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43 衝動的な熱曜日


 清々しい朝は、美味しいご飯から始まる。


「ティナ姉様と二人きり。みんな、お寝坊さんなの」

「そうね。うちもぎりぎりまで寝かせてくれって言ってたけど、すぐにスケジュール確認して午後から出勤するとか言ってたもの」

「そっか。講義無かったらその手が使えるんだ」


 どうやら和臣を含めて皆は朝方までお喋りしていたらしく、起きてこなかった。

 父と叔父はともかく、祖父母はさすがに早めに寝ただろうと思って起こしにいってみたけれど、一緒に二度寝させられそうになってしまった。ベッドの中にいた祖母はかなり寝ぼけていて、

「いいわね、フィル。うちから出て行っちゃ駄目ですよ。あなたはうちの子なの。私のたった一人の孫娘なのよ」

と、ぎゅううっと抱きしめられてしまった。

 ご飯の後だったら、けぽっと中身が出てたかもしれない。

血が繋がってなくても愛されてるって幸せだ。

 仕方がないので二人で朝食を取ることにしたけど、昨夜のホラー食堂はかなりげんなりするものだったらしく、朝から会う人会う人、

「どうかお嬢様。二度とあのお客様に変な物を扱わせないでくださいね」

と、頼まれ続けた。

 私は悪くないのに。


「えっとね、今日はフィル、半熟卵がいいな。バターたっぷりトーストの中にある奴」

「あら、美味しそうね。それなら私も」


 ほんの少し窓を開けてあるせいか、柔らかな風が心地いい。

 するとお客さんが案内されてきた。


「お嬢様、お迎えにネトシル様がいらっしゃいました」

「おはよう、アレナフィルちゃん。おや、クラセン夫人。おはようございます。今日は皆さんは?」

「おはようございます、リオンお兄さん。卵は何にしますか?」

「まあ、おはようございます。他の方はちょっと明け方まで起きていらしたようです」

「そうだね。聞こえていたからアレナフィルちゃんと同じ奴で」

「かしこまりました」


 ウェスギニー子爵邸はちょっと遠いので、警備棟の人達のお迎えもやや早くなってしまうのだ。だから申し訳ないと、朝食はここで食べてもらっている。男子寮と同じ調理人で提供される朝食は、もう少し遅い時間帯だ。

 結果的にもっと早く来ることになっている気がしなくもない。


「あのね、ティナ姉様。フィルね、マナーレッスンで早く学校に行かなきゃいけないの。ティナ姉様はちゃんと移動車出してもらうから大丈夫」

「あら。そういうことなら私も一緒に行くわ。少々早くても問題ないわよ。わざわざ出してもらう方が申し訳ないもの」

「良かったらクラセン夫人も参加なさってはいかがですか? 茶会のマナーレッスンですが、挨拶をして楽しく会話するというものです。たまには顔ぶれが違った方がいいでしょう」


 ネトシル少尉が、アリアティナを朝のお茶会レッスンに誘った。


「まあ。今はそんなクラブがあるんですね。私の時はティーパーティクラブが人気でしたけど」


 同じように思えるけど、クラブメンバーで楽しく茶菓子を作ったり、ちょっとおしゃれしてみたり、会場の飾り付けを工夫してパーティ形式で楽しむタイプだそうだ。

私もやってみたい。男の子はアニマル着ぐるみ、女の子は妖精の羽をつけた状態で参加するの。きっと可愛い。

アリアティナは、やはり王子が入学すると正統派な茶会レッスンクラブが人気になるようだと思ったらしい。柔らかな笑顔でネトシル少尉が否定する。


「どちらかというと自主活動ですね。自分のマナーに自信のない警備関係者が交代で参加しています。警備棟の管理責任の総括がウェスギニー大佐なのでお嬢さんにも参加していただいているのですよ」

「それだけ普段から自己研鑽なさってますのね。ご立派です」


 多少の嘘と誤解があっても気にするまい。

 最初は警備棟にいる士官がメインで参加していたけれど、門で守衛している兵士も交代で参加することがある。つまり貴族としてのマナーが身についていない人が参加していても場を壊さないという練習だ。

 最初は貴婦人(推定王妃様)と同じテーブルに着くなんて恐れ多すぎると怯えていた兵士達も、あえてマナーを分かっていない状態の招待客をどうやってその場の雰囲気を壊さずに私が切り抜けるかの練習に参加してほしいのだと告げられ、そういうことならと緊張しながらも参加している。

 結果として正しいマナーや身分別などのそれを教わり、兵士でもかなりマナーや身のこなしに違いが出てきたそうだ。


「お嬢様、先にスープをお持ちしますが、こちらの深皿でよろしゅうございますか?」

「うん。そうしたらパンが残ってもスープの具になるから大丈夫。お行儀悪いけど、今日はお祖父(じい)ちゃまとお祖母(ばあ)ちゃま、お寝坊さんだからばれないっ。ティナ姉様、リオンお兄さんっ。そうするとねっ、卵がなくなった悲しいトーストも美味しく食べられちゃうんだよっ」


 スープの入った大きなボウルから好きなだけ注いでもらえるから、そういうこともできる。ソーセージもそれに合わせて一口サイズにカットしておくのだ。


「ははっ。相変わらずアレナフィルちゃんだね。そっか。それは楽しみだ」

「ふふ。そうね。卵の黄身がなくなったらトーストも美味しさ半減だものね」


 運ばれてきたバターたっぷりトーストの真ん中には少しくぼみがあって、そこに半熟卵が落とされている。あーんとかぶりつけば、黄金の垂れてくるそれが塩の粒やバターと相まってハーモニーを奏でた。

 とろける黄身を食べてしまったバタートーストが寂し気でも、熱々の野菜たっぷりスープと一緒に食べればいい感じだ。

 どうせすぐにお茶会レッスンで紅茶が出るというので、朝は濃いコーヒーが少量出される。私はホットミルクにコーヒーを足したものだ。

 苦いのにちょっと砂糖を入れた程度で飲むネトシル少尉とアリアティナが、仕事熱心なあまりカフェイン中毒にならないかが心配である。


「あれ? 夫人がいらっしゃるならクラセン先生の方は?」

「レン兄様も、お寝坊さん。講義はお昼からだから大丈夫って」

「そっか。じゃあ俺だけが両手に花なわけだ。今日は朝から素敵な始まりだな」

「フィルもいい男といい女に挟まれて、とっても素敵な朝なのです」

「ふふ。私も素敵な男性と可愛いフィルちゃんに挟まれてとても素敵な朝だわ。・・・昨夜がかなりアレだっただけに」


 セリフの後半、どこか虚ろな響きがあった。


「お、思い出しちゃ駄目っ。ティナ姉様、あのゴーストディナーは思い出しちゃ駄目なのっ」

「・・・えっと、何かあったのかい? ゴーストディナーって仮装パーティだったのかな」

「ううん、恐怖のホラーなご飯が・・・。よりによってティナ姉様はフードを外し、夕食タイムなのに腐乱死体をどどーんと見ちゃったの」

「? 昨日、そんなスクリーンドラマがあったんだ? それは怖かったね」


 そんな熱曜日(ねつようび)だったが、私はヴェラストールに護衛で行く筈だったネトシル少尉が行かないことになったと、その移動車の中で教えられたのだった。

 どうやら王子様にいつもくっついているというので、「お前だけずるい。たまには代われ」と、言われちゃったらしい。


「そっか。優秀すぎると妬まれてたまには手柄を譲らなくてはならなくなるというアレですね。だけどリオンお兄さんは働きすぎですからこの際骨休めをした方がいいです」

「はは。だけどアレンルード君も一緒に行けなくなったって言ってたよ。この週末は連休だろう? だからユニシクルボールの集中レッスン受けるって」

「ええっ? ルード行かないのっ? そんなぁ」

「まあ。ルード君ったら本当に元気ね。フィルちゃんは昔からおうちでとってもお利口さんにしてたけど、ルード君はいつもお外で走り回っていたもの」

「ルード君もかなり残念がってたよ。ヴェラストール観光したかったって。だけど今週末だけらしいんだ」

「そっか。ルード、それだけ頑張ってるなら仕方ないです」


 なんということだ。兄よ、双子の妹とのうきうき旅行よりクラブ練習を選んじゃうのか。

 私のこと大好きなくせして、釣った魚にエサをやらないとはどういうことだ。あまりにも兄妹愛がひどすぎる。

 それでもアレンルードがクラブ活動を頑張っているって私は知っていた。

 仕方がない。素敵なお土産を買ってこよう。アパートメントもあるって知ってるし、今度は家族で行けばいいのだ。




― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―




 放課後の第2調理室では、クラブ活動を放棄して半曜日の予定を皆で話し合う。

問題はヴェラストール駅までのブースチケットだ。


「え? チケットは侍従の人が持ってくるの? 先に渡されるんじゃなくて?」

「先に渡したらなくすかもって思われたんじゃないか? 僕達もそういうことはよくあるぞ。な、ダヴィ?」

「まあね。だけどそうなると駅で待ち合わせるのか? それもそれで面倒だな」

「えっと、・・・仕方ないよ。レイド、王子様だもん」


 何故か私だけが物わかり悪く文句言ってる人扱い。ちょっと疎外感だ。


「そんな連絡があったんだ。僕達がクラブメンバーで出かけるプライベート旅行な筈なのに、列車では僕達よりもいいブースを取る人がいたらおかしいからって、いちばんいいブースらしいんだけど、私服にさせるから近衛を常に近くにいさせてほしいとか、侍従も一緒とか、なんかそんなこと言われて・・・」


 肝心の王子様も戸惑っている。

 私はネトシル少尉がヴェラストールに行けなくなったと話していた今朝のことを思い返した。


「おかしいですね。今まで私がレイドのお出かけ計画出しても、姿を見せずに護衛してくれてたのに。そういえばこの警備棟所属の護衛も今回のヴェラストール行き護衛、外されたって聞きました。レイド、やっぱり王宮で王子様の護衛強化計画ができてるんですか?」

「え? 知らないよ、そんなの。それならウェスギニー子爵が知ってるだろうけど」

「何故? うちの父、関係ないですよ」

「おいコラ、そこのビーバー。お前の父親、レイドの学校生活警備担当の総責任者だろうが」

「何言ってるのかな、ディーノったら。うちの父はたしかに警備の人達の上官だけど関係ないよ。うちの父、基地所属で火山噴火被害対策したり、辺境警備したりしてるもん。そっちはあくまで報告聞く程度だよ、多分」


 四人の眼差しが私に向けられる。

 はあっと溜め息をつきながら、首を左右に振るようにして馬鹿にしてきたのがダヴィデアーレだ。


「やはりアレンがいないと話にならない。いいか、アレル。君の父君はこの警備棟の総責任者だ。だからこの警備棟がクラブルームとして提供されてるんじゃないか」

「そういうことにして、レイドの警備を厳重にしただけだよ。だって王子様がクラブ棟に出入りするより安全だもん。うちの父、関係ないよ」


 軍なんて縦社会。父は大佐だから警備棟責任者のエドベル中尉より上官だし、父は王城勤務でエインレイドの警備にも関与しているそうだから、たしかに責任者の一人になるのかもしれない。

だけど父がこの警備棟で指示を出してる姿なんて見たことないし、書類上は目を通している程度じゃないだろうか。だってうちの父、どこまでも不在にしている。そんな責任者がいてたまるか。

責任者とはそこに常駐して責任持って管理するからこそ責任者なのである。

 

「実の娘が騙されていてどうする。ウェスギニー子爵は息子をクラスメイトかつ男子寮生、そして娘をクラブメイトとして王子の周りに配置し、大人が入り込めない場所でも全てカバーしてみせたんだ。その有能さをどうしてアレルが理解してないんだ」

「いやいや、ダヴィ。その言い分、ちょっとおかしいよ。だって私達がクラブ作った時、うちの父ってば仕事でいなかったもん。戻ってきてから学校長先生に聞いたって言ってたもん。ルードだって男子寮に王子様いるの知らなかったよ?」


 ダヴィデアーレはアレンルードを誤解している。うちの兄、王子様のことなんて何も考えてないよ。クラブのことしか頭にないよ。

 そして父も学校のことなんて全く分かってないから。


「あ、うん。そうそう、アレン、僕のこと知らなかったよ。だからそれはウェスギニー子爵、関係ないよ。だって僕、不在にしていたウェスギニー子爵が戻ってきた時に会って、その時にアレンとアレル、僕の顔も知らなかったのを謝罪されたもん。それにアレン、僕と初対面の時、王子と同じ髪と目の色だから、変な勘違いされないように逃げた方がいいって忠告してくれたし」


 当事者であるエインレイドと私は「だよねー」と頷き合い、噂が過大評価されて独り歩きしているだけだと確認し合った。


「そうなると噂が間違いすぎてるのか? 言われてみればあのクラブ設立、学校長先生が乗り出してきたのはレイドがいたからだろうけど、思えば設立条件の五人になったのはリオと僕、そしてディーノが名乗り出たからだ」

「そうだよね。あの時アレルが話しているの聞いて、僕、面白そうだなって思ったんだもん。命令された花の苗を植えるより、自分で考えて育てられるのっていいなって」

「うーん。だが、ウェスギニー子爵が無関係な筈ないんだがなぁ。王宮勤務だったと思うんだよ。そうだろ、ダヴィ」

「だと思うんだが、ウェスギニー子爵はかなり謎だしな。じゃあ関係ないのか? だけどなぁ」


 悩み始めた三人だが、たしかに無関係とは言えないかもしれない。


「あ、待って。言われてみれば少しは関係あるかも。だってうちの父、レイドの護衛や警備している人、うちに招待してた。うちの叔父もたまに会ってる」

「そうだね。アレンとアレルの件は無関係だと思うけど、ウェスギニー子爵が僕の学校警備状況を父に報告する係なのは間違いないよ。ウェスギニー子爵、他にも色々と仕事があるからって、僕の報告は他の人に代行させてあちこち出かけてるけど」

「ええっ? じゃあ代行させなければうちの父、もっとおうちにいられたわけっ? ひどいっ。・・・あ、だけど、それだから色々な人が助けられたんだった。・・・うん、仕方ないや。時間が勝負ってあるし」


 悲しい。だけど仕方がない。うちの父が有能すぎる、そういうことだよ。


「おい、ビーバー。やっぱりお前だけが騙されてたんじゃないか」

「あまり追い詰めないであげてよ、ディーノ。アレルだってお父さん大好きなんだもん。あんなカッコいい子爵様、不在がちだなんて寂しいよ」

「そうだよ。私は国内平和の為、父がいない寂しさに耐えている悲劇のお嬢様なんだよ。・・・そんなことよりさぁ、なんかこれ、同じ列車内とかで

『あらまあ、偶然ですわね。殿下、こんな所でお会いするなんて』

がありそうな気がする。なんか今回、うちの兄も強化練習で行けなくなったんだ。だからルードの女装掻きまわし作戦は無理。これは全面的に王宮の方で手配されている気配がぷんぷんむんむん。うちの父、昨日帰ってきたばかりだし」

「なんだ。それならお父君に相談したらどうにかなるんじゃないか、アレル?」


 ダヴィデアーレは子爵家の力のなさを分かっていない。伯爵家のお坊ちゃまめ。

 私は貴婦人(推定王妃様)との朝の会話を思い出していた。なんでも今、エインレイドは狙われているらしい。

 だからそれをみんなにも教えてあげようと、思い出しながら話してみる。


「それがね、今朝聞いたんだけど、私が外国人と婚約しちゃったじゃない? それでね、いつも一緒の私が婚約したならレイドもガールフレンド作って婚約したがるんじゃないかって考えた人がいるみたい。私は成人病予防研究に興味があってお料理上手な子がレイドのガールフレンドになってくれるならウェルカムだけど、多分それはないよね」


 気立てのいい女の子のお友達ができるならそれも良かったんだけど、さすがにそれは無理だろうなって私も分かっていた。


「アレル、勝手に僕のガールフレンドを製造しないでよ」

「それならアレルが婚約解消すればいいじゃないか、ファレンディア旅行優遇措置目当ての婚約なんだから。それぐらいの不自由さぐらい耐えろよ、ビーバー」

「そうだな。アレルが変な欲をかいた偽装婚約だ。そこはレイドの為に婚約解消して、全ての令嬢を敵に回してレイドを守ってやったらどうだ、アレル」

「えっと、・・・うん。それが一番平和なんじゃない? そっか。アレルがレイドにとって一番仲のいい女の子で、アレルのお父さんがレイドの護衛関係の総責任者だったから平和だったんだ。それなら旅行を諦めれば?」


 冗談やめて。10日間の隔離だなんてノーサンキュ。

 だけど今朝のお茶会マナーレッスンで、貴婦人(推定王妃様)から教えてもらった事実は衝撃だった。私はいつの間にか、王子妃候補の貴族令嬢リストに名を連ねていたらしい。

 さすがにびっくりして、

「それはレイディ、それって・・・・。

『なんてこと、この私が王子妃!? まさに玉の輿へのレッドカーペットが私専用っ!? ほーほっほっほ、誰もが私にかしずくがいいわっ!!』

と、ここは光り輝く栄光と権力、そして素敵な殿方を観賞用に侍らせる夢を見てもいいところですか? 病弱なんですとか言って、快適な離宮でのんびり生活してもいいですか? うちの父を私専用の護衛に指名して、毎日いちゃいちゃしていてもいいですか? ついでにうちの叔父も同居でいいですか?」

と、謙虚そうに質問してみたら、

「ええ、どれも無理ね」

と、却下されて、

「仕方ありません。とても残念で悲しいことですが、ここは栄光と権力で光り輝くレッドカーペットを歩くのは他の素敵な令嬢にお任せします」

と、諦めることにしたのである。

 代わりにネトシル少尉が、

「王子妃なら私を護衛に指名するぐらいの権限はありますよ。ただの貴族令嬢ならどんな相手も自分次第でより取り見取りですが」

と、頭を撫でてくれたから、

「やはり多くは望みません。私には地道で堅実な就職活動があるのです」

と、己の身の程をわきまえることにした私はとても控えめで素敵な子爵家令嬢だ。

 その王子妃候補貴族令嬢リストとやらは、何人ぐらい名前を連ねているのかなと思って念の為に尋ねてみたら、「爵位のある貴族の令嬢でエインレイドと年回りが上下五歳以内なら全員リストアップ」されているものだとか。

 よくよく聞いたら、あまり有り難味がないリストだった。ほとんどの貴族令嬢がリストに入ってるらしい。

 だけど同席していたアリアティナは、

「そんな・・・。フィルちゃん、夏の長期休暇も王子様に近い令嬢として素行調査が入っていたのに」

と、かなり同情してくれた。

 どうやらバーレンは、私達とのサンリラ旅行をそういう理由で妻に話していたらしい。

 全面的なアリアティナの信頼が心に痛かった。

 夏の長期休暇は貿易都市サンリラでバイトしていた私、本当にそんな調査が行われていたら、男達に囲まれての酒盛りステイが報告されてしまってたよ。私はお酒なんて一滴も飲んでないけど。

 そして男子寮監達は全員解雇だね。未成年にお酒作らせてたんだから。

 更にはファレンディア人による誘拐被害者事件が報告されてしまってチェックメイト。あれは弟が姉とお喋りしたかっただけだけど。

 色々と掘り起こされたくないことが多い私はアリアティナが騙されていることにはあえて触れず沈黙を守った。

 その辺りは一旦置いておいて、つまり、だ。私が婚約してしまったことで、王子エインレイドの周囲に恋に落ちるべき女子生徒を配置したい思いがどこぞで渦巻き始めたそうだ。


「ちょっとちょっとちょっと・・・! そんなことしてたら私の休暇がほとんど駄目になっちゃうんだもんっ。それだけは駄目っ。私が旅行し終えるまで婚約解消は駄目っ。それなら、他の人を身代わりに・・・・はっ、そうだっ。それならレイド、私そっくりに変装できる男の子と恋をしてみましょうっ」


 そんな理由で狙われるなんてエインレイドが可哀想だ。それは分かる。だからといって私の婚約を取りやめろとは、クラブメイト達はあまりにも友情甲斐がなさすぎる。せめて外国旅行が終わるまでは待ってほしい。いや、そうじゃない。

 いつでも安全ゾーンにいたい。私はそんな繊細な女の子だ。


「やめて。アレンをそういうことに巻きこむのはやめて。しゃれにならないからやめて。僕、アレルよりも女の子らしいアレンと仲良くするのって、変な噂が立ちそうで嫌だよ」

「さすがになぁ、それはないだろ。そんなことよりまずはヴェラストールだ。アレルは安いブースとか言ってたけど、それはもう無理だってことだ」

「そうだった。せっかく安いブース取っておいてもらって、私達、安いクラスで行こうとしたのに」

「は?」


 ベリザディーノ以下、誰もが私を見つめる。

 だから私は種明かしをした。何の為にもう荷物をこのクラブルームに持って来させたと思っているのか。足りない持ち物チェックの為だけじゃない。


「だってさぁ、何の為にレイドが変装したと思ってたの? 王子様じゃなくてただのレイドで友達作る為だったんだよ。今回もそうだよ。王子様らしい旅行なんていつでもできるんだから、無駄になる安いブースを一つ取っておいてもらって、本当は2等クラスの指定席体験するつもりだったの。だけど同じ列車だとすぐに見つかりそうでしょ? だからうちで着替えてささっとファリエ駅に向かって、一つ早い列車で行くつもりだったんだよ」

「さすがアレル。そこまで考えてくれてたんだ。もう僕達、とっくに着替えと荷物はここに置いてあるけど、やっぱりアレルって転んでもただじゃ起きないふてぶてしさが最高だよね」


 エインレイドの誉め言葉が微妙に引っ掛かった。

 それなのに三人もうんうんと頷く。


「やっぱりそんなこと考えていたのか、アレル。土壇場で忘れ物がないようにと、もう揃えてここに置いておいてよかった。安いクラスで行くなら顔を隠せるフード付き上着も必要じゃないか」

「まあまあ、ダヴィ。さすがだよね、アレルって。そういうところ、凄いなって僕思うよ」

「ビーバーを信じなかった僕達の勘が当たってたな。変なこと言い出したと思ってたんだ」

「ひどい。だってさあ、お仕事にはちゃんと守秘すべきことがあるんだよ。勝手にレイドの予定もらすのは駄目だよ。そんならちょっと出し抜いちゃって、ざまあ見ろってやっちゃおって思うよね? 思っちゃうよね?」


 この警備棟にいる人達は私の味方だ。いざとなれば「すみませんねぇ。子供達は先に出ちゃったみたいなんですよ」の伝言をお願いすればいいと思っていた。

 そんな私の頭をよしよしとエインレイドが撫でてくる。


「ありがとう、アレル。僕、やっぱり君といると強くなれる気がする。そうだね。勝手に早い便で行けばよかったんだ」

「護衛する人に先に言っておけば邪魔も入らないかなって思ってたんですけどね。だけどそこまで管理下に置こうとするなら、こちらにも考えがあります。さあ、レイド。こうなったなら権力の行使をすべき時です。ここはもう裏をかいて私達で実行してしまいましょう。名付けて、王子様の平民旅行体験・・・!」

「おい、レイド。ビーバー止めろよ。何の権力だよ」

「えっと・・・、何する気なの、アレル? 僕、権力なんかないよ」

「そこは大公様の権力です。聞いたら大公様は王子時代から好き勝手やってたそうです。だから大公様を巻きこんで、そして責任はあっちにかぶせれば私達は怒られません・・・!」

「・・・レイド、ディーノ。アレルを止めるべきだ。なんで大公様を巻きこむという思考が出てくるんだ。関係ないだろ、完全に関係ないだろ」


 ふっふーんと、そこは鼻で笑ってみせる場面だ。

 私はじゃじゃーんと、そのカードを掲げてみせた。


「これを見てひれ伏すがよいっ! これこそ、大公妃様が信頼できる相手にのみ渡すであろう大公妃様の専用通話通信アドレスが記載されたカード!! 王宮の護衛が怪しいのなら、大公家の護衛がいるっ! こーれーにーてー、勝ったも同然っ!!!」

「・・・・・・ガルディ兄上、このこと、知ってるのかな」

「一番巻きこんじゃいけないお方ではないのか、おい」

「ビーバー、お前は貴族の常識というものをどこまで無視したら気が済むんだ」

「やっぱりアレル、凄いね、うん」


 というわけで、私はみんなと一緒に学校長室に行くことにした。だって学校のことはやっぱり学校長の管轄だからだ。

 サルートス上等学校において王子の護衛は警備棟が管理しているけど、校外に出る時は王城と警備棟、そして警備棟が判断した部署に連携してもらっているという話だった。今回は王城の護衛を振りきって出かけるわけだけど、そんなこと話したら学校長が寝込んじゃう。

 だからここは学校長に言ってみる。

あの、ミディタル大公が、可愛い甥の為に動くのですよと。

 多分何でもオッケーしてもらえる。そんな気がする。 




― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―



 

 旅とは、ふらりと駅でチケットを買い、そして独特の感慨を持って車両へ乗りこむものだ。何故ならば旅とは人生そのもの、その一歩が自分を新しい明日へと連れていくからである。

 知らない場所へと向かう怖さや不安がないわけではない。だけど新しい何かと巡り合う期待と喜びもまた心に満ちている。

 だから人は旅に出るのだ。この胸を過ぎる寂寥感を振りきるようにして。


「うん、アレルってば本当に意表を突いてくるよね。夜行列車なんて、僕、初めてだ」

「安心しろ、レイド。みんな初めてだから。そりゃうちには、明日からの旅行の打ち合わせがてらウェスギニー子爵邸に泊まるって連絡したからいいけど、僕は子爵に同情する」

「全くだ。問い合わされたらどうするんだ、ビーバー。子爵に僕も同情する」

「えっと・・・、僕は夜行列車初めてだからワクワクしてるよ。朝から遊べるしね。何より、明日の半曜日の授業、他の平日でうまくやりくりできるみたいだし」

「時間を無駄にしたくないなら夜行列車、便利なんだよ。寝てる隙に盗難とかも起こりやすいから荷物はちゃんと体の内側とかにまとめておいたりしなきゃいけないけどね。だからちょっと奮発してブース。騒いでてもあまり迷惑にならない。さ、夕ご飯。こういうのは駅でディナーボックス買って食べるものって決まってるんだ」


 学校長先生に、明日の半曜日の授業予定を他の平日の授業でカバーできないかを尋ねたら、私達はかなり授業数をこなしていて、一般の部で来週あたりに明日の授業と同じものがあるという話だった。

 来週の帰宅は少し遅くなるけど、そこは仕方がない。

 そして私達は明日の半曜日を待たずに、熱曜日(ねつようび)の夜行列車に飛び乗ったのである。


(さすがは私。あると思ったよ、夜行列車。朝から遊ぶ為に夜行は欠かせないツール)


 うちの父には、明日の授業はなくなったから今日からヴェラストールに行くと伝えた上で、和臣に通話通信を代わってもらって事情を説明したら、通訳にバーレンがいるから私がいなくても大丈夫と言っていた。

 子爵邸はお世話してくれる人も多いので滞在そのものは快適らしい。

 ベリザディーノ、ダヴィデアーレ、マルコリリオの家にも、今日はみんなウェスギニー子爵邸で泊めると、父に連絡してもらう約束をした。旅行前夜のリハーサルお泊まり会だと思ってくれるだろう。

 マーサの家に行ってうちの鍵を開けてもらって皆で着替え、そして父の書斎にあるというヴェラストールのアパートメントの鍵を借りて、ついでに私のお小遣いも持ち出したから、全ては完璧だ。


「ディナーボックスなんて売ってるんだね。どんな味なんだろう。ところでテーブルってどこにあるの?」

「手すりから背後を見れば、そこに収納されてるんです、レイド。ブースはブースでも、ドア付きブースでは一番安い奴だから、固定テーブル備え付けではないんですよね」

「へえ。こんな感じになってるんだ」


 みんなが恐る恐る手すりの後ろにあったテーブルを引き出してセットし始める。

この座席がベッドになるのだと教えた時も愕然としていた。座席がベッド代わりになるだなんて考えたこともなかったのだ。


「そういえば酔い止め買ってきたから、食べた後、酔いそうだったら飲んでおくといいよ。眠くなるから先に歯を磨いた方がいいけどね」

「だけどアレル、洗面所は共用だろ。どうせなら洗面所も付いているブースにした方がよくなかったか?」


 ダヴィデアーレはもう少し高い個室でも良かったんじゃないかと、そこが気になっているらしい。やはり王子様が一緒だから不安になっちゃうんだね。


「そういうのはいつでも乗れるもん。こういうブースってね、トイレでブースを空ける際に泥棒に入られやすいの。だから洗面所に行く時は交代で行くとか、お互いにマナーを守って洗面所を使うとか、そういうのを体験した方がいいかなって。大体、ダヴィだって洗面所を使うのに並んだりしたことないんじゃない?」

「洗面所って並ぶものなのか?」

「並ぶよ? 学校のお手洗いと一緒。自分が使った後は軽く片付けて次に使う人が不快にならないようにしなくっちゃ」


 こんなことだろうと思った私は荷物に色々なリネンも入れて持ってきた。ついでに寝間着も持参だ。きっとこのお坊ちゃま達は寝間着の存在など考えもしなかっただろう。

 四人用ブースと二人用ブースを取った私達は、四人用ブースでお喋りしていた。

 さすがに私も男の子と同じブースで寝るのはどうかと思うしね。


「大公妃様にお願いしたから護衛もこの夜行列車に乗ってるとは思うんだ。だから後は朝、ちゃんと起きるだけだよ」

「問題はそれだな。夜明け前に到着するんじゃ起きられないんじゃないか?」

「乗り過ごしたらどうなるんだろう。かなり早い時刻だな」

「何なら僕、ずっと起きてようか? あ、だけど寝ちゃったらどうなるんだろう」

「その時はヴェラストール通り過ぎた街で観光して帰ればいいよ。私、そういうの好き。大丈夫、どこの駅でも近くにホテルはあるから。そんなことよりこのソーセージが冷えているのが悲しい。ディナーボックスって温め直しできないのが残念だよね。お茶も冷たいのしか飲めないし」

「そう聞くと何が起きてもアレルと一緒なら大丈夫そうだよね。旅行費用もクラブ費用を前借りすればいいって、解決力にびっくりした。どこに行ってもアレルがいれば乗り越えられそうだ」

「どうせ余ったクラブ費用は好きに使っていいって言われていますからね。何ならこのヴェラストール旅行をクラブ旅行ということにすればいいだけです」


 エインレイドはかなりわくわくしているようで、暗い窓の外を興味深そうに眺めている。外泊届は勝手に寮監室に置いてきたそうだ。

 これも一つの少年の自立心の芽生えなのか。

 あの男子寮監達、ウェスギニー子爵邸でお泊まり会って言ったら確認しにくるって分かってた。もう騙す気にもならなかった。だが、出し抜く。


「僕はこの思い切りの良さが怖いんだが・・・。やっぱりアレル、ビーバー族だろ。周囲の木々や川の事情も考えずに勝手にダム作って自分だけ幸せに生きるんだろ」

「悩んでも仕方ない、ディーノ。だけどウェスギニー子爵邸宿泊であそこまであっさり許可が下りるとは」

「あ、それは僕もびっくりした。やっぱり父兄参観で子爵様、とっても信頼されてたみたい」

「ウェスギニー子爵、僕はかなり話が分かって親切だなって思ってるけど、みんなもそうなんじゃない?」


 うむ。やはり我が父は魅力的すぎたらしい。私も恥じない娘でありたいものだ。

 父に本日の嘘っこお泊まり会の口裏合わせをおねだりした後、三人も自宅に連絡を入れたが、話は聞いていると言うことで二つ返事だった。分かってる分かってる、みんな仲良くねって感じだった。

 だからこそトラブルに遭わないよう気をつけなくちゃいけない。自由にやるってことは責任を持つってことだ。

 風邪をひくことなく怪我をすることなく無事にヴェラストールへ到着しなくちゃいけない。

 その勇気を和臣がくれた。


「こういう時、何かトラブルがあってはぐれたり、誰かが盗難に遭ったりしても致命的なことにならないように、お金もみんなで分散させておいた方がいいんです。さすがにズボンをめくって盗む人は少ないですからね。何かトラブルが起きてはぐれたら、そのお金でまずはその地域で一番いいホテルに宿泊して、後は保護者に連絡して迎えに来てもらわなくちゃいけません。いいですね、レイド。だけどヴェラストールには王宮や大公家だけじゃなく、ダヴィとディーノんちの別宅もあるから、保護してもらうのはどれでもいいです」

「あのなぁ。こんだけ一緒にいてはぐれるとしたらお前だ、ビーバー。これだって一人だけ別ブース取ってるだろうが」

「しょうがないでしょ。だって私、女の子なんだよ。男の子と同じブースで寝泊まりするわけにいかないんだよ。だけどあんまりばらけると、もしもレイドに何かあっても分からないからね。私は一人でもどうにでもするけど、何かあったらみんな、レイドと一緒にまずは安全な場所に避難してよ。たとえ私は誘拐されようが何しようが安全だから」


 この国に一人で、私は無力だった。だけど今はそうじゃない。

 私は生きていればどうにでもなるから大丈夫。


「以前から思っていたが、お前は自分を過信しすぎだ、アレル。ビーバー族は、世の中の男共がどれ程危険なもんかを分かっていない生き物だとしてもだ」

「別にいいじゃないか、ディーノ。僕は面白いと思い始めてきたよ。思えば僕も親に嘘ついて旅行だなんて初めてだ。帰宅したらウェスギニー子爵に迷惑が掛からないよう親に謝るとしても、かえってめったにできない体験だ」

「言われてみれば僕達、かなり不良かも? だって親に嘘ついて列車に乗っちゃってるわけだし。これって家出なのかな。だけど王子様と一緒に家出しただなんて一生忘れられない思い出になりそう」

「え? 僕、家出したことになるんだ? だけどアレルが大公家に連絡取った以上、ちゃんと報告はされてると思うし、家出にはならないんじゃないかな」


 そんな感じで冷えたディナーボックスを平らげた私達は、それぞれダストボックスに捨てるついでに洗面所で歯磨きすることにした。ちゃんと盗難防止で交代制だ。

 このお坊ちゃま達にはゴミ捨ても新鮮体験。


「じゃあさ、レイドとダヴィ、一緒に行こうよ。でね、その間にディーノとリオ、自分達のベッド作っておくといいと思う。レイド達の分は残しといてよ? だってそういうのを自分でやるのも楽しみの一つだからさ」

「はいはい。じゃあ、換気もしとくから行ってこい。お前は監督官か」


 私は荷物からリネンと洗面用具、使い捨て紙ナプキンを取り出してエインレイドとダヴィデアーレを洗面所まで連れて行った。


「なあ、アレル。洗面所ブース、五つ並んでいるだし、ここは同時に他の洗面ブース使えばいいだけじゃないのか? その方が早くすむだろ」

「一人で洗面ブースにいる時、背後から襲われるリスク知ってる、ダヴィ? それなら同じブースを交代で使うことにして誰かは見張りで立ってた方がいいんだ。夜にお手洗い行く時にも二人か三人で行くようにして。私は今のうちにすませて夜間は出ないけどね」

「洗面ブース、内側から鍵かけられるだろ?」

「こんなのすぐ開けられるんだよ、そういう人達にはね。自由には責任があるの、ダヴィ。強引にやらかした以上、私達は何があろうと安全に帰るまでが旅行」

「なるほど、心に刻んでおくよ」

「うん。やる以上はパーフェクトを狙ってかなきゃ」


 そうして次にベリザディーノとマルコリリオの洗面所行きに付き合った私は、四人用ブースで皆に寝間着を渡した。


「さて、これは上下一体型(オーバーオール)の寝間着(パジャマ)です。レイドにはウシさん、ディーノにはクマさん、ダヴィにはヒツジさん、リオにはアライグマさん。これはなんと寝冷えを防ぐシロモノなので、今のうちに着といて。私も着替えてくる」


 私もパジャマだけ持って二人用ブースに行き、ウサギさんパジャマに着替えて戻れば、皆がそれぞれのパジャマ姿を見ながら笑い出したいような不本意そうな、いわゆる表情に困っているのが分かる空気を醸し出しながら立ち尽くしていた。


「アレル。何故普通の寝間着を用意できないんだ。そりゃ君のウサギパジャマは似合ってるが」

「ダヴィも似合ってるよ。さて、危険なことにならない限り手を出さないようにとお願いしているし、私達は私達の安全を自分で確保しなくてはならないわけです。というわけで、ジャジャーン。これがっ、ホラーハウスフィルムと除外コートッ」

「何それ、アレル。コート着るの?」

「そう、リオ。これはね、なるべく体全部を覆った方がいいんだ。だからさ、これ、みんなパジャマの上から着てよ」


 そして私は、皆に説明した。


「あのね、そのコートを着ている人には分かりにくいんだけど、これからこのブース内、人が入ってきたら、そこはもう血まみれの人間が転がっていて、ホラーハウスになっている映像が目に入るようになるの。だから安心して寝てていいけど、決してそのコート脱がないで。本気で怖い思いするから。たとえみんなが寝てる間に誰かが入ってきても、その人は悲鳴をあげて逃げる羽目になるよ。めっちゃ怖いの」

「あのさ、アレル。それ、どこまで怖いの?」

「いい質問です、レイド。昨夜、我が家の食堂で試したところ、皆が作り物だと知っているのに悲鳴をあげ、腐乱死体や怪物の悪夢を見る羽目になりました。ヴェラストールに到着する前に牛の鳴き声で起こしてくれるタイマーはセットしておきますので、私が出たら鍵をかけてください。そして明かりをつけていようがいまいが、恐ろしい立体映像、そして触感さえあるホラーが始まるので皆はさっさと眠ることです。めっちゃ怖いです」

「それならアレル。女の子なんだからそういうのはアレルにこそ必要なんじゃないか? 本当に一人で大丈夫なのか? 別に何もしないから、僕かレイドと一緒の方が安全だと思うぞ」

「大丈夫、ディーノ。私にもあるから。どちらかというと今の私は最強」


 ふっふっふと笑いながら私はそのブースに和臣からせしめたフィルムを貼った。

 これは角度なども計算して貼らないといけないのだが、こういう四角を基本としたブース内は設置しやすい。


「見たければ目を開けててもいいけど、怖い思いをしたくなければ目の周囲にもコートをかぶせておいた方がいいよ。じゃあね、みんな。お休み。少ししたら始まるから」


 私は荷物を持って二人用ブースへと行った。

 するとそこには勝手に入り込んでいる女性がいて、小さなブースだというのに圧倒的な存在感で座席に座り、足を組んでいた。青い髪を黒色にしている。


「あ、大公妃様」

「駄目よ。ここはお母さんと呼ばなくてはね、アレル? 保護者不在の未成年の旅行などすぐに通報されてしまうのだから」

「はい、お母さん。その黒いドレスもとっても素敵です。かっちりとしたビジネスとは違う感じで、だけどシルクでゴージャスな社交用ドレスとも違って、ドレープ感がとってもミステリアス」


 自分に似合うものを分かっているのだろう。

 立ち上がった大公妃は、私に近づくとひょいっと両脇に手を入れて抱き上げた。


「可愛いウサギさんだこと。さ、女の子にここのブースは安全とは言い難いわ。ちゃんとあのブースは守らせているからあなたは私のブースに移りなさい」

「えっと、・・・はい。だけどあのブース、これからホラーが始まるから安全だと思います」

「ホラー?」

「えっと、立体で触れたら感触もあるゴーストがあのブース内で縦横無尽に大暴れするけど、四人にはその影響を受けない除外コートを着せておいたので、入りこんだ人が怖い思いをするという・・・」

「それはとても興味があるわね」

「・・・あれは見たら眠れなくなるので、今度うちで父と楽しんでください。今、父がはまっているのです」

「その父親なら、こちらが護衛の手配をすると言ったら、『じゃあお任せします、自分は行かなくてもよさそうですね』で終わらせたわね」

「あれ? 父の愛はどこ・・・?」


 もしかしてうちの父ってば護衛してくれる気だったのかな。いやん、愛されちゃってる。だけど大公家が出てくるなら引っ込んじゃう愛だった。

 王子様よりも高いブースを使ってもいいのだろうかと思いながらも、私とて寝心地がいいブースの方がいい。

 というわけで、私は大公妃にくっついてブースを移動することにした。




― ◇ – ★ – ◇ ―




 大公妃のブースは、専用洗面所もあって給湯設備もある、ベッドと座席も別仕様な豪華タイプのブースだった。

 格差を感じた。やはりクラブの余剰経費で出せるレベルと、真なるお金持ちとは違うのかもしれない。

 黒いドレスを着てるんだと思ったら、ネグリジェタイプのルームウェアだとか。寝間着にも使える上、更には外出時に着ていても普通にドレスとしか思われないそうだ。


「そんなルームウェアがあるだなんて。どこで売ってますか?」

「仕立てさせたのよ。従軍時に使う衣類の生地を組み合わせたの。だけど肌に触れる側と人に見られる側の生地が違っているからその違いって黒が分かりにくいのよね」

「どこでその生地、売っていますか? 他の色だと駄目ですか?」

「どうかしら。他の色は考えなかったわね。生地なら軍関係者の肌着売り場とかにあると思うけれど、さすがにウサギパジャマは売っていないと思うわ」

「・・・・・・我が家の大人は子供がもう大人だということを信じてくれないのです。大人っぽいパジャマは却下され続けているのです」

「似合ってるんだからいいんじゃないかしら。どんなのが欲しいの?」


 せっかくだからと、幾つかデザイン案を残光ペンでテーブルに描いてみたら、着替えやすさにも指摘が入った。


「従軍時の使用を考えるなら手早く脱ぎ着できることも大事なのよ。そしてかさばらないこともね」

「そうなんですね。せめて父も素朴なシャツより着心地のいいパジャマで寝てほしいと思ったのですが」

「男なんて寝てる時に着てたシャツをそのまま日中も着てるから意味ないわよ」


 戦闘に男も女もないそうだが、それでも女の人は身ぎれいさを要求されるらしい。それでいて着替えるプライベートスペースはあまりないとか。軍に所属する女性は大変。


「さ、お茶でも淹れましょうか。洗面所での指導は立派だったわね。お友達にとっても危機管理の勉強になったでしょう」

「あれ? 誰もいなかったの確認したのに。どこにいたんですか、お母さん?」

「素人に分かってしまったら護衛にはなれないわよ」

「それならあんなホラーをセットしなくても良かったかも。鏡とか使って護衛の人がどこにいるのかチェックしていたのに見つからなかったんです。だから、もしかしたら違う列車に乗っちゃった可能性も考えてたのに」

「自分達で出かける旅行なんでしょう? 安心してちょうだい。姿を見られるようなドジは踏まないわ。ところでどういう予定を考えてるの?」


 せっかくだからと一緒にお茶を淹れてみることにしたら、うちの茶葉とはラインナップが違った。

 甘い香りの茶葉はリンゴと蜂蜜の甘さがあって、少しミルクを入れてもいいらしい。


「この列車、夜明け前に着くから、ちょっとうちのアパートメントで仮眠するつもりです。朝市にみんなで行って買い物して、一緒に朝ごはん作って、それから観光します。行きたいのは幽霊城とヴェラストール要塞、あとヴェラストール歴史館とヴェラストール遊園地。雑貨屋さんの多いストリートも回って、できれば夜の動物園も行きたいです。

 問題はその日程なんですけど、今、王宮の別邸お泊まりもどうしようかと悩み中です。だって勝手に予定をもらすのってひどいです。それでも別邸に行ったら、そういう人達が追いかけてきそうだなって。それぐらいならうちのアパートメントでずっと滞在して、みんなでご飯を食べに行ったり、自分達で作ったりしても楽しいんじゃないかなって思ってるところです」

「そういうことならうちの別邸に泊まればいいと思うけれど。そういえばあなた、サンリラでもアパートメントで楽しく過ごしてたわね」

「はい」


 何故知っているのだろう。やはり息子情報だろうか。


「それなら駅に到着したらうちの別邸に行きましょう。大丈夫よ、勝手に厨房も使って構わないわ。朝市に行きたければ行けばいいし、自分達で作りたければ作ればいいの。料理人もいるから、食べに行こうが、うちで食べようが好きになさい。出し抜いたと言っても、移動手段や休憩場所や宿泊先は後で報告しなくちゃいけないでしょう。あまりウェスギニー家を使うとフェリルド様が攻撃されかねないわ」

「大公様を攻撃されても困るのですが」

「生憎とミディタル大公家を攻撃できる家はないのよ」

「・・・・・・うわぁ」


 一度言ってみたいセリフだ。

 うちのアパートメントだと下にある部屋を使ってもらうか、もしくは私やアレンルードのベッドで二人ずつ寝てもらうか、そういったことを考えなきゃいけなかったけれど、大公家の別邸なら安心だ。


「それならうまくいきそうです」

「良かったわ。さ、お眠りなさい」

「はい。モーモーお目覚めタイマー掛けときます」

「・・・・・・そう」


 座席をベッドにして眠るタイプでも平気だけど、こういうブース内に固定設置されているベッドは寝心地が違う。

 うん、やはり旅行はこういう優雅な方がいい。






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