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継承戦争

西暦1492年、領土縮小、内紛、賠償金支払いで苦しむカトリック両王国に1人の少年が現れた。

彼の名を聞き、フェルナンド2世とイザベル女王は直ちに謁見する。

「セザール・ボルハ……よく生きていたな」

イタリア語読みでチェザーレ・ボルジャ、この年17歳。

日向(エリュシオン)送りにされたロドリーゴ・ボルジャ枢機卿の子である。

「私はあの時、ペルージャに居て難を逃れました。

 その後も兄弟姉妹親切な方に匿われ、生き延びたのです」

(親切な人ねえ……)

おおよそ予想が着く。

サツマニアやメディチ家の勢力拡大、謎の宗教改革に反発する者たちであろう。

「して、此処には何の用で参られた?」

「対サツマニア戦争の一角に加えて頂きたく、お願いいたします」

こうしてイスパニアはゴンサロに加え、恐ろしい将軍を手に入れる事になった。

 時間を遡る。

 西暦1490年、ハンガリー王マーチャーシュ1世が死亡した。

 ウィーンを占領し、オーストリア公を名乗る等、ハプスブルク家の天敵として暴れた中欧の覇者であった。

 ワラキア公国は、モルダヴィアやトランシルバニアを併せた強国に成長するも、ハンガリーとの関係は悪化させないよう苦心した。

 軍事的には恐れを知らないヴラド3世であったが、ハンガリーはワラキア貴族たちと関係が深く、内紛を起こされたら面倒だ。

 故にマーチャーシュ1世との同盟関係を維持していた。

 一応、ワラキアにとってサツマン朝東ローマ帝国及びオスマン・トルコ帝国は公的には敵であり、キリスト教世界的にもハンガリーとの友好は欠かせない。

 マーチャーシュ1世は、最初はヴラド3世による東欧での勢力拡大を喜んでいたが、次第に警戒し始める。

 ヴラド3世はいつまでも飼い犬でいる男ではない。

 「悪魔公ドラキュリア」と呼ばれたヴラドは、折を見ては反対派の貴族を粛清し、中央集権化を進めた。

 また敵国サツマニアの鬼島津と仲良くして、ハンガリーによる圧迫を撥ね除けようとしている。

(お互い殺し合いする好敵手として遊んでいただけだが、外国からはこう見えていた)

 強くなり過ぎたヴラド3世の排除は、いつしかマーチャーシュ1世の課題となっていた。

 ようやく訪れた好機に正統公爵家たるダネシュティ家を使ってヴラド3世を斃す。

 そして今のワラキア公バサラブ4世を支持し、ワラキア、トランシルヴァニア、モルダヴィアを間接的に支配している。

 このように神聖ローマ帝国及びワラキア公国に影響力を持っていたマーチャーシュ1世が死んだ事で、薩摩に亡命していたヴラド3世派、ドレクシュティ家のミフネア、ヴラド僧公、ミルチャは反撃を開始する。

 ミフネア、ヴラド僧公、ミルチャは公位奪還の兵を発す。


「そうか、客人は国を奪りに行ったか……」

 報告を聞いて呟いた皇帝家久だったが、ふと悪い予感が頭をよぎったので山潜者をイタリアに派遣する。

 悪い予感は的中していた。

「島津惟新斎様、島津忠比様、既にフィレンツェを発し、ワラキアに向かっております!」

「止めよ!」

「無理ごわす!

 薩摩に惟新斎様を止められる者はおりませぬ」

 戦闘力で九十二歳の老人に敵わないと言うより、感化されて説得どころか自ら参軍する、ミイラ取りがミイラになるのである。


 かくして皇帝家久は、なし崩し的にワラキア継承戦争に巻き込まれてしまった。

 米も穫れない地ゆえ、全く興味が無かった土地の戦が、島津家久の足を引っ張る。




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 一方、フランドル王シャルル突進公の場合は、自ら面倒事を起こした。

 彼は基本的に強欲である。

 新領土ヌーベル・ブルゴーニュを獲得したものの、彼もまさか大西洋の遥か彼方であるとは思わなかった。

「アイルランド島くらいの距離だと思ってた」

 と今更後悔を口にする。

 そことフランドル及びレオン王国との三角貿易が出来るようになったが、いつ交易船が難破するか分からない遠さでの交易に、突進公は

「やはりブルターニュ半島が欲しいなぁ」

 と欲を出す。


 西暦1488年、ブルターニュ公フランソワ2世はサン=トーバン=デュ=コルミエの戦いに敗北する。

 そして、フランス王の許可無くブルターニュ公の娘たちを結婚させてはならないとするヴェルジェ条約を締結させられた。

 だがフランソワ2世は死亡。

 後を継いだアンヌ・ド・ブルターニュに対しフランスは国王シャルル8世との結婚を要求したが、ブルターニュ側はこれを回避すべく、フランドル王国太子マクシミリアンとの結婚を打診して来た。

 マクシミリアンはハプスブルク家の出で、シャルル突進公の娘マリーと結婚していた。

 マリー事故死後も「ローマ王」として神聖ローマ皇帝継承権を持つマクシミリアンとの養子縁組を突進公は解消していない。

 彼は自身がローマ皇帝と成れずとも、ローマ皇帝の父親になる夢を諦めていなかった。

 マクシミリアンとブルターニュ女公アンヌとの婚姻を認めると、流石にマクシミリアンの立ち位置がおかしくなる。

 そこで、アンヌの元々の婚約者であったヨーク朝イングランド王エドワード5世、叔父のリチャード3世によってロンドン塔に幽閉されていた所をシャルル・シマンシュ(島津豊久長男で突進公の養子)が救い出した男との結婚を打診する。

 第三次薔薇戦争で死んだと思われていたエドワード生存の知らせに、ブルターニュは驚いた。

 だが、これでフランドル王国の助力を得られるなら、とこの婚約を了承し、発表する。

 これはヴェルジェ条約違反であるとフランスは激怒するが、同時にイングランドもブルターニュへの協力打ち切りを宣告して来た。


 テューダー朝イングランド国王ヘンリー7世の王位継承は綱渡りものだった。

 ヨーク朝イングランド国王エドワード4世の男子を全て「私生児」として王位継承権を剥奪し、女系でも王位継承権を持つイングランドの制度を利用し、エドワード4世の女子エリザベスと結婚する事で、王位を移したのだ。

 それだけにヨーク家正統を騙る反乱が起きる。

 1486年に自分はロンドン塔に幽閉されたエドワード5世だと名乗る者が反乱を起こした。

 1490年にも、今度はエドワード4世の弟リチャードを騙る反乱が起きて、鎮圧したばかりである。

 本物のリチャードはイベリア半島北部のレオン国王リカルドとなり、ナバラ王国女王と結婚して同地の君主となっているのだから、情報不足の滑稽な反乱でしかない。

 リチャードはまだ良い、王として即位していないし、ヘンリー7世も我慢出来た。

 だがエドワード5世はいけない。

 王位継承候補者どころではない、一度は本当に王位にいたのだ。

 エドワード5世が表に出て来たとなると、ヘンリー7世の王位は危ういものとなる。

 イングランドは直ちにフランドルとブルターニュを批判し、一転してフランスと同盟を結んだ。

 これに対しシャルル突進公は自ら兵を率いてブルターニュ公国に乗り込む。

 と同時にシャルル・シマンシュはエドワード5世を連れてイングランドに攻め込む。

 こうしてブルターニュ継承戦争と第四次薔薇戦争が同時に始まった。

 イングランド国王ヘンリー7世は、急いでコンスタンティノープルの島津家久に連絡を入れ、仲裁、若しくはシャルル・シマンシュを撤兵させるよう頼み込む。

 島津家久は五十歳を超えてしまった。

 なのに相変わらず、あちこちで勝手に動き回る島津一門に振り回され、後始末をする日々が続いていた。




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 こんな中で、新大陸で新薩摩と新ブルゴーニュの戦争が拡大しているという報が入る。

「どいつもこいつも!!!!

 ウガーッ! チクショーメッ!!!!」

 ドツキ合いをして気を鎮めてくれる盟友島津豊久も亡くなって久しい。

 人知れず暴れまくり、宮殿の奥で荒れ狂う事三日間、やっと冷静さを取り戻した家久は、東ローマ正帝コンスタンティノス12世を訪ねる。


 コンスタンティノス12世はこの年三十八歳。

 皇帝として後見人が必要な年齢ではない。

 家久嫡男の虎寿丸は十歳となっていた。

 二人を前に家久は

「俺いは副帝アウグストゥスを退こうと思う」

 と言う。

 虎寿丸はポカンとしている。

「ワラキアとかブリテン島とか、其方に専念したいのですか?」

 流石に正帝ドミヌスは事情が呑み込める。

「左様。

 そこで、虎を副帝にして鍛えよ。

 虎、おはんは明日元服じゃ。

 なあに、俺いも十歳で元服し、十一歳で一村根切りをさせられた。

 そこ迄は求めんで、おはんもさっさと役に立て」


 父親の島津義弘同様の有無を言わせぬやり方で、虎寿丸は何が何だか分からず、大混乱している。

 家久は上皇となり、東ローマの政治から身を退く。

 元老院に辞任と幼い副帝即位を告げ、副帝の補佐を依頼する。

 副帝となった虎寿丸は、元服させられ、コンスタンティノス12世を加冠役として一字拝領して名乗りを改める。

 島津又三郎近久、それがサツマン朝島津家の二代皇帝となる男の名前であった。




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 重荷を置いた家久は、足取り軽くフィレンツェに移動し、ロレンツォ・デ・メディチと会談する。

 ロレンツォ・デ・メディチは病床に居た。

 痛風に苦しんでいる。

 祖父コジモも、父ピエロも痛風を患っていて、メディチ家の持病と言えるかもしれない。

 ヴェネツィアのベレッタ家に拳銃を発注して新大陸にばら撒く等、フィレンツェ系新大陸商館の暴走に対して睨みが効く状態では無かったのだ。

「良くないようじゃな」

「ああ、俺はもうすぐ死ぬ……。

 ちょっと早いが、俺が俺でいられるうちに死ねるのだ。

 ある意味幸福と言える」

 彼は老いて、自分が自分で無くなる、よろめく体を記憶に無い、聞いた先から忘れていくような者たちに支えられながら生き続ける事を嫌っていた。

 老人となっても、可能なら祖父コジモのように、死ぬ間際まで曲者で在り続けたい。


「俺の事はどうでも良い。

 海の向こうの事だろ?」

「そうじゃ」

「諦めろ」

「何チ?」

「俺とあんたは大博打に勝った。

 だが、それが何時まで続く?

 勝った者は次の勝ちを求められる。

 俺は勝ったまま死んで、勝ち逃げする。

 だがあんたは、これからも勝ち続けねばならない。

 教会もイスパニアも、あの時はあれで十分だった。

 あれ以上余計な欲……引き際を弁えないと失敗する。

 だがこの先もあの時のままで行ける筈が無い。

 あんたはヨーロッパで手一杯になる。

 新大陸には手が回らんだろう」

 一理有った。

 だがそれで何もしないというのは、それこそ「求め続けられる勝利」を自ら放棄するようなものだ。

「ククク……それで良い。

 あんたはこれからも戦い続ける。

 新大陸についてだが、手が回らんなら、それなりの手を打てば良い」

「聞かせてくいやい」

「俺が見るに、サツマニアは既に国力の限界を超えて領土を持っている。

 かつてローマは人口百万人の都市だった。

 コンスタンティノープルも人口五十万人を数えた。

 あんたのとこのカゴシマはどうだ?

 サツマニア全部で五十万から七十万といった程度じゃないか?

 それでイベリア半島、イタリア南部、北アフリカ、ギリシャ、小アジアの一部に領土を持ち、その上新大陸だ。

 破綻が目に見えている。

 無理して一元管理しない方が良い。

 ローマ皇帝ですら、最後には巨大な領土を持てあまし、東西四分割したのだぞ」

 言いたい事は分かった。

 日本では既にその問題を解決している、いや、マシな形にしている。

 幕府と大名、宗家と分家、領土は管理できる大きさに分けるのだ。

 問題は独立されるのを防ぐ事。

 それには血縁が重要。


 婚姻での勢力維持は、結局フランス、イングランド、ブルゴーニュ、ブルターニュのような継承戦争を招く。

 一方、分家も遠くなり過ぎるとワラキアのドレクシュティ家とダネシュティ家のような争いとなる。

 それでも家久は、血縁と結束に賭けた。

 家久は死ぬまでに鎮西女性の側室との間に男女合わせて三十三人、ルクレーツィア・ランドリアーニら欧州女性側室との間に八人、イスラム女性側室との間に六人の子を残し、各地に封じたり、分家当主に嫁がせる事になる。


 先の話はともかく、家久とロレンツォは戦地に居るシャルル突進公を巻き込んで

「ヨーロッパにおいて我々は争う意思は無い。

 新大陸の問題も協力して解決する」

 という共同声明を出す。


(ぬる)いな……、だがこの先はもう俺の知った事ではない)

 この共同声明取り纏めを最後の仕事とし、ロレンツォ・デ・メディチはこの世を去る。

 享年43歳であった。


 この声明直後、新大陸で休戦協定が結ばれたという報が届く。

 家久もシャルル突進公も安心し、ヨーロッパでの戦争やその処理に専念する。

 だが新大陸では、同盟部族に疫病が流行した為、どの陣営も戦力低下を嫌って治療に専念、その為の臨時休戦が成されただけである。

 この戦争は結局十年続く。

 家久にはまだ安寧の日が訪れない。

おまけ:

インドに向かった東郷重位は、すぐに薩摩に戻って来た。

「どがいじゃった?」

と聞く周囲に、東郷は不快げに

「あ奴ら、嘘ひいごろばかりじゃ」

と吐き捨てた。

口から火を噴くのは、単に油を口に含み、松明で火を点けていたに過ぎない。

ダイバダッタなど、インド人はもう知らなかった。

そしてインド人は騙して如何に儲けを得ようとするか、それしか考えていない。

嫌になった東郷は、当地に武人無しと思い、旅を切り上げて薩摩に戻ったのだ。


残念な事に東郷は場所を間違えている。

ポルトガル船が辿り着いたのはカレクト王国 (カルカッタ)である。

武人が居る場所は「インドの山奥」であった。

そこには伝説の武人は居なくとも、マガール族、グルン族、ライ族、リンブー族という部族が居た。

後に纏めて「グルカ族」と呼ばれる男たちが……。

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― 新着の感想 ―
[一言] インドの山奥で~♪︎
[良い点] 皆が同じ事を感じている……! ○○示現流を見たかった と
[良い点] グルカ示現流とか頭によぎってしまった!
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