悪役令嬢は悲惨な末路にならぬようサツマンに嫁いで平和な暮らしを目指す
ワラキアにて。
バサラブ4世は
(不思議だ、あっという間に病気に罹患し、死んでいく者が多い。
まるで時が加速しているようだ……)
と感じていた。
そして夜半、急にコウモリの大群が飛び交い、城兵が恐慌状態に陥る。
城兵を鎮まらせようと隠し部屋から出た。
またコウモリが飛び立つ。
(なにか、この石がコウモリと化して飛び出した、そんな風に見えたが……。
うん? 何か文字が刻まれている。
バサラブはミフネアたちに殺された、だと?)
不覚にも立ち止まって注意を他に向けた瞬間、彼は刃に貫かれた。
「ひ……卑怯だぞ、今は停戦期間じゃあなかったのか?」
「ええ、停戦期間ですよ。
でも、暗殺したらいけないとは誰も言っていない。
大体貴方だって、我々に暗殺者チームを送り付けたじゃあないですか」
「決着をつけなくてはッ!
『ダネシュティの血統』は!
克服しなければッ!」
「ヴラドの血統に切り抜けられなかった物事など、一度だってないんだッ!
また明日から安心して熟睡できるッ!」
ミフネア悪公、ヴラド僧公、ミルチャの攻撃を受け、バサラブ4世は斃れた。
ワラキア公はドラクレシュティ家に戻り、ヴラド僧公がヴラド4世として即位した。
3万3千の軍勢を率いてイタリアに攻め込んだフランス国王シャルル8世は、島津家久軍に敗れて多大な犠牲を出した。
8千ものスイス傭兵を有しながら、島津軍の大量かつ高性能の鉄砲速射による遠距離攻撃で大打撃を受けた事は、フランスの威信に大いに傷がつく。
この敗戦でブルターニュ方面のフランス軍も動揺した。
そのまま継戦となれば、ブルターニュ・フランドル連合軍は、フランス軍に大勝出来たかもしれない。
だが新大陸からの「サツマン風邪」が蔓延し、正教会・カトリック両教会の呼びかけにより休戦が成立。
この休戦期間中、フランスは巻き返しを図った。
軍事で負けた彼等は、得意の外交でブルターニュ女公アンヌをフランドルから寝返らせる事に成功。
彼女が結婚しようとしたエドワード・オブ・ヨーク(エドワード5世)はイングランドの敵であり、結婚したならばブルターニュはフランスとイングランドの両方を敵に回す、と。
元々ブルターニュ公国は百年戦争の際、イングランド、フランス両国がお互い都合の良い貴族を半独立国にして出来たもので、英仏共に敵に回したら国を維持出来ない。
そう警告した上でフランスはブルターニュの権利を大幅に認め、シャルル突進公が本拠地ブルージュに戻った隙に、シャルル8世とアンヌ・ド・ブルターニュの結婚と同君連合化を発表した。
進駐の正統性を失ったフランドル軍は、ブルターニュから撤退せざるを得なかった。
疫病はイスパニアをも襲った。
多数の戦争で疲弊した国民が感染し、多数が死亡する。
その惨禍は先頃の異端戦争の比では無かった。
もっともイスパニア人は、あれだけサツマンに国土を荒らされていなければ、体力も有って病死も少なかっただろうと、神とサツマンを呪う。
イスパニアに悲劇は終わらない。
サンチアゴ・デ・コンポステーラを守った次期国王アストゥリアス公ファンが、この病気に罹って死亡する。
カスティーリャ・アラゴン連合王国は、戦争どころでは無くなってしまった。
この戦争と異端審問の反動から来る内部分裂と疫病の三重苦で、人口は40%にまで激減。
再起するまでに一世紀の期間を要する事になる。
だが、一世紀で済んだのは休戦までに2人の将軍が大戦果を挙げたからだ。
ゴンサロ・フェルナンデス・デ・コルドバとサンチアゴ騎士団は、ポルトガルに奪われた南方のウェルバとカディスを奪還する。
ナポリ島津家と戦っていたチェザーレ・ボルジャ軍は、当主が病気に罹った島津薩州家をムルシアの戦いで撃破し、余勢を駆ってカルタヘナまで奪還した。
以降は休戦となるも、地中海への出口カルタヘナ、大西洋への出口ア・コルーニャ、海軍基地カディスと奪い返した事はイスパニアの国力回復に大いに役立つ。
ゴンサロとチェザーレ・ボルジャは、休戦の対象でないイスラム連合を攻撃する。
ナスル朝グラナダは、正教会の言う事にも、ローマ教皇の言う事にも従う義理は無い。
感染に時差が有り、比較的感染者数が少なかった時期にキリスト教世界の休戦呼びかけが成されたが、彼等はそれを無視した。
「勝ちに目が眩み、引き際を弁えないと運は反転する」
亡きロレンツォ・デ・メディチは勝ち逃げの達人だった。
深入りし過ぎて恨みを残す前に、適当な所で手打ちにする。
ギリギリまで倍プッシュするのだが、一転引く時は引いた。
島津家久も「相手は根まで擂り潰せ」という島津家において、同じ思考をする。
ロレンツォや家久からしたら、ナスル朝のムハンマド12世は欲張り過ぎて引き際を誤った。
キリスト教世界が限界を訴えた時が、最大の勝ち逃げの時期で、以降はツキが逆転する。
休戦によりイスパニア軍の戦線が整理される反面、今度はアンダルシア地方に病気が蔓延する。
そこをイスパニアの名将2人と、新戦術に慣れて強化された軍に攻められたのだ。
セビーリャが奪還され、イスラム連合はコルドバの町に押し返された。
このままコルドバも奪還されようとした時、グラナダに救援が現れる。
北アフリカの島津忠仍が精鋭を連れて現れたのだ。
「焼討将軍トヨヒサの弟公か……」
気を引き締めるゴンサロとチェザーレ・ボルジャだったが、島津の名にフェルナンド2世とイザベル女王が怖気づいた。
ナポリ島津家もカルタヘナ奪還に向けて動き始める。
ダルマチアで休養していた島津軍も再動員を始めた。
ワラキア継承戦争の決着を見届けたスパルタ島津が既に動き出している。
そしてタラントに居た上皇家久が艦隊を集結させているという。
各国の中で、何故か最も病気の被害が少ないサツマンの全軍が、疲弊したイスパニアに再来する恐怖に、両王は屈した。
直ちにゴンサロとチェザーレ・ボルジャに停戦を命じる。
実際に動いたのは島津忠仍だけで、それも兵力は二千人であった。
全ては上皇家久が山潜者を使い流言をばら撒いただけなのだが、家久はその虚を活かして更に追い込みをかける。
「チェザーレ・ボルジャを引き渡せ。
ボルジャ家は抹殺の対象である」
イスパニアの英雄となったチェザーレ・ボルジャは、一転して窮地に追い込まれる。
ボルジャ家は「薩摩の平和」にとって最大の悪役となっていた。
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チェザーレ・ボルジャには5歳下の妹がいた。
名をルクレツィア・ボルジアと言う。
父ロドリーゴ・ボルジャが日向送りされた時は、僅か8歳であった為、修道院に入れられるだけで済んだ。
だが「親切な人たち」によって修道院から逃れ、匿われ、ひっそりと暮らしていた。
「まったく、兄貴のせいで、私まで薩摩に狙われるじゃない!」
彼女は考えた。
栄光を極める筈だったボルジャ家が、滅亡の危機に在る。
これは本来の歴史の流れとは違う。
しかし、それを言ってもどうにもならない。
何もしないでいれば、ゲームオーバーで死が待っている。
兄はイタリアへ、ローマへの返り咲きを狙い、ミラノのスフォルツァ家に自分を結婚させようとしたが、スフォルツァ家当主のルドヴィーゴは薩摩を恐れてそれを受けようとしない。
この中世的思考では活路を見出せないのではないか?
大体、島津が15世紀のヨーロッパに居る事自体おかしいのだから、通常の物の考えでは失敗する。
彼女は死にたくない、破滅エンドを免れて安楽な生活で人生を終えたい、筋書きを変えたいと必死に知恵を絞る。
「よし、だったら敵の懐に飛び込もう!!」
チェザーレ・ボルジャも周囲の者も、全てが危険だと止めた。
しかし彼女は知っている。
薩摩は女性蔑視が酷く、逆に「女子に何が出来る?」と侮っているから、殺される事はほとんど無い。
暴行は二通りの意味でされる可能性が高いが、死ぬよりは遥かにマシだ。
彼女は母方の姓ルクレツィア・カタノイと名乗り、コンスタンティノープルに移る。
正帝コンスタンティノス12世の皇后は、島津家久とイタリア人女性との娘である。
そのイタリア人女性ルクレーツィア・ランドリアーニは皇帝の姑という事で、島津家久が上皇として東ローマの政治から退いた後も宮殿に残っている。
家久も、もう高齢のこの女性を寵愛してはいない。
寵愛というか、子を産ませる為だけに傍に置いていたのだが、飽きた今は後宮の取り纏めをさせ、家久の傍には新しい側室が侍っている。
「家久が居ないならチャンスよ!」
鬼の居ぬ間に、彼女は
「同じ名前ですね! よろしくお願いします」
とルクレーツィア・ランドリアーニに取り入り、家久の子女の世話係に就く。
東ローマ帝国には宦官も居るのだが、発想が日本人の島津家久は女性に奥を任せていた。
こうして家久の子女の世話係として、嫡男島津又三郎近久と出会う日を待つ。
(私より2歳年下か。
なんとか今までの経験を活かし、絶対に選択肢を間違わないようにするわよ!)
彼女は心の内でそう決意していた。
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休戦期間中も上皇となった家久は忙しかった。
正教会・カトリックからの休戦要請をイスラム教国が無視したように、新大陸の者も無視した。
人数も少なく、現場レベルでの休戦で体を休めている内に、自然快復する。
そしてヨーロッパでは1494年から99年まで5年間の休戦と、ごく自然に受け入れていたが、新大陸では1495年には再度開戦する。
ここの戦争は大規模な会戦とはならず、暴力組織のカチコミや路上での決闘レベルが頻発するもので、ダラダラと続いて終わらない。
家久は統制しようしたが、それを棄てて薩摩本国に帰らねばならない事態が発生した。
正室亀寿が亡くなったのだ。
サツマン朝を保証する皇后の生母も、島津家後継である近久の生母も、立場的には側室である。
不仲が知られる夫妻だが、離縁はしていない。
島津家当主は家久だが、家督継承者は亀寿である。
別居後、家久の目が届かなくなった事と多忙で、亀寿への陰湿極まる嫌がらせは少なくなった。
そして意図せず、夫妻は職務を分け合う。
家臣の嫡男承認や裁判沙汰等、公式な事は家久が差配する。
一方で家臣の身内に不幸が有ったり、裁判で負けて負の念を抱く者等に、贈り物をしたり手紙を送ったり、時に幽閉場所の持明院に呼んで話を聞くという役割を亀寿がしていた。
領民の祭に支援金や酒を贈り、不作の時は年貢分を返還するだけの見舞米を出す。
あれだけ過酷な家久の統治が破綻しなかった裏には、亀寿の助けが有ったのだ。
家久は絶対に認めようとしないが。
この家臣領民から「持明院様」と敬われる亀寿が薩摩暦長勝九年(天正は辛酉の年に当たる四十九年、西暦1487年に改元され、家久の意向で「長く勝ち続けたい」年号に代った)、西暦1496年に死亡した。
家久から解放され、故郷薩摩で家臣領民と触れ合って過ごした彼女は、元の笑顔を見せるようになっていったと言う。
家久にはどうでも良い事だが、流石に葬儀はしないとならない。
”あたし世の 雲かくれ行く 神無月 しくるる袖の いつはりもかな”
(意訳:はかない世の中だ、神無月に亡くなってしまったか。
涙で袖が濡れてしまうよ……なんて嘘だよ~ん)
家久が亀寿の死において送った歌であった。
帝都では、島津近久が訳の分からぬ奇声を挙げながら、池に全裸で飛び込んでいた。
(ああいう時の島津家の者には近づいてはならない)
後宮ではそう知られている。
家久が怒りで爆発した時、近づいた者はその後行方知れずになるのだ。
「若殿、何をそのように悲しまれておいでですか?」
ルクレツィア・カタノイという侍女が話しかける。
家久だったなら命は無い。
だが近久は違った。
「父上の為されよう、あんまりじゃ!
持明院様は俺いの母ではなかが、そいでも薩摩の国母じゃ。
まして父上の従姉ではなかか!
あの父上の歌、そん方への侮辱じゃなかか!!
……俺いには、その父上の冷たい血が流れておる。
俺いも、いずれはあのようになるのか!!」
「解釈の違いですよ」
「何じゃと?」
「『いつはりもかな』をそのまま『偽りも哉』と読めば、お前が死んで悲しい等偽りだ、となります。
しかし『偽りもがな』と読めば、死んだのが偽りであったならなぁ……という意味になります」
「……おはん、イタリア女の癖に、何故分かる?
おはん、何者じゃ?
まあ、良か。
そう思えば気が楽になった。
おはん、今宵俺いの寝所に参れ、話をもっとしたくなったでな」
ルクレツィアはスカートを持って、承諾の仕草をした。
亀寿死亡後の家久は更に多忙となった。
鹿児島に戻ると、亀寿が今迄やっていた事を、当主であり家督継承者にもなった彼がしなければならなくなったからだ。
新納忠清は言う。
「手配は我等で行いもすが、ご当主の署名はして貰いもす」
「面倒じゃ」
「皇帝兼任時は許されもしたじゃっどん、退いた以上もう通じもはん。
島津の当主としての役割も重要ごわそう。
さもなくば、戦で兵児が黙って指揮には従いもはんど。
分かったら、手を止めんで働きなされ!」
「この鬼め!」
溜息を吐き、家久は「島津家棟梁」としての、今迄意図的に避けていた仕事を行う。
先代の島津義久、先日迄の亀寿の隠れた功だったが、礼を口するような殊勝な人間ではない。
島津家棟梁として、アテナイ等の家久領領主として、そして欧州の調整役として仕事に追われる家久は、最期の日を迎えるまで不良中年から不良老人に変わっただけだった。
そんな家久も元に、嫡男近久に女児が産まれたという報が入る。
喜ぶ事だが、何かが引っ掛かった。
「山潜者は誰か居るか?」
「はっ、これに」
「又三郎の子を産んだ女子の素性を探れ。
何か分からぬが、気になったでな」
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その後も慌ただしい日々を送っていた家久だったが、1500年に帝都に現れる。
末尾が00年、つまり世紀が代わる事で祝いと祈りを捧げる儀式があり、正帝・副帝・上皇が揃う事になったのだ。
家久は息子の側室を呼び出す。
(怖い……、何なの、この威圧感)
数多の戦を経験し、多くの者を陰謀で屠った家久が意図的に発する威圧感は、同じような武将・諸侯で無いと腰が抜ける程のものである。
そして腹芸無しに聞く。
「おはん、何者じゃ?
正体はルクレツィア・ボルジャという、本来始末するボルジャ家の女子なのは先刻承知しておる。
じゃっどん、それだけじゃなかな。
おはん、もしかしたらこの時代の者と違う、そうじゃなかか?」
(なにこの人、鋭いなんてものじゃない!)
図星をつかれたルクレツィアは冷や汗を流す。
確かにルクレツィア・ボルジャは、ロドリーゴ・ボルジャ枢機卿とヴァノッツァ・カタノイとの間に生まれた女性である。
だが、その魂は実は……。
「答えにくいか、そうじゃろうの。
突飛過ぎる話じゃし、最近の薩摩の者にも、昔我等が日ノ本に居た事を知らぬ者がいたりする。
じゃが、確かに我等は今から百年後の、関白秀吉なる者と戦う寸前にこの世界に転移した者ぞ」
(そうだったのか!
道理で私の知ってる歴史と違うわけだ。
って事は、近久君って、私の知っている歴史では島津光久の事??
こっちの世界では徳川家光はまだ居ないから、一字拝領なんて有り得ないもんね)
家久はジッと見ながら
「何を考えておるか分からんが、ここは俺いの天下じゃ。
余計な事をしたら、女子とて斬る……」
「ま、ま、ままま、待って下さい」
「ほお? 俺いの言葉と丸で違うが、日ノ本の言葉じゃの。
おはん、日の本の民か」
「はい」
「そうか……。
もし俺いに仇成さず、その知識を薩摩の為に使うなら生かしてやろう」
(ラッキー!!)
彼女の最大の目的は生き残る事。
それが今のところ成功したのだから、喜ばしい事だった。
「是非とも、島津家の為に働かせて下さい」
「で、何が出来る?」
「えー、この前まで流行っていた流行病対策とか……」
「おはん、医者か?」
「いや、違います!」
石鹸を使った手洗い、うがい、マスク着用、祈祷や変な薬は飲まず、水分補給し乾燥させない。
後世の知恵で、万能ではないが、これをするだけで相当に違いが出る。
特に中世終わりかけのこの時期ならば。
「そういえば、帝都の宮殿では、おはんが現れて以降病人が減ったチ聞いたの」
(情報能力高い!!!)
家久は頷くと、再びルクレツィアの方を見る。
「もう一度聞く。
おはん、身なりはそのようじゃが、魂は日本人じゃな?」
「はい」
「あい分かった。
大儀じゃった」
ルクレツィアが退出した後、家久は冷酷に命じる。
「あの女子の素性が分かった以上、もう止める必要もない。
チェザーレ・ボルジャを討て。
ボルジャ家を潰しても、最早何の問題も無か……」
チェザーレ・ボルジャに与えられていた執行猶予が切れた瞬間だった。
おまけ:
新大陸では、サツマニア・ノヴァもヌーベル・ブルゴーニュも、それなりに組織化を始めていた。
もしも悪魔が世界を支配したなら、その世界は神と悪魔の立場が逆なだけで、社会的にはそれ程違いが出ないという説がある。
働きアリの中には二割の怠け者がいるが、その二割の怠け者だけを集めて社会を作ると、八割は一生懸命働き始め、結局元のような二割の怠け者を抱える形になる。
欧州の掃きだめと称された新大陸でも、そのように母国と類似した社会が出来ていった。
やがて新大陸における各陣営では、組織化された軍と指揮官が出て来る。
ヌーベル・ブルゴーニュ軍は「邪悪将軍」と四大隊長と呼ばれる者が指揮するようになる。
サツマニア・ノヴァ軍は「薩摩将軍」と薩摩六騎士と呼ばれる者が指揮するようになる。
(うち、一人は忍者崩れである)
そしてフロリダのイスパニア軍は、騎士団からの流れで、十二人の卓越した騎士が対等の立場で統率し、
「サツマを倒した者が首領となる」
として戦い続けている。
この首領になる事を提案した人物は隠し名「影将軍」と伝わる。
おまけの2:
犬童頼兄「島津殿、イングランドで花植えとったが、あれは何ばい?」
島津忠釈「ドクダミ、ゲンノショウコ、センブリじゃ」
犬童頼兄「お、おお……、一体どうしてそぎゃん花を?」
島津忠釈「祖父様も父上も『薬になる役に立つ草花じゃ』チ愛でておってな」
ウォリックシャー住民「今年もまた生えて来た! この臭い、日陰に咲く花が!
根までむしったのに、なんでまた生えて来るんだ!?」
おまけの3:
いきなり「転生者」が出て来て不快に思った読者もいるかと思いますが、
この作品のタイトル「薩摩転生」でして。
本編終了後の余章は、この世界の薩摩に転生してしまった人の視線で「家久死後」を語り、
タイトル名を回収しようと考えてます。
もうこの転生者が「後世の知識」で歴史を荒らす事は無いので、本編あと1話よろしくお願いします。
(余章を何話にするか、まだ書き終えていない……)
おまけの4:
疫病はコロナではなく、スペイン風邪が元ネタです。
スペイン風邪はアメリカ兵が持ち込み、軍隊から感染爆発したので。




