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41 列車旅行に予定は必要だろうか


 国立サルートス上等学校におけるクラブ活動は、週に三日までと決められている。だが、クラブルームをたまり場にしている私達にとって、クラブ活動とお喋りタイムの区別が迷走中だ。

 そして困ったような顔でダヴィデアーレが口火を切る。


「列車旅行もいいけどな。なんならうちから移動車を出そうかとも言ってたんだが、どうする? 列車旅行だと、どうしても荷物を僕達も持たなきゃいけないだろう? それがまずいんじゃないかって、祖父達は思ったみたいだ」

「うちも。前後周囲を囲んでもらう形でどうかって、うちの親の方がなんか慌ててた。周囲に侍女とか護衛とかを乗せた移動車を手配するつもりらしい」


 さすが伯爵家のお坊ちゃま達。子爵家とはレベルが違う。

 子供でも侍女とか護衛とかつけちゃうんだね。メイドと何が違うんだろう。


(うちなんて護衛とか言ってもせいぜい怪我人なヴェインお兄さんが運転した程度だったもんなぁ。それもいなかったら、パピーかジェス兄様が運転して終わりだった。やっぱり大公家から伯爵家まで、護衛が乗った移動車が周囲を固めてるもんなんだ。低位な子爵家や男爵家はそこまでやらない、と)


 ウェスギニー子爵邸にも運転手はいるけど、運転手兼庭師もしくは運転手兼買い出し係といった感じで長閑(のどか)なものだ。警備している人だっているけど、庭師兼警備もしくは力仕事担当兼警備といったところに思える。

正門には門番小屋があって、大事なお客様が来ると分かっている時はきちんと立って門を守っているけど、そうじゃない時は小屋の内側にある椅子に座って窓から対応するので別に力自慢じゃない人でも大丈夫な仕事だ。そうなるとそれはきちんとした警備になっているのだろうか。

 正門には大切な客、大切じゃない客、来てほしくない客、勝手におしかけてくる客、迷子の人とか色々なケースが訪れるので、研修の一環としてメイド達も門での勤務がある。移動車の誘導などもあり、門にはいつも誰かがいる。

ウェスギニー子爵邸の駐車場は門の内側にあるけど、ベリザディーノを送って行った時にアールバリ伯爵邸の駐車場は門の外側にあったから、邸それぞれなのかもしれない。

 そのウェスギニー子爵邸をいずれ受け継ぐアレンルードは、現在クラブ活動に夢中だ。平日の放課後は全てクラブ活動に振りきっている。

 二つ掛け持ちしているそうだけど、かえって一つにしておいた方が試合メンバーに選ばれやすい気がしてならない。愚かな兄よ。二兎を追う者は一兎をも得ず。

 なんにせよ、伯爵家に比べて子爵家の運転手事情はかなり緩そうだ。


「えっと、凄いね。僕、普通に列車でブースだけ予約していくのかなって思ってた。そりゃレイドいるから、一番高いクラスシートになるのかなって思ってはいたけど」

「私も。大体、ヴェラストールなんて普通座席でもいいぐらいじゃないの? そりゃ変な酔っぱらいとか、車内でスリする人とか、そういう人を避けるならブース取った方がいいと思うけど。チケットなんて当日、駅で買えば十分だよ。人間、自分の体とお金さえあればどーにかなるなる」


 旅行というのは、ふらりと飛び乗って移動するからいいんだと思う。駅でふと見かけた行き先に心誘われ、心赴くままにチケットを買って向かってみる。それが旅の醍醐味だ。

 どうせホテルなんて土壇場でどうにでもなる。

 窓から外壁で反射した太陽光が柔らかく入り込んでくる第2調理室。私はとても思慮深い面持ちで語ってみた。

みんなで列車内のスリを捕まえて車掌に突き出す経験とかしてもいい頃だ。


「あのな、ビーバー。お前には護衛の気持ちが分からんのか。なんで当日、駅で買えばいいとかいう発想が出てくるんだ」

「だって混んでてチケット買えなかったら違う列車で乗り換えて向かわなきゃいけないでしょ? それってちょっと楽しくない? そりゃ先にチケット買ってあった方が安心だけど、そういうトラブルに対応しながらみんなで力を合わせて向かうってのも冒険だと思うんだよね」


 あまりにも行き先へのチケットが混んでいるようなら、あえて空いている方面へのチケットを買って見知らぬ土地へと出かけてもいい。失敗だって経験になるって私は知っていた。

 変な男に尾行されている時はそういうフェイントをかますのも大事だって、この世間知らずなお坊ちゃま達に教えてあげてもいい頃であろう。


「無事に着かなかったらどうするんだ?」

「途中の駅で下車して、そこでホテルを取って、周辺を散策する。勿論、お金が無かったらやらないけど、予算があるならそういうのも楽しいよ」


 くすくすと、エインレイドが笑う。

 彼にとっては、初めて友達と計画して旅行する大冒険だ。


「本当にアレルってば行き当たりばったりだよね。僕、どこかに行く時は時間通りに動くようにっていつも言われていたから、そういう考え方ってちょっとわくわくする」

「一番心がドキドキするのは突発事態で幾つかの列車が運休になってしまう時ですよ、レイド。日が暮れる前にホテルを確保すべきですが、そういう時は同じ状況の人達が殺到するから早い者勝ちになります。突き進むか、あえてさっさと引いておくか。その見極めが大事ですね」


 何らかの破壊活動が起きたとか、天候が大荒れしたとか、そういう時はその場所をすぐに離脱して安全な場所に避難しなくてはならない。

 普段はきっちりお金の使い方を考える私だけど、非常事態では高くてもいいからすぐに宿を押さえることが大事だと知っている。


「こら、アレル。なんてことをレイドに吹きこむんだ。大体、どうしてそういうことを知っている」

「やだなあ、ダヴィ。貴族令嬢の常識だよ?」

「えっ。そうなんだ? 貴族ってそういうことも教わるんだね」

「・・・賭けてもいい。そんな令嬢の常識は存在しない。リオ、アレルの言葉は全て疑ってかかるんだ。大体、こんな貴族令嬢が存在してもいいと思うか? つまりアレルの常識は、貴族令嬢の非常識だ」

「失礼な。どこに出しても恥ずかしくないお嬢様の私に向かって」


 どうせネトシル少尉達が護衛でつくなら、多少のアクシデントがあってもどうにかなると思うんだよね。

 今まで真面目に考えていた私だけど、ミディタル大公見てしまったら、なんか自分が真面目すぎたって気がした。

だってあれで王様の弟なんだよ? つまりエインレイドと同じ立場だった人なんだよ?

 昨日、覚悟を決めて本人に尋ねてみたら、やっぱりミディタル大公、勝手に抜け出してたの昔からだった。指揮とかは大公妃に押しつけて戦闘行ってた。学生時代から王宮抜け出しては好き放題してた。それ聞いちゃったフォリ中尉の背中、なんか哀愁が漂ってた。


「みんなは私を無責任な子だと誤解している。いーい? 私は、ミディタル大公妃様のお茶会に招かれた子なんだよ? そして私は思ったの。せめてレイド、ミディタル大公様に及ばなくてもたくましくならないと負けちゃうって」


 その場がしーんとした。

 きょとんとした顔をしているのはマルコリリオだけだ。


「えっと、ミディタル大公様って国王様の弟だよね? なんでいきなりアレル言い出したの?」

「リオ、それは聞いちゃいけない。ミディタル大公様はサルートス王国の、・・・・・・(せん)と、・・・守護神? いや、絶対に逆らってはならないお方だ」


 せんとうきょう。

 関係ないけど、そんな言葉が私の心に浮かんだ。


「えっとディーノ。それ、強いってこと? だけどそれ、僕達の旅行と関係あるの?」


 関係はないけれど、温室育ちの王子様ではついていけない人っていると思うんだよ。温室育ちじゃなくてもついていけない人っているんだよ。

 大切なのは、それにも立ち向かえる強さを身につけることじゃないかな。

 私は友達である王子エインレイドの、たくましくならないと負けてしまう未来を案じていた。


「では、身も心もたくましい子に育つ為、行き当たりばったりで当日チケットを買って出かけるフリープランと、先に予約してチケットを購入し、その列車でヴェラストールに向かう案とで多数決を取ります。どっちにしても男の子達は王宮の所有する別邸宿泊で、私は自分ちの持ってるアパートメントで泊まるけど。うちの兄は私と一緒ね」


 この多数決は、前者がエインレイドと私、後者がベリザディーノとダヴィレアーレとマルコリリオということで、先に列車を指定してチケットを購入することとなった。


「アレルに賛成するの、僕だけだったね。何かあってもアレルならどうにかしてくれそうで賛成してみたんだけど」

「やだなあ、レイド。私が一番信頼できるだなんて本当のことを。だけどみんな、なんで安心プランかな。男ならここはガツンと行ってもいいのに」


 普通、反対じゃないの? 世間知らずな王子様と臆病な貴族令嬢が安心プランで、男の子達はそれぐらいへっちゃらさっていうフリープランじゃないの? 君達に少年としての誇りはあるのか?

 そんな私に二人はどこか咎めるような顔つきとなり、一人は困ったような作り笑いを浮かべた。


「いいか、アレル。所詮、ビーバーのお前には人間サマの常識が分かってないんだろうが、レイドにとって初めて友人と出かける二泊三日旅行。それで失敗したら責任問題もシャレにならんし、何より次回の許可が下りなくなる。実績を積み重ねないとレイドの自由がなくなることも考えろ」

「全くだ。先にチケット買っておけばすむことを、わざわざリスク高いことをさせて君は僕達をどうするつもりだ。本当に予定外のことが起きたら家族に罵倒されるどころじゃすまなくなるんだぞ」

「えっと、・・・アレルがレイドのことを考えた上で提案したの、僕も分かるんだよ? だけどね、やっぱりね、トラブルはない方がいいって思うんだ」


 どうして私だけを責める。


「レイドだって私の案に賛成したんだから、私だけ責めるのっておかしいよ。それに責任って言うけど、ミディタル大公様、王子様だった時に護衛を撒いて失踪したりしてたけど問題なかったって言ってたよ。同行させられたお友達も護衛も処罰なんてされなかったって。だから責任問題、大丈夫だよ」


 するとエインレイドが指を顎に当てて何かを考える風情となった。


「アレル。多分それ、叔父上、肝心なことを言ってない。叔父上の脱走も、予定通りに帰ってこないのもいつものことで、それをさせない護衛兼見張りをつけたら、それを叩きのめして脱走するのがクセになっちゃったんだ。もっと強い護衛をつけてこいとか、そんな要求を毎回やらかして、そんな叔父上に人材を無駄遣いさせられないってことになったんだよ。罰則がなかったんじゃなくて、見舞金が出てたんだ。叔父上、自分の友達や護衛の服とか強奪して行方をくらましてたからどうしようもなかったって話だったよ」


 服を強奪って何なんだろう。まさか裸でいたわけじゃないよね、大公様。


「強い男達を配下として手に入れる為、わざと問題行動を繰り返したミディタル大公の逸話を知らんのか、アレル。だからビーバーって言われるんだ。いいか、アレル。世の中にはどこにでも規格外はいる。だが、それをもって普通と考えるのは愚かなことだ」


 ビーバーなんて言ってるのはお前だけだ。どうせなら可愛らしいカナリアと呼んで。

 やはり私を可愛いウサギさんだと抱きしめてくれるのは父と叔父だけなのか。おねだりでごまかされてくれるのは祖父だけなのか。

 ローグとマーサなら世界で一番可愛い女の子だって言ってくれるのに。


「仕方がない、ディーノ。アレルだからな。まだアレンの方なら話も通じただろうが」

「えっとね、アレルだって知らなかったんだからしょうがないよ。それに王子様だった大公様に直接そう教えられたらそういうものだって思うの当たり前だよね。ただ、ごめんねアレル。僕、まだレイドが王子様ってこともドキドキしてるとこだから、これで問題が発生したら心臓がもたない」


 プライベートでも付き合いが発生しているだけあって、ダヴィデアーレとマルコリリオは何かと一緒だ。ダヴィデアーレの女房役がマルコリリオみたいな感じだ。

 言われてみれば相手はミディタル大公。普通の男ではない。


「ま、いっか。じゃあ、そういうことでプランを立てようよ。私ね、ヴェラストールの動物園も行ってみたいな。到着したら荷物を駅にある預かりセンターに預けて、駅の近くでお昼食べて、そのまま行ってみない? もしくは、ヴェラストール近くにあるヴェラストール城。なんかね、恋人同士で行くと呪われて別れちゃうらしいけど、同性同士だったら問題ないらしいよ。ところでルードが女装してたら恋人同士になるの? 男女混合グループだと、いい感じになりかけてた仲が壊れるんだって。ところで私といい感じになりかけている人っている?」

「本当にアレルってば切り替えが早いね。ところでそのお城、男女交際に恨みでもあるの? 夫婦だと離婚するの? 男女の兄妹だと仲悪くなっちゃうの? アレンは動物園行くなら夜に行きたいとか言ってたよ」

「夜の動物園はレイド、許してもらえるのかな。ちょっと調べるリストにメモメモっと。ヴェラストール城も、離婚したい夫婦が行ったら別れたりとかできるのなら、なんかそれもそれで・・・。ヴェラストール城、なんか自分は悪くないのに浮気した婚約者に捨てられた姫君の恨みが残ってるらしいですよ。このガイドブックによると」

「そっか。可哀想に」

「そうですね。そんな男、しくしく恨むよりもその男を破滅させる方に根性使えばよかったのに」


 私はうんうんと頷いた。エインレイドは王子様だけあって心優しい男の子だ。

 観光に訪れただけの男女の仲を全て裂くことができるだなんて、きっと実力ある魔女な姫君だったに違いない。


「そんな観光程度で別れる恋人同士なら、最初から縁がなかっただけじゃないのか。それにアレル、僕達をそもそも異性と理解しているのか? まさか人間とビーバーだと思ってるんじゃないだろうな」

「あのね、ディーノ。どうしてみんな私を動物扱いするの。全く私みたいに可愛い子を撫でてお菓子あげたいからって、みんな動機が不純すぎるよ」

「お菓子あげるも何も、アレル、もらう前に自分で作ってるじゃないか。ディーノをあんまりいじめるんじゃない。だけど列車か。そりゃそっちの方が早いんだが、同じ列車でいきなりどこかの令嬢と一緒にならなきゃいいんだが」


 先に予約してチケット購入する案に賛成しておきながら、ダヴィデアーレが思慮深げに呟く。


「それだな。うちもそれを案じて移動車の方がいいんじゃないかって言ってたんだ。別に信じてないわけじゃないが、レイドの行動は先に王宮に報告されてるだろう? 情報を掴んだ誰かによって知らされた奴らがさりげなく乗ってくることもありそうじゃないか。列車の中で挨拶されて、それでヴェラストールに行くと聞いたら、

『うわあ、偶然ですねぇ。僕もヴェラストール行くところだったんですぅ。ご一緒させてもらえませんかぁ』

ってパターンで」


 誰を思い出しての物まねなのか知らないけれど、ベリザディーノの声には怨念が混じっていた。思えば最初に自分の名前に反応するかどうかで付き合いを決めようとした奴だ。そして長男の兄がどうせ全て決めるようになるんだからとか言う奴だ。

 王子程ではなくても兄狙いの人達とあれこれあったのかもしれない。


「え。それでダヴィとディーノ、護衛付きの移動車とか言ってたんだ。僕、そんなことまで考えつかなかった。やっぱり伯爵家とかになると、そこまで考えるんだね」

「そうだね。私んちも考えつかなかった。ここに伯爵家と子爵家の格差が出るんだね。うち、ヴェラストール行くって聞いても、うちの兄になんか言い聞かせてたぐらいだったよ。列車の中なら迷子にならないし、ブース取るなら安心だって言ってた」


 祖父母は現地に使用人を先行させて世話させるつもりだ。

 最初は列車内でも世話する人を同行させようと考えたけど、貴婦人(推定王妃様)と歓談したことでその気が失せたらしい。貴婦人(推定王妃様)は、私の経済力と包容力と体力重視な男の趣味、そしてエインレイドの紳士力を知っているので全く心配していなかった。

 男子達に混じる唯一の女子というので、祖父母だけが何かと気を揉んでいる。


「そういえばレイド、ブース、どのタイプにした方がいいんだ? 両隣、護衛の分含めて確保しといた方がいいよな。チケット取りに行く際にそこも相談しないと。寝台スペース付きだと、アレルにとって不名誉なことを言われかねないだろ。少しランク下げて、座席だけの方がいいかもしれないが、そうなるとドアとかも簡易的になるんだよなぁ」

「うーん。どのタイプも、僕、今まで案内されたブースしか使ったことないから、言われてもよく分からないんだよね。誰か呼んできたら、ディーノ説明してくれる?」


 チケット購入の際は、警備棟の人達と買いに行くように言われていた。だからエインレイドは誰か呼んできたら分かるだろうと思ったらしい。

 けれども王宮側からは、自分達が手配するから買わなくていいとも言われているとか。どっちなんだろうね。なんかお互いに引かない何かを感じてしまうよ。


「こらこら、二人共。真面目に考えなくても、ブースを取るって言ったら、あっちがランク決めてくれるんじゃないか? 今までだって王族の旅行がなかった筈がない。だが、言われてみれば寝台付きブースはまずい・・・のか? だって普通の座席でも、ブースの座席なら寝ることできるんだぞ。ああいう不名誉って日中なら言われない、・・・言われるもんなのか? アレルにはアレンも同行するのに」


 ダヴィデアーレこそが真面目に考えすぎて首をひねり始めた。

 列車のクラスも色々あるけれど、特等クラスだと、まさに自室のようにゆったりしたブースもあれば、プライバシーを確保したブースもある。いわゆるお金持ち用クラスだ。ブースの広さや設備によって価格が違う。ゆったりお昼寝できてしまう寝台付きなんて、ある意味とっても贅沢だよね。

 1等クラスだとブースにはなっていないけれど、ゆったりとした座席が確保されていて、自分の荷物を置くスペースもある。ドアはついていないけれど、プライバシーはそこそこ確保されている。ブースまで取る必要はないといった考え方のお金持ちとか、移動時間をゆっくり休みたい人達が購入するチケットだ。

 2等クラスだと座席が指定されていて、座り心地も悪くない。確実にその列車に乗りたい人向けだ。

 そして3等クラスだと座席は自由席。一番安いだけあって座り心地はあまりよくない。そしてガラもよくない。だが、一番利用率の高いクラスだ。


「そこらへんはよく分からないけど、ブースを予約するなら他の人、入ってこられないから大丈夫だよ。そりゃたまに、間違えたフリして入ってくる人いるけど、これだけ人数いたらレイドの所まで到着する前に、ディーノとうちの兄が立ち塞がるって。だから安心していいですよ、レイド。兄とディーノが守ってあげます」

「なんでそこで自分の名前が出ないんだよ。本当にお前って横着すぎだよな。ここはレイドの周囲にいる唯一の令嬢として、間違えたフリしてやってきた奴に、『あなたに王子様は渡さないわっ』ぐらい言うところだろ」


 ベリザディーノの思考がオーバリ中尉と重なってくる。どうしてどいつもこいつも私を女除けにしようとするの。


「そんな自分が危険なことするわけないでしょ。それぐらいならディーノかダヴィに薄紫のカツラかぶせて、王子っぽく変装させとくよ」

「そんなので騙される令嬢はアレルだけだ。王子の顔を知らない貴族令嬢はいない。規格から零れ落ちたアレルを除いて、だが」

「ダヴィ、喧嘩売るなら買っちゃうよ。今度、どこかのお嬢さん達に囲まれた時、

『王子様は親友のダヴィデアーレ様のことを本当に信頼されておられますの。だから自分のガールフレンドにもダヴィデアーレ様の意見をまず聞く気らしいですわ』

って言っちゃうからね」

「悪かった、アレル。君を侮辱する気はなかったんだ。だからそれだけはやめてくれ」

「そうそう。素直になれば許してあげましょう」

「ねえ、アレル。僕を使ってダヴィを脅すのはどうかなって思うんだけど」


 いや、こういうのは大事。みんな自分のことじゃないから軽く考えちゃうんだよ。

 軽いボディタッチなんてセクシャルハラスメントじゃない、コミュニケーションさって言う男の人には、背が高くて筋肉むきむきで男性と愛し合う性的嗜好の男達に囲まれて実際に触られる経験をさせるべきだ。その上で同じことを言えるかどうかってことだよ。

 私は王子の言葉は聞こえなかったことに決めた。


「さ、それじゃ乗る列車を決めないとね。やっぱり駅のどこかで待ち合わせて、

『待った?』

『ううん、今来たばかりだよ』

っていうお約束のアレ、レイドしてみたいですよね?」

「こら、ビーバー。お前は何をレイドに吹きこむ気だ。メンバーに女の子はいないんだぞ」

「大前提としてレイドが先に駅にいるんじゃないのか? でもってアレルが駆けてくるのを、

『急げっ、列車が出るっ』

って、みんなで声援する感じになる気がする」

「悪いけど僕もそう思った。レイド、早めに駅にいそう。どちらかというとアレルが駅で迷子になりそうだよ。だってアレル、あまり外出したことないんでしょう?」


 マルコリリオに言われて私もハッと気づいた。たしかにこの国の駅なんて行ったことがない。

 初めての駅なんて誰かつかまえてにっこり微笑めば親切に教えてくれると思ってた。


「そうだった。ファリエ駅なんて行ったことない。だって私、列車使わなくても運転手付きの移動車が手配されるお嬢様。幼年学校の頃は、おかげで高嶺の花なお嬢様扱いされたものだった」

「あのな、アレル。それ、ここにいる全員それだからな」


 ベリザディーノがいちいち一言多い。


「えっと、なんか不安になってきたから、みんなで集まってからファリエ駅に行かない? 僕、その方がいい気がする。遅刻したアレルを置いて発車するなんて嫌だよ」

「ちょっとレイド、私が遅刻するとは限らないですよ。ディーノとか、うちの兄とかだって遅刻しますよ。その時は一本遅い列車で追いかけます」

「えっとね、アレル、レイド。それなら駅で待ってみんなで一本遅れた列車で行けばよくない?」

「それ以前に遅刻しない解決法を取ろう。な?」


 仕方がないから、みんなで一緒に駅まで向かうことになった。

それならここから出発すればいいんじゃないの?

 

「みんなさぁ、半曜日に一度帰宅して着替えてから荷物持って集合って考えてるから待ち合わせってことになるんであって、着替えと荷物を持って学校に来ればいいだけなんだよ。あのね、ここで私服に着替えて駅に向かえばいいの。そうすれば時間もロスがないでしょ」


 今回、私達はヴェラストールにある王家所有の城で宿泊することが決まっている。

 王家が所有しているけれど、年頃になった王族がいる時にはほとんど専用で使わせているそうだ。いずれエインレイド専用の別宅になる。

 別にその時は他の王族が使えないわけではないけど、以前は王女が所有していると言ってもいい状態だったとか。王女が降嫁してもしばらくは王女専用として使われていたらしい。

 今回の旅行を機に、エインレイド専用となるそうだ。


「あのなあ、ビーバー。王族が所有する別宅に泊まらせていただくというのに、きちんとした格好もせずに行こうとすること自体が不敬なんだ。学校から直行だなんて、荷物に制服が入ったままじゃ、どんな礼儀知らずかと思われる。自宅からやってきたという区切りは大切なんだ」

「生徒なんだからそれは仕方ないよ。授業受けてから行くんだから当たり前だよ。というか、そんな面倒くさい決まりとかあるとか言い出さないよね?」


 意味不明だ。何を言ってるのだ、ベリザディーノ。君はいつから悲観主義になった。


「まあな。ディーノの言い分は正しいんだ。レイドはいいが、僕達は王子の別宅に招待されておいて、自宅で身なりを整えて向かったならばともかく、着ていた制服が荷物に入っている時点で、なんてぞんざいな奴だといった印象となる。言うまでもなく、世話をする使用人が僕達にも付くからそこは隠せない。

 レイド自身は気にしないだろう。だが、王宮に勤務する使用人はそうじゃない。

 僕達の態度で、自分達の王子様が友達から尊重されているかどうかを判断するんだ。リオにしても礼儀がなってないと思われるし、僕達は貴族としてまともな礼儀もわきまえていないと言われても仕方がない」

「・・・なんて面倒な。遊びに行くから正装だってしないっていうのに。しかも生徒なんだから制服当たり前なのに」

「えっとごめんね、みんな。僕も初耳だけど」


 肝心の王子が知らないルールって何なんだろう。現実はそんなものなのかもしれない。


「レイドが知らないのは当然だ。僕達の側におけるマナーだからな。本来、あまりにもラフな格好はまずいんだ。あくまで遊びに行くということと、そこでわざわざ周囲から浮くような格好をする方がおかしいということで、そこは免除されるが、それでもまともな上着は外せない。だからこそ不敬はまずいって分かるな、アレル?」

「じゃあ、ここで着替えて制服はここに置いていけばいいよ。大体さぁ、主役は私達なんだよ。使用人は脇役なんだよ。なんで脇役の気持ちを考えて、行く時間にロス生じさせて、遊べる時間を短くさせなきゃいけないの。制服の予備ぐらいあるでしょ。ここに置いていけば全て解決」


 いつだって自分の人生の主役は自分だ。マナーとして他人の気持ちも(おもんばか)らなきゃいけないけど、それで不要な我慢を生じさせるのは違うと思う。


「あのな、ビーバー。同行する以上、僕達の行動も全て報告されるだろう。自宅にも帰らずそのまま向かうだなんて、どんな不良な貴族子息かと思われるんだが?」

「そんなことを思う時点で、無能な人間、仕事できない人って言ってるようなもんだよ。勿論、けじめは大事。だけどね、時間は有限で、私達は段取りよく観光して遊ぶことが目的なの。自宅に一度戻ってなんかいたら、他の貴族のお坊ちゃまお嬢様に追いつかれるでしょ。ここはスピーディに離脱だよ。逃走するんだよ。それで文句言われるなら王宮じゃないおうちに泊まるか、いっそみんなでホテル宿泊すればいいんだよ」

「僕、服とか、おうちに一度帰るとかって、気にしないでいいって思うけど、みんなが責められるのは嫌だよ。そういうことなら僕の我が儘で制服のまま向かったって言うよ。それにそっか。直行したら一度家に帰って着替えてくる人達じゃ追いつけないんだね。言われてみれば僕、今まで外出した時には誰かが偶然出会ったりしてたんだけど、なんかこの学校に入ってから会わないなって思ってたんだ。あれ、他の人から僕の行動予定が洩れてたんだね」


 幼年学校時代、エインレイドは王子として侍従達が社会見学的な外出予定を組んでいたそうだが、大抵、休日にそこを訪れていた学校の同級生と出会うことが多かったとか。

 そして現在、エインレイドが私達と外出する際の予定管理は、警備棟と男子寮等によってなされている。レスラ基地近くの食事券を使う日、私達は学校の生徒に会ったことなんてなかった。

 そして今回の旅行は、王宮の世話係が担当しているそうだ。

 私達は一斉に押し黙った。


「えっと、それ、つまり、レイドの行動って、やっぱりみんな知ってるってこと? なんかそれ、可哀想だよ。レイド、ただでさえこんなに苦労してるのに。貴族よりも偉い筈なのに、なんで僕達平民よりも不自由なんだよ」


 マルコリリオは何かと身分を気にするんだけど、まだそんなの気にしてたんだろうか。なんで肝心のエインレイドじゃなくてマルコリリオが悔しがってるんだろう。

 私はそっとマルコリリオの前にカカオビスケットの皿を押しやった。


「思うに、レイドと令嬢の偶然の出会いを演出したりして、運命の幼馴染的なそれを狙ってたんじゃないか? もしくは気の合う友人とか。王族の身の回りの世話をする女官や従僕にしても、貴族がほとんどだ。実家や親戚からの命令に従わないわけにはいかない事情もあるだろう。そういった情報漏洩はあるのが当然というか、分かってて流してるものも多い。たとえばどんなものを身につけて現れるとか、そういうの」


 いや、仕事とプライベートは別だよ。業務上知り得たそれを情報漏洩しちゃいけないよ。まあね、大抵の貴族の邸なんて、使用人がぺらぺら喋ってるとは思うけどさ。


「ねえ、ディーノ。服装聞いてどうするの? やっぱり見つけやすくなるから?」

「違う。たとえば希少価値のある物とかが献上されたりして王族が身につけることもあるだろう? そういう時に、どこそこから贈られたものでどういう価値があるとか、そういう情報が貴族に回っていないと、誉め言葉だっておかしくなるじゃないか。たとえば濁った色合いの石があしらわれたブローチを王族がつけていて、ぱっと見、どこで拾ってきた道端の石だよと思ったら誰も褒めようがない。だけどそれが神話で語られている再生の石だと知っていれば感嘆する声もあがる。ポイントを外したらどうしようもないってことさ」

「ああ、そっか。うん、分かった」


 そうか。お城ではそういう誉め言葉にも予習がいるんだね。深い世界だ。


「大なり小なりそういうことはあるにせよ、単にあのレスラ基地近く、貴族子女ではハードルが高かっただけじゃないのか? 僕達だって下見に行った時には回れ右しそうになったもんな。な、ディーノ?」

「そうだな。いつもこんな所に出入りしているのかと思われたら、どんな不良だと思われたかもしれない。だけどどうなんだろうな。レイド、男子寮にいるんだろう? そうしたら王宮の人達が把握してなかったかもしれない」


 私達は考えた。


「うん、分かった。やっぱり一度家に帰ってから身なりを整えて、ファリエ駅に向かおう。そういうことでチケット取ってもらおうよ。でね、みんな、当日は着替え持ってきて。どうせならうちに来て着替えてみんなで向かおうよ。そうしよ? だって誰かに何かアクシデントがあって一緒に行けなかったら嫌だし。余裕をもって向かう、いいよね?」

「また突拍子もないことを言い始めたな。何考えてるんだ、アレル。うちって子爵邸か? それならうちの方が駅に近いと思うんだが」


 ベリザディーノが子爵邸の場所を頭に浮かべたらしい。


「ううん。私が暮らしてる家。そりゃうちは小さいし、使用人もいないけど、着替えて駅に送ってもらうだけならその方が便利だよ。ね? だって私んち、ここから一番近いもん。だけどさ、レイドはみんなが馬鹿にされないよう、ちゃんとみんな一度家に帰ってから着替えて駅に向かうって報告して? それで一般人が使うレベルを知る為にも、一番安いブースを一つ押さえてくれって言うの。ね?」


 どうやら私が一人で住んでいる家にみんな興味があったらしく、おとなしく頷いた。


「よく分からないけど、アレルがそう言うのならそうするよ。みんな、一度家に帰ってから駅に向かうってことでチケットを取るんだね」

「そうなの。チケット、王宮の人達に取ってもらうならそっちが確実でしょ。無駄にあれこれみんなで喧嘩しててもしょうがないもん。譲り合わなきゃ」


 別に男子寮に入る必要ないだろうと言われる程、私が住んでいる家は学校から近い。移動路面車も近くにあるから使うけれど、徒歩だけで通学できる程度には近かったりする。

 やはり王子様の情報を漏らすのはいかんと思うのだよ。




― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―




 教師から耳打ちされた落曜日(らくようび)、私は学校長室に向かった。


「失礼いたします。ウェスギニー・インドウェイ・アレナフィルです」

「おお、ウェスギニー君。よく来てくれた。いや、休み時間に呼んですまなかったね」

「いいえ、そんな。私と学校長先生の仲じゃないですか。私達は紅花の種子抽出油(サフラワーオイル)仲間ですよ」

「そうだったね。何故か今の所豚の脂(ラード)同盟がリードしてるが」


 揚げ物でも何の油を使うかはとても大事な問題だ。たしかに豚の脂(ラード)は美味しい。だけど紅花の種子抽出油(サフラワーオイル)の方がヘルシーだ。

 少なくとも学校長と私はそう考えているが、それぞれ自分達が支持する油で揚げたチキンを食べてその結果を調べているのに、何故かラードの人達が予想に反してトップを走っている。

 自宅での食事や生活習慣、本人の有酸素運動といった要因も影響していると思われるので、今しばらく見守りたい。あまり本格的に調べ始めると面倒臭いので程々にしておきたいこともある。


「個人差が大きいのかもしれません。だけどいつか形になって表れると信じてます。で、何かあったんですか?」

「ああ、うむ。実は隣の習得専門学校にだね、ファレンディアのお客人が見えたそうで、クラセン先生が通訳しているそうなのだよ。だが、ちょっとウェスギニー君を借りたいと言われてしまってね」

「私でお役に立てるなら・・・。あの、授業は・・・」

「勿論、出席扱いだ。この間と同じくね」

「ありがとうございます」


 学校長はとても話の分かるいい人だ。

 やはり故郷の言葉は懐かしいもので、たまに寂しくなる。勿論、バーレンと話すことはできるし、たまに連れて行ってくれるお店でもファレンディアの言葉でやり取りできたけれど、懐かしいものは懐かしい。

 というわけで、私は学校長に連れられて隣の習得専門学校へと向かった。


「なんか二人で学校を抜け出してお出かけしてるみたいですね、学校長先生」

「おや、本当だ。学校長でありながら学校を抜け出したなんて不良活動したことは内緒ですよ、ウェスギニー君」

「了解であります」


 くすくすと笑いながら付き合う学校長だけど、おかげで授業時間帯であっても門を通してもらえる。

 いつものバーレンの研究室があるエリアではないから緊張したけれど、どうやら理工系の人らしく、なるほどと思った。

 専門用語は、バーレンの対応対象外だったのだろう。だから彼が学校長を通して救援を求めたわけだ。




― ◇ – ★ – ◇ ―




 案内された研究室の講師は、きりっとした顔つきの真面目そうな女性だった。


「えっと、そちらがファレンディア語のできるお嬢さんですか? キセラ学校長先生?」

「そうですとも、ガンセース先生。ウェスギニー君はとても優秀な子ですよ。おや、クラセン先生は?」

「今、ニッシーナ先生をお手洗いまで案内しておられる筈ですけれど、・・・ファレンディア人のノリの良さについていけませんわ。優秀なのは分かりますけれど、手品せずに話せないのかしら。そりゃ生徒達は大喜びでしたけれど。

 せっかくですから講義を1コマしてくださるというので、クラセン先生に通訳をお願いしてやっていただいたら、もう講義しながら手品ばかりで・・・。クラセン先生の通訳を待たずに次から次へと話が移っていくのに、それでもなんとなく言っていることが分かるのは凄いですわ。凄いですけれど、ノリの良さについていけません」


 ファレンディア人でニッシーナ?


「あの、先生。それ、もしかしてニシナ先生では?」

「どうなのかしら。ニッシーと呼んでと言われたけれど、まさか外国の、それも優秀な年上の方を私のような若輩がそんな呼び方できるわけないでしょうに」


 真面目すぎると人間って肩ひじ張って生きてしまうものなんだね。

 すると、わいわいがやがやという声が廊下から響いてくる。


『え? なんで手の色が?』

『えーっと、その数式って、もしかして色の変化も化学物質のそれってことですか?』

『おい。誰かファレンディアの記号表、持ってないのか』

『ちょっと待ってよ。それってどういう反応式?』

【はっはっは。学べ、若人よ。そして学問とはより良い日々の為に使うものだ】

『えーっと、ニッシーナ先生は、「学びなさい、青少年達。学問とは社会を潤す財産だ」と、(おっしゃ)ってるね』

『クラセン先生。言葉だけじゃなくて、反応式の翻訳もお願いしますっ』

『そんなのまで分かるか、どあほう』


 私の時間が止まったような気がした。

 気づいたら駆けだしていた。その声が聞こえた方向に。


「えっ? ウェスギニー君っ?」


 廊下に飛びだして、その声が聞こえた方向へと走り寄ろうとして止まる。

 大勢の生徒に囲まれているその顔は、覚えているよりも年を重ねていた。だけどその表情は変わらない。白髪を撫でつけ、いつでも伊達男を気取っている。

 私服ばかりの習得専門学校で、灰色の上等学校の制服姿はとても目立ったかもしれない。

 彼は涙をぽろりと落とした私を見つめ、微笑んだ。


【おや、その制服はお隣の学校生かな。お近づきの証に、お菓子の花束をあげよう。発明家ニッシー、ここに見参】

「えっと、『その制服は隣の学校生だね。小さいお嬢さん、お勉強は頑張ってるかな。いい子にはお菓子をあげよう』と、言ってらっしゃるな」


 周囲に対しての配慮で、バーレンが通訳している。

 和臣(かずおみ)は、私の近くまで寄ってきて、どこからか取り出した棒状のグミを何本か束ねたものを差し出した。


【これ・・・】


 果物のピューレを固め、棒状にカットした固いゼリー菓子だ。ゼリーというより、グミだけど。

 懐かしい菓子に、彼は分かっているのだと理解する。


【怖がらせちゃったかな。だーいじょーぶ、おじさんは怖くないんだぞー】


 思わず顔を上げた私を、彼は抱きしめた。その際、私の二の腕にはめられた腕輪を確認したのが分かった。

 涙があふれて声にならない。だけど無理矢理、声を押し出した。


(かず)おじさん。もしかして、・・・優斗と、会った? だから、来てくれた?】

【当たり前だろう? さあ、笑っておくれ。いつものように。このままでは子供を泣かせた悪い人になってしまう】


 おどけたような声で、片目をパチンと瞑ってみせる。それがとても懐かしかった。

 だから私もごしごし目元を拭き、体を離してから彼を見上げて微笑む。そしていつもしていたように、左手を大きく上げて、彼の手にパシッと打ち合わせた。

 うん、いい音だ。

 

「す、すみません。目にゴミが入っちゃって、とても痛くて・・・。あ、取れました。 えっと、コホン。

【ようこそサルートス国へおいでくださいました。和臣(かずおみ)仁科(にしな)先生。私はウェスギニー・インドウェイ・アレナフィルと申します。そちらのクラセン先生と共に通訳をする為、隣の上等学校より参りました】

 えっと、クラセン先生。ファレンディア語ということで通訳のお手伝いに来ました。そしてお菓子をもらってしまいました。どうしましょう」


 私のファレンディア語に、周囲にいた学生達が、おやという顔になる。

 ファレンディア語はマイナー言語なのだ。どうして隣の上等学校生が入りこんだのかといった顔だったが、即座に納得することになった。


「もらっておけばいいと思うが・・・。その片手を叩きつけるのは何か意味が?」

「ファレンディアでは、この先生に対してこういう礼を、年下の女性は取ると決まってます。ドラマでもやってますよ。普通のファレンディア人にやったら変な目で見られます」

「つまり一般的ではないんだな。授業でも色々なものを投影したりして、手品ばかりで教室中が熱狂していた。だが、化学物質の記号にしても国が違うから全く表記方法が違うだろう。それで君を呼んだわけだ」

「そうでしたか。種も仕掛けもある手品だったわけですね。だけどもう遅くないですか?」

「そうだな。もう講義終わったから遅いな。とりあえず二人いる方が通訳にも粗がないだろう。手伝ってくれると助かる」

「分かりました。 

(かず)おじさん。泊まるホテルってもう決まってるの? 何ならユウトの親戚だって言えば、うちに泊まるの問題ないよ。泊まる? あと、なんか理工の先生、どっと疲れてたよ。どんな講義したの?】 」

【お? そうだな。保護者にも挨拶しておきたいところだ。子爵家の令嬢とか聞いたが、なんでそんなのになってるんだ?】

【きっとそれは私が一番聞きたい】


 とりあえずさっきの研究室に戻り、なんだか疲れきった顔の女性講師と、そのまま居ついたキセラ学校長とを交えて二ヶ国語雑談をした。


【たまに外国に行くと心がリフレッシュされて次のアイディアが浮かぶのですよ。そして恋もね。やはり国それぞれに違う刺激がある】

「【あははは。まぁた言ってる。刺激じゃなくて、国ごとで女性研究者の割合カウントしてるだけなくせに。おばさんのお墓にチクっちゃうからね】

 えーっと、ニシナ先生、外国に行く度に心がリフレッシュされて次のアイディアが浮かぶ時があると言っています。特に女性の研究者割合が多いところは、とても生き生きしているそうです」

「それは、・・・どういう意味でニッシーナ先生は言っておられるのかしら、ウェスギニーさん?」

「頭のいい女性が好みみたいですよ、ニシナ先生。奥様ともそれで知り合ったそうです」

「あら。惚気だったのね。てっきり・・・」


 うん、セクシャルハラスメント的な意味合いだと思うよね。通訳によっては。

 あながちそれも間違ってないけど。

 明るく陽気に話題を盛り上げながら、あまり高く評価されていないようだと感じた研究者をチェックしておくのだ、彼は。

 和臣(かずおみ)のハイテンションな話を聞いている内に、キセラ学校長とガンセース講師も、なんだか偉い外国の先生だという気持ちがどんどん失われていったらしい。

 最後には教育論になっていた。何故かバーレンが、女講師と世界共通の表記を学問に取り入れるべきだということで熱く語り合っていた。

 意味が分からない。

 別にいいじゃないか。表記方法が違っても。私と同じようにみんな苦労すればいい。


「えーっと、ガンセース先生、すみません。ここの通話通信装置、貸してください。今日、ニシナ先生、うちに泊まってもらいますね」

「まあ。いくら何でも・・・。そんなこと大丈夫なの?」

「はい。私、ファレンディア人の文通相手がいるんです。その文通相手のご家族の知り合いな方なんです、ニシナ先生って」

「まあ、なんて奇遇な。・・・だけどそれは他人と言わないかしら」


 そうかもしれない。だけど細かいことを気にしちゃいけない。

 ウェスギニー子爵邸に連絡を取って、ファレンディア人のお客様が来ると伝えておいた。

その後で聞いたら、和臣(かずおみ)はとても高い一流ホテルに泊まっていた。高い値段をとるだけあって、そのホテル、通話一本で部屋にある荷物をまとめて子爵家に届けるとか言ってた。

 なんとなく、ここでも経済格差を感じた。みんな、お金持ちすぎる。


「大丈夫ですよ。フィルちゃんち、子爵家だから客人を泊める棟は男性用と女性用とがあります。子爵は私の友人でもありますので、何なら一緒に泊まりに行きますから」

「あら、そうでしたの? じゃあ、安心ですわね」


 問題は、和臣(かずおみ)仁科(にしな)は見かけ通りの明るく陽気なダンディ爺ではないことだ。

 愛華だった私にとっては優しくて楽しいおじさんだったけれど、今のアレナフィルのことを優斗のように信じてくれているかどうかは分からない。

 だけど仕方がない。


(ここまで来てくれた。それが全てだと思うんだよね)


 発明家ニッシーこと和臣(かずおみ)仁科(にしな)。いつも陽気で楽しいダンディなおじさんだ。全ての発明を、人生を楽しむことに向けている。

 そんな彼には違う名前と裏の顔もあったそうだ。

 ドクター・ヘルハウンド。知る人ぞ知るその名前は、殺戮兵器を次々と生み出し、猟犬のような執拗さで敵を逃がさないことから名づけられた、らしいのだ。よく分からないけど。

 若くして現役を退いたとはいえ、赤い瞳の黒妖犬(ヘル・ハウンド)とも呼ばれた研究者。

 尚、本人は別に黒髪でも赤い瞳でもなかったりする。



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