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3 可愛さも計算の内だ


 子供の語学力なんて知れたものだ。

 それでも片言ながらも読み書きできるようになっていた記憶が消失したことは痛かった。

 もう本気で、必死になって言葉を覚えた。覚えないと意思表示もできない。ローグや父の友人を相手に、正しいサルートス語を覚えようと努力した。パントマイム能力が鍛えられた。


『あのね、あのね、これ、おなまえ、なぁに?』

『まあ、可愛い』

『ボクわかったっ。モンスターゲイゲイだ。モンスターゲイゲイ、ほんとはツナミのせいれいなんだよっ』

『まあ、津波のことでしたの?』

『うんっ。さっきね、モンスターゲイゲイみてたのっ。フィル、それ、ツナミなんだよ』

『ですって。フィルお嬢ちゃま、津波だそうですよ。つぅ・なぁ・みぃ』

『つぅなぁみぃ? つなみ?』

『ええ、つなみ。よく言えましたわね。お上手ですわ』


 ホント、双子の兄がいてくれてよかったけれど、そっちからは嘘の言葉をけっこう覚えさせられた。尚、津波だと覚えさせられたその単語は、正しくは飛蝗(バッタ)だったと、後日判明した。

 悪気があったわけじゃないらしいが、子供なんて正しく言葉を覚えているわけじゃない。そして正しく相手の言葉を理解してくれるわけじゃない。

 それなのに奴は双子の威信をかけて断言してくるのだ。


(ローゥパパやレンさんがいてくれてよかった。ルードに教えられた言葉、まちがいが多すぎたんだもの。みんなもお休みの日は、けっこう付きっきりで教えてくれたし)


 レンさんというのはレン兄様、つまり父の友人だ。父はバーレンと呼んでいた。

どうやらどこかの学校で勤務していたらしく、私が知りたいことをかなり教えてくれたが、難しい言葉や15才以上の生徒達が習う内容ががっつり入っていた。


(母親はいない。父親は仕事で留守がち。家政婦なマーサが育児担当、マーサの夫のローグも仕事があるけど気分はもう実の子か孫ってとこだね)


 おかげでローグは、バーレンに向かって、

「この子は4才だぞっ。どうしてそんな難しい言葉を教えてるんだっ」

と、文句を言っていたが、彼は、

「学ぶのが苦にならないのであれば、幼い子であろうと問題はない。記憶がないから赤ん坊と同じ? 別に赤ん坊だって教育はできる」

と、退(しりぞ)けていた。

 学生ですと言われたら信じてしまうぐらいの童顔でありながら、年上であろうと平気で論破する無神経ぶり。そして、自分が良ければいいという考え方がクールな人だった。


(ま、環境は恵まれてたってことかな。・・・故郷は遠いけど。レンさんによるとファレンディアに行こうと思ったらかなりお金かかるらしいんだよね)


 家政婦として雇われているのは妻だけなのに、実の子供のように愛してくれたローグには感謝するしかない。

 彼は私を娘とも孫娘とも思っていた。だからいつも私を見つけると抱き上げては肩車してくれて、素敵なものを見せようとしてくれた。

 河原で咲いている小さな花も、一面に広がる綺麗な花畑も、夕日の大きな丘も、休日の彼が連れて行ってくれた。言葉を間違えても面白そうに笑って、おしゃべりがとても可愛いと褒めてくれた。

 私の言葉が怪しくても、ローグは売店の人と楽しそうに会話する様子を私に見せることで、こういうやり取りをするんだなってことを実体験で覚えさせてくれたのだ。小さな子供だからこそ無条件に守られ、愛されるというそれを当たり前のように体現してくれる人だった。

 私達にとっては血が繋がってなくても父親だった。

 だからと言ってバーレンが悪かったわけじゃない。どちらかというと私にとってはバーレンこそが必要な存在だった。

 年齢で学問レベルを制限すべきではないというスタンスをとってくれたバーレンだからこそ、私が望むものを提供してくれていたわけである。とても有り難い存在だった。

 彼は独身だったので、初めて家に連れて行ってもらった時は、幼い子供なりに積み上げられた本と埃に気が遠くなったものだ。テーブルも床も本が山積みで、しかも試験問題から何からが、箱の中からはみ出しまくっていた。


(幼児を連れ込んだらお絵描きされて書類が滅茶苦茶になるパターン。そして子供の上に色々な物が落ちてきて怪我する奴だ)


 独身一人暮らしのバーレンは、小さな子供にとって何が危険なことなのかも分かっておらず、おかげでその家では自分でお湯を沸かすやり方を教えてもらい、抱き上げてもらってお茶の葉やお湯を一緒にポットに入れたりして、ほんわかのんびりと過ごした。

本当の幼児相手にアレはやっちゃいかんレベルだった。

 言わせてほしい。子供という生き物は大人がちょっと目を離した隙にとんでもないことをやらかしてしまうのだ。

放っておいたら勝手に遊んでいるだろうと思っていてはいけない。何が危険か危険じゃないかを知らない子供は、大人が目を離してはいけない要注意生物なのだ。背も低い為、大人には分かっている危険が子供には分からない。数秒目を離しただけで大怪我をしてしまうのが子供だ。

 それなのに全く危ないことをしない私はとても賢い子供だったと言えるだろう。

 とはいえ、やはり体は幼女。賢さだけではどうしようもできないことはある。

すぐに踏み台が用意され、手の届くところにポットや茶缶を置かれた。この時点で、どこまでもバーレンは幼児をメイド扱いする身勝手な男でもあった。

 子供に何を求めているのだ。お前だって幼児時代にそんなお茶くみなんぞしてなかっただろう。

 そんな不満を抱かなかったと言えば嘘になる。だが、私にはバーレンから離れられない切実な理由があった。

 何と言っても彼の家には様々な言語の本や資料があり、中にはファレンディア語の本も混じっていたのだ。彼は何かをし始めると時間が経つのを忘れるようで、だから私も彼が試験の採点をしている間、ファレンディアの本を読み漁っていた。


(サルートス語は分からなくても、確実に理解できるファレンディア語の本。だから私の記憶は間違っていないと分かった。読んだことはなくても知ってるタイトルとあらすじが、私の記憶を裏付けてくれたから)


 大丈夫だ。サルートス語や違う外国語の絵本を近くに置いておいて、彼の足音がしたらさっとそれを広げて、カモフラージュも完璧だった。彼の家には様々な国の本が分野を無視した状態で山積みだったのだ。

 まあね、そんなカモフラージュも長くは続かなかったけど。


(レンさん、ファレンディア語は専門外だったしね。教えてあげたらけっこう喜ばれた。そうして悪友になってしまったわけだけどさ)

 

 父とバーレンは上等学校での友人だったらしい。ガキンチョ言葉を教えてくるアレンルードとは反対に、バーレンは大人として正しいサルートス語を教えてくれる人だった。

 そして身勝手な性格で、私がファレンディア語に堪能なことを知っても、そして私に前世らしい記憶があると知っても、全く動じなかった。それどころか、

「へー。なら、子守り代金はお前さんのアタマで払え。俺はサルートス語を教える、お前はファレンディア語を教える。いいな?」

と、そんなものだった。

だから悪いと思わずにいられた。そして大人が使う言葉遣いを教えられたことで回り道もせずにすんだ。

 それでも完全感謝はできない。

だってパピーとか、自分のことを名前で呼ぶのとか、そういうお子ちゃま言葉をあの男、

「あー、うんうん。サルートス、そーゆー文化なんだよ」

で、訂正してくれなかった。だから私はそういう呼び方が大人っぽい呼び方だと信じていた。

 どうやら彼も彼なりに、舌足らずな方が可愛いからそっちを覚えさせておこうという身勝手なところがあったようだ。

 だが父よ。

今にして思えば、友人が語学の講師をしているからと娘に言葉を教えてくれるよう頼んだのまではいい。だけど丸一日とか預けるのって、子守りも押しつけていたわけで、それってかなり問題があったんじゃないの?

 そりゃ行きたがっておねだりしたのは私だけど。ほとんど毎日のように通ってたけど。

 私がとてもよくできた子供で全く問題を起こさなかったからいいが、普通の幼児であれば貴重な本を破いたり、いたずら書きしたり、とんでもないことになっていた筈だ。バーレンもそこは学者だったせいか、浮世離れしていた。

 危機管理とか、育児とか、この二人は大切な何かを理解していないと私が悟るまでさほど時間はかからなかった。

 あの頃を振り返った時、

「夫に子守りを頼むとね、帰宅してからが大変なのよ。しかも本人、よくできたって思ってるのよ」

と、誰かが嘆いていたそれを思い出し、私は遠い気分でたそがれたものだ。

今なら実感をこめた相槌が打てるだろう。

ファレンディア人だったあの頃、

「それだけ旦那さんも役立ってあげたって気持ちだったんじゃないかな。少しでも休ませてあげたかったんだと思う」

と、夫側を庇ってあげた私は何も分かっていない無神経な女だった。

 許せ、一時的に同僚だった人よ。

 それはともかくとしてだ。

 肝心のバーレンは、私を預かると片づけをしてくれる上に、差し入れの食事も運ばれてくるし、ファレンディア語を教えてくれるというので、全く気にしていなかった。

 本当に自分のことしか考えてない大人だった。ついでに嫁さんをゲットするのでさえ、私に手伝わせた。


(精神的な世代が同じってことで、話は合ったけどね。前世とか言い始めたら、頭おかしいと思われて精神病院行きか、研究対象にされるから言うなって忠告してくれたし。自分が教えたサルートス語は大人として正しい言葉だから、しばらくは子供の言葉しか喋らない方がいいって忠告もしてくれたし)


 周囲の大人に色々と問題があったにせよ、幼年学校に通うまでにどうにか言葉も間に合った。

 しかし子供っぽい振る舞いが分からないのでボロが出ないよう、なるべく人見知りでもじもじして人と話すのも怖がるという演技力で、5才からの学校生活を乗りきりながら、言葉を覚え続けた。

 子供として十分な語学能力と、大人として十分な語学能力は違う。私は、大人としての学習と情報収集を欲していたのだ。

 おかげで13才からの上等学校に進学する時、「ああ、これでまともな言動デビューだな」と、思ったものだ。

 自分の演技力が完璧すぎて怖い。

 幼年学校の子供達のお喋りに染まったら、自分の覚えた大人っぽい言い回しのサルートス語がおかしくなりそうで、人見知りの激しい女の子を装っていたのだ。

やっとそんな窮屈な時代が終わる・・・!


(問題は、家では一番みんなに甘えている役割を課されていたせいで、結果として子供っぽい話し方から逃れられなかったことだろうか)


 いいや、そんなことはない。そう信じる。

そうだ、やっと私の本番が来たのだ。私の時代が到来したのだ。

 進学で今までの同級生とも離れるわけだし、これからはもう本来の性格に戻すしかないよね?

 人は18才前後で、種の印が体のどこかに浮かんでくる。といっても、ほとんどの人は樹の印だ。世界の8割は樹の印を持っていると思っていい。

 どんな印が浮かんだところであまり意味はないが、種には竜、虎、樹、魚、蝶の5種類がある。

 血液型と一緒で分類はできるけど、それだけだ。厳密にいえば色々と違いはあるが、普通に生きている分には何の意味もないことだ。

 ただ、血液型占いで性格を当てるのと同じ程度には、種にも傾向がある。そして血液型で何が分かるんだという現実と同じ程度に、種の分類は参考にならない。


 たとえばこんな感じだ。

 竜の種が出る人は、けっこうカリスマ性があったりする。そして竜の種があっても、全く魅力的ではない人もいたりするので、絶対ではない。

 虎の種が出る人は、ちょっと好戦的な傾向があって強いとは言われるけれど、それも絶対ではない。

 樹の種は、人間の大部分を占めるだけあって、様々だ。傾向も何も色々ありすぎて普通だ。良い人も悪い人も、凄い人も凄くない人も、喧嘩っ早い人も暴力嫌いな人も、全てにおいて様々なのだ。

 魚の種が出る人は変人が多いけど、変人じゃない人もいる。変化を求める傾向があるというか、自分の信念に殉じて本望というか、流浪の旅が苦にならなかったり、普通と違う人生を送ろうとしたりする人が多い。勿論、農家とかで変わらぬ日々を愛している魚の種を持つ人もいる。

 蝶の種が出る人は美人が多い。おかげで蝶の種を持つ人は目立ちたがり屋や華やかな恋愛遍歴な人が多いとも言われているが、それは蝶の種を持たない人間のやっかみだ。うん、ひがみだ。誹謗中傷だ。


(結局、一方的に決めつけるぐらいならば種の印なんて考えない方がいいってことだよ。これが研究レベルの話になったらかなり色々と意味があるんだけど、世間一般の生活において種の印は全く意味がないと言っていいからね)


 同じ家で同じ教育を受けて育った子供が同じ性格に育つというものではないように、種の模様が肌に浮かんだところで何が変わるわけではないし、優れた能力が花開くわけではない。一般的にそう考えていい。

だからあまり意味はないのだが、やっぱり楽しみに待つ子は多かった。

 顔や首に出たりすると、本人よりも周囲が先に気づくといった有り様だ。家族や友達と同じ場所に出たりすると、きゃっきゃとはしゃいだりもする。

 サルートス王国だと、王族や貴族には竜や虎、蝶が出ることが多いらしい。勿論、ほとんどは樹だ。

 そして王族や貴族の子供達は、国立サルートス上等学校に行くことが多い。

 国立サルートス上等学校は、エリート育成学校と思えばいいだろう。勿論、王族や貴族じゃなくても通えるが、王族や貴族は通常の入学試験と違って「簡単なテストで入学できますよ」枠がある。


「さあ、ルード坊ちゃま、フィルお嬢ちゃま。今日は久しぶりに旦那様が早くお帰りになりましたし、ご馳走ですよ。本当に坊ちゃまは本当に寮にお入りになりますの? 行ったら自分で起きなきゃいけないんですよ? 知りませんよ」


 通いで来てくれている家政婦のマーサは、ウェスギニー家の(きも)(たま)母さんだ。淡いピンクの髪に淡い水色の瞳をした儚げな色の組み合わせからは想像もつかない頼もしさである。

 本当の名前は知らないけれど、父のフェリルドは「マーサ姉さん」、アレンルードは「マーサおばさん」、私は「マーシャママ」と、いつも呼んでいるから、きっと名前はマーサだ。

 ウェスギニー家の家政婦をしながら、必要に応じて庭師や女中を父の実家に寄越(よこ)させて、家を維持してくれている。

 好物の南瓜(かぼちゃ)スープに、アレンルードはたちまち目を輝かせた。浮かんだクルトンをカリカリ食べるのがアレンルードは大好きだ。


「大丈夫だって。だって寮の方がカッコいいじゃないか。僕はやるぜっ。ノロマなフィルだけおうちから通えばいいんだよ」

「フィル、ノロマじゃないもん。パピー、ルードがいじめる」


 いてこますぞ、クソガキ。

 そう思ったけれど、私は身も心も清らかで乱暴なことなど考えもつかない乙女である。


(なんかここんとこ、ルードおかしかったよね。活発(ハイ)憂鬱(ロー)を繰り返してたっつーのか。何かと私に抱きついてきてたしさ。落ち着いたなら良かったけど)


 ふくれっ面になった私は、同じテーブルに()いた父に言いつけた。さりげなくアレンルードの皿から、美味しそうなチキンステーキ肉を父の皿へ一切れ移してしまう。

 それに気づいた父のフェリルドは苦笑して、アレンルードの皿に向けて手首をシュッとひねることでフォークを使って人参とピーマンを飛ばして入れた。

 見事なコントロールでございます、お父様。


「妹には優しくしなさい、ルード。元気なのはいいことだが、女の子に優しくできない子は嫌われて痛い目に()うぞ」


 南瓜(パンプキン)スープを飲むことに夢中で周囲を見ていないアレンルードと違い、軍人として働いている父は、そういうことに対しては目敏(めざと)いし、やられる方が悪いという考え方をする。とっくに痛い目に合っている息子に、憐れむような眼差しだ。

 そんな私とて無条件でちやほやされているわけではない。パピーというのは、父親のことだと言われて信じた自分が愚かだったが、騙されたと知った時には遅かった。

 もうお父様とか、お父さんとか、いつ呼び方変更すればいいのか分からない。真実を知ったのはみんなの前で、パピー、パピーと呼び続けて三年以上()った後だ。もう私の父親への呼び方はパピーで定着した。


「だけど父上。フィルは頭が悪すぎると思うんです。双子なのに、こんなにもバカじゃどうしようもないです。僕はフィルが手下だからガマンしてあげますけど」

「フィル、手下じゃないもん」

「いいんだよ。フィル、妹なんだから僕の手下なんだ。のろまなお喋りしかできないくせに」


 誰が手下だ、このボクちゃまが。生意気なところも可愛いその顔に感謝しとくがいい。

 人参は細い部分の方が甘く煮こまれていたので、私は自分の皿の太い部分と、アレンルードの細い部分を交換した。アレンルードは南瓜スープのお代わりをおねだりしていて気づかない。

 マーサもスープの鍋に向かっていたので気づかなかった。

 着席していた父は私のやることなので見逃してくれる。


「何を言ってるんだ。ゆっくりお喋りするフィルはとっても可愛いじゃないか。それにフィルはお前と違って一般部に通うんだ。大切な妹を守れる男になりなさい、ルード」

「そうですよ、ルード坊ちゃま。それに試験の成績は、フィルお嬢ちゃまの方がルード坊ちゃまよりいいんですからね。フィルお嬢ちゃまはおとなしいだけじゃありませんか」


 こういう時、大人は私の味方だ。

 たどたどしくゆっくり話す私だけど、その一生懸命話している様子が可愛いらしく、何かのツボに入っていると思われる。

 おかげでその話し方の()め時が分からない。これでももう言葉は十分に習得したつもりだ。だけど頼りなくて守ってあげなきゃいけない女の子でいた方がいいんだろうなという思いがある。


「フィルお嬢ちゃまはいつも一生懸命ですわ。とても賢い子ですよ」

「うん、マーシャママ」


 向かい側に座るマーサに満面の笑顔を向ければ、父とマーサが顔をほころばせた。

 アレンルードは気づいていないが、大人の間では私が監督者で、アレンルードこそが格下なのである。

 活発でリーダーシップがあると思っている者は、おとなしい実力者に足元をすくわれるだけなのだ。


(ふっ、チョロいぜ。ルードよ、同じ顔であろうとこの私の愛らしさにお前は(かな)わないのだと知れ)


 家政婦といってもマーサは使用人という立場とはいささか異なり、私達と一緒の食卓につく。

 父にとって姉みたいな存在なのだ。マーサはちゃんと家があるけれど、うちで作った晩御飯を、旦那さんの分を持ち帰って出すことで、うまく二つの家を切り盛りしている。

 そんなマーサの家は、うちの門から見えるぐらいに近い。早く帰ることができた日は、旦那さんのローグはうちにそのまま顔を出すぐらいだ。そして一緒に食事をとる。

私はローゥパパと呼んでいるし、父もローグさん、双子の兄もローグおじさんと呼んでいるから、きっと名前はローグだ。


「そうだな。フィルがお前と同じ経済軍事部を選ばなかったのは仕方ない。頭がよくても進路というものには合う合わないがある。フィルは一般部を出て、いずれ好きな人を見つけて結婚するなり、自分なりの進路を見出すなりするさ。それでいいじゃないか」


 国立サルートス上等学校は、国立サルートス修得専門学校と併設されている為、かなり広い敷地を持つ。寮もあるし、学生数も多い。

 私は全体的に学ぶ一般部を希望したけれど、アレンルードは経済軍事部を選んだ。尚、王族や貴族は経済軍事部を男女問わず選択する傾向がある。

 貴族の家に生まれた私だが、父は私を乱暴なものから遠ざけておきたいのだ。


「ねえ、パピー。一般も他の部も、最初は同じ授業なんでしょ?」

「ああ、そうだよ。基礎科目はどこも同じだ。選択した部によって受ける授業内容のレベルが違ったりもするけどね。勿論、自分とは違う部門の専門授業だって、受けるだけなら自由だ」

「そんなことする人いるのかなぁ。僕なら嫌だよ」


 アレンルードは勉強嫌いなのである。子供だから当然だ。永遠の二十代である私だって好きじゃない。

 だってテストって難しいんだよ? 子供らしいミスってどうやればいいの?

 いつだって優秀な成績を取り続けるのはまずいし、程々に間違えるようにしているけど、この問題が解けてこの問題が解けないのはおかしいかなとか考え始めると、テストの時はいつだって悩みまくりだ。

 そんな苦労人な私よりも成績が悪いアレンルードは、心から反省しろ。まあ、私より頭がいいと思いこんでいるその馬鹿さ加減が可愛いから許すけどね。


「ルードが言う通り、あまりいないね。だけど偉い人の子供とかだと、後学の為にと聴講していることもある。試験は受けられないから、最初は好奇心で聴講しても続かないんだけどね。フィル、ローグさんみたいに一般の部から役人を目指すなら話を聞いておくといい。数年後の話だが」

「あのね、パピー。ローゥパパね、印が出てから進路を決めた方がいいって言ってたの。パピーの子は二人だけだから、ルードの進路でね、私の人生も変わることもあるからって」

「・・・ああ。まあ、そういうことは大きくなってから考えることだな。それにルードとお前は別の人格を持った別の人間だ。気にせず、自分がしたいことは何なのか、どう生きたいのか、学校で色々なお友達と触れ合いながら見つけなさい、フィル」

「うんっ」


 ええ、ローゥパパ、マーシャママって覚えさせられた私が騙されたと知った時には遅かったですとも。

真実を知ったのはみんなの前で、ローゥパパ、マーシャママと呼び続けて三年以上()った後だ。もう私の二人への呼び方はローゥパパ、マーシャママで定着した。


(くっ、この国の言葉を全く知らない幼い女の子が普通を知らなかったばかりにっ)


 しかも可愛いからと、わざとそっちを覚えさせた保護者達がひどすぎた。

 だけど鏡を見てしまえば、「あー、言わせたい気持ちは分かるかも」だったので、ガラではないけれど、おっとりとした頼りなさを演出している。

 だってこの顔、その方が似合うし、みんなが優しくしてくれる。

 ええ、私も計算高い大人なんですよ。ええ、見た目はまだ少女ですけど。

 アレンルードもアレナフィルも、玉蜀黍の黄熟色(メイズイエロー)の髪に針葉樹林の深い緑色(フォレストグリーン)の瞳をした、ちょっとタレ目でほんわかした顔立ちをしている。要は可愛すぎて撫でたくてたまらねえって外見だ。どうやら色合いは父親、そして顔立ちは母親に似たらしい。


(これはあれだな。ぬいぐるみのような愛らしさ系だ。母親のフォトを見ても、大人になったら童顔と呼ばれることを予言してもいい)


 市立の幼年学校は制服ではなく私服だったので、わざとお揃いのズボン姿で、私だけ胸もとにタイではなく可愛いリボンとかをつけて通ったものだ。

 二人一組で歩いていると、

「あら、双子ね。男の子、女の子?」

と、声を掛けてくる人達がよくよく見たら、女の子っぽい男の子なのか、男の子っぽくしてみた女の子か、余計に迷う私達。

 国立サルートス上等学校は制服が決まっているらしい。ただし、スカートでもスラックスでも男女関係なく好きな方を着用していいとか。

 ・・・・・・。

 スカートを選ぶ男の子、いたことあるの?

 それはともかく、今まで私達の服はマーサが買って用意してくれていたものだ。一緒にお買い物に行ったこともあったけれど、私達よりもマーサの方がサイズとかをよく知っていた。

 そして父のフェリルドは、子供が元気か元気じゃないかを見抜く能力は高かったが、服装なんて全く見ていない人だった。ひらひらフリルたっぷりな服を着ていたら、おしゃれしているんだなと気づいて褒める程度だ。

 武器の意匠についてはこだわりをもてるが、ドレスのデザインも女性の髪形もどれも一緒に見える人だと思う。


(寮生活といっても、有料で洗濯とか(つくろ)い物とかしてくれるしね。これからはルードも大勢の中で()まれてくるといいよ。マーシャママも育ち盛りの男の子の世話はきついだろうし)


 私も女子寮に入ろうかと迷わなかったわけではない。休日だけ家に帰ってくればいいのだから。

 ただ、息子夫婦に同居を断られたローグとマーサは、私達を育てることも生活の張りの一つだったんじゃないかと感じている。

 そうでなければ、こんなにも親身になってうちのことを見てくれなかっただろう。


(同居も気が張るだけだし、分からないわけじゃないんだよねぇ。一家に女主人は二人も要らないってね。だけど小さい時は何かと預けられていた孫なのに、大きくなったらお役御免ってのが・・・やれやれ)


 夜泣きがひどい時や、用事があるけれど子守りを外注したくない時などは孫を預けられたりしていたらしいけど、そういう時期が終わったらもう祖父母は不要だったらしい。

 都合のいい考え方に思えるだろうけど、息子夫婦にしてみれば「孫を預けてあげたんだよ」な気分だったんだろうなって分かる。

 ええ、これでも社会人だったことがありますからね。よくある事例ですよ。

 預かるマーサだって、それで少しでも子守りを雇うお金が節約できたなら、その分のお金を自分達の生活に回せるんだからって思ってたみたいだけど、息子夫婦は「いつも子育てを頑張っている自分達へのご褒美」ということで、夫婦デートの資金に回していたらしい。

 そりゃ若夫婦だって、たまにはそういう時間も必要だよね。分かる。分かるけれど、この辺りもお互いへの思いやりがないと破綻しちゃう。

 お互いに愛情があっても、愛情を理由に寄りかかられすぎると駄目になっちゃうこともあるんだよね。

 ローグとマーサが息子夫婦達と距離を置いたのは、愛していればこそ愛情を理由に時間と手間と費用を搾取されることに耐えられなかったからだろう。

 詳しい事情は分からなかったけれど、昼寝している時に父とマーサが話しているのを夢うつつに聞きながらそんなことを思ったことがある。

 そしてその息子夫婦はうちにやってきたこともあった。アレンルードは留守だったけれど私はおうちの中にいたのだ。

 マーサは門を挟んで対応していた。


――― ちょっと待ってくれよ。なんで入っちゃいけないとか言うのさ。子爵様の別宅なら俺達だって親戚なんだからお茶ぐらい出してくれるもんだろう?

――― そうですわ、お義母さん。とても立派なお宅ですのね。

――― 何を言ってるの。私は今、家政婦として雇われているのよ。親戚と言っても血の繋がりは全くない他人なんですからね。この門から中に入れるわけにはいきません。何しに来たの。

――― だからちょっと旅行に行く間、うちの子を預かってほしいだけなんだって。ここのお子さんともいい遊び相手になるじゃないか。

――― 馬鹿おっしゃい。あなた達の子は自分達でシッターを泊まりで雇うか連れていくか、どうにかしなさい。ここは育児所じゃありません。私は仕事をしているの。専業主婦なんて誰にでもできる仕事じゃないかと言ってたあなた達なんだから、仕事への理解はあるんでしょう? いきなり私の職場に押しかけてくるんじゃありません。

――― そこをほら、こっちの旦那様だってうちの子なら幼馴染にちょうどいいじゃないか。そうだろう?

――― あなたが決めることじゃありません。旦那様もそういう押し売りみたいな人間関係を近づけないようにと仰っておいでよ。さ、さっさと帰りなさい。


 息子夫婦であろうと我が家の門を通さなかったマーサに、息子夫婦はひどい言葉を浴びせていった。

 気持ちは分からないわけじゃない。自分達の母親がよその子供二人の面倒をみているなら、それに自分の孫を一人足しても一緒だって考えるだろう。

 そして自分達をここまで排除するとは思っていなかった筈だ。

 二度と孫には会わせてやらないと、罵声を浴びせていったけれど、それだけショックだったんだろうって盗み聞きしながら思った。

だけどマーサだって家政婦として月給制で雇われているんだから、双子の子供達よりも孫の子守りを優先なんてできないし、自分の孫がこの家の中の物を壊したり持ち出したりしたらどうするのかって問題が発生することも分かっていた。

マーサの孫だって、この家の中にある私やアレンルードの持ち物を見たら欲しくなってしまうことはあるだろう。自分を可愛がってくれていた祖母が、自分よりも雇用主の子供達を優先するのを目の前で見せられたらどれ程傷つくことか。

マーサの息子夫婦はそこが分かっていなかった。

 誰が悪いわけじゃない。だけど一緒に暮らすことはできない溝ってあると思う。

 マーサに味方するわけじゃなく、その息子夫婦に味方するわけでもなく、私も考えさせられるものがあった。

これでもそういうことに関しては理解があるつもりだ。何と言っても私、以前は成人してましたから。

 うちに来て働く人たちの働きぶりチェックもしていましたよ。当たり前ではないですか。だって母親がいない今、私がこの家の女主人。

 雇用している人だからって無条件に信頼できません。

 マーサはこの家を維持する為に口座を一つ渡されているらしいが、盗み見したところ、けっこう余裕がある状態だった。父は必要に応じてもっと便利な物を買ったりしていいと言っているようだが、マーサが断っているところを立ち聞きしてしまったこともある。


『今は食器や鍋を洗う物も売られているでしょう。マーサ姉さんも(つくろ)い物とかはせず、新しい物を買ってくれて構いません』

『まあ。たかがあの程度で必要ありませんわ。繕い物だって、可愛い模様を縫い付けてあげるだけで坊ちゃまも喜びますのよ。私の嬉しい時間を取り上げないでくださいな』

『ですが・・・』

『それに小さな時間なんて短いものですのよ。すぐに子供は大きくなってしまいますの。これからどんどんお金は出ていきますわ。おうちのことは私にお任せになって、どうかお仕事に専念なさって。そしてお帰りになった時には沢山お二人を可愛がってあげてくださいな』


 いつもにこにこしているけれど、マーサはこの家を本気で守ってくれているんだって分かった。繕い物だって、そうやって大事に使うことをいつの間にか私達に教えてくれている。

 だから服を破いてしまったら、アレンルードもすぐにマーサに泣きついて、可愛い模様を縫い付けてもらうのだ。


(ごめん、マーシャママ。いずれ私が成人しても、ちゃんと年老いた二人の所へちょくちょくと顔出しして、親孝行する。一方的に約束するから)


 どうやらアレンルードや私がどんな進路を選び、やりたいことが見つかってもお金に苦労させまいと、マーサは考えてくれていたらしい。生活費として渡されている口座の余ったお金は、私達の為に使ってくれと、マーサは父に頼んでいた。

 生活にお金を使い過ぎて、お金のかかる進路は諦めるというケースは多いらしい。

 あどけない子供のフリをして尋ねた時、マーサはこう言った。


「大丈夫ですよ、フィルお嬢ちゃま。大きくなってどんな人を好きになっても、母親がいないからだなんて言わせませんからね。帰る場所がないなんてことにもさせません」


 不覚にも涙が出そうになった。

 いずれ成長して大人になった私が花嫁の支度金に困ることがないように、そして婚家で辛い思いをしないようにと、マーサは考えてくれていたのだ。

 だけど私は、発音のおかしさをゆっくり話すことでごまかしている子供だ。そんな事情を察することができていい筈がない。

 だから結婚なんて考えてもいない子供ならではの解釈をして抱きついた。これでも私、垂れ目がちな瞳をまん丸状態にして甘えモード全開な顔で見上げるだけで、誰からもほっぺにキスされてしまう愛らしさの塊なのだ。


「ママならマーシャママ、ちゃんといるよ? マーシャママ、せかいでいちばんステキなママなの。ローゥパパもたかいたかいしてくれるの。だいすき。あ、パピーもかっこいいし、やさしいの」


 成人女性としてのプライドは庭に捨てた。きっといい肥料になっただろう。

 かつての「美しい私が罪なのね。だけど好みじゃない奴は近づかないで」な私を知る者が見たら、ゲラゲラ腹を抱えて笑ったに違いない。


「フィルお嬢ちゃま。お可哀想(かわいそう)に。本当のママは・・・」

「しってる。リーナマミー、パピーがせかいでいちばんだいすきなマミーなの。リーナマミー、おつきさまになってパピーとルードとフィルをみててくれるの。おひるはね、マーシャママがいるの。よるはね、リーナマミーがみててくれるの」


 成人女性たる私の心は爆死した。きっと美しい花が夜空に咲いたことだろう。

 かつての「死んだら終わりでしょ。生きてる人が全てだよ」がモットーだった私を知る友人が聞いたら、精神病院を黙って指差したに違いない。


「フィルお嬢ちゃま。本当に、あんなことがなければ・・・」


 マーサは泣き出してしまった。

私はわけが分からないフリをして、そんなマーサに抱きついたまま、その腕を慰めるように撫でた。


(やっぱりあの人、あれで亡くなったんだろうなぁ)


 ウェスギニー・インドウェイ・リンデリーナ子爵夫人。ライラックのような淡い紫色の髪にオレンジ色の瞳をしていた人。

 娘を(かば)って凶刃に倒れた女性だ。

 恐らくそれが引き金となり、私も病院で目覚めたのだろう。そう思っているが、当時のことを誰も語ってはくれない。


 

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