キプロス戦線
ウィリアム・シェイクスピアさんに聞きました。
サツマニア嫌いなんですか?
「大っ嫌いだね!」
島津豊久軍八千は、ミラノのスフォルツェスコ城を包囲した。
正面に高さ百メートルの塔を持ち、鎮西には無い高い石垣と堀で守られたヨーロッパ随一の堅城を見て、豊久は苦戦を予感する。
ガレアッツォの父、亡きフランチェスコ・スフォルツァが死の年まで造らせたスフォルツェスコ城は、初期型であるが星形稜堡式要塞となっていて、多数の十字砲火ポイントを持つ。
手持ちの火力では落とせそうに無い。
豊久は電撃的にミラノに迫る為、機動力重視の部隊でやって来た。
だが籠城戦となってしまった以上、ラグサ共和国に置いて来た砲兵部隊に出撃を命じる。
さらに豊久は城兵の士気を下げるべく、先日のミラノ郊外会戦で討ち取った兵士の首を城兵に見えるように晒した。
その数およそ三千。
城兵は恐れを知らぬ蛮行に怒ったり、震え上がったりしたが、当主の変態には通じない。
死体愛好家でドSのガレアッツォ・マリア・スフォルツァは、晒し首を城壁の上から眺めながら、美女にワインを注がせ、投げキッスをしてみせた。
その美女こそ、争奪の対象ルクレーツィア・ランドリアーニである。
彼女は晒し首を見て怯えたり、泣いたりしていたが、変態はそんな女の顔を見るのが楽しいらしく、目を背けるルクレーツィアの顔を掴み、晒し首の方に向けたりして楽しんでいた。
それが豊久の癇に障ったようだ。
一部の封鎖部隊を残し、豊久軍はミラノから姿を消す。
翌日からスフォルツェスコ城に
「ベルガモに敵が乱入、街は焼き払われました」
「パビアの街に島津軍侵攻、略奪の後放火されました」
「島津軍、ピアツェンツァに乱入、略奪と破壊を繰り返しています」
「島津軍、ブレシアを攻撃。
ブレシアが抵抗したせいで、住民が皆殺しにされています」
という急報が連日届くようになる。
「ブレシアは自由都市だから、我々の領土じゃないぞ」
「ミラノ公、そういう問題じゃ有りません!」
「それにしても分からん。
奴は一体、何故こんな事をするのか?」
豊久が変態を理解出来ないように、ガレアッツォもまた破壊神を理解出来ないのだ。
こんな風に、我関せずで堅城に籠り、守りを固めるミラノ公国を豊久は攻めあぐねる事になる。
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ミラノが戦略破壊されつつある頃、コンスタンティノープルから皇帝家久は帝国艦隊を率いて出撃した。
アテナイからも艦隊が出撃し、クレタ島で両艦隊と兵員輸送のガレー船部隊が合流する。
(若殿は極端ごあるな)
薩摩海賊衆の佐多伯耆守忠充、アテナイ艦隊副司令官伊集院左京亮久朝、キプロス上陸部隊の平田美濃守増宗は、家久の艦隊を見てそう感じる。
シチリアでマグリブ海賊と戦った時に、接近戦用装備が役に立たなかったからか、それらを全て廃し、長距離攻撃装備だけになっている。
旗艦「春日丸」はむしろ小型で、安宅船とガレオン船を足したような軍船には片舷十門もの大筒と大量の長鉄砲用狭間が開いている。
関船のような足の速そうな船にも櫓櫂は無く、全て帆走で、多数の棒火矢が積まれている。
「あいで、どげんして戦う気じゃろ?」
薩摩人の老将たちが首を傾げている。
キプロス島沖合いで、ガレー船が多数迫って来た。
国籍を隠しているが、教皇領やジェノヴァから来た海軍軍人が指揮する艦隊であった。
帝国艦隊は、長射程の長鉄砲を撃ちまくり、接近を許さない。
それだと決定力に欠ける為、何隻か強引に突っ込んで来る。
帝国艦隊の大型船にキプロスのシャルロット女王派のガレー船が近づく。
船将(艦長)が命じる。
「火炎直撃砲、発射!!」
改良型ギリシャ火が放たれた。
皇帝家久はヨハン錬金術伯にギリシャ火の再現を依頼していた。
結局粘り気の有るナフサ系の炎を完全再現とはいかなかった。
何処かで詰まってしまう。
東ローマ帝国の失伝技術再現はならなかったが、似て非なる兵器は開発成功した。
砲口内で燃えている燃料の塊を、圧縮空気で吹き飛ばし、火炎弾として敵にぶつける兵器。
家久はそのまま「火炎直撃砲」と名付けた。
ギリシャ火とは違い、火炎弾を単発発射しか出来ない。
火炎放射器とも違い、射程はそれ程長くない。
ただし、やはり水を掛けたら燃え広がるナフサ系の粘り気の有る炎をある程度再現出来た。
木造船には、当たれば悪夢の兵器である。
「思い知ったか、キプロスの青虫め!」
それでも勇敢な一隻が、接舷、乗り込みに成功する。
「おはん、勇気が有るな。
首貰うてやる」
「薩摩隼人の乗る船に斬り込むとは良か度胸じゃ。
褒美として首取っちゃる」
「キプロスに気骨の有る奴がおったか!
よし首掻き切ってやっでな!」
……言葉が通じていたら、前後の文脈が繋がっていないとツッコミたいだろう。
家久が接近戦装備を全廃し、接舷斬り込み用の対策をしなかったのは、これが理由である。
斬り込み部隊は、斬り込んだ方が不幸なのだ。
余計な装備を外し、思う存分白兵戦を出来る甲板に、血に飢えた薩摩兵児が待ち構えているのである。
ガレー船団は、長距離から穴だらけにされるか、短距離から焼き討ちにされるか、斬り込んだ結果首を刈られるかで全滅した。
キプロス島に着くと、火焔地獄が再現される。
上陸地点の漁村に向けて艦砲射撃が始まる。
伏兵なのか本物の漁師か不明だが、人が逃げ出す。
上陸部隊を乗せた小早船と関船が港に迫る。
関船から多数棒火矢と、特別に破滅棒火矢と呼ばれる大型ロケットが放たれたる。
この棒火矢は空中分解し、大量の鉄針がばら撒かれる。
破滅棒火矢が着弾すると、凶悪な粘着質な火炎が燃え拡がる。
大砲の砲弾には詰められなかった新型ギリシャ火のナフサ系燃料だが、大型ロケット弾なら搭載出来た。
一面火の海の中、自分が燃えるのも厭わぬ薩摩兵児が上陸。
火の海である漁村を駆け抜けて陣地を作る。
鎮火した後、艦隊も接岸、家久も上陸した。
「酷か戦をしもすな……」
薩摩の老将たちは眉を顰める。
「素晴らしい支援火力です」
帝国艦隊司令、アテナイ艦隊司令、傭兵隊長等のヨーロッパ人は称賛する。
薩摩人は、首を取ったり、腹を切ったりするのは何とも思わないが、遠距離から太刀打ち出来ない相手を一方的に嬲り殺す戦いは性に合わない。
一方ヨーロッパ人は、味方の犠牲を減らす遠距離からの火力投射は何とも思わないが、騎士の戦いはともかく、剥き出しの殺意で敵に跨って首を掻き切ったり、それを腰に下げて走り回ったり、気に入らない事が有れば腹を切り、自分が腹を切ったのだからお前も切れと「指し腹」なんてするのが野蛮極まるように感じる。
キプロスは島内に10以上の城が在る。
主要な城であるキレニア城、聖ヒラリオン城、リマソール城はジャック2世が維持していたが、王都から遠く離れたパフォス城はシャルロット派に奪われた。
旧女王派残党と思っていたら、装備も良く、傭兵も多かった。
何より軍艦が非常に多く、南キプロスの港湾は占領され、彼等の海賊活動の拠点となっている。
陸に於いて、女王派はゲリラ戦を展開。
ジャック2世とその腹心トリポリ伯ジュアン・タフレスが兵を向けると逃げ、兵を引くと役所を襲ってはそこにある税を奪い、民にばら撒くという事を繰り返していた。
「根切りにすんで」
トリポリ伯は、挨拶に来て早々に薩摩弁で言われて面食らう。
根切りを翻訳されると、真っ青になる。
同じ島民、そこまでしなくとも……。
「ここでしゃんとせんと、謀反の根が残んで!
村々を焼き払い、パフォスの城に追い込みやんせ。
生きたかなら、討伐に加われば良か。
敵は斬る、味方は喰わす、そんだけじゃ!」
命令は実行に移される。
北キプロスの住民は、村を焼かれたら一大事とジャック2世の軍に加わり、敵の掃討に正規兵以上に必死になる。
南キプロスに潜んでいた女王派の兵士は、農民に紛れても意味無く、村ごと焼かれ、殺される。
かくしてジャック2世派の村人を含めた大軍が、集団狂気に駆られ、反対派の村を襲っていく。
農民、漁民たちも皇帝が殺人、略奪、放火、婦女暴行を奨励するのだから、善の箍が外れて暴れ回る。
皇帝の初動が早かった為、女王派は王城から遠い南キプロスの沿岸部しか掌握出来ていなかった。
それでもキプロスは、北が南を虐殺する図式となり、深刻な地域分断を引き起こしてしまった。
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実はミラノで島津豊久がやっている事と、キプロスで皇帝家久がやっている事は同じである。
周囲を破壊し、虐殺する事で、難民を敵将の居る城に追い込む。
ミラノのスフォルツェスコ城も、キプロスのパフォス城も島津家からしたら堅城である。
力攻めだと被害が大きくなる。
かと言って、砲撃戦で破壊しても、逃げ出して違う城に移られたら戦は長引く。
そこで、周辺を更地にして逃げ場を無くし、城に避難民を入れさせて人口飽和状態を作ってから、兵糧攻めをしようというのだ。
なお、日本に居た羽柴秀吉という男よりは生温く、籠城前に大金を出して敵の兵糧買い込みとか、そこまで徹底はしていない。
代わりに死んで腐敗した家畜や、病死した人間の死体を投石器で城内に投げ込んでいる。
こうして多数の民衆を抱え込んだ籠城戦が始まったが、籠城側は、片や民衆が苦しんでるのを見ると飯が美味いというド変態、片や村を焼き討ちされた恨みから徹底抗戦の姿勢を崩さない。
籠城戦は長期戦になる。
その長期戦は家久も豊久も折り込み済みである。
際限の無い長期戦ではなく、敵城を落とせば良いだけだから、彼等は適度にストレス発散、即ち周辺の略奪や放火を兵に許可しながら包囲戦を続ける。
周囲に多数の国があるミラノはともかく、孤立無援のキプロスではもう形勢逆転は無いだろう。
後を平田増宗に任せると、皇帝家久は帝都に帰還する。
皇帝は仕事が多いのだ。
帝都に帰還した家久の元には
「ルッカ共和国の者です。
ミラノに隣接しているせいで焼かれました。
何とかして下さい」
「マントヴァ公国より陛下にお願いが御座います。
島津豊久将軍が、ミラノ領と間違えて我が国を攻めています。
どうか止めて下さいませ」
「モントフェッラート侯国より罷り越しました。
島津豊久将軍を止めて下さい。
我が国はミラノとは無関係です」
「サヴォイア公より書状を預かって来ました。
確かに我が国はミラノ公と関係が深いのですが、今回の戦争には関与していません。
国境侵犯は咎めませんので、島津豊久将軍を制止して下さい」
といった者たちが列を作って待っていた。
「どう思う?
中務少は地図も読めない莫迦では無い筈じゃが……」
「分かっててやっちょるに決まっちょいもす!!」
伊集院左京亮が返す。
島津家では、あの豊久も結婚して丸くなったと思っていたが、確かに丸腰の者に優しくはなったが、戦における苛烈さは変わっていない。
(優しいとは薩摩比での話)
「分かっててやっちょっか。
ならば良し!」
「良かごわはん!」
「いや、良いのじゃ。
ヴェネツィアやエステ家に迷惑かけてなければ、そいで良か」
そんな話をしている中に、急報が入る。
「ナポリの晴簑入道様より、シチリア島にイスパニア連合軍襲来との知らせごわす!」
全く予期せぬ第三の戦線が出来たのであった。
おまけ:
鹿児島、天文館では集められた天文学者、陰陽師、歴史家等が暦を作成している。
薩摩の要求は、イスラム暦を基にした太陰暦に、大暑だの土用だの彼岸の入りだのと言った日本の暦ならではのものを加え、更にこの地での農業に合うように微調整しろというものである。
頭はズバ抜けて良いが、何処かやらせる事に無理がある島津歳久の命令である。
学者たちは頭を悩ませ、いつしか街で甘い物を買い求め(脳の栄養はブドウ糖)、やがて天文館の近くには甘味処が集まるようになった。
学者たちは練餡派と粒餡派で時に(刀を抜くまで)揉めていたが、ある時全く別の甘味が現れる。
薩摩の山芋を使った新しい甘味、軽羹であった。
薩摩は交易や植民地支配で、北アフリカから砂糖を得ていた。
軽羹を皮切りに、甘味が様々に生まれていく。
頭脳職は本能的に甘味を求めるが、脳みそまで筋肉の薩摩武士は
「そげなもんじゃなく、酒(濁酒)じゃ!」
と受け入れなかった。
しかし、そんな薩摩武士をも虜にする恐ろしい甘味が生まれる。
その名を「白熊」と言う。
(この話題続く)




