グラナダ進行
1483年ポルトガル
国土の3分の1を支配する大貴族ブラガンサ公フェルナンド2世の元を、国王ジョアン2世の使者と名乗る東洋人が訪ねて来る。
ジョアン2世は2年前、父アフォンソ5世の死に伴い王位を継承した。
「何用か?」
「ブラガンサ公フェルナンド、カスティーリャとの通敵の罪でおはんの首、貰う」
「な、何?」
「ぃぃぃいあああああぃ、きぃえええぇぇぇ」
猿叫が響くと、ブラガンサ公フェルナンド2世の身体は、座っていた椅子ごと、斜めに真っ二つとなっていた。
「ジョアン陛下、こいで良かですか?
御父上同様、我が薩摩と手を組んでくれもすか?」
「うむ、香辛料貿易といい、サツマニアとは良い関係を築いていきたい」
「ではカスティーリャとの戦も」
「まだまだ片付けねばならない貴族は多い。
引き続きサツマニアの協力を願いたい。
さすれば必ず味方する」
「必ずごわすな?
裏切ったら、おはんがこうないもすぞ」
東郷重位はもう、合戦以外で手を汚す事は無い。
彼はもう薩摩の高官なのだ。
代わりに弟子の内、心に邪が有り、実力は有るが免許皆伝を許されない者や身分卑しき者が、皇帝(副帝)家久直属の工作員として各国に派遣されていた。
家久は同盟、協力国を増やす一方で、裏切り者は許さないのだ。
島津歳久イスパニアで死す、凶報が薩摩に入った。
やがて修験者の輩慈(変名を使っている)から最期の様子が伝えられると、薩摩隼人はいきり立った。
輩慈も、見ると右手、両足を失い、作り物に換えている。
そんな戦いをして情報を持ち帰った者に、薩摩の者たちも「何故晴蓑様(歳久)を護って死ななかった!」と迄は言わない。
代わりに彼等はイスパニアへの怒りに燃えた。
「イスパニア討つべし」
「根切りじゃ! 晴蓑様の恨みを思い知らせい!」
「仇討ちじゃ! 倍返しじゃ!」
「チェスト、イスパニア!」
「チェスト!!」
盟友ヴラド3世急死の報に
「ないごて俺いを遺して死んだ……。
おはんの首は俺いが取るチ約束したじゃろが」
と落ち込んでいた島津義弘だったが、弟の訃報を聞くと、得物の大薙刀を掴むや
「馬引けィ!
俺い一騎で十分じゃ!
不届き者の首を掻っ切ってくれんど!
白起や項羽も及ばぬ根切りをしてやっで!」
と闘気を発しながら走り出した。
もしもイスパニアがイタリアくらいの場所に在ったら、そのまま単騎で戦争を仕掛けたかもしれない。
だが、イタリアを抜け、南仏を通った更に先に在ると知らされ、流石に準備をしてから攻める事にした。
「義父上の思った通りになりもした。
俺いもまだ、義父上にゃ及びもはん」
ナポリから島津忠隣が来て、そう言った。
「そうじゃの。
叔父御の狙い通り、薩摩ン衆は怒りを滾らせちょる。
叔父御には頭が上がらぬ……」
そうは言うものの、悪い笑顔が浮かんで止めるのに一苦労の家久である。
怒れる薩摩に歯向かおうとする外国はおるまい。
イスパニアは単独で戦わなければならない。
「それと、フィレンツェのイグナトゥスからじゃ。
元々我等ナポリ衆が調略していた耶蘇坊主に加え、真剣に耶蘇を変えたい真面目な僧侶も話に加わるようになった。
じゃっどん、奴等はまだ半信半疑。
今の教皇がもっと悪さしたら手を組む、まだその程度じゃ」
「上々じゃ。
一度に全てが進む訳じゃ無かのは知っちょお。
時期を待つのも大事じゃ」
「教皇をどげんしなさる?」
「殺さぬ。
シモネッタに諫められての」
チコ・シモネッタは島津家の策謀に敏感に気づいた。
剛毅なシモネッタは家久を諫める。
「陛下は教皇の首を挿げ替えるつもりですな。
それは良いとして、用済みの教皇を殺す気では有りますまいな?」
「悪いか?」
「マズいやり方です。
私がキリスト教徒なのもあり、忠告します。
王を幾ら殺しても、人々は何も気にしません。
しかし教皇を、教皇だった人を殺せばキリスト教徒は一斉に蜂起します。
この東方は皇帝を祭祀の長とする正教会だから影響は有りませんが、ナポリはそうはいきません。
底無しの戦争が始まります」
薩摩では大きな宗教戦争は起こらなかった。
だから疎い部分は有るが、それでも一向一揆の話はよく知っていた。
仏敵と織田信長を呼び、妥協無く十年戦い続けた不毛な戦争。
イスパニアとの戦争は、キリスト教の毒を抜く為だから、家久に一向一揆に似た宗教戦争を遂行する覚悟は出来ていた。
しかし、それはイスパニアに限った話である。
イスパニアに他国が味方しないように、どんな目に遭わされても仕方がないで済ませるよう、これまで外交で手を打って来たし、意図的に残忍な事もした。
それらが無意味になると言うのだ。
「あのロレンツォ・デ・メディチですら、教皇を直接手に掛ける事は思案すらしません。
かつて神聖ローマ皇帝やフランス国王は、教皇を幽閉はしましたが、殺害はしませんでした。
五百年程前なら可能でしたが、今はデメリットの方が大きいでしょう」
イグナトゥスが改革派司教を説得する上で難を示されているのも、教皇の処分についてだ。
家久は方針を変える。
教皇は殺さない。
全ての責任を負わせて退任させ、後は幽閉する。
シモネッタは、教皇以外については
「言うべき事は言いました。
私はどうでも良い事には口を挟みません」
と言って、何をやっても黙認の構えだ。
(とりあえず、前教皇のローヴェレ家や幾つかの名家には族滅して貰うか)
「なる程、理解しもした。
薩州殿(島津忠清)も教皇の処分を気にしちょいもした。
薩州家は耶蘇信仰じゃでな」
シチリア島を治める薩摩守島津家(薩州家)はキリスト教信者である。
家中の女房衆や小者が、その信仰を利用された事も有ったし、現当主忠清の兄・忠辰は島津家当主よりローマ教皇への忠誠を優先していた為、家久に暗殺されたりもした。
イスパニアとの戦争となればシチリア島は要衝となる。
其処を守る薩州家に不満を持たれては堪らない。
カトリックの現体制を維持しながら、教会を改革させて薩摩の望む形にする。
「そいで、イグナトゥスが担ぐ坊主は決まったか?」
「決まったようじゃ。
フランチェスコ・トデスキーニ・ピッコロミニ枢機卿じゃ」
「ピッコロミニ、聞き覚えが有るな。
以前俺いがローマを攻めた時の敵の侍大将がその姓じゃ無かったか?」
「左様。
あん時の教皇軍司令官アマルフィ公の一族。
我等と縁も有り、改革志向者じゃ。
俺い等ぁがこん地に移った時の教皇はカリストゥス3世、そん次はピウス2世、そん次がローマを攻めた時のパウルス2世。
ピッコロミニ枢機卿は、ピウス2世の時からおるで、古参になる」
「良か。
ではナポリ島津はピッコロミニ枢機卿の後ろ盾となってやい」
「承知」
「あと、新型軍船をナポリ家にも配備しよう。
イスパニアとの戦、海戦が大事となろう。
船を操る海軍兵も付けっで、上手く使ってくいやい」
------------------------------
その後鹿児島で家久と忠隣、家老衆や顧問のシモネッタも交えての軍議が開かれる。
そして対イスパニア(対ローマ)作戦が発動しようとしていた。
だが、誰かが自由勝手に動くから、予期せぬ事が起こるのが薩摩の常である。
「フランドルにご養子に入られた島津……じゃなくシャルル・シマンシュ様がイングランドに攻め入った模様!」
使い番からの急報に、一同頭を抱える。
父親の豊久の若い時と同じ事をしやがった。
しばし沈黙。
そして家久が口を開く。
「放置!」
「おい、ちと待てや!
……じゃのうて、お待ちやれ。
シャルルどんは亡き中務少輔(豊久)様のお子。
放置とは、哀れごわそう」
忠隣の意見に家久は
「もう養子としてフランドル王ヴァロア家に入ったからな。
他家の面倒事に迄は首を突っ込まぬ方が良か。
故中務少が生きていても、放って置けと言うたろう。
……又七サァの生き写しの世話ぁ焼くがは一人で十分じゃし」
「?
じゃから、忠釈どんの世話を焼くのでは無かか?」
「違う違う。
中務少の五男、七郎五郎忠比の事じゃ。
七郎二郎は亡き叔父上に似た智勇兼備、七郎三郎は更に思慮深い知将になれる者じゃが(四男は早逝)、長男と五男坊は中務少の若い時に輪を掛けたぼっけもんでな……」
下手に援軍とか出すと、豊久を更に暴れ者にした五男坊が暴走しかねない。
統率を取る為にも、シャルル・シマンシュの行動は知らない事とし、ダルマチアの島津軍は予定通りの作戦行動に出て貰う事とした。
もしも五男坊が脱走しようとしたら、次男と三男に肉体言語で説得して貰う。
知将肌とは言っても、それは薩摩基準で、ヨーロッパの常識からすれば剣闘士で通じる肉体派である。
(むしろ、正々堂々と殴り合い等せず、最低限の力で頸動脈を止める、目を潰す鼻に刺激物を突っ込む等、知的故に残酷な戦い方をする)
亡き豊久の子絡みで一悶着は有ったが、作戦は発動した。
まずは豊久の弟・忠仍が動く。
マウレタニア(モーリタニア)の兵、そしてハフス朝やマムルーク朝からの援軍を率いてグラナダに渡った。
------------------------------
グラナダのナスル朝は混乱している。
ここはアブルハサン・アリー王が、島津歳久を正使、東郷重位を副使とする外交使節団と会い、国交樹立した。
1482年、アブルハサン・アリーの息子、ボアブディルが反乱を起こす。
アブルハサン・アリーは、西部のマラガへ撤退して国が二分された。
翌1483年、ボアブディルが名乗りを改めたムハンマド11世はキリスト教勢力のルセーナを攻めたが敗れ、カトリック両王の捕虜となる。
そこでアブルハサン・アリーが復位したが、一度息子に王位を奪われ、威信は低下している。
病を得た彼は、自分の弟に王位を渡そうと考え、同盟を結んだ島津家に後ろ盾となって欲しいと要望していた。
家久の構想でも、グラナダを拠点として南からイスパニアを攻める事になっていた。
だが、ナスル朝グラナダは余りに弱過ぎるし、中が混乱している。
そこで、半ば乗っ取る形で立て直す事を決意した。
要望を受け入れる形で島津忠仍の軍がマラガに渡る。
そして、新王ムハンマド12世を護る形でグラナダに進行した。
島津・イスラム連合の兵力は三万、とても敵わないボアブディル(ムハンマド11世)派は降伏した。
そして、先王アブルハサン・アリーと現王ムハンマド12世の名の下、粛清と強引な改革、築城に兵站基地の整備が行われた。
鞭の一方、飴も用意する。
混乱は収まったとし、ジェノヴァ商人、ヴェネツィア商人を再び招く。
停滞していた貿易が再開され、粛清された廷臣以外は喜んだ。
グラナダが島津家用の戦争拠点に作り替えられていく、それをアブルハサン・アリーは後悔し始めたが、国としては再度活気を取り戻し始めた為、王として文句も言えない。
アブルハサン・アリーに残されていた時間は無かった。
彼は忠仍や彼が連れて来たイスラム官僚、島津家軍事奉行等の改革を見ながら何も出来ず、1485年に死亡した。
グラナダが強化されていく状況に危惧を覚えたのはアブルハサン・アリーだけでは無かった。
カトリック両王、フェルナンド2世とイザベルも、後は食い尽くすのみと考えていたグラナダが島津家の手に陥ち、軍事的に強化されているのを見過ごせない。
捕虜としたムハンマド11世を解放し、支援の為の兵力を付けてグラナダに送り返した。
ムハンマド11世は、自派閥の者に働きかけ、反薩摩、反ムハンマド12世の挙兵をし、王に復活しようとする。
島津家対イスパニアの戦争は、グラナダからついに始まった。
第一戦は、ナスル朝の王位争奪戦という形となった。
甥にはアラゴン、カスティーリャが味方し、叔父には島津家と周辺のイスラム国家が味方する。
代理戦争は数に勝る叔父で現王派が勝った。
ムハンマド11世は捕虜となる。
そして島津忠仍は、かつてナスル朝が奪われたセビーリャ奪還の軍を出した。
第一戦で敗れたカトリック連合は、慌ててセビーリャに2万の兵を送り、守りを固める。
ローマ教皇が任命した異端審問所所長トマス・デ・トルケマダは、キリスト教の兵士たちを激励する。
「これは神の為の戦である!
神聖なこの大地から、主の教えを歪めたイスラム教徒、野蛮で理性を否定するチェスト主義者は絶滅しなければならない!
神の兵たちよ!
異教徒と化け物は、殺すのが神の意志なのです。
奴等を皆殺し、共にミサを開き、神の祝福を受けましょうぞ!
エイメン!!」
異教徒への憎悪を植え付けられ、精強な再征服戦争の兵士たちがセビーリャに進軍。
グラナダ戦線第二戦、セビーリャ攻防戦が始まった。
おまけ:
ミラノの地では水田での稲作が行われている。
傘下のジェノヴァを使い、薩摩にその米を売る。
代金として得られる菱刈銀は、ミラノ公国の重要な財源であった。
当然、顧客であるサツマン人の好む米、後にジャポニカ米と呼ばれる米も、苗代から買って来て植え、収穫後は高く売るのだ。
その内ミラノの水田には、エメラルド色の小さな小さなアマガエルが見られるようになる。
……それが前兆だった。
ある年、農夫は奇妙な事に気づく。
美しいエメラルド色のアマガエルが鳴きまくる一方で、多くのヨーロッパアマガエルが死んでいた。
それだけではない。
近くの森のサラマンダーも姿を見せなくなった。
井戸のイモリは腹を見せて浮かんでいた。
図々しいヒキガエルすらあちこちに死骸を晒している。
サツマン人、ワカメ、竹、オオスズメバチ、薩摩からは様々な災厄がヨーロッパにもたらされていた。
その類で、最も小さく目には見えず、人知れずヨーロッパの両生類を絶滅に追いやる最凶の生物が、ミラノから全ヨーロッパに広まろうとしていた。
カエルもサンショウウオも薩摩から来たそれに根切りされる!
だが人間の君主たちは誰一人気づいていない……。




