葬儀にて
妖怪は神の眷属である。
アマビヱが泳いで来た地中海や大西洋は、一神教の名の元に敬われなくなり、存在的に死んだ仲間の臭いしかしなかった。
ところが太平洋に来ると、水を通じて仲間たちの臭いがする。
アマビヱは低地ネズ・パース族に加護を与えると、ハワイと呼ばれる地まで泳いで行った。
ここは大量の神々や亜神の気配が濃厚に感じられる。
アマビヱは不思議なものを見た。
「何これ?」
黒い衣を纏い、日本刀のようなものを持った恐ろしい神。
ハワイの精霊は、これはイジカタ神といい、軍神クーの眷属で邪悪を斬り祓う神だと言う。
「そんな神様、知らないよ」
ところが精霊たちは、これは君の居た国から来たよとか言う。
(もしかして、ここは私が知っているのと違う世界??)
時間が始まり時間が終わる、そしてまた始まる一巡した世界。
もしかして自分たちが居るのは過去の世界ではなく、時間が終わった後に始まった遠い未来??
転移なの? 転生なの??
……とか頭をよぎったが、アマビヱの目的は肥後の海に帰る事である。
(なんか別にもうどうでもいいや)
理解しようとしても理解できないので、そのうちアマビヱは考えるのをやめた。
島津家第十六代当主島津義久の葬儀は仏式で行われた。
戒名は妙谷寺殿貫明存忠庵主、神号は大国豊知主命。
喪主を亀寿にしたところに、養子である皇帝家久の複雑な心境が見える。
その一方で家久は、帝都で追悼の大規模なミサを行うよう命じた。
時期は三ヶ月後。
露骨な弔問外交狙いである。
このミサの責任者であるイグナトゥスと家久は密談する。
「やはり、神は必要じゃな」
薩摩の侍は、恐ろしい程強いし死なないが、それだけで戦争に勝てる程甘いものではない。
実際、日本でもヨーロッパでも何度も負けている。
薩摩人を恐怖の対象としている理由、それは「強い」からではなく「あいつら、おかしい」からだ。
蛮族と散々に呼ばれたものだ。
だが、ヨーロッパ人もキリスト教の箍を外すと薩摩人と大して変わらない。
ワラキア公等がそうだが、薬等で善悪の箍を外し、狂奔させてしまうと、体格が良い分だけ欧州人の方が強かったりする。
薩摩がこの地に現れてから二十四年が過ぎた。
薩摩色に染まり始めた欧州人は、その昔ゲルマン人とかバイキングとか呼ばれた昔の姿が現れ始め、薩摩人も以前程の脅威ではなくなって来た。
「こいではいかん。
やはり人は、善悪の縛りが必要じゃ」
家久はそう思う。
故にイグナトゥス等という伴天連を仲間にし、欧州に無害なキリスト教を作らせようとしている。
イグナトゥスの方も、彼が居た時代のキリスト教を問題視していた。
宗教改革だけではない。
商人をスポンサーに異国に入り込み、商売を媒介に教えを広め、その情報を本国に伝え、やがて植民地にしてしまうやり方。
イグナトゥスは良い意味でも悪い意味でも純粋な宗教家で、教えは人を救うものでなければならないと心の底から思っている。
故に、カトリックも改革が必要で、改革の暁には宗教改革も、侵略とセットの布教もさせない。
家久はヨーロッパが乱れ過ぎると、さしもの薩摩でも手に負えないと思っている。
イグナトゥスはこの世は正しい教えに満ち、平穏であるべきと思っている。
それ故この二人はいずれローマ教皇庁を改革し、教会から世俗を追い払い、ヨーロッパ人には穏やかな信仰人となって貰おうと利害が一致していた。
イグナトゥスは未来を知っている。
元々ポルトガル系の彼は、この年からイベリア半島を覆うキリスト教の闇をどうにかしないと、寛容な世界は作れないと思っている。
隣人に対し不寛容で、互いを陥れ、人が神の名によって人を裁く。
―― 異端審問 ――。
このキリスト教の闇は人の心の闇であり、汝の隣人を愛せよ、というキリスト教本来の教えと相容れないものである。
彼の記憶が確かならば、来年1478年に教皇シクストゥス4世は、ロドリーゴ・ボルジャ枢機卿の依頼を受けて異端審問の許可を出す。
そして暴走し出す。
故に薩摩の暴力を以て、ローマ教皇の世俗に穢れた姿を正し、教皇の過ちである異端審問を破壊する。
そしてローマ教皇は権力や世俗の縁、縁故主義ではなく、信仰の気高さと神学の深さによって尊敬されるべきである。
家久はもっと現実世界の物の考えをしているが、差し当たってイグナトゥスを先兵としてローマ教皇庁を制御する事に問題は無い。
その為に薩摩に近いという強みを使ってイグナトゥスの一派を教皇庁に浸透させ、シンパを増やして来た。
もう頃合いだ、教皇がイスパニアに異端審問の許可を出した時機に、
「教皇に尋問の筋これ有り」
と挙兵をしよう。
幸運な事に西ヨーロッパの大国、フランス、フランドル、神聖ローマ帝国は戦争で疲弊し、しばらく動けない。
イタリアには一族の島津歳久がナポリに在り、フィレンツェ、ジェノヴァ、ヴェネツィアを味方に付けた。
弔問外交で各地に根回しをしよう。
だが、囲碁のようにじっくりと布石した家久の戦略は、怪物・教皇シクストゥス4世と、彼の実父島津義弘によって台無しにされる。
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「申し上げもす。
ナポリの晴蓑入道様(島津歳久)、左衛門督様(島津忠隣)、備前守様(島津忠清)ご到着」
家久が出迎える。
忠隣は出家した義父・歳久の官職名を引き継ぎ、左衛門督を名乗るようになっていた。
ナポリの留守は、薩州家四男の島津忠栄が守っている。
「此度は御義父君の事、お悔やみ申し上げもんそ」
流石に常識人の歳久、家臣・客人の前では甥にぞんざいな口の利き方をしない。
「御礼申し上げもす。
叔父上に置かれましては、遠路ナポリより駆け付けていただき、亡き義父も喜んでおりもそ。
案内致しますゆえ、左衛門殿も薩州殿も、どうぞこちらへ」
一門のみの部屋に通す。
たまにすれ違う坊主に気を付けてさえいれば、ここはもう身内の空間である。
「又八郎(家久)、亀寿はどがいした?」
「喪主を務めちょりもす」
「ほお、連れて来たか、重畳重畳。
また親の死に目にも会わせんかと思うちょった」
「叔父御、何を知っておるがですか?」
「ふん、おはんら結託しおって、口が堅い。
噂話以上の事は、よう知らん。
まあ、単なる腐れた性根のせいでは無いとは想像がつくがの」
「単なる腐れ性根もんで良かごわす。
叔父上たちにはそいで十分ごわそ」
その瞬間、歳久は家久を掴まえ、裏投げを食らわす。
「俺いを甘く見るな」
言葉より先に手が出るのが、父親世代共通の悪い癖であろう。
子供世代は一発殴ってから説明するが、親世代は相手が虫の息になってから説教する。
敵対者を族滅させてから、遺児の面倒は見るとか慈悲を見せる鎌倉武士がそのまま来た薩摩人らしい光景と言えよう。
「………………………………」
「義父上、年齢をお考え下され!
七十四歳の爺様の使う技ではありもはんど!」
技を打ったは良いが、自分も腰に来たようで、やせ我慢して悲鳴も上げないまま悶絶している歳久を養子の忠隣が介抱した。
関節技の義久、打撃の義弘、投げ技の歳久、総合の先代家久、四兄弟の中で一番体への負荷が大きいのに。
「………………あと一回………………、ぶん投げてやったら………………、
チャラにしてやっど………………、良かな? 又八郎」
「まだ暴れる気ごわすか?
いい加減大人しく日向で猫でも抱いていなされ!」
忠隣も家久同様、義父の事で頭が痛いようだった。
「なあに………………大人しくしちゃおれん………………じゃろ?
のお、又八郎………………。
おはんの最後の狙い………………そいはローマとイスパニア………………。
俺いも仕事………………せんとな」
「義父上、腰痛が引いてからお話しあれ。
我慢しちょっても、痛々しくて見るに堪えんど」
歳久は肩を貸している忠隣の手を組み変えると、居反り投げを食らわす。
「我慢しちょるとはなんじゃ!!
俺いを年寄り扱いすんな!………………………………ツッ………………!」
「入道殿!
やはりお腰に無理が来てますぞ!
家久サァ、そこで白目剥いちょお忠隣どん共々、布団部屋まで運びましょうぞ!」
「まったく、叔父御もいい年して何をしちょるんじゃか……」
島津歳久、「島津の知将」と謳われた男である。
「アフリカ守護代・島津図書頭様(島津忠長)、ご到着されもした」
忠長も一門の部屋に通す。
忠長は、葬儀の前に濡れ手拭いで頭を冷やしている忠隣と、うつ伏せになり腰を押さえながら悶絶している歳久を見て、何事かと訝る。
「なあに、ただの親子喧嘩じゃ。
そいより、又四郎兄はまだ来んのか?」
スパルタ島津家先代、現在は何故かワラキアで隠居生活をしている次兄・島津義弘が姿を現さない。
最近、義久と義弘で兄弟喧嘩して仲違いでもしたかというと、関係は良好なようだ。
訃報はとっくに知らせてある。
緊急通信の他に、正式に伝令も派遣している。
ナポリから歳久一行が、北アフリカから島津忠長が到着しているのだから、ワラキアの義弘等はとっくに到着していて良いのだが。
「どうする?
葬儀を始めるか?」
「じゃっどん、義弘様は自分抜きで葬儀などしたら、怒りかねんど」
「かと言って、日延べにも出来まい。
十分間に合う筈じゃど」
歳久も忠長も、任地から直行ではない。
薩摩入りしてから一旦自分の城に戻り、斎戒してから喪服を持って葬儀をする寺に来たのだ。
歳久は到着してから五日、忠長ですら二日は居城で体を休めた。
なのに同じバルカン半島に居る義弘が来ないのは何故だろう。
「又八が亀寿に仕出かした数々を密告したら、怒りで飛んで来ると思うが」
「……叔父上、そいは洒落で済まぬ故、お止め下され」
ディジョン会議に皇帝名代として行っている豊久や、任地の留守を守る者以外は、当主の葬儀の為に集まっている。
オスマン帝国のバヤズィド2世や、ビザンツ帝国先代皇帝コンスタンティノス11世、カルマル同盟のクリスチャン1世及びドロテア夫人、キプロス王ジャック2世らから弔問の使節団も来ているし、日延べは難しい。
「息子の俺いが責任持つで、葬儀を執り行いもそ!」
家久が決断した。
「大丈夫か? 兄サァの八つ当たりは確実におはんに行くど」
「大丈夫ごわす」
「又八サァ、また発作バ起こさんでくいやい」
「大丈夫じゃ、抑えるから」
葬儀は厳かに行われた。
仏式ではあるが、他教の出席者に配慮し、椅子が用意され、読経や焼香の儀の時は中座も可とした。
葬儀後は斎の料理が振舞われる。
薩摩の武士は足軽・郷士に至るまで喪に服し、宗家からは礼の品が渡される。
各組頭に代表して渡す役割は、喪主の亀寿が行った。
(亀寿が当主代行をするというのは真実の事か?)
小声で問う歳久に、家久は無表情で
(真実ごわす。
じゃで、もう俺いはアレと暮らす事は無かでしょう。
俺いは帝都に戻るが、アレは当主代行じゃで薩摩に残る事になりもす)
そう答えた。
歳久の表情が複雑なものになる。
冷えまくった夫婦関係、果たしてそれで良いのか?
姪が余りにも可哀そうではないか。
そんな歳久の逡巡も、今後の家久の計画も吹き飛ばす急報が鹿児島に届く。
喪主に挨拶し、参列者が帰っていく中、伝令が寺に駆け込む。
「先代当主の葬儀である!
場を弁えよ!」
歳久は叱責するが、恐縮しつつも伝令が家久に報告する。
「叔父上、それと皆、チト奥の座敷に来てくいや」
冷静な口調だったが、瞼とコメカミの辺りが痙攣している。
怒りの発作発症一歩手前、知っている者は青くなった。
「まあ又八サァ、白湯を飲んで落ち着いて、ドウドウ」
「……俺いは馬じゃ無かど」
「で、何が有った?」
「あのクソ親父が……」
「兄サァが?」
「義弘様が何かしもしたか?」
家久は激発を抑え込み、呼吸を整える。
「あん莫迦親父、ワラキア公、ポーランド王らと共に八万の兵を率いてモスクワ大公国に攻め込んだチ事じゃ!
葬儀に出んかったのは、既に出陣した後じゃったから……。
一体、何を考えちょるんだ!!!!!!!」
さしもの歳久も
(又八郎も、父親の事では苦労が絶えんな、気の毒に……)
と心の中で呟いていた。
おまけ:
柿色の装束の者、日本ではそれを忍びと云う。
だが、サン・ピエトロ大聖堂から飛び出したその者は、血で衣服を染めていた。
(あの化け物は何じゃ?)
カツン、カツンと靴音がする。
「我等は神の代理人、天罰の地上代行者……。
我等が使命は 我が神に逆らう愚者をその肉の最後の一片までも絶滅すること。
サツマンの狗よ、時々ローマ市内をうろついているようだが、
神の御前の聖堂で、教皇猊下や枢機卿の話を盗み聞けると思うな、異形奴が」
狗と呼ばれた薩摩忍び、アルプス修験道の与施布は人知れず、教皇庁の特殊な兵士の前に葬り去られた。
教皇庁内部の情報を、いまだ薩摩は手に入れられない。




