世代間対立は続く
薩摩兵は問う
「重位どん、ないごてこんな地に居りもす?」
東郷重位は答える
「象というのと仕合おうチ思うてな。
まだあげな獅子しか倒しちょらん」
そこには首を落とされたバーバリーライオン(絶滅種)が横たわっていた。
島津義弘一行、西アフリカ通り魔軍団はすぐに発見された。
マリーン朝から南に行ったすぐ近くで、総勢八百人の内、五百人を失い、大将の義弘も意識不明で行動不能となって停止していた。
それ程恐ろしい敵がいたのか?
居た、ハエと蚊という敵が。
これまで薩摩軍がほとんど被害無く来ていたのが奇跡であり、都市や街道として整備されていない、湿気の多い土地に何の備えも無く向かったら、普通はこうなる。
倒れてから七日後……歴戦の老将島津義弘は……
「ないごてこげん場所におっとじゃ?」
と目を覚ます。
数百年後でも致死率の高い病気だが、どうやら気合で克服したようだ。
「親父……」
「おう、又八か。
此処は何処じゃ?」
「装甲安宅船『春日丸』の中ごわす」
「軍船がないごて来やる?」
「親父を止める為ごある」
「おはん、実の父を軍船で止める気か?」
「軍船でも使わにゃ止められんじゃろが!」
「俺いは止まらんど!
何なら試してみっか?」
「じゃから最新鋭軍船を引っ張って来た!
流石の親父でん、十門の大筒には勝てまいが!」
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装甲安宅船『春日丸』は、かつて近接戦闘を仕掛けて失敗した皇帝家久が、故中務大輔家久が遺した安宅船や西洋船の絵情報やヨーロッパ各地の海軍軍人からの意見を元に、先年逝去した佐奈田余八に造らせた新思考軍艦の旗艦型である。
ビザンツ、アテナイの技師たちも動員し、巨費を投じて建造させた。
装甲を貼るには浮力を大きくする必要があり、大型にせざるを得ない。
すると櫂での推進は困難になる。
先代家久の西洋船の絵図には櫂が描かれていない。
技師たちは、全て帆走だと言う事に気づいた。
その目で帆の張り方を調べてみると、先代家久の絵図は実に理に適っていた。
本当は自分たちがキャラック船を皮切りに、これから数十年かけてガレオン船に辿り着いた「自分たちの未来の成果」なのだが、答えを先に教えられた技師たちは驚愕する。
「サツマニアの技術、恐るべし……」
無頓着な他の島津家の者なら
「なぁに、こいはおはんらの孫、子たちが作った船じゃ。
おはんらの孫、子たちはこん船で、明国、琉球、そして我が国まで交易に来ちょったぞ。
まっこて、肝ん太か連中たい」
と、教えてはならない答えをサラッとバラしてしまう。
皇帝家久は、彼等の子孫が作り出した技術の剽窃を自覚しながら
「おはんらは東ローマで召し抱える。
こん技術を外に漏らす事は厳禁じゃ。
秘密を漏らした者は三族皆殺しとす」
と口止めする。
『春日丸』は帆走・装甲・砲戦能力を備えた新思考軍艦を指揮する為、軽量化していながら、艦橋と呼ばれる高い位置での指揮所を作り、螺貝から狼煙、太鼓、銅羅、信号旗というあらゆる命令装置を備えていた。
忠恒時代の海戦経験から、軍艦に重要なのは機動力、そして指揮官は捕縛されないよう高速艦に乗るべきと考えた家久は、『春日丸』は高速で走れるようにした。
砲戦は他の艦に任せる為、片舷四門に艦首艦尾に一門ずつと大砲は少ない。
もっとも、錬金術奉行佐奈田余八が開発した鉄強化法により、軽量だが強力な砲になっている。
普段は皇帝または軍司令官の参謀を乗せる為に、広く数多い船室がある。
この高速艦で家久は義弘を迎えに来た、場合によっては一戦交える覚悟で……。
とりあえず病み上がりで、肉体言語も通常の三分の一の力しか出せないと悟った義弘は、今回は黙って息子の命令に従う事にした。
「他の船はともかく、足が速く、内海(地中海)から出ても使えるこん『春日丸』なら、外海(大西洋)の先まで行けっかな?」
皇帝の呟きに、ジェノヴァ出身の少年海兵が
「きっと行けます。
この船は今まで見て来た中で最も優れています。
是非僕も連れて行って下さい!」
と目を輝かせて答えた。
答えを期待した呟きでは無かったが、皇帝は喜び、その少年兵の名を聞いた。
少年兵の名はジョヴァンニ・カボートと言った。
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島津義弘を収容した『春日丸』は僚艦と共に鹿児島に入港した。
そこで皇帝家久は東郷重位と会う。
家久はやや不機嫌であった。
かつてのスパルタオリンピックの時、東郷が武者修行とか言って出奔していて不在、あとは介者剣術使いばかりで、剣で打ち合うより前に相手の膝を踏みつける、鉄鉢で剣を受け、面一本なのに「ちゃんと守っていたから一本じゃ無か!」とか、ルールを理解せず反則負けで優勝出来なかった。
東郷が出場していたら……という思いが多分に有る。
それもあって、少々言葉に刺がある。
「おはん、一流を創設したそうじゃの」
「はっ」
「見せてみい」
「はっ」
鹿児島、内城内でタイ捨流師範と対戦する。
義久、以久らも見守る中、試合が始まる。
格が違っていた。
勝負はあっという間につく。
ある剣士は戦う前に負けを認めた。
義久等が褒め言葉を口にする中、皇帝家久が音も無く刀を抜く。
暗殺好きな彼は、タイ捨流を改良したタイ捨無音剣という、猿叫も無く派手な踏み込みも無い、気配を消した殺人剣を編み出していた。
「若殿、立ち合いごあるか?」
東郷は、誰も気づかない家久の所作を、背中を向けたままで感じ取っていた。
(この男……)
察知された驚きよりも、対戦しようとして東郷の「格」をやっと理解出来て冷や汗が流れる。
家久の無音剣は、相手の筋肉の動き、視線、思考等を見て死角から攻めるものだ。
忍びである山潜を相手に技を磨いた。
だが、東郷は気配そのものを感じない。
全く先読み出来ない。
読まれてはいるが、今立っているのは東郷の斜め後ろ、刀を振り回すにはやや内側の死角に一足で飛び込める、まさに死角。
家久は飛び込もうとした
……その静から動に動く刹那、家久の目には天をつく大きさの東郷の姿が映る。
凄まじい気に、東郷を実体以上に巨大に見てしまった。
そして……
ポンッ
扇子で頭を叩かれた。
完敗である。
家久は黙ってそれを受け容れた。
何というか、怒りとか屈辱とか、そんなのを覚えさせない境地に東郷は達していた。
家久は改めて帰参を歓迎し、島津家の剣術指南役を命じる。
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新型銃、新思考軍艦、新たな剣術、薩摩の軍事力は強化されつつあった。
だが、問題は内に存在する。
上の世代が、新たな薩摩軍を「気合が足りん軍」と評しているのだ。
彼等は種子島銃を認め、使っているが、あくまでも補助兵器としてである。
種子島は竹束で防がれる。
なれば竹束には火矢を射る。
石飛礫を投げて、竹束の後ろより敵を追い出す。
盾を持って敵に対し、掻盾戦で接近戦をする。
鉄砲も弓矢も槍も長物(薙刀、野太刀、長巻等)も太刀も柔術も、全て身につけて一人前の武士。
遠距離戦特化の新型銃大量配備や、砲戦専用で切り込み装備の無い新思考軍艦は、敵を懐に入れる気概の無い腑抜けた装備である。
剣術にしても、体当たり、蹴り、防具、鍔迫り合いでの相手の指を折る関節技、全てを駆使するものだ。
道場剣術等役に立つものか!
と見もしないで言っている。
示現流など、道場剣術とは最も程遠いのだが、隠居になると急に頭が硬くなってしまう。
彼等も若い時は
「毛唐が持ち込んだ種子島等卑怯者の飛び道具」
「雨が降れば使えぬ、一度撃てば暫く時間を置かねば撃てぬ等、物の役に立たん」
と言った古老の無理解を排して鉄砲を揃えたものだったが。
そういう意味では、現役世代は今も柔軟である。
相手がいないと出来ない組み打ちや太刀打ちよりも、立木打ちの手解きを受ければ一人で上達出来る示現流が広がる。
槍、薙刀、長巻の操作にも応用が効く薬丸流(野太刀自顕流)と併せ、薩摩武士の嗜みとなる。
訓練は大砲との連携前提。
歩兵にはこう言う
「後ろから撃たれても気にせず走れ!」
砲兵にはこう言う
「味方に当てるな、走り回っているが決して当てるな」
矛盾する訓令だから、歩兵も砲兵も厳しい訓練となる。
片や砲弾が飛び交う中、全力で走れと言われる。
片や、好き勝手に動く味方に当てない精度になるまでしごかれる。
その上、車撃ちを可能とする為、歩兵は走りながら弾込めをしなければならないし、砲兵は速射と命中率の両立を求められる。
騎兵も改革される。
体躯が小さく、去勢してない為気が荒い日本馬に換えて、ハフス朝が調教しているアラブ種が使用されるようになる。
しかし、肝心の馬術で劣るようで、ヴラド3世の軽騎兵の機動力が出せない。
課題である。
軍事力強化には金が要る。
皇帝家久は、先の戦争で中立だったジェノヴァを介し、ヴェネツィア、フィレンツェとの関係回復に成功。
帝都コンスタンティノープル、自領のアテナイと肝付家に任せたタラント、そしてイタリア諸都市とで交易を活発化させた結果、国家財政は豊かになった。
元々、黙っていても東西の文物交換で儲けられる位置に国があるのだ。
最後の方はイスラム国家のお情けが有ったとはいえ、東ローマ帝国が千年も続いたのは地理的な条件の良さにも依る。
現在は北アフリカを押さえ、シチリア島を保有し、バルカン半島を領土しているため、地中海の航行は安全となった。
そして、ヴェネツィア経由で身代金を受け取った為、捕虜としていたフランス国王ルイ11世を解放する事となった。
ルイ11世は安全となった海路、ナポリ〜ミラノ経由でフランスに帰国する。
この事が新たな戦争のきっかけとなる。
薩摩には珍しい事に、女絡みの戦争である。
おまけ:
ソンガイ帝国国王アリ・ベルさん。
この人も軍事的に生涯無敗。
放っとけば島津義弘はこの人とぶつかったかもしれません。
米有りますし。
でも流石にニジェール川までは(作者の妄想力的に)行動の限界で辿り着けませんでした。
(戦わせようにも、戦場の姿が想像出来ません。
ヨーロッパもロシアも見た事ありますが、
ニジェールからマリにかけては知りません。
泳がせたら、ソンガイ軍より先にワニと戦う羽目に)




