イベリア半島の戦い
フランドル王シャルル突進公は思った。
「婚姻関係を持つ以上、ナバラ王国の言葉を覚えてみようか」
そして3日で挫折した。
短気なシャルルならずとも、習得の難しいバスク語にはこんなネタが出来ている。
「神からどんな罰を与えられても全くひるまなかった悪魔でさえ、3年間岩牢にこもってバスク語を勉強する罰を課されると神に許しを乞うた」
「悪魔がバスク人を誘惑するためにバスク語を習ったが、7年かかって覚えたのは『はい』と『いいえ』だけだった」
「バスク人は決して悪魔の誘惑を受けて地獄には落ちない。
なぜなら、悪魔はバスク語を話せないからだ」
「かつて悪魔サタンは東洋にいた。
それがバスクの土地にやって来たのである」
いや、魔王サタンは薩摩にいて、一緒に来たんだぞ。
(ここのナンチャッテ薩摩弁と違い、本物の薩摩弁はなあ……)
東ローマ副帝島津家久がローマを襲撃、ローマ教皇は呼応してローマに攻め込んだフィレンツェ共和国に投降し、今はロレンツォ・デ・メディチがキリスト教徒として島津家から教皇の身を守っている、
という情報はイスパニアにも届いた。
「教皇猊下の御身を脅かすサツマンはやはり神の敵である!
サツマンを滅ぼさねば、我々人類に安息の日は来ない!
異端とサツマン、滅すべし。
エイメン!!」
トマス・デ・トルケマダはこう主張し、イスパニア全土に徹底抗戦を呼び掛ける。
カトリック両王、アラゴンのフェルナンド2世とカスティーリャのイザベラは苦笑いする。
トルケマダはまるで軍司令官のようではないか。
だが、彼が扇動するのは、王の意にも適っている。
戦況が良くなく、貴族の私兵や一般市民からの義勇兵が欲しいところなのだ。
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南仏、地中海とアルプスに挟まれた回廊で薩摩の主力、ダルマチア方面軍を阻止していたサンチアゴ騎士団だったが、アルプス越えをした島津義弘率いるスパルタ島津軍を迎え討つべく、回廊を放棄した。
ダルマチア島津軍が追いつけない速度で本土に戻ったサンチアゴ騎士団は、国境より3レグア半(約20km)手前でスパルタ島津軍を迎え討てた。
このペルピニャンの地は、元々アラゴン王国の領土だったが、フランス先代国王ルイ11世に奪われていた。
この地で反仏抵抗が起きていたが、ルイ11世崩御後は摂政ブルボン公が放置した事もあり、とりあえずフランス領だがアラゴンの影響下にある地として安定していた。
(フランスも必要が有れば返還しようと思っている)
この地でサンチアゴ騎士団とペルピニャンからの志願兵合わせて12000が、島津義弘軍二千五百とぶつかった。
普通に考えたら、野戦陣地を作り、地理に詳しく、数に勝るサンチアゴ騎士団が勝つ。
しかし、相手は常識が通じない相手。
島津義弘は兵力が少ない時の方が恐ろしい。
案外、万を超える兵力の時は不覚を取る。
直接指揮が出来る規模の兵力だと、亡き島津豊久でも勝てず、大軍を指揮した先代島津家久なら何とかなるといった具合だ。
島津義弘自体、この年、西暦1486年は八十六歳になろうとしていたが、いまだに大薙刀を持って戦場を駆ける。
「ヴラドと戦って討ち死にするつもりじゃったが、
あやつに先に死なれてしもうた。
じゃで、俺いも死場所を見つける事にした。
討ち死にでのうては死ぬ気は無か」
と言って戦場に立ち続ける。
(親父はいい加減寿命な筈だが、死ぬ気しないってだけで病も得ず、生き長らえられるのか?
戦場で親父を倒せる者がこの世にそうそう居る訳じゃなし、討ち死にするまで百歳でも生き続ける気じゃなかろうか)
と息子の家久などは頭を抱える。
同じ島津家ですら理解不能な存在に、初見のサンチアゴ騎士団が対処出来る訳が無かった。
戦の無い日々は、還暦以降癇癪や頑固さ、逆に幼い子供に対する過度の甘やかしが見える老人なのだが、戦になると曲がっていた背が伸び、頭が冴える。
余りに冴え過ぎて、説明が面倒臭くなるくらい先が直感的に見える。
サンチアゴ騎士団の作った防御陣地とコロネリアの方陣を見て、
「あいは個々の陣地が意思を持って戦い抜く構えじゃ。
一々関わり合っては数の少なかわいらは負ける。
じゃが、陣地に拠っているから、連携は取り難い。
我が軍は陣地間を抜け、大将首のみを狙い、穿ち抜けるまで」
島津家久、豊久父子は包囲殲滅戦術「釣り野伏」の名手で、島津義弘も当然その戦術を使える。
だが島津義弘は島津家の別な戦術、敵の大将を狙った強襲「穿ち抜き」も得意とする。
最近は焼討将軍豊久の名声が高まり、
「サツマンと言えばハンニバルのような包囲殲滅戦」
として、各国で対策が練られている。
サンチアゴ騎士団も、包囲を防ぐべく、両翼を伸ばしており、更に後方に予備兵力として騎乗した騎士を待機させていた。
片翼または両翼包囲殲滅の為に回り込んで来た薩摩軍を迎え討つ為の機動戦力である。
これが仇を為した。
対包囲陣形は、満遍なく兵力を展開する為、魚鱗陣や密集突撃陣に比べ、正面がやや薄くなる。
突撃陣形やハンニバルがカンナエの戦いで使った凸形陣のように、正面戦力が分厚ったり、押されても距離を持って吸収可能なら、義弘の穿ち抜きに対抗可能だ。
その場合義弘は、少数だろうが包囲陣形に変更する臨機応変さで殲滅戦に移行するが。
防御重視、しかも包囲されない為に広く展開となると、相手が対応出来ない神速で防御陣の隙間を縫って突撃する。
この時期、まだ銃は発展途上の兵器で、効果的な十字砲火集中地点を考えた陣形は出来ていない。
破壊を目的とし、全軍崩壊を目論むシャルル突進公の突撃と違い、島津の穿ち抜けは指揮官たる大将首だけを狙う。
秘匿している総司令官の居場所が分かるのは、もう直感の凄さ、経験から来る読みの恐ろしさとしか言えない。
義弘軍は、ゴンサロ・フェルナンデス・デ・コルドバが
「なんで此方の重要な場所が分かるんだ?」
と嘆く正確さで、連携させない場所を通り抜け、必要な部隊のみ叩き、総司令部を最短で襲って騎士団長ドン・アロンソ・デ・コルドバを討ち取ると、補給物資を焼き払い、後方の騎士部隊に命令が伝わる前に強襲を掛けて撃退した。
好調な時の義弘には彼我の陣形、地形が上から見下ろしたように見える魔王眼が使えた。
イスパニア戦役で唯一の会戦となったペルピニャンの戦いは、こうして島津義弘が少数で多数を撃破して勝利を収めた。
しかしサンチアゴ騎士団自体は、半壊しつつもまだ戦意と継戦能力を維持し、団長代行のゴンサロの指揮でゲリラ戦に移行する。
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ペルピニャン会戦の敗報で、カトリック両王は改めて「サツマン恐るべし」と気を引き締める。
トルケマダを通じて、アルカンタラ騎士団の出撃を要請する。
サンチアゴ騎士団は王国庇護下にあるが、カラトラバ騎士団とアルカンタラ騎士団はローマ教皇に属し、王と言えども教皇を無視した命令は出せない。
そのローマ教皇が動けなくなった為、トルケマダに頼み込む事になる。
教皇の代理として異端審問所長官トルケマダがイスパニアに居る為、フェルナンド2世は彼を有効に使った。
その教皇の騎士団の一つ、カラトラバ騎士団が担当しているグラナダ戦線は、セビーリャの防衛に成功し、逆にマラガに侵攻する。
だが、この方面の指揮官島津忠仍は、島津豊久の実弟だけあって戦上手である。
病弱(薩摩基準)な事もあり、兄からは留守居役ばかり任じられていたし、実際最近は
「頭が痛い、腰が痛い、関節が痛い。
若い時に無理した報いかのぉ……」
と嘆いている。
(明らかに、豊久の五所蹂躙絡みや脳天杭打、豊久とバヤズィト2世による十字首狩爆撃、ジャンヌによる延髄斬りや喉打旋風脚といった肉体言語の後遺症)
だが、忠仍は兄豊久よりも防御戦は上手い。
……豊久はほとんど防御に回る事は無かったが。
こちらも野戦築城を使い、養子の島津忠栄、その実父喜入忠続、妻の兄・諏訪経兼、相婿(妻の妹の夫)北郷三久といった将で防御線を作り、マラガに敵を近づける事は無かった。
優秀な中級指揮官なら薩摩にも十分存在する。
セビーリャから攻めたカラトラバ騎士団の侵攻は街道での中規模戦で阻止しているが、カスティーリャには別の部隊が有る。
ジブラルタルから沿岸沿いに攻めて来るメディナ=シドニア公率いる部隊である。
こちらにエル・シド剣士団、更にカタルーニャが1479年のアルカソバス条約で領有したカナリア諸島の兵士が加わる。
カナリア諸島先住民グアンチェ族は強制的にカトリックに改宗させられた。
改宗したグアンチェ族に、カスティーリャ王国は
「サツマンとの戦いで功績を挙げたら特権を付与する」
と約束し、フエゴ・デル・パーロという独自の棒術を会得した者たちがやって来た。
この棒術と、エル・シド剣士団の剣術エスグリマに薩摩軍は苦戦する。
長らく小アジアを守っていた先代家久・豊久の出水島津の武士は、戦術や集団戦法には習熟しているが、個人の戦闘技法には然程重きを置かなかった。
ダルマチア(豊久次男忠偉系)とマウレタニア(忠仍系)に分かれた後も変わらない。
命令通りに待機し、命令通りに突撃し、指定日時までに移動し、伝令を過たず伝える。
洋の東西を問わず、此処まで統率された軍であれば包囲陣も防御陣も自在に使える為、会戦や戦役に対しては強い。
一方で個人の戦闘技法は介者剣術が多く、それとて槍や鉄砲の技術修得の後回しにされていた。
今迄は勝敗が決してからの白兵戦で、味方の士気も高く、また相手もそれ程個人戦技は強く無かったから良かった。
だがこのマルべーリャ周辺の山岳地帯では、陣形だの戦術だのは無い小規模部隊同士のぶつかり合いが起こり、そう言った戦場でカスティーリャ兵やグアンチェ族が白兵戦を仕掛けて来て、薩摩兵やイスラム兵が銃や弓矢で防戦する、従来とは逆の状態になっていた。
イスパニア剣術エスグリマは、基本形態フォーム1であるコムーン(一般)の他に、攻撃重視型、防御型、山岳での機動戦闘型、パワー型と個々のフォームが有って、甲冑相手の攻撃特化で動作がワンパターン化しやすい介者剣術は苦戦してしまう。
「奇居子よ、これ以上我が祖国を破壊させん。
このメディナ=シドニア騎士が阻止する!」
「この薩摩隼人が、太刀打ちで遅れを取るとは屈辱ごわす」
この状態は、薩摩本国からの援軍到着で一変する。
東郷重位とその高弟たちがイスパニアに現れた。
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皇帝家久から拝領した漆黒の甲冑を身に纏った東郷は、面頰を付けると暗黒からの使者にしか見えない。
東郷重位が前線に立つ。
攻撃を仕掛けたエル・シド剣士団の一人は、放たれた剣気に身動き出来なくなり、一撃で両断された。
多くの剣士、様々なフォームを持つ者たちも、その違いに関わらず動き始める瞬間、「起こり」を読まれ、先の先の太刀によって切り裂かれる。
「サンチアゴ!!!!」
東郷の威圧を弾き返すように叫び、ある剣士が東郷に打ち込んだ。
しかし、受け止めた後の東郷の膂力で弾き飛ばされる。
正確には柔術の技法も取り入れ、相手の姿勢を崩して力が入らない状態にしてからの押し返しという鍔迫り合いの技法(誤解が多いが、示現流は防御も二の太刀も存在する)なのだが、イスパニアの人間には魔術にしか見えない。
グアンチェ族の棒術フエゴ・デル・パーロは、東郷も初めて見る。
攻撃距離が長く、刃物を叩き折る棒術は、剣術の天敵である。
「中々の技じゃ」
体躯の良さから力も速さも有る打撃が連発で繰り出される。
「木剣を寄越せ」
太刀を収め、高弟から柚の木で作られた木刀を受け取る。
「さて、稽古しもんせ」
グアンチェ族の戦士は棒を振り回す。
東郷は木刀で受け、逸らし、押し返す。
グアンチェ族の戦士は、次第に怯え始めた。
彼の渾身の打撃が、徐々に弾き返され、その衝撃が手に伝わる。
「良か。
もう分かった」
そう言うと、木刀を素早く振り下ろし、グアンチェ族の棒の両側をへし折る。
木で木を切られた事に衝撃を受けたその戦士の腹に、突きを食らわす。
「おはんら。
こん者たちは中々に強か。
迂闊に太刀にて棒を受けたら、折られっど。
おはんらに別な技を教える」
別なグアンチェ族の戦士が棒を振りかぶって襲って来た。
しかし、急に腹から血を噴き出し、倒れる。
「見たか?」
「もっさけありもはん。
見えもはん」
「仕方なかのお。
もう一度見せっで」
今度は東郷から踏み込む。
恐れた相手が棒を振り回そうとする。
やはり腹を裂かれて倒れる。
「見たか?」
(だから、速過ぎて見えないんじゃて!)
「抜き打ち(居合)ごわすか?」
(それ以外考えられんが)
「左様。
棒術は力有る打撃の直前、必ず一度間を置く。
間を置かぬように振り回し続けても、かわした時が隙となる。
その刹那に一撃を食らわす。
じゃっどん、この者たちは力が強く、振り下ろしも速か。
修行を積めば何とかなるが、此処は戦場、悠長な事は言っておれん。
そいで、タイ捨流の抜き打ちを使った方が間違いは無か。
抜き打ちは教えたが、覚えちょっな?」
「はい」
「薩摩に戻ったら、此奴等の棒術対策も伝授すっで。
いやいや、世の中強か男は居るもんじゃで」
満足気な東郷に対し、メディナ=シドニアの騎士もグアンチェ族も恐怖を感じずにはいられなかった。
(あれがトーゴー卿……。
あんなに強いとは……)
この日を境に、ジブラルタル方面でもイスパニア軍は押し返され始める。
おまけ:
この東郷重位の抜き打ちを見て、薬丸兼陳は思った。
(そうじゃ、抜刀術を磨こう)
野太刀、大太刀、斬馬刀と呼ばれる刀は長大で、威力が高い反面、外されると隙が大きい。
薬丸流は敢えて横への薙ぎを無くして、密集陣形で使って外され難くした。
だが、戦いは常に密集隊形では無い。
また薬丸流は長大な太刀を操る為、咄嗟の時に弱い。
(太刀だろうが大太刀だろうが、抜き打ちなら瞬時に対応が出来る。
そして抜き打ちと打ち下ろしの動作を一に出来たなら……)
斜め上に切り上げる居合から即座に蜻蛉の構えに移行し、打ち下ろす薬丸自顕流が完成するのは、もっと後年の事になる。
馬上の敵を歩兵が斬り下ろす恐るべき刀法が……。
おまけの2:
グアンチェ族の棒術は、日本の非対称に棒を持つ棒術でなく、琉球・中国風の中央を持って振り回すタイプの棒術です。
某星戦争エピソード1の暗黒卿のダブルブレードライトセイバー的な動きを想像すれば良いです。
あと、スペイン剣術はフォーム1のコムーン以外失伝してるようなので、攻撃型、防御型、機動型、剛力型に当たるものは、勝手に作りましたので。
多分、共通型以外の型式も有ると思うのですが、調べ切れませんでした。
(レコンキスタ期までは本当に剣技が盛んでしたが、銃砲と集団戦の時代になって廃れてしまって……)
なお、示現流は短期決戦超剛力型です。




