盟約者同盟対突進公
シェイクスピア曰く
「私はジャンヌ・ダルクも大嫌いだ」
彼の作品において、ジャンヌは魔女として徹底的に悪役にされる。
イングランドにおけるウォリック伯とエドワード4世との戦いは、意外な形で勝負がついた。
国王エドワード4世を差し置いて暴れ回るジャンヌ・ダルク(ジャンヌ・デ・ザルモアーズ)とモッコス兵と強い方に寝返ったヒャッハー兵は、戦争を終わらせるよりも略奪と放火の方に忙しかった。
特に「軍事面のジャンヌ」は「乙女ジャンヌ」を火刑にしたイングランドは、ヨーク家だろうがランカスター家だろうがウォリック伯だろうが関係なく、ただこの国を壊せれば良い。
そこで肥後衆を率いている犬童頼安が、エドワード4世に意見具申する。
ウォリック伯の陣営には、仲違いしたエドワード4世の弟クレランス公がいる。
ウォリック伯の旗色は悪くなったが、エドワード4世軍のジャンヌ・モッコス・ヒャッハーの傍若無人ぶりにドン引きし、惰性でウォリック伯の味方を続けていた。
そこで犬童頼安はエドワード4世の許可を得て、調略に乗り出す。
エドワード4世のもう一人の弟グロスター公リチャードを通じて説得するが、犬童は次の一文も付け加えさせた。
”貴方が寝返らず内戦が長引けば、サツマンの連中がもっと国を破壊するでしょう。”
悪名も使い方次第。
クレランス公は寝返り、3兄弟でウォリック伯を撃破する。
ウォリック伯が担いだ前王、ランカスター家のヘンリー6世もクレランス公に殺害される。
ヨーク家のエドワード4世が王位復帰し、ヨーク朝が復活した。
あとは、援軍でありながら破壊者、強敵を倒す為に引っ張り出した怪獣にお帰り願うだけだ。
”時下、ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。
この度は、多数の地域から当家へご援軍頂きまして、誠にありがとうございます。
お陰様で勝利を収める事が出来ました。
さて、当家への登用についてですが、慎重に検討していただいた結果、
誠に残念ながら今回は登用を見合わせて頂くこととなりました。
ご期待に沿えず申し訳ございませんが、あしからずご了承頂きたく存じます。
皆様のより一層のご健勝とご活躍を心よりお祈り申し上げます。”
このように言われ、ジャンヌと傭兵たちは足代と賞金を渡され、イングランドから追い出された。
犬童頼安だけは、「卿」の称号と勲章を授与される。
もっともモッコスは
「こげな文一枚、金だけ貰って、おいそれと帰れっか!」
と文句を言い、帰路に就こうとせず、モンスタークレーマーと化してエドワード4世の神経を削りまくる事になる。
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ヨーク家の勝利が確定した為、ブルゴーニュ公シャルルは同盟者をイングランド王に戻す事が出来た。
だが、必要以上にモッコス兵たちがイングランドを荒らし過ぎた為、イングランドとフランスが戦う百年戦争の再開は、当分出来そうにない。
イングランドは国の立て直しで時間がかかる。
代わりに、ウォリック伯から寝返ったイングランドのヒャッハーたちが傭兵としてブルゴーニュ軍に加わった。
先に雇った分と合わせ、屈強の弓兵2000人程となる。
さて、シャルルは「ローマ王」になると宣言したが、宣言しただけで成れる地位ではない。
どっかの国なら、「儂は上総介ね」と言えば、名乗りとしては認められる。
精々「上総守ね」と言ったら「そこは親王任国だから、皇族以外『守』には成れません」という仕来りがあるくらいだ。
次期神聖ローマ皇帝たる「ローマ王」は、7つの選帝侯の選挙によって定まる。
選帝侯は聖界諸侯3家(マインツ大司教、トリーア大司教、ケルン大司教)、世俗諸侯4家(ボヘミア王、ライン・プファルツ伯、ザクセン公、ブランデンブルク辺境伯)という顔ぶれだ。
この聖と俗の選帝侯で諍いが起きた。
ケルン大司教にライン・プファルツ伯家出のルプレヒトが就いた。
このルプレヒトを聖界のトップ・ローマ教皇が認めていない。
ルプレヒトもまた、俗界の君主として振る舞い、ローマに貢納金を納めない。
このルプレヒト大司教を、教皇シクストゥス4世が破門した。
「儂は神も同然!
貢納金も納めぬ大司教等生きる価値無し!
破門! 破門! 破門! も一つおまけでハッモッンッ!!
泣け! 喚け! 儂に逆らった事を後悔して死ね!」
目を血走らせ、シクズ様が宣告した。
教皇が言うように、破門された大司教等何の価値も無い。
ケルン市民はルプレヒトを追放し、ヘッセン伯ヘルマンを大司教として迎えた。
皇帝フリードリヒ3世は、この事態を収拾しようとするが、無能だから失敗する。
そこでルプレヒトは、ブルゴーニュ公シャルルに援軍を要請した。
シャルルはこの援軍に応じる代償に、ケルンの終身後見役に就く事を認めさせる。
ルプレヒトの縁も使って実家のライン・プファルツ伯家も、復帰成功の際は味方になると約束させた。
選帝侯の内2家を味方にしようという事だ。
これが成功すると、ブルゴーニュ公国に隣接するトリーア大司教領も制圧が可能となる。
こうして7家の内3家を味方にすれば、他に選挙工作を1家に絞って実行し、成功すれば晴れてローマ王、やがては神聖ローマ皇帝となれる。
中々の外交手腕に見えるが、手の内が見え透いている為、他の神聖ローマ諸侯の警戒を買ってしまった。
ケルン大司教領の工作に乗り込む前に、シャルルの腹心で外交巧者であるフィリップ・ド・コミーヌが、フランス王ルイ11世に引き抜かれる。
寝業巧者ルイ11世の見事な調略であった。
シャルルは激怒し、コミーヌがブルゴーニュに残した財産を没収するが、その分をルイ11世は補償し、コミーヌを自分の外交顧問とする。
コミーヌ出奔により、シャルルの外交は硬軟織り交ぜられず、強硬一辺倒となった。
シャルルは、ヘッセン伯ヘルマンが籠城するノイス城を攻める。
この行為を「ケルン大司教領への侵略」とした皇帝フリードリヒ3世は帝国議会を開き、シャルルに対する「帝国追放令」を議決させる。
シャルル討伐軍司令官としてブランデンブルク辺境伯が任命された。
ブランデブルグ辺境伯アルブレヒトは、かつて薩摩に拉致され、錬金術奉行として活躍した佐奈田与八こと、ヨハン・フォン・ブランデブルグ=ホーエンツォレルンの弟である。
この時点からブルゴーニュ戦争と呼ばれる戦争が始まった。
ブルゴーニュ公国対神聖ローマ帝国という構図である。
個々の局面でブルゴーニュ公国と様々な諸侯や都市国家という形になり、神聖ローマ帝国一丸となって戦った事は無いが、ほぼ全ての対戦国は神聖ローマ帝国に形だけでも所属しているし、何よりもシャルルの「神聖ローマ皇帝位」を狙った戦いであった。
ノイス城は河川に囲まれている。
ブルゴーニュ軍は城を包囲するが、水路を使った補給でノイス城は持ちこたえる。
包囲戦は長期戦となった。
長期戦となると、傭兵たちが飽きて来る。
イングランド弓兵は、暇になると周囲を略奪しまくり、戦線を維持しない。
このイングランドのヒャッハーどもと、ブルゴーニュの金羊毛騎士団が対立を始めた。
シャルルはヒャッハーと騎士との仲介にかかりっきりになり、戦争どころでは無い。
ブルゴーニュ軍がケルンで長期戦をしている事で、彼等を見限る者が出た。
かつてアルザスをシャルルに売った、チロル大公ジギスムントである。
彼は自領を盟約者同盟という都市連合から護って欲しかった。
なのにブルゴーニュ軍はケルンに手こずり、アルプスを顧みない。
盟約者同盟、それはオーストリアのハプスブルグ家とバイエルン公との戦いが起きた時、バイエルンを支持したウーリ州、シュヴィーツ州、ウンターヴァルデン州が、同盟を結んでハプスブルグ家の侵攻に対抗した事から始まる。
原初の同盟三州の一つ、シュヴィーツ州から後にスイスという国号に変わるが、今はまだ神聖ローマ帝国内の自由都市同盟に過ぎない。
この原初同盟に、グラールス州、ツーク州とルツェルン市、チューリッヒ市、ベルン市という都市国家が加わった。
有名なウィリアム・テルが殺害したのも、ハプスブルク家の代官として圧政を敷いていたゲスラーであった。
その後、離散集合があれど、アルプス山脈のこれらの州や都市は同盟を結んでハプスブルク家に対抗する。
その中の帝国自由都市ベルンは、ハプスブルク家領アールガウやトゥールガウを攻めて同盟者で分割し、アルプスにおける最大の都市に成長した。
ハプスブルグ家のチロル大公ジギスムントは、このベルンからの脅威に対抗すべくブルゴーニュ公国にアルザスを売ったのだが、これでは目論見が外れてしまった。
そこでジギスムントは、盟約者同盟と手を組む。
盟約者同盟側にも、ハプスブルグ家と手を組む理由が生じていた。
シャルルがアルザス代官に任命したペーター・フォン・ハーゲンバッハが、バーゼルやストラスブール、ミュルーズ等の都市への通商を禁止した。
通商を禁じられ困窮したこれらの都市はベルンに助けを求める。
さらにアルザスの住民も、過酷な税を取り立てるハーゲンバッハに反抗する。
かくして、ジギスムント大公と盟約者同盟は永久協定と呼ばれる和平条約を結ぶ。
この仲介役がフランス王ルイ11世であり、王の外交顧問である突進公の元側近・フィリップ・ド・コミーヌが調整したかもしれない。
ジギスムントはアルザスをシャルルから買い戻そうとする。
シャルルはそれを拒絶。
そうしている内にハーゲンバッハがアルザスの住人蜂起によって捕らわれ、処刑される。
南で火が点いたシャルルは、ノイス城包囲を解いてアルプスに向かった。
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アルプスの行者・輩慈は、素朴な木こりの子・アーダルベルトという変名でベルンに潜入する。
そして髪を染め、秘術で目を青く見せて、背は低いが確かにヨーロッパ人の風貌で諜報活動を始めていた。
彼はベルンの未亡人クララの情夫となり、そこを活動拠点とする。
だが、ベルンはブルゴーニュ公国との戦争に向かい始めた。
アーダルベルトこと輩慈は、同盟軍の実力を探るべく、身分を上手く誤魔化して志願兵としてベルン軍に入隊する。
中に入り込んだ輩慈は、その軍に驚かされる。
(なんちゅう長か槍じゃ!
まるで噂に聞く織田家の三間半(6メートル)長槍足軽じゃ。
そいで、こやつら甲冑を着ん。
殺される前に殺せチ軍法じゃな。
まるで薩摩じゃ!)
そして訓練も、薩摩に劣らぬ厳しいものだった。
重い6メートルの槍を担いで、敵よりも先に攻撃をしなければならない。
密集隊形で隊列を組む為、足を引っ張るような者は排除される。
騎士の突撃に対し、退かない精神力も求められる。
(この山薩摩の前には、ブルゴーニュ公国と言えども苦戦すっじゃろな)
だが、長槍足軽一辺倒の兵なら、薩摩国なら対処法はいくらでもある。
日本の戦国時代は、既に複合兵戦術になっていたのだから。
この盟約者同盟の情報は、アルプス修験道の長・恩慈を中継して、逐次薩摩国に送られ続けた。
アルプスからの諜報を受け取っている薩摩では、とある情報に唸った。
作戦意図が分からないが、もしも高度な戦略に沿ってのものなら盟約者同盟は恐ろしい相手だ。
同盟軍は直接ブルゴーニュ軍に向かわない。
その反対側、サヴォイ公領に兵を向けた。
サヴォイ公はブルゴーニュ公の協力者であり、ブルゴーニュ軍の序列3位の司令官である客将ジャック・ド・サヴォイの実家である。
同盟軍は、ブルゴーニュ公軍の裏口に向かう。
ブルゴーニュ公国軍は予定にない軍事行動を強いられようとしていた。
おまけ:
シャルル突進公は、腹心として重用していたフィリップ・ド・コミーヌが出奔した事が信じられずにいた。
何故彼の者は厚遇していたブルゴーニュを捨てたのだろうか?
「奴の諫言を無視して皆殺しをしまくったのが原因か?
それとも奴の諫言を無視して、外交でゴリ押ししたのが原因か?
奴の忠告を無視して、神聖ローマ皇帝を巨費を投じてもてなしたのに、何の成果も上がらなかったのに愛想を尽かしたのか?
もしかして狩猟の帰りに、戯れに奴にブーツを投げつけたら、顔面にヒットして鼻血を出したから
『やーい、このブーツ頭!』とおちょくったのが理由か????」
ブルゴーニュ公よ、日本には遊びで櫓の上から小便を顔に掛けたら、その者が率いる僅か16人の兵で城を乗っ取られた例が有るので、部下相手にそういう面子を潰す真似しちゃいけません!!




