島津家長兄の政治力
島津歳久は元々武将であり、農政の専門家ではない。
だが、彼以外に薩摩・ブルガリア・ギリシャ・小アジアの生産について総合的に見られる者はいない。
島津では郡役人や村廻りは大した役人では無いのだ。
本領で八公二民の年貢を取り立て、琉球や明と交易をしていれば、大体良かった。
だが、転移後の世界では違う。
思ったより年貢が入らない。
それどころか、周囲の国々でも飢饉が起きている。
長い粒のパサパサした米は我慢すれば食えるが、それでも思った以上の収量に足りない。
それどころか、最近は心なしか薩摩の地も寒さを感じる。
雪など降っている。
指宿にある義久愛用の温泉が、次第に冷えて来ている。
川の水量も減っている。
転移した最初の数年は、何か恩恵が有ったのか、日本に居た頃の環境が維持出来ていた。
だが、徐々に薩摩もこのヨーロッパの地に馴染み始めている。
人の方は相変わらず己を貫いているが、土地の方が郷に入りて郷そのものになり始めていた。
「何より、桜島が灰を吹かん!
これがどげに異常か分かっか?」
「言われてみれば!」
「気づいてはいたが、まあ灰を吹かんのは良かこつと思うておった」
そして米の収量を調べた。
最初の年は日本に居た時と同じ量採れた。
翌年は八割に減り、凶作と判断した。
その次の年は前年の更に八割に減っている。
今では最盛期の四割を切っている。
「そいでん、流石は米ばい。
ちゃんと採れっでな」
「米は採れるが、おはんの取り分が無くなるチ事じゃぞ」
「そ!! そいはいかん!!」
今でも麦より薩摩の米の収量は多い。
それでもこの人口を養い切れない。
「左衛門様、一人が食う量を半分にして辛抱すりゃ、薩摩の者が住めなくなるとかなりゃせんわ。
少し大袈裟じゃ無かか?」
「ああでも書かんと、おはんら決して薩摩を出んじゃろが!!」
確かに『薩人滅亡まであと◯◯日』は大袈裟である。
足りなければ買ってくれば良いのだから。
島津歳久が言いたいのはそういう事ではなく、薩摩一国が数万の兵士を養い切れなくなって来ている以上、危機感を持てという事だ。
「しかし、移住先言うても、アテが無かでなぁ」
「やはり他の国を奪うしか無かで」
「やはり撫で斬りにして無人の国にして奪いもんそか?」
「大人しく俺いどん等の言う事を聞くなら、二等薩摩人として生かしても良かじゃろ。
毎度撫で斬りは、刃毀れして太刀の手入れが面倒じゃ」
(何だろう?
住み慣れた故郷を離れねばならぬ悲壮な民の筈が、行く先々を侵略する悪の帝国のようになりそうな予感は……)
歳久は不安を感じている。
自分たちは史書に名を残す悪になりはしないか?
悪名よりも、生き残るのが先決ではあるが。
難題はまだ有った。
目の前の長兄が
「相分かった。
薩摩から移住の地を探すが良か。
俺いは動かんがな」
と薩摩から出る気が見られない事だ。
「おはん等が生きる為に薩摩を出るのは当然じゃ。
俺いは薩摩で死ぬだけばい」
こんな事を言われると、他の薩摩者も
「俺いも御館様と想いは同じでごわす」
と移住しない者が増える。
そう考えると、シチリアにさっさと移った薩州家等は、結果として薩摩を助けている。
でかい封地を与えて強制的に移住させる手も考えられる。
しかし、それは義久が危惧している各個撃破される事に繋がる。
軍事でなくとも、思想や宗教で分断され、ヨーロッパの一国家になって強さを失い大国に吸収されるか、お互い争わされて滅びるか。
薩摩という芯が在り、そこに宗家当主が居れば自分たちの存在を忘れる事は無いかもしれないが。
それでも薩州家と肝付党は自立の道を選んだ。
難しい。
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「兄サァ」
珍しく二人きりの場で、歳久は砕けた喋り方をする。
「又六が言いたかこつは分かっど。
じゃがの、薩摩隼人は薩摩を離れると別物になってしまっど。
薩摩を薩摩のまま持って行った又四郎(義弘)のスパルタとて、薩摩そのものでは無か。
たまたま相性が合っただけで、あいは薩摩の影響を受けたスパルタでしかなか。
薩摩は薩摩の中にしか無かぞ」
「そいじゃと薩摩そのものを滅亡しかねん。
周辺大名は、薩摩兵児の強さと数を恐れて動かん。
じゃっど、このまま薩摩が兵を養えなくなっと、薩摩は弱くなる。
弱い薩摩等何処が恐れる?
これ迄の恨みと、薩摩は滅ぼされんで。
薩摩は強者であり、恨まれようが搾り取る側でのうてはいかんのじゃ」
「まあ待て、又六。
おはんは性急に過ぎんど。
おはんがこの二年程、戦場にも出んで、ブルガリアやトルコを歩き回った労苦はよう知っちょる。
じゃっどん、おはんが汗水垂らしている時、俺いが何もしとらんと思うちょったか?
俺いにも考えは有っどな」
「聞かせったもんせ。
兄サァはこん薩摩をどげんすっとじゃ?」
義久は手を叩き、小姓に言って帳簿を持って来させた。
「見やい、又六」
そこには、ヴェネツィア、ジェノヴァ、ビザンツ帝国、オスマン帝国との交易の売買記録が記されていた。
「薩摩は安くだが米麦を買っておる。
じゃっど、我等は富裕じゃなか。
売る物が無くば、交易は成り立たん」
「……こげんして見っと、紙がよう売れとりもすな」
「紙はこん地では貴重品のようじゃ。
幾らで売ってるかは知らんが、薩摩からは高く買っていくど」
「はて、茶葉が売れちゅうが……?
霧島の方で細々作っちょるんは知ってるが、売る程ではなかな。
こん地の者は茶を飲んどったかいの?」
「オスマンの商人がよう買い付けて行きよるが、
最近ではジェノヴァ、ヴェネツィアも買っていくようになった。
新しか売れ筋じゃの」
薩摩の交易は、商人を介するが、根本的に島津宗家の管理独占貿易である。
島津の御用商人自体が、宗家が命じて商人に身をやつした元武士で、宗家にのみ忠誠と責任を負い、代わりに特産物の独占販売権と、新田開発等で農奴を持つ権利を与えられている。
義久が薩摩引き篭もりと思われながら、頑なに理由を説明しないのは此処に理由がある。
薩摩に籠って儲ける事が出来るなら、皆が模倣してしまう。
なので、島津の在宅ワークの収支は極秘事項なのだ。
島津歳久も、いずれは分家となる身、宗家の生まれとして存在は知っていても、細かい数値を見るのは初めてだった。
なる程と思い、それでも計算をする。
やはり数十万人の武家・農家・商家を食わせる穀物を買い入れるには、輸出額が足りないのではないか?
「兄サァ、まだ足りんど」
「そがいなこつは分かっちょうわい。
兄を甘く見んな」
「どうされっつもりじゃ?」
義久は縁側から外に出て、山を見る。
「見やい、又六。
薩摩ん山々は様々な恵みをもたらしちょる」
「はい」
歳久は長兄の言わんとする事を、先回りせずにちゃんと聞こうと、居住まいを改めた。
「錬金術奉行佐奈田余八、あん男を山師として歩かせちょる」
「はい」
「ないごて異人の降り人に苗字を与えたか。
こいが答えじゃ」
部屋に戻った義久が納戸から杯を取り出し、歳久に渡す。
「こいは?」
「錫じゃ。
あの余八、薩摩んお山から錫バ見つけよった。
そいで、隠し里を作り、錫で器を作らせちょる。
こいを先日、明国の工芸品と騙して見せたところ、商人どもが食い付きよった」
「俺いが知らん間に、そこまでしておられたとは……」
「まだまだじゃど、又六。
余八は日置郡で金銀を見つけた」
「そいは、昔から有りましたの。
大して採れんチ話じゃあいもはんか?」
「灰吹法チ、精錬の仕方は知っちょっか?」
「いんや、知りもはん」
「俺い等がまだ鎮西に居た頃、既に毛利なんかは使っちょったやり方じゃ。
鎮西じゃやっちょる大名は少なかったし、居ても我等には教える訳無かな。
ほいじゃが、あん余八は詳しく知っちょった。
錬金術っちゅうのも、中々のもんたい」
むしろ、錬金術師のヨハンの本業と言って良い。
そのヨハンは、まだ金鉱、銀鉱の可能性を感じ、山師となって薩摩中を探し歩いている。
「錫細工も金銀精錬も、やり方を教えれば誰でん出来る。
じゃっどん、金鉱銀鉱の目利きはあん男に任せるしか無かでな」
「兄サァ、あん男は又四郎兄サァが捕まえて来た降り者。
薩摩ん秘め事を調べた上で逃げたらどげんする?
信じ過ぎは禁物じゃど」
「安心せい。
護衛や小間使いと称して、山潜(密偵)を付けちょるでな。
怪しげな事したら斬れ言うちょる」
「そこまで成されておいでなら、もう何も言う事はごわはん」
兄弟はまた落ち着いた感じで茶を飲む。
「又六、おはんの危惧する農の事も分かっとじゃ。
金銀が有っても腹の足しにはならん。
人間詰まる所、飯を食わんと生きられん。
その飯を外国に頼るんは、敵にキン◯マを握らせながら凄んどるような虚気た所業よ」
「はい」
「米が採れんのは難儀な事よのお。
又七(家久)はそいを何とかせんと、一人で気張い過ぎてしもうたの」
「又七郎がイタリアの大名による合議が有っで、俺いか兄サァに来て欲しかと言っちょった時、わいら二人とも行かず、薩州家を出して島津の隙を見せたんは、悔やまれもす。
ないごて兄サァは行ってやらん?と思っちょったが、こげな仕事をしてたとは知りもはんじゃった」
「知らんで良か。
今後も他言無用。
おはんも城門を出たら忘れよ」
「承知仕った。
さて、食い扶持得る方策じゃが……」
「おはんが『薩摩滅亡まであと一年』と発破を掛けるのは分かる。
じゃっどん、こん事も俺いは既に手を打っちょる。
もう五年も前からな。
その結果を聞くまで、俺いは薩摩を動けん。
どうか俺いを信じてくいやい」
歳久は平伏した。
「何事も兄サァの差配に従いもす。
薩摩の棟梁は兄サァしかおりますまい。
こん又六郎歳久めで手伝える事あらば、何でん申し付け下され」
歳久は、呑気な武士たちを急かしながらも、腰を据えて農政に取り組む事になる。
義久は、今後の薩摩の為に密かに産業構造を農業主体から鉱工業主体に変えようとしているが、外にはその姿は見せず、相変わらずの薩摩引き篭もりを演じる。
そんな二人が声を揃えて「あん莫迦を止めよ!」と叫ぶ知らせが届けられる。
島津義弘と島津豊久の動向であった。
おまけ:
薩摩国内菱刈。
ヨハン・フォン・ブランデンブルク氏は極めて高い含有量の金鉱を発見した。
「恐ろしい! 一緒に銀まで含まれている」
錬金術伯等と仇名された彼は、同時にドイツの封建領主でもあった、如何に政治的には無能だったとは言え。
この情報を御館様、島津義久に伝えたヨハンは、ある危惧を抱いていたが、口には出せない。
彼が「様」付けで領民から呼ばれ、恐ろしいサツマン人の中で意見を言う事が出来るのは、あくまでも錬金術という名に集約した科学や工業、鉱山業に関してのみの事だ。
政治に付随する話をすると、死に目に遭わされる。
島津義久は優秀な政治家だが、財政通ではない。
商業能力と財政能力はまた別物である。
基本、ドメスティックな政治家である義久は、薩摩さえ良ければ他がどうなろうと知った事じゃない。
ヨハンの危惧は当たる事になる。
ヨーロッパの通貨そのものである銀を大量に得られた薩摩は、その銀を貿易で吐き出しまくる。
それはやがて、ヨーロッパで流通していた銀の総量を左右する。
それは、ヨーロッパの身分構造を変えてしまう。
商人、更には資本家が力を持ち、銀インフレによる価格高騰に対応出来ない騎士や小領主は没落する。
更に先の未来、ポトシという銀山が発見されると、その流れは加速する。
薩摩は軍事力や暴政でヨーロッパに甚大な被害をもたらしたが、軍事以外で普通に経済活動していてもヨーロッパ社会に影響を与えていくのであった。




