異端審問
フェラーラ公国が製塩業を始めたのは、ヴェネツィアから借りた土地であった。
ロレンツォ・デ・メディチは、外交的に負けたヴェネツィアにロビゴとポレシネの地を返還させた。
これにて製塩業の利権争いも終了、フィレンツェ主導でイタリアに平和が戻った。
「あの小僧が! ロレンツォがぁぁぁぁ!!!!」
「教皇猊下! そろそろ諦めて下さい。
ロレンツォ・デ・メディチは猊下より上です!」
「クックックック……。
確かにあの小僧は儂より上じゃ。
認めよう。
じゃが! 儂のローヴェレ家はメディチ家に負けるものではない!!」
(ここまで俗だと、誰も和平時に当てにしなかったのも分かるな……。
同じ俗なら、我欲丸出しの教皇より、利と理を弁えたロレンツォ・デ・メディチを頼るだろう)
宗教とは、常に解釈を巡って分裂を繰り返すものである。
教祖と呼ばれる人は、教義について文書を残す事は稀である。
信仰とは一辺の文書で書き表せないものであるし、自分の言葉や文書を金科玉条とされるのも嫌う。
大体教祖は、まだ自分の信仰は完成していない、まだ修行が足りぬと多くの場合求道的なのだ。
時に「解釈を巡って争うな! 私の考えはこれだ」と経典を残す教祖もいるが、それでも文章の解釈を巡って争いが起こる。
この解釈を巡って派閥抗争するのは誰か?
後継者である。
誰が後継者なのかを巡り争い、自分の考えを経典という形に纏める。
そしてその宗派の祖となるが、またその後継者たちが祖の言葉の解釈を巡って争う。
やがて何代も経つ内に、哲学的だった教祖の教えは、衆生の為の分かりやすいものに変わる。
「我を崇めよ」
人は基本的に人に縋る生き物である。
神や仏や創造主や天啓等は、信じるが実際に見た事も聞いた事もない。
だから聞いたという人に縋る。
何故なら、神の言葉を語る者は、その人の欲する言葉を語るからである。
宗派の長にとって邪魔なものは、他の教えである。
そして、自分に近い教えに対して、敵対心を持つ。
キリスト教にとって「俺いの首一つで責任負うから、欲しい物奪う戦に出るど」なんて教義は、懇切丁寧に「それは違いますよ」と教え導いてやるものであり、敵対はしない。
「神に祈れば救われます、その心こそ大事なのです、金銭を吐き出して浄財とて神に遺志を示しましょう」
という教えが最も嫌うのは
「神に祈れば救われます、その心こそ大事なのです、金銭を使わず清貧にして神に意志を示しましょう」
という教えであろう。
この最後以外ほとんど同じ教義の宗派は、相手をこう罵る。
「異端」と。
「異端」は憎むべき敵だが、価値もある。
信徒を纏め上げられるのだ。
敵がいれば、仲間は纏まる。
「暴力を振るって良い相手は悪魔共と異端共だけです」
と心の箍を外してやれば、正義の名の元に人はどんなにでも残酷になれる。
そしてキリスト教は、異端という人殺しをしても、懺悔すれば「許す」のだ。
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「で、何の用ですか、この異端が!」
フィレンツェ、サン・マルコ修道院の修道士ジローラモ・サヴォナローラは、不機嫌そうにイエズス会等という聞いた事も無い修道院のイグナトゥスと会う。
異端などと話をしたくは無いが、イグナトゥスの背後にはあの薩摩島津家がいる。
「サツマニアと関わり合いを持つな。
持つなら、決して敵対するな。
最小限の利益供与で済むようにしろ」
はルースとイスパニア以外のヨーロッパでは常識となっている。
「貴殿は私の事を何も分かっていない。
何故なら、イエズス会が出来るのは今から50年も後の事だ」
「ふざけるな」
「ふざけてなどいない。
サツマニアという地は、かのアトランティスと逆に、一夜にして現れた。
これは神にしか為せぬ御業と思うが、如何に?」
「うむ……あの蛮地が一夜にして現れたのは、確かに神の御手によるものだろう。
我々に対する神の試練であろう」
「それが分かるなら、私が言った事も理解して欲しい。
あのサツマニアは、今から100年後の世界から来たのだ」
「馬鹿な。
あのような遅れた文明が、100年後から来たものだと言うのか?」
「君はサツマニアの銃を知らんのか?
火縄を引いて点火する今の最新型銃に比べ、バネで瞬間的に点火するあの銃は未来の技術であるぞ。
それに雨の日でも使える火縄を彼等は持っている」
「雨の日でも使える鉄砲だと?」
サヴォナローラはもう少しだけ話を聞いてみる事にした。
サヴォナローラはドミニコ修道会の者である。
ドミニコ修道会とイエズス会は相似するものが多い。
清貧、貞節、教育と布教を掲げる。
縁故主義を嫌い、教会の腐敗を嘆いている。
だが、ドミニコ会が学理的なのに対し、イエズス会は霊的なものを重んじる。
イグナトゥスの時代、イエズス会は布教の資金を国王や商人から得ていた。
これは托鉢で身を養うドミニコ会からしたら邪道である。
イグナトゥスにしても、国王や商人からの資金の見返りに、植民地化を押し進めるのは不快である。
(この辺はポルトガル系修道士とスペイン系修道士の違いもある)
ドミニコ会は「主の犬 (Domini canis)」と呼ばれる程のものだが、イエズス会は「教皇の為の兵隊」と自らを呼び、教皇への盲目的な崇拝は時に批判されていた。
「その、教皇に盲目的な貴殿が、教皇を廃そうと言うのか?」
サヴォナローラは驚く。
宗教界にいる者が、教皇を廃すなど恐ろしい発言であるからだ。
「教皇を廃すのではない。
教皇領の君主という世俗的な存在を廃すのだ」
「我々一介の司教が、教皇の廃立に口を挟むと言うのか?」
「既にやっているでしょう?
教皇選考という形で」
「教皇猊下はまだご存命であらせられる。
それなのに、現教皇を廃し、教皇選考を口に出す。
貴殿は悪魔だ!」
「言っておきます。
現教皇シクストゥス4世は今年中に昇天なさいます」
「何だと?」
「今年中に教皇選考が行われます」
「汝、妄りに予言する勿れ。
貴殿と話す事等もう無い」
そこに別の声が入り込む。
「もう少し話を聞いてみたらどうだ。
その者は、妄りに人心を迷わす為に予言をしたのではない」
血の臭いのする司教が現れる。
「貴殿は?」
「私はヴラドと言う。
ワラキア公ヴラドをご存知かな?
私は彼の弟だ」
「ヴラド僧公だと?
何故ここに?」
「その者と同じだ。
私も神の教えに沿い、教会の改革を志している。
それでないと天国には行けぬ。
だが、私では教皇にはなれぬのだ」
「当たり前だ。
東方の異端が!」
「ふん、貴殿は余りに融通が利かんな。
我々から見れば、カトリックこそが異端だ。
だが、お互い罵りあっても歩み寄れぬ。
このフィレンツェで開かれた公会議で、教義受け容れがあれば正教会を受け容れると決議したのを、貴殿は御存知ないのか?」
「あ、あれは……正教会が誤りを認めるという形になったからだが」
「そのように話が進んだのは何故か?
お互いを異端とし、破門し合ったカトリックと正教会が話し合ったからであろう?」
「そうだ……」
「だが貴殿は、異端と話し合う事等無いという態度を採った。
これは正教会と話し合った過去の公会議を否定するのと同じだ、如何に!?」
「…………」
「では話し合いを続けよう。
イグナトゥス殿、続きを」
「はい。
では簡単に言います。
次の教皇はジョヴァンニ・バッティスタ・チーボになります」
「教皇猊下の御実家ローヴェレ家の後押しで枢機卿になった男だな」
「そうです。
そして教皇名はインノケンティウス8世です。
もしこの言葉が合っていれば、もう一度話し合いの機会を下さい。
その時はもっと真剣に話し合いましょう。
我々キリスト者の将来がかかっているのです」
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1484年、教皇シクストゥス4世はフィレンツェを圧迫する為、イタリア名家を集めた。
メディチ家は200年遡れば出自の分からない家である。
そして代々の資産家ではなく、医師や薬剤師の家系である。
明礬を扱うのはその名残である。
それ故彼等は、意外に名家を敬い、その仲間入りを望んでいたりもする。
ロレンツォ・デ・メディチが祖父や父の意向で、貴族風の教育をされたのもそれが理由であった。
「集めたぞ、集めたぞ!
小僧奴が羨む名家をローマに!!」
ローマの名門オルシーニ家、コロンナ家、ミラノ公のスフォルツァ家、他にボルジャ家、ナルディーニ家、チーボ家など。
某ゲームで例えるなら、大三元・字一色聴牌と言った具合の配牌である。
「あと一押し。
我等に屈服せよ、そうすればメディチ家もこの中に加えてやろうと言えば、奴は従う。
従わざるを得ない。
奴以外のメディチ家は、今の身分では終わりたくないのだから。
さあ、枢機卿を集めて言うぞ、言うぞ、言うぞ……」
その先にシクストゥス4世は進めなかった。
8月12日、シクストゥス4世は急逝する。
享年70歳。
これまでで最も世俗的な教皇であった。
その俗物故に、軍事力を用いぬ戦いなら最強級のロレンツォ・デ・メディチと戦い、神経をすり減らしてしまったのかもしれない。
俗物過ぎて、聖者としては相手にされなくなったのを悔やんでいたかもしれない。
だが、彼の死に顔は意外にも笑顔であった。
シクズ対ロレンツォ、伝説の対決は10年で終わりを迎えた。
シクストゥス4世が呼び集めた名家出の枢機卿たちは、皮肉な事に彼死後の教皇を決める教皇選考に参列する事になる。
彼等名門枢機卿は、32人中23人がシクストゥス4世によって登用された者であった。
そんな中で、次の教皇はシクストゥス4世の甥ローヴェレではなく、ジョバンニ・バッティスタ・チーボと決まった。
教皇名はインノケンティウス8世となった。
最悪の世俗的教皇ランキングは更新される。
教皇選考時点で苛烈な派閥抗争、買収合戦、弱みへのつけ込み合いが起こる。
聖の方もまた堕ちていく。
彼は「スンミス・デジデランテス」という回勅を出した。
神聖ローマ帝国領域(ドイツ地域)の魔術師と魔女の存在を激しく糾弾したものである。
イスパニアで行われている異端審問と併せ、キリスト教の「自分と異なる者への残酷さ」を示す。
カトリックに潜む闇がヨーロッパを覆おうとし始めていた。
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(予言が当たった。
しかも、異端を徹底排除するという、あの男どもが恐れていた方に動いている。
もう一度あの男たちの話を聞いてみよう。
もし彼等が言うように、更に教会の腐敗が進むのなら、確かに早めに手を打つべきだ)
ジローラモ・サヴォナローラは、メディチ邸に宿泊しているイグナトゥスとヴラド僧公に密かに会うべく、連絡を取った。
やがて波乱の1483年を迎える。
おまけ:
ヴラド僧公の供としてフィレンツェ入りしたミルチャは、思わず近くにいた幼女の手を取った。
「お嬢ちゃん、名前は?」
「あ、あ、あの、あたち、リザ・ディ・ノールド・ゲラルディーニ」
「私はミルチャ……。
ワラキアのミルチャ・ ドラクレシュティ、庶子だが貴族だ。
ああ、お嬢ちゃん、素敵な手だね……、頬ずりしてもいいかい?」
幼女リザは完全に固まっている。
何が起きているのか、さっぱり分からない。
「お嬢ちゃんの手、初めて見た時……なんて言うか……その……
下品なんですが……フフ……
勃………」
「こらー、何をやっておるか!!」
リザの父親アントンマリア・ディ・ノールド・ゲラルディーニと、ミルチャの兄ヴラド僧公が同じ時に見つけ、ミルチャがナニかする前に引き剥がした。
リザ・ディ・ノールド・ゲラルディーニ、後の名をリザ・デル・ジョコンド。
とある名画のモデルとなる彼女の幼少期の奇妙な出来事であった。




