ミラノのルクレーツィア・ランドリアーニ
現在、西暦1467年。
薩摩転移前の日本だと慶長六年(1601年)。
つまり家康が関ヶ原合戦の戦後処理をしていた頃の島津家。
歳久、豊久、忠隣が生き残ってます。
薩摩暦では天正二十九年。
太陰暦な上に補正で閏月を入れる天文官が居ない為、夏冬逆転しそうになるも
「オスマン帝国は問題無かようじゃ」
と気づき、オスマン帝国から暦を取り入れる。
島津歳久が「外国の暦じゃと稲作にズレが出る」と言った為、義久と皇帝家久で協議し、鹿児島に天文館が作られる事となった。
(この話題、続く)
皇帝家久は、上皇コンスタンティノス11世が生きている内に、彼の息子であるヨハネスに皇帝の位を譲るつもりである。
純粋な島津家は薩摩に遺す。
では皇帝位をコムネノス朝に戻すつもりかと言えば、それは違う。
ヨハネスに自身の娘を嫁がせ、島津の血を入れた皇帝を増やしていく藤原氏外戚統治を考えていた。
この辺は摂関近衛家の末裔たる部分である。
この構想最大の問題は、まだ家久には娘がいない事であった。
「娘を作るには子作りせねばならん。
子作り、亀寿とか……」
そして、亀寿との間に男子が産まれでもしたら
「約束を果たしに来たぞ!
首と一物を斬り飛ばしてやっでな!!」
と、父親がやって来かねない。
意地でも亀寿とは子を作らん、そう決意している。
そうなると側室なのだが、同じ島津一門から迎えようとすると、亀寿の実父で現島津家当主島津義久が黙っていない。
この件に関しては、島津義弘、島津歳久も義久に与し、家久に側室を持たせない。
「亀寿と子を作ったら、あとはナンボでも持つが良か」
と言って来るが、その条件は認められない。
ではギリシャ人やトルコ人の側室はどうだろう?
家久は意外に繊細で、日本人女性以外には興味は湧かない。
島津豊久室のシャルロットや、その母親のジャンヌ・ダルクに対しても苦手意識を持っていた。
家久配下の山潜者には、側室候補捜索の仕事も加わる。
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「皇帝陛下、此度は帰国をお許し頂き有り難き幸せ」
ルイ11世が帝都を訪れ、家久に挨拶する。
余計な画策をしようとして、豊久に殴られ、そのまま薩摩に連れ去られたルイ11世だったが、薩摩での生活は気に入ったようだった。
この時代の王侯には珍しく、贅沢に興味が無く、衣服に無頓着なルイ11世は、自分と同じような価値観の社会が在った事に驚く。
農民だけでなく、支配階級の武士も粗末な、というかボロ切れみたいな服を着ているし、特権階級たる諸侯(この場合は奉行以上の上級武士)ですら、ヨーロッパ諸侯や騎士に比べて質素な衣服で過ごしている。
また、これもまた王侯、更にフランス人には珍しい女嫌いのルイ11世にとって、男尊女卑の極みのような薩摩は興味深かった。
また、犬好きのルイ11世には、薩摩犬も興味深い対象である。
……モフモフしようとすると、噛み付いて来る気性の荒さもまた、変人国王は気に入っていた。
ルイ11世は意外に生活に不自由しなかった。
絢爛豪華で退廃的な贅沢だからルイ11世はブルゴーニュ公家を嫌っている。
しかし、そこから嫁いで来た(養女だが)島津豊久の妻・シャルロットとその侍女は非常に質素な身なりである。
彼女らが生活の世話をしてくれたから、言葉には困らなかったし、何よりシャルロットの母親の正体を知った時は驚き、以後シャルロットには最大限の敬意を表するようになる。
女性嫌いな癖に、ジャンヌ・ダルクは崇拝しているのだから。
ルイ11世の女性嫌いは、もっぱら妻女に対して出ていた。
つまり、皇帝家久が亀寿に対する態度のように。
しかし、ルイ11世から見ても皇帝家久の妻への態度はドン引きするものだった。
ルイ11世の場合、女は子を産む道具でしかなく、冷淡に扱うだけだ。
後に誰かが娘の聡明さを褒め称えた時には
「聡明な女等、この世にいるものか」
と吐き捨てて否定している。
愛人はいたが、行きずりの関係に近い。
そんなルイ11世も、妻を幽閉し、心配する舅に
「アレ立ちぬ」
と言って大喧嘩となるが、それでも会いにすら行かない、早く死ねと言わんばかりの事をしているのには心を痛めた。
と同時に
(私もまだまだ足りなかったな)
と、家久を見習う心も出てしまっている。
ルイ11世は妻のシャルロットをブルゴーニュに追放した。
妻は、宿敵ブルゴーニュ公の援助で生きている。
それに対し皇帝家久は、目の届く場所に妻を監禁し、最低限の食糧だけは支給しているが、たまに「忘れて」いるし、腐った物も倹約と称して優先的に混ぜ込んでいる。
(国外に出さず、目の届くとこにすれば良かったな)
と、腐れ外道は同じ腐れ外道と共鳴する。
そんなこんなで、皇帝家久と妙な友情を育んだルイ11世だったが、いつまでも国を留守には出来ない。
不戦約定も無し、「戦いたければ何時でも来い」という島津家に見送られ、身代金とは別に購入資金を捻出して買った薩摩犬(撫でているルイ11世の腕を噛みまくってる)と共にフランス王はコンスタンティノープルを出港した。
ルイ11世を乗せたジェノヴァの艦隊は、アテナイ、ナポリを経由し、ミラノにも立ち寄った。
ここで歓迎のパーティーが開かれる。
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フランチェスコ・スフォルツァ死後、ミラノ公となったのはガレアッツォ・マリーア・スフォルツァ、やはり腐れ外道である。
こんな逸話がある。
ある時、寵愛していた家臣を処罰して戸棚に閉じ込め、両手両足を釘づけにした。
瀕死の男が呻き声を出す。
それを聞くのが楽しいと、わざわざその部屋で食事をしていた。
また、こんな話もある。
ある家臣が自分の寵愛している女に向かって親しげに口を利いた、ガレアッツォにはそう見えた。
彼はその家臣の手を斬り落とす。
さらに拷問を加えて殺す。
ガレアッツォはその家臣の死体を地下の納骨所に運び、一緒に過ごしたという。
皇帝家久とルイ11世の場合、苛烈さは妻か統制に従わない家臣に向くだけである。
だがガレアッツォの場合は、苛政という形で民に向けられる。
まあ、島津家のように税率九公一民とかやった連中から「苛政」と言われたら、ガレアッツォも心外ではあろう。
腐れ外道同士だが、ルイ11世はミラノ公国の豪華絢爛なパーティーが気に入らない。
趣味が合わない。
この時期のイタリア諸国の僭主らしく、大量の芸術家を庇護しているガレアッツォは、130年ばかり後の細川忠興という日本人とは相性が良いかもしれなかった。
基本陰謀家、あらゆるとこに網を仕掛けるという意味で「遍在する蜘蛛」という仇名のルイ11世は、何か嫌がらせの一個でも置き土産にしようと考える。
そして、耳よりな情報を仕入れた。
ルクレーツィア・ランドリアーニという女性がいる。
幼い頃から美少女ぶりと、柔らかな物腰で評判であったという。
ランドリアーニ伯爵の夫人となったのだが、伯爵がガレアッツォの知人だったのがいけなかった。
ある時、ルクレーツィアを見たガレアッツォは、彼女に惚れてしまう。
そしてルクレーツィアを騙して呼び出すと、その場で手篭めにし、自らの愛人となる事を強要した。
ガレアッツォ、この時16歳である。
そして、そのまま3人の子を産まされ、現在も懐妊中であると言う。
(そう言えば、皇帝イェヒ2世は愛人を探していたな)
ルイ11世と皇帝家久は友人のようになっているが、不戦の約束等は無いし
「仕掛けたい時に仕掛けて来い」
というのが家久のスタンスである。
(争いの種を撒いてやるか)
ルイ11世は皇帝家久に手紙を送る。
『ミラノにルクレーツィアという絶世の美女が居た。
君は愛妾を探していたから、どうだろう?
ミラノ公国に公文書で貰い受ける旨伝えたらどうか?
東ローマ皇帝の権威で、争わずに得られるだろう』
受け取った家久だが、彼は白人の愛妾が欲しい訳ではない。
だが、今回は乗ってみた。
というのも、先年北アフリカ攻略戦に勝手に参加したワラキア公ヴラド3世が
「戦ってやったのだから、恩賞を出せ」
と要求して来ている。
面倒だったので、荘園の幾つかと、薩摩の女性十数人を「好きにせよ」と送りつけた。
すると
『醜かったので、奴隷に妻として下げ渡した。
薩摩にはあのような顔の平たい女しか居ないのか?
哀れなり』
と返書が来た為、これはこれで腹立たしい。
ワラキア公には借りもあるし、どうにかしてやりたい。
そこにこのルイ11世からの手紙である。
「良か。
ミラノ公に、こんルクレーツィアなる女子を渡すよう、勅命バ出せ」
聞くところ、転移前の日本では、関白を名乗る猿が、家臣たちにこういう事を命じているようだ。
多少はしたないが、まあ(家久的に)常識の範囲内である。
皇帝はミラノ公国に勅命を出す。
受け取ったミラノ公国は揉めた。
ルクレーツィア・ランドリアーニは、ガレアッツォの私的な愛妾であり、夫人を要求されたならともかく、愛人は公的に引き渡し拒否の対象とはならない。
相手はあの理屈が通じないサツマンである。
「良い機会です。
不義の相手と合法的に縁を切れるのです。
引き渡しましょう」
と、亡き父から引き継いだ重臣チコ・シモネッタが説く。
それに黙って従うようなガレアッツォでは無い。
ガレアッツォは、ルクレーツィアを手離す気はさらさら無い。
更に、ミラノ公国はまだ薩摩と直接戦闘の経験が無い。
故に、情報の上でしか薩摩の異形ぶりを知らない。
僭主を継いでまだ1年の22歳の若者は怖い物知らずであった。
反対する部下を切ると、シモネッタの
「だったら替え玉でも送れば良い」
という提案すら拒否して、皇帝を罵倒する返書を送った。
ルイ11世が「公文書で」と言ったのは、こうして拒絶されるのを見越しての事である。
これで東ローマ皇帝として、後に引けなくなった家久は、再度引き渡し要求をする。
ガレアッツォは拒否するだけでなく、戦書を送りつけた。
理由がどんな下らないものでも、売られた喧嘩は買うのが薩摩人である。
家久は
「女一人の為に一国を亡ぼすか。
そいも面白か!
こん喧嘩、買った!」
と叫び、東ローマ帝国及び島津家に対し動員命令を下す。
どうしようも無い理由で、再びイタリア半島に戦乱が起こる事になったのだった。
なんか、島津家久(忠恒)、ルイ11世、ガレアッツォ・マリア・スフォルツァと腐れ外道が3人も揃ってしまった……。
ここは細川三斎を召喚したいとこですが……。
この章、スーパー外道大戦になります。
豊久が一番まともと言うか。




