27 婚約してみた
人というのは、お互いに聞きたいことがあっても訊けないって場合、無駄にもじもじ、もじもじとし続けてしまうものだと思う。
みんなで仲良く朝ご飯を食べた。食後のお茶もブランデーをお砂糖に垂らして火をつけてから飲んだ。アレンルードには不評だった。変なことしなくても普通に牛乳だけでいいとか言ってた。
そんなら人に期待せず自分でコップに入れて飲めと言うのだ。どこまでこの我が儘坊ちゃんは妹を手下だと勘違いしているのだ。だけど今はあまり強く出られない。
だからおやつの時間には見ただけで嬉しくなっちゃうミラクルスイーツなフルーツパフェを作ることを宣言した。
きっとこれで大丈夫。うん、大丈夫。大丈夫だと信じたい。
それから私は顔を洗いに行って着替えた。父も叔父もいるから、可愛らしくベージュのワンピース。大胆なお花模様の刺繍がチャーミング。
ダイニングルームからリビングルームに移動していたみんなにも、似合うねと褒めてもらって、問題はそれからだった。
(話題が尽きた・・・。こういう場合、何を言えばいいのだ)
考えてみれば優斗は誘拐犯。私は被害者。
それなのに父フェリルドは沈黙を保っているし、オーバリ中尉も成り行きを見守ろうといったところだが、昨夜になっていきなり合流した叔父レミジェスと兄アレンルードが、無言のままに「それでどうしてそこまで執着されることになったの?」的な疑問をその瞳で語ってきているのが分かる。
本人がいるので言いにくいだけだ。
ここで優斗に助けを求める程、私は愚かではなかった。何を言い出すか分かったもんじゃない。
「そっ、そういえばレン兄様、姉様は?」
リビングルームには本棚もあって、バーレンは適当な本を抜き出していたが、私の言葉に振り返る。
「ああ。自宅まで送ってくれるってことだったから任せてきた。一応、あのコテージ、あと三泊分は支払われてるってんで一人でも堪能してから帰るそうだ」
「戻らなくていいの?」
「俺がいると眠れないとか言ってたから大丈夫じゃないか? やっと書類を見ない生活だとか言ってたし」
「・・・なんて哀れな姉様」
大体、奥さんを眠らせずに何をしていたというのだ。このキチク童顔男が。
そして父が何も言わないところが、不気味すぎてどうしようもない。バーレンの所へ行くと言って出て行った娘がいきなり違う街にいて、弟と息子の救出作戦・・・。そして誘拐犯は一緒に朝ごはん。
どんなカオスだ。
いいや、ここは先延ばしにしていても仕方がない。
(ここはっ、度胸とノリと勢いだっ)
というわけで、私は新聞を読んでいる父の所まで行って声をかけることにした。だって父が一番突破しやすい気がする。
その隣でオーバリ中尉が雑誌を読んでいるのだが、移動車の耐久レースとかって面白いの?
「あっ、あのね、パピー。ごめんなさい、心配かけました」
「いいや。何でも偶然、フォムルの町で再会したユウトさんに、フィルがもっと性能のいい遊泳道具をねだったんだって?
そこのユウトさんから話を聞いたが、彼は全て自分が悪いと言っている。サンリラでお前と出会った時からもっと一緒に話してみたかったので、再会した喜びについ連れて行ってしまったのだと。
そのお詫びにと言っては何だが、あのサンリラのアパートメントにいた男達、そしてルードに、遊泳道具をくれるそうだが、・・・何でもそれは救助用どころか、軍が購入しているシロモノだそうだね。ウミヘビという名前が示す通りの兵器だとか」
ありがとう、お父様。私の言い訳が破綻しないように、いつでもそうやって事情を分かりやすく教えてくれるあなたが世界で一番素敵すぎます。
父は私の味方だ。何があろうと見捨てない。
普通なら私に説明させて、おかしい所を一つ一つチェックしていくんだよね。知ってる。そういうやり方で使用人達に説明させていたの、見たことある。
だけど父はそういうやり方を知っていても私にはしない人だった。
「ふぇっ? へ、兵器じゃないよっ。だってあれっ、救助用で、そりゃ軍でも使えるかもしれないけどっ、あくまでみんながお水遊びする為のものだもんっ」
たしか空気製造装置も本来の物にはついている筈だ。水底を悠々と移動できるだなんて、あんな面白い物を手に入れてしまったら、アレンルードは大喜びだろう。
あ、だけど性能がいいのをくれるなら、私が手に入れた二つは、学校のクラブに持っていってもいいかもしれない。
男の子達なんて好奇心がいっぱいだ。面白がって遊ぶだろう。
だけど父は物憂げに新聞を折りたたんで私をまっすぐ見つめた。
「初期のトビウオはそうだったかもしれないが、今や攻撃能力も有しているそうだ。あくまで彼が研究用として持っている物を渡すだけだからお金は要らないと言われたが、・・・フィル、どうして子爵家の娘を誘拐したとかいう彼が今、解放されて自由にしているかを考えなさい。お前は誘拐されていないと言う。そして彼もただお話をしたかっただけで、醜聞になるぐらいならお前と婚約するとまで言い出している。だが、そんなことは問題ではない」
「問題にならないの・・・!?」
父よ、ひどすぎないか。
私はあなたの愛する可愛い娘ではなかったのか。それなのに外国人から婚約を持ち掛けられたことが、問題ではないとは・・・!
ああ、これが父ではなく、よその男について行ってしまったが故の愛のすれ違いなの? 父は私の愛をもう信じてくれないのかもしれない。
こんな浮気な子なんてうちの娘じゃないって父は思っちゃったのかもしれない。
「わが国では流通していない兵器が手に入るんだ。ただ寝こけていただけの貴族令嬢の誘拐という罪で国外退去させるより、兵器を入手する方がメリットを見出せると考えることはある。・・・フィル、今回のことは無いことになった。あくまでそこのユウトさんは我が家の客人だ」
「なんと・・・! これが大人の政治的配慮・・・!?」
大人の汚い世界を見た気分だ。だけどそういうことなら問題ないのだろう。
父が何も言わずにいたのは、何も起きていなかったことになったからだったのか。うん、素晴らしい。最高だ。これ以上の解決法は無いよね。
納得した私は曇りのない笑みを浮かべ、かつての弟を振り返った。
【よかったですね、ロッキーさん。トビウオ改良バージョンを渡すことでどうにかなったそうですよ】
【うん。昨日の内にそれで終わったんだけど、今、聞いたのかい? もしかして昨日、誰かに聞く前にもう寝ちゃってたのかい?】
君は私のことなど何とも思ってなかったんだねと、恨みがまし気な気配が滲む。
いやいや、ちょっと待って。私はバーレンがいるならどうにかしてくれるだろうと盟友を信じていただけなんだ。信じるって大切なことだよ。
たとえ見た目は大人と子供でも私達はお互いを支え合い、協力し合うパートナーなんだ。
【子供は夜になったら寝るもので、朝ご飯はしっかり食べなきゃいけなくて、だから今聞いたというのは正しいことなのです】
【ひどいな。どうせ何も考えてなかったんだろう】
切なげに言われても、眠い時は寝る。子供は寝て育つんだ。それに私はとてもゴージャスなベッドを手に入れたのだ。
ああ、早く大人になりたい。そして優雅なお姫様のおやすみなさいをするの。セクシーなナイトドレスで父と叔父を悩殺しちゃう。
黒い革張りのソファから立ち上がった優斗は私の所まで歩いてくると、自分の右手首に左手を添えた。
【何してるんですか、ロッキーさん】
【ユウトって呼び捨てにしていいよ、アレナフィル。君にはこれをあげる】
おいおい、お前さん、まさか私にそれを使う気じゃあるまいな。
そう思ったけれど、記憶にあるよりもなんだか幅が狭くなっている。
するりと右手首から外されたそれは、鈍い銀の輝きを放っていた。あの頃と同じように。
【そんな危ない物を持つ必要がないのですが】
【心配しなくても、これにもう危ない機能はないよ。昔は色々な機能を持たせていたけれど、私も成長したらどんどん小さくなっていって、結果として機能を取り外すしかなかった。だけどアレナフィル。今の君にはちょうどいいだろう。眠り薬と解毒薬が入ってる】
勝手に私の上腕部に危険物をセットする男がいる。
だけど「機能を取り外すしかなかった」じゃなくて、「機能を使いきった」だよね?
【世間一般の善良な生徒は、そんな危険なお薬を持ち歩かないのです】
【だけど誰かにさらわれちゃった時、服に隠れる部分にこれを装着しておけば、逃げられる可能性は高くなるよ?】
もしもし、その私を誘拐したのはお前さんですけど?
しかし私も話が分からない人間ではない。やはり王子エインレイドに近づく身の程知らずな子爵家の娘だと、匿名の大金で雇われた人相の悪いお兄さん達にさらわれることだってあるかもしれない。その時は自力で逃げないと、物理的な危機だ。
目の前にいる誘拐未遂犯は私を自白剤漬けにしかねない危険人物だが、私の顔や体に消えない傷をつけたり命を奪ったりという未来の危険人物は説得がきかないことが予想される。
元々、上腕部に装着するのは、それなら気づかれにくいと考えたからだった。
【入っているのは眠ってしまうお薬だけ、と】
【そう。先に解毒薬を飲んで、それから食べ物の入った鍋や水のピッチャーに眠り薬を放り込めばいい。五日間は目覚めない。十分逃げられるだろう】
うん、そうだね。
たとえ集団でげへげへ笑って襲ってくる奴らに囲まれても、これさえあれば全員を行動不能にできるだろう。水の確保さえできればって条件がつくけど、そこは後で考える。いざとなればトイレに放り込むとして。
【だけどこれをもらってしまったら、ロッキーさんの分は?】
【ユウトだよ、アレナフィル】
知ってるよ。実はわざと言ってたよ。
嫌がらせというのは地味にほんのりダメージを与えるのがいいのだ。その場で一気に不快にさせるより、長く相手をほんのり不快にさせ続けられる。
【優斗さんの分はどうなるんですか?】
【それは思い出の品だから修理しつつ使っていただけだよ。誘拐対策なら十分にしている】
【そうですか】
少年だった彼の上腕部に合わせて作ってもらったこれを、ずっと持っていたのか。いつしか入らなくなり、手首へとはめなおして、彼はずっと・・・。
(なんでこんなに細くなってるかな。どんだけ使いきったよ。なんでそんな危ない人生過ごしてたの)
シャツの袖に隠れていたから気づかなかった。こんなにも細くなっていただなんて。
彼は知らない。それを見た私の気持ちを。
(何と言っても頭脳が財産だった優斗だもん。できる限りの機能をつけさせたんだった。だって可愛い弟だったし)
これを手放してもいいと思える程に、彼がもう亡き姉を吹っ切ることができたなら、それでいいのだろう。
そりゃね。ちょっぴり寂しい気持ちはあるよ。もうこの子にお姉ちゃんは必要ないんだなって。
だけどいつか子供は羽ばたいていくものだから。それに大人になった優斗なら、もう自分でも似たような物を用意できるだろう。だから「誘拐対策は十分にしている」なんだ。
【せっかくのお気持ちですからもらってあげましょう。いつまでも過去に囚われて生きるべきじゃありません】
【うん。だけどちょっと緩いのかな。服の上からでも落ちてくるみたいだ。女の子なら腕章みたいにしておけば可愛いかなと思ったんだけど】
【大丈夫。女の子はすぐ大きくなるし、リボンで結んだ方が可愛いから】
私はずれ落ちてくるそれを手に取ると、父を振り返った。見ればバーレンや叔父や兄まで、父の座っているソファの後ろ側にいる。
なんでみんな固まってるの?
「パ、・・・お父様。ユウトさんが、もう使わないからってこれをくれました。綺麗な腕輪。ファレンディア国では、これをつけてると災厄が逃げていくっていうお守りだそうです。ルードにだけ水泳グッズをあげるのは不公平だからって」
やはり変な薬が内蔵されているだなんて知ったら心配すると思う。だから私は、お守りだと説明してみた。
だけど父は、よその男に物をもらうだなんてと、あまりのショックに眩暈を起こしたらしく額に指を当てている。
そうだ。これは父の前で男からプレゼントをもらってしまったシーンだ。
まさに父は、可愛い娘がよその男にたかが腕輪をもらったぐらいで心奪われてしまったとショックを受けている。どうしよう。浮気じゃないの、誤解なんだよと、後で思いっきり甘えておかなくては。
「フィル。お前って子は・・・。まあ、いい。くれるというのであればもらっておきなさい。だけどちゃんと管理するんだぞ」
「はい。ちょっとぶかぶかなので、お部屋で適当なリボンとか使って調節してきます」
うん、わざわざ父を心配させることもあるまい。だってこれは持ち主しか開けられない特注だ。ただの腕輪に見えているならそれでいいのだ。本当の機能なんて教えなくていい。
(だって私、パピーにとっていつまでも可愛くて小さな愛娘だもん。こんな危ないのを持ってるだなんて知ったら、パピーもジェス兄様もびっくりして卒倒しちゃうよ)
ついてきそうな外国人の両肩をソファに押しつけて強引に座らせると、私はアレナフィルの札がかかった部屋に行って鍵を掛けた。
とても素敵な机と椅子のセット。いやん、座り心地もいい感じ。まさに高級家具だ。
外した腕輪の裏側にある数字の配列を動かしていけば、表側と裏側がパカッと開いて中身が現れる。それを一度出した。簡単な説明書も入っている。
全員の意識を失わせる催眠ガスカプセルは建物一棟を充満させて五日間、目覚めさせないらしい。私は先に解毒薬を嚙み砕けば大丈夫と。
正常な思考を失わせるガスカプセルと解毒薬。
鋼鉄をも切ることができるミニカッター。
(やっぱりね。単純な眠り薬など入っている筈がなかった。だけど仕方ないか。簡易発射装置もなくなってるし)
私はそれをオフにしたまま袖をまくり、左の上腕に合わせて長さを調節する。それから中身を入れ直して、オンにして配置をずらせば終わりだ。
(修理するも何も、あんだけの技術が入ってて数十年で壊れるかっつーの。前はもっと太かったのに。つまり毒ガスも爆発薬も使っちゃったんだね。あれは取り出して使うんじゃなく、金属に入った状態じゃないと危険だから)
考えれば不思議なものだ。
私が優斗の為に作ってもらって、そして持たせた物が、ちょっとスリムにはなったけれど私の所へ戻ってきた。
【ありがとう、カズおじさん。優斗をずっと守ってくれてたんだね】
身を守る物は使われてこそ意味がある。これだけスリムになったということは、それだけ弟が守られてきた証拠だ。
【そういう名前なんだ? 誰に注文したかも分からなくて、恐らく愛華が正規じゃないルートで作ってもらったんだろうって言われたよ。そうなると、もう追跡できなくてね。前センター長の人脈はあまりにもありすぎた】
振り返れば、いつの間にか部屋の扉が開いていた。
あのな、かつての弟よ。何故お前は勝手に入ってきているのだ。常識的なマナーとして、ひと様の部屋に入る前のノックをせず入ってきちゃいけない。
だけど私、ちゃんとドア閉めて鍵を掛けたよね? どうして開いてるの?
しかもお前、後ろ手で鍵を掛けて入ってくるって何なのだ。
【ねえ、アレナフィル。君はどうして色々と知っているんだろう。本当にどこまでもいらつかせてくれる。無遠慮に入りこんできて、こっちの気分を滅茶苦茶にして、いっそ殺してやろうかと思えば、・・・なんで私を惑わせるんだろうね。私に仕掛けられた毒杯でも、飲み干したくなる】
やっぱり殺す気だったのか。なんでこんな物騒な子に育ったかな。
分かっていたけど、問題はこれを見られたことだ。この腕輪の面倒くさいナンバーは私達しか知らない。
【寝不足なんだよ。だからそんな物騒なこと考えるの。愛華なんて、名前の知らない友達がどれだけいたと思ってるの。その一人が私の母で、私の母と気が合った愛華が色々と喋っただけでしょ。そして母がそれを日記に書いてて、私がジュースをこぼして駄目にしちゃっただけ】
小ぶりな机に向かっていた私は体ごと向き直り、椅子に座ったまま両手を伸ばした。
弟は馬鹿じゃない。つまりどこにも愛華とリンデリーナの繋がりを示す証拠などないのだと理解しただろう。
同じ部屋で二人きりになって、だけど私達の間にあるものはこの心だけだ。今や何の繋がりもない。
(あなたは私を信じる? もうその段階だよ。なんで見に来るかな、この子は)
私を抱きしめるその体はもう大きくなっていて、知らない香りがした。あの頃はシトラス系の香りが好きだったのに。
【無理がないか?】
そうかもしれない。本当に無理をごり押しした。
それでも無視できないものに反応したのは父ではなく弟だったけれど。
【現実なんて、かえって作り話よりもおかしいことばかりなんだよ。だから優斗、これ以上利用される前に帰国しなさい】
【アレナフィル?】
薄い金髪の耳元で囁けば、少し身を離して私の顔を見ようとしてくる。だけど私はぎゅっと抱きしめた。
彼にしか聞き取れない声で、私は告げた。
【叔父は何なら提携して工場を立ち上げてもいいと言っていたけれど、センターが提携などあり得ない。今、あなたにどこまでの権限が任されているのか知らないけど、ウミヘビの手配の為とか理由をつけて帰国して。後は適当にごまかすから。優斗、私はまだ14才なの。だけどいつかお金を貯めてファレンディアに行く。その時はあの家に入らせて。だから融・相田にあの家を売らせないで。お願い】
【君は・・・】
私は知っている。優斗が提示したそれが実行されないことを。
だけど私の目的はセンターなんかじゃないのだ。優斗がそれを疑っていたとしても。
【優斗。私はただ愛華の家に入りたかっただけ。愛華が亡くなった以上、融・相田所有になってるんだよね? だけど彼には渡せないものがある。分かって。・・・それともあなたはもうそっちの味方なの?】
愛華の家と言われたなら、そこはもうセンターとは無関係だ。
彼はしばらく動かずにいたけれど、ぎゅっと強く私を抱きしめる。
【君の言う通りにしよう。その代わり、アレナフィル。私に何をしてくれる?】
なんでそこで取引条件を出すかな、この子は。
ここで「なんでもしてあげる」だなんて愚かなことなど私は言わない。
【あなたの幸せを遠くから祈ってあげる】
【ごめんだね】
【あなたの呪縛を解いてあげる】
【どんな呪縛?】
きっと私は分かっていなかった。
ずっと考えていたことがある。この国の貴族社会で種の印がそれなりに重視されていることを知った日から、あの家にある資料の中身を改めて考えていた。
【愛華はずっと調べていた。あなたが逆らえない理由を。魚は竜に逆らえない。あなたの私に対する執着はそのひずみが生んだものだと思うけど、まずはそっちをどうにかする】
くすっと鼻で軽く笑った弟は、相も変わらずそれで終わらせるのか。
何度言っても、理解してくれなかった。私が自由になりなさいと言っても、まるで取り合ってくれなかった。
だけどあれから時は流れた。大人になれば視野だって広がるものだ。
【もし、解放できなかったら?】
【その時は逃げて幸せになるべき。名前を変えて、よそで心機一転。大丈夫。今は無力だけど、大人になったら私だって力をつける】
私の左上腕部を触る手がある。
この暗証番号を知るのは二人だけだった。一緒に決めたのだから。
【やっぱり調整できたんだ。ねえ、本当は私から逃げたかったんだろう? それなのにどうして自分の正体を明かしてくるの?】
【それでも、大人は子供を守るの。私はお姉ちゃんだから。あなたを不幸にはさせない。行きなさい、優斗】
トビウオがウミヘビとまで呼ばれる兵器になっていたとは思わなかったけれど、私に対する執着をエサにこの子を利用されるわけにはいかない。
同じ間違いを繰り返してはならないのだ。この子がセンターに囚われ続けたのも、私の存在が無関係ではなかっただろう。
【何故、こんなことに?】
【分かんない。治験のお薬飲んで、変な幻覚見たら、その幻覚はサルートス国の母子で、その母親が殺される場面で足を滑らせて墜落したけど、気づいたら幻覚の子供の方になってた。いきなりサルートス国の4才児って何かな。だけど頭部の手術痕もなくて、不審な接触者は優斗が初めて】
【治験? 傷心旅行の自殺じゃなくて?】
その言葉が鋭さを帯びる。色々と考え始めたのだろう。
懐かしい表情だ。私よりこの子に考えさせた方が確実だから、私も彼の思考を止めなかった。
【治験の募集があったから応募しただけ。だって私が美しすぎてまたもや仕事辞めることになったんだもん。それを治験の間、二ヶ月は食と住が無料だったんだよ? そして月給数ヶ月分の謝礼だったんだよ? やるよね? やらない理由がないよね?】
【そうだった。そういう考え無しな人だった。思えば今も考え無しだ。思い出が美化されすぎてた】
傷心旅行とは何の傷心? ストーカーうんざり旅行って言ってよ。
だけど私に同意してくれないかつての弟がいる。
美化されるまでもなく私は美人だった。何を言っているのだ。そして私は考え無しではない。
【失礼な。だけどここの家族がみんないい人すぎるから、まだ私、ヘタに動けないの】
【そうだね。思いっきり私を排除しようと、・・・・・・ああ、よく分かった。本当に流れがもうよく分かった。なんでそんなタレ目顔になっても男タラシなのさ】
ひどい。お前まで私をタレ目呼ばわりするのか。
現在の兄には男を引っ掛けてばかりだと言われ、かつての弟には男タラシと言われる。私は周囲の無理解を正したい。
【たらしてないもん。みんなが子供を大事にしてるだけだもん。いい? これが大人としてあるべき子供との距離なの。そして子供は何も考えずに守られているもんなんだよっ】
うちの父や叔父を見習いたまえ。ここまで子供の意思を尊重して自由を認めながらも、ちゃんと見守ってくれる包容力を。
これが正しい親の在り方なのだ。よく教わってくるのだ。
それなのにかつての弟は聞く耳を持ってくれない。
【考え無しすぎるところがまたもや変わらない・・・。まあ、いい。だけど会えたのにまた別れろって言うんだ。ひどいよね】
【今度は私が寄宿学校に行っていると思えばいいんだよ。大人でしょ、優斗】
【ああ、本当に情が深そうで薄情な人だよ。最低だ】
だから私は胸を張った。
【これでも学校でいい成績とってるもん。ちゃんと大人になって、それで優斗、逃げられなさそうなら私の養子にしてあげる。相田からウェスギニーになるんだよ。そして第二の人生すればいいよ。そうでしょ?】
【ああ、本当にあんた、こっちの情報分かってないんだな。今は轟だよ。優斗・轟。相田じゃない】
【へ? だけどどうやって?】
てっきりそれは外国に暗殺しに来たがゆえの嘘氏名だと思っていた。だけどどうやってもこの子はトドロキの苗字を使えない筈だ。
【だから轟の姓を持つ親戚筋を探したって言っただろ。せめて愛華の名を残してあげようとしたらコレなんてひどすぎる。こっちが孤独にやり合っていた時に、本人は双子の兄のパジャマ姿が可愛いだの、パピー大好きだの、なんで能天気に生きてんだよ】
あれ? なんかとても泣きが入ってきたような・・・?
だって私、アレナフィルの人生をしてたんだから仕方なくない?
海を隔てた遠い異国で何が起きていても分からないのは当然だと思うよ?
【しかもっ、弟なんて大きくなったらもうどうでもいいのかよっ。そんであのアレンって子に夢中ってひどくないかっ。実は少年にしか興味がなかったんだろっ】
弟よ、やはり特別扱いされていた自覚はあったのだな。
だけど少年趣味だとかいうのは名誉棄損だ。
そのあたりを主張したいのは山々だったが、そんな反論を許さない程に恨めし気な勢いがそこにある。
【そっ、そんなことないもんっ。だって双子だからずっと一緒に育ってたんだよっ。そんなら当たり前だと思うのっ】
お願いだからそういう少年趣味の汚名だけは着せないでくれ。
アライグマパジャマは誰が見ても可愛いと思う。弟よ、君だってそう思っただろう?
だけど弟はこの国に来てからも愛華のどんな情報がこんな国に流れたのかとずっと調べ続けていたと言う。アレナフィルという少女を使って動いている黒幕は誰なのかと。
【へえ? こっちは愛華姉さんのことだけ考えてたけどね】
【ゆ、優斗ったら、もう。一番可愛いのは優斗に決まってるじゃない。だってルードは私の兄なんだよ? しかも兄様は沢山いるんだよ? だけど私の弟は優斗しかいないの。優斗はたった一人の弟なんだよ?】
今の私よりも大きくなっても、私にとっては可愛い弟だ。
同時に私の周囲にいた全ての男性を排除した小さな悪魔だ。
だから遠くから幸せそうに生きているのを確認して、違う人生を生きていたかったというのに・・・!
【本当にそう思ってる?】
ここで「うん」と言うほど愚かにはなれなかった。何を要求してくるか分からない。
なんでこの子はここまでシスコンに生きているのだろう。
【変な言質を取って、ルードを排除しようとしたりするなら、私、本当にこの命を絶つからね。それはウェスギニー家も同じことだよ】
【分かってるよ。どうして私が愛華の守りを手薄にするっていうのさ。だけどね、私を見つけた時も、再会した時も、その後にしてもずっと避け続けたのは愛華だよね。とても傷ついたんだけど。ひどくない? こっちの心をもてあそんでたのは愛華だよね】
【そ、それは・・・。だって優斗、おかしかったし】
【何だよそれ】
これが普通の弟ならば私だって抱きついて、まずは名乗って理解してもらおうとしたと思う。
だけど相手が相手だった。一歩間違えて踏み外したら、一気に天国もしくは地獄行き。うん、私なら天国しかないけど。
まずは自分の行動パターンをよく思い返せ、かつての弟よ。
【あのね、優斗。じゃあ私があなたと初対面で、『私、あなたのお姉さんの生まれ変わりなの。だから言うこと聞いて』って言ったら、あなたどう出た? それこそ『ふざけんなよ』で、私のこと殺したでしょ?】
【・・・そんなことない。ちゃんと連れ帰ってそんなふざけたこと言い出した理由をまず洗い出したよ】
【自白剤漬けなんぞ誰が受け入れられるかっ】
どうしてこう極端から極端なのか。
私に理解できない執着を見せるこの子を、理解できたことなどなかった。だけど行動パターンだけは把握している今までの履歴がとても悲しい。
全く揉み消しにくい外国では穏やかに過ごしてほしいもんだ。
【全く優斗、どうしてそう物騒なことしかできないの。そりゃあなたに危険があるなら躊躇っちゃいけないって言ったよ? だけどこれは違うでしょ? 自分を守ることと人を傷つけることとは別。ね?】
【やっぱり私よりほかの奴の方が大事なんだ。知ってたよ。だから捨てたんだよね。あんな学校に入れて自由になってさ。結局、こんな弟なんて鬱陶しかっただけなんだろ】
【なんでそうなっちゃうのっ。私はあなたを思って・・・!】
だけど弟にとっては今のアレナフィルの取った行動より、ファレンディア時代からの恨みが大きかったらしい。
そんな大昔のことを持ち出されても、もう大人だろう、弟よ。
【はっ。それなら変な情なんて見せないで切り捨てればよかったんだよ。勝手に不幸になれって、完全に断ち切ればよかったんだ。それなのに何なんだよ。中途半端なんだよ。いつだってそうじゃないか】
【だって、私だって子育てなんて初めてだったんだしっ。分かるわけないよ。しかも優斗、私よりも頭が良かったんだよ? どうすればいいのって、こっちが混乱だよ】
どうやら寄宿学校に入れたことが許せなかったらしい。あそこまで素晴らしい教育システムの滅茶苦茶お高い学校を選んであげたというのに、どうしてそこで私を恨むのだ。
ちゃんとカウンセリングの人もいてご飯も美味しい。一人部屋だからプライベートもばっちり。
皆と仲良く青春時代を過ごせるようにと、寄付金まで弾んだんだぞ。
【結局捨てたんじゃないか】
【違うってばっ。十代の多感な時期にこそ、あなたを支えて守ってくれる教育機関に預けたんじゃないっ。あのままだったら優斗、自分の人生食いつくされて終わりだったんだよっ】
いくら理解不能な存在でも、どうしてそこで弟の不幸を望むだろう。中途半端と言うが、私の取った手段は、誰が聞いても私に賛同するだろう。あそこは機能不全な過程で育った子供に対しても寄りそうシステムが構築されていた。
大体、どうして寄宿学校に行かせたぐらいで捨てただのなんだのという話になるのだ。弟よ、その過激さの方が問題だ。
それともこの子の頭の中ではそこまではっきり白黒つけなきゃいけない問題なのか?
相変わらず意味不明すぎる。だから係わりたくなかったのに・・・!
【学校なんて所詮は学校だよ、家族じゃない。頭が良かったなら何なのさ。傷つかないとでも? 何をされても平気だと? 好きになった姉に捨てられて、じゃあその存在を忘れて幸せに生きましただなんてこと、本気で思ってたわけ?】
【だって・・・、だって私の存在がって・・・】
普通は無理矢理でも引き離されれば諦めて自立する。何よりこの子の芯は決して細くない。
お友達ができるような環境も手配したし、この子は容姿も悪くなかった。
それこそ可愛いガールフレンド作って、やがて恋人もでき、そして幸せに暮らしてほしいと弟に望む、そんなささやかな姉の願いは当たり前の情愛だと全世界の人が私に同意する。
【勝手に自分で引き受けて勝手に決めて勝手に動かれても、こっちにしてみれば一方的に捨てられただけだ。取り戻せないと思いながら、少しでも愛華の痕跡を拾い集め、ずっとそうやって生きてきたってのに、なんでそれなのさ】
【ごめん、・・・ごめんね、優斗】
私よりも大きくなった青年の頭を撫でながら、なんだかこれはとてもまずい気がしてならなかった。
言っていいか、弟よ。
亡くなった姉の姓を残す為、他人と養子縁組をしてその姓にする弟ってちょっと、ううん、かなり異常じゃないかなって、私は思うんだよ。
ついでに痕跡を拾い集めてって、・・・・・・何をしていたのだ、弟よ。
ああ、知りたくない。もう聞かなかったことにしたい。だってもう私、死んでるし。
【悪いと思っているなら、誠意ぐらい見せてくれるよね?】
それは疑問形か?
だからこの子にだけは名乗りたくなかったんだ。
あのな、弟よ。今の君はとっくに成人した立派な大人だ。14才の少女を脅迫するだなんて、自分が恥ずかしいと思わないのか。
ああ、どこで私はこの子の育て方を間違えたのだろう。
― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―
父と私の間には他の誰も入りこめない強い信頼がある。優斗と私が二人きりで部屋にいたのは腕輪のお礼を言っていたからだと説明したら、お礼の贈り物をしたいのなら買ってもいいよと言ってくれた。
どこまでも私のことを考えてくれる上、気まずい空気を一掃する案を出してくれる父は、もう父の中の父だと言っていい。
「だからフィル、街をぶらついてみたらどうだ? この辺りはおしゃれな店が多い」
「そうなの? 行きたいっ」
「駅周辺には特に店がある。お昼はそっちで食べてもいいだろう」
駅に向かう途中の公園では朝市があって、まだやっていた。毎朝、昼前までやっているそうだ。そしてお昼には閉めて夕方から夜まで夕方市を開くらしい。みんなの台所って奴かもしれない。
歩いているとちょくちょくおしゃれな店が看板を出していて、サンリラと違ってこの街は装飾性が高い商品が多いような気がした。
【優斗も職場の人にお土産買っていこ? お小遣いもらったから奢ってあげる。職場にいい感じのガールフレンドとかいないの?】
【職場のガールフレンドならちゃんといるよ。両親がセンター勤務でね、私の顔を見ると宿題を手伝わせてくる】
【それは子守り。ガールフレンドじゃない】
【だけど私が不在の間、あの子、一人ご飯じゃないかな。ディナーを一緒にする異性って完璧にガールフレンドだよね? 年齢もアレナフィルより幾つか年下な程度だ】
【なんでそんな子をほったらかしにしてここに来た】
ああ、どうしてこんな子に育ってしまったの。いやいや、宿題を見てあげてご飯を一緒に食べてあげてるだけでも十分か。悪いのは仕事熱心なあまり子供を忘れてる両親だ。
「ルード、欲しい物とかある? ユウトさん、夫婦で職場結婚した人のね、お嬢さんにね、お土産買っていってあげるみたい。幼年学校ぐらいの女の子って何が好きかなぁ。レン兄様にとってのフィルみたいな子だね。フィル、レン兄様にもらって嬉しかったの、・・・・・・何かな」
「少なくともフィルがもらって読んでるような本は喜ばないね」
「やっぱりお菓子かなぁ。だけどキラキラしてるの、女の子、大好きだよね」
いつも宿題を見てくれてる男の人にもらって嬉しい物はなんだろう。ちょっとおしゃれな小物かな。親が負担に思わない程度の物がいいよね。
やっぱり月日は人を成長させるんだなって感慨深い。優斗も若いお父さん気分なのかも。
「フィルちゃん。俺達ちょっと本屋行ってくるからお昼前にここで集合な。ルード君、そこの二人をちゃんと監督しといてくれ。そこのお兄さん、フィルちゃんの言いなりすぎて信用できない」
「フィル、言いなりしてない」
「それなら僕も叔父上と一緒がいいです、バーレンさん」
「いいかい、ルード君。ユウトさんはお金持ちで、フィルちゃんは追い剥ぎガール。そしてここは貴族の避暑地。ウェスギニー家の名誉を守れるのは君だけだ」
「そうだった。フィルってばとっても非常識な子だった」
「フィル、非常識じゃない」
私には見えた。ヴェラストール地元ビールの看板が。室内スケートリンク場の看板もだ。
本屋なんて嘘だ。大人だけで朝っぱらから怠惰な休日する気だ。
【お昼はここの多国籍料理店で食べましょう、ユウトさん。こっちは本屋に寄ってきます。お昼前にここで集合ということで、三人で仲良く土産物でも何でも見てきてください】
【私を監視していなくていいのですか?】
要注意人物という自覚はあったんだな、かつての弟よ。
ずばっと聞いてしまうところが神経の太さを物語っている。普通ならもう治安警備隊に突き出されて牢屋入りだって分かってるんだろうか。いや、軍が動いていたなら基地内にある監獄だろうか。
どっちにしてもシャレにならん事態だ。
【あなたとサンリラで別れてからフィルちゃんは毎晩泣き暮らしてたんですよ。あなたは私達の信頼を裏切らないと信じてます。ルード君とは度の過ぎたシスコン同士、フィーリングも合うでしょう。仲良く買い物してきてください】
【嘘言わないっ。泣いてなんかないもんっ】
【昼前にこの場所ですね、分かりました】
【優斗っ、泣いてなんかないからねっ。レンさんは嘘つきなんだよっ】
【はいはい】
昔は私よりもチビだったくせに、嬉しそうな顔で人の頭に手を置くんじゃない。
(これは掘り下げちゃいかん奴だ。スルーしなくては。そうよ、私はスルーするの)
仕方がないから三人でお店をふらふらと見て回ることにした。どうやらファッション関係に強い都市のようだ。
「ここ、とってもドレッシー。おしゃれな小物、沢山ある」
「舞踏会シーズンは一般市民向けに公民館とかでもダンスパーティあるって話だよ。だからじゃない?」
「そっか。だからおしゃれなお店多いんだ。
【ねー、優斗。ここね、ダンス好きな街らしいの。だから綺麗な物とかおしゃれな物とか多いんだと思う。こういうの好きかなぁ】 」
着飾って出かける貴婦人や貴族令嬢に憧れてしまう女の子達。そんな気持ちに寄り添ってあげる、ちょっと夜会用ドレスを思わせるひらひらした綺麗なお洋服。
これなら喜んでもらえるんじゃないかなって、そんなことを思ったりする。
【そうだね。あの子は子供っぽくてカラフルな物に憧れてる。母親は無駄が嫌いだから、そういうのは買い与えないんだよね。クラスでも背が高いらしくて、アレナフィルより少し低いぐらいかな】
【子供用の可愛い物ぐらい買ってあげなよ】
【センターに玩具なんて納品されないよ】
【普通に外へ買いに行きなさい】
なんて駄目な大人になっているの。いや、この子も玩具で遊んだ記憶があまりない子だから仕方ない。
思ったより気にかけてあげてるらしいし。
(そっか。ちゃんとこの子も子供に優しくできる大人になったんだ)
大人に愛された記憶がない子供は、成長して大人になっても上手に子供を愛せずに苦しんだりする。だけどこの子は同僚の子を気に掛けられる優しさを持てるようになっていた。
愛情の示し方が下手くそでも、少しずつ上手になっていけばいい。
「室内履きってどうかな。可愛いの、ベッドの横にあったら嬉しい」
「フィルも欲しいんなら買えば?」
【アレナフィルのサイズで買えば、いずれぴったりサイズになるね】
あまりファレンディアでは売っていなさそうなデザインの物を幾つか選んであげたら、支払いは優斗がしていた。
「ルードも欲しいなら買ってあげる。フィル、お小遣いもらってきた」
「あんなキラキラしてるのがついてるのって邪魔だよ。それに普通、お土産って家族に買っていくんじゃないの?」
なんで妹もいないのに幼年学校生ぐらいな女の子の為の買い物なのかと、アレンルードにはそこが疑問だったらしく、理解し難いって表情になっている。
ちょっと唇がとんがってて可愛い。周囲が可愛らしい雑貨ばかりだから余計に可愛く見える。
「職場の人、お仕事熱心過ぎて子育て後回しみたい。ユウトさんいないと一人ぼっちご飯。だからお土産買ってってあげるんだよ」
「そっか。父上みたいな親なんだ」
「・・・・・・それ、パピーにだけは、言っちゃ駄目」
初対面の時は険悪だった優斗とアレンルードだけど、一夜明けたらそうでもなかった。
言葉が通じないから会話はできないけれど、身振り手振りや表情で「ここで待ってて。支払いをしてくるから」とか「こっちとこっち、どちらがいいと思う?」とか、そんなやり取りができている。
やっぱりステーキハウスで優斗がアレンルードにお肉を分けてあげていたのがよかったのかもしれない。アレンルードはお野菜を優斗にあげていた。
食べ物は偉大だ。
(やっぱり胃袋つかむと説得できるってことだ。私は間違ってない)
そして多国籍料理店のランチはちょっと異国的な味付けでとても美味しかった。美味しいお店を前もって叔父に聞いていたのが良かったと言えるだろう。
大人四人は隣のテーブルでランチセットを頼んでいたけれど、優斗とアレンルードと私のテーブルはアラカルトで頼んで分けた。
だって美味しいものを食べたら人ってご機嫌になるよね。ご機嫌になると、人って寛容になるよね。
色々と悩み多き私は大変なのである。
― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―
今日のおやつは誰もが見ただけで笑顔になっちゃうスペシャルなフルーツパフェの予定だった。かつての弟も厄介だが、現在の兄もまた妹のことが好きすぎてすぐ拗ねる。ご機嫌取りは大変だ。
多国籍料理店でお昼を食べた後も、みんなで色々と買い物してきたし、そこそこ荷物を持ってもらってみんなは一体感を感じたことと私は信じる。
だけど私達は、帰宅してから無表情な顔でおやつを食べる羽目になった。
笑顔なのはかつての弟だけだ。
「こちらのユウトさんに言わせると、フィルちゃんと結婚を約束したので、まずは帰国して、その証となる贈り物を手配すると、そう言っているわけだな」
バーレンの通訳を聞く誰もが、眉間にしわを寄せている。
なんで婚約するとか言う話になるんだよと、誰もが思ってるのが分かる。私だって嫌だ。そう、これが本当の婚約なら世界の果てまで逃げただろう。
仕方なかった。優斗は私と縁が切れるだなんて認められないと、どこまでも譲らなかった。そして私は自分のお金が減るのが嫌だった。
お金ってね、支払ってしまえばしまう程ね、自分が使える額が減っていくものなの。
誰もが使えるお金という魔法はね、使い切ったらそこまでなのよ。
「えーっと、その贈り物とかそういうのは脇に置いておいて・・・。ちょっとね、フィルね、ユウトさんと半年だけ婚約するの。あ、だけど半年後に解約するんだよ。その半年の婚約期間にね、ウミヘビっていうのを贈ってもらうってことでお話つけたの」
「フィル・・・。動く前にまず相談しなさい。大体、そこまでして欲しい物じゃない。お前が犠牲になることなど何一つないんだ。お前がユウトさんを犯罪者にしたくない様子だったから、こっちも適当に辻褄を合わせただけだ。私はお前に我慢させたり、犠牲にさせたりするつもりはない」
ああ、やっぱり父が一番素敵。実の子供じゃなかったら後妻でいいから結婚してほしい。
よく見ておくがよい、弟よ。これが真に頼れる父親というものだ。
「あのね、パピー。そんなんじゃないの。ユウトさん、フィルの婚約者ってのをやってみたいだけだから、半年で自動解約だからかまわないの。どうせフィルの生活、それ関係ないし」
「えーっと、アレナフィルお嬢さん、その婚約って意味あります?」
いや、あなた関係ない人。父の部下ということはただの他人だ。黙っておきたまえ。
「気にしないでください、ヴェインお兄さん。世の中には意味がなさそうなことに意味を見出して生きる人もいるんです」
特別にチョコレートのアイスクリームとカスタードプディングも一番大きいのをアレンルードの皿に入れてあげたせいか、双子の兄は騒がなかった。できれば兄には耳栓もつけておきたかった。そしてこのアパートメントに耳栓はなくて、お店で買おうにもどこで売っているかが分からなかった。
「叔父上。半年後に自動解約される婚約って、僕、初めて聞きました」
「私もだよ。思いついたのはフィルだろうが、婚約届にしても外国人とでは届け出が受理されるのもかなり面倒で、その手続きで半年が経過する」
ふっふっふ、別にそこは問題ないのだよ。
何と言っても本当に婚約などするつもりがないのだから。
「大丈夫、ジェス兄様。サルートス国に婚約届は出さないの。あくまでファレンディア国に提出するだけだから。ちゃんと婚約届と半年後の婚約解消届。同じ日に提出しても大丈夫なの。そうしたらその半年間は譲渡とかにも税金がかからないの」
「・・・なるほどな。つまり、そういうことか」
父が納得した顔になる。
高額品の贈与ともなると、厄介なのが税金だ。父には特になじみ深い分野だろう。
【ええ。ウミヘビを無料であげるとは言いましたが、運搬を委託する以上は金銭的価値を記載しなくてはなりませんし、その税金がかかります。ですが婚約者への贈り物であれば、ファレンディア人になる予定の女性に対するそれですから婚姻関係に準ずることになり、税金がかかりません】
私もうんうんと頷いた。
だけどこれもまた隠れ蓑みたいなものだ。少なくともそういうやり取りがあるとなれば、優斗と私が連絡を取り合っても不思議ではない。
私に接触しようとする不審な外国人ということで妨害工作されてしまった優斗は、ここで別れたらもう子爵家令嬢アレナフィルに接触する手段がなくなることが許せなかった。そして私も連絡手段を構築しておかないと、ファレンディアにあるあの家に入れない。
ファレンディア国だと、今度は私が優斗に連絡を取りたくても妨害される。通話は秘書によってシャットアウト、手紙は処分、会おうとしたら門のところで排除されるだろう。
しかし婚約関係にあるなら全てのハードルを飛び越えられる。
「聞いたらね、大臣様が持ち掛けた商談にしても、ファレンディア人の作れる人をサルートス国に連れてこないと工場ができないでしょ? だけどそういうのって、ファレンディア人の工場の人が嫌がったら終わりだし、ユウトさんもまずは帰国しないと何も言えないみたいなの。それに、そういう取り引きは専門の部署があるんだって。だから商談なんてしても意味ないみたいなの。それならもう、色々と迷惑かけちゃったし、ウミヘビだけまずはもらった方がいいかなって・・・」
何故、私が優斗と並んで皆の説得をしなくてはならないのだろう。
だけど仕方がない。仕方がなかった。たしかにこれが最善の方法だったから。
【勿論、可愛らしい婚約者の為ですから、帰国次第、すぐに発送手配はさせていただきますよ。たとえ半年で私を捨てる薄情な婚約者であってもですね】
「たとえフィルちゃんに半年で捨てられると分かっていても、帰国次第、すぐに発送手配すると、ユウトさんは言っている。うん、半年でユウトさんを捨てる薄情な婚約者でも可愛いから仕方ないって言ってるな」
バーレンの通訳にいたっては、あまりにもやる気がない。
我が儘を言っているのは優斗なのに、私がまるで悪いかのようだ。
「何故、二人きりで寝室にこもって話し合っていたと思ったらそういうことになるんでしょうね」
「ジェス兄様。場所がどうであろうと、人は大切なものから目を背けられない。税金はとても高いの。そしてフィルもユウトさんも、お金は大事って思ってる」
もう、ここはお金問題を前面に押し出していくしかない。
優斗が帰国してしまえば、しばらくは静かになる筈だ。そしてウミヘビを受け取ったらもう今回のことはみんな忘れてくれないだろうか。
ファレンディア国に行くのは譲れないが、どうせ優斗が婚約解消届を出さなかったとしても未成年の間に全てを済ませてサルートス国に帰国してしまえばどうにでもなる。
【アレナフィルは私を利用することしか考えていませんからね。まあ、いいでしょう。婚約者であっても、ファレンディア国で届け出を出したならば、準ファレンディア国人として扱われます。手続きもかなり簡略化してもらえるでしょう。外国人にはなかなかしてもらえませんが、そういうメリットはありますよ】
【ええっ、何それっ】
メリットとは何ぞや。簡略化されるということは、実は煩雑なのか。いや、煩雑なのは予想できるけど。
【当たり前でしょう。外国人はその身元や思想をチェックする為に、入国時に隔離地に10日間、留め置かれるのですよ。だけどあなたとあなたの同行者は、あなたが婚約者としての身分証を持つ限り、それを免れるわけです。ああ、とりあえず婚約期間は半年でしたね、アレナフィル】
【・・・・・・・・・】
愛華に外国人の友人などいなかった。だからそんなこと、知る筈もない。
隔離って何なの。しかも10日間もってどんな黴菌扱いだよ。まさか全身消毒されるのではなかろうなと、そっちが怖すぎる。
【言うまでもありませんが、外国人は利用できない公共交通機関もあります。観光地はそうでもないですが、観光地以外はかなり厳しいでしょうね。ああ、婚約者としての身分証を持っていれば話は別ですよ】
【・・・・・・・・・】
バーレンがスペシャルなフルーツパフェをつつきながら皆に通訳しているが、婚約によるメリットとやらよりも、どちらかというと他の人にとってはその排他性が理解できなかったらしい。
なんでそんなにまで国ぐるみで警戒しているのかと、そんな呆れたような囁き声があちこちであった。
だからスパイを許さない国なのである。だけどそんな説明などより大事なことがある。
祖父母から相続した私のおうちは観光地に建ってない。
私は皆の前で負けを認めるしかなかった。
【その婚約期間、三年間でお願いします】
【ふふ、別に種の印が出てからのことも考えてもっと長くてもいいのですよ?】
自分の方が大人だと思って、せせら笑ってくるかつての弟がひどすぎる。どうせ私の考えていることなどお見通しだとでも思っていたのだろう。
(一回の入国で全てが終わるとも限らないし、そして子供である以上、長期休暇の時しか行けない。三年は見ておかないと)
成人しているならばともかく、未成年となれば外国旅行など軽々しくはいけない。予め保護者達を説得し、旅客船の出航日を調べ、往復所要日数を計算しなくてはならないのだ。
そこまで急ぐ理由は何かと問われても困る。だけどあの家の持ち主がかつての父となると、売り払われたり取り壊されたりする前に行かなくてはならない。
【三年以内にお金を貯めてファレンディアに行って、その足で婚約解消してやるっ】
【頑張ってくださいね、アレナフィル】
にこにこしているかつての弟が、とても小憎らしかった。それこそ成人してからも婚約していて構わないと思っているのが丸わかりだ。
だけど成人してからの婚約はいつ婚姻してもおかしくないレッドゾーン。
(まずい。今の私は本気で無関係な外国人。ゆえに結婚のハードルもこの子には全く無いに違いない)
かくして私には三年で自動解約される婚約者ができた。しかも手続きに行く婚約者はそのまま結婚する勢いときた。
ああ、祖父母になんて言おう。




