12 お誕生日会
アレンルードは、いつの間にか私がエインレイドといることを知っていたようだ。
それなら先に言ってほしい。人を試すだなんて卑怯だ。
今度はちゃんと外泊届を出したらしいけど、半曜日に帰宅して、ローグやマーサと仲良く夕食を食べて、二人がいなくなるまでは普通だった。それはたしかである。
「あれ、ルード。なんでそんなの着てるの。ちゃんとアライグマパジャマ、置いておいたのに」
「いいだろ、別に。それよりフィル、ちょっとおいで」
だけど上下一体型のピンクウサギなパジャマ姿の私を自分のベッドに連れこんでからのアレンルードはちょっと怖かった。
いつの間に、そんな部屋着にもパジャマにもなるという木綿素材のシャツと半ズボンといった組み合わせを覚えたのだ。私はそんな子に育てた覚えはありませんよ、アレンルード。
「ルード、きっと茶色いパジャマ、似合う。ね?」
可愛い君がいいのだ。そんな男の子っぽい服のチョイスはしなくていい。さあ、ツナギ型アライグマパジャマを着よう?
それなのに青いシャツと水色のストライプ半ズボン姿のアレンルードは、聞く耳を持たなかった。
「ねえ、フィル? 僕は君の双子の兄だって分かってる? 今なら許してあげるから、秘密があるなら話した方がいいと思うな。ね?」
自分と同じ顔なんだけど、だから可愛いんだけど、その表情は何なのだ。すぐにむくれてブーブー言っていたアレンルードに何が起きたのだ。
怒っている。とても怒っている。滅茶苦茶怒っている。私には分かる。
(許してあげるって、このオレ様坊ちゃん。どこまで兄というのが偉いと思っていやがる)
仰向けになった私の上で、玉蜀黍の黄熟色の髪を掻き上げ、にっこりと笑うその針葉樹林の深い緑色の瞳は、決して笑ってはいなかった。
そこがいつでもセクシーな甘さを忘れない父との違いだろうか。スマートに甘い叔父とも違う。
父が微笑みながら冷たい光を濃緑の瞳に宿すのならば、その息子は熱い闇を瞳に宿すのかもしれない。可愛らしい顔をしているくせに、もう一気に暗黒に落ちそうな危うさがアレンルードにはある。
父のフェリルドなら誰かを蹴落としても自分は落ちないだろうに。
「えーっと、ルード。フィル、秘密、いっぱいある」
「うん。だけど僕が知っておかないといけない大切な秘密、あるよね? 僕に言わせる? それとも自分から言う?」
これは今からキスするのですかと言いたくなる程に密着している双子の兄の微笑みが愛らしすぎて、倒錯的にも少女に迫られているような気になる。
だけど少女ならこんな表情はしない。肉食獣のような凶暴さがどこかに滲んでいる。
ああ、これは私に禁断の恋に落ちろということなのでしょうか、神様。
(どうすればいいの。私には選べない。大人の色気たっぷりでたくましいパピーと、可愛らしさの中に頼もしさもあるやんちゃなルード。どっちも違う魅力じゃないのぉっ。ルードは手懐けて愛でるからいいのにぃっ)
可愛らしさに騙されてはいけない。これでアレンルードはとても無駄のない筋肉をつけているのだ。父が完成された肉体なら、兄はこれから完成に向かって伸びていく肉体。
こんなタイプの違う魅力を一人で堪能していていいのだろうか。うん、いいに違いない。
あと少し動いたら唇が触れてしまうという距離で見つめあう私達を、保護者はもっと案じるべきだ。
「ルード、おめめ、綺麗」
「うん。フィルと一緒だけどね」
こんなにも間近で見つめあうと、口説かれているような気になる。場所はアレンルードのベッドだしね。
可愛い笑顔なのに、さりげなく私を逃がさない四肢の配置が見事だな、お兄様。
これで赤の他人ならば、まさにいかがわしいことこの上ない。
「で、言わない気? 僕の手下のくせに」
誰が手下だ。オレ様坊ちゃんはこれだから困るんだ。泣かしちゃるぞ、このガキ。
そんなことを思っていたら、いきなり顔が横にそれたかと思うと、かぷっと耳をかじられた。
「ルーッ、ルードッ、何してるのっ」
「何が? フィルは僕のなんだよ? 何を慌ててるのさ」
なんでもないかのように耳元で囁かれる声はとても低い。不機嫌もいいところだ。
やばい。これはやばい。何がやばいと言えば、まさにやばい。
悪魔が降臨している。自分のものを誰かと分け合うだなんて金輪際ごめんだねという、あの悪魔が。
生意気なくせに妹ラブなアレンルードは、そんな妹が大好きだと言って素敵だと褒めるのは自分だけでいいと思っている。父や叔父にはまだ勝てないから諦めているだけだ。
「フィルッ、王子様と一緒にお勉強してるっ。クラブも作ったっ」
「・・・はい、よく言えました。お利口さんだね、フィル」
よしよしと頭を撫でてくる口調は、一気に優しくて明るいものとなった。頬にキスしてくれてもいるが、これはさっきと違って健全モードだ。
言わなかったら何をされたのでしょう、お兄様。
私は自分と同じ顔の兄と禁断の恋愛関係に陥る気はないのですが。
(これ、私から言い出すのを待っていたらいつまでも言わないってんでキレたな)
思えばこのところ妙な感じではあった。
――― フィル。髪ゴムちょうだい。なんかなくした。
――― あ、ルード。もうなくしちゃったの? あれだけ持っていってあげたのに。
――― 先輩とかとやってるとどうしても外れるんだよ。もう髪切りたい。
――― 諦めなよ。なんか男の子のデビューで切るって聞いたよ。何なら編み込みしてあげる。
――― やだよ。サンキュ。
私の髪ゴムを強奪していく時も、周囲にエインレイドや他のクラブメンバーがいない時に現れて、そうして髪ゴムを受け取ると去っていたのだから。
きっと私が一人になる時を見逃さずに接触していたのだろう。
(あれが遠回しな催促だったのか。自分から言ってこいという意味だったのか。なんでこう粘着質かな、この子も)
これはもう、甘えっこな妹モードで行くべき事件がここで起きている。明るい口調になったからと言って騙されてはいけない。
今、アレンルードは、双子の妹が学校でボーイフレンドを作ったというので激しくおかんむりだ。
どれだけの男の子が周囲にいようと、やっぱりアレンルードが最高、大好きよという妹でないと許せないのだ。
「大体っ、ルードが悪いんだもんっ。フィル、ルードと間違われてこーなっちゃったんだもんっ。ルードがちゃんとお片付けとお洗濯、できていればフィル、王子様と会わなかったのにっ。今度は、ルードがフィルと入れ替わって、王子様とお友達になるっ」
あくまで私は悪くないのだ。全てはアレンルードのせいなのだ。
妹は兄の為、こういうことになったのだ。
そういうことにしてぽかぽかとアレンルードの肩を叩きながら文句を言えば、やはり機嫌がすぐ直る。
「あー、はいはい。じゃあ聞かせてよ。全くもう、フィルはすぐすねる甘えん坊なんだからしょうがないなぁ」
アレンルードは私を抱きしめて横にごろんと転がった。
私もつられて横向きになるが、同じ顔立ちなのに私達は浮かべる表情が違いすぎる。
「甘えん坊じゃないもん。フィル、ルードのせいで大っ迷惑っ。だけどフィル、とても頑張った。だからルード、責任とってっ。王子様とお友達になってっ」
そうだよ、それでパーフェクトだよ。
王子様の周りに伯爵家令息二人と子爵家令息一人とマルコリリオでいい感じじゃない? 王子様の恋人なんて一人だけの枠だから熾烈な競争が発生するけど、友達なら何人いてもいいよね?
「僕のせいにしないでくれる? しかも何なんだよ。他にも男ばっかり増やして」
「それも私、悪くない。悪いのは、学校長先生」
「何なのさ、それ」
私もアレンルードの全くもって細身で骨格も出来上がっていない体に抱きついて、頬ずりすれば、・・・うむ、これはこれで脂肪を感じさせない肉体だ。完成された父と比べてはいけないが、青いなりに将来性が期待できる。
まだ子供だけど、見かけに騙されてはいけない肉体だ。
「ルードが男子寮、行かなければよかったんだよ。そしたらフィル、平和に過ごせたもん」
「いくら何でも変装してる王子とフィルが一緒の行動してることに、僕は無関係だ」
その通りだ。だけどここは愛されている妹バージョンでいく。そう決めた。だから妹のことは全て兄の責任である。
しょうがないなぁと言って私を守る役を譲らないのがアレンルードなのだから。
(ふっ、ルードよ。ジェス兄様も虜にした、すりすり攻撃に敗れるがいいっ)
お互いにぎゅーって抱きしめて、えへへと笑い合えば、結局私達はとても仲良しな双子だ。心だって穏やかになっていく。
「えーいっ、すりすり攻撃っ」
「受けて立つっ」
お互いの頬をこすり合わせて、左頬にキスし合って、それから反対側の頬をこすり合わせて、右頬にキスし合う。
そして鼻先をつんつんと合わせれば、仲直りは終わりだ。
私達はいつだって裏切らない。守りあえる。そう信じられる存在がここにいる。
アレンルードは私を愛している小さな戦士だ。そして私もアレンルードを導く守護天使なのだ。
「ルード、お体、ぴたぴた。柔らかくない」
「フィルは柔らかいね。もう少し運動しなよ」
「ほっといて。フィルは、これでいいの」
「いっけどね」
他の双子もこんな感覚を抱くのだろうか。こうやって安心できるのは、絶対に自分を傷つけないと分かっているからだ。
私よりも高い体温。一緒にいれば何も怖くない。父と違って自分と同じくらいの体格だからぎゅっと力強く抱きしめ合える。
そこへ真上から呆れたような声が落ちてきた。
「何をやってるんだ、お前達は。まだ一人で眠れないのか、ルード?」
「あ、パピー。パピーもお帰りなさいのぎゅーっ。聞いて、パピーッ。大変なのっ、ルードがフィル、食べちゃうっ」
「父上。お帰りなさい」
「ああ、ただいま。ルード、仲がいいのは結構だが、ちゃんとドアは閉めておきなさい。食べるならフィルじゃなくて、普通のお菓子があるだろう。外泊届は出してきたんだろうな。フィルもルードならいいが、男の子のベッドに入りこむものじゃないんだぞ」
それでも私達を両腕で抱きしめて、私とアレンルードの額にキスしてくれる父はとても素敵だ。なんといっても黒にしか見えない濃紺の軍服がとても似合っていた。金ボタンも父の色気を引き立てている。
ああ、やっぱり兄も悪くないけど父の方がいい。
「ルードは特別っ。パピーとジェス兄様とルードはいいのっ」
「閉めるも何も、どうせ僕とフィルしかいないし、帰ってくるのも父上だけじゃないですか。それに父上、聞いてください。フィルったら、勝手に男子生徒ばかりに囲まれてるんですよ。何なんですか、一体」
平民しかいない幼年学校と違い、王侯貴族が通う上等学校に入学してからアレンルードは言葉遣いをちょっと改めるようになった。
だけどうちの父ってそういうこと気にする人なのかな。別にまだまだ女の子みたいに可愛いんだし、大人っぽい言葉遣いはもっと大きくなってからでいいと思う。
「フィル、悪くないもん。パピーだって知ってるっ」
「何だよそれ。僕だけのけものだったってこと?」
「ルードが悪いんだもんっ。ルードがいないから悪いんだよっ」
「男子寮であったことなら僕に言うべきだと思うんだけど?」
「ルードの意地悪っ」
「フィルのあんぽんたん」
父は大きな溜め息をついた。
「もう仲良く寝なさい。私もシャワーを浴びて寝る。喧嘩するなら起きてからだ。・・・ルード、一人で考えて偉かったな。お前の男としての名誉はどうあれ、よくフィルを守った。フィルも、ルードはお前を愛しているよ。ちゃんと優しくしてあげなさい」
ぽんぽんと私達の頭を撫でると、父が部屋を出ていく。
「何かしてくれたの、ルード?」
「さあね、知らない」
赤くなってよそを向くけど、これがアレンルードの可愛いところだ。
なんだかんだ言っても私のことが好きすぎて、見えない所で動いてしまったんだね。
「ずるいっ。パピーとルードだけ分かり合えてるっ。フィルだけのけものっ」
「知らないよ、そんなの」
アレンルードのお腹に馬乗りになって、
「仲間はずれ、いけないんだからねっ」
と、言ったら、アレンルードも笑って位置を入れ替えてきた。
こういう時、私達はお互いに仲良くごろんごろんとベッドの端まで行ったら向きを変えて落ちないように反対側へとごろんごろん転がるのがお約束だ。
きゃいきゃいと抱きついてはくすぐったり頬擦りしたりして、いつだって私達は仲良しなのである。
そんなことをやっている内に、私は父の立てる浴室のドアの開閉音などを聞きながら眠ってしまった。
結局、父はドアを開けっぱなしだったからだ。
ここは安全だ。家には父がいる。傍には兄がいる。
『・・・父上、だから・・・』
『・・・・・・こんなフォトを・・・』
夢うつつに何か喋っているような気配がしたけれど。
私はいつの間にか眠っていて、起きたらそこは父の寝室で、父と兄におはようのキスをされた。
両手に現在と未来のいい男。うん、悪くない。
― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―
毎年、私達のお誕生日は家族だけでお祝いする。だけど今年はお客さんもいると、ふらりとやってきた叔父に言われた。
「お客様? ジェス兄様、お仕事の人?」
「仕事というよりも個人的な知り合いかなぁ。ちょうどその日、あちらも予定が空いていたらしくてね」
リビングルームで肘掛け椅子に座った父は、私を膝の上に座らせていたが、叔父はアレンルードと並んでソファに座っている。
叔父の服装を見て、お揃いの服に着替えてきたアレンルードだ。
緑と黒のストライプ模様のスポーツ用シャツのお揃いはともかく、茶色い長ズボンまで一緒じゃ、「若いお父さんですね」か、「年の離れたご兄弟?」だ。
(なぜ父親とのペアルックはしないのに叔父とはするのだ。パピーが拗ねても知らないぞ)
以前から思っていたが、祖父も父も叔父も年齢より若く見えるタイプだ。一定時期から加齢が緩やかになる遺伝子でも入っているのではなかろうか。
どうやら叔父は、一人でお留守番しているであろう私を連れ出してくれるつもりだったようだ。父と兄が在宅していたから、それならゆっくりしてもいいかと思ったらしい。
だけど目の前で息子を弟に取られてしまった父は何を感じているだろう。
「パピー、パピー、大変っ。ルードがジェス兄様とおそろいっ。パピーもフィルとおそろいの服、着なくちゃっ」
「断る。うちのお姫様は一人でいいからね」
父はシンプルな水色のシャツにダークグレイのズボンといった休日ならではの服装だったが、私はアレンルードの選んだ黄緑色の地に、黄色と水色のチェック模様が入った、ボレロとセットのワンピースである。髪も後ろで黄緑色のリボンを結んだ。
(妹への独占欲マックス状態が凄すぎる。どうして男の子って姉妹への執着がおかしいんだろう)
いや、なんかもう、アレンルードが「これ」って選ぶものだからおとなしく着るしかなかったよ。アレンルードは私にひらひらふわふわしたものを着させたがる。
クラブを立ち上げたのはともかく、他のメンバーが男子生徒ばかり、しかも王子と一緒とは何事かと、兄は思っていたようだ。そして父から全てを聞いてしまった。・・・兄の不機嫌さが凄まじい。
そういう時は父の所に避難だ。私はアレンルードが逆らえない人を間違えない。
「これ、ルードが選んだ」
「よく似合ってるよ、フィル。それでレミジェス。結局、父上は招待状を出したのか」
「先に連絡しておきました。これから招待状を出します。仕方ないので、皆様にはもう軍服で来てもらった方がいいのではないかと思っていたぐらいです。どうしますか、兄上?」
すると父は私を見下ろした。
「どうしたの、パピー?」
「いや、フィルは軍服が好きだなと思ってな」
「うん。パピー、とっても素敵。ジェス兄様もね、あのえんじ色がかったのが華やかで似合うの。あ、勿論スーツもいい。だけどその時は、ちょっとタイに気を遣いたい」
「父上。真面目に受け取らない方がいいと思います。フィルは道で軍人が通りすぎても無視してます。軍服着てたらいいわけじゃないと思います」
「パピー、ルードがいじめる。ルード、きれーなお姉さんに、洗濯物も出せないくせに」
異動の部署によって軍服にも違いが出るらしい。父の軍服でもそれぞれ違う色とデザインのものがクローゼットにかかっている。詳しい人なら一目でどこの所属とか階級とかが分かるのだろう。
「実はね、フィル。色々な事情が重なってしまってね。兄上の部下とは別に、私の知人も来るんだが、その人も軍で兄上と仕事したこともあるんだよ。そういう関係なら、スーツよりも軍服の方がいいかなと思ったんだが、どっちがいい?」
「どっちでもいい。だってフィル、関係ないし。ねー、ルード?」
「うん。別に服で何が決まるものでもないです、叔父上」
「そうか。ルードとフィルのお誕生日を利用するようで悪いけど、その代わり、二人が好きなメニューにさせるよ。何が食べたい?」
叔父はすまなさそうに言っていたけれど、私は気にしない。どうせ大人達の難しいお話が終わったら、叔父の部屋で夜中まで一緒に遊んでいてもいいのだ。
叔父が領地とかに行っていて不在だと私達は自分のお部屋で規則正しく過ごさなきゃいけないけれど、叔父がいる時は何でもおねだりを叶えてくれる。
「大丈夫です、叔父上。ローグおじさんとマーサおばさんも、ちょっと日をずらしてご馳走作ってくれるって言ってくれたし。何か会わなきゃいけない理由があるんでしょう?」
「フィルもへーき。だってフィル、クラブでもお誕生日会するの。ちゃんとフィル達、ご予定立てたんだよ。あのね、フィル達、みんなのお誕生日はね、フォリッテリデリーってお店でお祝いするのっ。お食事券、もらっちゃったんだよっ」
「それはよかったね。だけどフィルじゃ、あそこは多すぎるだろう。ルードは私が連れて行ってあげようか?」
「それなら僕、試合を見に行って、そこで何か食べたいです、叔父上」
「ははっ、了解」
実は発表会がとてもよくできていたからと、学校長からお食事チケットを一人五シートずつもらってしまったのだ。せっかくなのでみんなで相談し、それぞれのお誕生日会で使うことにした。あ、ちなみにお誕生日プレゼントは、お互いに無しと決めた。だって私達、まだ子供だもん。
お誕生日プレゼントは、「みんなで作る楽しい時間」だ。テスト期間とかち合わないように、ある程度の日程はずらすけれど、一緒に遊びに行くのだ。
みんなでハイキングしようか、それとも遊技場で遊ぼうかと、今からわくわくだ。
フォリッテリデリーは、前払いで料理を選び、テーブルで食べるといった方式のお店らしい。私達のお食事チケットは、選べるパン・メインおかず・サブおかず・スープ・デザートが1シートの中に入っている。個別にチケットの点線を切り離して出せばいい。
警備棟のエドベルさんは、
「うーん。昼食にパンとサブおかず、おやつにデザート、そして早めの夕食にメインおかずとスープといった感じで分けでもいいかもしれないね。あそこなら近くに体を動かす遊戯施設もあるし、お休みの日に行くといい」
と、言っていた。
どうやら学校長を通して、エインレイドの護衛を派遣している軍の偉い人から渡されたものらしい。
(パピーも子供には量が多いとか言っていたような気がする。・・・もしかして私の二食分どころか三食分?)
フォリッテリデリーはカジュアルなお店だけど、レスラ基地の人達がよく使うから量もたっぷりで、賑やかに騒いでいても誰も気にしないそうだ。
だけど今はそんなことよりウェスギニー子爵邸でのお誕生日会だ。
「それならね、ジェス兄様。フィル、お魚さん食べたい。だってルード、マーシャママにお肉たっぷり、お願いしそう。それにフォリッテリデリーも、なんか、お肉お肉お肉って気配がする。あ、だけどパピーの部下の人とか、お肉好きかも。じゃあ、お肉とお魚、半分こ」
「おや、当たりだ。フォリッテリデリーはお肉がドカンと出てくるよ。だけどそうだね。じゃあ魚料理メインで肉料理も付け合わせよう」
やはりそうだったか。そんな気はしていた。
だけど父よ。そうなるとお客様とは全てあなたの元部下だったり現在の部下だったりするのではないでしょうか。あなたはいいとして、その人達は仲良いのでしょうか。
時に部下同士は仲が悪いってことが多々あるのですが。
(仕方ないけどさ。パピーってば、噴火の避難誘導とかにも行ってたって、ジェス兄様言ってたし)
父はちょくちょくと異動を重ねているが、以前の部下から泣きつかれることもあるそうだ。優しい人だから放置しておけないんだろう。
「ああ、そうだ。フィル、証拠のフォトは、お前の顔は見えないようにしておきなさい。だけど女の子らしいドレスを着ておいてくれ」
「はーい。パピー、ルードもドレス着たら、その人、両手に花」
「それはそれで問題があるだろ」
なんでもかつて父の部下だった人が、今の女上司からお付き合いと結婚を迫られているらしい。断ってもしつこくて、恋人との仲も壊されたそうだ。
怖すぎるよ、軍の恋愛事情。
恋人が肉感的な年上女性だったらしくて、それなら自分でもいいでしょと、そんなことを言われたとか。いやいや、好きな人を条件で決めるわけないよ。可哀想に、元部下の人。
要は、「すみません。実は婚約者がいるけど、成長待ちなんです」という、嘘の婚約者を演じてほしいというもので、「お誕生日会にも招かれて幸せいっぱいです」な、アリバイ工作だとか。
プラトニックラブをアピールし、いくらその上司でも、さすがに年を遡って10代の子供には張り合えないだろうと、苦肉の策である。
(気持ちは分かるんだけど、・・・そんなもので諦めるかなぁ。今までの恋人が年下趣味だったならともかく、いきなり方向転換ってないと思うんだよね。いや、パピーもこれで大雑把なところあるしなぁ)
元部下の人の気持ちは分かる。うん、私には分かるよ。一方的に「自分が好きになってやったんだから応えるべきだ」とか言われる気持ち。
自分の好きな人は自分の心が決めるんだよ。お前にどうして私の心を指示されなきゃいけないんだって、本気でむかつくよね、あれ。
うちの父はこれで女心に疎いところがある。
愛想もいいし、物腰も柔らかいのに、父が大切にする女性はマーサと私だけだ。たまに祖母が可哀想になる。祖母も父を苦手らしいからいいのかもしれないけど。
だけど、そんな父だから分からないのだろう。他の女の人の気持ちが。
父よ。その元部下の人を助けるにしても、それ、本人がその女上司とやらに嫌われないと意味がないと思う。恋敵が育っていない子供なら、奪い取ればいいだけなんだから。
(部下に対して結婚を迫る女上司か。反対ならよくありそうだけど、よほどその女性、焦ってるのかな)
男と女は大変。いつだって心と感情はままならない。
― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―
みんなのお誕生日会なら色々な仮装で楽しんでもらうけど、私達のお誕生日はちゃんとした服装で夕食をとる。だって一つ大人になるんだもん。
アレンルードはダークブルーのベスト付きのスーツに桃色のタイを。そして私は、桃色のドレスに、ポイントのリボンは白いレース付きなダークブルー。
私達はこういう時、いつもセットなのだ。
髪を一つにまとめて、きっちりと桃色のリボンで固く結んだアレンルードと、横の髪を後ろに回してダークブルーの白いフリル付きリボンを華やかに結んだ私。
緑葉月8日は、ちょうど半曜日だから、明日は休曜日。午前中だけの授業を終えると、私とアレンルードはウェスギニー子爵邸に直行して着替えた。
おやつを食べてからお昼寝したかと思うと、メイド達にごしごしと体を洗われ、髪も綺麗に梳かされる。ほんのちょっぴり薄化粧までされてしまった。
何故にここまで気合がはいっているのか。
そこへ、ひょっこりと祖母のマリアンローゼが顔を出す。
「まあ、二人とも似合っているわ」
「お祖母ちゃまも、ロングドレス、とってもお似合い。だけどお祖母ちゃま、もう少し派手なドレスでもいいと思う。せっかくお祖母ちゃま、お綺麗なのに焦げ茶のドレスに真珠のセットなんて、地味すぎ。お祖母ちゃま、綺麗な人は、もっと派手に着飾ってもいい。フィルは、そう思う。エメラルドのブローチとか、サファイアのネックレスとか、ルビーのイヤリングとか。だってお祖母ちゃま、ここの女主人。誰よりも着飾るべき」
代々伝わっている宝飾品があるというのに、祖母はいつも控えめなものしか身につけない。
だから私はびしっと言いきった。
「そうかなあ。お祖母様、とても上品です。優雅な貴婦人らしくていいです。フィルは地味っていうけど、焦げ茶でも光沢のある生地なんだし、いいんじゃない? 正直、あのごてごてした宝石なんて、男は見てないと思うな」
分かっていないな、アレンルード。
女性は死ぬまで美しく装う権利がある。男性のお客様があるならば、唯一の貴婦人として祖母はきっちりと着飾るべきだ。私はそう思うのである。
「ルード、分かってない。パピーとジェス兄様、パートナーいないんだよ。寂しいんだよ。だからお祖母ちゃま、三倍着飾るべきなの」
「そんな無茶言ってどうするんだよ。成金趣味じゃあるまいし、僕はお祖母様が下品にあれこれつけてる方がやだよ」
「上品にまとめればいいだけだもん」
「ちょうど今がそれだろ。フィルの考えるドレスアップなんて全力で目立ちに行くんだから仮装なんだってこと自覚しなよ。それに今から着替えて選ぶ時間ないよ。遅刻上等で生きてるのはフィルだけだよ」
「お祖母ちゃま、ルードがいじめる」
言われてみれば貴婦人の着替えはとても時間がかかるのだ。
ここはアレンルードの生意気さを怒ってもらわなくては。
「ほほほ。いいのよ。今日はルードとフィルが主役ですもの。もうすぐお客様も到着なさるからお出迎えしてちょうだいね、二人共」
「はぁい。だけどパピーのお客様、あまりフィル達、関係ない気がする」
「だよねー。そういえば父上、どこに行ったんだろう」
それでも私達はちゃんと手を繋いで、玄関の所まで行った。そしてお客様を迎える為に整列していた使用人達にちょっとびびる。
さっき、私達の支度を手伝ってくれたメイド達まで並んでいた。いつの間に早回りしたの?
「お祖父ちゃま、ジェス兄様もお出迎えなの? パピーの部下の人なのに?」
「あはは。父上はこれで兄上を心配しているのさ。うまくやっているのかどうかってね」
なるほど。いつか出世するかもしれない元部下の人に好印象を抱いてもらおうという奴だ。
たしかにわざわざ私達の誕生日会に招待するんだから特別な部下なのかもしれない。
「肝心の父上はどこですか? さっきからずっといませんよね」
「ああ。うちが分からない人がいるから、兄上ご自身が迎えに行ったんだ」
「パピー、それでいなかったんだ。だけどそれなら一緒に連れてってくれればよかったのに。ねー、ルード」
父とのドライブデートはとても楽しい。途中の建物だって父はよく知っているのだ。
「フィルってば、そう言いながら移動車に乗ったらすぐ寝ちゃうじゃないか」
「だって、あの微妙な振動が、フィルを眠らせる」
そんなことを言っている内に、父の運転する黒い移動車が到着する。
「ルード、フィル。お前達が出迎えなさい」
「はい、お祖父様」
「はあい、お祖父ちゃま」
やはり主役がお出迎えなのかと思いながら移動車の所へ行けば、後部座席が薄いスモーク状態で見えない仕様だ。
どうして運転手を使わなかったのかが分からないけど家令が近寄り、ドアを開ける。降りてきた人達は三人だけど、誰もが違う軍服を着ていた。
「本日はようこそおいでくださいました」
恭しく挨拶する家令はともかく、アレンルードが不思議そうな顔になる。
「あれ? 先生、どうしてここに?」
「アレン、俺達の本来の職業、忘れてるだろう。俺達の上官がお前の父親なんだが?」
「だけど着てる軍服、違いますよね?」
「色々とあるんだ」
「へー。あ、本日はようこそおいでくださいました」
「ああ。誕生日おめでとう。アレナフィル嬢も可愛いじゃないか」
「ありがとうございます。だけど兵士さんも、そういう服なんですか、先生?」
いつもウェスギニーと呼び捨てされているので、その呼ばれ方に目が点だ。青林檎の黄緑色の髪をした寮監が、茶色味を帯びた黒の軍服を着ている。焦げ茶色のボタン。初めて見た軍服だけど、とても偉そうだ。
初対面から人を見下ろす感じだったが、軍服なんて着ていると余計に威圧感がある。
「フィル。そちらは兵士じゃない。フォリ中尉は士官だ」
「ええっ!? パ、・・・お父様、本当に?」
「ああ」
父は漆黒のスーツ姿だった。これもこれでいい。
まさに夜会に行くのですかと聞きたくなるような、水も滴るいい男だ。垂れ流しの色気が素晴らしい。
「はは。フォリ中尉は、あんな服装でラフに対応していらっしゃいますからね。アレナフィルちゃん、お誕生日おめでとう。ルード君と一緒にいるところなんて絵になる一枚じゃないか」
「あ。おじさんなお兄さん。軍の人だったんですか?」
淡い黄土色の髪に、茶色の瞳をした用務員のお兄さんが、とても明るいスカイブルーの軍服を着て立っていた。金ボタンもついていて、とても派手だ。
こんな目立つ軍服なんて存在していいのだろうか。
「ああ。ルード君も日頃のやんちゃさが噓のような紳士ぶりだね。お誕生日おめでとう」
「叔父のお友達だったんじゃ・・・」
「そうだね。また見に行こう。だけど君のお父上の部下でもあるのさ」
いつの間にか、アレンルードは用務員のお兄さんと何かをしていたらしい。アレンルードだって私の知らない所で交友関係を増やしているじゃないか。それで何故、私だけが責められる。
だけど明るい空色の軍服は一人だけ本気で場違い的に目立っていた。うちの父がこんな軍服を着ていたことはない。
うん、疑問はここで解消しておこう。
「もしかしてお兄さんも兵士さんじゃなかったりするんですか? お兄さんの青空色の軍服って、何が違うんですか?」
「王族の護衛に関する所属ってことかな」
「しがない用務員だから、うちの父には何も言えないって言ってたのに? 王族の護衛ってとても偉いんじゃないかなって思います」
「フィル。そちらはネトシル少尉だ。しがないどころか、出世コースだな」
「なんと・・・! 私は騙されていた・・・!?」
父の言葉に愕然とした私は、まじまじと用務員な筈が出世コースな人を見返す。
なんということだろう。みんなして私を騙してばかりだ。
すると焦ったように、ぶんぶんと首を横に振られてしまった。
「騙してない、騙してない。大体、俺が大佐に何か言おうものならクビになるって」
「大佐? 誰が?」
「君のお父さんだよ。ウェスギニー子爵の地位も知らなかったのかな?」
「・・・知りませんでした」
ガーンとショックを受けていると、最後の一人は、灰色を帯びた黒の軍服姿だ。赤いボタンが印象的だ。面白そうな顔をして私達を観察していたらしい。
「そうなると私だけが初めてということですね。どうぞよろしく、アレンルード君、アレナフィルちゃん。ヴェインと呼び捨てにしてくれて結構ですよ。私はそちらのお二人と違い、平民ですからね」
「ヴェインは、オーバリ中尉だ。ちょっと遠い基地所属だから、軍服も違ってくる」
「よく分からないですけど、ようこそおいでくださいました。えっと、たしか上司に愛されてて困ってるお兄さん?」
寮監と用務員している二人は、上等学校に女上司がいないことを私がこの目で確認済みだ。消去法で彼しか残らなかった。
「あははは。・・・うん、ちょっと忘れていたかったかな」
忘れていても、事態は何も好転しないと思う。ヴェインと名乗ったその人は、灰色の髪に、オレンジの瞳をしていた。
「アレンルード、アレナフィル。まずはお客様を中に案内しなさい。お喋りはそれからでいいだろう。・・・当家にようこそおいでくださいました。歓迎いたします」
「この度はお招きいただき、ありがとうございます」
フォリ中尉と紹介された寮監が祖父母に挨拶すれば、それに合わせて軍服組は三人一斉に礼を取る。
「いえ、どうぞ、そのようなことは・・・。今日はくだけた子供達の祝いですので」
「皆様、ようこそおいでくださいました。まずはお入りくださいませ」
祖父母はこのまま食堂へと案内する様子だ。ご馳走って言われたけど、何が出るんだろう。そしてどうしてこの二人が来たのだろう。いつも学校で私達と顔を合わせているのに。
これはアレか。やはり王子様の護衛について我が家で密談するのか。・・・・・・学校でやればいいのに。
「フィル、おいで」
「はい、叔父様」
叔父に呼ばれて近寄れば、腕を出してくれたので、私はエスコートしてもらうことにした。
すると寮監を案内しながら叔父が歩き出す。
「フォリ中尉も、殿下が今頃は拗ねておられるのではないですか?」
「そうですね。自分も行きたいと言われましたが、さすがにそれは・・・」
ちらっと後ろを見れば、ネトシル少尉と紹介された用務員のお兄さんにはアレンルードがつき、オーバリ中尉には父がついて、何か話し始めている。
「もしかして先生も、レイドを守るお仕事なんですか? そうしたらどうして青色の服じゃないんですか?」
「王宮勤務じゃないからだな。ネトシル少尉と違って、俺は基地所属だ。今回はこっちに回されたが」
「基地ごとに服が違うんですか?」
「そういう時もある」
上司の娘に対してかなりぞんざいな対応だったなと思うが、三人目の人が、二人は貴族だと言っていたし、祖父母の態度からしても、きっとこの二人、うちよりも身分の高い貴族なのだろう。
だって使用人が全員礼を取って今も顔を上げていない。この家のお坊ちゃまお嬢ちゃまである私達でさえ、こんなお出迎えをされたことなんてない。
だけど父の部下ということは、軍での地位は父の方が高いってことだ。
叔父を挟んで話すというのもお行儀が悪いけど、止められないから特に問題ないのかな。
「先生。もしかして結構、身分が高かったりします?」
「そういう要らん気は遣うな。王子に自分の買った小麦粉だの蜂蜜だのジャムだのを両手いっぱいに持たせた奴が何を気にする」
「本当なのかい、フィル?」
「え? えっと、えっと、えっと・・・。記憶にございません」
ぷっと、後ろで笑った人がいた。ネトシル少尉と呼ばれていた用務員のお兄さんだ。
「ごめん、アレナフィルちゃん。報告したの、俺だ。外出時にどこで何したとか、ちゃんと報告する義務があってね。うん、ごめんね」
「裏切り者が後ろにいた・・・!」
「ちょっと待ってよ、フィル。僕が悪いとか言ってたけど、その前にやってること、ひどくない? まさかエリー王子に荷物持ちなんかさせてたの? それ、完全に僕、無関係だよね?」
「だ、だって、だって、いいって言ってくれたもんっ」
なんということだ。国立サルートス上等学校。
あそこにはきっと私を皆でいじめるという魔法がかかっているに違いない。
「そう責めてやるな、アレン。エリー王子も楽しんでいた。両親だって笑い転げながらその話を聞いてたんだから、問題ない」
「それ、国王陛下もご存じってことですよね。父の身にもなってください、先生。殿下の護衛を兼ねているなら、ちゃんとうちの妹を止めてください。妹は世間知らずなんです」
「世間知らずな買い物じゃなかったそうだぞ? いいじゃないか。ちゃんとお前の妹は、人前とそうでない時ときちんと分けている。問題はない。お父上もそう判断なさって、アレナフィル嬢には何も言わなかったんだろう」
おお、青林檎の黄緑色頭の寮監が、私を庇った。
「何を言うも言わないも、私は不在だったのですがね。陛下から聞いた時には全て終わった後でしたよ。・・・フィル、気にしなくていい。全ての責任はフォリ中尉がとることになっている」
「はい、お父様。つまり、王子様が荷物持ちをしたのは、先生の責任だと」
「その通りだ。遠慮なくフォリ中尉に責任はなすりつけておけ」
「はぁい、お父様」
よかった。父は私の味方だ。
「おいおい。あのなあ、なんでそうなる」
「子供は未熟なのです。だから監督している大人の責任です。そういうわけで先生、あとは先生が全て悪かったということで」
うん。全てにおいて全く問題ない解決をみた。
「レミジェス殿。ちょっとその可愛い姪御さんをこっち側に寄越してくれませんか?」
「うちの姪はとても人見知りが激しいのでお断りします」
「自分のやらかしたことを、その場にいなかった人間のせいにする女子生徒が、いつから人見知りの激しい子と言うようになったんでしょうね? アレナフィルさん? ちょっとこっちへおいで?」
「すみません、先生。私、父か叔父から離れちゃ駄目って言われてるんです。女の子だから」
私はぎゅっと叔父の腕にしがみつく。そこへ、一番後ろから声がかかった。
「ちょっと、フォリ中尉? それ、やめておいた方がいいですよ。そこのアレナフィルお嬢さんにはあまり触らない方がいいです。私の推測が当たっていればですが」
「どういうことだ?」
フォリ中尉と呼ばれた寮監先生が歩きながら後ろを振り返る。私も叔父の腕につかまりながら後ろを振り返れば、父と一緒に歩いているオーバリ中尉が、にこっと私に笑いかけた。
「悪い意味じゃないよ、お嬢さん。家族以外の男は信用しちゃ駄目だ。君は可愛すぎる女の子だからね。いや、本当に私も今から口説きたくなったな。ここは最初から全力出すべきところか?」
はっはっは。一昨日来やがれ。
そんな口説き方、初めて聞いたわ。
「ヴェインお兄さんは、ボンキュッボンなお姉さんが好みだって聞きました。人の本質的な好みは変わらないです。無理せず、自分の好みを貫いた方がいいと思います」
「それはそうなんだけど、・・・まあ、いいか。後でお話しましょう、ボス。それより、結構しっかりした子達じゃないですか。まだまだ子供だって聞いたからぬいぐるみにしたのに、これだけしっかりしていたならもっと大人っぽいものにするんでした。アレンルード君はしっかりした子でスコアもよかったって聞いてたからそんなものかなと思ってましたが、アレナフィルちゃんもはきはきしたものじゃないですか」
「猫をかぶってるだけだ」
可愛い愛娘に猫をかぶっているだけというコメントはないと思うのだ、父よ。
食堂に行けば、丸い大きなテーブルが一つ置かれていて、九人分の座席が作られていた。
「席はくじにしたよ。好きなリボンを取って、そこに書かれていた数字の席だ。まずは主役のルードとフィルが引いていいよ」
「ジェ・・・叔父様。私、父と兄の間がいいんですけど」
「くじだから不正は無理だなぁ」
仕方ないので、適当なリボンを一つ選べば、5番だった。アレンルードは、9番だ。
だけど私は作為を疑っている。何故なら4番は父で、6番は叔父だったからだ。きっと不正はあった。だけど私は何も言わない。
着席すれば、指先を洗う消毒水ボウルとフィンガータオルの載ったトレイがそれぞれの前に出された。ハンカチにもなるサイズのピンクのミニタオルに、私は目を輝かせた。
「わぁ、可愛い。見て見て、ジェス兄様。ルードとフィルが猫さん」
こっそり囁いたのに、2番席の祖母マリアンローゼには聞こえていたようだ。どの席もタオル地の色は違っているが、刺繍されているのは玉蜀黍の黄熟色の毛並みをした仲のいい二匹の猫である。
「ほほほ、ルードとフィルのお誕生日だもの。だから緑の目をした子猫達にしたのよ。よろしければ皆様も記念にお持ち帰りくださいませ」
「お祖母様。フィルはともかく、僕はもっと狼とかライオンとかの方が・・・」
「えー。猫さん可愛いよ、ルード。要らないのなら、もらっちゃうよ」
「うー、そりゃ使うけど、使うんだけど・・・」
いいじゃないか、子猫達。何故、私が狼にならなければならないのだ。自分が可愛いタイプだということを直視するのだ、アレンルードよ。
次に運ばれてきたのは、グラスに入ったドリンク。ローズピンクの色合いがとても綺麗だ。
お客様といっても三人の内、どうせ二人は顔見知り。あまり気を遣わなくていい感じがする。
「あまーい、しゅわしゅわしてるっ」
「フィルとルードには炭酸で割ったからね。他の人はスパークリングワインだが、気に入ったかい?」
「はいっ、お父様」
「シロップを一瓶、くれるそうだ。何なら小分けして学校に持っていくといい」
「うわぁ。はい、そうします。あ、ルードも寮に持っていく?」
「んー。持って行ってもそのまま飲めないんじゃ意味ないからいい。家でフィルが作ってくれたらそれでいいよ」
「うん、そうするね。あ、だけど学校のクラブにも持ってくからこっそり飲みに来るといいよ。警備棟の中にあるんだよ」
「・・・メンバーと鉢合わせした時にお互いに気まずいからいい」
「気にしなければいいと思うけど」
苺を中心にしたベリーのシロップらしい。こういうのは大事にちびちび消費するより、遠慮なくごくごく飲みたいよね。
そこで私は、父のスパークリングワインが唇を湿らせた程度で、減っていないと気づいた。父は食前酒をあまり好まず、水でいいタイプだ。単にスパークリングワインが好みじゃないだけだと思う。
「アレナフィルちゃんは本当に料理が得意だね。クラブでも出してあげるつもりなんだ?」
「そうなんです。だってみんな、よく食べるし。シロップを水や炭酸や牛乳で割ってもいいけど、アイスクリームにかけてもいいかなって。ネトシルさんだって、暑い時期にはそういうのって喜ばれるだろうなって思うでしょ?」
「どうせ名前で呼んでくれるならグラスフォリオンだから、リオンの方が嬉しいかな。ただし、他の生徒の前で世間話はできないけどね」
「了解です、リオンお兄さん。では引き続き、お互いに空気のような背景と一緒ということで」
さりげなく手を伸ばして空になった私のグラスを父の近くに置き、そのスパークリングワインのグラスを取ると、私はそれを口に運んだ。
これは・・・! かなりの高級品とみた。
「ああ。その上で言わせてもらえるのなら、時期を問わず、あのメンバーは喜んで飲んで食べると思うよ。アレナフィルちゃん、実は彼らを太らせて食べてしまうつもりだろ? 一年後にはまるまる太った子豚さんが生まれていそうだ。アレナフィルちゃんの手料理が美味しすぎてね」
パチッと片目を瞑ってくるネトシル少尉なグラスフォリオンは3番席だ。
「そうそう、子爵夫人。アレナフィルちゃんは本当にお料理の手際がいいと、みんなも感心していましたよ。一口、先に食べさせてもらうつもりが、皆が幾つも食べてしまうぐらいでしてね」
「まあ。本当ですの?」
「ええ」
ネトシル少尉は、隣に座る2番席の祖母や4番席の叔父レミジェスに、いかに私が料理上手かを説明し始めた。健康を考えて野菜を出しても、みんなは一皿しか食べなかったのに、鶏肉料理となると先を争って食べたとかまで。
祖母と叔父は興味深そうな顔で相槌を打ちながら話に聞き入っている。
だけどあの時、用務員のお兄さんはいなかったと思うんだけど。みんなで買い物に行った時の護衛についていたらしいから、クラブ参観の時もこっそりとドアの陰にいたのかな。
「へえ、フィルったらそんなことしてたんだ」
ただ、どうせならあまり詳しく説明しないでほしかった。9番席のアレンルードが、どんどんと機嫌が悪くなっていくから。
頼むからそんなおどろおどろしい声を出さないでくれ、アレンルード。せっかくの美味しいスパークリングワインの味が分からなくなりそうだ。
「あっ、あのねっ、ルード。多分ね、みんなにも褒められたし、二回目も美味しく作れると思う。やっぱり食べに来ない? それとも持っていってあげようか?」
「・・・うん。そうだね」
地を這うような「そうだね」という声音が、不機嫌さを物語っていた。これは「そうだね」と同意しているのではない。「そうだね、どうしようかな」という、何かを考え始める「そうだね」だ。
助けてお祖父様。あなたの孫息子が闇に落ちちゃう。・・・いや、うちの祖父も学校では大人しくしていればいいという考え方の人だった。あまり期待できない。
「フィ、フィル、ルードがお肉大好きだからっ。だからそこまでお肉食べないけど、練習したんだよっ。美味しいってみんな言ってくれたんだよ。ルード、責任もって食べてくれるよねっ?」
「ねえ、フィル。なんで成人病予防研究クラブで、フィルがお菓子や料理を作って男子生徒に食べさせることになるの? まさかと思うけど、その中に好きな奴でもいるの?」
「いないよっ。えーっと、えーっと、・・・食べたいからっ」
好きな人がいたら兄がやることは一つだと、私は悟った。
これには覚えがある。かつてファレンディア人だった私はこの探りを入れてくる前段階が何のために行われるかを知っている。シスコンとは不治の病だ。
さすがに息子のブラック化を見かねたらしい6番席の父が口を挟む。
「ルード。フィルは本気で成人病予防を考えて調べ物をしていた。だが、成人病を予防する為の料理を作ろうとすれば、やはり育ちざかりのメンバーには物足りないものばかりで、結果として普通の食事や菓子も作るようになってしまっただけだよ」
「父上。だからって、フィルが男子生徒にそこまで尽くす理由が分かりません」
尽くしてないよ。黙らせる為に食べさせてただけだよ。普通なら買い食いしながら寄り道してお喋りしまくるのが、エインレイドの事情でできないからクラブルームを使って不自然じゃないように見せかけてるんだよ。
「お前だって、フィルがだらだら寝転がって菓子を食べるのが好きなことは知っているだろう? 成人病予防の研究と言いながら、フィル達は砂糖だのジャムだの蜂蜜だの生クリームだの、甘いものを使いまくりで、こってりしたものばかり食べている。材料費に学校のクラブ予算を使っている以上、フィルは学校関係者やメンバーを共犯者にしているだけだ」
父の説得がさりげなくひどい。私は犯罪者なのですか、お父様。
「それ、成人病予防の意味がないのでは・・・」
「無駄な努力でも、努力することに価値があるんだろう、きっと。どうせならお前もフィルに差し入れてもらえばいい。フォリ中尉やネトシル少尉だって毒見がてら届ける程度はしてくれるさ」
「・・・はい」
渋々といった感が凄まじい「はい」だ。
私には分かる。アレンルードは納得していない。父には逆らえないから頷いただけだ。
「あ、あのね、ルード。まだフィル、鶏さんしか作ってないの。お料理のご本、見ながらだから。だけどルード好きなら、豚さんとか牛さんもいいよね? 何がいい? そのまま食べられるものがいいよね。鶏の串焼きとかもいいかも? 辛いのとあまり辛くないのとどっちがいい?」
「少し辛いの」
よし。二つの内どちらかを選ぶとなれば人は答えなくてはならない。偉いぞ、私。
「う、うん。パンとかに挟んである方がいい? パンは要らない? 水筒にミルクコーヒーとか入れておいた方がいい?」
「どっちでもいい。普通に牛乳でいい」
「そうなんだ。じゃあ、ルードがすぐに食べられるよう、パンにお肉とか挟んであげる。その方がいいよね? ルードがぱくって食べられるよう、お肉ことこと煮込んで作ってあげる。ね?」
「うん」
自分の為に作られると知り、どうにか機嫌を直したようだ。
ここはもう大きな鍋でぐつぐつ塊肉をじっくり煮込んでシチューを作り、パンの中にシチューの味がしみ込んだ肉をゴトゴト詰めて焼いてやる。それならいいだろう。うん、いい筈だ。
あとは大きなソーセージとか? 串焼きにした肉とかも味をスパイシーにしておけば、冷めても美味しい。
(こっ、これはっ、確実にルードに一番美味しいものを作ってみましたってのじゃないと、許してくれない気がするっ)
すると1番席に座っていた寮監が、くくっと笑った。フォリ中尉と呼ばれて、しかも三人の中で代表的に挨拶していたことを考えれば、きっと身分は高いのだろう。
9番のアレンルードとは隣なので、その表情を面白そうに見ていたのには気づいていた。
それでも貴様には寮生を教え導く寮監という自覚はあるのか。困っている私を助けろというのだ。
「実は双子の兄が一番嫉妬深かったというオチか? それならアレン、お前も警備棟に来ればいいだろう。エリー王子だって気にしないさ」
「僕達はなるべく行動範囲がかぶらないようにしているんです。誰がどちらの友達なのか分からなくなるし、比べられるのも違うと思うから」
さすがにアレンルードも寮監相手には敬語で答えている。
だけどな、そこはフォリ中尉とやらの言う通りだと思う。こうやってねちねち言われるぐらいなら、顔を出して一緒にお菓子を食べて、アレンルードは可愛くご機嫌になっていてくれればよかったのに。
「ここまで個性が違いすぎると比べようもないだろう。友達は中身で決めるものだ。双子だろうが、顔がそっくりだろうが、性格や生き様がここまで違うとあれば、一緒くたになる筈もない。お前はどこまでも自分の力で手に入れる男になるだろう、アレン。なるべく手を抜いてぬくぬく生きようとする妹と混同する奴がいたら、そいつの目と頭を疑った方がいい」
「え。・・・あ、ありがとうございます」
え。ちょっと待って。何を赤くなってるの、アレンルード。
その青林檎の黄緑色頭に絆されてはならん。すぐに裏切られるんだぞ。
ついでにお祖父様。お願いだからそこでうんうんと頷かないで。私への愛はどこに行ったの?
「いや。警備もアレナフィル嬢を楽しく見守ってはいるが、感心しているのはアレン、お前の方だからな。七年後には軍に入らないかと声を掛けようとして、お前が長男だと知り、がっかりした奴は多い。次男や三男ならば誰も躊躇わなかっただろう」
そこへ最初の一皿が運ばれてくる。
ゆで卵や野菜をくりぬいた中に、可愛らしく色々な味付けの詰め物がされていて、見た目も美味しそうだ。様々な一口サイズの前菜が動物のお顔になるような感じで盛り付けられているから、見ているだけで楽しくなる。
「パ、お父様っ、どうしようっ。ルードがたらしこまれてるっ。しかもこれ、とっても可愛いっ。どれから食べようっ」
「好きな物から食べていいから、その前にお前の本性がばれていることを嘆きなさい、フィル」
「ちょっと待ってください。ボス、フォリ中尉を止めてください。アレンルード君に目をつけたのはこっちが先です。いきなりぽっと現れて口説かれるのは困ります。大人になるまでは接触を控えているだけで、こっちはもう数年前から予約を入れているんですよ」
そんなことを言い出したのは、8番席のオーバリ中尉だ。
左隣のフォリ中尉を見ていたアレンルードが驚いて右隣に顔を向ければ、オレンジの瞳を細めて微笑みかける。
「生憎と一緒に遊べなかったが、いずれ私ともボールゲームができると信じてるよ、アレンルード君」
「えっと・・・。僕には、ちょっとそちらは無理だと・・・」
「そんなことないよ。大丈夫、まだまだ先のことだからね。お父さんと同じ部隊の方が君には合っている筈だ。貴重な原石の成長を我々は待っている」
アレンルードよ、何故いきなり顔を蒼白にしているのだ。
ボールゲームってまたどこかで遊んでたの? まさか父の職場に押しかけて遊んでたの? そりゃ幼年学校生じゃこてんぱんだったよね。
だけど同じ軍人に勧誘されるのでも、制服が違うと何か違いがあるのかな。
「何を考え無しなことを二人共仰ってるんでしょうね。ルード君、どちらにも頷かない方がいいですよ。大切なウェスギニー家の跡取りに何かあっては大変です。その点、うちはいいですよ。王宮の近衛とあれば、王族の業務がメインです。国賓にも身近に接します。子爵家を継ぐ上でも、学ぶものが多いことでしょう」
スカイブルーな軍服をまとったネトシル少尉が、そこで加わった。
私はつんつんと、叔父の袖を引っ張って耳元で囁く。
「ジェス兄様。どうしよう、ルードがモテモテ。これが青田買い」
「うーん。一体何があったんだろうね。・・・ところで、兄上、どうしてあなたの部隊にという話がここで出てくるんでしょうね?」
「ヴェイン。息子は自分で自分の人生を決めるだろう。どうせフォリ中尉も本気ではない」
「そうやってトロトロしている内にいい人材を搔っ攫われるのは間抜けすぎですよ、ボス。ここは退いておきますけど」
父よ、叔父の質問を聞こえないふりしてすませたが、何か疾しいことでもあるのか。
私はぱくっと、お皿の上のおひげを模したものを食べた。葉野菜のペーストを塗った、極細にカットされたパン。
一気に作る料理もいいけれど、こうやって手間暇をかけて作られた料理は格別だ。おひげの一本一本が違う色だったけれど、使われているペーストが違うからで、しかも手抜きがない。
隣の叔父が話しかけてきた。
「幸せそうだね、フィル」
「うん。味的には緑、黄色、朱色の順番で食べるといい感じ。食べるの、勿体ないの。だけど食べるの。他の動物に比べ、人は手間暇をかけてでも美味しく食べたい、欲深い生き物」
「また言い出したな。そんなに咽喉が渇いているのかい? しかもちまちま食べているけど、今日は小食なのかな」
「ううん。一口食べるごとに水を飲む。お口、さっぱり。そして味を覚える。いつものお料理と違って、こういうの、お野菜も一口で食べやすい厚み。体で覚える」
料理上達のコツの一つは美味しい料理を食べることだ。野菜をスライスする厚さとて、食感を考えてある。それを覚えておくだけでも違ってくる。
用務員なネトシル少尉はとっくに食べ終えたようで、グラスを傾けながら声をかけてくる。
「アレナフィルちゃん、もしかしてそれもクラブで作ってあげるつもりなんだ?」
「ううん、こういうのは手間がかかるだけ。しかも男の子なんて味わうことを知らない生き物だから、大皿料理でいいの。これはね、自分の為なの。一人で飲むお酒には、一口サイズの酒の肴を揃えて、だらだらと過ごしたい。誰にも邪魔されない、至福のひととき・・・」
そこで私ははっと気づいた。
祖父母の何か言いたげな視線が、父の所にある薄いピンクが残ったグラス、そして私の所にあるスパークリングワインのグラスに向けられていることに。
「ちっ、違うのっ。フィルッ、お父様のお酒っ、そうっ、お父様のお酒にねっ、作ってあげたいなって・・・」
「フィル、お酒は大人になってからだよ? 今日は見逃してあげるけどね」
「は、はい。お父様」
私の頭に父の手が載せられる。
もしかしたら父は気づいていたのかもしれない。頭にキスされてしまった。
「たしかに酒の肴が一口サイズだとだらだら過ごせるか。大抵は燻製やナッツで済ませていたが。アレナフィル嬢、その卵の詰め物にはどの酒が合う?」
「・・・えーっと、上に山羊のチーズの欠片を一つか二つ散らして、ガツンとくる濃いお酒がいいかなって。私としては麦の蒸留酒で」
食事としてはこれで美味だったが、酒の肴となればクセのある山羊のチーズをアクセントにしたい。ちびりちびりと楽しむ時間はまた格別だ。
「そっちの野菜の煮込みが入った奴は?」
「安いテーブルワイン。チープなワインを美味しく飲むのにぴったり。できれば水切りしたヨーグルトと青菜を一緒に揃えておきたい。口直しには安いチーズを火で炙ったものをクラッカーに添えておけば最高。高ければ満足度が高いわけではない。私はそう思う」
「なるほど。ちまちま味わっていたことにも意味があったか」
遠慮なく尊敬するがいい、青林檎の黄緑色頭よ。幸せな一人飲みに、常からの研鑽は欠かせないのだ。
「アレナフィル。お前は家で一体何をしていたのだ。まさかここで住みたくない理由が、そんなことにあったのではないだろうな。その年で酒を嗜んでいたとは」
「え? えっと・・・、お、お祖父様っ、フィ、・・・私っ、おうちでお酒飲んだことありませんっ」
「飲んだことがないものの味を、どうして知っているのだ。正直に答えなさい」
祖父がフィルと呼ばず、アレナフィルと呼ぶ時は要注意である。
まずい、これはまずい。
そこへ父の助けが入った。
「フィルは嘘を言っていませんよ、父上。うちに麦の蒸留酒はありません。酔っぱらって口が軽くなっているようですが、あまり怒らないでやってください。どうせ客人もその程度で幻滅する程、お綺麗な仲間に囲まれてはいないでしょう」
そう言われても、祖父母の目がとても冷たくて疑っているような気がする。
私は慌ててぱくぱくと、残りを食べてしまうことにした。
「おかしいね、フィル。マーサさんが管理している家で酒の盗み飲みはできなかった筈だし、寄り道もしていない筈だ。そんなものを君が飲むことができた筈がないんだけど」
「あまり責めてやるな、レミジェス。フィルはバーレンの所に行っていた。何かとフィルに夕食の用意を頼んでいた奴だ。つまみを食べさせながら、酒だってひとなめぐらいはさせていたんだろう」
「ご自分の友人ぐらい、ちゃんと管理してください、兄上」
「いいじゃないか。家庭教師としては優秀な男だ」
運ばれてきたスープやお肉やお魚はどうだったのだろう。
なんだかふわふわした気分で、とても美味しいものを食べさせてもらった夢を見た気がする。
『パピー、やっぱり黒が似合うーっ。両手にいい男―っ。次っ、あーん』
『そうだな。沢山食べて大きくなりなさい。そして酒は二度と飲むな』
『私が食べさせましょう、兄上。そのまま抱えていてください。ほら、フィル。お口開けて』
『はーい』
不思議な夢だ。
遠くで祖母が何か言っていた。
『ああ、もう。うちのアレナフィルはまだ子供ですの。本当にお恥ずかしい。部屋に下がらせますわ』
『いやいや、お部屋でお腹を空かせたら可哀想ですよ。あの程度で酔うだなんて、自宅でよかった』
『ははっ。ボスが子守りだなんて笑かしますね。いやあ、いいものを見ました』
失礼な。うちの父は子守り上手なのに。
『この通り、外に出せる孫娘ではないのです。どうか、そのあたりをお考えになっていただけませんか』
『私は承知の上です。フォリ中尉はともかく』
『私もアレナフィル嬢はまだ子供だと理解しているつもりです』
『ちょっと待ってください、お祖父様。フィルを外に出すってどういうことですか? 僕はフィルをどこにもやりません』
甘いデザートが口いっぱいに広がって幸せだった。なんだか歯磨きもさせられたような気もする。
『酔っぱらってるならちょうどいい。証拠のフォトだけ撮っておくか、ヴェイン』
『そーっすね。ちゃちゃっと撮って、寝かしてあげた方がいいっすよ』
『やだぁ。フィル、こっちは好みじゃないー。フィルには分かるっ。フィルを大事にしない気配、ぷんぷんー。抱っこもドへたくそぉ。女に独り善がりな男って、キスもヘタクソって決まってるのにぃ』
『あー、我慢しなさい、フィル。ちょっとの間だけだ。キスなんてしなくていい。ただの椅子だと思ってなさい。ね? 兄上、撮る瞬間まで傍にいてあげてください』
『ジェス兄様の方がいいー。パピー、フィルをこの人に売ったぁっ。フィル、独り善がり系嫌いなのにぃっ』
『なんですか、この子っ。ボス、俺、何にもしてないのにひどいこと言われてますよっ!?』
『ルード、ちょっとドレスを着てこい。顔立ちや瞳の色が分からない角度で、仲いい感じに寄り添ってやれ。フィルは酔っぱらってて、本音が駄々洩れだ』
『父上。フィルって酔ってなくてもこんな感じですけど』
そして目が覚めたら、私はウェスギニー子爵邸の叔父の寝室にいて、アレンルードと眠っていた。多分、叔父も一緒に寝てくれたのだと思うけれど、先に起きたのだろうか。窓からそよ風が入ってきている。
(爽やかな朝だ。私はいつ、このお部屋に来たのだろう)
いつもは叔父と一緒に眠くなるまでベッドの上で遊ぶのに、着替えた覚えのないパジャマだ。
ところで私、ご馳走を食べた記憶がありません。もう一度、お誕生日のメニューは出ないのでしょうか。