう。これは、そう、・・・ぞんざい? うん、ぞんざいに扱われ始めている気がする)
護衛とはあくまで主人の身の安全を守る人である。口うるさく注意をしてくる人ではない。そしてしれっと上等学校生はそんなことしないぞと、馬鹿にしてくる人でもない筈だ。
サルートス語辞典を見るまでもなく、私はその真実を見通していた。
「アレル、要塞を攻撃しちゃ駄目だよ。大丈夫、ここからでもよく見えるから。本当に高いね、ここ。それに初代からのヴェラストール旗の変遷がよく分かる」
「もうディーノ、アレルを捕獲しとけよ。あいつ、今度はヴェラストール要塞を破壊する気だ」
「さすがにそれは無理だろ。ほらアレル、いい枝があったら教えてやるからそこの壁には手を出すんじゃない。重いんだからダムづくりは枝にしとけ」
「みんな、ひどくない? アレルだってそこまで狂暴じゃないよ」
優しいのはマルコリリオだけだ。だけど単語のチョイスがちょっと引っ掛かる。
ヴェラストール要塞でも一番高い場所までケーブルウェイでやってきた私達は、分厚い石壁と頑丈な鉄格子、高い天井に感動しながら各階にある展示物や売店を見学して屋上までやってきた。
危ないからと、エインレイドは端っこまで行かせてもらえない。護衛がくっついていると、なかなかに不自由だ。
「何故、ここで私が不当にも決めつけられているのか。人は誰もが公正なる視野と思考を持つべきだと、私は考える」
「はいはい。お願いだからアレルちゃん、今度はヴェラストール要塞の破壊工作実行犯にならないでくださいね。その時は私、紛れもなくアレルちゃんの仕業だと証言しますよ」
「うるさいですよ、そこのお兄さん。黙ってついてくだけと言いながら、この私をいじめるとは何事ですか。嫁いびりの練習は姑になってからしやがりなさい」
「可愛い顔してなんつークソガキ。いいかな、アレルちゃん? 私はですね、今日は戻ったら、
『この無能野郎が。対象者を見失うなんざ新卒からやり直してきやがれ』
と叱責確実な身の上。せめてこの後だけでも確実な仕事をしておかないと後がない切実な状況。分かるかな? 分かりますね? 後はもう髪一筋の怪我もなく元気に帰宅しましょう。分かってくださいね?」
「だから大丈夫って言ってるのに。全く終わったことをいつまでもぐじぐじと。どうせそこまで怒られないって分かってるくせに子供を責めるだなんて最低です。だから弱っちいんですよ」
「・・・あの可愛いウサギは夢と消えたか。なんという生意気娘」
屋上と言っても私の首ぐらいまでのがっしりした石壁があって落ちようがないというのに、護衛のお兄さんはちょっと心がおかしくなっていた。被害妄想という奴だ。
ここまで言われてしまうと、ちょっとは悪かったかなという気も失せる。お説教されるって、自分の罪悪感が消えるってことなんだね、きっと。
「はっはっは。そこの兄さん、心配しなくても大丈夫ですよ。一週間に一度は強度チェックをしてますからね」
「そうそう。どっちかってぇと乗り越えてまで身投げする人がいるのが問題なんだなぁ。ま、そこのお兄ちゃんの言うことよく聞く僕達なら大丈夫さ」
「どこから来たのかな、お友達同士かい?」
屋上に設置された小屋にいた監視員の小父さん達が、陽気そうな声をかけてくる。
もしかしてお酒飲んでない? 寒いから仕方ないのかな? いや、あの鍋でことこと温めているワインはきっと美味しい。私の嗅覚がそう告げている。
「そうなの。今日は学校がお休みだからヴェラストール、みんなで来たの。ファリエからだと列車乗ったら乗り換えなくても到着するって聞いたから。お父さんとお母さんも、お兄さんが一緒ならいいよって言ってくれたの」
「そうかぁ。ヴェラストールは初めてかい? ほら、おいで。女の子には特別サービス、チョコレートをあげよう」
「うん、初めて。ありがとう、おじちゃん」
女の子っていいよね。男の子よりもサービスされちゃう。ガールズスマイルは世界最強。
いそいそと監視員用の小屋にある屋外用温熱器に近寄っていけば、ベンチのスペースを空けてもらえた。
――― まずい。今、ビーバーが可愛く見えた。
――― ああ、僕もだ。
――― アレルってかなり要領よくない?
――― ガルディ兄上、アレルはすぐ釣れるって言ってた。
ヴェラストール要塞の土産物店で売られているチョコレートはあまり回転が良くないと、一定期間ごとに彼らによって消費されるのだそうだ。だから賞味期限間近なお土産用のチョコレートとやらを一粒もらう。
多分、これは入場料払って屋上までやってきた観光客へのサービスも兼ねているのだろう。味見して美味しいと思えば買っていくから。
「んっ。甘ぁいっ、とっても滑らかっ」
「はっはっは。チョコレートはこのホロウ印が美味しいのさ。くちどけが一番いい」
「へーっ。じゃあ、このホロウ印買って帰る。ホットワインも美味しそう。何入れてるの?」
ホットワインに何を入れるか。それは家それぞれのスープと一緒だ。同じようでみんな違う。
「ホットワイン用の香辛料はパックで売られてるのさ。観光客用じゃなくて地元のマーケットに行けば並んでるよ。やっぱり一番人気はリナ社だ。だがねえ、ヴェラストールで飲んで気に入って買って帰った奴、自宅で飲むとあの美味しさがないとか言い出すらしい。なんでかねえ。ちゃんとこっちで同じもん飲んでるのに」
「あー、分かる分かる。名物ってその土地だからこそ一番美味しいんだよ。そのリナ社のもこの気候、ここでよく売れてるワインで作るから美味しいの。それにね、丁寧に作るより無造作に作った方が美味しい奴ってあるんだよね」
きちんと温度も計算して作るより、火加減なんて適当に、しかも違う作業と並行して片手間で作ってても美味しい物というのはある。時にドラム缶で作り上げた名物料理もあった筈だ。一度に数十人分作ることができるらしい。
「ほう、そんなもんかねえ」
「そうだよ。海産物でもよくあるんだ。そこの港で食べた地元のお魚料理が美味しいからって買って帰って、自宅で同じようにして食べても美味しくないの。焼き方とか何かコツがあるんだろうって言われても、違いなんてせいぜいその場で無造作に出来立てを食べたぐらい。だけどブツブツ文句言われるの」
人生とは不条理に満ちている。
ここが美味いんだと連れていった小さな店。食べてみれば納得したものの、その料理法を教えてもらって、同じ調味料を買って帰って、だけど自宅で言われた通りに作っても美味しくないと文句をつけられるときた。
(どう見てもいい加減な作り方だったし、鍋なんていつ壊れてもおかしくない感じの安物だったしなぁ。だけどあそこは美味かった)
綺麗に皮を剝いて丁寧に作るより、実は皮の剥き残しもあって下処理も中途半端な方が、コクが出て美味しく感じるというのはあるのかもしれない。私も自宅で同じように作ろうと思っても作れなかった。結局、そういうのは作る人が辿り着いた自分なりの調理テクニックなんだろう。
だから美味しくできなかったと責められても沈黙あるのみだった。どうせ一回の料理で落とせなかった男なんて、その料理が成功していても落とせなかったよ。
「へえ。どこも変わらんのか」
「多分そうだよ。使い古したペコペコな鍋で作るから美味しくできたりするしね。だから私も同じように美味しく作るのは無理なこともあるって割り切って、そこで食べるからこそ美味しいって思うことにしたの。そういう人、多いと思うな。だからみんな旅行に行くんだよ」
「はっはっは、分かってる子だ。そんならここで飲ませてあげよう」
「やったっ。こーゆーの、お外で飲むから美味しいんだよねっ」
棚から一番近い場所にいた監視員が取り出した木製カップに、鍋に入っていたホットワインが注がれる。
いい時に来た。できあがったばかりのホットワイン。しかもこのスパイスは私のレパートリーと違う香りだ。後で何が入っているか見せてもらわなくては。
「アルコールも飛んでるから大丈夫だろ。体が温まる」
「こんなとこの安っぽいカップで悪いけどなぁ」
「いいとこのお嬢さんだろ」
「へーきへーき。んなの気になる神経質な人はずっとおうちにこもってりゃいいの。それにうち、父親は出稼ぎ行って生計立ててるからいいとこのお嬢さんじゃないと思う」
「そうかい? まあ、父ちゃんも家族の為、頑張ってんのさ」
「馴染んでんなぁ。ほれ、熱いから気をつけるんだぞ」
「わーい。やっぱりコレだよコレ。お上品に作ったのなんてホットワインじゃないってっ」
やはり旅はいい。ふらりと出かけた先で舌鼓を打つ、そんな一期一会がここにある。
喜んで飲もうとした途端、そのカップは背後から盗まれた。
「んにゃっ!?」
「駄目ですよ、アレルちゃん。君が酒グセ悪いのは聞いてます。これは私が頂きましょう」
「そんなっ? ちょっと待ってっ、それは私のっ」
「これこれ、兄ちゃん。たかがホットワインだ。そう目くじら立てなさんな」
「兄ちゃんにもどうだい? 子供のもんを取り上げちゃ可哀想だろ」
なんて奴だ、護衛のくせに。お前は王子の護衛だけしていればいいのだ。
そのカップに入っているホットワインが、私はとっても美味しいのよ、可愛いフィルちゃんに飲んでほしいわ、こんな男は趣味じゃないのって言ってるじゃないかっ。
「すみませんがこの子、お酒飲むと人が変わって暴君になるんです。スパークリングワイン数口で、自分を女王様扱いしろって喚くわ、いい男は全て自分の下僕宣言するわ、とんでもない騒ぎを起こしたんです。この子の家族からも一切飲ませるなと言われてます。どうかお気持ちだけで」
「あー。そりゃ無理だな」
「スパークリングワインでかぁ」
「そりゃ駄目だ」
「そこは私に味方してっ。現地の味を知らずして何の旅行っ。せめて一口っ、そのカップだって美味しい私を飲んでって言ってるっ」
「言ってません」
私が取り返そうとしたら、カップを高く掲げて取られないようにする大人げない護衛がいた。見下ろしてくる瞳は茶色だが、なんか面白がってる気配がある。
――― なんかあそこ揉めてるけど。
――― 他人のフリしておこうぜ、レイド。
――― ホットワインぐらい構わないんじゃないかなって、僕は思うんだけど。
――― 思うにアレルって、ヴェラストール城でよほどの恨み買ったんじゃないか?
カップを取り戻そうにも背の高さ的に無理だ。ここはジャンプするしかないのか。
だけど温熱器の周りではしゃいではいけないと、マーサから何度もしつこく注意されている。叔父からも、可愛い私が少しでも火傷したらみんなが悲しくて泣いてしまうよと、何度も言い聞かされた。私は母親代わりの家政婦の言うことをよく聞き、マイスウィートな叔父を心配させない良い子だ。
「その一口で騒動起こされたら、私が糾弾される。女の子なんだから諦めて、大人になったら改めてお父さん監視の元で飲みなさい」
「こういうのはこういう場所で飲むから美味しいのっ。レイド、助けてっ。このお兄さんが私をいじめるっ」
私は遠くを指差しながら地平線の色合いについて語り合っている少年達を振り返った。
「ごめんね、アレル。僕もガルディ兄さんから注意されてるんだ、絶対に飲ませるなって」
「後でホットミルク買ってやるから諦めろ、アレル。背を伸ばしたいならミルクにしとけって」
「そうだぞ。未成年の飲酒はよくないって、この間調べたばかりじゃないか」
「えっと、香辛料の香りがとっても美味しそうだから飲みたい気持ちは分かるけど・・・。大人になったらまた来よう? ね?」
「ほら、みんなだってそう言ってる。女の子だからって全ての我が儘が通ると思うんじゃありません」
なんという悲劇だ。片手で私の頭を押さえつけた護衛によって、私はベンチに座り直させられる。
夜明け前は礼儀正しかったくせに、本性がひどすぎる。どういう意地悪な護衛をつけてくれたのだ。こんなことならもっと違う護衛が良かった。
「あー、ほらほら。そう悲しい顔すんな。な?」
「そうだよ。大人になったら飲めばいいさ」
「大人になったら酒グセが治るってもんなのかねぇ」
「チョコレートもう一つあげるから」
「・・・うん。ありがとう。チョコレートはホロウ印、覚えたの」
仕方がないからもらったチョコレートをパクッと食べる。うん、この口の中での蕩け方。いつも食べているチョコレートとは固さや厚みなど、何かが微妙に違う気がした。製造工程における何かがヴェラストールでは違うのかもしれない。
「うーん。体があったまる。たしかにこういう所で飲むワインは美味い」
「ひどい。・・・私がもらったのに。子供のものを取り上げるだなんて最低だよ。ここはお詫びに後でそのホットワイン用スパイスセット貢いでくれていいところだよ。ここの売れ筋ワインもつけて」
私の頭の上で、美味しそうにホットワインを飲みやがる奴がいる。
「そう拗ねない。ほら、あっちで子供らしくヤッホーとか叫んでおいで。この屋上から投げた種が芽吹いたら願い事が叶うそうだ。はい、松の実あげる。これで機嫌を直しなさい」
松の実が入った小さな袋を渡してきた。未開封なのはいいけど、物事の根本を見失ってる。
「お兄さんなんてドアに蹴躓いて足の小指をぶつければいいんだ」
「うわあ。なんて地味にやなこと言うんでしょうね、このお嬢さんは」
せめて一口だけでも味見させてくれれば、ここまで恨まなかった。
そんな私を背後から両脇に手を入れて持ち上げる不審者がいる。
「ふぎゃっ!?」
「いつまでも拗ねてないで見てみろよ。なんか変わった生き物がいるんだ。ダヴィはダチョウじゃないかって言ってるんだが、この辺りにダチョウなんているかなぁって今、みんなで必死に目を凝らしてる」
「え? ダチョウ? どこどこ?」
犯人はベリザディーノだ。どうやら生き物の名前が分からなくて呼びにきたらしい。
「あー、これこれ。みんなの分もチョコレートをあげよう。だからご機嫌を直して。な?」
「そうそう。ああ、あっちの小屋の中には望遠鏡があるんだよ。みんなで覗いてみるといい。遠くまで見える。たまにシカやウサギも見えるんだ。ダチョウは聞いたことないが」
「ほんと? じゃあ望遠鏡で見てみるね。ありがとう、おじちゃん達」
「ありがとうございます。みんなでいただきます」
ベリザディーノが笑顔でチョコレートを受け取ったので、私は慌ててみんなの所へ行った。
そのダチョウが逃げる前に見なくては。
「チョコレート、ディーノがもらった。でねっ、あっちの小屋の中には望遠鏡があるんだって。見に行こうよ。ダチョウどこどこ? 松の実食べる?」
「あの辺りの岩とか木とかに隠れるところに見え隠れしてるんだ。その松の実、投げる為じゃないの?」
「炒って塩まぶした松の実投げても意味ないよ。食べる為にあるんだよ」
みんなは監視員の小父さん達に向かって、口々に「ありがとうございます」と、礼を言う。そして教えてもらった小屋スペースに入ると、望遠鏡が15台近く並んでいた。
せっかくだからとみんなで覗いてみる。
「本当に遠くまで見えるっ。ダチョウどこ? どこにいるの?」
「あっちの岩の向こうだ。合わせてから代わってあげるからちょっと待て」
ダヴィデアーレが望遠鏡を合わせてから場所を交代してくれた。覗きこむと、本当にダチョウっぽい。
「ダヴィ、手、出して」
「ん」
私は開封したパックから松の実を、ダヴィデアーレの掌にざらざらっと入れてあげた。
「あの姿、どう見てもダチョウだね。あっ、キツネが近づいてるっ。ダヴィッ、助けてっ。ダチョウの危機だよっ」
「どうしろと?」
「アレル、酔ってなくても暴君じゃないの? たしかキツネって肉食だよね。ダチョウは草食」
マルコリリオが心配そうな顔で望遠鏡を固定したままダヴィデアーレに確認する。ダヴィデアーレは掌の上の松の実をマルコリリオに差し出し、二人でポリポリ食べていた。
ついでにダヴィデアーレに持っていたパックを押しつけたら、そのままエインレイドへパスする。
だが、私達は見てしまった。そんなキツネがダチョウによって蹴り飛ばされるのを。
「蹴った、・・・ダチョウ。ダチョウ、蹴ったよ」
「ああ、いい蹴りだったぜ」
「凄いね。ダチョウって草食でも強いんだ」
ダチョウ覇王伝説の誕生を私達は見届けてしまった。
やがて木陰にダチョウが消えていく。敗者たるキツネに目をくれることもなく。そこには王者の孤高があった。
私達は、見てしまった現実にしばし考える。
「これはアレだよ。
『ヴェラストール要塞、行ったんだって? どうだった?』
『うん、ダチョウ最強伝説見ちゃった』
『はは、相変わらず可愛いね。で、サルートス語理解できる?』
で、馬鹿扱いされる奴。大人って身勝手な生き物だから、その場所に相応しい感想を言わないと人を貶めてくるんだよ。特に童顔な鬼畜男とか」
「それはアレルの説明が足りてないだけじゃない? まさかここでダチョウを見られるとは思わなかった。どこかから脱走したのかな。冬とか大丈夫なのかな」
「そうだな。もっと暖かい地域に生息していると思ったんだが。だけど野生化してしまったらどうしようもない。たしかダチョウ、足も速かった筈だ」
たまにマルコリリオは言葉が辛辣だと思う。そしてダヴィデアーレはもう少し私の心の痛みを分かってくれてもいいのではないか。
「あのキツネ、まだ動かないぞ。大丈夫か」
「もしかして今度はキツネが違う生き物に襲われちゃうのかな。ぴくりとも動かないね」
「まさか即死か」
ベリザディーノとエインレイドは、襲おうとした加害者なんだか、返り討ちされた被害者なんだか分からないキツネに同情している。仲良く松の実を食べているからいいとしよう。
そこへホットワインを飲み終えた護衛のお兄さんがやってきた。
「えっ!? ちょっとアレルちゃんっ、まさかレイド君達にも食べさせちゃったのっ? 屋上から投げろって言ったのにっ」
「大切なことを教えてあげましょう。加熱してある松の実を撒いても芽は出ないんですよ、お兄さん。それなら食べるのです。それになんでレイド達食べちゃいけないとか言うの。・・・はっ、まさか毒入りっ? ダヴィッ、大変だよっ。護衛のお兄さんがレイドに毒入り食べさせたのっ」
「なんてこと言うんだっ、このアホ娘っ! ああ、まさかこんな安物を立ち食いさせただなんて・・・」
がっくりと項垂れているお兄さんによると、どうやら王子様は椅子に座って綺麗に盛り付けられた物しか飲食してはならないらしい。
だけどもう遅いんじゃないかな。
ミディタル大公家が知らないだけで、実はエインレイド、立ち食いスキル上昇中だよ。
「レイドは駄目で私ならいいのか。しかもとうとうアホ娘呼ばわり。安物と言うが、おつまみ用松の実が高額品だったりする方が怖いよ」
「察してやれよ、アレル。多分、本人も自分のスナックをアレルにあげて、それがレイドにまでいくと思ってなかったんだろ」
「なんという身勝手な。食べ物はみんなで仲良く分け合うものと決まっているのに。だけどレイドに渡したのダヴィだよ。それならダヴィが悪くない?」
「僕はクラブ長の指示に従っただけさ。しがないクラブメンバーなんでね」
「くぅっ、なんという狡猾ダヴィッ」
終わったことをいつまでも言っていたところで仕方ない。護衛のお兄さんは勝手に落ち込ませておこう。
「あっ、こうしてみるとリオが大きくっ、・・・大きすぎて何が映ってるのか分かんない」
「おい、そこのビーバー。落ちこませた責任は自分で取れよ。こっちに押しつけてんじゃない」
「きっこえっませーんっ」
「反対から見た方がいいんじゃないの? アレル、それは見えなくて当然だよ」
あっちこっちを望遠鏡で見た私達は、望遠鏡をくるりと回して自分達を見てみようと思ったら近すぎて全然見えないというか、服の一部分しか見えないという何を見てるかも分からない意味不明状態に陥り、それならと望遠鏡を反対側から見たら姿は見えたけど、距離が遠くなった。
普段はそんなことしていたら怒られそうだけど、大人の目がないと自由だ。
「これ毛穴とかも見えるって奴?」
「無理だろ。ってか、肌の脂つけたらまずいだろってっ」
私達がきゃいきゃいと望遠鏡で遊んでいるのを見て、観光というよりデートで来ていたらしい二人連れもいちゃいちゃし始めた。
――― 見て、ケイン。あそこに可愛いお花が咲いてる。
――― 君の方が可愛いよ。
人って周囲に流されることあるよね。
なんかキスしていちゃいちゃしそうな空気が出てきたから、私達はそっと目で合図し合って望遠鏡のある小屋を出た。
「さ、望遠鏡は堪能したし、やっぱりここは偉そうにふんぞり返ってるフォト撮るしかないって思うんだ。そういえば途中の階にあったよね? 記念フォト用衣装貸し出しルーム。フォト用の鎧とかって、ここまで持ってきちゃいけないのかなぁ。レイドレイド、ここは権力で鎧とか槍とかの屋上まで貸し出しってできない?」
望遠鏡は遠くまで見えるけど、やっぱり感動は大きな空と眼下に広がる雄大な景色を見ながらに尽きる。
屋根がないからかなり眩しく感じる屋上で、私はエインレイドを振り返った。
「何をレイドに要求してるんだ、アレル。諦めてあの貸し武装部屋で記念フォト撮れよ」
「そうだな。どっちかっていうと、そういうのはレイドより僕達だろ。持ち出し料金払えばいいだけだ。そういうサービスがあるかどうかは知らないが、財布の存在を知らなかった人に何を要求してんだ」
「ごめんね、アレル。僕ってば権力なんてなくて。ついでにディーノ、僕だって財布ぐらい知ってる」
「えっとさ、たまに僕、思うんだけどこの中でアレルが一番の権力者じゃない? 自由って言うのかな、我慢しないって言うのか、はっきり言って我が儘だし」
いやいや、私は我が儘で言っているわけではない。
「そうだけどさ、ここはもうサルートスの旗持って、鎧とかつけてたら、めっちゃヴェラストールの戦士達だよ。それでフォト撮ったらカッコよくない? 歴史のワンシーンっぽく。たしかヴェラストールの誓いってここだったよね?」
私は記憶を辿った。歴史でも有名なエピソードだけど、教科書の言い回しは簡略化されすぎていると、あのバーレンにしつこく訂正されながら教えられたのだ。試験に出ないってのに。
「えーっとね、あ、そうそう」
当時、武勇を謳われた人達が集っていたと言われるヴェラストール。彼らを率いる将達が、主君にこの砦で誓ったとか。絵画にもなっている。
私は屋上の端っこにはためいていた古い時代のヴェラストールの旗の前で、片膝を床につけて身をかがめ、ちょっと騎士っぽく言ってみた。
「たしか、こうなんだよ。
『不滅にして不敗なる武勇を、至宝たる我らが君に捧ぐ。我らが君ヴェラストレイラ、あなたの名と旗はこの地と共に。我らが命、我らが栄光、我らが富、捧げる君は唯一なれば、その微笑みは我らのもの』
当時はね、こうして胸の前で両方の手首をクロスさせて忠誠を誓ったんだって。剣は床の前に置いてたの。だけど絵とかだと想像で描いてるせいかバラバラらしいの。と言っても私が聞いたのも今現在でそう分かってるってだけで、本当は違うかもしれないけどね」
きっと貢ぐタイプの将軍達だったんだろうね。
ダヴィデアーレが不思議そうな、まさに困惑してる表情を浮かべて口を開く。
「ヴェラストールの誓いって、そんなのだったか? たしか剣を抜いて自分の前に立てて、『我らが君ヴェラストール、我らを寿ぎたまえ。全ての勝利をあなたに捧ぐ』じゃなかったか?」
「そうだよ。だけどね、とある昔の記録から今の言葉が見つかったんだって」
あれっといった顔になったみんなだけど、エインレイドがくすっと笑った。
「じゃあ領主の方は僕が説明しようか。その前に置かれた剣を手に取ってね、勝利を祈ったんだ。
『不変にして不動なる信頼を、鱗々たる我が剣盾に与う。その刃は曇ることなく輝き、その魂と血肉はこの地に眠らん。我らが命、我らが誇り、我らの心、この地の民と共にあれ。我が魂はそなたらとあり』
絵では沢山の騎士達が勢揃いしているけど、誰しもじっくり祝福してほしいからって、隊毎にやってたらしいよ。だから毎回祝福していて嫌になった領主、みんなで壮行会ということで宴会してあげるからそれで終わらせてって言ったらしい」
さすが王子様、知ってたんだ。しかも現実は絵画のようにはいかないらしい。
たしかに私も毎回祝福のセリフを言い続けるぐらいなら、宴会してやるからそれで終わらせろって言うだろうなって思った。
「よく知ってるね、レイド。これって初代ヴェラストール領主に誓ったとしか教科書にも書かれていないのに」
「アレルこそよくヴェラストレイラの名前知ってたね。女性の領主だったってことは後から分かったことで、既に男性として描かれている絵画も多いし、知らない人が多いのに」
「やっぱり初代って女領主だったのか? あれって眉唾って聞いたんだが」
ダヴィデアーレが身を乗り出して尋ねてくる。歴史好きなのかな。
「女領主で間違いない筈だよ。昔の文書とかも出てきてるしね。いずれ教科書にも女領主ってことで載るんじゃないかな。今はほら、そういうことが教科書にも載ったら、息子を温存して娘を戦場に行かせかねない家が出そうだろ? しばらくは真偽不明なままだよ」
「あ、そっか。あの家も大概だよな」
「え? そんな家があるの? どこどこ?」
二人だけで分かり合ってるなんて寂しいんだけど。
ついでにそんな理由で教科書訂正しないの? なんか人道的すぎない、この国って。
「こら、アレル。お前が聞いても分かるわけないだろ。時には母親が息子を甘やかしまくって、面倒くさい社交や義務などで娘を使いまくって、まさに息子の為の道具扱いするってこともあるのさ。問題は国境近くの領主ってことだ」
「そんなの可哀想だよ。強い女の人もいるけど、男の集団に混じって戦うのは辛いよ」
「嫁ぐなり自立するなりしたら親の庇護下からは外れる。その後、どう生きるかは本人次第だろ。それよりアレル、ヴェラストレイラって、そういう名前だったのか? それがヴェラストールになるだなんて、どこで歴史が変わったんだろうな」
ベリザディーノは都市の名前の変遷が気になるようだ。
「ヴェラストールもいいけど、ヴェラストレイラも綺麗な名前だよね。じゃあ本当はここ、ヴェラストレイラって名前の都市になる筈だったのかな」
「いや、それが違うんだって。たとえばさ、リオ。リオが好きな女の子がいるとして、その名前をそのまんま地名にする気になる? 紛らわしいからせめて愛称にしておこうって思うでしょ? しかもね、女領主だってことを隠したかったのが、あの誓った人達なんだよ。ほら、言ってたでしょ? あなたの微笑みを見ることができるのは自分達だけでいいんだよって」
マルコリリオもどうやらわくわくしているらしい。なんか歴史って独特のロマンがあるよね。
だから私も舞台裏を教えてあげた。
「え? じゃあ、まさか・・・」
「そ。わざと男の人だって家臣達が外国を騙しにかかったの。だからヴェラストールはヴェラストールでいいんだよ。ヴェラストレイラの名前を知り、ヴェラストレイラの祝福を受け、ヴェラストレイラの微笑みを分け与えられるのは自分達だけでいいってこと」
そこには周囲から侮られまいとする思惑もあったかもしれない。女領主は、常に男領主からいいカモに思われがちだ。
「うわあ。よほどの美女だったんだねえ」
「どうなんだろう。諸説あるから分からないんだよね。幼女だったという一説もあったりする」
「え? あ、まさか・・・」
マルコリリオがハッと気づいた様子でエインレイドを見る。
するとエインレイドも肩をすくめた。
「実は幼女説、強いらしいよ。結局は決め手に欠けるんだけど、小さな女の子なら何十本もの剣を次々持つのが嫌になって泣いちゃうこともあったかもしれないしね。そしたら家臣達も宴会とかして、慰めたりしたんじゃない?」
「そこは普通の女性でも辛そう。毎日せっせとやらないと終わらないよね。うわぁ、勇敢な男の領主だと思ってた。小さな女の子なら、まさに激動の人生だったよね」
マルコリリオは優しいから、幼い女の子が領主だなんてと同情してしまうのだろう。
「いやいや、リオ。幼女という一説があるだけなんだよ? 幼女ならとってもほのぼのするけど、これが妙齢の姫君ならちょっとアダルトだよ?」
「アレル、君は僕をどこまで惑わしたいわけ? やっぱりアレル、一番権力者だよ」
マルコリリオはいきなり不機嫌になった。
なぜ怒るのだ。まさか幼女じゃないと許せないのか。変な性癖があるなら今すぐ申告したまえ。
「全ては不明だよ、リオ。ヴェラストレイラの父親こそが皆の敬愛を集めていて、だから残された遺児にして幼かったヴェラストレイラを皆で守り育てようと思ったのか。それとも誰をも魅了する美女だったからこそ、歴戦の勇士達を率いる領主として立つことができたのか。はたまた名のある将達がこぞって望んだ美女を領主という名前で据え置き、一妻多夫という独特なやり方でこの地を守ったのか。・・・確実に言えることは、ヴェラストレイラがこの地の領主に就いて以降、この土地は一度として戦火に巻かれたことはないってことかな」
「そうなんだ。だけどきっと勇敢な女の子だったんだね。ここから外国の軍を見下ろして、何があろうと守ろうと決意したんだ」
マルコリリオがどこまでも感動している。
おとなしいタイプだから、こういう要塞とかは苦手かと思っていた。
「はいはい、お坊ちゃま方。権力はないけど屋上までの貸し出し料金を払って交渉できるお兄さんが手配して差し上げましたよ。ほーら、記念フォト用当時の衣装セット。フォトも撮ってあげますから安心してください」
静かだなと思ったら、どうやら護衛のお兄さんは衣装を借りてきてくれてたらしい。
記念フォトのお店の人達が、衣装や模造の武具を箱に入れて運んできた。監視員の人達が休憩できる小屋に持っていき、空いているスペースにポールを組み立て、そこに次々と衣装を吊るしていく。
何十着、持ってきたんだろう。
ベリザディーノが微笑みながら、紺色の瞳の奥は全く笑っていない状態で尋ねた。
「ありがたいんですけど、そのフォトって僕達ので撮ってくれるんですよね?」
「あー、ごめんね。渡してくれればそれでも撮るよ。あ、どの衣装を何種類着ようが、既に支払い済みなので、好きなだけ何度でも何着でもどうぞ」
「やっぱり報告用なのか。変な恰好したらそれが出回るってことですね?」
ベリザディーノは脳みそまで筋肉に見せかけて、実はバランス重視で立ち回る派だ。変な証拠は残したくないらしい。
「出回りはしないよ、あくまでどこで何をしたかの証拠用。挽回はやれる所までやっておかないと。大丈夫、君達はとても素晴らしい笑顔で楽しんでいてくれればいいから」
「それをヤラセと人は言う」
私はズバッと言ってあげた。
もしもし、お兄さん。あなたの撮ったフォトはどこに行くのでしょうね? 大公妃だけならいい。私も気にしない。だけど人は出世の為ならば私を裏切る生き物。
私はサルートス上等学校に入ってそれを学んだ。
(フォリ中尉なら変な使い方はしないよね。あの人、意地悪だけど限度は心得てるし。だけどさっきの立ち食い事件の挽回ってことで、王様とかに行きそう。いいや、問題化したらレイディにお願いして揉み消してもらおう)
私達が自分達のフォト機を渡せば、それらは記念フォトのお店の人が撮ってくれるそうだ。五人ぐらい来てるんだけど、あのお店、そんなに店員がいたのかな。そこまで盛況には思えなかったけど。
フォト機も人それぞれの好みが出るもので、私が肌の色を美しく撮ることで定評のあるファレンディア製フォト機のミドルロークラスなら、みんなは景色をくっきり色鮮やかに撮ることで有名な会社のフォト機だったり、軽量コンパクトなフォト機だったり、様々だ。
私も本当はもっと父や叔父の素敵フォトを撮る為、機能の高いフォト機がよかった。だけど持ち運びや子供らしさ、使い勝手のバランスを考えればこのクラスで妥協するしか選択肢はなかった。
子供のテクニックでセクシーフォトを撮るならここまでがぎりぎり。これ以上趣味にお金を注ぎこんだらさすがに変態の烙印を押されてしまう。
(あとでご飯を食べながら料金を聞いて自分の分を払わなくては。衣装代金を護衛のポケットマネーから払わせるのは心が痛む。それとも経費で処理できるのかな。経費だとしたらそれはどこが支払うんだろう)
そんなことを思いながら、私は貸衣裳や武具を見てみた。当時の貴公子や貴婦人の衣服、そして武装が揃っている。撮影用なので武器は刃がついていなかった。どうやら軽い模造品らしい。
着替えにはワンタッチ目隠しスペースが用意された。
「あら、ここでも記念フォト撮れるみたいよ」
「あの途中の階にあった奴か。なんか安っぽい気がしてたんだが」
「撮影用だから本物のシルクとかを使う必要がないのね」
なんだなんだと、他の観光客も興味を抱いたらしい。
監視員用の休憩スペースといっても、風に吹かれるのが嫌な人や、ちょっと暖まりたい人の避難スペースでもあるから、誰でも入ってこられるのだ。
うむ、ここで楽しそうにしていてあげれば、わざわざ運んできてくれたお店の収入も増えることだろう。それぐらい、集客に協力してやってもよい。
「おお、凄い。なんということでしょう。これはやっぱり当時の再現。レイドにはヴェラストール領主役をやらせてあげましょう」
だから私は男性用のまさに貴族っぽい衣装を選んでエインレイドに突きつけた。
「嫌だよ。なんで女の子の役なんだよ」
「別に世の中では男領主なんだから問題ないですよ。これだって男もの。男領主ヴェラストール役。私が忠誠を誓う騎士役やってあげます」
「それならアレルが領主やればいいじゃないか。そっちの方がいいよ」
「え、そんなのお断り。変な報告されて怒られたくないです。この国の大人は盗撮犯ばかりってレイドも覚えておかないと将来苦労しますよ」
なしてこの国の王子様を前にして、私が領主役なのだ。ばれたら不敬で説教どころではない。しかもフォトで証拠まで残るんだぞ。断然阻止だ。
女性用ドレスを見ながらマルコリリオと何か喋っていたダヴィデアーレが、私に声をかけてくる。
「この緑のドレス、アレルに似合うんじゃないか? 服の上からでも着ることができる奴だし、今時、こんな暗い緑のドレスなんてちょっと無い。着てみたらどうだ? おんな物を着られるのはアレルしかいないんだし」
「そーお? ここは寒いからかなり着こんでたんだよね。だから服も厚手だったんだよ。そういえば昔って濃いダークな色合いの服が貴族の証拠だったっけ」
「そうだな。真珠が高かったこともある。ほら、こういう濃い色合いの服なら真珠が引き立つだろう?」
さすが伯爵家の息子だ。ダヴィデアーレは、だから当時の絵は真珠を身につけた貴婦人の肖像が多いのだと続けた。その絵画に描かれた真珠の数やデザインで貴族でもどのクラスかが分かり、既婚未婚も分かり、更に絵画のテーマに至るお約束があるそうだ。
ごめん。私、昔のサルートス人は真珠が好きなんだなって思ってた。まさか見栄の象徴だったとは。
(ここなんだよなあ。フォリ先生達が言うところの美術品とか芸術とかの慣れとか教養って。だけどそれ、バーレンの範囲対象外だったんだよ)
貸し出しされるドレスはどれも伸縮タイプの撮影用なので、ぱぱっと着てみたら、まさに昔のお姫様っぽい。どんな服を下に着ていてもいいように、撮影用のドレスは襟や手首もフリルありまくりでレトロな感じのデザインなのだ。首飾りに見えるよう、撮影用ドレスには模造パールや模造ジュエリーも縫い付けられている。
靴はどうしようもないけど、ドレスの裾で隠れるからいいとしよう。
真っ先に着用した私に、護衛のお兄さんが声をかけてきた。
「とても似合ってますよ、アレルちゃん。黒髪の頭にしたの?」
「だって真珠が引き立つでしょ? やっぱり暗い色合いじゃないと白い真珠には似合わないかなって。せっかくだからお兄さんも着てみましょう。フォト撮ってあげます」
優しく大切に扱ってくれるなら私も喧嘩を売る必要はない。
女の子はね、可愛いね、綺麗だよ、素敵だなって誉め言葉を浴びて育てられないと、しおしおになっちゃうだけなの。
「お願いだから、私を給料カットの憂き目に遭わせないでくれる? 仕事中に遊んでいた証拠なんて残したら大人はとても悲しいことになるんだよ。分かるかな? 分かるよね? アレルちゃん賢いから理解できるよね?」
奴の目は本気だった。なんか血走ってた。もしかしたらシャレにならない状況なのかもしれない。
「ひゃい」
護衛が護衛対象者と仮装したら給料カットされるらしい。人生とは時に容赦なく人を追い詰めるようだ。
そんな私はダークグリーンのドレスに、模造パールの飾りがついた黒髪のワンタッチカツラだ。ヴェラストレイラも暗い色合いの髪だったらしい。
うん、忘れよう。
そういうことなら少しは庇ってあげたい気持ちもあるが、相手が相手だ。ミディタル大公に何かおねだりや交渉なんてするぐらいなら、私は一目散に逃げることを選択する。だって代わりに何を要求されるか分からないし。
「では撮りましょう。その旗の端っこ、下部分を指で摘まむようにしてください。体を斜めにして。そうすれば旗が美しく、そして下の景色も入って、まさに昔のお姫様みたいになるんですよ」
「はーい」
私の持ってきたフォト機で撮ってくれるということは、かなり肌感など綺麗なものになるということだ。
やっぱり私も女。父や叔父に見せる記念フォトなら、綺麗だねって言われたいの。
「お嬢さん、ちょっと失礼します。口紅を少し塗りましょうね。それだけでとても綺麗ですわ。こういう撮影時は派手な色合いがいいんですのよ」
「ありがとうございます」
ダヴィデアーレおすすめドレスで一番に出てきた私を、ヴェラストールの旗が映りこむようにして店の小父さんが撮ってくれる。だけどもう少しお腹をでっぷりさせてウールのスーツを着ていたら、どこかの夜行列車で見た顔かもしれなかった。
手伝いの若い女店員が口紅をつけてくれたけど、どこかのケーブルウェイのキャビンで聞いた声を思い出すのは私だけだろうか。いや、気にするまい。
他の四人は、わいわいがやがやとまだ選んでいた。
「はい、お嬢さん。女性はこういった細めの剣を持っていましたのよ」
「ありがとうございます」
ここまできたら楽しまなくてはなるまい。私はヴェラストール旗の前で、細身の剣を抜いたポーズを撮ってもらった。
どうしよう、アレンルードが僕もやりたかったって泣いちゃうかもしれない。
「おっ。そうやってると剣をたしなむ貴族令嬢みたいだぞ。何なら僕が騎士役やってやろうか?」
「うわぁ。ディーノ、鎧がぴったり。めっちゃカッコいい。これは8年後が期待できちゃうねっ。レイドもそういう鎧つけてたら、なんか普段の柔らかで穏やかソフトフラワーが一気にハードソードだよ。怖さが出てるよ」
「そうなんだ? そりゃ顔が見えなくなるもんね。良かったね、ディーノ。8年後だってさ」
「13年後よりマシなのか? 撮影用だからまだ軽いって話だけど、やっぱり昔のは身動きしにくい。当時の金属加工技術の限界だったかもしれないな」
撮影用でも、ガシャンガシャンと全身を覆うがっしり鎧なものだから、エインレイドとベリザディーノしか着なかったそうだ。
二人は普段から防具の着用にも慣れている。かなり昔の鎧デザインを面白がっていた。
「どうしよう。そういう鎧つけてるだけで、カッコいい。私の細い剣持ってる姿も世界中の女の子が嫉妬してしまう可愛さだったけど、これもこれでいいかもしれない」
「その自己評価の高さはどこから出てくるんだ。誰もそのへっぴり腰に嫉妬も憧れもしないだろ」
「真面目に聞かない方がいいと思うよ、ディーノ」
一番早く着替えることが出来そうだった二人が、なぜか一番遅い。
ダヴィデアーレ達は、お城で働く書記官の服にしたとか。
「ここまで袖をめくらなきゃならないとは。なんで袖がこんなに短いんだ」
「分かる気がする。だって袖ってかなり汚れるんだもん。手は洗えばいいけど、服の汚れは落ちにくいよね」
当時の文官の衣装は、どうやら肘より少し手前までの袖だったらしく、手首もむき出しだ。
今まで着ていた服がはみ出ないようにと、ダヴィデアーレ達も袖を二の腕までめくってから着る羽目になったとぼやく。
「ダヴィってば似合ってるよ。眼鏡とかあったらできる男って感じ。だけど同じ文官の服でも、リオだと世話焼きさんってイメージだよね。ダヴィが、
『なんだ、このミスは。やり直しだ、この無能めが』
って書類を突き返すタイプなら、リオは
『そろそろ休憩にしましょう。それまでに書類をまとめておきます』
とか言いそう」
「アレル。君は僕をどういう目で見てるのかな」
「そのクールさが素敵って言われちゃう感じ? 大丈夫、一定層の人気が不動」
「一定層と言うが、女友達のいないアレルの語る根拠が不明だ」
「レイド、ダヴィが侮辱してくる」
「僕に権力はないから」
当時、文官は書類を挟めるベストを着用していたそうだが、同じようなデザインの服を着ていても、ダヴィデアーレとマルコリリオは醸し出す空気が異なる。
王侯貴族の肖像画は高名な画家が描くことが多いが、庶民の服装を描くのは無名の画家が多かった。
だからダヴィデアーレも新鮮な気持ちでそれを選んだのだろう。所詮、男性貴族の服装なんてある程度の流行があっても大した違いはないし。
「あら。ここでも記念フォト撮れるの?」
「出張料金をお支払いいただきましたので。良かったらいかがです? 今ならサービスで、ここに持ってきた貸し衣装だけなら5ナルぽっきり。記念フォト込みなら2ロン」
(※)
5ナル=500円(物価的に750円)
2ロン=2000円(物価的に3000円)
(※)
なんか他の観光客達と、記念フォトのお店の人がそんなことを喋っていた。
それならと、5ナル払って衣装を身につける人が出始める。
「撮影用なのでどれもフリーサイズ、ゴムでぴったり合うようになってるんです。たとえば体が不自由な方でもお召しになれるように作ってあります」
「こんなお婆ちゃんでも着ることができちゃうのねぇ」
「とてもお似合いです」
持ってきた量が多かった筈だ。お店の人が売り込みしていた。
思うに、あの売り込みしている人が本当の店の人で、他の私達のフォト機を持ってくれているのが店員に扮した護衛の人達なんだろう。
「まあ、あなた。そうしていると昔の騎士みたいですわ」
「そうか? うん、そうだな。せっかくの旅行だ。たまにはいいか」
仲良く夫婦で仮装して記念フォトを撮る姿にちょっと心が和んだ。
うちの祖父母も連れてきてあげたかったな。
「パパー。ここでテキをおいはらったのぉー?」
「そうだよ。ご領主様にここで敵を蹴散らす誓いを立てたのさ」
そんな子供達も、小さな模造剣を持たせてもらって嬉しそうだ。記念フォトを撮るべく、えいやーっと、剣を掲げようとしてふらついている。
だからこそエインレイドとベリザディーノのフル装備が気になるのだろう。恐る恐る近寄ってきた。
「おにいちゃん、かっこいい」
「じゃあ一緒にフォト撮るか? ほーら、我がヴェラストールに勝利を! そうだ。旗に向かって」
「しょーりをっ!」
気軽に応じているベリザディーノは、子供を左腕に抱きかかえ、右手で同じ模造剣を握ってヴェラストール旗に向かって掲げてあげれば、親が嬉しそうな顔でフォトを撮っている。
「ベラストールのちかいって、なあに?」
「ここで昔のご領主様があっちに広がる敵を前に騎士との誓いを立てたんだよ」
「ちかい・・・?」
この屋上のあちこちにはためいているヴェラストール旗は、初期のものから今に至るまでのマイナーチェンジが分かる旗で、人気なのは現在のヴェラストール旗だ。模様も入って昔より手が込んだデザインだからだろう。
もう屋上は昔のコスチュームだらけだ。
「アレル、ここまで来たら楽しまなきゃね。顔隠しておけばいいだろ」
頭部を覆うそれを身につけたエインレイドが私の手を引いて、空いていた初期ヴェラストール旗の所へと連れていく。最初のヴェラストール旗は五色に分けられただけのシンプルデザインだった。
今のヴェラストール旗みたいに、家紋が刺繍されていたりはしない。
(だけど王子様だよ。いいのかな。いいかもね。そりゃそうだよ。お遊びだもん)
ここまであちこちで昔のヴェラストール貴族ごっこが発生しているならどうでもいい感じがする。エインレイドの顔も体も甲冑で覆われてるから、誰かだなんて分からない。
「そうだね。子供ってこういうカッコいいの、好きだよね」
「ああ。ヴェラストールの誓いって有名だけど、なかなか男同士ではできないしさ」
ここに来たら有名な「ヴェラストールの誓い」だ。だけどその為には領主役と騎士役が必要になるわけで、男二人連れって実はあまり多くない。家族連れが多いからだ。
エインレイドは優しいから、父親に「ヴェラストールのちかいってなぁに?」と尋ねている子供に見せてあげたいと思ったのだろう。
だから私も初期ヴェラストール旗の前で一度礼を取る。だけど腰はかがめない。何故なら同格だからだ。
当時、左手を胸に当て、右の掌を上向き状態で軽く水平にスイングする感じだったと、何かに描かれていた。
「我が父サルトスはこの地と永遠の婚姻を結ぶであろう。我が母となれ、辺境の地よ。その証として我が名を持って統治せん。我が名はヴェラストレイラ、この大地を潤す者なり」
女領主ヴェラストレイラは王女だったという説もある。それはこの宣言もあったのかもしれない。
――― あら、ヴェラストールの誓いごっこかしら。だけどヴェラストールよね?
――― 実はヴェラストール、男じゃなくて女領主で、ヴェラストレイラって名前だったって文献が見つかったらしいですよ。
――― そうなのかい? だけどどの絵も男だよな。
――― なんかその研究をしてた人がいたらしくて、直接教えてもらったそうです。
不思議そうな人達に説明してるクラブメンバーがいるが、どうして他人のフリなのかな。いいけどね。だって小さな子供達、わくわくした顔で見てるし。
私が旗を背に振り返れば、甲冑姿のエインレイドが剣を前に置いて、私の前で膝をつく。両手を胸の前でクロスさせるのは、当時、主君に対して危害を与えることはないという意味合いだったらしい。
「不滅にして不敗なる武勇を、至宝たる我らが君に捧ぐ。我らが君ヴェラストレイラ、あなたの名と旗はこの地と共に。我らが命、我らが栄光、我らが富、捧げる君は唯一なれば、その微笑みは我らのもの」
私はその剣を両手で取り上げ、祈るように目を閉じて額の前で捧げ持った。
きっと自分の代わりに戦ってくれる人達へ示す敬意だったのだろう。
「不変にして不動なる信頼を、鱗々たる我が剣盾に与う。その刃は曇ることなく輝き、その魂と血肉はこの地に眠らん。我らが命、我らが誇り、我らの心、この地の民と共にあれ。我が魂はそなたらとあり」
返された剣を腰に戻し、甲冑姿のごつごつした手が私の手を取る。そして自分の口元に押し頂いた。
「我が功をあなたに」
私はその兜に口づけるようにして、応えた。
「我が心をそなたに」
まるで主君と家臣が恋愛関係にあったかのようだが、どうしてヴェラストレイラがこの地に封じられたかというと、かなり優秀な竜の種の印を持っていたからだとも言われている。
だけどそれを知らなかったら、かなり私の大好きなパターンだ。
(こうして見ると、レイドってば将来有望? やっぱり背高いしね。たまに押しが強いけど、基本的にはとっても紳士だし。何と言っても性格素直だし)
女領主と守護騎士との身分差ラブ。いいよね、もうロマンチックが大爆発。
実際には女領主のヴェラストレイラ、かなりの数の男達とこの誓いを交わしているらしいので、恐らくラブじゃない。
だってラブがあったら女領主、百人以上の愛人がいて、日替わりでも一年に一回しか恋人タイムがやってこないことになっちゃう。恋人の顔も忘れちゃうよ。
「やっぱり知ってたんだね、アレル。まだヴェラストレイラは貴族だったか、取り立てられた平民って説が強いのに」
立ち上がったエインレイドが笑いかけてくるのは、先のセリフを私が言ったからだろう。
それは絵画に描かれた時よりもだいぶ前で、ヴェラストレイラがこの地にやってきた時の宣言だとか。
「うん。だって手伝わされたんだもん。どうせ暇だろって調べるの手伝わされたんだもん。どっかの意地悪な講師がお嫁さんにいい顔したいばかりにさ。やっぱりヴェラストレイラ、王女様だったのかな」
「いずれ研究が進んだら明らかにされるんじゃないかな。失われた文献も多いらしいしね。だけどかなり濃厚だよ」
少し離れた場所から見ていたダヴィデアーレが、そこでやってきた。
「あの最初のそれってどういうことだ? 何に載ってるんだ?」
「えっとね、ダヴィ。それ、昔の人の日記にあったんだよ。だから知らないのはしょうがないの。なんかね、ヴェラストールにヴェラストレイラが来た時にみんなの前で宣言したらしいよ。だから王女様だったんじゃないかなって言われてたりするの。だけどまだ研究途中なんだよね。要は一人の日記だけじゃ証拠としては薄いってこと」
するとマルコリリオが、なんだか考えているような顔で尋ねてきた。
「ねえ、そしたら本当はあの誓いってヴェラストレイラ王女様と、その王女様を愛していた将軍ってこと?」
「それがどんな愛なのかが分からないんだよね。一説にはヴェラストレイラ、当時の王子様を凌ぐ優秀な竜の種の印の持ち主で、だからヴェラストールに来たとか、それを追いかけて名だたる人達がやってきたとか。ボンクラ王子を見限って駆けつけ、優秀な王女を主君として仰いだって意味なら臣下の愛なわけ。だけどね、ヴェラストレイラ、あの誓いを少なくとも百人以上とやってる筈なんだよ。レイドによると途中で宴会に切り替えたらしいけど」
さすがに数百人の愛人がいた女領主というのは、あまりにも幻滅だ。私はそれだけ家臣に愛され、家臣を大事にしていた女領主という説が一番いいと感じている。
問題は大昔のことだからいいけど、今の時代に王族だったとか言い始めると不敬や詐称問題が発生しかねないことだ。
「そういう説もあるけど、反対にヴェラストレイラを案じた当時の国王が腹心の将達を差し向けたって説もあるんだ。問題はその国王がヴェラストレイラの父なのか兄なのか弟なのか、はたまた従兄といった立場だったのか、謎がまだまだ多いんだよね」
「あ、そうそう。ヴェラストレイラは亡くなった王妃が産んだ王女で、愛人が産んだ王子に命を狙われてたって説もあるんだった。だけどその後、王家とヴェラストール領主との間で婚姻関係が発生しているから、王女じゃなかった説もあったりするんだよね」
「いや、王子と王女のお互いの子供ならイトコなんだし、結婚はできるだろ?」
やっぱりベリザディーノって神経が大雑把だなって思った。
「そうかもしれないけど、命を狙われてた過去があったら子供を結婚させるなんて無理じゃない? だから謎が多いんだよ、初代領主。ねー、レイド」
「そうだね」
エインレイドは私よりも知っていそうだけど、それはしょうがない。
今起きていることだって、けっこう噂に惑わされて嘘情報を信じることなんて日常茶飯事。過去のことなんて分かるものじゃない。王家だけが知る歴史もあるだろう。
「まあ、いいか。どうせなら男の人バージョンやろうよ。王道のヴェラストールの誓い編。一説にはね、殺されないように女の子を装っていた男の子だったってのもあるらしいんだ。凄いよね、ヴェラストール。もう男か女か両方なのかで、めちゃめちゃ意味不明」
「まわりまわって本当に男の領主だったんじゃないのか?」
呆れたような声でベリザディーノがぼやいたけど、言いたくなるのも当然かも。
結局、昔のことなんて分からないことだらけ。だから人は小さな事実を拾い集めて自分なりに考えるしかできないのだ。
「そこの小さなお嬢さん、領主のお姫様役やってみる?」
「やるぅー」
「あーっ、ずるーいっ、ぼくもっ」
「じゃあ順番にやってあげよう」
けっこう面倒見のいいベリザディーノが、知らない幼児相手にヴェラストールの誓いごっこをしてあげ始めた。親が喜んでフォト撮りまくっているけど、同じ甲冑姿でもエインレイドよりやや大柄なベリザディーノの方が、なぜか話しかけやすいようだ。
「ディーノとリオ、大人気だね」
「うん。どうして僕とダヴィには言われないのかな」
「レイドって実は誓いを立ててもらう側ですオーラがあるんじゃない? で、ダヴィはクールに、
『はっ? 私に誓いを立てろ? ならどれだけ主君に相応しいか、まずは示してみせるんですね』オーラが出てるんだよ」
「え。さっき僕、誓い立ててあげたじゃないか」
「だから僕をどんな目で見てるんだ、アレル」
仕方がないので衣装を変えて、今度はエインレイドが領主役、私が女騎士役でやってみた。甲冑は身動きがしにくそうなので、あえて略式甲冑だ。
「不滅にして不敗なる武勇を、至宝たる我らが君に捧ぐ。我らが君ヴェラストール、あなたの名と旗はこの地と共に。我らが命、我らが栄光、我らが富、捧げる君は唯一なれば、その微笑みは我らのもの」
「不変にして不動なる信頼を、鱗々たる我が剣盾に与う。その刃は曇ることなく輝き、その魂と血肉はこの地に眠らん。我らが命、我らが誇り、我らの心、この地の民と共にあれ。我が魂はそなたらとあり」
男の領主なので、立てた剣を私の顔の前に差し出すタイプである。だからそれに私は口づけるフリをしてみた。
「我が功をあなたに」
「我が心をそなたに」
さすがに女騎士の額に口づけるのは問題だろうと、ここは同じ剣の持ち手にエインレイドが口づけるフリをする。
だけど見ていたダヴィデアーレはぼそっと呟いた。
「なんかそれじゃない。その女騎士、戦うどころか危ないと思ったら一目散に逃げる奴だろ」
「レイド、そこに私の忠誠を疑う奴がいます。ダヴィは人を見る目がないよ」
「大丈夫だよ、アレル。一番に安全な所へ逃がしてあげる。危ないことなんてさせないから」
「んまあ。なんていい子なんでしょう、レイドったら」
王座に座るのは第二王子でいいんじゃないかな。
私はそう思った。私は、私に優しい権力者が希望だ。
「一番に逃がしてもらう女騎士が誰の為に戦うというんだ、アレル。根本的なところをよく見ろ」
「だってダヴィ、大事なのはまず自助努力だよ? 自分を大切にしないと誰も守れないんだよ? だから私は自分の安全をまず確保しなくてはならない・・・!」
ダヴィデアーレは両手を広げて、呆れた顔を隠さなかった。
いつの間にか護衛のお兄さんもいるけど、思えばあの人が騎士役するのが妥当なんじゃないかな。
「語るに落ちるとは愚かな・・・。アレル、もう成人しても社交界に出なくていい。僕達では守りきれない気がしてならない。本人の自業自得的に」
「別に軍に入らなければ一番に逃げても問題ないですよ。アレルちゃん、本当に聞いてた通りの子ですね」
「誰から聞いたんですか? アレルのことなんて知る人は限られますよね?」
「な・い・しょ」
なんかもったいぶってる人がいた。
フォリ中尉のおうちで働いている兵士だから、情報も筒抜けなのだろう。
エインレイドは、私の頭を撫でながら言った。
「だからアレル、もう危ないことも、最後に残ることもしないでね? それぐらいならみんなで力を合わせてどうにかしよう? 僕達、そういうクラブだろ。一緒にいれば大抵のことはごまかせる。君が何をやらかそうが、どんな騒ぎを起こそうが、僕は気にしないよ」
「うんっ」
エインレイドは素敵な王子様だ。やっぱり女の子に優しい男の子っていいよね。
「ごまかせるって何だよ、レイド」
「アレルが残って何かしたらアレルがやったことになるだろ? だけど僕がその場にいたならアレルに命じてやらせた、自分の身を守る為だったで押し通せる。ガルディ兄上が叔父上の前例をまとめてくれてるみたいだ」
「レイド・・・! じゃあ手始めにヴェラストール城でのことは一緒にやったことにしましょう」
第二王子ということは国王の息子。つまりエインレイドは最高権力者の息子。
父には、何をやらかしても構わないと言われていたけれど、保険は多くて困らない。まずは共犯者に仕立て上げなくては。
「おーい。三人共、その衣装、店に直接返してくれってさ。昼時間だからって」
「分かった。ディーノとリオはもう脱いじゃったんだね」
「そりゃあね」
「じゃあダヴィ、アレル、脱いで返しに行こうよ」
鎧や衣装を脱いで元通りの恰好になったベリザディーノとマルコリリオが戻ってくる。どうやらお昼時間になったので監視員の人達も昼食に行ったらしい。
他の観光客もランチ時間だからと、いなくなり始めていた。
だけどダヴィデアーレはエインレイドに厳しいオレンジの瞳を向けている。
「あのな、レイド。引き返すなら今だ。アレル、もう手始めにとか言ってるじゃないか。大公とは違うタイプのくせして何を血迷い始めてるんだ。アレルの常識は世界の非常識だってことぐらい分かってるだろう。人生を投げるんじゃない」
「いいよ、アレル可愛いから。それにウェスギニー子爵の微妙な言い方の意味がなんとなく分かり始めてきた気がするんだ」
「? うちの父? だけど父、帰って来たばかりですよ。私だって一晩しか会ってないですよ。ついでにダヴィの認識がひどすぎる」
「いいんだ、アレルはそのままで」
女騎士の恰好をしていた私を、エインレイドがひょいっと両脇に手をあてて持ち上げる。さすがに父や他の人みたいな安定感はない。だから私はエインレイドの両肩に手を置いた。
「アレル、僕達は友達だ。だから僕は君を守るよ。君が僕を見捨てないなら、僕も君を決して見捨てない」
「そしたら私もレイドを守ってあげます。大丈夫、私達には未成年という武器がある。いつだって勝ちを狙っていきましょう。負けそうな時は大人に押しつけて逃走です。で、父が何を言ったんですか?」
エインレイドはとても真面目な王子様だ。もしかして私が怒られるかもしれないと思っちゃったんだろうか。
「ん? なんか僕とアレルが仲良くするのは立場上認められないって言いながら、全然気にしてなさそうで、その辺りのニュアンスやバランスがよく分からなかったんだ。・・・だけど子爵、多分どうでもよかったんだよ。あれは立場上のセリフで、本当は僕やアレルがしたいなら勝手にやればって気分だったんだと思う」
私は少し考えた。
うちの父、生きるか死ぬかの世界に生きているせいか、実はかなり鷹揚だ。安全に生活していたらそれでいいといった感覚である。子供達が喧嘩しててもその決着はコインを投げて決めればいいと言うぐらいに、細かいことを気にしない。
「うちの父、基本的に放任ですよ? 危なすぎることとか、これだけは守るってこととかの注意はしてきますが、無茶せず報告さえしておけば何も気にしません」
「そうみたいだね」
「だから今回のことも大丈夫ですよ、レイド。レイドと私達の身を守る為ならば何をやっても構わない、全ては不問にされるという許可が私にはあります」
私は情けの心を知る人情派な女だ。エインレイドが気に病んでいるというのであれば、手の内のカードをさらすことも厭うものではなかった。
その場がしーんと静かになる。
ぐいっと私は背後から奪い取られて屋上の床に降ろされた。勝手に私をぐるりんと後ろに向かせた護衛のお兄さんに、がしっと両肩を掴まれる。
「どういうことだっ! 許可とは誰が出したっ!?」
「レイド、乱暴な護衛のお兄さんが私をいじめます。ここは私を守る場面ですっ。さあっ、友情を見せてくださいっ」
振り返った際、ダヴィデアーレのオレンジの瞳が放心状態だったのを私は見てしまった。まさか私がそんなものを手に入れているとは思わなかったのだろう。
この大公家がつけた護衛も。
だけどローズピンクの瞳を持つ王子は私の味方である。
「放してあげてください、ネトシル殿。アレル、怖がりなんです。乱暴なことにも慣れていません」
「遠慮なくあの煙幕弾をぶちかましたお嬢さんがですか? そんなことよりどこからどんな許可が出てると言うんですっ?」
「えっと、・・・ディーノ、アレル持ってて」
ひょいっと私を片手で回収したエインレイドが、そのまま私をベリザディーノの方へと押しやった。
だが、聞き逃せない名前を聞いた気がする。とてもなじみのある名前を。
「ガルディ兄上も調べ終えてましたよ、アレルの許可。叔母上ももう聞いてると思います。そちらから聞いたらどうでしょう。あまりアレルを脅さないでください。可哀想じゃないですか」
「レイド様、女の子の涙に騙されちゃいけません。そこのお嬢さんはまだ泣いてませんが、可愛いことと善良であることは別物です」
「ええっ!? ネトシルってこの人もしかしてリオンお兄さんの関係者っ? なんでリオンお兄さんと違って優しくないのっ!?」
ネトシル少尉はアレンルードの鍛錬に付き合ってくれるばかりか、エプロンを買ってくれたり、一緒におしゃれごっこしたり、色々とおねだりを聞いてくれたり、とっても親切な用務員とは仮の姿なお兄さんだ。
「ちょっと待ってください、アレルちゃん。愚弟の方がよほど礼儀もなってなくて、不親切でしょう。私は鍵も開けてあげたし、忘れ物チェックもしてあげたし、貸衣装の手配だってしてあげて、松の実もあげたじゃないですか」
「そんな程度でしてあげただなんて、どんなけちんぼですかっ。その点、リオンお兄さんはいつだって優しくて面倒見もよくて素敵な紳士ですよっ。・・・って、お兄さんはリオンお兄さんのお兄さんでしたか」
なんてこった。
道理で同じじゃないけど似たような色合いだったわけだ。言われてみれば顔も似てるような、似てないような・・・、うん、似てない。
それなのにベリザディーノが何かを納得していた。
「ああ、ネトシル侯爵家の人だったんだ。レイドとあまり直接会話しないから、前から顔見知りなんだろうなって思ってたけど」
「道理で教えてくれないと思った。やっぱりうちより高位の方だったか」
「え。だからダヴィ、名前聞こうとしてたんだ」
ダヴィデアーレも同様で、マルコリリオが問いかける。
「そりゃね。名前聞かれて名乗らないでいられる時点で、僕達より高い身分かなって思ってたよ」
「そうだな。レイドの護衛なのに、何故かアレルばかりに話しかける。それでいてレイドが頷くかどうかで行動を決めてるんだから、どう見ても前からの顔見知りだろ。だけど大公家に所属している以上、本来は僕達よりも下の身分。だけど名前を答えずに済ませたということは、僕達が気にしないようにと配慮する程の爵位ある貴族の家に生まれ育ったと誰だって判断する」
そうなんだねと、頷き合ってる三人がひどい。
「そういうことに気づいてたなら私に教えてくれてもいいじゃないっ」
「あのなあ、アレル。僕達だって相手の家とうちとの関係、立場を把握せずに考え無しな行動できるわけがないだろ。もしかしたらアレルとの縁談相手の一人なのかもしれないとか気を回すもんなんだよ、普通。ミディタル大公家がどれだけ優れた人材抱えてると思ってるんだ」
「私とうちの立場はどうなるのっ! うち、ディーノ達より低位なんだよっ!?」
「あのお方をお母さん呼びできる時点で最強令嬢だろが」
「ディーノの裏切り者ぉっ。レイドもどうして教えてくれなかったのっ」
ネトシル少尉は上等学校におけるエインレイドの護衛だ。二人の関係を知らなかった筈がないし、私が貴族の人間関係なんて全く知らないことをエインレイドはよく知っている。
これは友情の危機だ。
「ネトシル少尉と違って彼はアレルの人使いの荒さを知らないし、何も知らない方がお互いの為にいいんじゃないかなって思ったんだ。だってアレル、彼がネトシル少尉のお兄さんだって知っちゃったら、ネトシル少尉のツケにして色々おねだりしそうじゃないか」
「ちょっと待ってください、レイド君。ツケなんて言葉、どこで覚えたんですか」
私はそっと視線を逸らした。
エインレイドが白状してしまう前に話題を逸らさなくては。
「私、人使い荒くなんかないですよ?」
「そういうことにしてもいいけど。あのね、アレル。きっと彼、ここまで面倒見てくれたのもかなり親しさを表す行為だったと思うよ。いつもは全部命じて終わらせるから。アレル、護衛ってかなり世話焼きなお仕事って思ってるだろうけど、どちらのネトシル殿も兵士に命じる側なんだよ」
命じる側と言うが、ネトシル少尉は結構フットワークが軽い。やはり人間性の違いもあるのではないか。
「それはないですよ。この人、全然面倒見てくれてませんよ」
「うーん。だからね、アレルのホットワインを代わりに飲んだのも、松の実くれたのも、実はかなり彼なりに特別扱いしてくれたんじゃないかなって思うんだ。普通、ネトシル殿の立場でそこまで兵士レベルで世話してくれることないから」
これだから世間知らずな王子様は。
私は社会生活の様々な面を知る先達として、もの知らずな王子に教えてあげた。
「ふーっ、困っちゃいますね、レイドったら。いいですか、常識を教えてあげます。あれを特別扱いとは言いませんよ、レイド。これがリオンお兄さんなら、
『ホットワインは飲ませてあげられないけど代わりにおうちで飲めるようにワインとスパイスをマーケットに買いに行こうね、ついでに美味しいカフェに寄って帰ろう、好きなものを奢ってあげる』
ぐらいは言ってくれます。カロリー補給用の松の実どころか、この間も差し入れてくれたのはとっても美味しいお店のキャンディだったんですよ? 値段や手間からして段違いですよ?」
勿論、私は社会人の全てがそんな紳士ばかりではないことも知っている。
だからこそこの護衛のお兄さんにもそんな紳士を目指してほしい。そういう博愛の心もあった。優しい人が増えれば増える程、社会は弱者にとって優しくなると思う。
私の言葉に改心した護衛のお兄さんは、もっと親切で心優しい青年と生まれ変わり、羽ばたくことができるであろう。
「僕達だけじゃなかったんだな、アレルの被害者は。そういえばアレル、ネトシル侯爵家の三男とも噂があったっけ」
「侯爵家って侯爵家だよね。アレルって、そんなことしてお父さんとかが困らないのかな」
「思うに僕達と同じじゃないのか? もうビーバーだからしょうがないって諦めの境地」
だけど聞いていた護衛のお兄さんは、ニッコリ笑顔で吐き捨てた。
「あー。それ、人違いですね。うちの弟はそんなことしません」
「レイド、真実を言ってあげてください。この物わかりの悪いお兄さんに」
「ネトシル少尉がアレルの無茶で傲慢な頼みを何でも聞いてくれることは確かですよ。僕も、ネトシル少尉がいくらでも自分を利用していいよってアレルに言ってるの見ましたし。ネトシル少尉、アレルにイタズラで破廉恥な雑誌を枕元に置かれてメイド達の顰蹙かっても、荷物持ちさせられても、ガラクタを移動車一台分運ばされても、全く文句言わずに笑顔でアレルを甘やかしてたって聞いてます」
「・・・あれ? 何か違う」
私はネトシル少尉が女の子に優しい紳士だと言って欲しかっただけで、私に対してどうこう言われたかったわけではない。
その時の護衛のお兄さんの顔は、信じられないことを聞いたと言わんばかりだった。
「ウェスギニー家令嬢でおかしくなったとは聞いてましたが・・・。療養が必要なのかもしれませんね。戻りましたら弟には診察を受けさせましょう」
爽やかそうな笑顔にどんな思いを隠したのか。さりげなくひどい。
「やっぱりうちの父と叔父の組み合わせが一番素敵なんだね。兄弟間の信頼というテーマでも」
「うん。アレルの結論、僕は知ってたな」
細かいことは気にすまい。要は、この護衛のお兄さんにはネトシル少尉というコネがある。それだけだ。
私はそれを知った。
「仕方ないです。それじゃ護衛をリオンお兄さんと代わってください、お兄さん。同じネトシルさんなんだから問題ないですよね?」
「ありまくりですよ。私はミディタル大公家で働いてるんです。所属が違うでしょう」
「そこはチェンジ、一時的な出向ということで。だってリオンお兄さん、素敵なお洋服とか欲しい物があったら何でも買ってあげますって言ってくれてたんです。一緒に来られなくてとっても残念だったんです」
「そんな口先だけの甘言に騙されて、あんな苦労知らずで人生なめてる愚弟を選ぶとは何事ですか。私の方が親切で優しいお兄さんでしょう。アレルちゃんはもっと人を見る目を磨きなさい」
「自分で言うっ!?」
ひょいっと片手で私を小脇に抱えた護衛のお兄さんは、ベリザディーノ達に微笑みかけた。
「あまり昼時間を過ぎてもまずいですから降りましょう。この我が儘お嬢さんの衣装を返してお店に向かえば、混雑している店がそろそろ空いてる頃でしょうね」
「・・・そっか。レイドの手がかからないことは分かってたから、アレルが一番の問題児だと思って声掛けしてたんだ」
「分かってしまえば納得か。本当の護衛対象は無茶しないが、アレルは全てをひっくり返す」
「アレルってやっぱり貴族の目から見てもちょっと変わってたのかな。だけど貴族のお嬢様を荷物扱いしてもいいものなのかな」
「そんなものじゃないの? 僕もミディタル大公家で鍛錬させられる時、あんな感じだよ」
実はサルートス王国でとっても偉い筈の王子様、あまりミディタル大公家では尊重されていなかったらしい。
どうして現実は海水レベルで塩辛いのかな。




