波乱の1483年
この回に書かれている以外の1483年の出来事。
・神聖ローマ皇帝フリードリヒ3世、ハンガリーのマーチャーシュ1世によりオーストリア領の半分を奪われ、ウィーンを追放される。
・イベリア半島のイスラム国家ナスル朝グラナダの君主ムハンマド11世、アラゴン・カスティーリャ連合王国に敗れ、捕虜となる。
・イベリア半島北部のナバラ王国でフランシスコ1世死亡し、妹のカタリナが14歳で即位。
後の回で再度紹介しますが、こんな年でした。
1477年ディジョン条約は、元ブルゴーニュ公国のフランドル王国とヨーク朝イングランド、そしてサヴォイア公国連合対神聖ローマ帝国・盟約者同盟・フランス王国の多重平和条約であった。
戦争によって疲弊していた彼等は、サツマン朝東ローマ帝国の仲介という形で講和する。
フランドルのシャルル1世(突進公)とイングランドのエドワード4世は義兄弟である。
エドワード4世はシャルル1世の要望に応じて、短期間だが対仏戦争を行った。
ブルゴーニュ公国とイングランドの双方を相手にしたくないフランスのルイ11世は、ピキニー条約を結んで毎年イングランドに2万フランの年金を支払って戦争を終わらせた。
ディジョン条約もこのピキニー条約を追認した。
あれから5年、ルイ11世は年金支払いを停止する。
これに激怒したエドワード4世は対仏戦争の準備を始めた。
1483年の激動は、この2人に起因する。
1483年4月9日、エドワード4世はウェストミンスターで急死する。
対仏戦争は中止となり、息子のエドワード5世が12歳でイングランド王位を継承した。
しかし、戴冠式が行われるより前の6月25日、彼は王位を簒奪される。
奪ったのはグロスター公リチャード、かつてウォリック伯が起こした反乱において、犬童頼安と共にクレランス公を調略し、勝利に貢献したエドワード4世の弟である。
エドワード4世の側近リヴァーズ伯アンソニー・ウッドヴィルを逮捕し処刑。
エドワード5世とその弟ヨーク公リチャードをロンドン塔に幽閉。
議会もエドワード4世とエリザベス・ウッドヴィルの婚姻は無効であり、エドワード5世とヨーク公はエドワード4世の庶子であるとした。
これにてエドワード5世の王位継承は無効となった。
そしてグロスター公がリチャード3世として即位する。
7月16日に盛大な戴冠式が催された。
リチャード3世は中部と北部に下賜金を施した。
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だが俺は、生まれながら陽気な遊びには向いておらず、好色な者に気に入られるように作られてもいない。
俺は、いい加減に作られた出来損ないで、気取って歩く浮気な美女の前を歩む威厳に欠ける。
俺は、嘘吐きの創造主に背丈を騙し取られ、五体の均整を奪われ、背を歪められ、未完成のまま、この世に放り出されてしまった。
俺は不具で不格好だから、俺が足を引いて歩けば、犬が吠えて来る。
この俺には、ひ弱な退屈な世の中で、どんな楽しみが有ると言うのだ?
◆◆ シェークスピア「リチャード3世」より◆◆
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リチャード3世はシェークスピアによって「残忍冷酷、醜悪不遜、奸智陰険」と書かれている。
彼の出産時はかなりの難産で、しかも逆子で生まれた。
これもまた「悪魔の子であるから」とされる。
彼は「ヒキガエルのよう」と書かれ、その醜さから色恋とは無縁、平和の世に倦んで悪となり、甥を殺したとされる。
実際のところ、シェークスピアの言う「曲がった背中、歪んだ身体、足を引きずって歩く」は悪意満載の誇張である。
彼は少なくとも薔薇戦争で兄と馬を並べて戦い、スコットランドとの国境警備をこなすくらいには健康であり、兵から馬鹿にされない威厳がある。
平和な世に倦んで悪事を為す?
彼にも封土はあり、その地での領民統治も公平で評価が高かった。
結果から言えば乱世の梟雄ではあったが、同時に平時の能臣も務まる男であった。
エドワード4世も、息子のエドワード5世成人まではリチャードに後見を期待し、「護国卿」の地位を与えようとしていたくらい信用していた。
この命令を伝えなかったのは、エドワード4世の側近かつ、エドワード4世の妻の一族、外戚であるウッドヴィル家の者たちだった。
つまり、リチャードに対しエドワード5世の母系であるウッドヴィル家が仕掛けた政争への報復が、ウッドヴィル家を後ろ盾とする少年王からの簒奪劇の実情であった。
そしてリチャード3世は、二人の幼い甥を殺していない、少なくとも1483年現在は。
8月30日、今度はフランス国王ルイ11世が死亡する。
草創期にあった印刷術を保護し、養蚕を南フランスで普及させ鉱山を開発した。
内政をしっかりする為に、外との戦争を避け、陰険な謀略を散々使った。
名君ではあったが、誰からも愛されなかった。
ルイ11世の長男が後を継ぎ、シャルル8世となる。
この年、僅かに13歳。
姉アンヌ・ド・ボージューとその夫君ブルボン公ピエール2世が摂政となり、少年王を補佐する。
10月、イングランドで王位簒奪に絡む第二幕があった。
リチャード3世の簒奪を支持したバッキンガム公ヘンリー・スタッフォードが反乱を起こした。
バッキンガム公は、元々ヨーク家の敵・ランカスター派である。
その為、ヨーク家のエドワード4世によって領土の半分を奪われていた。
これにもウッドヴィル家が関わっていた。
それ故にリチャード3世はバッキンガム公に、自分に味方したらその領土を返すと言って誘った。
反ウッドヴィル家感情と領土返還への期待から、バッキンガム公はリチャードに味方する。
しかし王位簒奪後、バッキンガム公への領土返還は議会の承認を得てから、と引き伸ばし始める。
これに怒ったバッキンガム公に、フランスのブルターニュ公領から誘いがかかる。
ここにはヨーク家に敗れたランカスター家の一派、リッチモンド伯ヘンリー・テューダーが匿われていた。
(ランカスター家の母系の子孫)
エドワード4世は不思議な事に、このヘンリー・テューダーに娘を嫁がせる約束をしている。
つまりヘンリー・テューダーはランカスター家とヨーク家の両家の相続権を持つ。
この男が王位争奪に向けて動き始めた。
テューダー派となり反乱を起こしたバッキンガム公だったが、リチャード3世に敗北、処刑される。
連携が遅れ、イングランド上陸が遅れたヘンリー・テューダーをリチャード3世は水際で阻止する。
そしてリチャード3世はブルターニュ公に圧力をかけ、ヘンリー・テューダーを領外追放させる。
しかしフランスのアンヌ・ド・ボージュー、ブルボン公ピエール2世の摂政夫妻がヘンリー・テューダーを迎え入れ、支援を始めた。
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「この状況をどう思う?」
イングランドの対岸・フランドルのシャルル1世は宰相ニコラ・ロラン、財政官ピーテル・ブランテリン、犬童頼兄他将軍たち、養子マクシミリアン・フォン・ハプスブルグ、同じく養子シャルル・ド・ヴァロア=島津らと相談する。
薔薇戦争で肥後衆を率いた犬童頼安も老いて死に、息子の頼兄が後を継いでいた。
さらに亡きエドワード4世の妹、現王リチャード3世の姉であるマーガレット・オブ・ヨーク王妃も出席する。
ディジョン条約から16年、フランドルの国力は回復し、兵力はともかく経済力は以前に勝り、経済力は保証する軍備は充実していた。
つまり、国の半分、農業地帯ブルゴーニュを放棄させられた後に、兵数こそ減ったがかえって強力な軍隊を持つようになっていた。
「フランスは、明らかにヨーク家から王妃を迎えた陛下に対する敵意で、ヨーク家のリチャード3世を引き摺り下ろそうとしていますな」
それは衆目の一致するところである。
では手を出すべきか?
「またヨーロッパを戦乱に巻き込まぬ為、陛下は動かぬのが得策でしょう」
宰相ニコラ・ロラン、財政官ピーテル・ブランテリン、養子のマクシミリアンは慎重論を説く。
「さっさと根切りすれば問題は終わっど」
豊久の子で養子に入ったシャルル・シマンシュはそう言う。
この意見に突進公、王妃、犬童頼兄も基本的に賛成であるが、シャルル・シマンシュが強烈に強硬な事を言った以上、彼等は穏健な意見に変える。
誰かが言わねばならない強硬論を、シャルル・シマンシュが担当する。
まあ、彼の場合は本心からなのだが。
議論の結果、フランドル王国はイングランドには介入せず、フランス王国に対して「イングランドへの介入を止めるよう」と軍事的に圧力をかける事が決まった。
そしてもう一つ。
「我が子よ、勇猛なトヨヒサの子よ、一つ頼まれてくれるか?」
「面白か事なら」
「イングランドに乗り込み、ロンドン塔に幽閉されているエドワード5世とヨーク公リチャードの兄弟を救出してくれ、というのはお前にとって面白いか?」
「面白か!
よくぞ命じて下さった。
では……」
「待て……、まさか一人で行く気か?」
「単騎は戦場の花じゃが?」
「流石にそれでは亡きトヨヒサに申し訳が立たん。
金羊毛騎士団から腕の立つ者を連れて行け。
あと、我が子マクシミリアンよ」
「はっ」
「エンゲルベルト・フォン・ナッサウ将軍、ジョス・ド・ララン将軍を率いてフランス国境に赴け。
勿論、勝手に攻め来むな。
だが、攻め込むと見せて注意をそちらに集めよ」
「我が義弟のロンドン潜入を目立たせぬ為にですな」
「流石は婿殿、物分かりが早くて助かる。
王妃よ、そなたも甥が安心なら気が休まるであろう?」
「殿も、イングランド王継承権者を手中に収めれば、何かと役立ちましょうな」
「皆が理解が早くて助かる。
では動いてくれ」
暫く内政に専念して鳴りを潜めていたフランドル王国が動き出す。
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動いているのは薩摩もであった。
東ローマの政治をコンスタンティス12世ヨハネスに任せ、補佐役にチコ・シモネッタを付ける。
そして島津家当主という立場で、本来の戦略構想通りに一族を配置する。
北アフリカに島津中務大輔忠仍を置く。
ダルマチアには豊久の後を継いだ島津中務少輔忠偉が、樺山久高の補佐を得て駐屯する。
島津久元、島津久信、新納忠清を家老とし、薩摩本国の兵を率いさせる。
そして島津歳久の引退を認め、南イタリア一帯の責任者を島津忠隣に代えた。
「やっと俺いも重荷を下ろせたわい」
歳久の言葉に、忠隣は
「そいで義父上、今後何を為されもすか?
義父上は歌道の名人と島津家中に知られちょいもす。
ヨハネス・マルティーニとかガスパル・ファン・ヴェールベケとか楽人を招きもすか?」
「……おはん、つまらん事に詳しくなったの。
要らん要らん、すぐ死ぬ身にそげな趣味人は要らん」
「死ぬ気ごわすか」
「死ぬ気じゃ。
入れ」
歳久が呼ぶと、箱車に乗せられた忍びが運ばれて来た。
見ると足が失われている。
「アルプス修験道の輩慈と言いもす。
足萎えの見苦しか姿を晒し、もっさけなか」
「この輩慈が情報を届けてくれた。
足はその時、教皇の忍びにやられたものじゃ。
輩慈、話してみよ」
「はっ。
教皇はイタリアにおいて勢力を失った結果、イスパニアに頼っておいます。
アラゴン王に求められるまま、トルケマダちう男を異端審問所所長としもした。
こん男、俺いの足を切り落とした組織の長だった者で、手練れにして狂信的な恐ろしか男ごわす」
「聞いたの。
俺いは、又八郎(家久)の為に、こんトルケマダをハメてやろうと思う。
生命と引き換えにな」
そう言うと歳久は笑った。
年が明けると、歳久は義足を付けて立って歩けるようになった輩慈と共に、何処かに消えた。
おまけ:
「これは一体??」
竹崎弥五郎は、彼の元に届けられた油絵に首を傾げた。
欧州人の知識で評するなら「ダビデとゴリアテ」のような、
ギリシャ神話か旧約聖書の一場面のような、
金髪の裸体の巨漢を小柄な男が弓で狙う名画がそこにあった。
「こんなの役に立たん!!」
名画はイタリアに送り返され、最終的にウフィツィ美術館に収蔵される。
一方、竹崎弥五郎は今更ながらサンプルと資料と巻子本を送りつけた。
「あーー……、こういうラフスケッチでいいのね、はいはい」
流石は多芸のレオナルド・ダ・ヴィンチ、あっさりと水彩画(当時はスケッチ用で価値が低い)で竹崎弥五郎の望む絵を描き上げた。
一方でダ・ヴィンチは
(このように話に流れのある絵図、歴史レリーフを長い紙に纏めるとは面白い手法だ)
(それにこの紙は何だ? 何度折り曲げても切れない。
描き損じた絵の修復にも使えるぞ)
和紙や絵巻物という手法に興味を持った。
遥か後年、西暦で言えば二千年より後、竹崎家の子孫は嘆く。
「なんで送り返したんだよ!!!!!!」




