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モスクワ大公国撃破計画

ローマ教皇シクストゥス4世は手紙を書いていた。

”ヴェネツィア共和国は速やかにフェラーラ公国を攻撃するように”

チラ見したロドリーゴ・ボルジャ枢機卿は諫める。

「フェラーラ公はフィレンツェとの確執から我々に味方してくれてるじゃないですか!

 何故その味方を背後から襲わせるのですか?」

「それはフェラーラ公がエステ家だから」

「へ?」

「儂の出自のローヴェレ家はエステ家とは仲が悪いの!!」

(ちょっとは宗教的理由をこじつけろよ……)

「あと、フェラーラの統治は儂の甥の誰かに任せたい」

(ちょっとは欲を隠せよ! 教皇だろ!!)

「あとね、コンスタンツ公会議で示された教会改革の教令、あれね廃止にするから」

「ええーー!?

 一応フス派とか改革派を宥める為、名目上はずっと残していたものですよ!」

「あれは公会議重視派が決めた事だからな。

 公会議じゃなくて、教皇が偉いの! 儂が偉いの!

 だから公会議派が決めた改革教令は廃止。

 キシシシシシシ!!」

ロドリーゴ・ボルジャ枢機卿は俗物すぎる教皇に頭が痛くなったが、史実だからどうしようも無い。

「おう、皇帝はどこじゃ?」

 ぞんざいな口を利きながら島津豊久が帝都に現れた。

 ルクレーツィア・ランドリアーニは直ちに皇帝家久に取り次ぐ。

「おう、よお来た」

 家久は大きな地図を広げ、待っていた。

 一緒に居るのは豊久の実弟・忠仍と故・忠長の後を継いだ島津久元、故・以久の後を継いだ島津久信。

 忠仍はともかく他の二人は将校教育の為に呼ばれたのだろう。

(寂しうなったの)

 豊久ですらそう感じる。

 島津歳久・忠隣父子は任地に居るから会う事が出来る。

 現在島津家で、一軍の将として戦えるのが皇帝家久と豊久の他は、義弘、歳久、忠隣、忠仍、そして薩州家の島津忠清くらい。

 複数の軍を指揮し、広域戦線を任せられるのは皇帝家久と豊久の他は、七十代の義弘・歳久しか居ない。

 指揮官としてはそうだが、世界戦略で物を考えられるのは皇帝家久と歳久くらい。

 豊久は直感的には良い意見を言うが、それは家久が考えた戦略を補佐する事であり、自ら絵図は描けない。

 義弘は自身が「一介の武将でありたい」と、最高指揮官としての思考を放棄している。


 少し前までは薩摩国に義久という、もう一人世界戦略を描けた者が居た。

 意見はまるで異なるが。

 広域戦線を指揮出来る新納忠元、島津忠長がいて、副将としても独立した一軍の指揮官としても使える島津以久がいて、彼等は嫡男を伴い教育して来た。

 ところが、その嫡男たちが親に先立っている。

 そして義久の死後、相次いで親世代が死亡。

 豊久と、五十一歳の樺山久高(忠助の子)は貴重な実戦経験豊富な将である。


 そんな世代交代が上手くいかなかった島津家は、どうやってモスクワ大公国と戦うべきか?


「川上、鎌田、伊勢党を貰う事じゃな」

 豊久が恐るべき事を言う。

 川上党、鎌田党、伊勢党ともにスパルタ島津家の寄騎であり、義弘の子飼い集団である。

 先も川上党が「ヴァルダイの五鎗客」と呼ばれる大活躍を義弘の元でしたばかりだ。


「じゃっどん、天正三十九年から四十年にかけての葬儀続き。

 川上左衛門尉(久利)殿、鎌田蔵人頭(政冨)殿、伊勢兵部少輔(貞昌)殿等を遊ばせておく手は無かど。

 もし惟新斎様に言い辛いなら、俺いから進言しても良か。

 どうせ、ここ数年の事じゃ」

「ここ数年?」

「ああ、ここ数年、いや可能なら一年、二年でモスクワ大公国を打ち破る」

「そがいに早くか?」

「でなければならん。

 今叩いておかんと、あん国は手が付けられなくなっど」


 豊久の直感は、家久の分析とも合っている。

 周辺の小国を飲み込み、支配の強化を続けていったら、やがてバルカン半島までも押し出して来よう。

 十年程前、初めてイヴァン3世の即位とその拡大政策を知った時と比べ、現在のモスクワ大公国は格段に強国となっている。

 地理的な関係から、衝突はもっと先かと思っていたが、義弘が勝手に戦を仕掛けた事で計算が狂った。

 ノヴゴルド公国が落ちたら、クリミア・ハン国を通過しての黒海ルート、リトアニアからワラキアを突破しての陸路とどちらからでも攻めて来られる。

 無論、薩摩・東ローマ帝国が負けるという訳ではない。

 だが、互角となれば戦争に時間が掛かり、その間にイスパニアがキリスト教の最も悪い部分を持ったままヨーロッパの外に出てしまう。

 時間をかけずに勝ちたい。


「では、中務少(豊久)殿は、また攻め込むと言われるか?」

「うんにゃ、モスクワ大公国に攻めさせる。

 悪いが、俺いは親父殿(おやっどん)には及ばぬ。

 敵地で勝てる自信は無か」

「じゃったら無理じゃ無かか?

 モスクワ大公国の狙いはノヴゴルド公国。

 ここを落とし、実力を付けん限り、わざわざ帝都になんか来んじゃろ。

 彼奴ら、糞親父と違おて、儲けの出ない戦はせん連中じゃど」


 皇帝家久は流石にモスクワ大公国にも山潜者を出し、情勢を探っていた。

 彼等は徹底した遠交近攻。

 旧モンゴル帝国系の草原の国家は滅ぼさず、貢物を持って来れば良しとする。

 だが近隣の諸侯国、都市国家は併合し、財力と人口を吸収していく。

 つまりモスクワ大公国の行動は、ノヴゴルド公国を食って、吸収し、消化する事だと読める。

 次は食料を狙ってクリミア方面に出るか、海運を狙いネヴァ川河口からバルト海に出るか。


「モスクワの者が食いつくでかい餌が有っじゃろ。

 奴らが食いつく美味い餌がな」

「そいは何ぞ?」

「菱刈の金銀」

「!!」

 純度が高く、地下を掘ればどれだけの埋蔵量が有るか分からない鉱山。

 もっと巨大な鉱山が見つかっていない現在、これ程魅力的な標的は無い。

 先代島津義久はそれを分かっていて、金銀の浪費という面では隠し事をしていないが、詳細な情報は一切漏らしていない。

 だが豊久は、それをバラすと言う。

「そいだけじゃなか。

 富を生む山野の山椒、耶蘇の儀式に欠かせん(あおがね)、そして皇帝の座」

「皇帝の座じゃて?」

「欲しいんじゃろ? 違ったか?」

 確かにモスクワ大公国のイヴァン3世は「皇帝(ツァーリ)」と名乗っているし、東ローマ帝国旗「双頭の鷲」を国旗にした。


「つまり、薩摩の富全てと、俺いの身柄を餌にして、モスクワを釣り出すのか!」

「どうじゃ?

 不満は無かろう?」


 一か八かの勝負に出られるのが豊久の胆力である。

 一個人としては家久(忠恒)も自身を破滅させても良い生か死かの勝負に出られるが、皇帝家久としては一族郎党領民を危険に晒す事に、一歩立ち止まって考える。

 先代島津義久は絶対に一族郎党領民を危険に晒さない、危険に近づけない、事前に危険を察知したら取り除き大勝はしないが大敗もしない性格だった。

 この義久と、そこに意義を見い出したら合戦を躊躇しない義弘、全体を見渡して時に義久に発破を掛け、時に義弘を諫める歳久、そして決まったら最善手で躊躇なく敵を滅ぼす先代家久と、島津四兄弟はそれぞれ役割分担出来ていた。

 それに比べれば、子世代は積極的ではあるが、先代家久程の容赦の無さは持ってなく、既に各地に荘園を得てある程度裕福になった者の生温さがある。

 故に、内なる狂気と強固な理性が鬩ぎ合い、必要と有らばどんな汚い手でも使う皇帝家久と、教養人で穏やかだが全てを投げ出せる思い切りの良さを持つ豊久とは、相互補完関係にある。

 いわば、兄弟でなく従兄弟同士だから適度に距離があって仲が良い頼朝・義経のような関係だ。

(源頼朝にとって、高い身分や大領を与えても己が脅かされない身内は、相婿(正室が姉妹)の足利義兼や、父の猶子(相続権の無い養子)で甲斐源氏庶流出の平賀義信で、義経や範頼は近過ぎた)


 豊久の言を脳内で様々に考え、それが彼の望む最善と家久は結論を出した。

 じっくり戦うならやり様は有るが、出来るだけ短期に、被害無く勝ちたい。

 ならばモスクワ大公国が十字軍に勝ったのと逆、薩摩までモスクワ軍を引き摺り出して殲滅する。

 彼等を釣り出すには、安い餌では駄目だ。

 鯛を釣るなら海老で良いが、鮫を釣るなら流血させた人間を生き餌にするくらいでないと。


「良か!

 中務少殿の言うようにしよう。

 吊り出し方は俺いに任せて貰う。

 中務少殿は兵を動かす事に専念したもせ」

「応!」

「源七郎殿はマウレタニア(北アフリカ)行きは延期じゃ。

 モスクワ戦に加わって貰う」

「承りもした」

「近江守(忠長の次男・久元)殿も俺いの傍近くで戦と調略の手助けをして貰う」

「はっ!」

「敷根三十郎(忠長の三男で養子として出た立頼)は、亡き父兄が守っていたマウレタニアを任せる。

 長い事ではないが、頼む」

「返事をする前に、聞いて置きもす。

 敵に対してどう対処致しもそう。

 島津らしく戦えというなら、そう致しもすが……」

「いや、とにかく時を稼げ。

 負けても、土地を取られてもおはんの責にはせん。

 いずれ取り返せば良か。

 じゃっで、無理はせず、勝てても敵地に攻め込んではならぬ。

 攻め込めば糞親父……でのうと惟新斎様のようになるでな」

「分かりもした」

「相模守(島津以久の孫・久信)殿は薩摩の国衆を率いよ。

 豊州家(島津分家)を補佐に付ける」

「はっ!」


 纏めると軍事指揮官に豊久、薩摩国衆の大将が久信、旧出水衆に肥後・日向衆や傭兵を指揮する侍大将に忠仍、東ローマ帝国軍を率いるのが皇帝家久で、久元は遊撃の将となる。




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「という事じゃで、川上、伊勢、鎌田の衆をお貸しあれ。

 二歳にせどもは増えたが、そいつらに軍法を叩き込む者が一気に居らんくなったでな」

 ワラキアの義弘を訪ねた豊久は、用件だけを伝えた。

「あい分かった。

 ところで、モスクワの者じゃが、おはんのその餌だけでは食いつかんど。

 俺いには分かる」

「ないごてごわす?」

「俺いの自慢の兵児たちが、追撃して来たモスクワ軍を叩きに叩いたでな。

 あんな死兵を見た後では、戦って勝てるとは思っても、わざわざ薩摩本国までは来ん。

 餌は魅力でも、先日一度釣り針の痛みを覚えた魚は用心深くなるものよ」

「で、どうすれば良か?

 伯父どんにゃ既に案が有っとじゃろ?」

「うむ。

 撒き餌(こませ)を撒く事じゃ」

撒き餌(こませ)とな?」


 義弘が語るに、先の十字軍の時、最初から戦意旺盛だったのは攻められているノヴゴルドと、そこに利権を持つリトアニアくらいだった。

 味方が増えたから、ハンガリーもボヘミアもワラキアも兵を出した。


「なるほど。

 薩摩を攻める他の国が要るっちゅう事か」

「左様。

 餌に群がる魚が多ければ、一度痛い目に遭った魚も、傷を忘れ欲に支配される。

 菱刈を狙う国が増えれば、取られる前に我が取らんと野心を刺激されっじゃろ」

「おお、流石は伯父上!」

「そん手配は俺いがする。

 負けた責任じゃで。

 そいで、そん国との戦は芝居じゃで、そこそこで頼むぞ」

「はっ!」

「そいとな、中務少輔殿……」

 島津義弘が遥か年少の甥に改まった。

「モスクワとの戦、こん惟新斎も加えたもんせ。

 何でんすっで!

 おはんの命令にゃ決して逆らわんで。

 こん老いぼれに、仇討ちの機会をくれぬか?」

 頭を擦り付ける義弘に、豊久はあっさり

「良かです。

 仔細は後程報せます故、兵力再編なさって下さい。

 俺いたちも将が多くて困る事は無かです」

 と答えた。

 武将である豊久は、武将中の武将である伯父の心は良く分かっていた。

 義弘から言わねば、豊久から切り出すつもりであった。


 かくして島津の総力を挙げたモスクワ大公国誘引作戦が動き出した。

おまけ:

「……という訳で、薩摩を攻撃して欲しかど」

島津義弘は悪友のヴラド3世に依頼する。

「あのイヴァン奴を叩き潰せるなら、乗ってやろう。

 だが俺は芝居等出来んぞ」

そう言うヴラドに義弘は笑いながら言った。

「そいで良か!

 ぶっ殺すつもりで全力で来れば良か。

 相手はどうせ息子の又八郎じゃで、一つ首でも取るつもりでいきやせ」

「フハハハハハ! それでこそオーガだ!!

 どれ、一つ倅を鍛える為に実戦に出してみるか!!」

「そうじゃの、ミフネア殿は良か子じゃで、手塩にかけて鍛えもんせ」

(だから他人に対する気遣いの一割でも実子に向けていれば……)


ヴラド3世の弟、僧公は島津家久の為に祈った。

「皇帝を称する者、オーガの子よ。

『なるようにしかならない』という力には無理に逆らったりするな……」

庶弟ミルチャは思った。

(『闘争』は私が目指す”平穏な人生”とは相反しているから嫌いだ……)

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― 新着の感想 ―
[一言] オーガVS串刺し公の真剣芝居かな。 誰もが芝居とは思えんほどの被害を出して平然としてそうな二人。
[一言] 義弘どん、あなたドラキュラ殿と遊びたいだけなんじゃ
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