ヌーベル・ブルゴーニュVSサツマニア・ノヴァ
「トーゴー卿、久しいな。
此度は何用で来られた?」
ポルトガル王ジョアン2世の前で東郷重位が跪く。
「天竺行きの船に乗せて頂きたく、参りもした」
ジョアン2世は訝った。
サツマン朝はインドとの貿易にも手を出すつもりだろうか?
それを聞いてみると、東郷は首を振って否定する。
「俺いは強か者に会いに行きたかだけごわす。
天竺には火を吹き、縮地術を使い、手を自在に伸ばして戦う武僧や、
相手の動きを先読みし、浮鉄砲を使って遥か彼方より敵を撃つ女子や、
提婆達多の修行を受け、身体を七色に変える戦士が居るチ聞きもした。
俺いはそ奴等と仕合うてみたか」
かくして東郷重位はヴァスコ・ダ・ガマの船団に乗ってインドに旅立った。
大西洋の先に陸地が在った。
この報に北欧以外の国は驚愕する。
北欧諸国は
「え? あそこってグリーンランドじゃ無かったの?」
くらいの反応だった。
カボート父子とコロンブスは皇帝家久及び正帝コンスタンティノス12世から褒賞を得る。
同様にアメリゴ・ヴェスプッチはロレンツォ・デ・メディチから賞金を授けられる。
マルティン・アロンソ・ピンソンはシャルル突進公によって金羊毛騎士団に叙せられ、多額の年金を支給される。
だが彼等の目的はそこを使って一儲けする事であった。
原住民を奴隷として連れて来たりする。
特にコロンブス隊が酷く、無理矢理原住民を拉致したりした。
当然原住民が反発し、現地は不穏な情勢となった。
薩摩人は正義の味方ではない。
一触即発状態は、翌日には解消された。
原住民が「居なくなった」のだ、島中探し回っても。
拉致された原住民たちは、ガタガタ歯の根が合わない程「何か」に怯えている。
(サツマン人のジョーゲンとやらから血の匂いがする。
そう言う事なんだな……)
コロンブスは彼の支援者を恐れた。
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新天地の話は薩摩本国にも届く。
この新天地に、どちらかと言うと村に居られないようなハグレ者が向かい、一旗揚げようとする。
野蛮で暴力的な薩摩人にあって、さらに乱暴者とか犯罪嗜好者で、「野盗の仕業に見せかけて始末すっか」と周囲に計画されていた連中である。
その邪悪さは酷いものである。
同様に、イングランドに居場所を失いフランドルに居ついたヒャッハー!どもも、
「ヒャッハー! 人が殺せるぜ! 土地が奪えるぜ!
遠いから神様も見て無いから好きにやれるぜ!!」
と、彼等の遠い先祖バイキングも裸足で逃げ出す野蛮さで旅立つ。
こうして原住民にとって、迷惑な「ヨーロッパの破落戸の吹き溜まり」状態になる。
カボートが北から発見した地域は、支援してくれた薩摩に感謝し、サツマニア・ノヴァ(新薩摩)と名付けられた。
同様にピンソンが発見したイベリア半島を西に進んだ辺りは、ヌーベル・ブルゴーニュ(新ブルゴーニュ)と名付けられる。
アメリゴ・ヴェスプッチは発見した土地をオヴェスト・フィレンツェ(西フィレンツェ)と呼んでいたが、何度かの調査で
「此処はインドでもグリーンランドでもアジアの一部でも無い、全く知らない大陸だ!」
と分かってしまった。
以降彼の名を冠し「テラ・ディ・アメリゴ」とフィレンツェでは呼ぶようになった。
そんな中、コロンブスだけは頑なに「此処は西インド」と呼び続ける。
新大陸の情報はイベリア半島南部にも届く。
いい加減絶望的な抗戦を続けていたジブラルタル、メディナ=シドニア公の兵士の中には
「新天地に逃げて、新しい神の国を作ろう。
このまま此処に居ても絶滅させられる」
と、播種船と呼ばれる脱出船を造って新大陸に逃げ出した。
そうして辿り着いた地に、夢を託して「花のような地」と言う意味のフロリダと名付けた。
こうして北から、サツマニア・ノヴァ、ヌーベル・ブルゴーニュ、フロリダ、西インド、テラ・ディ・アメリゴというヨーロッパ人居留地域が出来てしまった。
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質問をしよう。
もしも新興住宅地に暴力団が二組進出して来たらどうなるだろう?
彼等は手を組んで住民に害を為すだろうか?
否、DQNは先に同業者を排除にかかる。
まして組長の目が届かない程遠くである。
きっかけは些細な事だった。
勢力圏が重なり合う辺り(お互い寒いと嫌だし、暑い所もわざわざ選ばないから、近くに住んでた)での事である。
元ヨーク家のヒャッハーどもが野良で肉を焼いて食べている傍を、サツマン人が馬で通ろうとした。
それを見たヒャッハーが、いきなり長弓を射かけた。
外れたのだからその場を去れば良いのに、そこは薩摩の爪弾き者、有無を言わさず刀を抜いて襲い掛かる。
騒乱の声を聞いたサツマン人が
「喧嘩するなら俺いも混ぜろ!」
とわらわら集まり、ヒャッハーも援軍を呼び、お互い野戦陣地を作って睨み合いとなった。
ヒャッハーは言う。
「下馬もせず横を通るのが気に食わなかった」
これが理由で数十人の睨み合いが発生。
そこにお互いの開発村の長がやって来る。
彼等は同じ事を言った。
「ナメられたら負けだ!
あの見苦しい砦を潰すぞ!」
こうして数十から数百に拡大、両者お互いの砦を焼いて痛み分けで後退。
周辺から援軍を呼んで戦争状態に入る。
本国から離れていて、敵も居るか分からない地域ゆえ、銃は多くない。
なので両軍、弓と槍と刀で戦う。
しかも正規軍ではなく、指揮官も一級はヨーロッパに残っているため、各地で喧嘩と決闘の中間ぐらいの殺し合いが多発した。
この様子を見ていた原住民は思った。
(野蛮人だ!
とんでもない野蛮人どもが来てしまった!!)
混乱に拍車を掛けたのが、フロリダのイスパニア人である。
「こんな場所にも奇居子が居る!
やらねば、やられる!」
と過剰防衛意識に囚われてしまい、両者殲滅の為に軍事行動開始。
だがそこは世界有数の蛮族サツマン人と、シャルル突進公配下のヒャッハー兵、脱出した兵士たちでは勝ち切れない。
「ビジネスチャンスだな」
フィレンツェからの入植者は、他の連中と違って暴力的では無い。
資源や商品を探す商館を作り、現地住民とも仲良くやり始めた。
彼等はロレンツォ・デ・メディチにも隠して、とある商売を始める。
ヴェネツィアのバレッタ家。
この家は銃製造のマエストロである。
此処に、とある商社から大量の拳銃注文が入る。
島津家久もシャルル突進公も、ロレンツォ・デ・メディチですらも軍事上の重要兵器・銃の勝手な移動を禁じていた為、隠して運び易い拳銃を、新大陸とは関係の薄いヴェネツィアに発注したのだった。
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この地の住人たちは
(なんか野蛮人どもが来て迷惑。
早く出て行ってくれねえかなぁ……)
と当初は思っていた。
だが、フィレンツェだけでなくフランドルも基本三角貿易目当てだから、貿易で使えそうなのは現地人から買う。
薩摩人は基本食糧目当てだから、これも食えそうなのは現地人から買う。
現地人にとって幸運な事に、蛮人たちは競争しているから、安く買われる事は無かった。
現地人を騙して安く買い叩こうとしたら、ライバルが教えてくれて、取引打ち切りを狙う。
好条件を提示し、相手より多く手に入れようとする。
最初は現地人を見下していたフロリダのイスパニア人も、きちんと取引しなければ食糧を手に入れられない為、何時迄も傲慢な態度ではいられなかった。
現地人にとって有難いのは鉄製の刀や農機具である。
貴金属は最初は敬遠された。
こうして取引している内に、現地人たちは野蛮人に慣れ始めた。
そして……汚染され始める。
彼等は傭兵を募集し始めた。
海の向こうから兵や商人が運ばれて来て、次第に蛮人たちの人数は増え始めるも、それでも現地人の方が多い。
金属製品から衣服、家財道具、装飾品、美術品、やがて通貨へと数年であっという間に人間のダメなもの迄取り込んでしまった彼等は、物欲や敵の排除を望むようになった。
原住民、現地人と言っても、よくよく知ると同じでは無い。
部族同士対立も有れば同盟も有る。
まずデラウェア族とモヒカン族が、サツマニア・ノヴァに兵を供給した事から、戦争は現地人にも波及した。
モヒカン族と対立するモホーク族やイロコイ諸族がヌーベル・ブルゴーニュに味方する。
するとデラウェア族系のワンパノア族とマンシー族が援軍に来る……といった具合である。
弓矢と斧や槍で戦っていた彼等も、拳銃を覚え、信じられないくらいの長い槍を使った防御陣形を叩き込まれ、野戦築城を習得していった。
更に、サツマニア・ノヴァもヌーベル・ブルゴーニュも共に示現流使いである。
この示現流と現地人の斧が、実に相性が良かった。
後にトマホーク示現流諸派と呼ばれる戦闘術が生まれた。
薩摩やシャルル突進公配下の狂気に感染した諸族だったが、傭兵となる事で恩恵も得られる。
彼等は狂気だけに感染する訳ではない。
病気にも感染した。
その病気への免疫が無い諸族は苦しむ。
しかし、単なる取引相手でなく、同盟国となっていた事が幸いする。
自陣営の弱体化を嫌がるサツマニア・ノヴァもヌーベル・ブルゴーニュも、必死で治療や疾病対策に取り組み始めた。
そして、医薬品で成り上がったメディチ家の支配するフィレンツェがこれを黙って見ている訳が無い。
本国から輸入して売り付ける他、現地協力者に薬草を紹介して貰い、使えそうなものは本国に売った。
フィレンツェの勢力圏テラ・ディ・アメリゴはこのように、自らに強力な競争相手が現れる迄は、北の三つ巴の戦争に物資を売り、新大陸で買った物をヨーロッパに高く売り付け、フィレンツェの繁栄を支える。
やがてテラ・ディ・アメリゴの南に、パウ・ブラジルというポルトガル植民地が出現し、フィレンツェも戦争を他人事のように見ていられなくなるが。
アフリカ航路開拓に専念していたポルトガルは、新大陸進出に出遅れた。
1495年にヴァスコ・ダ・ガマが南アフリカ回りの航路を開拓した頃には、新大陸は
「サツマンと突進公の配下が戦う、血と首が流れる河の在る地」
「サツマンのはみ出し者と、イングランドの頭のおかしな連中と、悪辣なメディチ家の手の者と、異端審問で多くの自国民を殺したイスパニアの中の諦めの悪い奴等が流れ着いた、ヨーロッパの掃き溜め」
と呼ばれる迄になっていて、サツマンや突進公を余り詳しく知らず、恐怖の薄いポルトガルくらいしか新規参入する国も無かった。
ポルトガルは、サツマニア・ノヴァとヌーベル・ブルゴーニュの十年戦争と呼ばれる争いが終わる頃、西暦1500年にペドロ・アルヴァレス・ガヴラルが新天地を発見し、そこを植民地とした。
ガヴラルが持ち帰った木に因み、その地は「パウ・ブラジル」と呼ばれるようになる。
そして勢力圏を拡大する為に北上すると、カリブ族が川と呼ぶ先にフィレンツェの城砦都市を見つけるに至る。
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さて、疑問が有る。
何故このようになる迄、皇帝島津家久は新大陸を放置したのであろうか?
彼には艦隊が有る為、統制に従わない場合、住民ごと新大陸居留地を焼き払う事も可能だ。
またシャルル突進公も、新大陸がこんな状態になったら、側近の制止を振り切って自ら新大陸に向かいかねない。
だが、フランドル王国もまた動いていない。
新大陸で敵対してるのに、島津家久とシャルル突進公、そしてロレンツォ・デ・メディチは会談し
「ヨーロッパにおいて我々は争う意思は無い。
新大陸の問題も協力して解決する」
と、何とも緩い声明を出すに留まった。
何故か?
新大陸が発見されたのは1489年。
戦争は早くも1491年に勃発した。
新大陸の情報が伝わって来た1492年、島津家久もシャルル突進公もそれぞれ別の戦争に関わっていたのだ。
ワラキア継承戦争とブルターニュ継承戦争、そして第四次薔薇戦争である。
おまけ:
モヒカン族の戦士は、同僚が古式な髪型をしているのを見た。
所謂モヒカン刈りなのだが、最近はその髪型はしていない。
「その髪型は、威嚇する時と戦士である事を示す時だけ。
なんで戦時も続けるか?」
「見ていれば分かる」
ある戦いで敵に迫られたモヒカン刈りの男は
「デュワァァァ!!」
と叫びを挙げるとモヒカン刈りの髪の中から刃物を取り出し、敵に投げつけて倒した。
「サツマン人、俺にくれた。
俺の秘密兵器」
やがてこの隠し刃物は敵味方問わず流行り始め、達人は外れたら戻って来るような投げ方を開発する。
ある時モヒカン族の戦士は同僚が不思議な腕輪をしているのを見た(以下略)。




