婚姻で激変する国際情勢
1469年12月、フィレンツェの僭主ピエロ・ディ・メディチが死亡する。
後を継いだのがロレンツォ・デ・メディチであった。
僅か20歳だが、祖父コジモからも期待をかけられていたロレンツォはサツマニアに対しこう言った。
「奴等は100騎で万の敵に突っ込み、
一国を更地に変え、数千の首を街道に晒す。
怒れば腹を切り、それを他人にも強要する。
フフ……まさに狂気、サツマンの本質は狂気。
面白い……狂気の沙汰ほど面白い」
ミラノのランドリアーニ伯爵が死んだ。
不思議な色の服、日本人なら「柿色」と呼ぶが、そんな服の盗賊のような、鎖帷子を着込んだ謎の男?によって暗殺されたのだ。
その暗殺者は、殺すまでは誰も姿を見ていないのに、犯行後はわざわざ居座って姿を見せ、警らの兵士が捕縛しようとすると、信じられない身体能力と、煙玉や靴を貫通する鉄の針の三角錐を撒いて、いずこかへ消えた。
更に、ミラノ公ガレアッツォ・マリア・スフォルツァの枕元に、
『我々の手は届く』
という置き手紙があったのだが、公の寝室に誰かが入ったのを見た者はいない。
山潜者という薩摩忍びを使った、ミラノへの脅しである。
同様にローマのロドリーゴ・ボルジャ枢機卿の愛人ヴァノッツァ・カタネイの寝室にも
『我々は常に見ている』
という手紙が、夜には無かったのに、朝に枕元に置かれていた。
軍事で十分に脅した後は、いつでも暗殺出来るという恐怖を与える皇帝家久の嫌がらせである。
ついでだが、ランドリアーニ伯爵が死んだ為、家久が側室に決めたルクレーツィアは晴れて未亡人となり、キリスト教的には不義不貞でもなく、離婚という禁忌からも解放された。
だからと言って彼女の不幸がどうにかなるものではないが、4人の出産経験がある彼女は、その後も家久の子を産まされ続ける。
そして、この行為について一々詳細に書いた手紙を、正室・亀寿に送りつける嫌がらせも欠かさない家久であった。
かなり精神的に病んできた亀寿姫と違い、ミラノの外道の方は寝所に忍者の侵入を許しても変わらない。
家久は、亀寿に送っている嫌がらせの手紙、かつての愛妾が如何に横取りした男に組み敷かれているか詳細に書いた文の翻訳版をミラノ公にも送っているが、
「うひょっ、これはこれで興奮すんじゃねーか」
と一向に堪えていない。
この人にはどこか人格形成的な問題があるのでは? と書記官チコ・シモネッタは考えている。
そんなミラノ公ガレアッツォだが、正夫人を失った為に二番目の夫人・ボナ・ディ・サヴォイアを迎えた。
彼女の姉は、フランス王ルイ11世の妃である。
もっともルイ11世は、この妻シャルロットを敵国ブルゴーニュ公国に追放している。
妻女虐待王と婦女暴行公が義兄弟となったのだ。
お互い、好感情は抱いていないが、権威失墜しているミラノ公には後ろ盾が出来て、フランス王にはイタリアへの足掛かりが出来るという政略上の都合の前には個人的感情はどうでも良かった。
そのフランス王妃を保護しているブルゴーニュ公国では、シャルル公がマーガレット・オブ・ヨークを3番目の妻に迎えた。
ヨーク朝イングランド王エドワード4世の妹である。
こうしてヨーク朝イングランド〜ブルゴーニュ公国〜イズミール島津家(豊久)の婚姻関係が出来た。
一方のルイ11世は、反ブルゴーニュ公国でフリードリヒ3世と手を組む。
ヴァロア朝フランス王国〜神聖ローマ帝国〜東ローマ帝国(家久)という連合が形成された。
そしてルイ11世とミラノ公ガレアッツォが義兄弟となり、更にミラノ公国が神聖ローマ帝国と手を組んだ事で、戦争したばかりのミラノ公国と東ローマ帝国も和睦する。
三外道同盟が成立した。
さて、更に一方には反神聖ローマ帝国、と言うか反ハプスブルク家でハンガリー王マーチャーシュ1世とワラキア公ヴラド3世の同盟がある。
此方にはスパルタ島津家(義弘)が不思議な縁で関わっている。
この三系統の利害が対立する同盟関係で、島津家は下手をしたら引き裂かれかねない。
だが、島津家には当主義久という存在が在った。
老境に入り、頑固頑迷にはなって来たが、その存在感で島津分裂を防いでいた。
皇帝一元統率を考える家久には目の上のタンコブな義久の存在ではあるが、自身の構想の上でも島津家当主の権威を台無しには出来ない。
島津の血を入れた東ローマ帝室と、純血の薩摩島津宗家、やがてはこれを国の両輪としたい。
その構想の要である娘が遂に産まれた。
ルクレーツィアとの子である。
産まれた娘を一瞥すると、家久は即座に上皇コンスタンティノス11世を訪れ、彼の子で家久の養子でもあるヨハネス大公と、生まれたばかりの赤子を婚約させた。
十四歳差の婚約である。
なお、外道である皇帝家久は、婚約させたその口で
「何時か娘に皇太子を産ませりゃそれで良かで、
側女は何人作ろうが構わんでな」
と言ってのけた。
婚約者が適齢期になるまで童貞か……と諦めそうになったヨハネス大公が思わず
(それを嫁の実父が言うのか???)
とツッコミたくなった。
だが、ツッコむ前に上皇コンスタンティノス11世が
「皇帝の言う通り、側室を持ち、子を産ませろ。
ビザンツ帝国はシマンシュに奪われる、それはもう覚悟した。
それで無ければ生き残れぬ。
だが、我がパレオロゴス家の血筋は、各国に縁組させて遺すのだ」
と、呂律の回らぬ口で言う。
女も子供も政略や血筋延命の道具でしかない。
この点、皇帝も上皇も価値観は同じである。
家久が上皇を大事に扱うのは、政略的な意味以外にも、政治的な価値観や、何をやってでも勝ち残ろうとする意志に感じ入る部分が有るからでもある。
------------------------------
だが、家久の娘とヨハネス大公の婚約が成った1469年、東ローマ帝国の外側ではやはり、もっと恐ろしい結婚や婚約が決まった。
まず、イスパニアにおいてアラゴン王国のフェルナンド王太子と、カスティーリャ王国のイザベル王女が結婚した。
イグナトゥス大司教より歴史を聞いた家久は、ついにスペイン王国が生まれる一歩が踏み出されたと知る。
島津家久にとって、実は今も百三十年後もスペイン王国等は怖くも何とも無い。
世界帝国となったスペインが一斉に攻めて来るなら恐ろしいが、薩摩に篭っていれば攻められる戦力等は高が知れている。
まして、東ローマ帝国を率いるようになった島津家なら、純軍事的には互角以上に戦えるだろう。
島津家久が恐れているのは、イグナトゥスが伝える歴史が正しければ、スペイン王国でこれから起こる人間の闇である。
更に、スペイン王国ではなく、世界帝国となられる事である。
その為、スペインの目を外には向けさせない。
グラナダのナスル朝を支援し、レコンキスタを続けさせるのだ。
そして、スペインと並んで世界進出するポルトガル王国。
家久は、ポルトガルとは利を以て手を組める、そう考えていた。
アフリカとインドは呉れてやる、だがまだ見ぬ新大陸は渡さん。
この親ポルトガルの思考には、イグナトゥスの影響も有った。
薩摩と共に転移して来たイエズス会、彼等の背後には将来のポルトガル王国があった、と言うのもおかしな表現だが、そうなる。
一方、同じくキリスト教を世界に布教するドミニコ会、この後ろ盾にはスペイン王国がなる、予定だ。
ドミニコ会は呂宋等に布教し、スペインがその後乗り込み、フィリピン等という名に変えてしまった。
怪しからん。
呂宋は転移しなければ薩摩の取引相手である。
奪わせてなるものか!
だが、皇帝家久にとって、十年後くらいの脅威よりも、喫緊の脅威が発生していて、その対策を考えねばならなくなった。
ローマ教皇領に庇護されていた上皇コンスタンティノス11世の姪、島津義弘が討ち取ったソマスの娘で、島津家久が暗殺したアンドレアス大公の妹であるゾイ・パレオロギナが、モスクワ大公イヴァン3世と婚約したのだ。
ローマ教皇パウルス2世と、ロドリーゴ・ボルジャ枢機卿の働き掛けにより、東ローマ皇帝の血筋がロシアに入った。
東スラブ読みで皇后ソフィヤ・フォミーニチナ・パレオロークを手に入れたイヴァン3世は、堂々と島津家久の東ローマ皇帝位を否定し、自ら皇帝を名乗り出した。
モスクワ大公国は、ヤロスラヴリ諸公領を統合し、リャザン公国を保護国化した。
狙われているトヴェリ公国は、ポーランド・リトアニア連合国のカジミェシュ4世に助けを求めている。
ポーランド・リトアニア連合とワラキア公国、ハンガリー王国は啀み合いつつも、奇妙な連帯関係にある。
東ローマ帝国、薩摩国は北方に巨大な脅威が出来つつある事を悟った。
------------------------------
このように、自分たちを取り囲む状況を見て、味方に出来そうな勢力、敵対する勢力と分析している島津家であったが、一方で自分たちの影響力については全く無頓着であった。
薩摩は軍事的な侵略をせずとも、次第にヨーロッパを蝕みつつある。
彼等が全く意図していない分野で。
彼等は自らを貧しいと笑っているが、既に薩摩が大きな買い物をすれば、ヨーロッパの銀総量に変動が起きてしまう程に、金銀生産量が上がっていた。
ただでさえ、中務大輔家久によるソフィア郊外会戦で当主や嫡男等一族の主だった男子を失い、ボロボロになった中欧・西欧の騎士団は、薩摩銀を持つ商人たちにより没落を加速させられる。
薩摩がもたらした社会の変化は、騎士の没落と商人の勃興だけではない。
彼等が意識すらしていない、キリスト教の内部へも薩摩の影響が及んでいた。
それを「サツマニア神学」と呼び、更に哲学では「チェスト主義」と呼ばれるものが生まれた。
この次はそれを語ろう。
薩訳:大嵐
ナポリ公島津歳久を正使、東郷重位を副使としたポルトガルへの使節団が船出する。
船は途中、嵐に遭う。
この嵐は、島津家によってナポリを追われたプロスペローの魔術によるものだった。
プロスペローは、嵐を起こして自分の居る島に漂着させ、いずれナポリに復活しようとしていた。
島津の船は荒れ狂う海に漂う。
そんな中、東郷重位が急に目を見開き、船主に立つ。
「和泉守(重位)?」
歳久は虚空に向かい、刀を抜く東郷重位を見る。
「キエイッ!!」
東郷の太刀筋は、一瞬嵐を切り裂いたように見えた。
「キャーッ!」
悲鳴が響き、透明な、虫とも人とも付かぬモノが真っ二つにされて、海に墜ちた。
東郷の太刀は、大地を砕き、海を破り、空を裂く。
力で岩や鉄を斬り、速さで波や炎を斬り、心で聖邪問わず霊を斬る。
そして、嵐は消え去った。
「和泉守、あいは何じゃ?」
「はて?
何者かが放った式神ごわはんか?」
「さてもさても、おはんと乗っていて良かった」
島津家の船は地中海を進む。
そして風の妖精エアリアルを使役していたプロスペローは、呪い返しによる反動でエアリアルが真っ二つにされた感触が跳ね返って来た。
凄まじい衝撃に苦しみ、悶え、そしてこう吐き捨てた。
「シーマンズに対するこの荒々しい魔術はこの場で捨てる。
……勝てやしねえ……。
魔法の杖を折り、地の底深く埋め、測量の錘も届かぬ深みに私の書物も沈めてしまおう」
教訓:人間、諦めが大事だよ、勝てない奴は居るから。
おまけの2:
歳久「和泉守なら船弁慶も太刀で何とかするんじゃなかか?」
東郷「船弁慶?
平家の亡霊ごわすか……。
さて、やってみんば分からなかごわす。
じゃっどん、能登守教経殿とは仕合ってみたか」
歳久「……船弁慶に教経は出て来んど……」




