薩摩は動かず、しかし欧州は動乱す
カルマル同盟に属するデンマークという地がある。
デーン人の土地という意味だ。
そこの漁師が舟を出していると、不思議な人魚が語りかけて来た。
「この海を進むとヒゴの海に出られるか?」
漁師は、ヒゴの海が何かは知らないが、この先はポーランドやノヴゴルドであると伝える。
人魚は溜息を吐くと、礼を言ってフィヨルドの方を目指して去っていった。
これがデンマークの人魚姫伝説に繋がる。
島津家というヨーロッパの軍事バランスを大きく崩した異常国家。
ここと手を結び、自国を有利にすべく各国が動いた結果、島津家は複雑な同盟関係、共闘関係に取り込まれてしまった。
このしがらみを上手く捌いているのが、鹿児島から一歩も動かない島津家当主・龍伯入道義久である。
島津家当主独自の情報網を駆使し、生き残る為に、道を誤らないように、彼は彼で日々もたらされる情報を整理して戦略を立てていた。
日本に居た時は、薩摩は九州の南に在り、遠く海で隔てられた琉球や明国以外は、北を見ていれば良かった。
しかし今は、四方八方に陸続きの国が存在する。
其れ等が戦国乱世の日本のように、手を組んだり離れたり、集まったり離散したりと情勢を変化させている。
同じような分析は皇帝家久もしているが、この義父子では認識が大きく異なる。
片や薩摩一国主義、片や薩摩帝国主義。
家久がパワーバランスを考え、影響力を行使すべく外交と薩摩兵の暴走に苦心している中、義久は
「あん国は捨て置け。
手バ切る事じゃ」
と薩摩の役に立たないなら手切れを求める等、単純に決めてしまう。
この義父への不満を妻にぶつける皇帝である。
しかしフィレンツェからの報告は、義久から「手を切れ」等と言われるものでもないし、家久自らも大して外交判断に困らせられる事の無い、興味深いものだった。
内容自体は物騒で、面倒臭い筈のものだ。
同盟関係にあるフェラーラ公領と、経済政策で協調するフィレンツェ共和国との対立についてである。
これに対するロレンツォ・デ・メディチからの手紙は
"あんたらの手を煩わせる事は無い。
俺が上手く収めるから、邪魔だけはしないで欲しい"
というものであった。
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フィレンツェのメディチ家は、ロレンツォとジュリアーノの若き兄弟が後を継いだ。
周囲はこの若い兄弟は経験も浅く、上手く市政を運営出来ないだろう、そう見る。
特に隣接するフェラーラ公ボルソ・デ・エステは、領有で争うプラートの町をフィレンツェから離反させるべく陰謀を巡らす。
プラート市の反メディチ派に蜂起させようとしたのだ。
だがこのクーデターは発動前に、ロレンツォによって鎮圧される。
「甘いよ。
係争地に直接手を伸ばすなんて裏が無さ過ぎる。
陰謀をしかけるなら、一見無関係なとこから手をつけないと」
そう言うロレンツォは、ミラノ公ガレアッツォ・マリア・スフォルツァと同盟を結ぶ。
ミラノのメディチ銀行からは、大量の貸付がなされ、ミラノは急速に勢力を回復する。
ミラノとフィレンツェはフェラーラ公領を南北で挟み込む位置にある。
このミラノとフィレンツェの同盟により、ボルソ・デ・エステは迂闊に動けなくなった。
そうしている間に、ロレンツォはプラート市の反乱において、実行者は厳格に処罰するが、共謀者は赦免という措置を取り、混乱を収拾してしまった。
「まだまだ行くよ、倍プッシュだ」
当時、衣服に彩色する為に明礬が使われていた。
トスカーナ地方のヴォルテッラ市で、この明礬が採掘される。
明礬の採掘権を持つヴォルテッラ貴族と、販売権を持つフィレンツェ商人とで利害が対立する。
ロレンツォはプラート市への温厚な対応から一転、傭兵隊長フェデリーゴ・モンテフェルトロに7000の兵を持たせて派遣し、ヴォルテッラ貴族を一網打尽にする。
そして多くを粛清し、フィレンツェに好意的なインギラミ一家を支援、統治を任せる。
ヴォルテッラ市の自治は犯さなかったが、再度の彼等の反乱に備えるという名目で近代要塞をフィレンツェの周囲に作る。
フェラーラ公にとって、一層フィレンツェは手出し出来なくなった。
「しかし、数年前から返済が焦げ付いているミラノへの新規大量貸付といい、
要塞の複数築城といい、随分と資金を使いましたな」
と言うメディチ銀行総頭取フランチェスコ・サセッティに対し、ロレンツォは
「俺がコンスタンティノープルまで出向いて、金貨の鋳造権を得て来ただろ。
金貨なんか幾らでも造れるんだから、しみったれた事を言うんじゃないよ」
と返した。
ロレンツォの父、ピエロの代で傾きかけたメディチ銀行は借金返済を一気に済ませた東ローマの銀貨放出で、業績は回復した。
代わりに島津家を縛る借金の拘束は無くなったが、ピエロはこれを重視しなかった。
大量の銀を芸術家のパトロン活動に使い、豪壮な建築物や催し物に金を出した。
故に今でもメディチ家は、貴族嫌いなフィレンツェ市民の中で、最も貴族的な一族でありながら非常に人気が高い。
ロレンツォはフィレンツェと島津との縁が切れると、危機にも儲け話にも関われなくなると思い、皇帝家久の懐に飛び込む賭けに出た。
結果、金塊を買い取り、所定量の金貨を鋳造して東ローマ帝国政府に納入する一方、余りは自分たちのものに出来る権利を獲得。
薩摩は、鉱物から貴金属を抽出する方の技術は持っているが、日本時代から今に至るまで独自の通貨を作っていなかった為、通貨発行用の冶金技術は無かった。
フッガー家といいメディチ家といい、神聖ローマ帝国やローマ教皇領の通貨鋳造権を持っていた銀行は、硬貨として均質に一定の強度を持った金属を大量発行する技術があり、買い取った金塊・銀塊に銅等を混ぜて合金とし、それを鋳造して政府納入義務の金貨・銀貨を作る。
納品分を差し引いた、余りを得る。
その余りの金ですら、当時としては莫大なのだ。
この富をロレンツォは芸術家へのパトロン活動には使用せず、専ら政治・軍事にのみ使用する。
にも関わらず、この時期のフィレンツェではレオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ボッティチェリらの高名な芸術家たちが活動している。
ロレンツォは彼等を、教皇領やミラノに紹介し、仕事を斡旋する。
金は出さないが、「名の知れた芸術家」という金銭では中々得難い対価を出して、金銭提供以上の外交と為す。
「今は守銭奴のように、金!」
とロレンツォは政治・軍事以外への支出を減らしていた。
何かに備えるかのように……。
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ローマ教皇パウルス2世が薨去した。
後年は度々あったサツマンのイタリア襲撃に悩まされ、寿命を削ったのだろう。
もっともパウルス2世の方も、ボヘミア王イジー・ス・ポジェブラトをフス派である事から嫌い、彼を破門する事でボヘミアに無駄な争いの種を撒いた。
イジー・ス・ポジェブラトは教皇より先に死亡。
その後をポーランド・リトアニア連合の国王カジミェシュ4世の子のヴワディスラフが継ぐ。
ボヘミア王ヴワディスラフは、父以来のハンガリー王マーチャーシュ1世との戦いを続ける。
マーチャーシュ1世の背後にはワラキア公ヴラド3世がいて、その客分に島津義弘が居座っている。
(スパルタ島津家当主の座は、五男の義清に譲って、本人は悠々自適の隠居生活。
隠居の生活費が義弘から、義弘の世話代をヴラド3世から請求され、家久は苛ついている)
島津義久は、弟に
「絶対動くなよ! 戦争に行くなよ!」
と注意をしているが、
「やるなよ、やるなよ、って言うのはやれって事ごわすな」
と言う人物だけに義久も家久も気が抜けない。
勢力拡大するモスクワ大公国に対抗すべき東欧諸国は、ボヘミア対ハンガリー、フス派対カトリックの戦争状態で、一致団結どころではなかった。
話が逸れたが、パウルス2世が薨去し、フランチェスコ・デッラ・ローヴェレがシクストゥス4世として教皇の座に就いた。
この男は名家の出自では無い、困窮した家系の出からの一代成り上がりである。
そして、恐ろしい程に世俗的な人物であった。
成り上がった自分に対し自信を持っている。
「儂が教皇だ…… !お前たちは執事!下僕!
神が……選びしは儂っ……! 儂だけっ……!
教皇である……このフランチェスコ・デッラ・ローヴェレだけっ……!」
そしてシクストゥス4世は、露骨な身内贔屓を始める。
まず親族から6人の枢機卿を出した。
彼には大量の甥が居る。
その一人ジョバンニ・デラ・ローヴェレをウルビーノ公の娘と結婚させ、シニガリア市を取得。
甥……と言われているが実は庶子のジロラモ・リアリオを、ミラノ公の庶子カテリーナ・スフォルツァと結婚させてイモラ領を相続させる。
そしてピサの大司教にサルヴィアーティ家のフランチェスコ(教皇の親戚)を就任させる。
これに対し、ピサを実効支配するフィレンツェのロレンツォ・デ・メディチが反対する。
ピサ大司教の前任はメディチ家のフィリッポ・デ・メディチであり、ここはメディチ家の利権なのだ。
またシクストゥス4世はフィレンツェに都市を一個割譲するよう要求する。
ここに甥の一人を軍司令官として就任させるつもりだった。
これにもロレンツォは拒絶する。
教皇はローマ教皇領の通貨発行権をメディチ銀行から、同じフィレンツェの銀行で反メディチ家のパッツィ銀行に移譲する。
これにロレンツォは抗議、教皇とロレンツォはローマで議論する。
「フィレンツェが勝ち取った権益を奪いたければ、誰もが納得する正当な理由で奪うんだな。
寄進や譲歩なんてものを、俺はしない。
神の威信なんてものを使う脅迫には屈しない」
「やれやれ、神の事を畏れぬ愚者よの。
そんな事では神罰が当たろうぞ。
フィレンツェの民にも可哀想な事よ」
「神の権威を背景にした取引は俺には通じねぇんだ。
いい加減悟れっ……!」
畏れを知らぬ若き指導者(ロレンツォはいかなる役職にも就いてはいない)に対し教皇がくぐもった笑いで答える。
「結構、結構……若者はいい。
若さは貴重だ……。
どうだ、儂と勝負をせんか?
お互いの生命と財産、領土を賭けた……」
「教皇とは思えない、生臭い言葉だな。
勝負? 違うだろ、戦争だろ」
「小僧……サツマニアを後ろ盾にしたと言って、この神の第一使徒・ローマ教皇を甘く見るなよ。
お前の小賢しい策など、儂の手で一気にひっくり返せる」
「どうやるかは後の楽しみとして、その先に有るのはミラノ・フィレンツェ・ヴェネツィアの離間か?」
「ほお、どうしてそう思う?」
「神とか頭に無いイカれたミラノのガレアッツォ・マリア・スフォルツァ、商業しか頭に無いヴェネツィア共和国、この2つは同盟関係に無いが、この2つとそれぞれ同盟関係にあるのが俺のフィレンツェだ。
フィレンツェを崩す、実際には俺を始末すれば北部連合は崩れる」
「クックック……流石はロレンツォ・デ・メディチ。
読みおったか。
そうじゃ。
お前らが固まっていては何かと迷惑。
それぞれが弱き子羊となり、神に縋って貰わねばな。
分かるであろう?
神即ち……それは儂!」
「エステ家を唆して、フィレンツェにチョッカイを出させたのは爺ィ、あんただろ」
「爺ィとは口が悪過ぎる。
儂を誰だと思っている!
まあ、正解じゃ。
儂だけの考えでは無いがな」
「底無しの強欲、己が成功すると思い込んでいる傲慢、それが教皇シクズ様の本質……。
その強運と神の庇護を以って、ローヴェレ一族で世界を支配する気か?」
「シクズ様とか変な略し方するな!
言葉には気をつけろ、小僧!
儂にはその資格がある!
儂は全世界の王なのだからな!」
「面白い、その増長……化けの皮……剥がしてやる。
乗ってやるよシクズ。
ここからはあんたと俺の戦争だ」
「殺してやる……殺してやるぞぉ、ロレンツォ……。
クックックック……。
お前はこの世に血の一滴も残してやらん!
お前は干涸らびて、後悔の声を挙げながら死ぬ。
その甘美な音楽を、聞いてやろうぞ」
フィレンツェに戻ったロレンツォに、弟のジュリアーニが不安そうに声をかける。
「東ローマ帝国の援助を求めた方が良いのではないか?」
ロレンツォは笑う。
「この程度の事でシマンシュの助けを呼んだら、俺たちはあの異形の怪物に喰われちまうぜ。
シマンシュは……いずれローマ教皇というものを……喰う。
その時共犯者としてシマンシュから一定の敬意を持たれているか、負け犬として共に喰われるか……。
シマンシュの敬意を買うには、己で戦える事を見せる事だ」
「だが、教皇に滅ぼされたら元も子もないだろ」
「死んだらその時だ。
俺に今を生きる実力が無かったのだろう。
だが、俺はまだ死ぬという感覚が無いんだがな」
かくして欧州各地に戦雲が立ち込めて来た。
まだ台風の目は動いていない。
おまけ:
「時に又八郎、亀寿は達者か?」
歳久の言葉に皇帝家久は目を背ける。
「達者ゴワスヨー」
「目を見て話さんか!
悪か噂バ聞くが、どぎゃんじゃ?」
「ああ、そうそう、亀寿から書状バ預かっちょいもす。
叔父上から義父上にお渡し下され。
ちょいと亀寿は病に伏せておりますゆえ」
「病?
何の病じゃ?」
「疱瘡じゃったか、労咳じゃったか、黒死病じゃったか、覚えちょりもはん」
「死病じゃなかか!!」
「あ、いや、感冒じゃったか、打身捻挫じゃったか、歯槽膿漏じゃったか……」
「全然違う病じゃなかか!!」
「とにかく、会わせる事は出来ませぬ故、義父上への手紙を持って、お引き取り下され」
歳久が下がると、襖の裏の山潜に話しかける。
「確かに亀寿の筆跡じゃろな?」
『はっ、奥方様の筆跡を模倣しもした』
「ならば良し」
山潜者は従ってはいるが、彼等も何故家久が従姉妹でもある正室に陰険な嫌がらせをしているか分からない。
忍びである彼等は、理由は判らずともどうでも良い。
だが、何事にも理由は有る。
皇帝家久の胸には、得体の知れないモノが巣食っている。
家久の悪行にはコレが関わっている。
それを知る者は、そう多くは無い。




