父子対立
■島津本家陣容
【島津宗家】
島津修理大夫義久(当主)
【宮之城島津家】
島津図書頭忠長
島津河内守忠倍
島津新八郎久元
【垂水島津家】(垂水の地は転移せず)
島津右馬頭以久
【島津豊州家】
島津藤二郎朝久
【新納党】
新納武蔵守忠元
新納次郎兵部尉忠光
新納刑部大輔忠増
新納宮内少輔忠秀
【入来院党】
入来院弾正少弼重時
【喜入党】
喜入式部大輔久道
喜入摂津守忠続
【比志島党】
比志島左馬頭義興
比志島宮内少輔国貞
【平田党】
平田左馬介光宗
平田美濃守増宗
【その他】
面高善哉坊頼高
木脇大炊助裕光
許儀後(明からの帰化人)
※転移した薩摩半島から出ない人々。
島津氏及び苗字が変わった分家衆のほとんどがここ。
そろそろ寿命を迎える方も多い。
(子世代は出て行くかもしれない)
島津忠長や新納忠元のように万能武将故に、どの方面にも出動出来るよう薩摩に残されている場合もある。
兵力は約二万五千。主力部隊。
帝都から遠回りし、鹿児島内城に立ち寄った皇帝家久は、義父である島津義久から叱責を受ける。
「中務が死の真相バ知ったそうじゃの?」
「はい、肝付の小者や女房衆は鏖殺しもした」
「ないごて企みの大元バ断たん?」
「はて?
謀殺した張本人はまだ分からなかち、そいを最大限に利用して教皇を……」
「ないごてローマを焼き払い、教皇の首バ取らん?
そげな甘い事で島津が棟梁が継げっか!?」
「お言葉ごわすが、俺いは既に東ローマ皇帝……」
「そげなもん、今すぐ辞任せい!
叔父の仇も討たん腰抜けにゃ島津の棟梁ですら烏滸がましか!」
「ふん、義父上、老いましたな」
「何じゃと?」
「今更、なのですよ。
もう七年も前の事になりもす。
教皇カリストゥス3世のみならず、次のピウス2世ですらこの世におりもはん。
それに、この七年疑わしきローマに手を出さなかったのは義父上ではありもはんか」
「証が無かったからじゃ」
「証を探そうとしもしたか?」
「薩州家や肝付家に探させておった」
「それこそ手緩い!ですな。
我等が指図に従わぬ者どもが、本気になって調べるとでも?」
「それよ!
何故薩摩ン同胞を討った?
薩摩ン衆に波風立てよって!」
「そいがローマを焼いて、こん土地に巨大な波風立てる事を望んだ者の仰りようごわすか!?」
「伊集院を何故誅殺した?」
「あん男がイスラム教に改宗したからですよ」
「おかしか!
あれ程一向宗を篤く信仰し、マグリブに本願寺を建てる、と親鸞聖人の像を持っていった者が、回教に転ぶものか!」
「転びよったんです。
そいで良かじゃ無かですか?」
「おはん、謀りおったな」
「さて、何の事やら」
島津義久は、薩摩さえ無事なら他がどうなろうが知った事じゃ無い。
逆に、この地で生きていく為には薩摩・肥後・日向それと他僅かな鎮西者や琉球者が結束し、何時迄も日ノ本鎮西の人で有る事を忘れない事だと考えている。
皇帝家久も結束が肝心だと考えている。
しかし方法は真逆で、身内の波風は気にせず、逆らう者は粛清し、当主が一門を束ねるやり方を考えている。
その当主の責務として、家中の者を無駄に死なせず、使える時は陰謀でも何でも使えば良い、それが信条だ。
義父と養子は、求める物は同じながら、真っ向から対立する事になった。
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その一方で、父子は同じ悩みも抱える。
「スパルタの島津兵庫頭様(義弘)、手勢二千、スパルタ兵五千、ギリシャ傭兵四千の一万一千を率いて出陣の由」
「行先はワラキアか?」
「御意。
ヴラド公、ワラキア、モルダヴィア、トランシルヴァニア三国の兵を纏めた模様。
兵庫様に戦書が届けられ、兵庫様、生き生きとして出陣されもした」
「戦は止められんか?」
「既に出陣しました」
「引き留めて来い」
「……無駄でしょう。
俺いとてその場に行ったら、合戦に参加しもす」
(そういう連中だった……)
義久も皇帝家久も、島津義弘を制御出来ない。
更に、義弘の士気に呼応した薩摩隼人も止められない。
島津家当主も東ローマ皇帝も、無駄に戦線を拡げたくはない。
大体、北に行っても麦しか採れないから、対立しつつも義久・家久は「攻めるなら南」と一致している。
しかし島津義弘は
「俺いより強か敵に会いに行く」
という典型的なサツマン人なのである。
「おはんの実父じゃろ!
皇帝を名乗るんじゃったら、止めて来い!」
「義父上、責任を果たさんのもいい加減してくいやい!
義父上は親父の兄じゃろが!
どっちの言う事を聞くと思っちょいもすか?」
「おはん、後継ぎ決める話し合いの時、猪のごたる親父を止めるんは我しかおらん言っちょったじゃなかか!」
「動き出す前なら何とかなりもんそ。
じゃっどん、走り出した猪は止められん。
精々まともな形に手直しするしか出来ん。
そいより薩摩の全軍を義父上が指揮して立ちはだかれば、親父とて止まりもんそ」
「俺いに薩摩を出ろ言うか?
そいより、薩摩全軍なんか出してみィ、
全軍又四郎の下に走っぞ!」
「そいでも当主ごわすか!」
「じゃあおはんに出来んのか?
東ローマ皇帝とやら!」
一通り責任を押し付け合って、そして二人揃って溜息を吐く。
「義父上、やはり強か統制が必要チ思いもはんか?」
「そうじゃの。
又四郎の事、言うこと聞かせんには、統制が必要かもしれんの」
「じゃったら!」
「おはん、行って止めて来い」
「ないごて俺いな?」
「たった今、強か統制が必要言うたじゃろ!
当主の命令に従わんか!」
「俺いは東ローマ皇帝じゃぞ!」
「知るか!
島津家にあっては当主が絶対じゃ!
そいが強か統制じゃなかか?」
「話にならんな」
「ほお? 実力で言う事聞かせる気か?」
「義父上がお望みなら」
「おはんのごたる青二歳に、ワイらの世代が倒せっと思っが?」
言うが早いか、義久が肉体言語に出る。
「こ、こいは?」
「老いて力は出んようになった。
じゃっどん、関節技なら歳は関係無か」
「ぬ……」
「この島津義久、薩摩ン国内にあっては最強無敵!
勝てると思うな!」
そんな義久と皇帝家久の頭を扇子で叩く者がいた。
晴蓑入道島津歳久である。
「島津の棟梁と嫡男が、何をやっちょっか!?」
「又六……」
「叔父上……。
陣中で使う鉄扇で頭撃つんはやめてくいやい。
馬鹿になっで」
「いい歳こいて義父子で柔術で戦っちょって、今更己は馬鹿じゃ無いと思っちょっとか?」
「そいで又六……じゃのうて晴蓑、ないごて此処ん来た?」
「此処んおいでチ事は、俺いの願いバ聞き届けてくいやるか!」
「願い……? どぎゃん事じゃ、又八郎」
「……話す前に兄上、又八郎に掛けている踵捻と裸締外してやいな。
おはんら、そこに正座せい!」
皇帝家久は、島津忠隣をナポリ公にして、南イタリアを任せるつもりだった。
タラントを肝付兼寛に、カラブレアを薩州家島津忠栄に、シチリアを薩州家島津忠清に与え、島津分国とする。
しかし、軍事では心配の無い配置だが、若い管区総督だけに、また老練なイタリア諸都市の僭主に翻弄されるかもしれない。
そこで、相談役かつ結束の芯に島津歳久を充てようと考え、忠隣に説得させた。
皇位簒奪に不快感を持っていた歳久は断わろうとも思ったが、ナポリは弟の中務大輔家久が謀殺された地、ケジメを付ける意味でも自分が出張ろうと考えた。
「そいで、『当主』の兄サァに話を通してから、チ思うて参ったら、なんじゃい、還暦超えた爺が二歳相手に寝技で乳繰り合っちょって……」
「人聞きの悪か言い回しは良さんか!」
「叔父上、礼を申し上げもす。
俺いには言いたか事多々有りもんそに」
「礼は早か。
まずはおはんの義父、御館様たる兄サァの許しが必要じゃで」
「良か、身体に気をつけて行って来や」
「兄上?」
「義父上?」
「中務の仇討ちと聞いて、行かせん訳にもいかん。
俺いもそこまで耄碌しちょらんでな」
「あいがとございもす」
「あいがとございもす」
歳久と皇帝家久が共に頭を下げる。
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改めて座り直し、歳久が皇帝家久に説教する。
「我等ヨーロッパでの余所者は、立場が曖昧な方が良かった。
ビザンツ皇帝を頭に置いたがは、そん為じゃ。
我等と戦うのか、ビザンツ皇帝の命に逆らうんか、目的を目眩しする為じゃが……。
まあ、もう簒奪の事は言わん。
言っても辞めっ気は無かじゃろ。
俺いが危惧すっとは、おはんの座を狙う者たい」
「皇帝の座を?」
「うむ。
おはんが皇帝になった事で、倒すべき対象が明確になったでな。
まず一人は、先代コンスタンティノス11世上皇陛下の甥アンドレアスじゃ。
俺いたちが移転した時、アンドレアスの父ソマスは兄の上皇と喧嘩別れし、モレアス専制公となった。
そいを兵庫の兄は討ち取ったで、子等ぁは今はローマ教皇が庇護しちょる。
正統性から言ったら、おはんの数倍上じゃ。
今はおはんに従っちょる旧ビザンツ廷臣も、アンドレアスが帰国したら半数はあっちに着くと覚悟せい」
「分かいもした。
そこは既に色々手バ打っちょりもす。
然れど、ご忠告有難く……」
「もう一人おる。
モスクワ大公国の新しか当主、イヴァンち男じゃ」
「モスクワ大公国は東ローマ帝国の属国じゃ無かですか」
「そいは先代のヴァシリー公までじゃ。
イヴァンは、自らがローマ皇帝に相応しいと思うちょる。
今は貴族や分国とした弟の領地収用に勤んでおるが」
「…………」
「分かったようじゃな。
イヴァンがやっている事は、薩州家や肝付、伊集院に対しおはんがやっている事と瓜二つじゃ。
仕上がった後は、どんだけ強くなっちゅうか、予測はつくの?」
「はい。
恐ろしか相手になりもんそ。
しかし、叔父上はどげんしてそいを知りました?」
「密かに山潜者を味方につけたおはんにゃ予想が付くんじゃろ」
「叔父上も影の者を……」
「山潜も修験者も御本家の透破、分家で隠居の俺いがおいそれと使えん。
うらぶれたこん地の騎士とかを使っちょる」
「信用出来っとですか?」
「端から信用はしちょらん。
奴等は自らが透破になっちょる事を知らん。
各地の領主に、俺いが感状と推薦の手紙を添えて、仕官するよう頼んだだけじゃて。
失職していたから、恩を感じてくれよった。
そいで、秘密の話は無しで良いから、世間話でも良かで手紙バくれと頼んだ」
「そいだけごわすか?」
「数百も有れば十分な情報が得られっでな。
それに、こうも言うた。
俺いどん等薩摩の者が非道をしたんは、この地の事を知らなかったからじゃ。
多少でも知っちょったら別のやり様も有った。
我等に同じ誤ちを繰り返させたくなくば、情報を送ったもんせ、とな。
悪名も使い方次第じゃ」
皇帝家久は、この叔父ならイタリアの魑魅魍魎とやり合えるだろうと確信した。
「あとは、ワラキア公との戦に行った兵庫の兄サァが気掛かりじゃ。
敗れたなら、蟻の一穴に成りかねん」
「敗れるとお思いか?
我が父、島津兵庫頭義弘が」
「又八郎、おはんの父も還暦をとうに過ぎちょっぞ。
何が起きてもおかしくなかど。
それに、あのヴラド奴めは、毎年クリミア ・ハン国に攻め込み、馬を略奪しちょる。
クリミア ・ハン国の軍が討伐に出たが、あっさり負けた。
何か恐ろしか技を身につけたようじゃ」
そう言うと、歳久はとある騎士からの手紙を渡す。
それはクリミア ・ハン国(リトアニア大公国の支援もあり、キリスト教化して来ている)に歳久が推挙した騎士からの手紙であった。
和訳させたので義久でも読めよう。
『有りの儘、今起こりし事申し上げ候。
某、彼の者を正面にて相対すも、
何時の間にか御味方の後ろに居り候。
何を言上したかお判り難きと思われ候ども
某にも何を為されたか分かり申さず。
乱心しそうに思す。
幻術或いは神速等では断じて有り得ず。
遥かに恐ろしき片鱗を味わい候由』
「……何ごわすか、こいは?」
「ヴラドの軍と戦った者より送られた書状じゃ。
こいだけでは何か分からなかったで、軍学に秀でた兵庫の兄サァなら分かるかと思い持参したが、既に出陣された後じゃとか。
大兄サァも又八郎も、しっかり手綱握っておきやせ。
弟じゃろ、父じゃろ!」
まさに先程迄二人が争っていた件であった。
「晴蓑の叔父上」
「何じゃ?」
「親父とヴラドん事は、俺いが何とか致しもそ」
歳久は、皇帝家久の瞳の奥の邪を感じ取った。
「又八郎、くれぐれも兵庫の兄の癇に障る事はすんな。
あん人が臍を曲げたら厄介じゃど」
それは予言となって的中する。
モスクワ大公イヴァン3世、つまりイヴァン大帝です。
ドラキュラ公ヴラド・ツェペシュ
フィレンツェのメディチ家
教皇ボルジア家
シャルル突進公
イヴァン大帝
この時代、アクが強いのが多く、書いてて楽しいです。
あとはラスボスの一角をいつ出せるか。
おまけ:
伝令が伝達を済ませた後、合戦に参加して戻って来ないのは鎌倉時代は当たり前だったようで。
島原の乱の時も、一人それをやりました。
その時は徳川家光に「伝令は帰って来て報告する迄が仕事! お前は職務放棄した」と処罰されました。
その伝令、「武士なら当たり前の事をしただけなのに、処罰とは納得出来ん」と怒り、恩赦となり逆に恩賞が出た時は固辞したそうです。




