39 地味でも大切なお仕事です
世の中には持ちつ持たれつ、更には次の商売に繋がる縁というものがある。
優斗が私の自由にしていいということで「親戚のお兄ちゃんたちにあげるの」なウミヘビ8台は、倉庫に転がっていたものだからともかくとして、オプションに関しては世代が違うウミヘビにも取り付けられるものなので、価格表が知らされていた。
私はその価格表を叔父やフォリ中尉達に見せたが、あれは定価表だ。センターはそれなりの付き合いがある所と契約することが多いので、そこからそれなりの値引きはある。ただし、大した値引きではない。せいぜい10%から20%引きというところだ。
勿論、様々な人道的事情等が絡んだ時には半額や70%引き程度にすることもある。たとえばファレンディア国の子供達を誘拐した国から取り戻すとか、ファレンディア国に対して侵略を仕掛けつつあった外国の目論見が発覚した時などだ。
(その場合、次の年の税金を大幅に減額してもらうとか、そういうことでトントンにするって決まってはいるけどね。結局、ファレンディアの民はファレンディアの為にしか動かない)
サルートス国はまず海戦がない国だ。ウミヘビを手に入れても、湖沼や河川での救難救助作業に使われる程度だろう。
そりゃ海に面している土地がないわけではないが、あそこから侵攻してくる方が面倒だ。だからウミヘビも本体だけで十分だったりする。
フォリ中尉に勧めたオプション3は、海中に網を張ることで、危険なサメなどがそれ以上入ってこられなくするとか、縄付き銛を発射して海中で仕留めるとか、そんな使い方のものだ。激流に巻きこまれた人を救助する時にも使える。平和利用を目指して開発されたのが、前身であるトビウオだったからだ。
(だからオプションである程度の現金を優斗に渡してあげたかったんだよね。かといって使わない装備を買わせたら、パピーの立場が悪くなるかもしれないし)
悩ましいところだ。オプションに関してセンターの儲けをゼロにするわけにはいかない。いい研究者や技術者を確保しておくための人件費や研究費は金食い虫なのだ。
だから値引き交渉してくれてもいいけれど今後のことも考えてくれとは、優斗からも言われていた。
ファレンディア国の会社は決して安売りしない。
(それでもね、フォリ先生とネトシル少尉の分ぐらいは私の自腹でも仕方ないかな。オーバリ中尉もルードに色々と教えてくれてるし、思いっきり恩を後で着せてから割り引きしてあげよう)
私だって馬鹿じゃない。
平日の朝、兄のアレンルードはネトシル少尉に鍛えてもらっている。それは彼も自分の鍛錬と言うことで無料だ。だけど本来、近衛でも王子の護衛に抜擢されている程の有能なネトシル少尉に教えてもらうとなれば、無料はちょっとない。ちゃんと毎回、もしくは月毎に謝礼を払うべきだ。
ネトシル少尉は、男子寮で生活しているアレンルードが強くて困らないし、それはとりもなおさず王子の安全に繋がることだからと言ってくれているけれど、それだけの人に指導をお願いするなら、通常の謝礼は幾らが相場かといったことになる。
また、何かと私に融通してくれるフォリ中尉だって大公家のお坊ちゃま。王子エインレイドには独身の兄がいるそうだから、つまりこの国で玉の輿ナンバー2の独身男性だ。今は年齢的に対象外のエインレイドが成人したら抜かれるにしても、それでも玉の輿ナンバー3に転落する程度だ。
私が社交界に出ても「あーら、なんてみっともない。どんなマナー講師だったのかしら」「本当に。不慣れがよく分かりますわね」などと馬鹿にされないよう、貴婦人(推定王妃様)のマナーレッスンを受けさせてくれたおかげで、私に対してどんな貴婦人もケチはつけられないだろう。
しかも現在、いじめられそうな茶会は、全て「その日は大公妃様からのお茶会に招かれております」ということで、断ることができるようにしてくれた。
(二人共、大事なのはレイドなのに。でもなぁ、私達に優しくしてくれるの変なお返し狙いじゃないって分かるし、それでお礼もしにくいんだよね。これでも美人の宿命たる、「こんだけしてあげたんだから好きになってくれよ」は十分にこなしてきたもん)
だから二人のオプションは優斗に任せるし、そのオプション費用は私名義だったという財産から引いてくれるように頼んである。
思えば私、母方の祖父母が貧乏だと信じていたんだけど、なんで成人した私が私の財産を知らなかったりしたのかな。というか、私が知らない私の財産って何なの。
いいけどね。生活に困らない程度の財産は残してくれたと思ってたから、程々に暮らせていたし。
そう自分を納得させようとしても、考えてしまう。その財産を知っていたら私ってば働かなくても暮らせていたんじゃないの? ってね。
一生余裕ある生活できたよね。
(いやいや、働いた記憶があるから生活の知恵もついたわけだ。社会に出る前から隠居生活はちょっとない。思えば一人で生きていけるようにと資格も取りまくったしなぁ)
祖父母と暮らしていた家によく遊びに来てくれた小父さん達は、私をいい子だ、賢いねと褒めてくれても私は知っていた。自分は凡人だってことを。
彼らは本当の天才ばかりだったから。しかも父親の再婚でできた弟も天才。
羨む気にもなれなかった。
だから凡人でもできる事務や秘書の仕事で、それを支えようと考えた。どんな天才だって、その能力を発揮する場を守る人がいなければ潰されるだけって分かっていたから。
やがて凡人には凡人の生き方があるんだからと、センターを振りきってよそで働いてみても、私の容姿はいつも人を惹きつけた。仕方ないことだと諦め、なるべく仕事では暗く地味に見えるようにしても無駄だった。
それでも自分なりに努力したし、その反動でプライベートではおしゃれしまくっていた。
だから今、子爵家のお嬢様として色々なファッションを披露できるのはとても楽しい。
(ルードにぐちゃぐちゃ言われたところでね。所詮、人は見た目で判断する生き物。ゆえに場に応じたファッションこそ、視覚の先制攻撃)
そうして私は叔父に因縁をつけている大臣達を警備棟で迎え撃ち、駆逐したのだ。男子寮監達からもサインをゲットした。
ここまで頑張ったのだから褒められてもいい筈なのに、私はとても素敵な(考えていることを読み取らせない、とも言う)笑顔の貴婦人(推定王妃様)と王子エインレイドと夕方前には警備棟で別れ、何故か祖父母に両脇を挟まれて移動車で帰宅することになった。
私はフリーダムなマイハウスに帰りたかったのに、それは許されなかった。
祖父と祖母の間におてて繋いで孫娘というスタイルなのかもしれないけど、お出かけする時と違って二人に私へのでれでれラブスマイルは浮かんでなかった。
仲良しさんというよりも、連行といった言葉が脳裏に閃く。きっと間違ってない。
そして移動車はおうちではなく、ウェスギニー子爵邸へと向かったのだった。
― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―
このところ、クラブ活動に燃えてて自宅に帰らなかったアレンルードだけど、やっぱり私のことが大好きなんだね。
私不足の寂しさについに耐えきれなくなったんだと思う。
繊細な私は無神経な大臣達との時間で疲れきって警備棟で寝込んでしまい、心配して駆けつけた祖父母達によってウェスギニー子爵邸に連れて帰られてしまった。
そのせいだと思うの。いつもの週末は男子寮で過ごすくせに、叔父の移動車で戻ってきたかと思うと、アレンルードが私にくっついて離れなかったのは。
そして私は全然悪くないのに、半曜日の夕食タイムは祖父母と叔父と兄から一方的に説教された。
「もうお前はよその男と口を利かずともよい」とかね。
「お祖父ちゃま。フィル、そしたら学校でお医者様、呼ばれちゃう。クラブのお友達、男の子」
「どうせ学校の生徒なぞ、フィルにとって男ではなかろう。そちらはいいのだ」
いきなり言葉が喋れないなんてことになったら即座に受診だと主張したら、そっちはどうでもいいとか言う。
未成年は男に分類されないそうだ。さりげなく祖父がひどい。
「やっぱりあなたを社交界に出さないなんて無理があったのよ。こんなに可愛いんですもの。だけどあれだけ酒乱なのをご覧になっているというのに・・・」とかね。
「大丈夫、お祖母ちゃま。ルード、フィルに変装できる。それにフィル、あれからお酒、飲んでないの」
「ルードは跡取りなのよ、フィル。そろそろ理解しましょうね」
可愛いと言った口で酒乱認定はどうかと思う。過去に一回だけグラスを間違えて酔っ払ってしまっただけのことを路地裏で酔い潰れてる男達と同レベルで語らないでほしいんだな。
叔父と違って、祖母は女装という解決法をよしとしてはくれなかった。そして私の無実の叫びは黙殺された。
「いいかい、フィル。母上を連れ出してあげたいならうちからも移動車は出せるし、車両を貸し切ることだって十分にできる。よその資本力に釣られちゃ駄目だよ。ね?」とかね。
「えっと、ジェス兄様。フィル、釣られてない。あれはご褒美。それにお祖母ちゃま、自分からは贅沢しないの。それならご招待、いいと思う」
「まずは行きたい所をフィルが決めなさい。なんでもかんでもよそから取ってくるんじゃないよ。分かった?」
普通はお金があっても無駄遣いはしないし、何にどれだけ使っていいかの予算も決まっている筈なのに、どこまでも私には制限をかけない叔父の経済力と愛情が深すぎて切ない。
なんて優しい子なんでしょうと、感激した祖母からは抱きしめてもらえたけれど、
「気持ちは嬉しいわ。だけどね、フィル。私はあなたがおとなしくしてくれているだけで幸せなの」
と、真面目な顔で言われてしまった。
微妙に引っ掛かった。
「いい加減、人のものは自分のものっていう図々しさを反省した方がいいと思うな」とかね。
「図々しくなんかないもん。フィル、自分のものしか自分のものじゃないもん。ルード、決めつけよくない」
「自覚もないんじゃ治しようがないね。やっぱりおうちから出なくていいよ」
子供はどうしてそう短絡的な結論に至るのかな。困ったもんだ。
これでも私は気配りの人間である。
男子寮で色々とアレンルードに配慮してくれていそうなフォリ中尉と、朝から体を動かすのに付き合ってくれているネトシル少尉。双子の兄がどれだけ目を掛けられているか、私はなんとなく察していた。
だからこそサービスしているというのに・・・!
そんな妹の気苦労も理解しないから、まだまだお子様なんだよね。双子だけどやっぱり私の方が人生経験重ねてるわけで、ここはもう大人の余裕で見逃してあげるしかない。
だけど、何故かうちでの通話通信費用がばれていた。
「いつの間にやり取りしていたのかと思ったらかなり通話していたみたいだね、フィル。小さな荷物も届いていたようだし。兵器の輸送とかに関してはこちらに言うように伝えてあったはずだよ」
「通話費用なら大丈夫なの、ジェス兄様。ちゃんとユウト・・・さんから通話代はもらってるの」
「そういう費用の心配はしなくていいんだ。いくらでも通話はしていい。だけど勝手に話を進めるのはやめなさい。ついでにその通話費用とやらはお返ししておこうね。後で出しなさい」
誰もがお金持ちすぎる。私なんて一人暮らししていた時、自分の給料でどこまで賄えるかを考えたら、国外通話通信なんて最初から却下だったというのに。
「えーっと、そしたらフィル、一度おうちに帰らないと・・・」
「まずはその金額はいくらだったのかな? 全くよその資本力に釣られちゃ駄目って言っただろう」
「釣られてないの。勝手に送りつけられてきただけなの。だからパピーの口座にこっそり入れておくつもりだったの。もしくは外国通話分だけ支払い別にしてもらって払うとか」
私は知っている。父から渡されている生活用口座を、マーサが管理していることを。
後は都合よくマーサに説明してお金をその口座に入金してもらえばいいだけだ。もしくは通話通信支払い窓口で国外通話分だけ別払いするとか。
「叔父上。フィル、それで証拠隠滅する気だったみたいですよ。変な所だけ知恵が回るんだから」
「ルード、うるさいの。も、ルード、お部屋行っていい。ルード、邪魔」
「うるさいんだよ、フィルのくせに」
これが多勢に無勢って奴なんだね。
誰も私の無実を信じてくれず、ウミヘビが届くまで私は子爵邸で過ごすことと決められてしまった。
「そんな・・・! ジェス兄様、マーシャママ、フィルを心配しちゃう。マーシャママ、フィルが元気に朝起きて、夕方に戻ってくるまで心配してましたよって、いつも抱きしめてくれるんだよっ!?」
「大丈夫。きちんと説明は入れておいたから。こっそり夜は外国人と通話していたようだと言ったら、道理で朝はなかなか起きないと思いましたって納得してくれたよ」
「ふみゃああっ」
どうせ通学は警備棟から移動車が送り迎えしてくれるし、子爵邸から優斗の所へどれだけ通話通信してもいいと言われているから問題はないんだけど。
ああ、どうして私はあの小説をこっちの部屋にも置いていなかったのか。それは中身をチェックされたくなかったからだ。祖父母がバーレンに翻訳させようものなら全ての本が焼却処分されてしまう。
仕方がないから夕食も終わって、みんなが寝静まってからこっそり優斗に通話通信を入れた。
時間帯的にあちらは夕方で、丁度良かったらしい。
『そうなんだ? じゃあ、子爵邸に届けさせればいいんだね?』
ご機嫌なかつての弟は、そもそも今日の私の苦難が誰によって発生させられたのかをもう一度よく思い返して反省すべきだ。
二度とあの大臣に婚約届だのなんだのを言わないようにと念押ししたら、違う話題に移るんだからずるいよね。
【一応、8台の内、2台はノーマル、3台はオプション3ね。あとの3台は、明日データ取って知らせるから、それでオプション決めてくれる?】
『なんで3台だけデータ取るの? 親戚のお兄さんなんでしょう? 全員分じゃないわけ?』
まるで本気で不思議がっているような声音だけど、私は知っていた。
わざと知らないフリでそういうことを言う奴なんだと。
【どうせ気づいてるくせにそーゆーイヤミったらしいこと言うのやめなさいよね。全員、私の父がつけたお目付け役みたいなもん。血の繋がりなんてないよ。うちの父、任務で一ヶ月、二ヶ月留守ってのざらだからね。あの人達、父の部下だし。学校に出向している軍人だから、ウミヘビはもうサルートス軍に納品決定。まあ、一人は学校関係ないけど。あ、ちゃんと優斗の件は沈黙誓約書書かせたから大丈夫。今は父の部下でもエリートだからいずれ父より出世する筈なの。だから先にサインさせちゃった。・・・あ、一人だけまだだ。ヴェインさん、全く違う基地の所属だからそうそう会わないんだよね。それが三人目。父の直属の部下なんだって】
『ふうん。じゃあ、アレナフィルの父親にとって、その三人目が一番のお気に入り?』
私はオーバリ中尉を思い浮かべる。
彼は父のお気に入りなんだろうか? うーん。父のお気に入りというより、仕方ないから庇ってあげた感じ?
【どうかなぁ。あの人、どうしようもないから面倒みてるってとこ? 一緒にいたでしょ、軽いノリのヴェインさん。あの人、女上司に結婚迫られてて、だから私と嘘っこ恋人フォト撮って、子供しか愛せない変態だっていうことにして逃げ回ってるの。本当は巨乳系美女が好みなんだよ。なんかね、女上司に金でほっぺた叩かれて結婚するのだけは嫌なんだって】
『ああ、彼か。そうしたら三人分がオーダーなんだね。それでも二人だけ特別なんだ? データによるオプションオーダーなんて本人が占有登録しちゃったら他の人使えないって知ってるでしょ』
【だってルードが社交界出た時、潰されない為の布石だもん。ルード、あの人達に格闘技習ったりしてるの。だけどお礼なんて受け取ってくれないからさ。二人の分は私の財産とやらから出しておいてよ。うちより高位な貴族のお坊ちゃまなんだ。三人目は、うーん、オーダーつけてもつけなくてもどうにでもなるようにしといて。そっちまで全額自腹切る気はないし。せいぜい半額負担かな】
私は色々と考えて動いているのである。
『その二人、アレナフィルの婚約者候補とかいう話じゃないよね?』
【まさか。あの人達に近づいたら私の身が危険だよ。貴族にも上中下があって、うちは下なの。そしてあの二人は上。だからうちのルードが上中の貴族のお坊ちゃま達にいいようにされないよう、面倒見が良くてルードを潰さない、そして味方してくれる貴公子の存在を確保しときたいわけ。うちのルードも貴族の跡継ぎとしてはそれなりなんだけど、あの二人とは比べもんにならないから。そして私が恋人候補に名乗りをあげようもんなら、あの二人に目をつけてる貴族連中から全力でうちが潰される】
『大変だね。じゃあ、できる限りのデータ取ってよ。体格とかにも全て合わせたオーダー仕様にしてあげる。つまりアレナフィル、恩を売っておきたいんだね?』
【そうなの。どうせ占有登録したところで盗む人はいないけど、わざわざつけてくれたって思ったら嬉しいもんでしょ? どうせサルートス、海戦なんてないもん】
占有登録はいつでもできるし、いざとなれば他の人が使えないようにできるという特別感ってちょっと男心をくすぐると思うんだ。
『通訳はアレナフィルがやるの? オーダーは2台か3台でも、残りだって調整は必要になるよ。こっちは海水使用を考えて作成してるからね。河川用ならどうしても枝とかが流れてきたりとか、小石で怪我したりとか、そういったことを考えて海用とは違う感じになるし。そりゃ河川でも使えるけどさ』
【どうなんだろう。レンさんにジェス兄様が話をつけてるけど、レンさんの奥さんをずっと一人で放置もできないもん。だけど私、昼間は学校あるしなあ。いや、ティナ姉様もその間、子爵邸で泊まってもらえばいいのかも? どうせ送り迎えは出てるから一緒に乗せてもらえばいっか。明後日、ちょっと隣の習得専門学校行って、聞いてみる。二人共、同じ職場なんだよ】
『分かった。で、こっちには来られそう?』
うちの弟はとても粘着質でストーカー気味だったが、やはり姉がニューバージョン化したら少しは落ち着いたようだ。
以前ならたとえ既婚者でも警戒心バリバリだったが、かなり穏やかになっている。
【ルードが一緒に行きたがってる。あと、リオンさんも行きたがってるんだけど、あの人、虎の種なんだよね。しかも貴族で軍人じゃちょっとまずいかなって。それとも大丈夫そう? あ、リオンさん、一緒にサンリラで夕食取った時に優斗を送ってってくれた人】
『うーん。出入りする場所によりけりだね。アレナフィルにとっていい人でも、軍人ということは国の指令でファレンディアの機密情報を持ち帰る任務を内々に命じられるかもしれない。お互いの為に、やめておいた方がいいだろうね。何も怪しい行動をしないでくれるならいいけれど、少しでもされてしまえばこちらも拘束せざるを得ない。そこで簡単な放免ってのはないよ』
【そうだよね。うちの父とか叔父は?】
『そこは問題ない。ただ、アレナフィルの父親は軍人なんでしょう? 少しでも怪しい動きをしてセンサーに引っ掛かったら拘束されるってことは説明しておいた方がいいかもね』
【そっか。ルードにも言っておかなきゃね】
双子の兄は好奇心旺盛だ。悪気なく探検するかもしれない。
『センターの見学をするならどうしてもね。ただの観光地だけならいいけど。だけどアレナフィル、轟の家に行っている時、センター見学で不在をごまかしたいんでしょう?』
【うん】
『心配しないで。アレンルード君にはその間、身体機能を測定するってことで半日ぐらいかかるようにするから。同行してくる人もね。それなら大丈夫だよ』
【ありがとう、優斗。だけど後で怒られたりしない?】
外国人をデータ測定施設に案内したらさすがに内緒にはできないだろう。
『それぐらいの権限はとっくにあるよ。本当は轟の家に滞在させてあげたいけど、同行者がいるんじゃね。そうじゃなければどうにでもしたけど』
【仕方ないよ。うちってばみんな心配性だから。私、母親と一緒に殺されそうになったわけじゃない? 理由が分からないからあまり外に出ないようにしてたの。だけど記憶喪失で言葉も分からなくなったのに、殺されそうになったことを覚えてるなんて言えないもん。仕方ないから引きこもりで深窓のお嬢様ってことで暮らしてたの。そんなお嬢様が外国に一人で旅行なんて許してくれそうにないんだよ。今だって遠出する時には保護者か父の部下の軍人さん同行だし、近場なら家族か家政婦してくれてる親戚と一緒にお出かけ。通学だって移動車による送り迎え付き】
『子連れの母親を殺そうだなんて怖い国だね、サルートス王国。それなら家族が警戒するのも仕方ないんじゃない? もっと小さい時のアレナフィルなんて可愛すぎただろうに』
私も深く頷いた。
変なストーカー風味を出さないでくれるなら、そこは姉弟。阿吽の呼吸が私達にはある。
【そうだよね。思うにあれは父親の女性問題だと見た。あの父親、女性にもてまくりだよ、きっと。私の前では全然見せないけど】
『女同士の刃傷沙汰なんてほとんどが男がらみだよね。しかも身分と財産と顔と体が揃ってたら』
【やっぱり? そんな気はしてた。あれだけ娘を溺愛しているし、妻とのロマンチックな絵も飾ってるぐらいだから浮気はしてないと思うんだけど】
『男にその気がなくても、女が目をつけたら怖いもんだよ。うちの母みたいな人とかね。あの人のせいで人生狂った男なんて何人いたやらだ。今はもう二度と顔を見ないからいいけど』
そう呟く弟の声がとても暗くて、私は何があったのかを聞けなかった。
何人いたやらって、一体あの人ってばどんな人生歩んできてたんだろう。
【優斗。今は幸せ? 寂しくない? 親がどんな親でも、子供は勝手に幸せになる権利があるんだよ】
『会いたいよ、アレナフィル。だけど待ってる。本当はもっと二人きりで話したかった』
【うん。ウミヘビの件が片付いたら旅行の件を持ち出すつもり。祖父母は心配性で、叔父は父の決断待ちだから、父が帰宅してからかな。父は私のことはかなり許してくれるから、あっちから説得するの。だけどね、優斗。自分の幸せも考えなくちゃ駄目だよ】
昔と違い、今の優斗は私が好きに動けないということへの理解度も高くなっていた。
センターにいる私より年下な女の子とやらが、あと数年経ったら一人で外国に行かせられるかといったら、絶対にそれは許さないからだそうだ。
育児放棄している親の代わりに入学式に参列したり、授業参観に行ったり、子供を狙った犯罪に対する注意のお知らせを読んだりして周囲の保護者と世間話をすれば、やはり世間一般の常識において未成年の子供を一人で出歩かせるものではないという認識が生まれるのだろう。
保護者同伴なしに旅行の許可は取れないと、優斗もしっかり理解していた。
『さ、そろそろ寝なきゃね。アレナフィル、もう眠たいでしょう? 子供は夜更かしせず寝なくちゃ』
【そうする。優斗、いざとなれば全て捨ててやるって思ったら、人間ふっきれるんだよ。だから無理はしちゃ駄目だからね】
『うん。おやすみ、アレナフィル』
【おやすみ、優斗。ちゃんと夕ご飯食べるのよ】
通話を終えると、室内の静けさが心に沁みる。使用人達も寝入っていて、常夜灯がほんのりと廊下に灯っているばかり。
通話通信装置の周囲だけが明るくて、孤独を感じずにはいられなかった。
血の繋がらない私の弟。今もあの子は自分の幸せを求めることなく生きているのだろうか。
思い返せば弟が執着したのは私だけだった。
(だけど今の優斗は呼ばない、私を愛華とも姉さんとも。ずっとアレナフィルと呼び続けている)
変な時にぽろっとあの名を口に出すより、その方がいい。だからアレナフィルと呼ぶのは理にかなっていた。それでもあの異常な弟が私とまともなやり取りをしていることが気にかかる。
大人になって良識というものを身につけたのか。普通というものの認識について矯正されたのか。それとも外見が違ったらやはり執着した姉とはベツモノという気分なのか。
分からない。だけど知るのも怖い。何と言ってもあの弟だ。
(うん、リオンお兄さんはやっぱりまずい気がする。優斗、親戚筋のお兄さんじゃないことは気づいた上で探りを入れてたわけだし。救いは優斗がウェスギニー家に対して好意的なことかな)
私が大事に育てられていたことと、バーレンというファレンディア語ができる父親の親友がいてくれていたことなどから、ウェスギニー家に優斗はかなり好印象を抱いている。
ご迷惑をおかけしたからと、叔父に対してファレンディアのお菓子と工芸品のパンフレットを送ってきたらしい。パンフレットの工芸品はどのサイズでどんなタイプがいいかが分からないからということで、好きなものを選んでほしいという奴だ。
(なんか違う気がする。三年間契約婚約した相手にすることじゃない気がする。あの子、何を私すっとばかしてお付き合い始めてるわけ?)
叔父はそれに対し、
「お気持ちは有り難いが、それならば物は要らないから、いつでもいいから姪に会いに来てほしい。そうしてあの子の部屋にぴったりのファレンディア工芸品を、あの子と相談しながら選んでそれを贈ってもらえないだろうか? 姪も喜ぶだろう。姪は物よりも行動を喜ぶ子だ。常に客室は用意しておくし、その時は姪を邸に呼んでおくので、どうか検討いただきたい」
などといった内容の返事と、お礼の日持ちするお菓子を送った。
それには丁寧にもウェスギニー子爵邸への公共交通機関を使ったアクセス方法ばかりか、先に連絡をくれればサンリラまで送迎の移動車を回す旨も書かれていたそうだ。
(なんでかなぁ。優斗、なんかうちの家族とフィーリング合ってるんだよなぁ。ほのぼのとしたお付き合いをしていると言う意味で、ジェス兄様の交際レベルが高いだけかもしれないけど)
留守がちな父が、親戚の面倒見がいい夫婦に近くの家を借りさせて、疑似家族としてほぼ住み込みで私達を育ててくれるようにしたのだと言ったおかげで、優斗はどこまでも私が過保護に守られていると思っているらしい。
そりゃサンリラであれだけの人数をつけられてたら、勘違いもするか。あのメンバーの内、四人は大公家令息の為にいただけで、私を守る気は全くなかったんだけど。
バーレンを私的に雇って私に言葉を教えるようにしてくれていたこともあり、優斗は私の生活環境はとても良かったと判断したようだ。いきなり言葉も分からなくなった娘を病院に閉じ込めることなく、よくぞこんなにも大切に育ててくれたという感じだ。
お前は私の母親か。
だからウェスギニー家に対して優斗は敵意を持っていない。だけど微妙に張り合ってくる。
(ジェス兄様があえて私用の家具を贈ってほしいと言ったのも、なんかとっても高いと分かるラインナップだったからって話だったもんね。そう、ジェス兄様は私に押しつけた・・・!)
問題は、親戚筋のお兄さんと説明しておいた軍人達だ。顔立ちも何もかもが似てないし、赤の他人だなと、優斗は察していたようだ。へたにごまかさなくてよかった。
これで彼らをファレンディア旅行にも同行させると言ったなら、どうなったことか。フォリ中尉にもネトシル少尉にもファレンディア旅行の同行は難しいと思うと言っておいてよかった。
さすがにファレンディア人のセンター長の息子が、サルートス貴族令息や士官達を害しただなんてニュースは嫌だ。
ブランクが長すぎて、今の私が優斗をコントロールするのは難しすぎる。二人きりで話したいからと、未成年の女の子を誘拐するような子、どうしようもないよ。
普通にフォムルで声かけてくれたらこっそり会って話してあげたってのに。
ホント、あっちもこっちも手のかかる子ばかりで私は今日も大変。
― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―
ミディタル大公家に行ってトレーニングルームとプールでのデータを取り、それから河川の水流速度と水圧データを集めてもらうつもりだった。
流れのある自然界では、通常のプールで泳ぐのとは違う負担がかかるからだ。
「凄い荷物だね、フィル」
「仕方ないの、ジェス兄様。データ取るの、とても大変」
少ないデータよりは多いデータの方がより使いやすくなる。それは何であっても当然だ。
叔父のレミジェス、双子の兄のアレンルードがついてくると言ってきかなかったので、仕方なく私は一緒にミディタル大公邸へと連れていかれた。そう、連れていったとは言わない。私が主役な筈なのに連れていかれた。
そしてエントランスで執事さんなのか、従僕さんなのか、よく分からない人に出迎えられて、トレーニングルームに直行する筈だったのが、何故か歓談用の応接室に案内されたかと思うと、ミディタル大公がノックもせずに入ってくる。
(いやん、大公様ってば私服も素敵。やっぱり鑑賞する価値があるカラダ。パピーとは違う方向性だけど)
なんて言うのかな。初老に差し掛かろうとしていても全く衰えが見えない人だ。
ちょっとだけこれはこれでいけると思った。すぐにそんな感想も吹き飛んだ。
「おお、アレナフィルちゃん。聞いたぞ。自分に忠誠を誓う犬にしか褒美はやらんと、宣言したそうではないか。はっはっは、愉快愉快。金払いがいいか、自分の為なら黒を白とも言うか、非合法のプロかの三人だけ選別し、セミオーダーとは今から成人後のプランに一直線だな」
「・・・・・・・・・えっと、大公様。それ、誤解、・・・です」
成人後のプランって何?
しようとしていた挨拶が引っ込んだよ。
「大公閣下、おはようございます。早朝からお騒がせしております」
「おはようございます。以前は稽古をつけていただき、ありがとうございました」
「うむ、おはよう。レミジェス殿もアレンルード君もそうしていると兄弟のようだな。アレナフィルちゃんがこの年から着々と手駒を揃えつつあるとは、ウェスギニー家も将来有望ではないか」
叔父は笑顔でやり過ごした。
「相変わらず閣下はご冗談がお好きでいらっしゃいます。さ、アレナフィル。ご挨拶を」
「あ、はい。おはようございます、大公様。本日はガルディアス様とのお約束がありまして、お伺いいたしました」
叔父の冷静さが私を助けてくれたが、通じない人はどこにでもいるものだ。
向かいのソファに座ったミディタル大公はやはり大柄で体格もがっしり系だったりする。体格的には父と息子、ほとんど同じはずなのに、どうして父親の方が大きく見えるんだろう。
やっぱり迫力か。年季の入った迫力なんだな。
ヒストリカルロマン小説で是非大勢の兵を率いて敵を蹴散らしてほしい。
「うむ。三人共座り直したまえ。で、アレナフィルちゃん。どれが本命でどれが愛人だ? 勿論、ガルディアスが本命だな? それともあいつは愛人か? だがなぁ、ガルディアスと愛人関係することで裏金作りやコネ就任や裏の人脈作りをするとなれば、かなりの男を渡り歩くスカイダンス人生となるぞ? その時は決して落ちぬよう気をつけなくてはならん。手駒はもっと増やしたまえ」
「・・・ひゃああっ!? 違いますっ!! どなたも本命でも愛人でもないですっ」
スカイダンスとは、最近、人気の曲芸だ。ロープを張って、その上で曲に合わせてダンスするらしい。
客席の上にもそのロープが張られているから、男の人に人気らしい。だけど落ちてきたら大怪我だよ、どっちも。
スカートをめくらなくてもスカートめくり気分が味わえるから人気なの?
ちょっと見に行ってみたいと思っているけれど、子供が見てもあまり面白くないそうだ。
(くっ、偉い身分と強さがあると思ってっ。なんで私が色々な男を愛人にして暗躍しなくてはならんのだっ)
と思ったら、いつの間にか私はソファの前にあった低いテーブル上を浮遊して、向かい側に座っていた。うん、なんかとっても素早い動きで捕獲されて場所移動していた。
・・・・・・何故だ。何故、私は他人の膝の上に座っているのだ。私はさっきまで叔父と兄の間にいた筈なのだが。
「謙遜せずともよい。虚偽証言にサインした三人だけ特別扱い。今から自分の為なら犯罪行為も躊躇わん人間を選別しているとは見事なものだ。うむ、そういうことなら私の分も頼むぞ。安心したまえ。愛人にはなってやれぬが、『パパ様』と呼んでも良い。私には若僧共にはない権力がある。共寝をする気にはなれぬが、こうして舞踏会で膝の上に座らせて愛でるぐらいはしてやろう。安心して皆に注目されながら、私に甘えるがよい。次の日から賄賂がばんばん贈られてくる」
「・・・・・・・・・・・・あの、大公様。舞踏会とか、パパ様とかは全力でお断りしますが、それとは別で、えっと、ちょっと、そもそもウミヘビ、数が限られていて、余分というのがないんです」
私は勇気を奮い起こして、ウミヘビは締め切り済み、完売御礼だと伝えた。
叔父と兄にヘルプ合図を送ろうにも、よそ見をさせない気迫が間近にある筋肉から発せられている。
「大丈夫だ。うちも獲得予定だからな」
「・・・そういった事情、まだ私、全然知らないんですが」
そもそも、本当に割り当てられているかも不明だよ。一緒にデータ取って、それから割り当てられるウミヘビがなければそれぐらい融通しろとか言ってきそうだよ。
「事情把握など下の者にさせておけばよい。私は決定するのみだ」
「・・・ひゃい」
この傲慢さが凄い。その傲慢さが似合っているところも凄い。しかもそれを裏打ちする権力。さすが王様の弟だけはある。
これで性格がひねていたら最悪だよ。なんかカラッとしたものしか感じないからいいけど。
「ふっ。安心するがよい。だからといって子供に無茶な要求はせぬ」
「はい」
「良い返事だ。これをやろう」
いい人だ。めっちゃ自由人だけどいい人だ。
ポケットからひょいっと出して渡してくれた小箱は、高くて美味しいと有名な高級チョコレートのお店のものだった。4粒入りサイズだから安くて5ロン (※)はする。選ぶチョコレートにもよるけど、贈り物で使われるお店だ。
いつか大人になったら買いに行きたいと思っていた。お給料日に。
(※)
5ロン=5千円
物価を考えると貨幣価値は約1.5倍として7500円
(※)
別に今、買えない値段というわけではない。ただ、そこは子供が買いに行くことができないお店だからだ。たかがチョコレートを買うだけなのに、個室へ案内されて好きなものを選ぶという敷居の高さ。
だけどこの店のチョコレートを子供が食べていたりしたら、それはそれで馬鹿にされる。年齢に応じたものも理解できない成金趣味ねと、言われてしまう。
大人だからこそ優雅に一粒という美学があって、まだ大人になっていない子供の舌で食べようとすることこそ野暮の極みなのだ。
「うわぁ、これ、大人になったら一度は買いに行ってみたいという憧れの・・・!」
「それは良かった。子供にはもっと食べやすい菓子がいいかと思ったが、アレナフィルちゃんならよい菓子も分かりそうだからな。酒と一緒に食べるものだが、濃い味の飲み物と合わせることもできよう。色々な調味料にも詳しいと言うではないか」
「・・・ありがとうございます!」
いい人だ。ミディタル大公はいい人だ。もらったものを食べるなら、野暮だなんて馬鹿にされない。渋みのあるお茶というと、何があっただろう。かなり存在感のあるお茶じゃないと合わない気がするから、ここはあえて渋くて苦い青汁系を考えてみるべきだろうか。
撫でてくるその手に頭をすりすりしながら優しい気持ちを私は大サービスしておいた。
だけどこのお膝にお座りしている姿勢はさすがにまずい気がする。
(今、誰かに見られたら、私ってば子爵家の娘如きが王様の弟を誑かしちゃってる状態だよ。大公妃様から暗殺されちゃうよ)
そこへ開いていた扉から、フォリ中尉が入ってくる。その後ろにはオーバリ中尉とネトシル少尉もいた。
お願いだから助けてパワーを、私の視線に載せてみたけど、オーバリ中尉とネトシル少尉がそっと視線をずらすの。どうして?
「父上。何を話しこんでいるのですか。トレーニングルームに直接案内してくる筈が遅いと思ったら・・・。保護者の前でよその令嬢を抱きかかえているなどと、アレナフィル嬢も幼児ではないのですよ。本人だって嫌がってるでしょう」
「別に嫌がってはおらんぞ。お前達を愛人として使いつくすにせよ、私のことはパパ様と呼んでもいいと言っておったのだ。小僧共など、私のおこぼれだけもらっておればよい」
「・・・アレナフィル嬢。そういう時はさっさと逃げてこい。知らん奴が見たら、ミディタル大公の愛人スタイルだ。その手に持ってる高級菓子に釣られたのは分かるが、レミジェス殿のお気持ちも考えろ」
「釣られてはおりません。好きでここに座ってるわけでは・・・。大体、この部屋で一番強いお方を前にどうやって私が逃げられると」
フォリ中尉の私に対する評価が低すぎて泣きそうだ。
「なるほど。ではそのミディタル大公を出し抜く手段を考えてみせろ。そうしたらそのチョコレートと同じものを、違う味を選んでプレゼントしてやる」
「ガルディアス様が先攻して大公様が避けた拍子にリオンお兄様が私を救出、その際に生まれたリオンお兄様の隙を大公様が攻撃すると考えられるので、そこをヴェインお兄様がフォロー。後は私、叔父と一緒に脱出しますので三人で頑張ってほしいなと思います」
「どこまでも男を使い捨てていく気だな、アレナフィル嬢。だから結婚詐欺師と言われるんだ」
「言われてませんよっ!? 大体、大公様に私がどう対抗できるというんですかっ」
逃れようと手を伸ばそうにも、その手が伸びる前に捕まるという具合で全く逃げられなかったのだ。さすが虎の種の印を持つ男。
私をすっぽり包む肉体からどうやって脱出できるのですか。私は虎の種の印を持つ女ではない。
「男を見る目があるな、アレナフィルちゃん。お前ら三人だけセミオーダーとはしゃらくさい。それならば私をと言っていたところだ。どうせうちの取り分くらいあるであろう」
「どうなんでしょうね。ウェスギニー大佐はまだ戻っていないので保留状態ですよ」
あのー、もしもし、ミディタル大公様? あなた、先程、自分の分の取り分はあると断言なさっておられませんでした? やっぱり確認してなかったんですね?
さすがに叔父も私の置かれた状況を見かねたらしい。コホンと咳払いした。
「兄から聞いていた話では、ガルディアス様分を含めて2台がミディタル大公家、ネトシル少尉分を含めて2台が王宮、サラビエ基地とレスラ基地に1台ずつ、そしてオーバリ中尉含めて兄の所に2台でしたか。ただし、どこも使う時には融通し合うという約束になっていたかと。
あえて分割して保有するのは、普段のトレーニングに使うからだそうですが、姪によると、セミオーダーである程度を個人に合わせたものにしてしまえば、使用時に占有登録してしまうと他人が使えなくなるそうですね。敵地で奪われて使われることはないという話でした。セミオーダーだとそういうオプションがついてくるそうですが、通常はつかないと。
それでですね、すみませんがうちの姪が恐れ多くて怯えておりますので、大公閣下、その子を解放してくださると助かります」
叔父の言うとおりである。
「怯えてはおらんぞ。さっきからせっせせっせと私の腕の隙間を探して逃走トライし続けておる」
「父上、面白がってるでしょう。その子は玩具じゃないんですよ」
「うむ。これはアレだな、子ネズミのようだ」
なんで誰も彼もが私を動物呼ばわりするのかが意味不明すぎた。
フォリ中尉の合図で、オーバリ中尉とネトシル少尉が空いていたソファに近寄っていく。ネトシル少尉は叔父の隣に、そしてオーバリ中尉はアレンルードの隣に座った。
「無駄でも逃げようとして頑張ったご褒美に飴をあげよう、アレナフィル嬢。昨日、喜んで舐めていただろう。アレンはよく動くから棒が付いていない奴だな」
「おい、こら。ガルディアス、それは私のだぞ」
「アレナフィル嬢はあなたのものじゃありませんよ、父上」
ミディタル大公の隣に座ったフォリ中尉は、座るついでに私の腰をひょいっと掴む。そして自分の膝の上に引き取った。そしてミディタル大公の手に棒付きキャンディを握らせる。
助けてくれたのかもしれないけれど、待遇が全く変わってないのは何故ですか?
アレンルードの分はテーブルを滑らせたので、さっとキャッチしたようだ。
「あ、これ、中にチョコレートやソフトキャンディが入ってる奴だ。ありがとうございます、フォリ先生」
「お前は途中で噛み砕くからな。沢山入っている方がいいだろう。アレナフィル嬢は丹念に練りあげているタイプだそうだが」
ほのぼのと語らう前に私を叔父の所に戻してほしい。だけどいつの間にか包装紙が剝かれていて、私はその棒付きキャンディをミディタル大公によって口にぽすっと入れられていた。
「あ、昨日のと違う味。どっちも美味しい」
「ネトシル少尉が今日もアレナフィル嬢にあげようと思って持ってきていた奴だ」
「ありがとうございます、リオンお兄様」
「いや、喜んでもらえて嬉しいよ」
だけどどうしてネトシル少尉が持ってきたものをフォリ中尉が持っていて、しかもそれをミディタル大公から口に入れられるのか。経由の意味が分からない。そして飴なのに果実の旨味が溢れてくる。
うむ。これは美味しい。
「フィルって本当に浮気な子だよね、叔父上」
私を責めながら、アレンルードは好きな味を選んで口に入れた。自分だってもらってるくせに。
仕方がないので私もこの味を楽しむことにしたが、何故私が棒付きキャンディなのかが謎だ。
「それで真面目な話に戻るが、数が多いならばそういった自分専用というのがありがたいものの、個数が限られるとそれも悩ましいものだな。敵に奪われにくくなっても、味方も使えないとなればどっちがいいやらだ」
「ガルディアス様。そういう真面目なことを語る前に私を下ろしてください」
女の子を膝の上に座らせて真面目な話ってちょっとおかしいと思う。ここは夜のお店ではない。
そして私は大公妃から大事な息子に近づく虫認定されるのも嫌だ。
「別に父の前だからと呼び方を変えずともいい。私とて弟妹が欲しかったのだ。だが、よその子を可愛がると色々と面倒なことになってな、その子の人生が変わってしまう。その点、今のアレナフィル嬢には保護者がいて、変な外野の目もない。せっかくだからおとなしく座ってろ。どうせいつも家族で慣れてるだろう」
「慣れてはいますが、それは家族だからで・・・。それならルード貸してあげます」
「フィル、勝手に僕を売らない」
「撫でて菓子を食べさせるならアレナフィル嬢で十分だ。アレンを愛玩するなど持ち腐れも極まる。お前の中身がただのぐーたら我が儘ババア猫なら、アレンの中身は光を浴びて栄養を糧にぐんぐん成長する若芽だ。黙って撫でられてろ」
ぱああっと、嬉しそうな顔になるアレンルードがいた。
ひどい、差別だ。
「叔父様、ここに私を可愛がっているフリで実は貶してくるお方がいます。ヴェインお兄様、ここは成長を待って恋人になりたい女の子を颯爽と助ける場面です」
「お菓子抱えてそう言われても。フィル、仕方ないから舐め終わるまでそこにいなさい」
「なんでこんな偉い方々の前でご指名かなぁ。アレナフィルお嬢さん、そこはネトシル少尉ご指名でいきましょうよ」
「リオンお兄様は優しくていい人だから巻きこみたくないです」
「ひどすぎますよっ!? いえ、それでもボスの娘だから仕方ありません。いつでもこの膝と腕はお貸ししましょう。お嬢さんから私の腕の中に飛び込んでくる分には、自分に責任はないのでいつでもウェルカム。だけど私から奪いに行くのは、そちらの方々を敵に回したくないので遠慮させていただきます」
父の部下のくせに、こんなことを言うだなんて。
人生は切ないことばかりだ。
「女の子に全ての責任を押しつけて自分は安全圏だなんて最低です。そんな独り善がりな腕に自分から飛び込んでいくのは遠慮します。ヴェインお兄様、抱っこヘタクソだし」
「子供なんて担ぐぐらいでちょうどいいんです。言っておきますが、ヘタクソなんて言うのはお嬢さんぐらいですからね?」
「叔父上。出番だって、フィルが言ってます」
「うちの兄はいつ帰ってくるんだろうね」
「おお、ウェスギニー子爵か。彼ならまだ戻るまい。現地の状況はよく分からんがな。あの男の出動理由と予定は、どうせ全てダミーになるのだ。心配せずとも安心して待っていてよかろう。本来はもっと出世していいものを、結果を出すがゆえに大佐から上に出世させられん男だ。出世させないでくれという嘆願も凄まじい」
な・ん・で・す・と?
大佐って出世していると思っていたのに、実はもっと父は出世してよかったらしい。出世すると、お給料って増えるんだよね?
「あ、すみません。私もその嘆願書にサインしました。大佐でまだ現場に入るって時点で特例ですし、これ以上、出世されたらさすがに現場に入ってもらえません」
「叔父様。お父様、もっと出世していいと私は思います。そしてヴェインお兄さんは裏切り者だと判明しました。もううちに出入り禁止にしていいです」
「叔父上。僕が成人して足場を固めるまで、父上は今のまま出世しなくてもいいと思います。そしてヴェインさんはいい人です。我が儘な子の意見より、僕の意見が優先されるべきです」
「家長である兄上が帰宅してから二人で主張しなさい。現在、オーバリ中尉は我が家にとって兄上の大切な部下の一人だ」
父は私とアレンルードの意見が割れたら、コインの裏と表で決めさせる人だ。その決定はかなりいいかげんだったりする。そして先に叔父の言葉があれば、それを優先させる人だ。
父は叔父をかなり信頼している。
だから先に叔父を口説き落とそうとしたら兄が裏切り、叔父はこの場での言い争いを避けた。
「ひどいっ。ルードはお父様がおうちに帰れなくてもいいのっ? 出世したら留守だって減るんだよっ」
「ひどいのはフィルの方。父上が自宅に毎日いたら、僕がどんなことになると思ってるんだよ。虎の種の印を持つ者はパワーが有り余ってるって言ってたの、フィルじゃないか」
「大丈夫。お父様、子供には優しい」
「大丈夫じゃないよ。フィルが騙されてるだけ」
「騙されてないですぅ」
「騙されてますぅ」
私とアレンルードが睨み合う。
「自分可愛さもここまで正直だと清々しいな。妹扱いなんぞよりさっさと妻にしてしまえばよい、ガルディアス。そうすれば気の利かん夫より、舅に遠慮なく懐くであろう。中身がババア猫だろうが何だろうが、明るく元気な子に躾けてあげよう、アレナフィルちゃん。何なら虎の種の男ばかりに囲まれさせてやってもよい。筋肉を愛でたいと言っていたではないか」
「・・・お気持ちだけで十分です。それに極秘情報なのですが、私、現在、とても愛し合っている婚約者がおります」
ミディタル大公なら朝から叩き起こす感じが濃厚すぎる。虎の種の印を持つ男達の早朝練習に付き合わせるのが見えている。
ここの嫁はノーサンキュだ。私は朝から叩き起こされるより、素敵な腕の中で甘く目覚めたい。
「聞いておる。たしか未成年の内に全財産を巻き上げ、結婚できる年になる前に捨てるという男のことだったな。その年でそれだけの悪女とは勿体ない。成人後は遠慮なくガルディアスの子を産み、同じような悪女を沢山育ててサルートス貴族や外国人達から全ての富と権力を巻き上げるがよい」
「・・・誤解ですっ」
「真面目に取り合わないのが一番早い終わらせ方だぞ、アレナフィル嬢。安心しろ、誰もこの人の言葉は話半分でしか聞かない」
よしよしと頭を撫でてくるフォリ中尉は、父親をどうしようもできないといった顔だった。
苦労しているのかもしれない。今ならちょっとだけ優しい気持ちをあげてもいい。
「父上、婚約なんて遊びに行く約束としか思ってない子を買いかぶっても仕方がないでしょう。さ、アレナフィル嬢。昨日、気に入っていた菓子を帰り間際に持ち帰ってもらえるように料理人には伝えてある。たしか家族にも食べさせたかったんだろう? 少し香りづけの蒸留酒が入っているから、夕食後に食べるといい。約束したチョコレートは違う日に差し入れてやる。ヴィーリン夫人と食べたらいいんじゃないか?」
「ガルディアスお兄様。いくらでも抱っこして撫でてください」
「叔父上。菓子に釣られて浮気する子がいます」
「フィルはまだ子供なんだよ。心はまだ赤ちゃんなんだ」
お金持ちはさすがだ。私は安いお菓子も好きだけど、高いお菓子だって大好きだ。マーサとも、たまにはとっても素敵な高級チョコレートの味わいを贅沢に楽しみたい。
今、もらったチョコレートは祖父母と叔父とで食べよう。アレンルードは一口をゆっくりと味わうお菓子より、もっとばくばく食べられるお菓子の方が大好きな筈だから要らないと思う。
私は優しい気持ちをどどんっと大盤振る舞いしておいた。
「いい子だ。素直な子は好きだぞ。悪女になるのは成人してからにしとけ」
「私も太っ腹な方は大好きです。そして悪女にはなりません」
結局、何故かトレーニングエリアまでミディタル大公はついてきた。私を抱っこして頭を撫でながら。
抱っこして撫でていいと言ったのは、息子さんに対してですよ?
だけどそれを口にする勇気はなかった。ついでにミディタル大公の腕に甘さはなかったけれど安定感はバリバリあった。
― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―
私が小部屋で着替えてからトレーニングルームに入ると、とっくにみんな、着替え終えていた。ミディタル大公もいた。
「よく分からないけど、大公様とガルディアスお兄様ってほとんど同じ体格ですよね? それなら一台で二人を占有登録も可能だと思うんですけど。あれ、つまりすぐに装着できるってことですし」
「アレナフィル嬢。普通とデータを取るそれとの違いをきちんと教えてもらえないか? 体格が同じならというが、誰でも使えるのとどう違うんだ? 父だけじゃなく、同じ体格なら同じように使えるということか?」
「うーん。占有登録しなければガルディアスお兄様に合わせた物であっても、他の人だって誰でも使えちゃうんですよ? だけど先にデータを取ってそれを送るというのは、いざとなれば登録されたデータの人しか使えなくするという機能をつけることができるってこともあるんです」
私は残光ペンを取り出す。そして壁にウミヘビの絵を描いた。それはほとんど体全体を覆うものだ。だからヒトガタと言ってもいい。
「あのトビウオバッタ品は、体の幾つかに固定するフリーサイズ製品でしたが、ウミヘビはほとんど全身を覆うことになります。だから通常のウミヘビは、最初に大きい状態で、装着することで使用者に合わせて縮むわけです。だけどセミオーダーは体格データを送るので、無駄に縮む分を削除できます。何故なら縮む分は内側に収納されるわけで、それが動きにくさにも影響するわけです。だけどミディタル大公家に2台が割り当てられるとして、そして大公様とフォリ先生が1台を占有ということで共有するなら、二人のデータを送ることで、その二人のどちらが使ってもいいように、小さな箇所ごとに大きい方を選択して作り上げます」
「だが、人の体格は変わるだろう。そうなるとどうなる?」
「ある程度の体格変化を考えて作られているから大丈夫です。セミオーダーといっても、完全にぴったりというわけではないですし、そこは伸縮性のあるものが内側に入ります。何より、全身を覆うタイプじゃなくて一部固定で使用することも可能です。それはノーマル仕様もセミオーダーも変わりません」
トビウオのバッタ品と似たような使い方もできるのだと説明すれば、オーバリ中尉が口を開いた。
「アレナフィルお嬢さん。そうなると、たとえば一人があのトビウオと同じ使い方をして、残った腕部分とかの装備を他の人に使わせるというのは? 動力がないから無意味だったりするわけですかね?」
「うーん。そっちの使い方に気づかれたなら仕方ないですね。今、説明しておきましょう。その場合、親子の魚状態でくっついて水中を移動できます。その際は、空気圧縮ボンベの空気を二人で分け合いながらになりますけど」
私は壁に、人間が上下に重なってうつぶせ状態の簡単な図を青インク残光ペンで描く。
そして上下の人間それぞれに、ウミヘビを分割して装着する部位を赤インク残光ペンで丸く囲んで斜線を引いてみた。
「つまり、一人がウミヘビでどこかに侵入し、そこで救出した誰かに自分の装備を半分こ状態にして一緒に脱出できると」
「そういう使い方もできます。というより、それを想定して作られてますね。恐らくそういった様々な使い方について、届いたらレクチャー時間が必要になります。水中で離れることのないように、上下の人間を固定するやり方も教わらなくてはなりません」
「分かりました。どうぞ続けてください」
真面目に話すこともできるんだな、オーバリ中尉。さすがミディタル大公オーラ。あのおちゃらけ男をここまで真面目にさせるとは。
私は持ってきたバッグの中から、採寸用ヒト形袋を取り出す。
「そうしたらガルディアスお兄様はナンバー1の1。大公様は1の2で採寸しましょう。リオンお兄様はナンバー2、ヴェインお兄さんはナンバー3で」
「アレナフィルお嬢さん。どうして私だけお兄さんになっているのでしょう」
「裏切り者に敬意を払う必要はないのです。あと、オプション費用、ちゃんと払うんですよ?」
「・・・はい」
採寸用ヒト形袋にナンバーを書き、四人に渡した。
「それにまず足から入ってください。これは使いきりで体の採寸を取るものなのです」
「では服も脱いだ方がいいのか? 水着の方がいいのか? そうなるとアレナフィル嬢はいない方がいいだろう」
「水着姿が一番ですが、服を着ていてもいいです。裸でウミヘビを装着するわけじゃないので、あそびがあった方がいいですし。救助用に使う人は水着で採寸した方がいいんですけど、なんか軍とかに採用された場合は水着でも色々なものを仕込むせいか、服を着た状態で採寸した方が、満足度が高いそうです。あそびの部分にナイフとか入れておくらしくて」
まずはオーバリ中尉の所に私は行った。ちゃんと椅子も持っていく。何故なら私の背では彼の頭まで届かないからだ。
「背筋をまっすぐにしといてくださいね。両足は肩幅程度に広げて、手をまっすぐ横に。一気に袋が締まるので、手や足の指もできるだけ広げておいた方がいいです。顔は耳の位置も把握させたいので、頭のてっぺんまで一気にいきます。一応、鼻部分はすぐに助けてあげるから、呼吸は一時的に止めてください。ちょっと袋を上まで引っ張ります」
「なんつーか、椅子だと危なっかしいですね。レミジェス様に代わってもらったらどうですか、お嬢さん?」
「椅子は私が押さえておきましょう。大丈夫、フィル。何なら抱きかかえてあげるよ」
「それなら椅子だけ押さえておいてください、叔父様。これね、一気にプシュッといくの」
採寸用ヒト形袋を手や足の先から頭に向かって引き上げるようにして、私はそれを頭の上でまとめ、手際よく二つの印を貫いた。
パシュッと軽い音がして、一気に採寸用ヒト形袋が締まる。鼻の穴の部分に、採寸用穴あけレーザーを当てて呼吸を確保すると、私はオーバリ中尉の耳元で言った。
「採寸データ数値が袋の表面まで出てくるまで少し待っててください。なるべく動かないで。叔父様、これ、しばらくしたら表面に色々な記号とかが出てくるの。最後に、青い線に従って破って、出られるようにしてあげて欲しいの。袋を回収して、その数値を伝えればサイズは完璧」
「なるほどね。だからルードにはまだ早いのか。これからルードも背が伸びるだろうし」
「それもあるけど。・・・あのね、叔父様。軍人さんは自分で使うけど、うちは誰が使うか分からないでしょ? 叔父様とかルードが救助に向かうわけじゃないでしょ? うちはフリーサイズがいいと思う」
被災時に救助用として使うなら、領主代行の叔父もしくは領主の跡継ぎである兄が出ていくことはまずない。ならば誰が使うのかというと、・・・その時、貸し出された現地で勝手に考えてほしい。
「それならミディタル大公家もフリーサイズがいいんじゃないのかい、フィル?」
「んー。だけど一つがセミオーダーで、一つがノーマルでしょ。多分、どちらも使ってみたら、なるほどって思うんじゃないかなって思います。視力に合わせてズーム倍率も決めていくから。フリーサイズは自分でズームも毎回セットしなくちゃいけないけど、セミオーダーは最初からぱぱっと合わせられるの。装着もお洋服を着る感じですぐにセットできるの。フリーサイズは自分で一つ一つ付けなきゃいけないけど」
やがて赤い文字でデータが表面に浮かび上がってくる。私はそこで椅子に上がって、頭のてっぺんにある次の印を貫く。
「ヴェインお兄さん。5カウント以内に両手を下ろして、足を閉じてください。それからそのままの姿勢でいいと言うまでじっとしててくださいね。あ、返事はいりません」
口元も覆われているから、今、彼は返事ができない状態なのだ。
次にやると思うからなのか、ネトシル少尉が声をかけてきた。
「へえ。腕を下ろした状態でも数字が出てくるのかい? なんかオレンジの文字が浮かび上がりかけてるね」
「そうなんです。だからリオンお兄様も後で同じようにしてください。一回目はきゅっと絞るけれど、二回目からは少し緩んで、ポーズ取りやすくするし、その際のサイズ変更も表示されます。ポーズ変えたら、少しラインも変わるから」
「そこまで細かくデータを取るんだね」
「体の動きをなるべく妨げないようにしないと、ウミヘビで戦えないから」
「この文字ってファレンディア語?」
「そうなんです。このデータを元に、あちらでモデル人形データが作成されて、それに合わせてウミヘビが調整されるの」
ネトシル少尉はいい人だ。今、目と口が不自由なオーバリ中尉が不安にならないようにと、状況を説明がてら質問してくる。
「そうなるとそれなりの重さもあるわけだ。全身を覆うわけだろう?」
「それをトレーニングルームのデータと、プールでのデータ、そして河川でのデータを送って決定することになるんですよね。作業するとしたら何時間を目安にするのか、その時は体力が十分なのか、たとえ体力が落ちていても何を優先するか、とか。どうしてもガード能力を重視すると重くなります」
「優先?」
「そう。ガード能力か、激しい水流の中でも動けるような推進能力か。父の所の2台に関しては、使用する外国の年間水温推移表も必要となると思いますけど、たとえば冷たい海や川で使うのであれば体温保護を重視することになるんです。狂暴な水中生物がいるかどうかも含めて、スペックもそれに対応していきます」
「狂暴な水中生物ねえ」
ネトシル少尉が首をひねった。
「たとえばワニとかサメとかがいる所では、その牙も跳ね返し、それどころか噛みついた途端にその顎が引き裂かれる自動攻撃能力を付帯させます。尚、それを普通のノーマルにつけたら、誰かが水中でぽんっと叩いて合図しただけで殺されることになるわけです。だから通常使用のウミヘビにそんなのはつけません。
そしてヒルみたいなものがうようよいる所で使うならば、皮膚を全く出さないようにしなくてはなりません。その際は体外に電流が放出されるオプションがあるといいわけです。だけどそれを普通の時に使うとなれば、まさに厄介なことになります。だから三人共、使い道についてはバラバラにしてチェックしておいた方がいいです。貸し借りし合い、どんな状況にも対応させたいなら、皆が違うものに特化させるしかありません」
「なるほどねえ。じゃあ、アレナフィルちゃん。俺の場合は何を重視すべきだと思う?」
「職務的に、誰かを救出することだと思います。誘拐や水難事故に遭った王族や仲間を助けるとか? 自動攻撃装置よりも水中探査と体温維持、そしてツイン使用などの快適性ではないかなと。その場合、脱出時のことを考慮し、即座に離脱できるよう推進力を優先する感じで」
昨日渡しておいたチェック表は、あまりにも使うケース想定がありすぎて、一番に優先するもの、二番目に優先するものといったチョイスが悩ましかったらしい。
そして彼らは一番手っ取り早い方法を選んだ。
それは今日、私に説明させながらチェックするということだ。手抜きがひどすぎる。
「そっか。ありがとね。じゃあ、フォリ中尉だとどうかな?」
「大公家ならば水害時に人道的支援という形で貸し出すことが多くなるかと思います。となれば、河川の氾濫や水難事故を想定し、油や木の枝やゴミが沢山流れていても怪我をしないような頑丈さ、なおかつ重厚さよりも疲労軽減ということで軽さを重視、そして何かがぶつかってきても受け流すタイプにした方がいいと思います。汚水環境であることを鑑み、周囲の水に汚染されぬよう呼吸他もガードさせるべきかと。サルートス国の全ての河川の水温推移表をチェックして、最低水温から最高水温までカバーする感じで。
あ、オレンジ色も終わったから、次はヴェインお兄さん、両足をある程度前後に広げて、両手も同じように前後に肩の高さで広げる奴、いきますよ。楽なように腰を少しひねってください。肘は直角に折って。要は、水の中でバタバタ足を前後に広げるとしたらどこまでかを考えてください。プシュッて音がしたら5カウント以内に」
私は椅子に乗って、オーバリ中尉の頭上にある次の印を貫いた。
なんか分かってきたらしいオーバリ中尉が左手と左足を前に、右手と右足を後ろに広げてちょっと腰をひねっている。肘の所で直角に折っているから、なんか彫刻のモデルっぽい。
「体をねじらせても採寸するんだね」
「筋肉のうねりとかも分かっている方が、その盛り上がり部分に負担がかからないようにするから装着しても楽なんです。ただ、こんなのでカスタマイズされてしまったら、ヴェインお兄さん、水中でのお仕事ばかり回ってきそうですけど」
「いいんじゃないか? どんな方向であれ、特化したものがあるのは悪いことじゃない」
「それもそうですね」
その間、フォリ中尉は自分の父親にチェック表を見せて説明していた。フォリ中尉だけのリクエストで作る筈が、親子共有ということで父親の意見も聞く必要が出てきたからだ。
私はあくまで父と息子どちらも国内でおとなしく生活していることを前提に提案したが、あのミディタル大公、どんなものを優先事項に持ってくるかは不明だ。
「はい、そしたら最後にさっきとは違う足で前後に広げて、両手は真上に上げてください。顔もできれば上を向いてください。腰はひねらなくていいです」
私は最後の印を貫いて、オーバリ中尉がその姿勢をとる。
それらの計測が終わった後、青い線に従って破いてもらった袋から出てきたオーバリ中尉は真っ黒だった袋の表面にびっしりと読めない文字や記号、ラインが浮かんでいるのを見て驚いたらしい。
「うわぁ、なんか呪いみてぇ。気持ち悪ぅ。お嬢さん、よくこんなのが浮かんでくるの、びびりませんでしたね。これ、びっしり浮き出てますけど、全部チェックするんですか。そこまでしなきゃいけないもんっすかねえ。水中遊泳補助にちょっと攻撃能力が付いただけですよね?」
貿易都市サンリラで手に入れたトビウオのバッタ品が、フリーサイズで幾つかの場所に固定して使うものだったので、その辺りが解せないらしい。
「そりゃここまで計測して合わせなくても十分に使えるのは分かってますけど、どうせなら少しでも使いやすい方がいいじゃないですか。どんな作業や功績も、それを成し遂げる人を支える地道な努力だって必要なんです。こういった小さなデータ処理に手を抜かない人達のそれが、ぎりぎりの時に命を拾う結果になることもあります。だから肝心の当事者にはクソ生意気なことを言われても、なだめすかしてデータを取るのです」
「・・・もしかして、俺、クソ生意気とか言われてます?」
「どう思います?」
黒いシートの中で視界がふさがれている内に、礼儀正しい姿はどこかへ消えてしまったようだ。駄目な大人だなという思いを込めて、私は彼を見上げた。
(まさに豚に真珠、猫に小判。価値の分からん人間なんてバッタ品でいいものを)
ちょっとの攻撃能力と言うが、それに最適な金属や内部シートの開発にどれだけの努力があったか。塩水や有害物質を含んだ水の中、そして太陽光にさらされる環境下での腐食を何度も調べて計測し、そうして一つ一つの採用が決定されているのだ。
その開発努力に敬意を示すからこそ、私はこういった前段階で手を抜きたくはない。
私のそんな気持ちが伝わったのか、オーバリ中尉はぽりぽりと頭を掻いて話を変えてきた。
「で、これをお嬢さん、どうするんです?」
「全ての数値を色ごとに分類して表にし、トリプルチェックしてからあちらに伝えます。サイン会では意地悪しましたけど、それもあって計測する人数をあまり増やしたくなかったっていうのもあるんですよね。こっちとあっち、温度計も違うから、全部あちらの数値に換算しなきゃいけないし、何より本当に望んでいるスペックを聞き出さないと満足してもらえないから」
そう、私はチェック表を見て、本当にそれを望むべきなのかを把握しなくてはならない。時には機密事項にまで踏み込みかねない作業だ。どこに所属する人が何を優先したいかを把握するのだから。
「本当に望んでるスペック?」
「ああいうチェック表って、嘘にチェック入れちゃう人って出るんです。だけどウミヘビ、暗殺に使うなら静音性能と擬態能力、現場離脱能力にスペックを取らなきゃいけません。そうじゃなくて船とかも相手に戦う攻撃能力に特化するなら、静音性能は犠牲にしてスピードと重厚さにスペックを取ります」
そこらへんはなるべく避けて当たり障りなくすませたいけど。
「なるほどねえ。だから子爵邸に残っているデータを使うより、きちんと取り直すって言ったわけですか」
「そう。通常はこんなセミオーダーなんていちいちやらないし、やってもらえるのは限られた人だけ。それならとことんしてもらった方がいいかなって。そりゃ子爵邸に残っているデータでも十分なんだけど」
そう、それでも十分だとは分かっていた。だけどいつか次の商売に繋がるかもしれない。
(大事にしてもらいたい。高いけれど、それだけ研究開発に力を入れてきた証を軽く見てほしくなかった)
かつてセンターで飼い殺しにされていた少年。私に研究や開発を行う頭脳はなかった。
それでも私はセンター長の一人娘。あの子を守る盾になろうと、私が覚えたのは測定技術と事務処理だった。
養子だからと、他の研究員から都合よく使われる義理の弟を見ていられなかった。あの子は、家にいるよりもセンターでいる方がいいと、笑っていたけれど。
「たまにお嬢さん、全てを見通しているかのような大人っぽいところがありますよね」
「人生経験が違いますから。何と言っても私、貴族でありながら市立の幼年学校に通い、時には兄の影武者をしてグラウンドを駆け、しかも今や王子様とクラブ活動している、酸いも甘いもかみ分けたお嬢様ですから。敬語も続かないお兄さんとは人間としての深みとレベルが違いますのよ。ほほほほほ」
「叔父上。あそこに調子に乗ってる子がいます」
「フィルが公衆の場で口を開きそうになった時だけ止めてあげなさい、ルード」
次はネトシル少尉と思ったけれど、私の作業を見ていた叔父とネトシル少尉が、先にミディタル大公とフォリ中尉の採寸を代わりにやってくれた。
最後はネトシル少尉の分をオーバリ中尉がやってくれたけれど、やっぱり背が高いと危なげがないなぁと、ちょっと羨ましかった。




