Rochade(キャッスリング)
鹿児島にて:
「今年は何年じゃ?」
島津義久が問う。
「天正二十九年ごわす」
それに対し義久は首を傾げ、
「そげん長か元号はごあったかの?
そろそろ改元じゃ無かか?」
この一言に鹿児島内城内では喧々諤々の議論となった。
こういうのに詳しい歳久と皇帝家久不在で、中々結論が出ない。
騒ぎを聞きつけた島津義弘の配下で、たまたま鹿児島に帰国していた元僧侶の長寿院盛淳が溜息を吐いて語った。
「古来、辛酉の年は天命が革る年、四年後の甲子の年は変乱の多い年で、改元がなされもす。
応永は三十四年に渡り続きもした。
特に問題が有るとも思いもはん」
では次の辛酉の年は?
二十年後である。
かくして問題は先送りされた。
(この話題続く)
これまで、イタリアや北アフリカ戦線は皇帝家久が、トルコ東方戦線やバルカン半島の戦いは島津豊久が担当して来た。
家久の直轄領がアテナイで、イタリア半島南部タラントも管理していたから、皇帝は西方、イズミール当主でありオスマン帝国の後ろ盾である豊久は東方を担当している。
この組み合わせを読んだローマ教皇領では、ロドリーゴ・ボルジャを中心に、キプロス島に騒乱を起こす事を考えた。
島津家久と豊久を同じ戦場で同時に相手にする等、地獄絵図でしかない。
彼等は引き離して、せめて片方だけと戦わなければ勝てない。
島津豊久には海戦経験が無い。
出水島津家はボスポラス海峡を渡る程度の小舟が多数あるだけで、キプロス島に渡れる艦隊は無い。
皇帝家久から借りざるを得ないだろう。
如何に猛将島津豊久と言えど、慣れない海戦では教皇領・ジェノヴァから派遣された艦隊相手に苦戦するだろう。
キプロスはかなりの間持ち堪えられる筈だ。
すると、海軍を豊久に貸している皇帝家久は、帝都からナポリに渡る術を失う。
ナポリ、タラント、カラブレア、シチリアのサツマン軍だけならローディ盟約軍で何とか出来る。
長期に渡って時間を稼げるだろう。
だが彼らは一点、島津豊久がダルマチア(クロアチア)のラグサ共和国を属国化していた事実を忘れていた。
無理もない。
豊久が攻めた都市は灰燼に帰すか、首塚が多数作られるのが普通だったからだ。
それは抵抗した場合で、無抵抗で降伏した場合、半々の確率で救われる。
一年前、皇帝家久のローマ進軍の陽動として、島津豊久がエーゲ海沿いにヴェネツィアに侵攻し、その途中ラグサ共和国を攻めた。
無抵抗降伏でも、虫の居所が悪いと焼き討ちされるが、機嫌が良い場合は食糧補給だけで素通りする。
抵抗した場合はどうなるか、バルカン半島での悲劇をよく知っていたラグサ共和国は、無抵抗で降伏した。
無論、豊久の電撃的な侵攻に軍動員が間に合わなかった事も手伝っている。
目的がトリエステであった豊久は、ラグサの降伏を快く受け入れる。
一旦無事にイズミール島津の傘下に入ると幸せである。
統治なんてする気が無いから、自治を許すのだ。
定期的な納税義務も無いし、経済統制も無い。
通敵行為でさえなければ、独自外交も許可する。
島津豊久からしたら、統治など面倒臭いのだ。
敵対しない、必要時に駐留経費支払いと食糧補給を行う事を約束さえすれば、出水島津家は支配者としては寛大を通り過ぎた放任主義なのだ。
それでいて敵から攻撃を受けたら必ず救援に来るというから、かえって島津家の負担の方が大きいのだが、宗主と属国の関係をガキ大将と子分の関係の延長線でしか考えない三十一歳児が当主なのだから仕方ない。
……スパルタ島津家は六十五歳児が当主だし、もう島津家武断派の特徴なのかもしれない。
ゆえに一時占領されたが解放されたと見ていたラグサ共和国に、島津豊久率いる三千の部隊が入城したと聞いた時、教皇領だけでなく、イタリア諸国は恐れ慄いた。
一手で東西の担当が入れ替わったのだ。
イタリア方面が豊久、キプロス方面が家久と帝国海軍と変わった。
そして今回、ヴェネツィアは島津家寄りだから、ダルマチアからヴェネツィアを通過して豊久軍は陸路ミラノを無防備の東側から攻撃出来る。
また海戦経験を積んだ上で新型艦を多数建造させた皇帝家久がキプロスを攻めたら、想定よりも早く落とされるだろう。
ヴェネツィアにしても、将来カタリーナ・コルナーロを嫁がせる予定のキプロスを担当するのが焼討将軍豊久であるよりも、政治を分かった家久の方が望ましい。
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このままでは開戦不可避と判断したフィレンツェのピエロ・ディ・メディチは、まだ皇帝家久が出撃していない内に、フィレンツェの他銀行とも手を組んで使者を派遣する。
これまでのメディチ家他、イタリアの銀行からの莫大な借金を返せ、一括して返せ、返すまで軍事行動は控えよ、という切り札をついに切ったのだ。
借用書の束を見た皇帝家久は、顔色一つ変えない。
小姓に借用書(の写し)を渡すと、どこかに行かせた。
「で、一括で返せばメディチ家は戦バ邪魔だてせんのじゃな?」
「左様ですが、出来るのですか?
これは東ローマ帝国の税収の10倍ですぞ。
更にメディチ家だけでは有りません。
パッツィ銀行からも多額の借金が有ると聞きますぞ」
フィレンツェの銀行家の使者たちは、勝ち誇ってそう言った。
それだけに、銀貨が入った長櫃が何個も何個も、大量に運び込まれて来た時は呆気に取られ、無言になっていく。
そして、床が抜けそうな重さの銀貨が彼等の前に積み重ねられた。
彼等とて情報を持っていない訳ではない。
サツマニアに良質の鉱山が見つかり、ヨシフ・シマンシュは金銀を使い国を富ませている、と。
だが、銀無垢は銀の重さ相当の価値しか無い。
もしも大量に銀そのものを返済として出して来たなら、銀価格を値下げして対応するつもりだった。
それは銀行家の彼等には容易く出来る。
銀が大量に出回れば、銀の価値が下がるのは当然だ。
フィレンツェでは金貨を使っている為、対金価値と言っても良い。
だから、島津家が銀無垢で払えば銀価格を暴落させ、「全然貸した額に足りない」と言うつもりだった。
物価を決められる商人ならではの戦い方である。
しかし、今目の前に有るのは貨幣である銀貨だ。
政府が価値を保証する刻印が施されている。
貨幣の値を勝手に下げたら市場は大混乱する。
加工前の銀無垢と、刻印が押されて信用を保証された銀貨では扱いが違うのだ。
一人が、銀貨を手に取ってみる。
「神聖ローマ帝国の刻印??」
皆が驚き、銀貨を見る。
イタリア銀行家たちの慌てた様子を見て、悪い笑顔になっていた家久が口を開いた。
「皆に紹介したい者がいる。
入られよ、フッガー銀行の支店長」
香辛料取引でひと財産を蓄えたアンドレアス・フッガーとヤーコプ・フッガーの兄弟が立てたドイツ・アウグスブルクのフッガー商会。
皇帝家久は、ヨハン錬金術伯の娘ドロテアを通じて彼等を招聘し、更にフリードリヒ3世とも交渉し、彼等に神聖ローマ帝国と東ローマ帝国の通貨発行権を与えたのだ。
迂闊に通貨をばら撒くと危険という事に直感的に気づいた皇帝家久は、鋳造された銀貨を国庫に仕舞い込み、フッガー銀行や他の商人等の意見を聞きながら通用量を制御していた。
神聖ローマ帝国と東ローマ帝国は、対イタリア政策の一致から、彼らに金融面で揺さぶられないよう、相当量の通貨を交換して保持もしている。
イタリアの銀行が神聖ローマ帝国の銀貨交換レートを下げようとしたり、東ローマ帝国の利子を動かそうとしたら、もう一方の通貨で支払う事で互いを巻き込む事が出来る。
神聖ローマ帝国はイタリアを支配したいし、東ローマ帝国というか薩摩はきっかけさえあれば放火・略奪したい。
どちらか一方ならまだしも、両方が手を組んで攻めて来るのはフィレンツェにも教皇領にも悪夢である。
この両帝国の通貨バランスを取っているのがフッガー商会で、島津家〜フッガー家〜ハプスブルク家の通貨同盟と戦うには、イタリア諸国の銀行は一度出直して策を練り直さないとならない。
イタリアの銀行家たちが東ローマの経済復活に全く気付かなかった理由の一つには、皇帝家久が吝嗇家で、ルイ11世から尊敬されるくらいに質素な生活で満足していた為、皇帝や貴族の贅沢に引き摺られる形での経済成長が起きていなかったからだ。
普通金が有り余れば、芸術家を援助し、優れた美術品や壮麗な建築物で誇ってみせる。
そうすると、大工やら彼等に飯を食わせる店やらが増え、都市経済は発展する。
だが島津家は、いまだにボロな木造の城や、借り物の宮殿に住み、必要な時に商人に物価価値を崩しかねない量の金銀を渡して買い付けをさせている。
それでイタリアの銀行家たちは、シマンシュをただの鉱山主程度に甘く見ていたのだ。
義久ならその分析で良かったが、アテナイやタラントといった商業都市の行政をして来た上に、やはり商業都市コンスタンティノープルで生活した家久は、ただの砂金と金貨では扱いが違うというのを既に知っていた。
砂金は相場で高くなったり安くなったりするが、金貨は価値が変わらない。
この辺の話をヨハン錬金術伯からも学んだ家久は、菱刈で採れた金銀を自分の生活費として三割を回すようにし、フッガー家に造幣させていた。
「さあ、足りっじゃろ。
遠慮のお、持って帰りやんせ」
ニヤニヤと勝ち誇った顔の皇帝に、イタリアの銀行家たちは、大金を手にしながら敗北感いっぱいで帰路についた。
頭取クラスでは歯が立たない。
現当主のピエロ・ディ・メディチやヤコポ・ディ・パッツィでも難しい。
先代のコジモ翁やパッツィ家のアンドレア翁の才智が必要だろう。
下手な手を打てば、東ローマ帝国と神聖ローマ帝国の両方同時にフィレンツェ侵攻の口実を与えてしまう。
ただでさえ、物騒なのがもうダルマチアまで来ているのだ。
ダルマチアの豊久は、手さえ出さなければミラノよりフィレンツェを先に攻撃などしない。
もうこれ以上何かをすれば、藪をつついて八岐大蛇を出しかねない。
仕方ない、ミラノはもう見捨てて、大量の銀貨は国内消費するしか無い。
フィレンツェでは通貨余剰が発生する。
大量の銀貨を得た彼等は、政治的な敗北感はともかく、儲かった事に変わりは無い。
ピエロの代になって傾きかけていたメディチ銀行も持ち直した。
そして彼等は余った銀貨を湯水のように芸術家たちへのパトロン活動に使う。
才能の有る芸術家たちが集まり、創作活動が始まる。
この事は東ローマ帝国にも伝わり、多くの芸術家がイタリアを目指して出国した。
島津家は芸術に全く興味が無く、実用品へは出資する一方で、芸術家への発注はほとんどしなかった。
工芸品の工房は大事にされ、活況となっていたが、彫刻家や画家の工房は窮乏していた。
皇帝の彫像すら「不要」という、芸術不毛地帯と化した東ローマ帝国から芸術家が逃げ出す。
島津家は芸術家なんてものの価値を認めていないから、去るなら勝手に出ていけと野放図であった。
こうして東ローマに保存されていた古代ギリシャ・ローマの芸術様式がイタリアに帰って来た。
フィレンツェを中心に、芸術が発展する事になる。
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ルネサンスの話から戦争の話に戻す。
イタリアの銀行家たちは戦争を止める術を失った。
教皇領にしても、表立って島津家と敵対は出来ない。
島津家は教皇領に足を踏み入れていないし、それなのに先に仕掛けたら、ナポリやシチリアの島津軍がまたローマに攻めて来かねない。
ダルマチア・ラグサ共和国に滞在している島津豊久は、戦争が生活の糧である傭兵や陣借りの鎮西武士を吸収し、八千にまで兵力を増やしてから進撃を再開した。
教皇最後の切り札、破門を武器にヴェネツィアに島津軍入国を認めないよう迫る。
第四次十字軍を見ても、商業都市に破門とかは意味を為さないが、それでもやれるだけやってみた。
ところが、幾ら待っても島津豊久がヴェネツィアに現れたという報告が入らない。
代わりに教皇庁には絶望的な報告が入る。
ラグサ共和国で船を調達した豊久軍は、アドリア海を渡ってエステ家の治めるフェラーラに上陸、そのままエステ家領を通過しモデナ・レッジョからミラノ国境を突破、ミラノ市に向けて進軍中だと言うのだ。
ミラノ公ガレアッツォ・マリア・スフォルツァは、当初島津軍の侵攻ルートをナポリから教皇領を通過しフィレンツェを突破する南からのものと見ていた。
しかし皇帝家久でなく島津「焼討将軍」豊久がダルマチアに進出したと聞いて、急ぎ兵を南から東方のヴェネツィア国境に移動させる。
やっと展開が終わったと思ったら、南東のモデナ・レッジョ方面から既にミラノ国境を突破したと言う。
ミラノの傭兵隊長は、急ぎ兵を首都ミラノに戻そうとするが、二度も振り回された挙句、既に侵攻を許してしまったと知った傭兵たちは士気阻喪。
多数の逃亡者を出し、1万1千人だったミラノ公国軍は、7千人に減少してしまった。
それでもミラノ公国軍は島津軍の後方集団を捕捉する。
ミラノ公国軍は猛攻をかける。
脆くも崩れる島津軍後方集団。
釣られて追撃をかけるミラノ公国軍は、三方から攻撃を受ける。
彼等は餌に釣られて、伏兵が居る地点まで誘い込まれただけだった。
釣り野伏に嵌ったミラノ公国軍が壊滅するのに時間は掛からなかった。
ミラノ公国は、豊久の僅か一撃で総兵力の八割を失い、僅か3千の兵力でのスフォルツェスコ城籠城へと追い込まれてしまった。
おまけ:
チェスは15世紀後期にそのルールが固まる。
動いていない王と城砦を一手で入れ替える入城。
イタリア諸国の対策が、皇帝家久と豊久が入れ替わり事で一気に崩壊した事が、キャッスリング誕生にヒントを与えたかどうかは定かではない。




