ナンシーの戦い(後編)
ナンシーの戦いの少し前、1476年12月26日。
ミラノ公国サント・ステファノ教会にてガレアッツォ・マリア・スフォルツァ、3人の貴族によって暗殺される。
ガレアッツォの子、7歳のジャンがミラノ公となり、ガレアッツォの弟・ルドヴィーゴ・スフォルツァが後見人として摂政となる。
ミラノ公国はフィレンツェ共和国との同盟関係の見直しにかかる。
フィレンツェのロレンツォ・デ・メディチの軍事的な後ろ盾が崩れた。
教会内での犯行。
この手際の良さ。
ローマ教皇シクズ様は笑う。
「キキキキキキキ……。
見たか、小僧!
先にお前の後ろ盾から奪う手もあるのだ!」
練度、攻撃力、士気、死を恐れぬ狂気と、スイス兵はサツマンにも劣らぬ強兵と見られていた。
その強さの象徴が6メートルもの長大な槍である。
この密集隊形に、ブルゴーニュ金羊毛騎士団の槍も、示現流部隊のロングソードも届かなかった。
だが、その長さの利は攻略される。
「チェストー! ぶん投げろ!!」
「ひっ飛べ!」
サツマン兵たちが、布に石を入れて投擲し始める。
人の頭大の重い石に縄をかけ、振り回して飛ばしても来る。
更に、見た事の無い植物で出来た槍のようなものを投げて来る。
紀元前、ギリシャ重装歩兵をそっくり模倣したローマ重装歩兵は、エトルリア人の投槍に盾を破壊されて敗北した。
その戦訓からローマ重装歩兵は、投槍と接近戦用の剣で武装する者と、長槍を持つ古参兵とに兵種分けした。
更に軽装歩兵が投石や投槍という投射攻撃で相手を崩す。
この複合歩兵戦術のローマ重装歩兵が、7~8メートルの両手持ち槍を武器とするマケドニア重装歩兵と戦った。
旧ヘレニズム世界の強国マケドニアは、アレキサンドロス大王時代の複合兵種戦術から槍一辺倒になり、ひたすら槍を長く長く伸ばして来た。
このマケドニア重装歩兵は平地では圧倒的に強かったが、起伏の多い土地で隊列を乱され、ローマ歩兵の接近戦になす術も無く敗れた。
日本の戦国時代、投石は当たり前の戦闘法である。
石も当たれば怪我を負う。
後の話だが、二刀流の剣豪も農民の落した石によって負傷するという戦いが起こる。
投石はそれ程に洒落にならない攻撃であった。
盟約者同盟の槍兵は、臆せぬ心、厳しい訓練、鉄の規律で攻撃力と機動力を併せ持つ。
代わりに鎧を纏う者は少なく、防御は弱い。
降り注ぐ礫弾に怪我人が出て、陣形も乱れる。
それでも彼等は何とか隊列を維持し、突撃を始めたブルゴーニュ公シャルルの本隊側面を衝こうとしていた。
「竹槍隊、起動!」
その掛け声と共に、地面に置いていた謎の棒を手に、ブルゴーニュ兵が立ちはだかる。
スイス軍は自分たち以外に、あんな長い槍を持つ兵がいた事に驚く。
だがブルゴーニュ歩兵はそれ程多くないし、何よりスイス兵は自分たちの練度の高さに自信を持っている。
石が降り注ぎ、隊列も乱れがちだが、それでも槍の穂先を揃えて前進する。
「緩歩前進!」
「密集隊形穂先合わせ!!」
「槍衾!」
対するブルゴーニュ竹槍隊の命令は単純だった。
「槍、上げろ!」と「叩け!」の2つのみ。
だが、効果的だ。
6メートルの竹槍、その先に刃物や鈍器が付けられているものも有る、それがスイス兵の槍を叩く。
日本の合戦ではよくある槍の叩き合いである。
当初、スイス兵は苦戦する。
こちらの槍は重く、そんな簡単に振り回すようなものではない。
騎兵に対する槍衾を作り、味方を守る。
アレキサンドロス大王の戦術では、騎兵という槌で追われた敵を受け止める金床の役割をする。
士気の高い精鋭部隊、王の親衛隊、政治に参加出来る市民たちの部隊等が長槍を扱う。
日本の戦国時代、長柄槍は大量生産品である。
打ち柄槍なんていう消耗品すらある。
数合わせで集めた足軽や農兵に、支給品として大名が持たせてやる。
そうして大量に作れ、扱いやすく軽い槍が開発された。
大名家やその城下及び庇護する神社神人の技術で、ニカワの技術が無く、三間槍のような長大な槍を作れない勢力もいたが、基本長柄武器は大量生産されて足軽に持たされるものであった。
そんな俄か兵士だから、命令は単純化される。
ヨーロッパと同じように槍衾を作るか、上下に振り叩く。
叩く使い方では、別に穂先が無くても構わない。
最初の混乱から立ち直ると、スイス兵は対応した。
彼等も相手に向けて、槍を叩きつける戦法に切り替えた。
その戦い方を知らなかった訳ではない。
製鉄技術で、タタラ製鉄で生産量の少ない日本に対し、各種武器を金属で作っていたヨーロッパでは用途に応じた武器があった。
突くと叩くを兼ねる武器、それは斧槍で、スイス軍も長槍の前はそれを主力としていた。
重い槍でもやり方は変わらない。
軽い長柄と重い長槍の槍合戦が始まる。
スイス兵の有利は数の多さ、不利はサツマン兵が投げてくる礫弾での負傷が徐々に増えて来た事である。
やがてライン同盟軍を撃破したイングランド弓兵もやって来て、スイス兵の頭上から矢の雨を降らせ始める。
数少なく、発射間隔が長い当時の手銃や、ブルゴーニュのファルコン砲より、投石や長弓の攻撃は野戦に於て余程脅威であった。
「怯むな、アヴェ・マリアだ!」
「ブルゴーニュよ、死ね! アヴェ・マリア」
「クソッタレが、このアヴェ・マリア!」
最早「聖母祝詞」も「チェスト」と用法的に大して変わらなくなって来た。
それでも数に勝るスイス兵がブルゴーニュ竹槍隊を崩し掛けた時、会戦は終了、スイス軍には撤退の角笛が鳴らされた。
主力決戦で突進公がルネ・ダンジュー他多数のロレーヌ及びライン諸侯を捕縛、または討ち取ったのだ。
シャルル突進公の方針は「溜め」と「全力の一撃」だった。
相手に先に全ての手札を開示させる。
ブルゴーニュ軍は敵より少数の主力のみを見せ、攻めあぐねる姿を晒しながら、敵が動くのを見極めた。
対盟約者同盟の部隊や戦術は徹底的に隠した。
そして動きを見定め、左右のスイス軍を防がせたら、自らは敵主力を全力で叩く。
ロレーヌ公ルネは、スイス軍への増援に3000の部隊を割いた。
これで8000のブルゴーニュ軍の前面の敵は12000から9000に減った。
シャルルはこれを見て突撃を命じる。
「シェストゥゥゥ!!」
「攻撃開始!」
「神の御恩寵を!」
金羊毛騎士団や傭兵、示現流部隊が功を争って突撃する。
受けに回ったロレーヌ、ライン諸侯同盟は脆かった。
スイス兵に蹂躙されたブルゴーニュ軍を押し潰す予定が、守備になると、混成部隊は連携が取れずに各個撃破される。
ロレーヌ公ルネに辿り着く迄時間が掛かったのは、各諸侯軍があちこちで混乱したり、個々に抵抗した為、個々に対応しなければならなかったからだ。
その間、モッコスとスイス兵は雪を赤く染めながら、壮絶な擦り潰し合いを続け、お互い多くの被害を出している。
だが、ついに騎士団が全速で突撃し、ルネ・ダンジューを馬から叩き落とし、捕縛した。
ルネの本拠地がナンシー城であり、何もかも棄てて逃げる決断が出来なかった為、あれだけ時間があったのに捕まってしまった。
総大将が囚われた事が伝わると、戦闘は終了する。
薩摩出現以来、王や諸侯が戦死する事が多くなったとは言え、いまだ敵を捕らえて身代金交渉をする作法も健在だ。
薩摩脳なシャルル突進公も、ブルゴーニュ絶対殺害軍であるスイス兵を黙って退かせるには、ルネを殺すより、生かして捕らえた方が有効と計算していた。
かくしてナンシーの戦いは終わり、ブルゴーニュ公シャルルは名誉回復と、分断された領土の再連結を果たした。
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シャルルの勝利、領土の連結の達成は一瞬で終わる。
ヨーロッパの格言に「ピュロスの勝利」というものがある。
「損害が大きく、得るものが少ない勝利」、「割に合わない」という意味である。
タレントゥム(タラント)を巡るローマ共和国・カルタゴ連合とギリシャ軍を率いるエペイロスのピュロス大王の戦いから出来た言葉である。
「戦術の1位はアレキサンドロス大王、2位はピュロス、3位はハンニバル」とハンニバル自身が評した戦術巧者で、戦闘ではピュロスがローマに勝利した。
しかしタレントゥムを得たのは、勝者のピュロスではなく、彼を損害の大きさから退かせたローマであった。
ナンシーの戦いも結局そのようになってしまう。
ブルゴーニュ公国は、フランス東部のブルゴーニュと、フランス国外のフランドルに分かれていた。
その2つをようやく連結させたと思ったら、本領ブルゴーニュが突如離脱してしまった。
フランス国王ルイ11世が、戦争の為重税に苦しむブルゴーニュの代表的な貴族クロワ家を裏切らせたのである。
亡きフィリップ善良公もシャルル突進公も本拠地をフランドルのブルージュに移し、ブルゴーニュの首都ディジョンは顧みられない。
クロワ家は、百年戦争時に対立したフランス王国とブルゴーニュ公国の関係修復をさせるアラス条約を主導したが、シャルルはこの条約はフランス王に有利過ぎると不服であり、その意を汲んだ義弟島津豊久がクロワ家の人物の首を取って問題ともなった。
そしてリエージュ戦争の発端はルイ11世によるアラスとヴェルダンの回収であり、クロワ家はシャルルからアラス条約は結局無意味だったと、散々に批判され罵倒されていた。
クロワ家はブルゴーニュ公の下に居場所が無い。
フィリップ・デ・コミーヌからこれらの情報を得ていたルイ11世は、自らディジョンに乗り込むという冒険をして、ブルゴーニュ本領を離脱させた。
(ルイ11世はフィリップ・デ・コミーヌを調略した時も直接乗り出していて、成功もするが、失敗時は捕らえられたりもするので、案外無鉄砲な部分がある)
そしてブルゴーニュの諸侯は、シャルルの追放決議を決定する。
シャルルは激怒するも、しばらく軍事行動は難しい。
ナンシーの決戦で、全軍が疲弊している。
休み終えたら、武装を新調したい。
大砲も銃も、間に合わせの竹槍でない本式の槍やそれを扱う兵も揃えねばならない。
しかし、シャルルの重税に対する反乱はフランドルでも起きている。
内政と軍備強化の両方を上手くやらねばならない。
宰相ニコラ・ロラン(ディジョンに居たが、謀反に加担せず脱出して来た)、金羊毛騎士団財政官ピーテル・ブランテリンが財政再建を行っているが、この2人はこれ以上の戦争に反対している。
一方でルイ11世も戦争を望まない。
戦闘をすると勇猛なシャルル突進公に戦術的に事態をひっくり返されかねないのと、義弟であるミラノ公ガレアッツォ・マリア・スフォルツァが暗殺された事で、南方に不安を抱えてしまったからだ。
フィリップ・デ・コミーヌは、ブルゴーニュ領オータン枢機卿ジャン・ロランを通じ、兄の宰相と和平交渉を始めた。
それでもシャルル突進公との戦いに備え、スイス傭兵を多数雇い入れ、準備も欠かさない。
他方の関係者、神聖ローマ帝国のフリードリヒ3世はこのままルクセンブルクを攻略しようと自由都市メス郊外に8000の兵を集めたが、ジャック・サヴォイと犬童頼安の2400の部隊と交戦して大敗した。
フリードリヒ3世の無能による、作戦無しの騎士突撃は、竹槍隊とモッコス突撃隊により撃退される。
この勝利は突進公にとっても致命的であった。
彼の部隊は騎士の比率が高い。
騎士団の国であったが、それが騎士はもう長槍密集隊形の前に役に立たない事を、盟約者同盟に次いで自ら証明してしまったのだ。
神聖ローマ帝国もまた敗戦のショックからシャルルとの和平を求める。
シャルルは、騎士団が役に立たなくなった以上、今編成中の槍兵と銃兵が揃わないと、最早負ける事が分かった。
フランスも神聖ローマ帝国もスイス傭兵を集め、シャルルに対抗し始める。
スイス傭兵はシャルルを嫌っているので、シャルル陣営では最強の傭兵を雇う事が出来ない。
グランソンの虐殺は高くついてしまった。
だが、シャルルは後悔も反省もしていない。
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西ヨーロッパでは和平の機運が高まって来た。
シャルル突進公、ルイ11世、フリードリヒ3世、更に関係者であるイングランドのエドワード4世やチロル大公ジギスムント、サヴォイ公、盟約者同盟の間で和平会議を開く事で合意が出来た。
あとはその議長というか保証人が欲しいところである。
本来なら世俗の戦争を裁定する聖の長、ローマ教皇シクストゥス4世となるところだ。
だが、ブルゴーニュ戦争の発端は、このシクズ様によるケルン大司教破門であり、更にミラノ公暗殺の黒幕との疑いもあり、世俗以上に俗である為忌避された。
「そいで、ないごて俺いンとこにお鉢が回って来たとじゃあぁぁぁ???」
シャルル突進公、ルイ11世、フリードリヒ3世のそれぞれと縁があり、エドワード4世と盟約者同盟には迷惑をかけたサツマンの頂点、東ローマ皇帝島津家久にその役が回って来てしまったのだった。
おまけ:
薩摩転移は、サツマン人、ワカメ、竹と様々な侵略生物をヨーロッパに解き放った。
その中でもこいつは凶悪である。
「領主様! 森の中の養蜂が壊滅しました!
蜂蜜税は絶望的です」
「農家で被害が出ました。
除去しようとして、一家壊滅しました!」
「駆除部隊の半数がやられました。
死者も出ています」
オオスズメバチ、薩摩弁では「クマンバチ」、こいつに狙われた西洋ミツバチは、わずか3匹の前に1時間で巣が壊滅させられる。
ブルゴーニュ公シャルルが持ち込んだ竹に開いていた穴、ここに潜んでいて冬を越した小さな巣が、時間をかけて繁殖し、勢力圏を拡大していく。
西ヨーロッパの養蜂は壊滅状態となった。
フランドルから、フランス、ドイツ、イタリア、アルプスへと、まるでシャルル突進公の挫かれた野望を再現するかのように棲息域を広げていく。
人々は「ブルゴーニュ雀蜂」「突進公の呪い」と呼び、恐れた。
そんな西欧で助かった地域がある。
英仏海峡で隔てられたブリテン島やアイルランドである。
養蜂家が被害を受けないこの地で、ヨーロッパでは高額になった蜂蜜を好物とするクマの児童小説が書かれるのは、もっとずっと後の話である。




