25 食べそこねたおやつ
何が起こったのか、そんなこと分からなくても体は動くんだなって知ってしまったよ。
だって凄い音だったんだよっ!?
それというのも、人を勝手に誘拐してくれた馬鹿な男にベッドの上で抱きしめられた。だからつい、よしよしって背中を撫でてあげたくなるのって当たり前だよね? かつての弟だったわけだし。
そこまではまあ、普通だと思うんだ。
勿論、誘拐されるのが普通とは思わないんだけど、そして誘拐犯にそこまで親しみを覚えること自体が異常だけど、そこは置いておく。
だって遠い場所で勝手に幸せになってくれているだろうと思っていた相手だもん。仕方なかったんだよ。
誰に言い訳してるわけじゃないんだけど、私の行動は普通だった。その筈だ。
それなのに私が手を回そうとする前に、大きな窓が凄まじい物音と共に割れたのである。
――― ドガッシャーンッ、バリンッ、ガシャンッ。
そう、いきなりその部屋の窓が大破した。
あまりにも大きな音だった。そこで窓が割れたなんてすぐに分かる筈もなく、私はその破壊音と吹きつけてくる暴風に反応して動く。
「危ないっ」
私を抱きしめている彼をベッドに押し倒すようにして、その上から覆いかぶさろうとしたのは、守りたかったからだ。
何があったのか分からなくても怪我なんてしてほしくなかった。
だって私は大人だから。彼を守るべきお姉ちゃんだから。
分かっている、今の私は子供だって。
それでも関係ない。どれ程の時間が経っても、たとえ自分より年下の少年がとっくの昔に私の年を追い越していたとしても、それでも忘れられないものってあるんだよ。
だけど、体格の差って悲しい。
そりゃ軍人に比べたらもう華奢としか言いようがない体格でも、今の彼は私よりも背が高くて、れっきとした成人男性だった。私の全身で庇おうにも上半身しか押し倒せなかった。ついでに、おとなしく押し倒されてもくれなかった。
(なんであんたが私を庇おうとすんのっ)
覆いかぶさろうとした私の回転力をすかさず利用して、彼は私を押し倒した。そして私にその体で覆いかぶさってくる。
とっさの時って心は隠せなくなるんだって分かってしまった。私が彼を、そして彼が私を守ろうとしたことが、お互いに通じ合ってしまう。
知ってた。そういう優しい子だって。
たとえ自分の所へ仕掛けてきた相手だと思っていても、それでも非情になりきれない子だって。
私はばたばたと手足を動かして抵抗しようとした。
【放しなさいっ。あんたが私を庇ってどうすんのっ。こういう時はベッドかテーブルの下っ!】
顔の真上に男の胸板があっても、全くドキドキできない。子供の体が情けなかった。
こんなにも私は弱いままだ。
【ベッドの下に避難するのは違うと思うけどね】
私の頭を右手で自分の胸元に引き寄せたまま、そんなことを呟く彼の声が苦笑するかのような響きを帯びていて、私は周囲を見ようとした。
いや、お前が私の頭を固定してて見えないんだけど。ちょっとどいてよ。
「フィルから離れろ、クソ野郎」
低くてもまだ少年ならではの高い声が室内に響き渡る。
「ルードッ?」
強く引き寄せられていた腕の力が少しずつ弱まり、彼がゆっくりと身を起こしていった。そのおかげで私は周囲を見ることができた。
なんてこったい。
窓ガラスが消失していて、いやはやもう風通しが良くなっている。遮るものなく風が入ってくる。
ベッドの横に立っている少年は、がっしりとした耳や鼻まで覆うタイプのゴーグルをつけていた。しかも全身に防具を装着している。その手にはブレードのついた撃銃が握られていた。
そのブレードを突きつけられて彼も身を起こすしかなかったわけだ。
「ル、ルードッ、そんなの人に向けちゃ駄目ぇっ」
鋸のようなブレード部分を人間の首に突きつけて、何をしようというのか。
私は慌ててそのブレードと彼の首の間に指を滑りこませた。
「なっ、何すんだよっ、フィルッ。指ぐらい簡単に落ちるんだぞっ」
「この人に怪我させちゃ駄目っ」
慌てて撃銃を引いたアレンルードに向かい、私はベッドに膝をついた状態で彼を背中にして両手を広げる。
暴力、よくない。喧嘩、ダメ。
だけどそれはアレンルードを怒らせただけだった。
「なんでそんな奴庇うのさっ。ざけんなよっ。僕の前でそいつ、抱きしめようとかするしっ。ほんっとフィルって目ぇ離したら何するか分かんないよなっ」
「ち、違うもんっ。そ、そりゃっ、ルード来てくれたの嬉しかったけどっ、嬉しかったけどっ。なんでそんな物騒なの持ってるのぉっ」
どこの少年武装兵だ。
ダークグリーンの防具に身を包み、まさに突くことも切ることも可能なブレード付き撃銃を持っている姿は、上等学校生がしていい恰好じゃない。
大型のゴーグルは耳や鼻まで覆っていて、アンテナまでついている。
ひどすぎる。こんなの私の可愛いアレンルードじゃない。
【やれやれ。やっぱりアレナフィル、私のことが好きなんだね。いいよ、その献身ぶりに免じて乗ってあげる。で、そこの君と同じ顔をした子は君の何かな?】
のほほんとした口調に、私はつい振り返って叱りつけた。
【少しは恐れ入ったらどうなのっ。あんたが全ては悪いんでしょっ。だけど手首のそれでルードに変な薬使ったら許さないからねっ。大体、見たら双子って誰でも分かるでしょっ】
ああ、どこから片づければいいの。
背後にはかつての弟。前面には現在の兄。どちらも私に関しては独占欲が突き抜け中。同じ独占欲なら甘さだけが提供される現在の父が希望だ。
【ふぅん。よく調べてるじゃないか。だが、君がそう私におねだりするなら仕方がない。人事不省にしてやってもよかったが、やめてあげよう。アレナフィルの私に対する初めてのおねだりだからね。少しは譲ってあげてもいい。何と言ってもアレナフィルのおねだりだから】
【三度もおねだり言うなぁっ。私はっ、あんたを助けてあげたのっ。感謝して言うこと聞きなさいっ】
ああ、父よ。そして叔父よ。私はあなた達が羨ましい。私も常識的で冷静な兄弟が欲しかった。
だけどまずはアレンルードだ。アレンルードが何かやらかしたなら、ユウトは遠慮なく反撃するだろう。だけどこの分ではユウトから仕掛けることはしない筈だ。そう信じる。
私はアレンルードに向き直った。
「ルード、とりあえず落ち着いて。そしてこの人からなるべく離れて。多分、ルードの方が速くて強い。だけど彼に何かしたら、ルードも私も生き残れない。衝撃を感知したら勝手に毒ガスが発生する装置とか、そういうのをつけてる。大丈夫、落ち着いて。この人、非常識でおかしいけど、私に危害は加えないから」
「何が危害は加えないだよ。一瞬で意識不明にされて誘拐されてて、それを言う? しかもそいつ、悪いとも何とも思ってないだろ。・・・クソ野郎が、何をベッドの上でフィルに抱きついてやがる」
言われて気づけば、背後から私の腰に巻きついてくる両腕がある。
全くどうしてこの子は周囲の空気を読まずにこういうことをするかなっ。
【やめてって言ったでしょっ、優斗っ! ルードに何する気っ】
私は慌ててその両手をぐいっと外させると、ベッドから床へと飛び降りた。そしてアレンルードの前で両手を広げる。
【何がおねだりだから譲ってあげるなのっ。ルードに発射する気だったでしょっ。こんな子供に何する気だったのっ。人の命を何だと思ってるのっ】
【まさか。私はただ私の為に立ち向かう君を抱きしめようとしただけだよ。だけどアレナフィル。それは気に入らないな】
嘘つけ。腰に巻きつけた腕で私をどかし、その際、私に隠れて見えない位置で攻撃する準備に入る隙を作るって誰でも分かるっつーの。
【気に入らないのはこっちっ。本当にルードに何もしないのなら、まずはその危ない物を外しなさいっ】
ベッドの上で座りこんでいる彼は、どこか物憂げに私とアレンルードを見据えてきた。
剣呑さを孕んだ表情だったが、ここで兄を守ってあげられるのは私しかいない。
【なんでそいつの所に行くのかな? こっちに来なさい、アレナフィル。そんなクソガキを背に庇うだなんて、本当にムカムカする】
そんなこと言うのはお前ぐらいだ。ウェスギニー家の双子は二人ワンセットだからこそ可愛いと評判なのに。
ついでに誘拐犯のくせしてムカムカする権利などお前にはない。
【何言ってるの。見て分からないわけ? こんだけそっくりな双子で、どうして私がルードを守らないと思うの。その言い分が非常識だってことぐらい理解しなさいっ】
【はあ? 双子だから何だって言うのさ。血がつながった兄弟だから? そんな些細なことで、そいつを選ぶだなんて冗談じゃないよ。当たり前だろう?
いい子だからこっちに来なさい、アレナフィル。そんな奴、君には必要ない】
淡い緑の瞳が冷酷さを帯びていて、私の背中がぞくっと震えた。
ああ、まずった。この子の血縁コンプレックスを引っ掻いてしまった。だけどもう大人なんだからいい加減大人になれ。
【私のことは私が決める。必要あるもないも、他人に決められる覚えはない。
自覚しなさい、優斗。それはあの父親と同じ。あなたの心はあなたのもの、彼のものではないように。そしてそれは私の心も同じこと。私の心は自由】
この子にとってアレナフィルはただの外国人の少女だ。どれ程に説得力があるかは不明すぎる。
かつての私なら力技で言い聞かせられたけれど、さすがに今の私では無理だろう。
【そうかもしれないね。なら、おいで、アレナフィル。この私の前で、そんな少年を選ぶだなんて許さない。いい子だから君の意思で私だけを選ぶんだ。そうすれば何でも許してあげよう】
【いい加減にしなさい、優斗。何をふざけたこと言ってるの。ルードは私の兄なのよ。私が気に入ったなら、私の周囲も含めて愛しなさい。それが礼儀ってものよ】
決して折れるわけにはいかない。この子の言葉は全てが嘘だ。
何があろうとアレンルードを守らなくては。それが私にできるアレナフィルへの感謝。
ああ、あの泣いていた子供はどこに行ってしまったんだろう。今も私はあの幼女の記憶が甦ってはいない。
だからこそ面白くなさそうな顔でせせら笑われても、この子に屈するわけにはいかなかった。
私達姉弟の事情にウェスギニー家を巻き込んでいい筈がない。何があろうとアレンルードを守らなくてはならない。
【ははっ。そんな礼儀、初めて聞いたな】
【常識を知ることができて良かったじゃない。あなたが育った環境がどんなにおかしかったとしても、人はやり直せる。優斗、子供だって親を捨てられるし、自分の人生を育むことができるの。私を少しでも気に入ったのなら、私の周囲に手を出さないで。私が見ていなければいいだなんて、そんなのが許されたのは子供の時だけよ。たとえ証拠がなくても、ルードに何かあったら私は自分で自分の命を絶つわ】
あれから長い年月が過ぎた。きっとこの子は私などでは太刀打ちできない存在だろう。
必要だと思えば、完全犯罪だってやってのけるに違いない。
だけどそれは許されないことだ。アレナフィルとして育ててくれたウェスギニー家の跡取り息子を、愛華とその弟が害ってはならない。
【ねえ、アレナフィル? 私が気に入っているからって調子に乗りすぎてないかい? 自分の命を人質にするだなんて、あまりにも図々しいよ。君の代わりがいないとでも?】
【調子に乗っているのはそっちでしょ。ここはサルートス国。この国で彼に手を出して生きて帰国できるとでも思ってるの? 私はあなたを助けてあげてるのよ? 身の程を知りなさい】
睨み合う私達だが、じりじりとした時間の経過後、先に折れたのは彼の方だった。
【分かったよ。彼もただ誘拐された双子を助けに来ただけのようだしね。その勇気と実行力の14才に敬意を表して、危害を加えるようなことはしない。私の名に懸けて約束する】
自分の名に懸けて約束されたところで、全くもって信用できない。何よりこの子、この国で他人の名前を名乗ってるどうしようもない子だ。
だけど今の彼が何を大切にしているかなど、私に分かる筈もなかった。
【優斗。・・・かつてあなたの姉は、祖父母の研究資料を対価に渡し、センターから解放されて寄宿舎学校で少年らしい生活をあなたに送らせるよう要求して、姿を消した。その姉の気持ちを少しでも尊重する気があるならルードに手を出さないで。そして、あの頃の愛華とあなたの思い出に懸けて誓って。血の繋がりがあろうがなかろうが、兄弟は大切なものなの】
何かを思い返すかのように黙りこんでいた彼は、ふっと力を抜くと憎まれ口をたたく。
【はっ、いいように捨てただけじゃないか。男と一緒にいたかっただけさ】
【そんな感想は聞いてない。どうするの? こっちは強硬手段に出てもいいってこと分かってる?】
ここにアレンルードがいるということは、大人達の補助があるということだ。
私は強気に出ることにした。
しばらく考えていたようだが、渋々と彼は受け入れる。
【分かった。アレナフィル、愛華の思い出とその愛にかけて誓おう。君の双子の兄、そして父親のことも好きそうだったから、そっちも含めてか。君の愛する家族と一族に対し、私は直接・間接を問わず危害を加えない。それでいいんだろう? 本当に君は欲張りさんだね】
どうしよう。まさか未だに亡くなった私がこの子にそこまで影響力を維持していたとは。
嬉しいと思うよりも怖すぎる。
誰か助けて。私は心から失踪したい。叔父と駆け落ちに出るしかない。それとも父と一緒に逃避行するべき?
【恩着せがましく言わないで。それが普通なの。大体、結婚ぐらいしてないわけ? 子供でも作ったら愛する家族のありがたみが分かると思うけど?】
私みたいに可愛い娘ができれば、父みたいにラブラブ親子タイムができただろう。そうすれば海外まで外国人の少女を誘拐しにいく気にもならなかった筈だ。
この子の人生は何かが間違っている。
【結婚したい人がいなくてね。だけど君がそう言うのならば考えてもいいか。なんだか迷いの霧が消えた気分だ】
どこか憑き物が落ちたような表情は少し寂し気だったけれど、先程までの狂気は感じられなかった。
ああ、大丈夫だ。道が見えてしまえば、彼はまっすぐ歩いていける。ちゃんとよく言い聞かせて、約束したなら破ることは無かった。
ただし、少しでも抜け道がある約束だとその限りではないところが困ったちゃんなのである。
抜け道を全て叩き潰した上で約束させれば大丈夫なんだけど。抜け道はない・・・かな。ないと信じたい。うん、信じよう。今はもうこれ以上面倒なことを考えたくない。
だから私も一仕事を終えた気になる。
【そうそう。人生はまだこれから。親なんか捨てて、自分が立派な親になったらそれで優勝ぶっちぎり。全くもう、これからは普通に声をかけて会話する常識を身につけないと、人生苦労するだけなんだからね。でもって迷いの霧が晴れたなら、どう言い訳すればいいのか、知恵を出しなさい】
【知恵って何を?】
とぼけたことを言い出すかつての弟の首根っこを私は掴んだ。ぐいっとシャツごと引っ張って、どすの利いた声で言い聞かせる。
【あーんーたーがっ、よりによって子爵家のお嬢様を誘拐したんでしょうがっ。それでルードが乗りこんできたってことはっ、あの装備見てみなさいよっ。どう見てもっ、軍のバックアップじゃないのっ】
私はびしっとアレンルードの持っているブレード付き撃銃を指さした。
肝心のアレンルードは成り行きを見るつもりらしく、油断こそしていないが、ブレードの先端を床に向けている。
【責任もっていい言い訳を考えなさいっ。他の人がまだ突入してこないってことはっ、どうせあんた、入り口に変なトラップしてたんでしょうっ。うちの父はまだ納得すればある程度は揉み消してくれるだろうけど、せめて誘拐じゃないことにしないとシャレにならんわっ】
【そんなに私を愛しているのか。何があろうと私を守りたいんだね、アレナフィル】
私は返事代わりに彼のほっぺたをひねりあげた。
ああ、父よ。私はあなたが羨ましい。私もあんな頼りになる弟が欲しかった・・・!
さすがにシャツを引っ張って首を絞めたら彼も反省したらしい。
【いい言い訳ねえ。それなら出会って恋に落ちた二人が駆け落ちしたってことでいいんじゃないか?】
【世界中の男が絶滅して、一人だけあんたが残っても選ばんわっ。・・・あっ、そうだっ。そういえば私っ、トビウオのバッタ品、手に入れてたんだっ。あれ、みんなが興味持ってたから、あれってことにすればいいよねっ。優斗、トビウオ、手に入れられるっ? それを手に入れてほしいって、そういう話をしていたことにすれば、どうにか話の辻褄は合う筈だよっ】
昔の物なら倉庫に幾つか転がってる筈だ。私はそれを思い返した。
もう時間がない。早く口裏合わせをしなくてはこの子が犯罪者になってしまう。それなのに全然焦りもしないこの子はどこまでも他人事気分で寛いでいやがる。
誰かこの子の性根を叩き直して。それとももう手遅れなの?
【トビウオ? 何それ】
【水難救助に開発されて、それから軍用に改良された奴っ。無人島だろうがどこだろうが、水中移動するのに燃料無しで使えるし、音を立てないってのがあったでしょっ。たしかあんたが9才の時に腐食性の試験をさせられたのっ】
本気で分かっていなかったらしい彼は、それで思い出したようだ。
【ああ。あれならウミヘビに名前を変えられたんだよ。あれが欲しいの?】
【そう。手に入れられる?】
【いいよ。幾つ? 百ぐらいでいい?】
【誰がそんなに買えるか、この世間知らずが。私は14の子供だっつーのっ】
そんな高額購入、誰が考えると言うのだ。借金漬けにさせられてどんな目に遭わされるやらだ。
私はとても賢い女の子だ。愚かな買い物などしない。
【それぐらい無料であげるよ。いくら私だって子供に支払いをさせたりはしない】
いや、お前の常識がおかしいことぐらい、分かりきっている。まるで自分が常識人みたいなことを言うな。
私は騙されない。
【じゃあ、お詫びとして八台、無料で寄越しなさいっ。あの厄介なお兄様達にも一人に一つずつ渡せばどうにかなると信じるっ。それぐらいの甲斐性あるんでしょうねっ。ついでにルードが壊した窓の修理代金もちゃんとあなたが払いなさいよっ】
【分かったよ】
うん、これで話はついた。
というわけで、私は笑顔を作って振り向く。
「ごめんね、ルード、驚かしちゃった。この人ね、ちょっと危ない研究してるけど、悪い人じゃないんだよ。非常識で世間知らずなまま大人になった駄目な人だけど、もうルードに悪いことしないって言ってくれてるから安心なの。
あのね、フィルね、面白い水の中での遊び道具、手に入れたの。だけどね、今のも面白いけど、もっといい性能のをこの人が手に入れられるっていうから、それを買って送ってもらうようにお願いしてたの。それだけなんだよ。別に誘拐されたわけじゃないの。心配させてごめんね」
「・・・そういうことにしたいのは分かったけど、そいつとどういう関係なのさ」
うっ、やっぱり無理があったか? いやいや、無理でも通してしまえばそれが真実だ。きっとそうだ。私はそう信じる。
さっきまでの怒りは、アレンルードから消えているようだった。
よかった。だけどまだ拗ねている感じは残っている。
「えーっと、文通仲間みたいなの? フィル、この人のお姉さんと文通してるの。それよりルード、どうやってここまで来たの? ジェス兄様と一緒? なんでここが分かったの?
そうそう、フィル、早く帰らないと、おやつにカスタードプディングとアイスクリームとフルーツが待ってるんだった。パピーと買いに行ったんだよ。とっても甘そうなの。ルードも食べたいよね? フィルね、ルードにいっぱい話したいことあるんだよ」
アレンルードに近づいて抱きしめるけど、ゴーグルが邪魔でキスできない。
そして防具もまた固かった。これ、叩いたらこっちの手が痛くなりそう。
「ルード、フィルのこと、助けに来てくれたの? 嬉しかった」
「そいつを庇ったくせに」
「どっちにも怪我してほしくなかったんだもん。フィルね、何があっても、ルード守るから」
「弱っちいくせに」
「フィル、頼りになるんだよ」
アレンルードがゴーグルの顔面部分を頭の上部へと跳ね上げたので、私はその頬にキスした。アレンルードも私の頬にキスしてくる。両側の頬をすりすりして、鼻先をこっつんこして、そうしたら仲直りは終わりだ。
【私にはしてくれないのかい?】
【これは双子だけの大切な儀式なのです】
いつの間にか横に立っていた彼が自分もしてほしそうだったが、つんとそっぽを向いておく。
なんで誘拐犯がそこまで図々しいこと言うかな。
顎でくいっとルードを示したことで、かつての弟もここは好意的に振る舞う場面だと認識したようだ。
【アレナフィルの双子なんだって? 驚かして悪かったね。だけど勇敢な子じゃないか。アレナフィルからはウミヘビを一族の兄とやらに一台ずつ要求されたが、ちゃんと君にも贈らせてもらおう】
「えーっと、ルード。この人、私の双子なんだってね、驚かせてごめんなさい、君が勇敢で驚いたって言ってる。それからルードを心配させたお詫びに、私の買った水中移動グッズのもっと性能のいいの、先生達だけじゃなくてルードにもプレゼントするって言ってる」
さっきまでやり合う気満々だった二人を相手に、私は何をやっているのだろう。
だけどここは無理があろうが何だろうが強引に押し通さなくてはならない場面だ。犯罪行為などなかった。それだけだ。
私はアレンルードに向かって、ちゃんと君も好意的に振る舞いなさいよと、小さく頷いてみせた。
(今のお前らにぶーぶー文句言う権利はないのだ。時間がない。さっさと動きやがれ)
私の鬼気迫る表情からそれを察したか、二人共どうにか合わせてくる。
針葉樹林の深い緑色な私の瞳から、二人に圧力をかけまくっていた自覚はある。かつての弟も、現在の兄も、どちらも私の言うことを聞いておけばいい。貴様らに余計な発言権はない。
「アレンルードです。アレンと呼んでください。お名前を伺っても?」
【アレンルードと言います、アレンって呼んでください、あなたの名前を聞いてもいいですかって、言ってる】
【ユウトだ。ロッキーと呼んでくれると嬉しい】
「名前はユウトだけど、ロッキーと呼んでくれたら嬉しいって言ってる」
うん、いい感じだ。これでどうにかなる。そう信じる。
後はどれだけの人がうごいていたかだ。フォリ中尉ならお願いすればどうにかしてくれそうな気がする。
だけどどうしてアレンルードがこんな所にいるのか。それが謎だった。
「なんで名前がユートでロッキー?」
「多分、苗字がトドロキだからじゃない?」
別にこの子の苗字は轟じゃないけど、もうどうでもいい。大事なのはこの状況を一気に巻き返して辻褄を合わせることだ。
「ああ、フィルと同じでおかしい感性なんだ」
「フィル、おかしくないもん」
「おかしいよ」
そこで私のお腹が、グゥーッ、グルルル、キュールルという大きな音を立てる。
お腹が空いた。そんな声にならない主張を叫ぶ私のお腹を、二人の瞳が見つめる。
「話もついたようだ。で、フィル。クラセン殿が泊まっているコテージはここじゃないけど、長いお散歩だったね」
「ジェス兄様っ!?」
いつの間にか戸口にいた叔父の声に、私は振り返った。こちらもアレンルードと同じ防具をつけていた。その横には全くそういう防具をつけていない普段着姿のバーレンがいる。
「聞いてくださいよ、叔父上。フィル、別に誘拐されたわけじゃなく、こちらのユート? ロッキー? よく分かんないけど、面白い水中グッズを買って送ってもらう為に会ってたとか言うんです」
「おやおや。欲しい物があるなら何でも買ってあげるから、大人の資本力に釣られるなと言ってあっただろうに。困った子だね、フィル」
「えーいっ、すりすり攻撃っ」
「本当にフィルはフィルだねぇ」
私は叔父にぴょーんと飛びついた。すりすりと頬ずりすれば、腰をかがめてくれる叔父の赤い瞳が優しい。いつでも私達を見守ってくれる瞳だ。
ああ、そうだ。私はこういう世界を弟に教えてあげたかった。
「仕方ないでしょう。フィルちゃん、欲望に一直線な子ですからね。だけど昼食ぬきじゃお腹が鳴るのも仕方がない。
【良かったら皆で食事でもどうでしょう、ロッキーさん? こちらはレミジェス殿。フィルちゃんの叔父で、保護者です。父親は何かと忙しいので、叔父のレミジェス殿が、ルード君とフィルちゃんの親代わりなんです。まあ、フィルちゃんがちょっと足を延ばしすぎておねだりしたっていうのは、おとなしく解放してくれるなら見逃しますが、ちょっといくら何でもやりすぎですよ。今度からは礼儀正しくお願いしますね。あと少しで軍隊がここを包囲してましたよ】 」
通訳として駆り出されたのか、バーレンの顔は疲労が濃かった。
考えてみれば妻と久しぶりに会ったと思ったらコレか。ううっ、すまん。
「もしかしてレン兄様。これ、凄い騒ぎになりかけてた?」
「あのメンバーを考えろ。ルード君の練習ってことでどうにか収めたが、あと少しでお前さんが寝ている間にそこのロッキーさんはハチの巣だった。お前さんがそのロッキーさんに思い入れがあるようだったから、ルード君に任せただけだ」
「よかった。ルードならちゃんとお話、聞いてくれるもん。そうだよね。大人だったら、まず制圧しちゃったよね。ありがと、ルード」
「いっけどね」
叔父に抱きついたままアレンルードを振り返れば、軽く肩をすくめられる。素直じゃないけど、アレンルードは優しい子だ。ちょっと生意気だけど、それだって可愛いレベル。
全く弟よ、お前は反省するがいい。こんな優しい家族に囲まれた少女を誘拐して罪悪感で胃痛の一つぐらい起こしてみろ。
だが、弟は弟だった。
【仕方がありません。愛の前には抑えきれない衝動があるというものです。それに解放も何も、これは恋人達の甘いひとときだったのですよ。保護者がいらしたのであればちょうどいい。私とアレナフィルの婚約の手続きについてお話合いさせていただきたいですね】
【何言ってんのーっ。絶対っ、あんただけはいやぁっ】
空腹も吹っ飛ぶ事態だ。
理解できたことなどなかったが、更に不可解さを弟はレベルアップさせていた。
【何を言ってるのかな、アレナフィル。だってそうじゃないと誘拐ってことになってしまうよ。この状況で誘拐じゃないと言えるとしたら、私と君が婚約者であること、それだけだ。そうだろう?
君は私を誘拐犯になんてしたくないんだよね? ならばいいじゃないか。それに私を婚約者とするならば、君にとってもいい話だと思うけどな。ああ、何なら今すぐ嫁いできてくれてもいいよ】
言い争い始めた私達に困惑した叔父がバーレンに、
「何を言ってるのですか」
と、問う声が聞こえるけれど、そんなことにかまってはいられない。
【誰があんたみたいな粘着質でおかしい奴と結婚したがると思ってんのっ。絶対にっ、絶対に嫌っ。私は妥協しないっ。たくましい肉体と爽やかな性格と経済力っ、それだけは譲らないんだからっ。そんなモヤシみたいな肉体もっ、束縛の激しい性格もっ、全てにおいてお断りっ】
過去の美しい記憶の狭間に点在する、思い出したくもない記憶が私に告げていた。今すぐこいつから逃げるべきだと。
だからこの子には関与したくなかったのだ。遠くから幸せにしている姿を眺めるだけにしておきたかった。
「これは恋人同士の逢引きだったことにしようと彼は提案していますが、フィルちゃんが全力で嫌がってます。だけど彼は、婚約者ならば誘拐にもならないし、外聞的にもいいではないかと主張しており、提供できるメリットを匂わせています。フィルちゃんは、鍛えられた肉体と束縛しない性格と経済力を重視するから、彼の体と性格はお断りだと言っています」
バーレンよ。叔父に通訳してくれる前に、この馬鹿を一緒に説得してくれ。
だからこの子はヤバイと言っただろう。
【君が言ったんじゃないか。子爵家のお嬢様だと。子爵家のお嬢様が、ただの外国人と密室で半日も二人きりだった? そんなこと、あってはならないよね? ならばここは外国人の婚約者とつかの間の逢瀬だったことにした方がいい。ウミヘビだけじゃないメリットだってある。そうだろう? 可愛いアレナフィル。君の為ならそれぐらいの融通は利かせよう】
【どんな醜聞に塗れようと絶対に嫌っ。私は年上のおじさんに興味なんてないのっ。同じ世代のフレッシュなボーイしか興味ないんだからっ。対象外はすっこんでてっ】
何を爽やかそうな声を出しているのだ。そんなものに騙される私ではない。
全力で私は彼を否定しにかかった。ここで妥協など一つでもしたら終わりだ。一気に攻めこんでくる。
交渉の余地など砂一粒の隙間もあってはならない。
【保護者や双子の前だからってそこまで照れなくていいのに。それに結婚は条件が全てだよ、アレナフィル。何と言ってもうちは、君が入りこみたかったぐらいに魅力があるところだと思うけどね】
【それこそが思いこみで誤解だっつってんのっ。この分からず屋っ】
なんという打たれ強い奴。普通はへこむぞ、ここまで言われたら。
「彼は、子爵令嬢が男と二人きりの時間を過ごしていたなんて醜聞にしかならないし、それならば婚約者とデートしていたことにした方がいい、そういうことならば婚約者にウミヘビ? という物だけじゃなく便宜を図るつもりはあると、言っています。フィルちゃんは、スキャンダルなど恐れないし、自分は同世代のフレッシュボーイが好みだと主張してますね、・・・ぷぷっ。すると彼は、照れなくていい、うちに目をつけて入りこもうとしてきたのは君じゃないかと言っています。フィルちゃんは誤解だと主張しています」
外国語のやりとりを通訳待ちとあって、叔父もいささか勝手がつかめないらしい。
普通はこんなガラスが大破した室内で婚約の申し込みなど非常識すぎる。だけどかつての弟はそんなことを気にしない精神力の持ち主だった。
「もしかして彼はかなり利益のある相手ですか」
「そうですね。フィルちゃんは自分の感情しか見ていませんが、貴族であっても、ここまで娘が気に入られたなら外国に嫁に出すことを検討するぐらいには利益があるんじゃないですかね」
ああ、バーレンに訳してもらったことで、叔父やアレンルードの顔から表情が抜けていくのが分かる。
「なんでフィル、男ばっかりあちこちで作ってくんだよ」
「今度は外国人だなんて、父に何と言えば・・・」
「うーん。うちの学校長も、もし俺が仲良くなれたなら臨時講演お願いしたいとか言ってましたからねぇ。その相手はもう帰国してしまったようですが、彼の方が大物っぽいし、困ったもんですよ」
ちょっと待って。三人共、どうしてそこで見物に徹してるの。疲れた声でぼやきたいのはこっちの方。
私は無力で哀れな少女なんだよ? なんで私を助けようと思わないの?
「レン兄様っ、説得ぐらい協力してくれてもいいじゃないっ。大体この人っ、国外退去とかにできないわけっ? 保護者の同意なしに、子供をこんな所へ連れて来たんだよっ。誘拐じゃないけど、誘拐だよっ」
「本当に誘拐なら国外退去は可能だけどなぁ。フィルちゃん、その人の本当の名前、ユウトさんっていうんなら、数日後、大臣との会談もある人じゃないのか? それこそ大臣の前でお前と婚約したと口を滑らされないよう、口止めした方がいい」
「え・・・?」
私は自分を見下ろしている男を、胡散臭そうな瞳で見上げた。
【ねえ、もしかして数日後に大臣と会う予定とかって入ってる?】
【別にすっぽかしてもいいけど? ほら、君の手料理を食べた次の日から商談が舞い込んだって言っただろう? だからテスト用工房の適当な製品を紹介しておいたら、それが大量購入ならどれくらいに割り引くことができるかって話になってね。この国でも歩けない人にとって朗報だったらしいんだ。
だけどこっちの工場の作業員の仕事ぶりがあまりにも雑でね。そうなると全てはファレンディアで組み立てるしかないだろう?
少量なら売ってもいいけど、大量注文なんて迷惑だから断ろうとしたら、大臣まで出てくる騒ぎになったのさ。国の購入ならどうだとかって。ああ、なんならウェスギニー子爵令嬢アレナフィル次第だと言っておいてあげようか。強引に連れてきたことへのお詫びだよ。それでいい?】
【そんなもんに私の名前を出すなぁっ】
ただでさえ、私は王子エインレイドに近づいている身の程知らずな子爵家の娘。これ以上、私は名前を売る気はなかった。
どうしてこんな厄介な弟を寄越したのだ、かつての父よ。いや、この子が勝手にあの手紙を見ただけかもしれないけど。
この子が非常識に生きているにしても、私は無関係で生きていきたい。
【だから徹が先に帰っちゃったんじゃないか。こっちの製品はどうもねぇ。メンテナンスも任せるには不安があって、面倒すぎた。何よりあんなの偽装の肩書だしね。勿論、ちゃんとその工房も製品もあるけれど、あれはセンターの検査用に作ってるだけだし】
【知らんわっ。私を巻きこむなっ】
あ、駄目だ。怒ったら目の前が暗くて回転し始める。
お腹が空いてとても悲しい。
「あー、フィルちゃん、もうお腹空きすぎて駄目っぽいですよ。まずは食べに行きましょうか」
「そうですね。お腹が空いていると人間イライラしやすい。まずは食べてから考えましょう。クラセン殿も本当にすみませんね」
「いやいや、ルード君も末頼もしいことですよ」
「僕、護衛で一番厄介なのは護衛対象が護衛させてくれないことって言われた意味がよく分かった気がします。フィルってば、もう護衛される人としては落第すぎです」
叔父が私を抱き上げて連れて行ってくれたお店は、肉汁がたっぷりジューシーなビーフステーキ店だったけれど、もしかしたらそれはわざとかもしれないなって、後でちょっと思った。
ユウトはビーフよりも付け合わせの野菜ばかり食べていたからだ。
「全くフィルってばもう男ホイホイに改名しなよ。みんなが納得だよ。なんでそう大物狙いで行くわけ?」
「フィル、誰も狙ったことない」
大物狙いも何もこの子はかつての弟、家族にすぎないのに。言えないけど。
【ルード君、妹のボーイフレンドにピリピリきてるので拗ねちゃったみたいですね。ロッキーさんはやっぱりお肉が苦手なんですね。とりあえずルード君はお肉があるとご機嫌になるので我慢してください。あとで軽食スタンドも寄りますから】
【双子なのに語学能力は別なんですね】
自分のビーフステーキをアレンルードのお皿に勝手に移すあたり、かつての弟は相手の了承を得るという過程が抜け落ちている。だけどアレンルードは嬉しかったらしく、目を丸くしたかと思うと自分の野菜をユウトの皿に移した。
どちらもそれで満足なのかもしれないが、栄養価的に問題がありすぎだ。
だけど素敵なおやつをたっぷり食べる為にランチは消化によさそうなものしか食べていなかった私はとてもお腹が空いていた。注意する気力もない。
もういいよ。形だけでも仲良くしてくれてるなら。
【お宅の国に興味があるのはフィルちゃんだけですからね。ルード君はスポーツ全般が大好きで、フィルちゃんはおうちでファレンディアの本を読むのが大好きなんです】
【一体保護者は何人いるんです? 今度は叔父なんですか?】
【この長期休暇では叔父が甥を、父親は娘を見てたんですよ。だけど父親は何かと仕事で外れているから俺達が保護者代わりでした】
【なるほど】
私以外のファレンディア人との会話に熱心なバーレンだが、結局語学能力なんて体験あるのみだ。勝手にスキルアップしてくれ。
外国人でも聞き取りやすいように発音にも気をつけて話していた私と違い、母国語ゆえにそこまで聞き取りやすさを考えないで話すかつての弟では、バーレンもたまに脳内で単語をリピートさせて文脈的に何を言われたかを考えたりするしかないようだ。
お互いに表情を見ながら何を言われたか、それは正しいのかを考えているらしく、なんか仲良い感じが発生している。
「レミジェス殿。サンリラで会った時に双子なのにどうしてルード君がいなかったのかを尋ねられたので、レミジェス殿がルード君、フェリルがフィルちゃん担当だと言ってあります。そしてフィルちゃんだけファレンディアの小説にはまっていたから会話もマスターしているのだと」
「ありがとうございます。だけどなんでうちの姪をそこまで気に入ったんです?」
国内なら政略結婚もあり得るが、外国人だとそれはない。叔父にとって全てが意味不明らしい。
その前に二人共どうしてこの街にいたんだろう。遊びに来てたとか?
【レミジェス殿が、どうしてフィルちゃんを気に入ったのかと尋ねています。レミジェス殿はフィルちゃんの母親とあまり面識はありません。フィルちゃんの父親は駆け落ち結婚しましたからね。どう答えておきますか?】
【一目で運命を感じたから、というのはどうでしょう】
「なんでも一目で運命を感じたから婚約したいと思ったそうですよ、レミジェス殿」
どうしよう。叔父が頭を抱えている。
私も魂が逃走を希望している。
【あのね、ロッキーさん。婚約しなくてもお友達にはなれるの。だからそこ止まりにしておく。未成年を口説く大人は感心しません】
【それでもいいけど】
「あのね、ジェス兄様。この人、言葉の選び方がおかしかっただけみたい。お友達でもいいって言ってる」
「言わせたの間違いだろ、フィルちゃん」
うるさい。ここは私に味方して、外国語ゆえの解釈違いで押し通せ。それだけだ。
だからこの弟は厄介だと言っただろう。
サンリラにある税関事務所で出会った時はまともな青年といった様子だったので好意的だったバーレンだが、今や誘拐犯でかつ未成年に婚約を迫っている事態に心が迷走中らしい。
どうすりゃいいんだよって顔で私をチラチラ見てくる。
「なんでこんなことになってるんでしょうね。どうしてフィルはこういきなりやらかすのか」
「叔父上。フィルがあまりにも考え無しなだけだと思います。もうおうちから出さない方がいいです」
「ルードが横暴すぎる」
だけど今日は心が疲れた。
かつての弟と再開したら自分を誘拐する犯罪者だった。そんなことあってもいいの? どれだけ私ってば悲しい人生なの。
(パピーにどう連絡すればいいんだか。いいや、レンさんがどうにかしてくれるよ。そう信じる)
私もどこから片づければいいのか分からないけど、バーレンと叔父の様子的に大丈夫なんだろうなと思った。




