まるで両刃のカミソリをひり出すような痛み
ホラーというより変な話である。
だから苦手の人でも大丈夫かと思うので、よろしければご覧ください。
むしろ、男性にとっては下腹部がヒュン!と涼しくなること請け合いです。
家からそう遠くないところに、ローカル線の無人駅があった。いまでこそ廃線となり、駅は封鎖されてしまったが。
以前は、駅舎前に猫の額ほどのロータリーがあり、その向こうのフェンス沿いには桜並木が佇んでいたものだ。
それに混じる形で、一本のひときわ立派なセンダンの老木が眼をひいた。
センダンをご存知だろうか?
落葉高木の一種で、かなり大きく生長することで知られている。北海道をのぞき、本州全域のみならず、四国や九州、沖縄の離島に至るまで分布しており、庭木や公園、街路樹にも植えられるほどポピュラーな木なので、名前は知らなくても、誰でも一度は眼にしたことがあると思う。
初夏は淡いすみれ色をした細やかな花を咲かせ、秋になれば形といい色といい、オリーブに似た緑色の果実をたくさん結ぶ。これが特徴的だ。
ただしこの実は鳥などは好んで食べるものの、コレステロールの吸収を阻害する成分、サポニンを含んでいるため、人間や犬が食べると食中毒を起こすとされている。
その老木は樹高30メートル近くあり、傘状に豊かな枝葉を広げていた。
太い幹は苔むしり、長年風雨にさらされ、駅舎を見守ってきた老翁のような貫録を誇った。
いつしかそのセンダン以外の桜並木が、外来種のカミキリムシの食害によって枯死してしまった。見かねた地元の人々によって、根もとからすべて伐採された。
なぜかそのセンダンだけが取り残された。唯一カミキリムシの被害をまぬがれたからなのか、わからない。
やがて鉄道会社が経営破綻し、駅は機能しなくなった。
ロータリーに通じる出入り口にバリケードフェンスが置かれ、規制ロープまで張られてしまい、出入りできなくなった。
◆◆◆◆◆
僕が28ぐらいのころだった。
春先、この駅からそう遠くない町工場に、中途採用として転職した。
半年ほどして職場になじんだころ、9月に入ってすぐに飲み会があった。
その帰り道のことである。
代行タクシーで、職場仲間の三人とで工場まで送ってもらった。
ひとしきりしゃべって騒いだあと、僕はアパートが近かったせいもあり、徒歩で帰途についた。
その道すがら、例の無人駅があった。
尿意を催したため、その駅に立ち寄ることにしたのだ。
規制ロープを跨ぎ、敷地内に立ち入った。
トイレに行こうとした。
ところがあいにく、小便器、個室とも使用できないよう、ベニヤ板の合板で塞がれているではないか。
どうにも我慢しきれなくなった。
こうなれば、軽犯罪を気にしている場合ではない。膀胱のバルブで締めきれないほど、溜まりに溜まっていた。
僕はロータリーの向こうにヨタヨタと歩いていった。したたか酒が入っていた。
なにを思ったか、センダンの老木のところまでいくと、ジーンズのチャックをおろし、その根もとに放尿してしまった。
誰も見ていまい。見られてはいないはずだ。
放尿を終えると、僕はなにごともなかったかのように、その場を立ち去った。
アパートにあがり込むと、そのまま着替えもせず爆睡した。
異変が起きたのは真夜中。
またしても尿意に襲われた僕は、ユニットバスに備え付けのトイレに立った。
そして小便するなり、うめいた。
おしっこをしているあいだ、先端が微かに痛むのだ。
顔をしかめながら、どうにか全部を出し切った。いまにして思えば、出が悪かったかもしれない。
うつぶせに寝て、下腹部を押しつけていたのが悪かったのかな?と奇異に思ったが、そのまま横になった。
◆◆◆◆◆
朝、またトイレに行った。
放尿するあいだ、やはり妙に疼く。
アソコを見たが、とくに腫れているとか、赤く変色しているなどの異状は見られない。
そんなこんなで土日をすごした。トイレに行くたび痛んだが、なんとか我慢できる範囲だった。
放っておけば、自然と治るだろうと安易に思った。
その考えは浅はかすぎた。のちに後悔することになる。
明くる月曜日、出勤した。
当時の仕事内容はクリーンルーム内で、防塵服をつけ、顕微鏡をのぞきながら手作業によるチップ付けだった。自動販売機の紙幣や貨幣を読み取るセンサーの部品を作る工程で、かなりの手先の器用さと集中力が試された。いまでは考えられないほど、効率の悪いアナログな仕事だった。
ふだんと変わらず仕事をし、昼前、例のごとくトイレへ行った。
このころになると、小便の時間は考えるだけで億劫になっていた。
さあ、これから膀胱にたまったものを排出しようとしたそのときだった。
――――!
いまだかつて経験したことがない激痛。鋭い痛みが先っちょに集中した。
あまりの痛みと恐怖で、思わずチョロチョロと出はじめていた尿をストップさせてしまった。
ところがまだ膀胱には、たっぷり溜まっている。いったん放尿した手前、いまさら出さないわけにはいかない。
苦しまぎれに続けた。
またしても恐るべき苦痛が試練のように襲い、身体の芯を貫いた。
僕は歯を食いしばり、なんとか全部を出し切った。
そのわずかの十数秒のあいだ、たちまち顔じゅう脂汗まみれとなった。
チャックを閉め、よろよろと小便器を離れた拍子に人感センサが働き、自動で水が流れた。
幸い、あさがおに放った尿の色は問題ない。血や膿が混じっているわけでもなかった。不自然な残尿感すらなかった。
脳裏に嫌な考えがよぎった――もしや、これが先輩から聞かされた尿路結石ではないか?
さすがにそれほど痛みを憶えると、仕事への意欲が削がれた。
が、この程度で休むわけにもいかない。工場は当時、残業と休日出勤をしなくてはまわらないほど忙しかったのだ。
それにぶじ小便を終えると、嘘みたいに痛みは引いたので、まだ様子を見ようということになった。無頓着なものである。
◆◆◆◆◆
15時ごろ、またしてもトイレに行かなくてはならなくなった。
またしてもあの激痛が来るのかと思うと憂鬱になる。
恐る恐るあさがおの前に立った。
チャックをおろし、いざ放尿。
――――!
峻烈な痛みに身をよじらせた。
のち打ちまわるほどの鋭く長引く苦痛。昨夜や午前中の比ではない。ますます過激さを増していた。僕は悲鳴を洩らした。
ためらって一度出した小便をとめ、ふたたびおっかなびっくり絞り出そうものなら、さらなるダメージがガツンと来た。
たとえるなら、まるで老廃物の液体ではなく、両刃のカミソリでもひり出しているかのような感じがした。男にとってこれは拷問に等しい。
たちまち脂汗でびっしょりの僕は、うめきながらなんとか用を足した。
出さないわけにはいかないのだ。どうせ洩らしてしまうにせよ。
全部を出しきるあいだ、凄まじい痛みが続いた。
毬栗で念入りに僕自身をマッサージされているかのような十数秒間だった。ずいぶん長く感じられた。
ふだん、なんでもない生理現象なのに、一回だけで疲労困憊するほどだった。
トイレから退室するときには、壁に手をあずけ、伝いながら歩かねばならないほどだった。しばらく局部がじんじんと疼いた。
もっとも、しばらくもすれば痛みもおさまり、仕事をしているうちに忘れてしまうのだが。
そんな日が明くる日も続いた。
本来なら一刻も早く、泌尿器科へ診察に行くべきだ。
後手後手にまわしていたら、あとで大病になってしまい、取り返しのつかないほど悪化してしまうかもしれない。
僕は将来、まちがいなくそのパターンで命を落とすクチだと認める。じっさい僕の親父はそのパターンを踏襲し、リンパ節の癌が転移してしまい、もはや手の施しようがない。2020年8月末の現在、終末期医療を受けはじめた。恐らく長くはあるまい。
幸い、次の日に会社の健康診断が予定されていた。
ちゃんと尿検査や血液検査もあり、最後には簡易的な診察も用意されていた。先生に相談に乗ってもらうことにした。
ところがのちの尿検査の結果は異常なしだったのだ。腎臓も然りである。
ふしぎなことに、尿路結石の疑いもゼロと診断された。
そもそも尿路結石が出る人は、メタボリック症候群と関連されている。当時、僕はスリムな体型だった。それを言うならいまもさして変わらない。少なくともあのとき、メタボリック症候群とは、ほぼ無縁だった。
先生いわく、おしっこをするときに痛みがある場合だと、他に考えられる症状として、尿道炎、膀胱炎、前立腺炎、精巣上体炎などが挙げられるそうだ。
なかでも前立腺炎は、尿道から入り込んだ細菌によって起こる細菌性前立腺炎と非細菌性前立腺炎がある。
いずれも排尿時の痛み以外に、頻尿、会陰部(陰嚢と肛門の間の部位)や下腹部の不快感や痛みなど、さまざまな症状があるという。
細菌性前立腺炎はまさに急に起こり、発熱や倦怠感などの全身症状まで伴うこともあり、適切な治療を行わないと慢性前立腺炎に移行しかねないとのこと。
それとも……ま、ま、ま、ま、ま、まさかッ!
淋病、クラミジア感染などの性病のサインでは?……それとも、梅毒じゃなかろうか?
少なくとも心当たりはなかった。性病に罹るような、やましいことはしていない。だから大丈夫のはずだ。
◆◆◆◆◆
だとすれば、あとはどんな病気と考えられるのか?
ひょっとして――僕は、ようやく思い出した。
酔ったあの日、無人駅のセンダンの老木に小便を引っかけたとき、誤ってミミズにかかってしまったのでは?と思った。
子どものころ、よく両親に注意されたものだ。――『ミミズにおしっこをかけたら、陰部が腫れる』という迷信。大抵の男子なら誰もが知っていた。
あの話の真相は、土に触れた不衛生な手で陰茎を触ったりしたときに、なんらかの細菌を入れてしまい、腫れあがる説が有力だ。
もしくはミミズの種類によって、液体を浴びせられた場合、反射的に毒素を含んだ液体を放つと、テレビ番組で観た憶えがあった。
成人よりもどうしても脚の短い子どもは、その反撃を受けやすく(あるいは鯉の滝登りのように毒素が尿を伝ってくるとか? 物理的にありえない)、同じく粘膜に被害を受けて陰茎部が腫れあがるのではないかとする説がある。
もっとも僕のケースは、おしっこをしているあいだ激烈に痛み続けるんであって、局部が腫れあがっているわけではない。まったく異状はないのである。
飲み会の帰り道、僕の記憶がたしかなら、いっさい土には触れていないはずだ。ばっちいのに触れるわけがない。
あるいは老木の根もとにミミズがいたとしたら――それは充分考えられた。
なにしろ近くには街灯がなかったのだ。そういった種のミミズに誤射してしまった可能性もなきにしもあらずだった。
このミミズに小便という仮説も、じっさい陰茎が腫れたという人と、実験の結果、なんら被害を受けなかったという報告もあり、一概にミミズの仕業と結び付けるのは早計だ。
それともセンダンの木に引っかけると、サポニンの効果かなにかで、このような症状になるとか?
根もとに果実が無数に落ちていて、尿と化学反応を起こしたとか?
わからない。聞いたことがなかった。
まさかとは思うが――僕の考えは飛躍した。
なぜ駅舎周辺の桜並木が、すべて伐採されているのに、あのセンダンの老木だけ残されていたのだろうか?
外来種のカミキリムシの被害からまぬがれたというのもある。
そういやあの夜、見なかったか。
不自然なカップ酒が木の反対側に置かれていたのを。
和紙の上に、円錐に盛られた塩まで添えてあったはずだ。
あれはきっと意味があったにちがいない。
僕は健康診断の結果が来てからすぐ、窓の外に向かって、『駅の老木よ、ごめんなさい』と、手を合わせて謝った。
するとどうだ。
あれほど苦痛だったトイレでの症状が、ピタリとおさまった。
小便をひっても、途中でとめて二度出ししても、なんともない。
悪夢のごとき激痛はいっさいなくなった。これほど劇的におさまったのは驚きだった。
僕はいまでも仲間内で怪談話をするとき、変わり種でこのネタを披露するときがある。
さほど怪奇色もないし笑いも誘えるが、「それって、一時的な結石が尿道で悪さしてただけだろ。たまたまうまく排出できたんじゃないか? 偶然偶然」と、懐疑的な見方をされることもある。
◆◆◆◆◆
それならば、である。
僕は真偽を証明するため、あれから4年後、人体実験をすることにした。
のた打ちまわるほどの激痛に苛まれたというのに、学習能力が欠如している。これぞ真性のマゾである。――どうせ人生は実験の連続だ。そうだろう?
性懲りもなくある夜、例のセンダンの老木に小便を引っかけることにしたのだ。
くだらないYouTuberと同レベルだ。ただし、こちらに広告収入などは入らない。
老木は当時と変わらず、ぽつねんと佇んでいた。
前もって木のまわりを調べてみた。
4年前みたいに、木の根もとにはカップ酒と盛り塩は見当たらなかった。あれはいったいなにを意味していたのか。ご神木なら、紙垂をたらした注連縄が縛り付けているはずだが、それもない。
ライトでつぶさに観察したが、ミミズが地表に姿を見せている形跡もない。
センダンの実が散らばっているわけでもなかった。
もちろん僕は、いっさい土に触れていなかった。
確認したうえでジーンズのチャックをおろし、発射。
僕は放尿を終えた。ばっちり木の根もとに引っかけてやった。
翌日のことだった。トイレに立ち、おもむろにおしっこをした。
「アウッ!」
思わず、故マイケル・ジャクソンみたいな奇声を発した。痛いのなんの。
――やっぱりだ!
あの惨事はまちがいなく尿路結石からはじまり、ミミズの呪いなんかではなかったのだ。
僕は久しぶりの痛みに悶絶した。結石なら尿路の粘膜と擦れて、尿に血が混じるはずだ。ところが尿の色になんら異状はない。膿もあろうものか。
まるで獣を捕える罠――スパイクのついたトラバサミで挟まれたかのような峻烈な痛みが襲った。文字どおり、罠にかかった獣みたいに吠えたくなった。
まさに、アウッ!である。
――まちがいない。
きっとあの老木が怒ったにちがいない。
人間どもめ、よくもおれに小便を引っかけてくれたな、と。
センダンの木の祟り、恐るべしである。
すぐさま僕は無人駅に走り、老木の根もとをジョーロの水で清め、手を合わせ、許しを請うたのは言うまでもない。
老木にはもともと聞き分けのよい精霊でも宿っていたのか、またしても異変はピタリとおさまってくれた。文字どおり、ピタリとだった。
僕は無神論者であるにもかかわらず、このときこそ神に感謝した。
さすがに二度目で懲りた。およそ三度目を試したいとは思わない。男にとって、あんな激痛は二度とごめんだ。
あれからウン十年経ったが、同種の痛みは体験していない。もちろん、その手の病気にもなっていない。
世の中にはふしぎなこともあるものだ。
僕はそれ以来、よほどのやむを得ない場合をのぞき、屋外で立小便をしなくなった。
とくに樹木に引っかけるなど言語道断である。
無人駅の老木よ、ごめんなさい。若気の至りでした。二度としません。
了
言うまでもなく、屋外での排泄行為は軽犯罪法違反である。
今日では公衆衛生上――疫病防止の観点から、先進国を中心に多くの地域で屋外での排便が禁止されている。
――現在、そのセンダンの老木はいつの間にか伐採され、廃棄物処理場の建物が建っている。なんらかの祟りがあったかどうかは知らない。
ちなみに、センダンの花言葉は『意見の相違』だそうだ。