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18 サンリラに到着した


 外国の本なんてサルートス国と違ってかなり煽情的だよ、綺麗な女の人とか可愛い女の子とかのフォトブックだって男の子なら誰だってほしくなっちゃうよと、そう誘ってあげたのに、アレンルードから戻ってきたのはとても冷ややかな眼差しだった。

 針葉樹林の深い緑色(フォレストグリーン)の瞳は、陰りを帯びただけでダークモードとなる。


「あのさぁ、フィル。自分が男の裸体ポーズ集を見てるからって、僕にもそれを押し付けるのやめてくれる?」

「ど、どうしてそれをっ」

「堂々と部屋の本棚に置いてて、どうして気づかれないと思ってるのさ。フィルってばバーレンさんに教わってるのもあるんだろうけど、そりゃ外国語の本も読んでるのって普通に聞いたら賢そうだよ? だけど、あの挿絵から察して、はっきり言ってとんでもない内容だよね? どこまで(ただ)れてるわけ? 恥ずかしいなぁ、もう」

「そっ、そーゆールードだって、すぐに爛れた心の持ち主になるんだもんっ」


 おかしい。たしかに私はファレンディア語のちょっとオトナな本を読んではいる。だけどちゃんとカバーをかけてごまかしておいたのに。


「はいはい。本じゃなくてリアルでいい体の持ち主ばかりでよかったじゃないか。全く、フォリ先生達もリオンさんも、なんでフィルばっかり甘いんだか。

 ま、僕は僕でお祖父(じい)様の家で過ごすから、フィルはそのよく分からない怪しげな本を頑張って買ってきなよ。挿絵は見られないようにするんだね。きっと軽蔑されるから」

「ひどいっ。ルードだって本当は行きたいくせにっ。だって、塩水湖だよっ? 勝手に体が浮いちゃうんだよっ。入ってみたいでしょっ」

「別に力を抜けば、勝手に浮くものだよ。後は顎を上に向けておけば呼吸だって問題ない」

「それに温泉だって出てるんだよっ。のんびりとお湯に浸かって、だらーってできるんだよっ。まさに至福の時間だよっ」

「僕、体を洗うのはシャワーでいいから」


 そんな感じで、アレンルードは私達と貿易都市サンリラに行くことを拒否した。可愛い妹を平気で狼達の巣に投げこもうとしている。普通は僕が妹を守ると宣言するところなのに。

 愛する双子の妹と離れて平気だとでも言うのか。ひどすぎる。


「お魚だって美味しいのにっ」

「僕、あの小骨が多いのって好きじゃない」

「蟹とか海老とか貝だって美味しいんだよっ」

「別にここでも食べられるし」

「新鮮さが違うんだよっ」

「何よりフィルが買いたがってるいかがわしい本を買う為に僕まで働かされるのなんて嫌だよ。一人で頑張りなよ」

「一人より二人の方が儲かるのにっ」

「そんなことだろうと思った」


 あの単純で可愛らしかったアレンルードはどこに行ったのだろう。

 ほんの数ヶ月で、アレンルードは小憎らしいことを言うようになってしまった。しかも、あんなに私にくっつきたがっていたアレンルードは、平気で私と離れ離れな日々を選択するというのだ。

 この私を捨てて・・・。


(まだ子供のくせにっ。まだまだ私がいないと生きていけない子な筈なのにっ)


 だから私はリビングルームでコーヒーを飲んでいた父の所へと行って飛びついた。


「パピー、聞いてっ。ルードがひどいのっ。フィルとサンリラ、行かないって言うんだよっ」

「それは仕方がないだろう。お前とバーレンの行動に巻き込まれたくないというのは。私は出先から直行するから、ちゃんといい子にしておいで。フォリ中尉よりはネトシル少尉かヴェインと一緒にいるんだぞ」

「ええっ!? パピー、一緒に行かないのっ?」


 簡易ベッドもついている大型移動車で行くと聞いていたのに、まさか父が現地集合だとは。

 私の心の安寧はどこにあるというのだ。無料に釣られたことは否定したくないが、バーレンはともかく、あのフォリ中尉達と一緒では、どこまで猫をかぶってどこまできりっとした態度でいればいいのか。

 アレンルードがいてくれれば、フォリ中尉達の暇つぶしに対応してもらえる筈だったのに。

 私は父にごろごろと甘えながら、移動中の時間を過ごしたかったのに。


「バーレンが一緒だから大丈夫だろう。それよりフィル、リーナの日記を見つけて、独身時代に出かけた先で友達になったファレンディア人に手紙を書いたんだって? バーレンが言ってたが、そういうことならファレンディア語の辞書でも買ってくるといい。リーナの独身時代のことは私もよく知らないが、お前の母親のことだ。色々と聞きたいこともあるんだろう? いい人だといいな」


 なんという出来た男だ、バーレン。

 父に対し、私がファレンディアへ手紙を書いた流れをうまく説明してくれていたらしい。


「あ、うん。そうなの、パピー。・・・ごめんなさい。だけどマミーの日記、フィル、汚して駄目にしちゃった」

「別にいいさ。妻の独身時代の日記を読もうとは、私も思わないからね。リーナだっていくら夫でも男に読まれたくはないだろう。リーナの物は、娘のお前が好きにすればいい。ルードだって男だ。母親の物を使おうとは思わないさ」

「ありがとう、パピー」


 なんという心の広い男なのだ、父よ。

 外見も中身も最高だなんて、全世界に自慢したくなってしまう。


(パピーがこういう人で良かった。その日記を見せろとか言われたら、困ったところだったよ。そういう意味で、パピーってばホントいい男だよね。せこせこしてなくてさ)


 子供に対して無責任だと責められたりもしているようだが、父は放任しているわけではなく、子供のできる範囲を見極めた上で好きにさせているのだと思う。

 考えてみれば家にこもりがちな私にはバーレン、体を動かすのが好きなアレンルードには叔父のレミジェスと、全く違うタイプの相談役をつけることで、親代わりのローグやマーサ以外の大人の視点を私達に与えてくれている。

 何かと家を留守にするからこそ、父は子供達の成育環境を考えていた。

 

「クラブのお友達と遊ぶ約束はしていないのかい? ランチを食べている女の子とか」

「うん。なんかね、長期休暇って、やっぱり貴族のお付き合い、あるみたいなの。フィル、そっちに参加するの、なんか面倒そう。でもって、女の子達は、・・・フィル、多分、ついていけない」

「そうだな。無理して人に合わせる必要はない。フィル、だけど何をするにしても、程々のところにしておきなさい。お前は他の誰でもなく私の娘だ」

「うん」


 私は、父の首に両手を回して抱きついた。

 優しく撫でてくれるこの手に、他の誰よりも安心できるようになったのはいつからだろう。こんな風に世間の娘は愛されるものなのか。父親というだけでこんなにも娘を愛せるのか。

 そこへとっとっとっとと、軽い足音がしてアレンルードがひょいっと顔を出す。


「まぁたフィル、父上に甘えてる。父上、こんなフィルが先に行くだなんて無理だと思います。父上がいないと泣いてしまうだけです」

「バーレンだっているんだし、それはないだろ。ルードこそ、フィルと離れて大丈夫なのか? やっぱり一緒に寝たいって思ってもフィルはいないんだぞ」

「平気です。だって僕、フィルと違ってしっかりしてるんです」

「えー。ルードよりフィルの方がしっかりしてるよ」

「してないよ。フィルはもう黙ってなよ。僕の手下なんだから」

「フィル、ルードの手下じゃないもん」


 べーっと舌を出したら、むっとした顔になったアレンルードが私の近くに寄ってきて、腰を掴んだ。


「ほら、父上から離れなよ、フィル。荷造りだってしてないだろ」

「ルード、自分がパピーに抱きつきたいからって、フィル、離しちゃ駄目なんだよ。荷造り、フィル、寝る前にさっさとできるもーん」

「何言ってるんだよ」


 ぐいぐいと私の腰を掴んで父から引き離そうとするアレンルードは、自分が仲間外れなのが寂しかったのだろうか。


「パピー、ルードが拗ねてる。だから三人でぎゅーっ」

「全くお前達は幾つになっても・・・。ほら、ルード。お前もレミジェスと出かけたりするんだろう? 移動車を出してあげるからフィルと一緒に買い物に行こう。買ってきたい物とか、まずは書き出しなさい」


 そう言いながら父は私達をまとめてぎゅっと抱きしめてから頭を撫でて、額にキスしてくれた。


「えへへっ。ルード、気が変わったら一緒に連れてってあげるよ」

「べっつにー。僕は強い男になるんだよ」

「一緒に行かないから強くなるの? 何それ。ルード、変だよ」

「変じゃない」

「変だもんっ」

「変じゃないよっ」

「分かったからお前達、その決着はコインを投げて表と裏で決めなさい。さ、必要な物を書き出しにお部屋に行っておいで」

「はーい。行こ、ルード。キャンプ行くなら、虫刺されとか虫よけ、買っておくといいよ。フィルね、ランタンは沢山あった方がいい。そう思う」

「そういうの、現地にあるんじゃないかなぁ」

「人を信用しちゃ駄目。行ったら無い、よくある」


 一緒に手を繋いでお部屋に向かえば、やっぱりミニタオルとかは多くて困らないだろうかと、そんなことも考える。食器やカトラリーはあるだろうけど、食べ歩きに使えそうな携帯食器とかフォークとかスプーンもあると便利だ。たしか父の物置にそういうのがあったような気がする。


(あれ、持っていっていいかな。それとも自分用に買った方がいいかな。いいや、パピーの借りて、使い勝手を見てみよっと)


 私達が留守にする間、マーサもうちの仕事は休みだ。何か喜んでもらえそうなお土産があるといいのだけど。

 貿易都市サンリラ。ファレンディア国との貿易船、そして旅客船も到着する港。

 私にとってそこへ向かうのは、いつかファレンディア国へ行く時の為の下調べに過ぎなかった。




― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―




 貿易都市サンリラへ向かう移動車だが、何故か我が家が集合場所だった。

 それ自体はいいけれど、早く到着した人達が我が家で優雅にお茶を飲んでるって何かがおかしい気がする。だって、全員もう揃ってない?


(なんでもう来てるの。お昼よりも少し前じゃなかったの? 来るの早すぎだよ)


 二重の門に守られたマイホームは、家族しか立ち入ることのない聖域だった。父は不在がち、兄は男子寮生活とあって、私のお城だった。

 模様替えする時には全て私好みにして構わないと父は言っていたからだ。

それなのに気軽なカラーシャツにデニムのズボンといった休日スタイルの男達がうちのリビングルームを侵食していた。


「ちんまりとした家だが、暮らしやすそうだな。あれだけ立派な子爵邸があってどうして別に暮らしているのかと思ったが、とても落ち着くいい家だ」


 青林檎の黄緑色(アップルグリーン)の髪をした寮監は、窓際の椅子に腰かけて裏庭を眺めている。

 いや、気を遣わなくてもいいです。普通の貴族のおうちはちゃんと庭園があるって私も知ってます。ついでに大公邸に至っては、比べる気にもなりません。


「そーっすよね。あっちの子爵邸、あんだけ人がいんのに、どうしてこっちにアレナフィルお嬢さんだけって思ったら、うん、なんか分かる気がしますよ。窓から見える裏庭もあんだけ遊具が揃ってるんならかなり楽しそうっすね」


 女上司に迫られている筈のオーバリ中尉は、「要入院」という診断書を提出しているので休みを堂々と取ることができるそうだ。だからゆったりとしたシャツを着て、固定具を感じさせないようにしているけれど、やっぱり怪我人には見えない。


「あれはフェリルじゃなくてレミジェス殿が設置したんじゃなかったか? 裏庭側のバルコニーはロープや遊具で上り下りできるようになってるから、どっかに連れて行った際、バルコニーの柱を伝って二階に上ってしまったってんで、よそではやらないように慌てて言い聞かせたって何かの時に聞いた覚えがある」


 バーレンよ。子供時代のことをいつまでも言い続ける男って器がみみっちいと思わないか?

 子供の小さい頃の失敗談を嬉々として話し出す人って性格悪いよね。


「アレナフィルちゃんにとって安心できる環境が一番だよ。いいおうちだね」

「ありがとうございます、リオンお兄さん。で、どうして皆さん、全員揃っているのに、まだ出発できないんでしょう?」


 慌てて起こされて、更に特別に朝食はお部屋で大急ぎで食べ、手早くシャワーを浴びて着替えてきた私だが、ここぞとばかりに我が家を堪能されている。

 茶を飲んだり、朝食なのか軽食を食べたり、誰も彼もがマイホーム状態だ。初めて来た家でここまでくつろげるところがすごい。

 まったりと過ごしている彼らは、まるでうちに泊まりにきたかのよう。

そこへマーサが玄関の方から小走りでやってきた。


「フィルお嬢ちゃま、フィルお嬢ちゃま。移動車が到着しましたわよ。荷物を運んでくださった際に、中を見せていただきましたの。フィルお嬢ちゃまは女の子だからって、特別に鍵を掛けられるようにしてくださったそうですのよ。旦那様は別に行くって聞いて心配でしたけれど、あれでしたら安心ですわね」

「ふぇ? 簡易ベッドってみんなで雑魚寝じゃないの?」

「殿方はそんな感じの三段ベッドでしたけど、フィルお嬢ちゃまは着替えとかもあるからって、壁で区切ったスペースになってましたわ」

「本当に移動車内で寝泊まりするかというと、まずしないような気がする。そりゃあ、いざという時にそれができるのは便利そうだけど」


 そこまで遠い都市ではない。高速専用道路を使えば昼過ぎに出ても当日中に到着する。

 そう思った私の頭に、ぽんっとフォリ中尉の手が載せられた。


「急いで到着しなきゃいけないわけじゃない。途中で観光しながら行っても楽しいぞ。人力で動かすゴンドラリフトの景色はちょっと一見の価値がある。人力と言っても、子供が車輪をこぐ程度の力で動かせるんだ」

「そんなのがあるんですか?」

「ああ。まだ長期休暇は始まったばかりだ。移動車を使うなら、公共交通機関が不便な所だって見て回れる。そうだろう? だが、そういう所はあまりいい宿泊施設がなくてな」

「大丈夫ですっ。簡易ベッドがあればなんてことないですよっ。・・・あれ? だけどそうなると、父が一人で待ちぼうけになっちゃう」


 バーレン以外は三人共それなりに腕に覚えのある人ばかりだ。うん、安全は確保された。

 問題は現地集合の父だろう。


「ウェスギニー大佐は知っておられるから大丈夫だ。現地集合というのは、つまり今日は到着しないということだからな。じゃあ、行こうか」

「はい。・・・あ、じゃあ行ってきます」


 私はマーサに抱きついて頬にキスした。マーサも私の頬にキスしてくれる。


「ええ。楽しんできてくださいましね。面白そうなものがあっても、ふらふら行ってはいけませんよ? ちゃんと皆様と手を繋いで、一人では行動しないようにするんですよ?」

「うん。大丈夫。レン兄様もいるし」


 そうして玄関を出れば、私の足が止まった。

 移動車が三台あるように見えるのは、気のせいじゃないよね?


「おはよう、ウェスギニー君。いや、プライベートだから、ここはアレナフィル嬢か。いや、アレルちゃんでいいな。うん、アレルちゃん。おはよう、いい天気だね」

「えっと、おはようございます」


 深く濃い群青色(ウルトラマリン)の髪に、青の瞳をした寮監先生は、たしかドネリア少尉という名前である。

 行くメンバーを聞いていなかったのは、どうせフォリ中尉、オーバリ中尉、ネトシル少尉、そしてバーレンと私の五人がメインで、他は運転手だろうと思っていたからだ。

 だって父は現地で合流するって聞いていたし、八人分の簡易ベッドが備え付けられている移動車なのだ。帰りに父が増えても、合計七人だなって、誰だって考えると思う。

 だけど目の前にあるのは八人乗りのベッドとミニキッチンとトイレ付き大型移動車が一台。そしてそれよりは小さめの移動車が二台。小さめと言っても、中型サイズだ。つまり、その気になれば男性が悠々と余裕をもって四人は寝られる。


「まさか、先生方も行かれるとは・・・」


 私は私に激甘な大人が希望だ。男子寮にいる寮監達は王子には激甘かもしれないが私には優しくない。


「何を言ってるんでしょうね、このお嬢さんは。フォリ中尉を一人でどこかに行かせるわけないでしょう」

「先生方はエインレイド王子様の為に寮監しているのではないかなって思うんですけど」

「その通りですよ。エリー王子の為に寮監になったフォリ中尉の為、我々も寮監をしているのです」


 柔らかな水色(ベビーブルー)の髪に、紺色の瞳をした寮監がそんなことを言うのだが、なんで寮監が五人とも一緒に行くと思うのだ。

 ひどすぎる。全然、長期休暇気分になんてならない。


「どうして休日にまで先生に見張られなくてはならないんでしょう」

「先生と思わなければいいんですよ? ね、アレルちゃん。さあ、出かけますよ」


 悲しい私の頭を、ネトシル少尉がそっと撫でてくれた。


「大丈夫、アレナフィルちゃん。プライベートなんだから遠慮なく皆を荷物持ちだと思えばいいのさ。運転は俺がするけど、ベッドもついているから眠くなったらお昼寝だってしていい。お茶も淹れられるし、途中で寄ることができそうな店も地図にチェックしてある。休憩がてら、美味しいっていうお店に入ってもいいだろう?」

「はいっ。リオンお兄さん、大型の免許持ってるんですね」

「ああ。何なら教えてあげようか?」

「えへへー。私、免許を取れる年になったらすぐに取りたいんです」


 サルートス国は少し交通法規が違うのと、私が知っている移動車とは少し運転方法が違うのだが、まあ、どうにかなるだろう。

 一般常識的には14才の子供に運転を教えちゃいけないんだろうけど、その辺りの緩さがいい。

 なにかと優しいネトシル少尉なので、私はつんつんと袖を引っ張ってみた。


「ん? どうした?」 

「寮監先生達が乗る二台、あれ、もしかしてプロペラついてるんじゃないですか?」


 小さな声で問えば、軽く茶色い目を開いて笑いかけてくる。


「よく気づいたね。いざという時には空を飛べるって奴だ。だから何があろうが安全だよ」

「中型移動車で空を飛べるのって初めて見ました」

「そうなんだ? あれはもう航空関係の免許も必要だからね。軍の持ち物だが」

「ですよねー。普通で売ってる筈ないって思いました」


 さすがは大公家。そんなものまでプライベートで貸し出すのか。

 二台の中型移動車には寮監四名が分乗し、そしてネトシル少尉が運転する大型移動車にはフォリ中尉、オーバリ中尉、バーレン、私が乗ることになった。

 二台の中型移動車は前後を一台ずつ走るそうだ。護衛なの? まさかと思うけど男子寮の寮監達は王子様だけじゃなく大公家のご令息まで守ってたの?

 ああ、そうだった。思えばフォリ中尉、王様の甥だったよ。




― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―




 私はあまり自宅から出たことがない。それは母親が幼いアレナフィルを庇って殺されたあの幻覚を覚えているからだ。

 母のことは誰も語らず、病死となっている。あれは私の記憶がおかしくて、リンデリーナは病気で亡くなったというのが本当なのかもしれない。

 だけど色々な客が訪れるウェスギニー子爵邸と違い、この家に家族とバーレン以外の来客はまずない。幼年学校時代のお友達にしても、自宅には招かないようにと言われていた。

 近隣の住宅に比べてもかなり人を拒絶している高い塀と二重の門、そして夜明け頃には鳥が落ちているという噂を考えれば、やはり父は私達を隔離しておきたいんじゃないかと思っていた。なるべく保護者のいない外出を控えていたのはそれがある。

 アレンルードはウェスギニー子爵邸へちょくちょく出かけても、私はこの家で過ごすことが多い。それは私が趣味に没頭していたかったこともあるが、父にとっても私がこの家で過ごしていることを望んでいるような気配があったからだ。


(まるでここはパピーが私の為に用意した鳥籠。外に出せない子だと言われたらそれまでだけど、閉じ込める為ならここまでは必要ない)


 隔離というのは考えすぎだろうか。だけど確実に保護されている。だってこの辺りはとても治安がいい。

 市立の幼年学校に通っていた頃、それは父が私達の生活圏内に住む犯罪予備軍の人達を全て片付けたからだと聞いたことがあった。

 そこまでして父は何を不安に思っていたのだろう。

 妻を殺され、生き残った娘だけは何があっても失えないと考えたのか。だから私にこんな籠城できそうな家を与えると言ったのだろうか。

 母はどうして亡くなったのかを、私は今も知らない。少なくとも過去の新聞にそんな事件は載ってなかった。


「お嬢さん、こいつはあまり揺れないから大丈夫とは思いますが、なるべく外の景色を見ておく方がいいっすよ。運転席のすぐ後ろぐらいが全体的に見えていいかもしれねえっすね」

「そうなんですけど、どの席でもよく見えますよね。位置も高いし。それに車酔いってしたことないです」

「ならいいんですけどね。あ、だけど酔って気持ち悪いお嬢さんを介抱したら恋が芽生えたりするなら喜んでやりますよ。なんつってもこっちのおうちでボスとの同居っしょ。めっちゃこの家、居心地よさそう。遠慮なく俺に惚れてください。成人次第、結婚してあげていいですよ。その前に婚約者特権でここ住んでいいっすか?」

「おうち目当ての結婚を持ちかける人がいた・・・!」


 こんなにも愛のないプロポーズがあっていいのだろうか。

 大型移動車に乗りこんだ私は、こういう男にだけは惚れるまいと決意した。


「聞いて、レン兄様。結婚した途端、おうち目当てで殺されちゃう」

「んなことしませんよ。俺がボスに殺されます」

「大丈夫。フィルちゃん、結婚相手へのハードル高すぎてそこまで行きつかない。そもそも可愛いだけの子をレミジェス殿並みに甘やかす男なんてまずいないから、フィルちゃん一生独身。結婚したところで半日も経たずに逃げ帰る」

「そうかもしれない。そう思えてしまうのは何故」

「あははは。さ、これから移動車専用道路に向かうから一気に景色が変わっていくよ。フォトネー遺跡はかなり遠いからね」


 用務員姿じゃないネトシル少尉が運転席であれこれチェックし始めている。他の二台の運転席と合図し合っていた。

 マーサは見送る為に門の外へ出てくれている。

 他人に囲まれて出かける私をマーサが心配しないように笑ってみせれば、マーサも笑ってくれた。

 何かと外面(そとづら)のいい彼らなのでマーサは全く心配していないけど。


「アレナフィル嬢。心配しなくても財産目当てで結婚に持ち込まれるのはアレンの方だ。娘をアレンに嫁がせたい未亡人がレミジェス殿に接近するケースに気をつけておくんだな」

「なぬっ!?」

「安心しろ、フィルちゃん。レミジェス殿、ルード君に使う時間はあっても、未亡人に使う時間はないから。今まで何かと手をかけて育ててきたルード君の気持ちを無視して、都合よく近づいてきた女の娘にルード君をあげるわけないだろ」


 三台それぞれの移動車が、門の外へとゆっくり移動し始めた。

 一番に出た中型移動車の寮監先生が、窓を開けてマーサと何やらやり取りしている。マーサがヴィーリン家の自宅を指差しているところを見ると、何かあった時の連絡先として教えたのかもしれない。


「アレナフィルちゃん。窓は開けられないから手を振るだけで我慢してね。大型は屋上から狙撃されやすいから開けないのが基本なんだ」

「あ、分かりました。大丈夫です」


 ネトシル少尉の声掛けに慌てて頷くけれど、バーレンとフォリ中尉はお喋りを続けていた。

 どうしよう、叔父がピンチだ。だけどどうやって守ればいいのか分からない。


「そうかもしれんな。ロドゲニル男爵夫人も、夫の弟が信じられると思ったのが間違いだったということだ。あそこで踏ん張って自分の娘に男爵を継がせるよう要求し続けていれば今の状況は無かっただろう。いや、無理か」

「ああ、あそこ。だけどロドゲニル男爵って若い伯爵家令嬢の奥さんもらったとか何かで聞いたことあったのにもう亡くなっていらしたとは。そりゃお子さんはまだ大きくはないよなぁ」

「ちょうど上等学校一年生だ。未亡人は娘とロドゲニル家に残るつもりが、爵位を継いだ弟はここ数年、亡兄の妻の再婚相手を探している」

「気の毒だがよくある話だ。レミジェス殿が結婚するにしても、そんな火種を抱えはしないよ。連れ子が母を頼って子爵邸で暮らし始めたらルード君の婚約者扱いだ。フィルちゃんと同等の待遇を求められても困る」

「やはりそうか。知人の知人がウェスギニー家への縁談を仲介しようとしてフォトも見ずに断られたと聞いた」

「フェリルが難攻不落すぎたんだろうなぁ。あいつ、昔から弟に押しつけるとこあるから」


 なんというとても気になる話をしているのだ。

 だけどマーサを見下ろす位置から手を振れば、マーサも微笑んで手を振ってくれる。私達がいない間に、マーサものんびりとした休暇を堪能してほしい。

 

(仕方ないよね。二人共、(つい)棲家(すみか)をどうするかで色々と調べてるから)


 ローグとマーサも、いつか時が流れれば息子家族と再び仲良くやれるのかもしれない。それとも完全に距離をおくのかもしれない。いつか孫が大きくなって祖父母と暮らしたがるのかもしれない。

 人生は何がどう転ぶか分からないものだ。


「さ、出発したし、その未亡人とやらのことを教えてください、フォリ先生」

「アレナフィルお嬢さん、そのマーサさんの前でだけ可愛くしておけばいいやっていうあざとさがもうみんなにバレバレですぜ」


 一番後ろの座席に座っているオーバリ中尉を私は睨みつけた。

 私の家目当てでやる気のないプロポーズをかますような男に発言権はない。


「笑顔で手を振っているのが見えなくなったと思ったらそれか。アレナフィル嬢、既に俺達は奨学金の話をしてるんだが」

「もう奨学金もらえない年して何言ってるんですか。そんなことより叔父の危機が大事です」

「別に危機じゃないよ、フィルちゃん。レミジェス殿、そんなの昔からわさわさある筈だし。だけど今度はルード君狙いの縁談も加味されたってことさ。後妻の産んだ子がいないルード君は子爵になることが確定された子だからね」

「そんな・・・! ルードを守る為、私が女子爵にならなきゃいけないのっ?」


 どうしよう。叔父と兄がセットで狙われているだなんて。あんな優しくて純粋な叔父と単純でちょろい兄ではパックンされてしまう。

 私はウェスギニー女子爵として最前線に立ち、叔父と兄に群がる財産狙いな女共を蹴散らさなくてはならないのか。


「なんつー図々しいことを。あのな、アレナフィル嬢。誰もがフェリルド殿みたいに片手間で子爵しているのが許されると思うな。子爵は大佐としての成果が著しいから許されているだけで、あそこまで父親や弟を代理で出席させてるなんぞ、通常は爵位を保持する能力がないとされるところだ。女子爵は子爵と子爵夫人の役割を一人で背負う。アレナフィル嬢の自堕落ぶりでその重責に耐えられると本気で思ってるのか」


 私はフォリ中尉を、教育者として生徒のやる気を削ぐダメ寮監だと認定した。

それなのにバーレンも何やらうんうんと頷いている。


「言っておくけどフィルちゃん。邸で来客に対応し、領地の管理も経営も全てこなした上で社交もしなきゃいけないのが爵位ある貴族。女子爵になるなら経済軍事部へ入り直して、様々な貴族令息達と渡り合えるようにならないとね。会談と称して何かと口説かれるからさっさと婿を決めないと貞操の危機」

「・・・やはりここは兄に頑張ってもらうことにします。女の子はおうちにいるものだし、試練を経て兄も立派に成長することでしょう」

「そうだな。フェリルは、娘が良家に持参金を持って嫁いだところで夫に使いこまれたら終わりだと思えばこそ、不本意な選択をせずにすむようにしている。どこの父親も嫁いだらそれまで。跡取りと有用な駒以外は見捨てるのが貴族の基本だ」


 なんという怖い世界なのだ、貴族社会。素敵なのはうちの父だけだ。

 やはり残業のない役人生活を目指し、同僚達には貴族のお嬢様ということでハードなお仕事を免除してもらう日々を送らなくては。


「アレナフィルお嬢さん、移動車専用道路に入ったら左側に行っておいた方がいいっすよ。今日は気球大会がある。空に沢山の気球が浮かんでるから一見の価値があります」

「そうなの?」

「だから今日の出発にしたんじゃないっすか?」

「アレナフィルちゃん、見えてきたら教えてあげるからゆっくり休んでいていいよ」

「わあ、ありがとうございます」


 だけど残念なことに今日の風はいきなりの変化を見せていたようで、お空にぷかぷか沢山の気球が浮いている筈が、なんか流されてた。めっちゃ流されてた。思った以上に流されてるって感じだった。


(お空に沢山の気球が浮いてるというより、沢山の気球があちこちにばらけて放出されてるんだけど)


 オーバリ中尉が、

「あー、可哀想に。あっちまで飛んでってら」

とか、全然可哀想じゃない感じで眺めてたけど、ここまで乱気流じゃなければ気球体験をさせてあげようとフォリ中尉やネトシル少尉は考えてくれていたらしい。

 今日はやめておこうねと言われたけど、私も出発初日から気球で遭難したくないからそれで良かった気がする。

 あの気球達は大丈夫なのかな、あそこからどうやって帰り着くのかなと、そっちをハラハラドキドキしている内に、やがてお昼ご飯を食べるという山菜料理の店に到着した。


「野性味のあるハーブ料理ってことかな。山から収穫した茸とかも使ってるって話だったからね」

「うわぁ、どんな料理なんでしょう。クラブのみんなも来たかったかもっ」

「小麦じゃなく雑穀を使ったりしているから野趣あふれる料理ってことだ。たまには面白いんじゃないか?」

「俺はそういうのどんとこいっですよ。めっちゃ現地で収穫と調理してますからね」

「そういえば食事代って割り勘ですよね? これどうなってるんですかね?」

「クラセン先生、そこは心配しなくて大丈夫ですよ。まとめて領収書をもらい、後から人数割りして各自の精算です。クラセン先生の分はウェスギニー大佐にアレナフィルちゃんの分と一緒に請求しますので、後日お二人で処理してください。嗜好品は自分のポケットマネーでお願いしますが、宿泊費と三食代金と交通費はこちらで処理しますので、私が一活で支払います」


 経理上の混乱を防ぐ為、全てネトシル少尉が支払うそうだ。

 予約してあったらしく、店に入ったら既に用意ができていて、すぐに料理が運ばれてくる。

 食物繊維がたっぷりな山菜料理は普段なら物足りなかったかもしれないけれど、ずっと座っていてお腹があまり空いていなかったのでちょうどよかった。

 みんな軍人さんなのにお肉が少なくて大丈夫なのかなと心配になったけれど、そこは考えて朝ご飯をしっかり食べてきたらしい。この辺りは飲食店が少ないそうだ。人口が少ないからお店も限られると教えてもらった。

 それでもランチの後で向かったフォトネー遺跡が、本日のハイライト。

 フォトネー遺跡はとても不便な場所にある。だから根性入れて訪れる人しかいない。公共交通機関を使っても、最寄り駅から移動車で数時間かかるのだ。


「うっふっふ。あの大きな石組みと彫刻をリアルで見られるだなんて。フォトネー遺跡、いつか行ってみたかったの」

「良かったな、フィルちゃん。俺も一度は行ってみたかったんだが、行って帰るだけで一日が潰れる。なかなか訪れにくいんだよなぁ、あそこ」


 バーレンも貿易都市サンリラに直行せず、あちこち寄り道すると聞いて眉間にしわを寄せていたが、内容を聞いた途端、乗り気になった。

 私の背よりも大きな石とかを使って建造されたフォトネー遺跡。今も残っているその数々の彫刻も、当時の技術が偲ばれるものだ。

 転落防止の為、頑丈な柵が取り付けられ、頂点まで登ることも可能な階段が数千段とあって、体力のある内に行っておきたい名所である。

 

(レイドのお世話してあげてるんだからってことでフォリ先生に荷物持ちさせるつもりで持ってきててよかった、腰掛け用ベルト付き滑車付き荷物吊具(チェーンブロック)。やっぱり備えあれば(うれ)いなし)


 一人がある程度上階まで登ってから滑車付き荷物吊具(チェーンブロック)を柵に固定して垂らすと、下にいた人がそれを自分の体に固定すれば一気に上昇できる。大人三人ぐらいの重さに対応できる金属製なので途中で落ちることはない。

 本当は貿易都市サンリラで重い荷物を購入した時用だったけど、高所恐怖症じゃなければきっと楽しめる筈だと私は荷物の中からそれを取り出した。

 だけど他の寮監先生達がついてきてしまったので、私は先に登って滑車付き荷物吊具(チェーンブロック)を垂らすのをお願いするのは用務員しているネトシル少尉に変更する。

だってフォリ中尉を使ったら他の男子寮監達にいじめられそうな気がしたし。

 その点、ネトシル少尉はとても優しくて笑顔で二つ返事な人だ。


(てか、そんなもん持ってきたのかよと文句言いつつ、みんな使うんだから我が儘だよね)


 旅先ってのは普段はやらないことをやりたくなる魔法がかかるイベント。

 やっぱりアレンルードも一緒に来ればよかったのに。


「ふっふっふ。私はこの地の頂点に立ってしまった。世が世ならまさに私がこの地の帝王・・・!」


 私は晴れた青空を背景に、フォトネー遺跡の頂点でポーズを取ってしまう。


「馬鹿と煙は高い所が大好きだ。豚もおだてりゃ木に登るしな。まさかこの短時間でここまで上がってきてしまうとは」

「ははっ。それなら誰よりも高くしてあげるよ、アレナフィルちゃん」


 なんかバーレンが可愛くないことを言ってたけれど、ネトシル少尉はせっかくだからと肩車してくれて、他にもいた人達より高い位置に私を持ち上げてくれた。




― ◇ – ★ – ◇ ―




 出発一日目は山の中にある宿に泊まったけれど、あまりにも辺鄙すぎて夕方にもなってない内から周囲に人が一人もいない状態だったから、移動車の運転を教えてもらった。ネトシル少尉はかなり話の分かる人で、誰もいない私有地なら運転したところで問題ないだろうと言ってくれたのだ。

 基本の使い方はやっぱり同じで、中型移動車も水陸両用だったし、せっかくだからとちょこっと水上も運転してみた。


(気球体験できたら、ちょうど夕食タイムに到着だったんだろな。ま、思ったようにはいかないのも旅の醍醐味って奴だ。だけど若いのにみんな夜更かししないのは感心だよね。普通、夜遅くまではしゃぎそうなもんだけど)


 何も娯楽がないせいか、夜はみんな早めに部屋へと引き取ったけれど、それで早起きしてしまった私は、朝食前にこっそり一人で散歩に出てみた。

自然豊かな場所は、野生動物にだけ気をつけておけばいい。誰もいない山道と湿気を含んだ澄んだ空気。

 懐かしい祖父母の家を思い出して誰もいない場所でファレンディアの歌を歌えば、ちょっとおうちが恋しくなった。

 旅先っていうのはしんみり悲哀(メランコリー)な心と向き合ってしまうのかもしれない。

 

(私のおうち、まだ残ってるのかな。あれからどれだけの時間が流れたんだろう)


 考えたら叫びたくなってしまう。泣きたくなる。だれか私を戻してと言いたくなる。だからこの感情は抑えておかなきゃいけないのに。

 心を切り替えて朝食のお部屋に行けば、皆もばらばらと集まってきて今日の予定を教えてくれる。


「おはよう、アレナフィルちゃん。起こされなくても起きてくるなんて偉いね」

「おはようございます、リオンお兄さん。実は私っ、朝の散歩までしてきちゃったんですよっ」

「うん、顔色もいいね。体調が悪くなったりしていたらすぐ教えてくれよ。ま、これなら予定通りいけるかな。今日はちょっと幽霊が出るかもしれないからね」

「幽霊っ!?」


 なんと二日目は、古城に泊まることになっていた。

 一日目が遺跡、二日目が古城というところに私に合わせたプランだと分かる。

 そういう意味でフォリ中尉はぞんざいな扱いをしてくるし、私を利用するけどいい人だ。


「古城っ。観光ならともかく、お泊まりもできるだなんてっ」

「今はお子様お断りだが、そこは大人しい子だからと許可を取ったんだ。アレナフィル嬢なら別に廊下を走って絵画にぶつかって破損させたり、ボール遊びをしてステンドグラスを割ったり、図書室の本を破いたり、来城記念だと本にいたずら書きしたりしないだろう?」

「フォリ先生。それはオーナーがお子様お断りにしたのも当然だと思います」


 ただの古城見学よりは宿泊した方が昔の建築を堪能できるだろうと、一泊の予約を取ってくれたらしい。とても楽しみだ。

 わくわくしながら大型車の窓から景色を見ていたら、なんとオーバリ中尉が知ってる地域だったらしく、途中にあった大きな農園で作っている果物を買ってくれた。

 大型農園では繁忙期だけ人を雇って収穫したりするらしい。バイトとかできるのかなと思ったけど、私では無理だとオーバリ中尉に断言された。

 何かとひねたことしか言わないオーバリ中尉だけど、彼なりに私のことを気にかけているらしい。

 フォリ中尉から途中の水門なども説明してもらって勉強になったけれど、古城に到着した途端、一気にのめりこんでいたのはバーレンだった。

 

「へぇ。こんな昔の物がまだ現役で使われているとは」


 バーレンは古城のあちこちを見て回ったり、書斎に残っていた昔の本に狂喜乱舞したり、更にはせっせと私に内容を書き写させたりしていた。

 そんなことする為にノートを持ってきたんじゃない。


「なんということでしょう。こんなことの為に私は速記をマスターさせられたのでしょうか」

「清書は戻ってからでいいから今は一つでも多くを書き写してくれ。頼んだぞ、フィルちゃん」


 バーレンは気になったという書物を次々と私の前に積み上げた。

 バーレン読む人、フィルちゃん書く人。まさにそんな感じだった。

 どれも薄い冊子だけど、そういう問題じゃない気がする。どうして私は長期休暇を古城で机に向かって、書物の内容を書き写さなくちゃいけないんだろう。


(逆らえない自分が悲しすぎる。ああ、ファレンディアに手紙を送ったばかりに)


お子様お断りな古城ホテルで、唯一の子供客というのでちょっと警戒対象だったらしい私だけど、悪ふざけなんてする余裕などあるはずがない。

気づけば、何をしているのか見に来たらしい男の人がとても気の毒そうな目で私を見下ろしていた。


「えっとお嬢様、速記ができるんですね」

「はい。帰宅したら清書が待ってます。ここは複写用機器がないのでしょうか」

「あれは本をかなり傷めるので置いてないのです」

「そんな気はしていました」


 だから私も白手袋をはめ、開いたページを傷めないように重しを両側に置くことで癖をつけないようにしていたのだ。

 14才の子供が一体何をしているのだろう。

 古城の持ち主(オーナー)もバーレンと私が異様だと報告を受けたらしく、お茶の入ったトレイを持って様子を見にやってきた。


「よかったらお茶でもいかがかな? ずっと机に向かっていたなら疲れただろう」


 私は馬鹿ではない。古城ホテルで働いている人達はみんな制服なのである。

ラウンジでもなんでもない所にシャツとズボンといったラフな格好でお茶を持ってくることのできる老紳士の正体を見抜く目ぐらいはあった。


「うわあ、ありがとうございます。レン兄様、汚さないように本は違うテーブルに置かないと」

「あ、ああ、うん。後で飲むから置いといて。これ、いいとこなんだよ。この時代に輸入されていたなら、ここまで運ばれていたのか。それともこの城主に誰かが献上したのか? いや、下賜か? 歴史講師なら知ってるかもしれないが、そうなるとこの辺りの発音がかつてチじゃなくシだったのも独自の文化じゃなく、西の影響が考えられるかもしれない」

「うん、その日記は逃げない。お茶は冷める。レン兄様、はい、まずは目を離す」

「はっはっは。いや、なかなか熱心に読んでもらって日誌も本望でしょう」


 強制的にぐいっと顔を上げさせ、日記に(しおり)を挟んでから違うテーブルに置くと、お仕着せではない服装の男性を見てバーレンも目の前にいる人がオーナーだと気づいたらしい。


「失礼しました。人がいるとは・・・あれ? そういえばお茶とかって、フィルちゃんが淹れてくれたわけじゃなかったのか」

「レン兄様、私は言われた通りせっせと書き写していたのです。お茶を淹れに行く余裕はなかったのです」


 バーレンは私を自分のお世話係だと思い込んでる。そんな気がする。


「そうだった。・・・なあ、フィルちゃん。サンリラには君達だけ行って、俺はここでずっと過ごすってどうだろう」

「レン兄様。あくまで私達はサンリラへ行く予定で、ここは途中で立ち寄って泊まることにしたわけで、そういうのは違う時に自分一人でお泊まりしに来てください」

「おやおや。お嬢さんの方がしっかりしているようだ。ご兄妹ですかな?」

「いえ、この子は友人の娘です。私は父親が不在の間の保護者です」

「違う違う、レン兄様。私が兄様の保護者なの。なんといってもレン兄様、目の前に本があるとすぐ正気を失っちゃうから」


 自分の欲望に一直線なバーレンだ。開放されている書斎で本棚の一冊を手に取った時から足に根が生えた彼を、私は言われた通りノートやペンを運んできて椅子に座らせ、せっせとお世話してあげていた。


「お嬢さんには遊ぶものが何もなくてつまらないんじゃないかと思っていたのだが大丈夫かね? 他の方々は体を動かしているようだが」


 古城だけに昔の鍛錬場があるらしく、他の人達はそちらに行っていた。今も使えるらしくて、当時の練習内容にみんなは興味津々らしい。


「そんなことないです。お庭を散歩していたら、とても素敵な石垣とくぐり戸があったんです。まるで童話に出てくる妖精の門みたいでした」


 お茶を飲みながら、到着時に見て回った外の小さなくぐり戸の(かんぬき)とかのことを話せば、バーレンがいつ頃の作りなのかを尋ねる。かえってオーナーは今時のタイプにしたいのだが、あまりにも昔の気配をなくしてしまうのもどうかと思って悩み中だとか。

 ロマンチックな古城も所有者には所有者の悩みがあるらしい。

 特にオーナーの孫達は、ここは暗くて怖いと近寄らないのだとか。


「昔の家具が使われているお部屋って薄暗くて怖い感じもしますけど、それだけ歴史が感じられて特別な時間が過ごせます。いつか大きくなったらお孫さんもこの良さが分かるんじゃないでしょうか。・・・私はずっと速記し続けてましたけど」


 つい恨み言が出てくるのは仕方がなかった。どんなにロマンチックな古城も、書斎で机に向かっているなら全然素敵じゃない。

 私はラウンジで古びた家具や窓の外の景色を見ながら、この城の歴史に想いを馳せながら優雅にお茶を飲むひと時を楽しんでいたかった。


「その代わり何かしてやるって言っただろ。いいじゃないか。どうせ昔のティーカップとやらでお茶を飲んだところで飲み終わったら終わりだ。それぐらいなら書き写すのを手伝ってくれ。昔に生きていた人の自筆はそれだけで価値がある」


 この城で使い続けられてきたデザインの食器に暴言を吐いたバーレンだが、オーナーは怒らなかった。

 古めかしい形のカップなんて、普通はまず出てこないデザインだ。きっと特別に今も昔と同じ形で作ってもらっているんだろうに。

 これだから男ってのはデリカシーがない。


「そこまで興味を持っていただけるとは。ですがそれは写本でしてね、自筆ではないのですよ。同じような装丁、同じような書体と、なるべく似せてはありますが」

「どうせこちらも、どこそこで書き写したと書いておくから大丈夫です。大切なのは何かあった際にその大元がどこにあってどなたが保管しているかが明らかであることです。残念なことに所有者が変わると昔のものは処分されてしまうことが多いのです。せめて少しでもそのよすがを残しておきたいものです」


 バーレンはいつか個人博物館を開くのが夢らしい。それなりに自慢のコレクションがある人達は大なり小なりその傾向があるのだとか。


「すみません。また読みに来ていいでしょうか。勿論、泊まりで」

「それはかまいませんが、ここは夏だけお客様を迎えているのです。他のシーズンは閉めているのですよ」


 いきなりバーレンが書物関係目当てとしか言いようのない宿泊予約を入れようとしたので、オーナーも驚いていた。けれど、その目的がはっきりしているところを気に入ったらしい。

 オーナーはバーレンの書物への熱意に心打たれたのか、ちゃんと借用書を作成して、本を大切に扱ってくれるのならば貸し出してもいいと言ってくれた。

 するとバーレンは自分の名前と肩書きが入ったカードを取り出してオーナーに渡した。

国立サルートス習得専門学校の講師という肩書に、「道理で」と、納得はしていたようだが、古い物は持ち出して返してくれない人が多いらしくて、そこが持ち主(オーナー)の悩みの種だとか。


「なんて恥知らずな。こんな古書、売れば金になると思って盗む奴は盗みます。本棚なんて、読み終わった雑誌でも置いておけばいいんです。こういう価値あるものはたとえ写本でも鍵のかかった室内で保管し、見たい者にはオーナーが鍵を開け、使用後には何もなくなってないことを確認した上で閉めるぐらいにしておかないと」


 バーレンはそんなことを言い出し、二人は価値の分かる者こそが管理すべきだというテーマを熱く語り合い始めた。

 どうやらオーナーも古城をホテルとして営業している以上、古き時代を偲ばせる物を置いておくしかなく、しかし乱暴な取り扱いや破損に悩んでいたらしい。

 この書斎に置いてある書物もオリジナルではなく写したものながら、昔から使われている用紙を使ったりして、それなりの手間はかけているそうだ。

 だけどさ、そんなの見たい人ってどれぐらいいるんだろう。

 そりゃ当時の文化、売買されていた品名とかが分かるという意味では価値があるのはわかるよ。

 分かるけど、そんな昔の書物見てて楽しい? 延々とその日に誰がやって来て何をやりとりしたとか、そんなつまらない内容が続くんだよ? どこにもロマンがないんだよ?

 たまにバーレンってただの変人じゃないかなって思う。

 それでも私は人の趣味に口を出さない、できた女だ。誰にだって自分の心が目指す趣味道を歩む権利がある。


(たしかレンさん、私の保護者ということで同行してるんだと思うんだけど、保護者になってるの、これ?)


 夕食後もオーナーとお喋りした私だけど、バーレンはどこまでも自分の世界に入っていた。

 どんだけ興味があったか知らないけど、徹夜で本を読んでるって何なんだろう。ついでに私を何だと思っているのだ。

 結婚も出産もしていないのに、夕食の時間になったら歩きながら読み続ける男を食堂まで手を引いて連れて行ってあげて、シャワーを浴びてパジャマに着替えてきたその濡れた頭を拭きつつ水滴がその書物に落ちないようにしてやり、私はせっせと世話をしてあげた。

 夜は冷えるからとベッドに寝かせて、デスクライトをベッドヘッドに設置してあげた私はとても素敵な女の子だと思う。

 明日のことを考えてちゃんと寝た私は偉い。そして徹夜で読み続けていたバーレンはダメな大人だ。

 翌朝、私はそんなことだろうと預かっていた鍵でバーレンの部屋の扉を勝手に開け、がしがしと叩き起こし、シャワーを浴びさせに行った間に荷造りを終え、食堂まで連れていって朝ご飯を食べさせ、バーレンの手を引いて移動車まで連れて行ってあげた。

 どっちが保護者か本当に分かんないよ。




― ◇ – ★ – ◇ ―




 古城を出発し、足で漕ぎながら動かすというゴンドラリフトにも挑戦したり、可愛らしい街並みが並ぶことで有名な街を観光したりした私達は、三日目に貿易都市サンリラに到着した。

 大型移動車内には簡易ベッドもあったけれど、座席を倒して眠るだけで十分だと、誰もそっちは使わなかった。

 徹夜で読んでいたらしいバーレンも軽く寝たかと思うと、起き出したらまた読む有り様で、なんだかなぁだった。逃げないんだからゆっくり読めばいいのに。

 それでも移動車内で甘いクリームたっぷりなコーヒーを淹れれば気持ちだって明るくなる。みんなにも同じものを作ってあげようとしたのに、何故か途中でミルクと蜂蜜とキャラメルクリームたっぷりなフィルちゃんスペシャルコーヒーは却下された。


「アレナフィル嬢。今はまだ人が少ないからいいが、サンリラについたら全員、兄という呼び方にしておけ。先生と呼ばれる男達に囲まれた少女が一人だなんて何事かと通報されるぞ。俺達は金に困ってはないが、バイトなんて金銭搾取されているんじゃないかと保護観点から禁止命令が出るだろうな」

「ひゃっ。禁止命令っ?」

「あー、そうそう。あのな、フィルちゃん。子供が働くというのは学業に影響しない程度というのが基本だし、その理由は家庭内における生活費の足しとかはやばくて、自分が欲しいものが贅沢だからバイトして買うといった程度しか許されないんだ。誰かにそのお金を取り上げられているなら人身売買の法に抵触する。ましてや先生と呼ばれる成人男性がその立場を利用して、分別のつかない未成年を騙している疑いを掛けられた日には、まず保護命令が出るぞ」

「なんとっ。分かりました、レン兄様、ガルディお兄様。・・・だけど生活費の足しとかならいいことなのでは?」


 この辺りが私には分からない。バイトして稼いだお金でおうちのテーブルや椅子を買ったり、弟妹の服を買ってあげたりするならいいことだと思うんだけど。

 家族は支え合うから家族なんじゃないの?


「子供を働かせなくちゃ食べていけないというのであれば、その子供は施設で養育されるんだよ、フィルちゃん。まあ、家族と離れたくないあまり、生活費に入れている家庭はあるだろうけどね。それでも通報されたら調査は入るし、その間、子供は保護される。サルートスは法治国家だ」


 バーレンはそう言うけれど、貧しくても家族と一緒にいる方が幸せなんじゃないのかって思う私が恵まれていたんだろうか。

それに金銭搾取どころか、私、お財布を開いたのは自分のお土産を買う時だけだったよ。


「だけどこのメンバー的に生活に困ってないのはすぐ分かるでしょ? うちだって子爵家」

「どこにでも法の抜け穴はある。たとえば養子に迎えた貴族の子どもにそれなりの持参金をつけて結婚させたとして、それは婚姻という形を取った資金移動かもしれない。誰もが金に困っていない貴族であろうと、子供をいたぶって楽しむ性格破綻者の集まりかもしれない。俺は何かとフェリルから君を預かるからこそ、滅多に頭を撫でたり頬にキスしたりしないようにしている。いざという時に君を保護する為にも、厳格な態度で接していたという実績が必要だからさ」


 バーレンが私のほっぺたにキスしてイタズラっ子だねと言わないのも、頬ずりして私の可愛いウサギさんと言わないのも、私の中身がファレンディア人だと知ってるからだと思う。

 だって私がまだサルートス語が全く分からない時はもっと抱き上げられて撫でられて頬にキスされていた。

 だけど言われてみれば私の外見は今も愛の妖精。そして家族でもない幼年学校生の女の子にそんなことをしていたら色々と変な憶測をされると、彼なりに考えていたのかもしれない。


「そっか。レン兄様、単に姉様に対するのと一緒で、ツンツン冷たく突き放しては相手が気弱になったところで優しくして惑わせる飴と鞭な鬼畜テクニックだと思ってたけど、そうじゃなかったんだ。

 どうせレン兄様、私の好みじゃないから無駄なのにって思っててごめんなさい。ありがとう、レン兄様」


 感謝の心をこめて私はバーレンを見上げた。彼はちゃんと私のフォローをし続ける為、何年にも渡って気を遣ってくれていたのだ。

 だけど私を見下ろす眼差しはとても冷たかった。


「今度、子爵にお会いした時にはよく伝えておこう。まさか子爵も男八人に囲まれての旅行になるとは思っておられなかっただろうからな。口裏を合わせればいかがわしい夜をいくら重ねたところでばれやしないメンバーだ。きっと夫人も孫娘の不品行(ふひんこう)に寝こまれることだろう」

「ああっ、ごめんなさい、レン兄様っ。寝ぼけて昨日のスクリーンドラマのお話言ってしまっただけなのっ。レン兄様程、頼りになる大人の男なんていないって、フィル知ってるぅっ」


 冗談ではない。祖父は怒ると怖いのだ。フィルと呼んでる間はいいけど、アレナフィルと呼び始めたらお説教が始まる。そして場合によっては子爵邸で完全監視下に置かれてしまうのだ。

 さすが童顔のくせに鬼畜な男バーレン。

 やる。こいつはやる時はやる。だって私が趣味の時間を過ごせなくなってもバーレンには痛くも痒くもないから。


「はいはい。じゃ、コーヒー飲んだら手伝え。汚したくないからカップ片づけるまで触るなよ」

「ふわぁい」


 結局、私はバーレンのお世話から逃げられないらしい。オーバリ中尉なんてだらぁっと座席で寝転がってるし、フォリ中尉は助けてくれないし、ネトシル少尉も苦笑するだけだった。

 こうしてか弱い女の子は虐げられてしまうのかもしれない。

 だけど貿易都市サンリラに到着してしまえば、まさに潮風を感じる港町だ。

 

「アレナフィルちゃん。移動車は別の所に駐車させるから、荷物を下ろしたら自室で荷物を解いておくといいよ。一休みしていてもいいしね。清掃は終わっている筈だ」

「はーい」

「夕食は2階に降りてきてくれれば、ディナーボックスを買ってきておくよ。明日の朝からは、トーストと卵とコーヒーぐらいは2階で出せるかな」

「了解です。それってリオンお兄さんが作るんですか?」

「いや、パンと卵とコーヒーぐらいは管理人が買ってきてくれる。だから勝手に食べればいいってところか? 昼食と夕食は各自好きにすればいいけど、何なら美味しいところも調べてあるし、予定が合えばみんなで行こう」

「はいっ。あ、だけどディナーボックス買いに行くなら、私も買い物行きたいです。お部屋でのおやつとか」

「それなら後で迎えに来るよ。一緒に買いに行こう。部屋にいてくれるかい?」

「分かりましたっ」


 割り当てられた部屋にも二つの寝室、一つのダイニング・キッチンルーム、一つのリビングルーム、そしてバスルームがあるから自分で食事を作ってもいいそうだ。

 2階は皆が、共同で使えるキッチンルームやダイニングルーム、多目的室等がある。

 この都市に着いたら自由行動とはなっていたけれど、そういうことなら私だって朝ご飯の用意を手伝うぐらいはしてもいい。だって朝ご飯なんて個別に作る方が不経済じゃないかな。


(レンさんは一人のお部屋で301号室、私はパピーと302号室、リオンお兄さんとヴェインお兄さんは303号室、フォリ中尉は304号室)


 いきなり加わった4名の寮監達は4階の部屋らしい。

 集合住宅タイプと言っても、敷地はぐるりと塀があって、門の所でチャイムを押して開けてもらわなければ入れない。1階には管理人さんがいて、チャイムが鳴ったら必要に応じて出ていく感じだ。

 どうせ一人だから荷解きは後でやればいいと、バーレンは私の部屋にやってきた。まだ父が到着していないので、部屋の様子を確認しておこうと思ったらしい。


「レンさんは欲しい物とかある? やっぱり朝ってベーコンとかヨーグルトとかも欲しいよね? 卵とパンとコーヒーぐらいは用意しといてくれるんだって。後で見てから行かなくちゃ。あ、ミルクも買ってきたいな。ジュースも」

「そう慌てなくても大丈夫だろ。二、三日はこの辺りをのんびり見て回って、それから動けばいい。ま、どうせ誰もが先を争って荷物持ちぐらいしてくれるさ」

「どうして?」

「明日の朝ぐらいは2階に降りて朝食とっても、その次からはお前さんの部屋に直行するからだ。その方が近いし、どうせ朝食作るのなんて一人しかいない。そしていくら何でも買い出しまで押しつけはせんだろ。諦めてお前さんの部屋に2階のパンと卵、運んできといたらどうだ? そうすれば明日の朝も下に降りなくてすむ」

「・・・・・・そんな気もする。だけど多分、椅子とか足りないよ」

「それぐらい持ってくるさ。何ならうちのテーブルと椅子、そっちに運べばいい。二つくっつければ広くもなる」

「何の為の集合住宅・・・」


 各戸には鍵が存在し、チャイムを鳴らして部屋の住人に開けてもらわないと、よその部屋には入れない。

 だけどここ、1階は独立した状態で住み込みの管理人の部屋とか物置とか、来客と対応する為の部屋とか、そんな感じだ。

 まず住人は1階の管理人室の前にある扉を開けて2階に上がり、そこが共用スペースとなる。誰かを泊める時とか、プライベート空間にあげたくない人を2階ですませる時とかに使うそうだ。また住人同士が交流する時にも使える。

 そして3階より上が集合住宅となるのだけれど、かなり広々としたお部屋だった。


「二つある寝室、どちらもツインだもん。どのお部屋も四人で使うことを想定してるのかも」

「だな。ダイニングルームも椅子が四つ。そんならうちからテーブルと椅子運んでくれば八人座れるだろ。で、どうせどこの部屋もダイニングルームの椅子は余ってんだから、言えば運んでくるさ」

「なんてこったい。まあ、いっけどね。てか、私にはいずれレンさんがこの部屋で寝泊まりする未来が見えた気がする」

「まあな。そしたら起こしてくれるし、ベッドまで朝食運んできてくれそうだ。てか、俺達、それでよくないか? 俺とフェリルが同室ってことで」


 打ち合わせするのにわざわざドアを出てチャイムを押さなきゃいけない。その面倒くささにバーレンと私も同じ部屋でいいんじゃないかという思いが流れる。


「私、パピーがいる休日は一緒に寝てるんだけど。レンさんいたらパピーのベッドに行けない」

「じゃあ、お宅の部屋でフェリルが寝ればいい」

「レンさん。お宅、楽な方を選んだだけだろ」

「分かる? 安心しろよ、手は出さん。けど、その方が俺もフェリルが俺の部屋に来るのを待つ必要もないしな。せっかくなんだ。二人でしんみりと飲みたいじゃないか」


 気持ちは分かる。この302号室だって、ベッドが二つ入っている部屋が二つあるのだ。どうせ私達は性別と年齢を超えた悪友。そして父とバーレンは学生時代からの友人。

 私もバーレンが未成年に手を出すとは思っていなかった。今まで私達はよく一緒に行動していたけれど、そんな空気など一度もなかったからだ。


「外に飲みに行きなよ、外に」

「なんでだよ。子供なフィルちゃんは先に寝てていいぞ? あ、だけど酒の肴は用意しといてくれ」

「つまみまで作らせようとする男がここにいた・・・!」


 酒というのは常習性がある。だから友と語り合う時しか飲まない。

 そんなポリシーを持つバーレンは、自分のことしか考えていない男だ。私が荷物を置いた寝室とは別の寝室に自分の荷物を運んでしまうと、私に手伝わせてダイニングテーブルと椅子を運んでくっつけてしまった。

 

「これで椅子さえあれば全員座れるだろ。あ、食器が足りないか。じゃあ食器も持ってこよう」

「よくよく考えたらみんなが食べに来るとは限らないのではないか。私はそう思うのだが」

「限らないが、来ない確率は低そうだよな」

「・・・そうかもしれない」


 嫁入り前の娘が、家族でもない男と一つ屋根の下・・・。

 いいのだろうか。

 まあ、同じ部屋にいる方が打ち合わせしやすいってのはあるけどね。




― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―




 持ち帰って食べられるディナーボックスを、みんなで仲良く買いに行った。だけど美味しそうな匂いがしているというので私が選んだ食堂に入ったら、これが大当たりだった。


「このお魚、美味しーっ。ちゃんと塩振りして臭みを取ってから焼いてるっ。このプリッとした身が何とも言えないっ」

「俺はこっちの貝の方がいい。うん、シンプルなのにガーリックが効いてる」

「レン兄様、分かったようなこと言ってるけど、単に骨を取り除くのが面倒なだけっ。私はお見通しだっ」

「誰にも迷惑はかけてないだろが」


 そんな私達に対し、フォリ中尉が疲れたような声で問いかけてくる。


「あのなぁ、なんでわざわざ別室だったってのに、同室にしてんだ。分かってるか? まだウェスギニー大佐は到着してなくて、こんなのでも未婚の貴族令嬢で、それがどうして男と同室ってことになるんだ」

「そうなんですが、フォリ先せ・・・、いえ、ガルディアスお兄様。これには深い理由があるのです」


 やはり301号室からダイニングテーブルと椅子を運んでいたのはしっかり見られた。何をやってるんだとも言われた。だけど私もバーレンも基本的に自分だけは楽して生きていたいタイプ。

 こればかりは仕方がなかった。

 

「どんな深い理由だよ」

「朝、レン兄様か私が寝坊してもすぐに起こせるってことと、父がやってきてもレン兄様と気兼ねなく飲めるということと、何より私が朝ご飯作るのが楽だという切実な理由です」

「朝食は2階で取るのだったと思ったがな」


 私に言われて、そういえば2階で食べるのだったかと、自分で言いながら思い出したらしいフォリ中尉だ。だけど所詮ね、この人達って士官なんだよ? たとえ戦場でも誰かがお世話してくれる人達なんだよ?

 自炊ぐらいはできると信じたいけど、やる気になるとはとても思えない。そして上手とも思えない。


「予言しましょう、ガルディアスお兄様。わざわざ2階に行かず、ドアを開けたらすぐそこのドアである私の部屋にやってきて、あなた方は朝食を要求するのだと・・・! 大体、朝ご飯作るのだけに着替えて用意するのって面倒じゃないですか。パジャマでささっと作って、食後のコーヒー飲んでから私、朝の用意はしたいんですよねー」

「それならメイドを外注させよう」

「あ、いいです。私、メイドとかに部屋に入られるの、嫌いなんで」


 まあね。フォリ中尉もいい人なんだよ。

 だけど私はメイドを信用していない。それぐらいなら自分でやるから部屋に入ってほしくないのだ。

 

「そこは仕方ないんじゃないっすかね。ボスも自分のこたぁ自分でやれってクチだし。アレナフィルお嬢さんはしっかりしてると思いますよ」

「だけどねえ、アレナフィルちゃん。いくら大佐の友人でも男と同じ部屋というのは・・・」


 オーバリ中尉とネトシル少尉は真逆な感じだ。同じ士官でも、通ってきた道が違うからだろうか。

 やはりネトシル少尉の方がきっちりしている気配があった。

 

「俺の部屋、空いたから、どちらか一人が入ったらどうですか? その方が気楽でしょう。寝室は分かれてるけど、バスルームの使用時間とか、どっちが早いとかって」

「あ、じゃあ俺、そっちに移ります」


 バーレンが割り当てられていた部屋は無人になってしまったが、オーバリ中尉がそっちに行くと言い出した。

 まあね。寝室が別でもバスルームは一つだもん。

 どちらが先にシャワー浴びるかとか、朝シャワー派とか夜シャワー派とか、色々と悩ましい問題が出るぐらいなら、さっさと一人部屋を確保したいだろうなって分かる。

 あれ?

 そういえば私とバーレンは、そういう時どうするんだろう。

 ・・・・・・。ま、いいか。

 だって私達、遠慮なんてものなんかない間柄だし。お互いに声かけて順番に使うだけだよね。




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