17 お茶会に行った筈なのに
アンデション伯爵家のローゼリアンネから出されたことになっていたお茶会の招待状。先約があるからということで断ったものだが、青林檎の黄緑色の髪をした男子寮監にしてフォリ中尉な大公家令息により、私はミディタル大公妃のお茶会に行くことになっていた。
さすがにきちんとした服装で行かなくてはならないので、ウェスギニー子爵邸に前日から行って用意してもらう。茶会に相応しいドレスを祖母が選んでくれていた。
着替えてしまえば、なんだか良家のお嬢様という感じだ。朱鷺色をパステルチックにしたような色合いのドレスは、子供っぽいかもしれないけれど、相手が相手だけに背伸びしても仕方がない。
メイド達もみんなで色々なお茶会資料を見ながら,大公妃にでしゃばりと思われないような色はどれだろうとか、あまりにとがったデザインはまずいんじゃないかとか、それでも野暮ったいのは子爵家として恥ずかしいとか、仕立て屋さんと一緒に意見を出し合い、祖母と一緒になって悩んでいたらしい。
そこには普通のドレスと違い、大切な大公家ご令息がわざわざ母親に会わせるべく茶会への招待をさせたという複雑な事情が絡んでいた。仕立て屋にしても、身分高いご令息が気になった女の子をまず母親に会わせようとする微妙な状況下における間違いのないドレスなどあるのかと、顔を蒼白にしていたとか。
いや、別に大切な王子様を庇って前線に立ってる子爵家令嬢をよそのご令嬢から守ってもらう為だけの形だけお茶会なんだけど。まあ、そこまでメイドや仕立て屋に説明できないんだから仕方ないよね。
「さあ、お嬢様。お可愛らしいですわ。お袖にはあまりレースをつけていないので、カップを引っかけることはないと思いますけれど、首周りにレースがありますから、食べこぼしたりしたらさりげなく手で払ってくださいませ」
「思うんだけど、今度から茶色いレースにすればいいんじゃないかな。そうしたら分からない」
「ほほほ。旦那様と奥様はアレンルード坊ちゃまのお部屋にいらっしゃいますから、先にフェリルド様に見せに行きましょうね」
隠しポケットには、いざという時の為の扇子なども仕舞えるようになっているそうだ。扇子もドレスの色と合わせたもので、祖母の気合を感じる。
母親のリンデリーナが亡くなっている以上、娘の支度をする母親代わりな祖母のセンスが見られる以上は仕方ないわけで、だからこそきっちりと全てを仕立てさせた気合いが凄い。
てくてくと団欒用の部屋に行けば、父と叔父が向かい合わせのソファに座って、何やら面白そうな顔でお喋りしていた。叔父の隣にはオーバリ中尉がいるのだが、なんだかとても馴染んでいる。
「おっ、アレナフィルお嬢さん。いやあ、可愛いじゃないですか。ところで俺、以前から女の子のスカートってどうしてあんなに広がるのかなって思ってたんですけど、めくったら怒りますか、ボス?」
「そうだな。明日からずっと朝日を海の底から眺める素晴らしい休日をくれてやる。それとも今すぐみんなに祝福されて結婚式をあげたいか?」
「やめておきます。すみません」
普通に動いているからこんなオーバリ中尉が大怪我していると言われてもあまりピンとこないのだが、病院にいると例の女上司が見舞いと称してやってくるそうで、かといって自宅にいても同様らしい。
うちは避難所なのか。どこまで狙われているのだ。
「パピー。よくよく考えたら、も、行かなくてもいいんじゃないかなって、フィル、思うの」
アンデション伯爵家のローゼリアンネはあのお断りな手紙を見てすぐに親に報告し、更に従弟にあたるダヴィデアーレまで親に報告した。
その後は令嬢教育の責任者である四人の母親がどう受け取ったかということになる。
思ったよりも簡単に終わってしまったこの一件。私、大公妃のお茶会に行く理由はもうないんじゃないのかな。
「約束してしまったんだろう? 全くどうして動く前にレミジェスに相談しなかったのかな。何を自分からこの子リスさんは、虎の穴に飛び込んでるんだか」
父はのんびりと新聞を広げていたが、特に読んでいると言う程ではなかったらしい。さっと畳むと、自分の横に私を座らせてきた。
うちは子爵家だし、王子様を狙う身分の高い貴族にとっては蹴散らせる程度だと思っていた私が間違っていたのか。子爵である父は、王城勤務に異動しており、更に軍部の人間だ。その娘である私に手を出すということの方が、時にあちらのダメージが大きくなることだったらしい。
あの招待状を渡してきた四人組も、かなり親から怒られることになっただろうということだった。
「だ、だってだって、・・・ジェス兄様、守りたかったんだもんっ」
「それで自分がドツボにはまってたら意味がないんだよ。全く困ったものだ。まあ、目の付け所は悪くなかったのかな。フィルもそこまで気にすることはないよ。兄上だって怒ってはいないさ」
叔父はウェスギニー子爵家の当主代理だけど、爵位そのものを継いでいるわけではない。私はそんな叔父を傷つけられたくなかった。
子爵である父自身なら立場上なんとでも文句を言える立場だろうけど、爵位を継がない叔父が姪のことで苦情を入れるのはかなり分が悪かった筈だ。
大好きな人を守りたかっただけなの。だって叔父は兄の子供である私達を心から愛してくれている。とても優しい人だ。
「ジェス兄様は?」
「私が可愛いフィルを怒る筈がないだろう? 相談されなかったのは寂しかったけどね」
「ごめんなさい、ジェス兄様。フィル、だけどジェス兄様が苦労するより、フォリ先生、苦労させておけばいいやって思っちゃったの」
「分かってるよ、フィル。いい子だね。さあ、ルードも来たようだ。うん。どっちもよく似合っている」
見れば、ドアの手前にアレンルードが立っている。
「うわぁ、ルード。なんかそうしてると凛々しい感じがする」
「そーお?」
「うん。くるって回って回って」
「はいはい」
室内に入ってくると、アレンルードは私に手を差し出した。私がその手に自分の手を載せると、するりと立ち上がらせて、二人でくるくるとダンスするかのように回ってみる。
いつだって私達は二人でセットだから、呼吸もばっちりだ。くるくる回りながらアレンルードの上着をぺたぺた触ってみると、かなりかっちりした生地らしい。
「けっこう厚手なんだね、この上着。ルード、暑くない?」
「うん。なんか正装だと薄手すぎるのは駄目なんだって。だから上着を着たり脱いだりで調節しなきゃいけないって」
「へー」
私は女の子らしく横の髪を小さく編んで後ろに回してリボンを華やかに結んでいたけれど、アレンルードは髪を一つにまとめて金属のリングで括っていた。
アレンルードは紺色の上着とスラックスだけど、タイは私のドレスと同じ色だ。
「これこれ。行く前に汗をかいたらどうするのだ。二人共落ち着きのない」
「あ、お祖父ちゃま。見て見て、フィルのドレスね、お祖母ちゃまが作ってくれてたの」
くるくると回って見せていたら、いつの間にかドアから入ってきていた祖父の後ろには祖母がいて、何やら涙ぐんでいた。
「うむ。よく似合っている。いいか、フィルよ。ちゃんとルードと一緒にいるのだぞ? 変なことを言う前にルードに尋ねるのだ。迷子になるなど以ての外だからな」
「大丈夫っ。フィル、ちゃんとルードのお世話、したげるのっ」
「フィル、僕、フィルのとばっちりってこと分かってる? なんで大公家なんてところにお呼ばれしてるのさ。しかもエリー王子も一緒ってどーゆーこと」
「そんなの言われても、全部フォリ先生が悪いんだよ。フィル、何もしてないもん」
こういうお茶会情報というのは、それなりに出回るものらしい。
ゆえに義理の甥である王子エインレイドをお茶会に招いたミディタル大公妃が、せっかくだからお友達を連れていらっしゃいということで、エインレイドが同じ寮生であるアレンルードを誘った。そしてアレンルードは双子の妹である私を連れて行ったという流れだそうだ。
「いいですか、フィル。たとえフォリ中尉様がどれ程頼りになっても、二人きりになってはいけませんよ。ちゃんとルードと一緒にいるのですよ」
尚、うちの祖母は子爵家の娘が大公家と縁組することはあり得ないのだから失礼のないようにうまく立ち回った上でもてあそばれるような目には遭わないようにするのですよといった認識である。
そして父は、フォリ中尉がどれ程に血迷ったところで大公妃が阻止するだろうという考えだそうだ。
「あの、・・・お祖母ちゃま。心配しなくても、フォリ先生、フィルに興味ないと思う。だってどう見てもあの人、フィルを観察してるだけだし」
「いいえ。世の中には色々な人がいるものなのよ。あなたは小さくて分かっていないだけなの。いいですね? 何があろうとルード以外の殿方を信用してはなりません」
「えっと、はい。お祖母ちゃま」
たしかにあのフォリ中尉は私に興味を持っていると思う。だけど面白がっているというのが近いだろう。
ああいう手合いは退屈しているだけだ。ここにいるオーバリ中尉もそうだが、自分の力を出したくてたまらない人間っていうのはいつだって退屈を紛らわせてくれる何かを求めている。
ちょっと変わった毛色の私に興味を持って面白がってはいるけれど、興味が失せたらポイッと捨ててしまうだろう。
だけどそれでいい。変な執着をされるよりは。
「移動車の用意ができております。どうぞ」
「はぁい。じゃあ、行ってまいります。あのね、お祖母ちゃま。大公家の近くに、美味しいお菓子のお店があるみたいなの。お土産、楽しみにしててね」
「お土産など考えなくていいのよ、フィル。お願いだからおとなしくしていてちょうだいね」
「行ってまいります。大丈夫です、お祖母様。僕がフィルを見ておきますから」
「ええ、ルード。あなただけが頼りよ」
「そうだな。ルード、ちゃんとフィルの手綱を握っておくのだぞ」
「はい。お祖父様、お祖母様」
ちょっと待って。いつか私だけが頼りだと言ってくれたのは嘘だったの?
祖父母の裏切りに私はショックを受けた。
「パピー。お祖父ちゃまとお祖母ちゃまがひどすぎる」
「自業自得だ。頼るべき人間をちゃんと見極めなさい、フィル。お前が動いたことによって生じた状況を考慮して誰もが動く。それはフォリ中尉も同じことだ」
「フォリ先生が? フォリ先生、何か考えてるの?」
「彼はエインレイド王子をとても大切に思っている。フィル、別にお前が多少のことをしたところで、それで大人達の世界がどうこうなるというものではない。だから気にせず好きにしなさい。もうここまで大物ばかりを釣り上げた後は、どれも大した問題ではない」
大公家へのお呼ばれだからと、祖父母ばかりか使用人達までリボンがどうだの、このあたりのフリルがどうだのと凄い騒ぎだったが、父はのんびりと過ごしていた。
まあね。半曜日はクラブ参観で謎の貴婦人と軽食タイム、次の休曜日は大公家のお茶会となると、父にしてみれば休んだ気にならないって感じだったのかもしれないけど。しれないけどぉっ。
実は大した問題ではないのかなと思っていたが、まさかの投げ出し・・・!
「つ、釣り上げてなんかないもん」
「釣り上げているだろう。どうして男子寮でよりによって王子ばかりかフォリ中尉まで引っ掛けてきているんだ。せめて他の寮監や寮生ならどうにでもなったのだが」
「それはフィル、悪くないと思う。ルードがちゃんとお片付けできないのが悪いんだよ」
「え? なんで全くいなかった僕のせいになってるわけ?」
「もういいからさっさと行きなさい、ルード、フィル。フェリルドも本当に同行しないのか?」
「ええ。あくまでこれはエインレイド王子が仲の良い寮生と一緒に、慣れ親しんだ大公家に遊びに行くだけです。フォリ中尉もサラビエ基地にいて、本日は感動的な壮行会が行われていることでしょう」
「それならばいいのだ。大公殿下ご夫妻だけならば」
そんな会話を背中に聞きながら、私とアレンルードは手を繋いで玄関へと向かった。
お見合いだと思われないよう、フォリ中尉は全く違うところで皆に姿を見せておくらしい。
(フォリ先生、たしか寮監として男子寮にいることは秘密だって言ってたっけ)
だから一緒に出掛ける時には、先生と呼ばないように言われていた。
多分、私は身の程知らずな子爵家の娘だと、どこかでは思われているのだろう。
だけど大丈夫、いざとなれば逃げだせばいい。今はまだ子供だけど、一人でも生きていける力を身につけてしまえばいい。
(大丈夫。だって今はパピーがいる。ジェス兄様もいる。お祖父ちゃまだって味方してくれる)
貴族令嬢として生きる気がない私にとって、この状況は全く問題ではないのだ。
「行こ、ルード。ちゃんとフィルが守ってあげる」
「・・・期待してない」
ふっ、照れ屋さんめっ。
耳が赤くなってることぐらい、この私にはお見通しなのだっ。
― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―
たしか私とアレンルードは、王子エインレイドと共にミディタル大公妃のお茶会に招かれた筈だ。私の記憶が正しければ、その筈だ。
「安心したまえ、アレナフィルちゃん。ちゃんと君は妻とお茶会を楽しんでいたことになっているからな」
「はひ・・・」
きらりーんと、白い歯を輝かせて笑いかけてくるミディタル大公。たしかにフォリ中尉が年を重ねたらこうなるんだろうなって感じだ。
だけど性格が違いすぎる。フォリ中尉は何考えてるか分からないいじめっ子だが、ミディタル大公はとても明るい人だった。
柔らかな黄緑色の髪にワインレッドの瞳をしていて、体格もいいし、そのあたりには親子という相似性を感じさせるが、あれで色々と考えているらしいフォリ中尉と違い、この人はとても自然体だ。
「叔父上。アレルは女の子なんです。あまり無茶させないでください」
「だっめだなぁ、エリー。そこはアレナフィルちゃんがへとへとになったところで、かっこよく手を差し伸べろよ。そうしたら二人の間に恋が生まれるってもんだろ」
「疲労しか生まれないと思います」
そんなエインレイドの後ろでは、さすがにへばってしまったアレンルードが防具をつけたまま地面に寝転がっている。エインレッドも木剣を杖代わりにしてどうにか上半身を起こしてはいるが、地面に座りこんだ状態だ。
そして私も、手加減はされていたのでどうにか立ってはいるが、やはり木剣を杖代わりにしている状態だった。
さすがは大公家。
私達が到着した時点で個別に一室に案内され、運動用の服に着替えさせられたのだ。そして防具までつけさせられた。
お茶会だよね? なんでこれ? と、混乱していたら、何故か片手剣術の練習試合だ。大公家に所属する警備の人達が参加する試合、かなり凄かった。
飛び入り参加で胸を貸してもらった私達なんて、見事に数秒で敗退だ。
だけど言っていいでしょうか。私、これでも貴族令嬢なんです。男の子じゃないんです。なんで私まで一緒にそんなものに参加させられているのでしょう。
「ふっ、やはり筋は良さそうだったな。うん、アレナフィルちゃん。君は女軍人を目指すといい。全く片手剣術をしたことがなくてそれとは、見どころがある」
「い、いえ。私は普通に生きていきたいので・・・」
何なんだろう、この人。
そりゃ私達、まだ子供だけど。三人を相手にしてこの強さって何?
練習試合でぼろ負けした私達は、何故か大公殿下自らの稽古をつけてもらっていた。
(何故、そこで私達だけ稽古をつけてもらうことになるんでしょう。普通は勝者の権利では・・・?)
たしかに大公家を守る人達は強かった。だけどエインレイドもアレンルードも、決して弱くはないのだ。
私も片手剣術なんてよく知らないけれど、たまに試合とかなら見たことがある。だから二人共、十分に強いことは分かっていた。
私なんてついていけない速さだった。それなのにこの大公、全然ダメージどころか疲れを見せていない。
「いかんな。それはいかんよ。貴族令嬢だから夫に仕えて生きるだなど、冗談ではない。いいかね。強さは力だ。力は権力だ。全てをひれ伏させて、手に入れてこそ我が人生。そうではないかねっ」
「あ、あの、大公様。そこに、我が国の王子様がおいでになるのですが・・・」
たしかこの人、王様の弟なんだよね? そんなこと言っちゃっていいの?
「うむ。勿論、目に入っているとも。可愛いエリーをこの私が見逃すことなどあり得ん。なあ、エリー?」
「叔父上。僕の前でよりによって反逆を唆すようなことをしないでくださいって、アレル、言いたいんだと思います」
「反逆? なんだ、アレナフィルちゃんはサルートス国が欲しいのかね。はっはっは、なかなかの欲張りさんだなぁ」
「違いますっ」
私は大公が王位を狙っているのではないかと誤解されるようなことを言うべきじゃないって言おうとしたのだ。私自身が考えている筈もない。なんで私が反逆者になってしまうのだっ。
木剣に体を預けながら呼吸を整えていたらしいエインレイドだけど、その背後で、
「う・・・」
と、呻き声をあげてアレンルードが上半身を起こした。
「ほう。アレンルード君はなかなか回復が早い。いい顔つきだ。では、稽古をつけてやろう」
「はっ!? いえっ、僕っ、まだ動けませんからっ」
「諦めなよ、アレン。叔父上って相手の限界を見抜くの、かなり得意」
エインレイドは、ささっとその場を避けていた。思いっきりアレンルードを見捨てている。
これがダヴィデアーレやダヴィデアーレなら見捨てずに一緒に寄り添ったんじゃないかな。この王子様、しれっと友情の厚みで自分の行動を決めている。
「安心するがいい、少年よ。これでもガルディやエリー、そして様々な新兵卒を教育してきた身だ。本当にへばっているのか、そうではないのかぐらい、見抜く目はある。さあ、立て。行くぞっ」
「っぎゃーっ」
エインレイドの方がまだ余力はあるのではないかと思ったけれど、アレンルードは悲鳴をあげながらも、さっと立ち上がって大公の木剣をうまく受け流した。
すかさず背後に飛び退って、木剣を構える。たしかにアレンルードはまだ余力を残していたのかもしれなかった。
「そうでなくてはな。かかってくるがいい、少年よ。エリーを守れる剣となるか、見極めてやろう」
「・・・お言葉を返すようで、本当に申し訳ないんですが、僕、軍に入る気ないんですけど」
「進路変更などよくあることだ。行くぞっ」
ガキッという音が響く。
「ぐぅっ」
アレンルードの唇から呻き声が漏れた。
手加減してくれていても、大公の剣はとても重い。両手で頑張って受け止めようとしたけれど、私なんて手が痺れて木剣を落としたぐらいだ。
どんなにおおらかそうに見えても気迫と実力が違う。それに尽きる。
アレンルードは最初から片手を添えて備えつつ、なるべく避けるようにしていた。今も、凄まじくぶんっぶんっと、風を切る音を立てている剣をどうにか飛び跳ねたり、逃げ回ったりして避けながら、切りこむ隙を窺っている。
「レイド。大公って・・・」
「ああ、うん。あまり言ってることは気にしなくていいから。行動で語るんだ、叔父上って。知らない人が聞いたら簒奪かと思われかねないことはいつも言ってるけど、叔父上、その必要ない人だし」
「そーだね」
大公家のこの訓練場の地面は、いつもきれいに均してあるそうだが、同時にいつもめちゃくちゃになるのだとか。そうかもしれない。なんか私達と片手剣術の練習試合していた人達も、凄い動きだったし。
別に防具をつけているから怪我はしないんだけど、あの重い剣を受けたら思いっきり飛ばされてしまうのだ。めっちゃ怖い。
あの人、力だけで十分世界を取れるよ。
「もしかしてお茶会に招かれたという私は本気でオマケで、ルードが本命だったのでしょーか」
「そうじゃないの? だって寮監の仕事にかこつけて全校生徒の体育系の成績表とか、スポーツ系クラブの主力メンバーとか、そっち調べてたし。アレンなんて毎朝、格闘術習ってるでしょ。大体、取り巻き候補だの恋人候補だの言ってられる人って、暇なんだよ。国を守ることができる人材しか見てないんだよね、本当に国を動かしている人ってのは」
「やっぱりそうでしたか」
確認してはいないけれど、大公は恐らく虎の種の印を持つ人だ。
(父と息子が虎の種ということは、大公妃の血液型って・・・)
ふと思い返しそうになったけれど、私はぷるぷると頭を振ってそれ以上を考えないようにした。
だってそんなこと意味がない。
「ま、参りましたっ」
「うむ。では少し休憩するがいい。さあ、エリー、そして少女よ。十分に休んだであろう。かかってくるがいいっ」
「ええっ!? もう終わりじゃなくてっ?」
「何を言っているのだ、エリー。そんな軟弱者に育てた覚えはないぞ。行くぞっ」
「うわああっ」
「きゃあっ」
二人を相手にして、ぶぅんっと凄い風圧を起こせるこの人、どこまで元気すぎるんだよ。
「おおっ、アレナフィルちゃん、見事な跳躍だなっ」
「レイドッ、ここは両側から攻めましょうっ。真正面からやるのは無理ですっ」
「分かったっ」
これはアレだ。大公の正体は、地面に沈めない限り動き続けるという神話の岩石兵士に違いない。
私はエインレイドと同じタイミングで打ちかかることにした。
「やああっ」
「とうっ」
「甘いなっ。そしてタイミングも合ってないっ」
先に踏み出した大公の木剣がエインレイドの木剣を跳ね飛ばしたかと思うと、返す振りで私の木剣が飛ばされる。やはり腕力の違いだ。一緒にとびかかってもエインレイドの方が私より速く、そのわずかなタイミングの違いを大公は見逃さない。
「ったーっ」
「いたっ」
「まだまだ。さあ、木剣を拾うのだ、二人共。稽古はこれからだぞ」
「は? 叔父上、もう夕暮れですけどまだやる気ですか? これで終わりなのでは? たしか夜には予定があると・・・」
エインレイド、よく言った。
「おう、そうであったか。仕方がない。では汗を流して着替えなさい。出かけるまで、今の海外情勢の話をしてやろう」
「・・・ありがとうございます、叔父上」
いい子だ。エインレイドは本当にいい王子様だ。ちゃんと叔父夫妻の予定も把握していたらしい。
シャワーを浴びて普段着に着替えたら、ちょこっとだけ雑談した大公は立派な服を着てどこかに行ってしまった。
「皆様、お腹が空いておいででしょう。少し早いですが、食堂までおいでくださいませ。奥方様も本当は今日を楽しみになさっておいでだったのですが・・・」
結局、早めの夕食をということで食堂に案内されたけど、肝心の大公妃を見ることがなかった。
いいのか、これで。お茶会、どこに行った?
「ねえ、ルード。大公家の晩餐で、大公家の人が全くいなくて子供達だけって本当にいいと思う?」
「よくないかもしれないけど、エリー王子いるし。それに僕、お腹空いた」
「気にしなくていいよ、アレル。僕、よくここに来てるけど、いつもこんな感じだよ。叔父上、自由に生きてる人だから」
そうなのかもしれない。
大公家の邸だというのに、エインレイドはまさに実家の如く慣れ親しんでいた。大公家のお坊ちゃまと言われても信じられる馴染み具合だ。
「これで本当にお茶会に呼ばれたことにしていいのでしょうか」
「ああ、いいんじゃない? 練習試合でアレンとアレルの相手してくれたのが叔母上だし。あの後、ほら、練習試合ってかなり入り乱れてたからね。疲れて休んでいるか、もしくは叔父上と出かける用意してるか、そんなもんだと思うけど」
「・・・そうですか。何の為に私、お茶会の作法を叩きこまれてきたんでしょう」
ウェスギニー子爵邸が悩みに悩んで選んでくれたドレス。
祖母よ、大公妃が見てくれたのは防具をつけた私の姿でした。
「気にしない方がいいよ、アレル。大公妃ってあまり夜会とかにも出ないし、公的な行事でない限り顔を見ることないって言われてるんだって。だけど知ってる人は知ってるから。叔父上の横で武器持ってるのが叔母上だって。おかげで僕も片手剣術、叔父上と叔母上に教わったのは普段の練習で出しちゃいけないから苦労するんだよね」
「たしかに、あれは片手剣術じゃなくて、まさに人を殺す剣でした」
アレンルードがぶるりと身を震わせる。狙われ方にそれが現れていたそうだ。
「アレンはかなり見込まれたんだと思うけど? 僕にはいざという時に身を守れるようにって、叔父上はそっちを教えてくるけど、アレンにはどこまでも稽古をつけてたからね」
「そうでしょうか」
稽古中、エインレイドはアレンルードへのそれとの違いに、大公の期待を見ていたらしい。
アレンルードは何でもないことのように会話しているけれど、本当はあの強さに惹かれていると、私には分かった。
(だけどルード。できれば戦う人になってほしくない。結局は危険なんだよ。パピーだって、今までは無事だったけど、いつまでも無事とは限らないのに)
一番身近な虎の種の印を持つ父は、その気配をほとんど抑えきっている。だからアレンルードは影響されることもないけれど。
「どうしたの、アレル? 食欲がない?」
「いえ、ちょっと考えてたんです。大公殿下とフォリ中尉、親子だからお顔とか体格とかってよく似てるじゃないですか。だけど性格はあまり似ておられないなって」
うちの子爵邸も広いけれど、大公邸の敷地の広さと建物の大きさは桁違いだった。しかも訓練場で体を鍛えている人達とは別に、違う任務に就いている人達もいて、総力は凄まじいらしい。
それだけの兵士達を率いるミディタル大公。貴族の屋敷というよりも軍事基地にさえ思える設備。
「ああ。ガルディ兄上、父上と叔父上を見て育ってきたからじゃない?
叔父上ってばあの言動で、よく国王の位を狙ってるんじゃないかって誤解されやすかったらしくて、ガルディ兄上、苦労してたみたいだよ。父上は叔父上の性格をよく知ってるし、そういうところが気持ちがいいって兄弟仲はとてもいいんだよね。だから父上は面白がって笑ってたらしいけど、周囲はそう思わなかったみたいだ。
おかげでガルディ兄上、僕に何かと、お前だけはちゃんと普通に言葉のやり取りをできる子になれって言ってたっけ」
「まさかの苦労人だった・・・!」
色々な家族の秘話があるものだ。
今度会ったら少しは優しくしてあげようと、私は思った。
― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―
平日の朝は早めに学校に来て、マナーレッスンだ。
「いつもはキレのある動きが、まるで錆びついたからくり人形ね、アレルちゃん」
「大公殿下のしごきが凄くて・・・」
「お茶会じゃなかったの?」
「お茶会に行ったつもりが、何故か片手剣術の練習試合で大公妃殿下に木剣を叩き落とされ、その次に大公殿下の稽古を頂戴しました」
「大変だったのね。無理しないで、今日は休んでいらっしゃい」
「ありがとうございます」
筋肉痛に悩める体がどこまでも辛い。
これはもう優雅な動きも何もあったものではないと、ただの朝のティータイムとなった。
元はと言えば大公家への訪問で失礼がないようにと始められたマナーレッスン。その大公家でティーカップを優雅に口元へ運ぶ予定が、何故かグラウンドで水道栓から水をがぶ飲みしていた。
レッスンの成果はどこに行ったのだろう。
「つまりアレルちゃんはミディタル大公家の秘密を知ってしまったのね」
「え? 秘密なんて全く知りません」
「あのね、アレルちゃん」
「はい」
貴婦人(推定王妃様)は深刻そうな面持ちになり、紺色の瞳で私を見つめてくる。今日は青紫の髪だが、よくよく考えたらこれはエインレイドが使っているあの髪のペイント剤と同じものではないのか。
いやいや、気づかなかったことにしよう。
「ミディタル大公妃はね、大公の束縛と愛情が激しすぎてなかなか社交にも出てこない深窓の妃ということになっているけれど、その実態は大公の一番近くで檄を飛ばしているという、まさに影にして一心同体の存在なの。それこそ、こんな所で無防備な女性士官がいると思って襲おうとした恥知らずな人達を全て死体に変えたという話よ」
「噂話だろうと言いきれないぐらいに、お強い方でした」
片手剣術の防具は全身に装着するので、男女の差が分からなくなるのだ。だから私もあれが大公妃とは気づかなかった。
「でしょうね。だけど大公は陛下の弟君。危険な戦場の前線に行かせるわけにはいかないの。本当に、いつか実力行使しそうで恐ろしいわ。まだ訓練をつけることで我慢してくださっていればいいのだけれど」
私の勘が当たっているなら義理の弟にあたる筈だけど、本気で案じているように見える。
本当に仲がいいんだなって思った。だからエインレイドがあんなにも優しい王子様に育ったのかもしれない。
「あれだけの強さがあって、本当に実戦に出たことがないんですか?」
「どうかしら。陛下が知らないだけで出ていたりもするのかもしれないけれど、ご自分の立場はよくお分かりの方だもの。無茶はしていないと思うのだけど」
「あの、・・・多分、あの方、かなり実戦慣れしてると思います。そうでなければ、エインレイド王子様に、あそこまで身を守るやり方を教えられません。卑怯だろうが何だろうが殺しにかかってきたり、後遺症のことなど考えずに害そうとしてきたりするやり方を知っていればこそ、それを防ぐ手段を教えているんだと思います」
父もそうだが、ミディタル大公は虎の種の印を持つ者のそれを使いこなしていた。あれは命のやり取りをしていてこそ身についたものだと思う。
「そうなの?」
「はい。どういう場所に人が隠れているものか、そして襲われた時にはどういう角度から相手の急所を狙うかを、エインレイド様は教えられてきたそうです。もしかして大公殿下、かなり暗殺されようとすることにも慣れておいでなのでは?」
「まさか。いいえ、そんな危険なこと・・・。ああ、だけどあり得そうだわ。どうすればいいのかしら」
エインレイドがちょくちょくと稽古をつけてもらっているのは知っていても、この貴婦人はどんな内容かを知らなかったらしい。
暗殺されかけても自力で阻止する方法を教えてもらっていたことに感謝すればいいのか、それだけ息子が危険なことに巻き込まれる恐れがあるのかと、顔を蒼白にして取り乱しかけた。
だけど今までそんな危険なことに巻き込まれたという報告は受けていないそうだ。
「虎の種の印を持つ人なんてそういうものですから。普通の人の危険が、ああいう人達には危険じゃないんです」
「そうかもしれないけれど。・・・あら? 大公様が虎の種って、教えたかしら?」
「あの強さを見れば、誰もが気づきます。うちの兄も肌で強さを感じたって、後で腕をさすっていました」
「まあ。そうだったの」
この貴婦人は大公が強そうだなと思うことはあってもそれぐらいらしい。いつも明るくおおらかな大公なので、そっちのイメージが強いそうだ。
「はい。兄では到底敵わないので、余計に悔しかったみたいです。経験値も覚悟も違うから仕方ないんですけど。私なんて早々に脱落しました」
「私なんて脱落する前に参加しようとも思わないわ。アレルちゃんは勇敢ね」
「拒否する暇がありませんでした」
大公家に到着したと思ったら、部屋に案内されて侍女達に着替えさせられて連れていかれた。
あれのどこにイエス・ノーを答えるタイミングがあったのだろう。
そんな私に、貴婦人は気の毒そうな表情を向けてきた。
「あのね、アレルちゃん。普通の令嬢は着替えさせられて防具を身に着けさせられた時点で半狂乱になるんじゃないかしら。そこでまずはやってみようとするから、稽古するところまで行ってしまったと思うのよ」
「・・・え?」
なんということだ。
もしかして私こそがどこかで対応を間違えていたのだろうか。
「いくら何でも、本当に木剣を持てない女の子に持たせようとする筈がないもの。うちの娘だってそんなことさせられなかったわ。アレルちゃん、あなた、実はかなり好戦的なのじゃないかしら?」
「・・・え?」
この私が、好戦的、・・・ですと?
争いを好まず、いつだって人の為に尽くしてきた、この私が?
「あら? アレルちゃん? 大丈夫? しっかりしてっ、アレルちゃん?」
「・・・す、すみません。ちょっと衝撃が大きすぎて」
昨日のミディタル大公の木剣は私にかなりのダメージを与えていた。
だけど最後のとどめを放ったのは、まさに木剣など触ったこともありませんという貴婦人(推定王妃様)だったのである。
言葉の刃が、とても突き刺さりました・・・。
― ◇ – ★ – ◇ ―
そんな感じで月日が過ぎれば、いつしか私も立派な貴族令嬢としてのマナーを身につける。
そうして夏の長期休暇がやってくることになった。
「レイドはどこか行くんですか? 夏の長期休暇って、家のペンキ塗りとかお庭造りとか、そういうのを楽しむ人も多いんですよね」
「アレルは旅行に行くんだっけ。僕も行きたいけど、あそこは貿易港があるよね。そういう所に近づいちゃ駄目なんだ。帰ってきたら、土産話を聞かせてね」
「え? どうして貿易港に近づいちゃいけないんですか?」
夏の長期休暇が始まったら、バーレンと一緒に、フォリ中尉が手配したアパートメントに出かける予定な私は、とても浮かれていた。
だってあそこの港はファレンディアとの交易船が到着するのだ。つまり旅客船のことも調べられる。
まだ大人になってないから行けないけれど、そしてお金も貯めなきゃいけないけれど、それでも情報を集めておきたかった。
そんな私に、エインレイドは困ったような顔で説明する。
「つまり、何かあって国外に誘拐されたら終わりってことだよ。だから僕は行くわけにはいかないんだ。ガルディ兄上は、十分に自分の身を守れるけれど、僕はまだ弱いからね」
「・・・あそこまで強くても駄目なんですか」
「ルールが決まっている剣術が強くてもね」
寂しそうなエインレイドは、自分の立場をよく分かっているのだろう。
言われてみれば誘拐犯は試合をするかのように向かい合って合図と共に始めてくれはしない。だからミディタル大公は甥に実戦形式を教えるのだろうか。
「そんな顔しないでよ、アレル。それにこの間、僕の誕生日会、フォリッテリデリーでやってくれたじゃないか。面白かったよね」
「そうですね。お店の中が凄い騒ぎでしたけど」
紫光月はエインレイドの誕生月だ。私とベリザディーノの誕生日のお祝いは、フォリッテリデリーやその周辺の施設を恐る恐る使ってみるかんじだったけれど、三回目となれば慣れたもので、割増料金を払えばデザートをケーキへ変更してもらえるかを聞いたのだ。
すると快く了解してくれた上、店員がお誕生日の歌を歌ってくれた。すると、客のみんなも歌ってくれたから一緒に私達も歌った。
なんか音痴な人も紛れていたけれど、それが楽しかったらしく、エインレイドにとってはとても心躍る思い出になったようだ。
「ディーノやダヴィとも、試合を見に行く約束してるしね。・・・だけどさあ、アレル。クラセン先生って、本当に奥さん連れて行かなくて大丈夫なの? 普通、こういう旅行の時って、夫婦は一緒に行くものじゃないの?」
「思うんですが、きっと普段からクラセン先生の横暴にむかついてたんですよ。きっと留守の間に離婚の用意をするんですよ」
「・・・クラセン先生、旅行に連れて行かない方がいいんじゃないの?」
「私にできるのは、クラセン先生の毒牙にかけられた哀れな女性を救うことだけなのです」
冗談だけど。
元々が共働きの二人だけに、夫がいない日々をゆったりと過ごしたいんだろうなって、本当は分かっている。
だって私が手配した全身美容サービス付き宿泊チケット、喜んでたし。
『ありがとう、フィルちゃんっ。これ、フィルちゃんからもらったものなんですってっ? 本当にいいのっ?』
『私ももらったものなんです。だけど私、子供だから全然嬉しくなくて・・・。レン兄様なら姉様に渡してくれると思ったから。それ、聞いたらとっても評判いいみたいなんです。たまには家事なんて忘れてのんびりしてください』
あれ、三食付きで、しかも空いた時間はプールとか使えるし、まさに女性が美しくなる為だけに特化した宿泊施設なんだよね。それを20日分。
そりゃあ海辺の街に行って潮風で髪を傷ませるよりも、のんびりと有閑マダムを楽しみたいよ、女なら。
アンデション伯爵家のローゼリアンネが迷惑をかけたということで、何故かダヴィデアーレのグランルンド伯爵家がお詫びの品を送ってこようとしたので、その必要はないのだと固辞し、結果として無料宿泊券20枚を頂いた。
なんでもグランルンド伯爵家が出資している施設なのだとか。
「いいけどね。アレンは行かないんだって?」
「そうなんです。そんな所行っても面白くなさそうだとか言って。祖父の家で過ごす予定だから、もしかしたら叔父と領地に戻るかもしれません」
「そっか。最近はちょっと仲良くなれたんだけど、やっぱりアレン、なんか距離があるんだよね」
「後から離れていくより、最初から近づかなければ裏切ったと思われずにすむからじゃないですか?」
「・・・え?」
生意気で態度がでかいアレンルードだけど、本当は優しい子だ。私よりも立場や状況を分かっているだろう。
「所詮、子爵家の兄だから、仲良くなってもいつかは距離を置かなきゃいけないじゃないですか。その時にレイドが裏切られたとか、嫌われたとか思ったりするのは嫌だなって思って、だから最初から近づかないんだと思います。それでも兄はレイドのこと、ちゃんと目の端で見てると思います」
「そっかも。うん、そうだね」
エインレイドが少し照れた感じで微笑む。うん、可愛いな。
きっとアレンルードが自分を嫌ってるわけでもなさそうなのに、だけど距離を縮めることができなくて、エインレイドも悩んでいたのだろう。
(やっぱりさあ、少年時代ってのはこうあるべきだと思うんだよね。変態はいかんよ、変態は)
そんなことを思いながら、私はかつての自分の姿を脳裏に浮かべた。
二十代になれば、私もあの無料宿泊券を嬉しいと思えたのか。
(一体、何を考えてグランルンド伯爵家はあんなチケットを渡してきたのか。うち、母はいないのだが。祖母に渡せという意味だったのか? だけどどう考えても女性専用チケット。でもって女の人が長く家を空けようものなら浮気だって思われる流れじゃないの?)
何より私、まだ14才。
産毛を全て抜かれるのを嬉しいって思う年じゃない。全身の脱毛だの、お肌のツルツル処理だのって言われてもね。
化粧までしてくれるそうだけど、私、まだ14才。
だからファレンディアへの手紙の件では、色々と世話になることだしと思ってバーレンにあげた。まだ返事は来ないけれど、それは仕方がない。届くのにも日数がかかるし、あちらだって返事を書くのもすぐではないだろうし、更に返事が届くのも日数がかかる。
そしてバーレンは妻に、
「フィルちゃんにもらったんだけど、友達と行けば? 20泊できるから、四人で行けば五泊できるよ。一泊三食付きだ」
と、渡した。
バーレンの妻は、夫と共に海辺の街へ行ってバイトしながら安く本をゲットするよりも、20泊を一人で使うことを選んだ。
私はこの事実を墓場まで持っていこうと決めて、バーレンにも口止めした。絶対に自分の母親、つまりクラセン夫人にはあのチケットの存在を言うなと、もう忘れるようにと、くどくどと言い聞かせたのだ。
嫁にも感情というものがある。そして姑にも感情がある。
男はこういう時、「同じ女同士なんだから一緒に行けばいいのに」と、思うだろう。だが、それは考え無しというものだ。
母に対して妻は仲良くすべきだという意見を言う夫は、まず自分が妻の父親と一緒に旅行に行って楽しむことをクリアしなくてはならない。
妻の父親と二人きりだなんて、気づまりなだけじゃないかと言うのであれば、それは妻にとっても同様であることを忘れてはいけないのである。
え? うち?
ああ、ファレンディアの父はよく母の親と一緒に楽しく過ごしていたけどね。
そして金になりそうなものを持ち帰ってたんじゃなかったかな。
才能はある人だったけどね。
だけど私はアレナフィルとして生きるようになるまで、父親を好きになれるだなんて思ったこともなかった。