教皇の仲介
イズミールにて
「ミラノ郊外にて中務少様、オーペラ、アッサーゴ、コリシコ、サン・シーロ、ポルテッロを焼き討ちしもした!」
「まあ、旦那様は今日もお元気なようですわね」
首狩り蛮族を恐れていた少女はどこへ行ったのやら。
1467年6月、ブルゴーニュ公フィリップが崩御した。
そしてシャルルがブルゴーニュ公に就く。
フランス人の皮を被ったサツマン人の箍が外れてしまった。
とは言え、示現流を学び、激しく気を吐く事と気を鎮める事の切り替えを覚えたシャルルは、島津義弘級の残念な人から島津豊久級の上品で穏やかな人になった。
今のシャルルは軍事一直線莫迦とは言い難いし、敵前全裸等の奇怪な技も使わない。
シャルルは、今は外交に専念している。
チロル大公と手を結び、2人の妻に先立たれている為、3人目の妻としてイングランドのエドワード4世の妹との結婚を画策している。
エドワード4世は今、ランカスター朝を駆逐したヨーク朝の王であり、ヨーク家は島津家と些か縁がある。
ヨーク朝イングランド〜ブルゴーニュ公国〜サツマン朝東ローマ帝国という同盟関係を上手く利用したいとシャルルは考えた。
その頃、皇帝家久は不機嫌であった。
キプロス戦争が終わったが、平田美濃守増宗が命じていた根切りをせず、シャルロット女王らにキプロス退去を持ち掛けたからだ。
(こいでは追い込みを掛けた側と、掛けられた側で遺恨が残り、常に裏庭に火種を抱えるもんじゃっど。
一度修羅ン道に入ったからにゃ、やり切んのが慈悲じゃで。
不動明王が邪を凝らしめっ時に情けを掛けたとて、邪が鳴りを潜めっ訳じゃ無かど。
殺し切るが、邪に苦しめられた者と、生まれ変わる邪への菩薩心じゃ。
親父ん年代の年寄はそこが甘か)
実際、ジャック2世派の北キプロスと、虐殺された南キプロスで修復不能な亀裂、いや峡谷が出来てしまった。
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この戦役に「花戦役」という名を付けて、女性が活躍、暗躍、飛躍する荒唐無稽な仮想戦記を書いたウィリアム・シェイクスピアは日記にこう残した。
”サツマニアが絡む戦争は、どこか非現実的だ。
百人で1万人の軍を破るとか、刀で人体を真っ二つに斬るとか、全裸の兵士が軽騎兵を撃破するとか。
史実が劇脚本よりも酷いのだ。
仮に、上記のような脚本を書いたとしよう。
役者からも観客からも嘲られるだろう。
『もっとリアリティの有るシナリオにしろ』と。
サツマン人は、かのアッティラよりも強力で、タタールよりも残忍で、そして寓話の主役よりも笑える逸話だらけだ。
女を目立たせる以外に、史実とは違うリアリティとバラエティを合わせ持たす脚本なんか書けやしない。”
余りに残忍な戦いは隠し、生々しい駆け引きは華やかな戦に変え、サツマンを名指し出来ないから(下手な事書いたら、黒きチェストの手が伸びてくる)半魚人の架空の王朝を女性たちが知恵を絞って撃退するという、半分コメディタッチの話になったのは、史実の非現実的さと戦った上でのものだった。
だが、やはりシェイクスピアの筆の曲げ方は悪意が有る。
ロドリーゴ・ボルジャの愛人ヴァノッツァ・カタネイを、シーマンズの目をキプロスに背ける策を考えた者とし、ミラノ救援を渋る教皇領軍を動かすようロドリーゴに発破を掛ける等の役を割り振ったのに、実際に彼女がロドリーゴに語り掛けた話は一切無視した。
教皇を動かして停戦させる話である。
ヴァノッツァ・カタネイはただの旅館の主であり、国や戦略を語る頭脳を持ってはいない。
彼女が教皇に平和を成して欲しいと願ったのは、私的な感情からである。
ミラノ攻撃中の焼討将軍島津豊久が、彼女の故郷であるマントヴァを度々焼討ちするからだ。
島津豊久は地図も読めない莫迦では無い。
その証拠に、如何に入り組んでいても、決してヴェネツィア・ジェノヴァとフェラーラ公領は襲わない。
多数の無関係な国を焼き、略奪しているのは計算である。
島津は最初から蛮族だと見られている。
しかし皇帝家久や晴蓑入道歳久、そして豊久等は
「戦場ならともかく城内でも大皿に切り分けもせん飯を手掴みで食う、箸も膳も知らん方が蛮族じゃっど」
と逆に欧州も中東もアフリカも、日本人や明国人よりも野蛮だと思っている。
豊久等はブルゴーニュ公国にしばらく滞在していた為、この地の異人どもには抜き難い差別心が有るのを直感で理解した。
(手掴み飯の餓鬼共が、俺いどん等ぁの事を舐めちょるな)
と、そういう態度を取った貴族の耳を削いだり、鼻っ柱を切り落としたり、指をへし折ったりしながら、「教育」していた。
なので、今更一つ二つ教育を増やしたところで、大して変わらない。
豊久的には「弱いから焼かれる、焼かれるような弱さが悪である」と思っているので、それを教える意味でも越境焼き討ちをしている。
皇帝家久に止めるよう依頼したとて、家久は豊久が意図的にやっていると気づいているので、止めない
島津の皇帝が止めない、悪名高き島津は上も下も野蛮であるから頼む方が間違っている、となると批判は全てミラノ公ガレアッツォ・マリア・スフォルツァに向く。
実際、ミラノ城内に逃げ込んだ民衆の怨嗟は、豊久以上にガレアッツォに向いている。
アッティラとかガイセリックとかタタールとかサツマンは、もう天災と同じで、恨み言言ったって意味が無い。
大嵐とか豊久に恨みをぶつけても始まらない。
なので、東ローマ帝国なり島津なり、こんな連中に攻め込ませる口実を与えたミラノ公に不満が集中していた。
だが、そんな怨嗟を浴びてこそ飯が美味いのが、腐れ外道のガレアッツォであり、籠城は終わらない。
怨嗟の声はミラノからフィレンツェを抜け、教皇領まで聞こえて来た。
故郷の事も有るし、人の移動や物流が戦争と島津豊久の破壊活動の為に滞り、宿屋も旅人の宿泊が少なくなった。
ヴァノッツァは愛人のロドリーゴ・ボルジャに教皇の権威による和平仲介をお願いする。
提案とか助言でなく、ただ救いを求めただけだ。
だが、ロドリーゴはつい先日、イスパニア連合とナポリ島津家の戦争を、教皇が仲立ちとなって収めた事を思い出す。
焼討将軍も攻めあぐねているようだし、ここはローマ教皇の愛の力で平和を取り戻し、教皇の権威を高めよう。
ロドリーゴは、俗な理由から聖を動かす事に決めた。
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その頃ミラノは、飽和した人口に疫病まで流行り始めた。
ガレアッツォの無対応に対し、先代フランチェスコ以来の書記官チコ・シモネッタがミラノを代表して島津豊久に面会する。
「包囲は構わない、だが農村の焼討ちは止めて頂きたい!」
ストレートに要求をぶつけて来たシモネッタを、豊久はいきなりフルスイングでぶん殴る。
吹き飛ばされ、鼻と口から出血するも、立ち上がり、折れた歯をプラプラさせながらまだ
「農村は戦争とは関係無い!
攻めるなら我々だけだろう!」
とひるまずに攻撃停止を要求するシモネッタを見て、豊久は頷き、
「こん男には話し合う価値が有る。
陣幕の内へお通し申せ」
と言う。
どうやら豊久の眼鏡に適ったようだ。
シモネッタは無関係な町や村を攻めないように要求。
豊久は文句が有るならミラノ公が出て、合戦を挑めば良い、と返す。
だがシモネッタは怯まない。
「そちらこそ、ミラノ公に用が有るなら遠回りせず、直接城門を通れば良いでしょう。
わざわざ農村を通る遠回りとは、我々が怖いのですか?
サツマニアは堂々と戦う気は無いのですか?」
と歯抜けの口で返す。
家臣が刀に手を掛けるのを制し、豊久は言い放つ。
「怖かな。
あん城を築いた者は余程の者じゃっどな。
あん城を恐れるは恥じゃ無か。
じゃっどん、我等ぁは堂々と戦っちょっで。
如何なる手でん使って城攻めせんと、城と築城者に対し礼を欠くでな」
シモネッタは、戦争の常識が違う相手だと理解出来た。
豊久の父、亡き中務大輔家久ともシモネッタは渡り合ったが、島津の者は認めた相手には腹の内を隠さず、ズケズケと物を言う。
戦争も一緒なのだろう。
手強いと評価したから、城の周囲を焼き払い、領民を城に追いやり、人口が増えたところで兵糧攻めに出た。
評価したからこそ、如何なる鬼畜な戦法を使ってでも攻略するのが礼だと思っている。
恐らく父で築城主のフランチェスコ・スフォルツァならば、こんな手を打たれたら、勝ち負け度外視で一旦は打って出る。
領主として領民の期待に応える。
そうせざるを得ないのを知っているから、そうならないように先々手を打っておく。
判断を間違わないよう、情報を集める。
相手に攻めさせないよう、姻戚関係で一対多数の状況を作り出す。
そんなフランチェスコからガレアッツォは地位以外を受け継がなかったのだろうか……。
しかし、島津豊久の価値観の一端を知った事で、シモネッタには打てる手が出来た。
主君をケチョンケチョンに貶す事になるが、民を生かす為だ。
「将軍、今のやり方で困るのは民だけです。
主君を貶す事になりますが、我が主君は異常人格です。
あの人は、飢えた民が死んでいくのを見ながら、優雅に夕餉を食べる方なのです。
何故なら、親しい者であればある程、その者が苦痛を感じるのを見て、喜ぶのです」
豊久も何となく分かっていた。
城壁にて美女に酒を注がせ、嫌がる美女に晒し首を見せて楽しむ様。
(気に喰わぬ)
「如何なる手を使ってでも落とす、その心に対し亡き先代ミラノ公に代わり礼を申します。
その上でですが、今のミラノ公に対し、先代に向けるものと同じ手を打つ必要がありますか?
ただ嗜虐趣味者を喜ばせるだけで、陥落まで無駄な時間を過ごす事になりましょう。
であるならば、別な手を打たれた方が効率が良いのではないでしょうか」
確かにあの男には効かぬ手かもしれない。
それでも豊久は、ガレアッツォだけを相手にしていた訳では無い。
皇帝家久と豊久は戦略を一にしている。
最終的に外交交渉で決着させるにせよ、イタリア全土に薩摩武士の恐怖を植え付け、その上で大物を交渉の場に引っ張り出したい。
こうしてシモネッタが交渉に出て来たのも成果ではある。
だが、まだ足りない。
もっともっと大物を引っ張り出す。
とは言っても、確かにもう殺戮と略奪は十分かもしれない。
彼の軍に陣借りに来た傭兵や日向者、肥後者はもう一万人を超えた。
彼等は
「この戦争は楽しいな。
戦わず、火を点け、村を荒らすだけだから、危険も無く相当に儲かった」
と略奪しまくりの陣に満足している。
そう言った者たちにも十分な財貨と食糧は行き渡った。
もうガレアッツォ以外、全イタリアが焦れている。
大物が来るまで、もう略奪に軍を動かさず、陣を引き締めていた方が良い。
そう判断した豊久は、シモネッタの要求を受諾すると返答した。
納得して帰城しようとするシモネッタに、豊久が声を掛ける。
「おはんの性根を確かめる為、殴らせて貰った。
じゃっで、おはんは俺いを殴らにゃならん。
遠慮は要らんで、俺いを殴ったもんせ」
これに対しシモネッタは
「では遠慮なく」
と、屈強の豊久が意識を飛ばす程の強烈な一撃を入れる。
先代フランチェスコ・スフォルツァの片腕と言われる文官は、拳の方も一流だった。
シモネッタ帰城からすぐ、豊久の顔の腫れがまだ引かない内に和睦仲介の使者が来た。
ローマ教皇特使ロドリーゴ・ボルジャ枢機卿、フィレンツェ共和国特使ロレンツォ・デ・メディチ、仲介人ヴェネツィア共和国統領マルコ・コルナーロである。
(良か! 潮時じゃ)
島津豊久は交渉に応じる事にした。
皇帝家久と、かねて決めていた条件は大体整ったのだった。
おまけ:
そもそもは、カルマル同盟のクリスチャン1世から、季節の挨拶として大量の氷(北欧産)が贈られた事に始まる。
皇帝家久は氷室を作らせて保存し、削り氷に甘葛を掛けて食べていたが、飽きた。
そして
「あっと驚くような削り氷を作った者には、菱刈金十箱を褒美に出す」
と布告した。
誰もが技巧に走り、美しさや味を改良する中、ブルガリアの酪農家に婿入りした日向者が恐ろしい削り氷を考えた。
ドデカい盆に甘い濁酒を凍らせた氷からの削り氷を山盛りとし、そこに大量の蜂蜜を加えた後で煮詰めた牛乳をかけ、粒餡と栽培していた柑橘類を乗せまくった豪快な削り氷。
「こいは良か!
よくぞ、酒を削り氷にするを思いついた!
こめかみが痛くなる程の豪快な氷の量が気に入った。
何チな名じゃ?」
特に名前等決めていなかったが、彼が日本に居た時に一度見た龍造寺隆信のデカい図体を思い出し
「白熊ばい」
と言い、それが名となった。
やがて、遅れてやって来る酔いと、頭の痛さに耐えながら早食い競争をする、薩摩武士の新たな勝負に使われる。
白熊十番勝負とか、甘い物早食い対決とか。
そんな使われ方もあり、白熊は大いに売れる。
そして、飲水の病(糖尿病)を増加させてしまったのだった……。
(改暦と甘い物の話、終了)
※「白くま」と白熊は似て非なる氷菓です。
※削り氷に甘葛とは枕草子にも書かれた由緒正しき甘味です。
これから白熊に変化は、まさに魔改造でしょう。




