西部戦線異常アリ
黒海転移から一年、正月を迎えた島津家一同は、とある問題解決をすべく頭を捻っていた。
薩摩の戦略は遠交近攻。
島津歳久が立てた戦略で、近場のブルガリア人居住地は直轄領とし、離れたスパルタや出水に分家を置き、その周辺を属国として自治を認めるものである。
その意図は食糧問題解決。
転移した薩摩半島は、一緒に転移した桜島の降灰もあって稲作が安定しない。
神意に基づく(薩摩人の勝手解釈)撤退命令で薩摩本国に引き揚げて来た兵力の中には他国衆もいて、一国では賄い切れない。
(二万程が大隅国に入ったが、こちらは転移しなかった為、薩摩が消えた為に豊臣秀吉にあっさり降伏した)
そこで近隣を切り取って他国衆に当てがい、その周辺は武力で脅して貢ぎ物をさせる。
食糧問題解決の為に外征したのだ。
だが……
「おかしか!
まるで兵糧が増えておらんばい」
島津歳久が首を傾げる。
「年貢取り立てが甘かごはわんか?」
「うんにゃ。
オスマン帝国から投降した徴税役人を使い、有りとあらゆる手を使って払わせた。
家探しして、子供ン飴まで取り上げたけんど、俺いの算盤通りの年貢に足りん」
「そん徴税役人は何チ言うとお?」
「分からん!
日ノ本の言葉は分からん連中じゃ。
報告書も、奴等字が書けんから、ミミズののたくった紙を見せられても、何が言いたいか分からん」
原因は、歳久が米の収穫率を前提に考えていた事で、麦は歳久が考える程には収穫出来ない。
そして歳久がそれに気づくのは、徴税役人が日本語を覚えて、しかも言い訳を嫌う薩摩人に対し死を覚悟した諫言をする者が現れる数年後となる。
イグナトゥスら、一部薩摩に味方する事にした宣教師にしても、アラビア文字は読めず、現地語は知らない。
それまで島津家は失政を続ける。
ヨーロッパは酷い有様になり始めていた。
九公一民の苛政、サツマン人は蒙古の再来と噂され、食っていけないブルガリア人やマジャール人が着の身着のまま逃散を起こす。
この者たちが、西に移動して難民となり、畑を荒らしたりする。
更に急激な人口移動、しかも飢えて免疫力が低下した連中な為、そこから疫病が流行り出す。
西側の農民も被害を出し、食糧生産が低下する。
後世「薩摩飢饉」と呼ばれる人災が始まっていた。
それが十字軍派遣の機運となる。
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島津忠長、伊集院忠棟のトラキア・ワラキア・トランシルヴァニア攻略軍の進捗は、次第に鈍り始めた。
これまでの島津軍は幸運であった。
初見でナメて掛かったオスマン帝国を倒し、後はろくな指揮官の居ない地域を寇掠していた。
バルカン半島の小領主に、万を超える兵は動員出来ない。
傭兵は士気が低く、薩摩の狂気に晒されたら逃げてしまう。
騎士は強いのだが、弓矢鉄砲、長柄、馬から叩き落としてからの組み打ち、寝技と目まぐるしく攻撃を切り替える日本武士複合戦術に翻弄される。
そして死者ではなく、死傷で損害二割を超えれば、後退を始める。
「死ぬ気も無い、情け無か兵児ごわす」
と薩人は言うが、歴史上そんな部隊はスパルタ等ごく少数で、自分たちがその少数に属する事を知らない。
一度退き始めたら、後は数の暴力で蹂躙する。
それが今迄の勝ちパターンであった。
だが、ついに一国を挙げてこの薩摩に挑戦する者が現れた。
ワラキア公ヴラド3世、「竜騎公」と呼ばれた父を持つ23歳の若造である。
ハンガリーにトランシルヴァニア公フニャディ・ヤーノシュという貴族がいる。
ハンガリーは他のヨーロッパ諸国と姓名の順が違う為、フニャディが姓、ヤーノシュが名前である。
「竜騎公」ヴラド2世がオスマン帝国に囚われた際、ワラキアに干渉してヴラド3世の又従兄弟であるヴラディスラフ2世をワラキア公の位に就けた。
ヴラド3世はオスマン帝国の支援を受けてヴラディスラフ2世と戦ったが、敗れてモルダヴィア公国に亡命する。
時は流れ、ヴラディスラフ2世はサツマン人と一度戦い、その狂気に恐れを成して降伏した。
島津忠長はヴラディスラフ2世をそのままワラキア公の地位に据え置き、代わりに転戦する自分たちへの補給を命じた。
フニャディ・ヤーノシュは十字軍参加を決めている。
彼はかつて支援したヴラディスラフ2世がサツマン人の走狗と化した事が気に食わなかった。
そこでヴラド3世を支援し、彼をワラキア公の位に就けてワラキアを奪還する。
ヴラド3世は差し詰め「小竜騎公」と言ったとこだろう。
「小竜騎公」は島津家に絶縁を言い渡し、連絡役を追い出して支援を停止した。
島津忠長・伊集院忠棟はこのヴラド3世に対し、懲罰の兵を差し向けた。
この地の者たちは島津を知らなかった。
故に初見殺しに遭う者が多発した。
だが、島津もヴラド3世を知らなかった。
この男には、島津に負けず劣らずの狂気が有るのだ。
ヴラド3世は反対派の貴族を串刺しにして粛清すると、自軍3千にトランシルヴァニアのフニャディから援軍2千と、亡命ブルガリア民兵数百をもって島津軍との戦いの為に国境に赴いた。
そして島津軍がまだ到着していない事を知ると、掠奪を命令。
「お止め下さい。
ここは貴方様の領土なのですよ」
そう泣きつく村長を槍で突き殺すと、村を焼き払った。
そして兵を退くと、次の村でも同じ事をする。
かくして島津忠長・伊集院忠棟の軍勢がワラキア国境を超えると、そこには見事な焦土が広がっていた。
「全く、ヨーロッパっちゅう地は始末に終えん。
ブルガリアの地も焦土、ワラキアの地も焦土、一体どこで略奪したら良かちな?」
……ブルガリアの地が焦土化したのは、九公一民という苛政で地域を全滅させた島津のせいである。
仕方なく、島津軍二万はワラキア公の籠るトゥルゴヴィシュテ城を目指す。
そして島津軍の問題が明らかになる。
兵站を軽視している上に、二万の中にはどさくさ紛れで転移してしまった他国衆がいて、烏合の衆であった。
勝っている時は良い。
更に食べ物が有る時も良い。
補給も無く、ダラダラ歩いていると、略奪目当てで脱落する者が出る。
焦土作戦の為、何処に行っても食糧等無いのだが、そんな事は知らない為に、先に進む毎に兵が減る。
やっとトゥルゴヴィシュテ城に着いた時は、兵力は一万七千に減少していた。
そして攻城戦に入り、また島津の弱点が露わとなる。
薩摩筒と呼ばれる鉄砲は最大二匁玉を撃つ、軽くて戦場での持ち運びに適したものであった。
野戦では、徒士は一人二挺、騎乗は一人一挺の鉄砲軍役の為、必要な時に凄まじい火力を見せる。
だが、攻城戦になると、二匁玉程度では役に立たない。
二十匁玉でどうにか板塀の後ろの敵に被害を与えられ、百匁玉くらいでやっと城壁や城門という物理障壁を破壊出来る。
人が持って運搬出来るのは二百匁玉を撃つ大鉄砲だが、これも銃身が長く出来ず、口径程の威力は無い。
上方では船で輸送する一貫目(千匁)玉を撃つ大筒が有るが、島津には無い。
日本という国は起伏が激しく、川も在れば湿地も在り、それらを天然の障害とした山城で戦う歴史が続いた。
大砲という持ち運びに難が有る兵器は発展しなかった。
一貫目筒という島津家からしたら化け物のような大筒は、ヨーロッパでは軽砲の類である。
一貫目筒の口径は後のメートル法で93mm。
メフメト2世がコンスタンティノープル攻略に使っていた「ウルバンの巨砲」の口径は600mmである。
「ウルバンの巨砲」は別格にして、古代ローマの時代からバリスタやカタパルト、投石機といった攻城兵器と戦って来たヨーロッパの城に、島津家の火力は余りに無力であった。
「貧弱!、貧弱ゥ!
その程度の豆鉄砲で、ちょいとでもこの城にかなうとでも思ったか?
マヌケがァー!」
ヴラド3世が邪悪な笑いを浮かべる。
塔の上から島津軍を見下ろしていたヴラド3世は、降りて来ると
「夜襲を掛ける。
夜の闇は、このヴラドの力を存分に発揮させてくれようぞ!!」
命令を下した。
島津忠長も夜襲への警戒は怠っていない。
だがそれでも島津軍の欠点の前には敗れてしまう。
守勢に弱いのだ。
防御戦においても、島津義弘や家久は主導権を握り、攻めるような戦い方をする。
だが、単純に力押しされたり、夜襲を受けたりした場合、装備が粗末な事も手伝って、長く耐えられないのだ。
ヴラド3世直属の3千の騎士団の猛攻を受け、島津軍は総崩れを起こした。
このワラキア崩れの悲劇は続く。
逃げ散る島津軍に追撃を掛けようと言う部下に、ヴラド3世は冷酷に
「我々は奴等を追わん。
此処に倒れている者、降伏した者を縛り上げろ」
とだけ言う。
「不満か?
確かに我々は奴等を手にかけん。
だが、飢えた領民どもが奴等を食い殺すだろう」
そう言って笑った。
ワラキアから逃げ出した島津軍は、道々で人を食わずにいられない迄に飢えた民に、脱落した者から襲われて食糧とされた。
島津忠長と伊集院忠棟は何とかブルガリアまで逃げたが、今度はそこで領民が蜂起し、居城に籠って援軍を要請する始末であった。
島津軍は一万に迄減少した。
犠牲者の多くは他国衆であった為、島津歳久は冷酷に
(上手く口減らしが出来たかもしれん)
等と思ってしまった。
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ワラキア領民に襲われた二千の運命も悲惨だったが、ヴラド3世に囚われた四千の運命は更に悲惨である。
島津家本領薩摩半島にも噂は流れて来た。
彼等は肛門から串刺しにされ、街道に晒された。
串刺しにした棒は、わざと鋭くされていない。
自分の体重で、棒が深く体内に進入していき、腸から胃の腑を徐々に潰していく間、彼等は生きていて、地獄の苦しみを味わい続けた。
「ンッン~~。
実に、スガスガしい気分だッ!
歌でもひとつ歌いたいようなイイ気分だ~~。
最高にハイってやつだ〜〜!!」
ヴラド3世は死にゆく武士たちを見ながら、そうご機嫌で叫んでいたと言う。
これによりヴラド3世は「串刺し公ヴラド」の異名で敵味方から恐れられる事になる。
狂気は狂気を呼ぶ。
噂を聞いたスパルタの島津義弘は、ご機嫌で息子の忠恒に語った。
「やっと面白そうな敵が出て来よったばい!!!」
何故島津を約百年前にタイムスリップさせたか?
チートで強ええ!をやりたいならもっと前でもよくなかったか?
答えがこれです。
面白い人が居るんですよ。
敵だってキャラが立ってないとつまらないですからね。
VLAD様は色々やってくれそうです!!




