島津中務大輔
ヨーロッパほぼ全土で出水公島津家久の名と、その異名「ハンニバルの再来」は、雷鳴のように鳴り響いている。
島津の恐ろしさを知らないのは、まだ直接対決の無いフランス、イングランド、スコットランド 、アイルランド、ポルトガル、モスクワ大公国くらいであろうか。
家久がヴェネツィアに乞われて兵を動かしただけで、皇帝派都市フェラーラの僭主ボルソ・デ・エステはヴェネツィアに降伏を申し出た。
神聖ローマ皇帝フリードリヒ3世も、島津の名を聞いたらフェラーラから手を引く。
代償にヴェネツィアから大量の食糧と鉄と硝石が薩摩本国に届けられる。
(俺いも良いように使われでんな)
と家久も思わなくは無いが、あの地域一帯が食糧不足な以上、自分たちが戦って代償としての食糧を得る事と、シチリアの米生産を安定化させる事を、自身の使命と考えていた。
ヴェネツィアは、イスパニアや西アフリカから米を仕入れている。
そう聞いて地図を見た家久は
(届かん)
と海軍力の無さを悔やむ。
(薩摩もまた、海賊衆、水軍、艦隊なんでん良かが、兵力を揃えっこったい)
そう思って様々な改革案を手記に記していた。
一方で食料問題について、米に拘らない道も考える。
基本的に薩摩者は悪食だから、新しい作物を求める事、さらなる探検遠征をも考える。
(なお、島津家はバルカン半島で採れる雑穀・蕎麦についても知っていたが、それにすら歳久が税をかけた為、民はとんでもない目に遭っていた)
もう一つ、食料を求めて勢力拡大するなら、兵力の増強も必要である。
現地の兵を上手く使わねばならない。
島津家久は、肥前の有馬家、肥後の赤星家、自領の日向衆を率いて龍造寺家を壊滅させたように、現地勢力の戦力化も得意である。
東方戦線が黒羊朝、白羊朝との三つ巴で困っているオスマン帝国は、イェニチェリとバヤズィド皇子を戻して欲しいと催促している。
大宰相イスハク・パシャの要望に応え、貴重な戦力であるイェニチェリだがトルコに戻した。
代わりにナポリ王国に仕えた騎士や傭兵を戦力化する。
「こんなつまらない、それでいて恐ろしい訓練は初めてだ」
と騎士や傭兵が嘆いたのは、家久の訓練は武技を磨くものでなく、予定の時間に集結出来るか、命令通りに動けるか、動くなと言ったら何時迄も動かずにいられるか、という統帥型の訓練だったからだ。
島津家久が戦っていたのは、騎士の時代より百三十年後である。
軍事思想が違う。
個人の武技で名誉を重じて戦うのではなく、司令官の意思の通りに動き、或いは留まり、最適な時機に火力を集中してから白兵戦に至るのだ。
「孫子」に還ったとも言える。
でなくては包囲殲滅戦等出来ない。
そして島津の軍法は「命令違反は切腹」である。
誇り有る騎士と言えど、家久の構想の位置に居なければ自裁か、処刑かである。
そして、島津の戦は個人の武技を軽視してもいない。
「それは言われなくてもやってる事」
であり、指揮官は「人を殺したくて武技を磨いている者、金持ちな敵から装備を奪いたくてうずうずしている者を、最適な陣形で、最適な時機に解き放つ」のが仕事である。
「美味しい餌バ用意すっから、俺いの命令バ過たず聞け。
さもなくば殺す。
一人の命令違反は多くの者が迷惑する」
という考えで、武技が未熟な者は
「折角の餌場に来る資格無し」
なのだ。
こうして鍛えられた部隊は、急拵えながら強くなる。
シチリア島にまた敵が押し寄せた。
今度は北アフリカ、マグリブの海賊である。
十字軍によるバルバリア攻撃が止み、イスパニアのレコンキスタの為にムーア人がイベリア半島を追われたりして、海賊となってキリスト教勢力を襲う者が増え始めていた。
シチリアの対岸、アフリカ側にはチュニジアが在る。
そこの海賊がナポリ王国崩壊と、イスパニア連合軍が敗れた事から、
(強い敵が消えた! 今なら麦とか奪い放題!!)
と思って押し寄せたのだ。
……普通に考えたら、強力な国が相次いで敗れたのだから、そこにはもっと恐ろしい相手が居ると思うものだが、食い詰めているのと、希望的観測から押し寄せて来た。
希望的観測は最悪の形で回答を突きつける。
沿岸部から食糧を持って逃げる貧弱そうな小男たちを追い掛け、内陸に釣り上げられた海賊たちは、まず砲撃で船を沈められて退路を絶たれる。
そして食糧を持って逃げていた褌姿の小男たちは、突如食糧袋を投げ捨てると、褌に挟んでいた短刀(脇差)を抜いて
「ワリャ~~!! クビ~~~!! ヨコセ~~!!」
と謎の言葉を吐きながら突進して来た。
海賊たちは数が多いから、まだ慌てなかったが、次第に自分たちに殺到して来る者たちの装備が良くなっているのを見て、嵌められたのを悟る。
逃げようにも船は焼かれた。
謎の小男たちの最も少ない方に脱出する。
……そここそがこの世の終わり、あの世への入り口であった。
鉄砲の斉射で足を止めると、四方八方から騎士だの傭兵だの武士だの色んなのが殺到して来る。
「ミラノでもフェラーラでも、睨み合うだけで御馳走バ食わせちょらんかった!
今日はたっぶり食いやせ!!」
「中務様のお許しが出たど!
生かす必要は無か!!
撫で斬りにせい!
根切りじゃ!!」
「首は手柄になっど!!
肝は薬になっど!!
糞の詰まった腸は火薬になっど!!
肉や骨は田畑の肥料になっど!!
まっこて人間の体に無駄に捨てっとこは無かど!!」
久々の血祭りに薩摩人は涎を垂らしながら酔った。
家久も、兄の歳久から
「イタリアの地は縁や盟が複雑に入り組んどるで、無闇矢鱈に根切りは止めやど」
と言われていた為、
(兵児たちにゃ我慢させて済まんかった)
と思い、更に
(海賊なら使い様も無かで、首にして良かな)
と思った。
海賊たちは非戦闘員、船員合わせて3千人が押し寄せたが、脱出に成功した数隻を除いた9割が死んだ。
見るべき将も、潔い戦士もいなかった海賊に、家久は降伏を許さなかった。
武器を捨てた下り兵も、此処暫くの鬱憤ばらしの為に殺される。
降伏が許されないなら絶望的だが最期まで戦おうとするが、そういうのは鉄砲であっさり殺す。
2千8百の首が海岸線に晒され、肝は後で漢方薬にする為の処置を施され、肝を抜かれた死体は坑に糞尿と共に混ぜられて捨てられる。
「数年で火薬と良か肥料が出来っど!」
と笑うサツマン人たちを、騎士も傭兵も、シチリアの漁民も農民も
(悪魔の化身だ……)
と心底恐怖した。
家久は気づいていない。
彼を悪魔の化身と恐れる目に、戦闘以外の事をする薩摩の一般人たちも加わっていたのだ。
戦国乱世なら頼りになる残忍さが、改宗して安らぎを得た者には神をも畏れぬ所業に見えてしまう。
薩州家が連れて来た農家・漁家や、肝付家の女房衆等は、家久を魔王を見るかのように恐れた。
そして、このシチリアの血祭りが島津家久最後の合戦となった。
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鹿児島に急報が入る。
「島津中務大輔様、ナポリにてお亡くなりになりもした!」
家中騒然となる。
更に別な書状が島津家を混乱させる。
「宗家の窮状を救うべく米を送ります故、シチリアは薩州家の所領と安堵する朱印状を下さいますように。
開墾、農民の鎮撫、周辺国との折衝で逐一海を隔てた薩摩国に伺いを立てるのは時が掛かり過ぎ、機を逸する恐れが有る故、シチリアは万事薩州家の差配にお任せ有る事……」
所領安堵の朱印状とは、即ちその地を管理地ではなく、子孫に相続可能な私領として主君が認める事だ。
要するに、薩州家による独立宣言である。
米は送るとあるが、無償とは限らない。
家久の急死と薩州家の独立、二つを併せて
「薩州家が中務様を害しよったな!!」
と邪推し、憤慨する者が多発した。
「御館様、直ちにシチリアに兵を向けもんそ!」
「そうじゃ! 仇討ちじゃ!」
「薩州、討つべし!」
「黙らんか……」
島津義久は流石に冷静である。
「薩州がやったチ言うが、証は有んのか?」
「証など無くても、薩州家の仕業じゃろ」
「理由は?
薩州家が何故中務を害す?」
「そ……そいは……裏切ったからじゃ無かか?」
「ヨーロッパの浮き草、薩摩隼人が薩摩を裏切って如何にする?
薩州とて馬鹿では無かど。
裏切ったなら、生きるあては有っとか?」
「…………」
血気に逸った者たちが黙る。
義久は
「薩州が裏切ったなら、そいは耶蘇の坊主どもの後押しが有ったからじゃ無かか?」
と自分の考えを述べる。
「そうじゃ!
あん地の魑魅魍魎どもが薩州家を誑かしたとじゃ」
「耶蘇の親玉、教皇とやらが怪しか!」
「チェスト! ローマを焼き討ちじゃ!」
「おはんら!
また証も無かのに騒ぎ追って。
俺いはローマ教皇の誑かしが有ったやもしれんチ思う。
じゃっどん、そいが確かかどうか分からん内は動けん」
「ないごてな?
証なんざ無くとも攻めれば良かど。
間違っていても、死んだ者は文句は言わんから良かど。
御館様は臆しておっとか?」
「婚儀でブルゴーニュに行っちょる侍従豊久をどぎゃんする?
シチリアやイタリアが敵に回れば、侍従奴は帰って来れぬ」
「ぬ……」
「それに、中務の手勢は上井が引き継いで薩摩に引き返して来ちょる。
それが戻って来てからでん、遅くは無か。
まずは教皇の仕業と疑って、証を探せ。
証が有れば、如何に耶蘇社会の親玉と言えど、討つ大義名分が立つ。
焼き払って根切りにすんは、そいからでん良か」
冷静ながら、許さないという義久の心に、薩摩隼人たちも感情に走るのを止めて、命令に従う事にした。
やがて上井覚兼が三千の兵を引き連れて、家久の遺骸と共に薩摩に帰って来た。
そして意外な事を聞く。
「ローマ教皇カリストゥス3世は、中務様が倒れる前に既に亡くなっておりもす。
今ローマは根比べの最中で、シチリアにチョッカイを出す余裕は無かごわす」
「根比べ?」
「左様、ローマ教皇は根比べの勝者が成りもす」
容疑者が被害者より先に死んでいた。
これではローマ教皇の仕業とか言い難い。
更にミラノ公やヴェネツィアの統領は慌てていたと言う。
「直ぐに代わりの将軍を派遣してくれチ、催促しちょいもす」
ミラノ公やヴェネツィア統領は、神聖ローマ帝国と張り合う為に島津家久とその戦力を欲していた。
ローマ教皇も、神聖ローマ皇帝とは対立し始めている。
更にフランスもイタリアに野心を向けていて、イタリア諸侯が島津家久を害する理由が無いと言う。
無論皇帝派もいるので、そういう者が家久を狙う可能性は有るが、
「中務様は異国の食べ物は食べておりもはん。
謀殺を警戒し、薩州家の馳走すら口にしておいもはん」
「それどころか、薩摩守様は中務様が亡くなられた後、それを知らずに急ぎ見舞いに来ちょった。
そん時見た限りでは、何が起きたのが丸で分からず、狼狽えておった。
弟二人も同様で、下の弟等は中務様の遺骸に縋りついて泣いちょった」
薩州家も候補から外れた。
が、薩州家には怪しむとこがまだある。
「ないごてあ奴等、急にこのような書状を寄越したかの」
上井は一読するが、
「そいは分かりもはん。
俺いが見た時は、今後何をどうしたら良いか、分からん様子だったばい。
後から入れ知恵した者がいたとして、そいは中務様亡き後ごわそう」
「ううむ……」
義久は悩む。
薩州家が家久殺害に加担していないのであれば、実は薩州家の書状の要望は正しいのだ。
家久がいない以上、一々薩摩に伺いを立てていては統治は覚束ない。
自由裁量で統治させた方が良い。
それに、生意気な事を言ってはいるが、島津から離反するとは一行も書いていない。
元々自立傾向の強い分家だけに、自領が有ればそれで良いのかもしれない。
討伐の兵を差し向けると、かえってキリスト教勢力に寝返るかもしれないのだ。
「書状を送り、島津侍従豊久に父の死バ知らせ、急ぎ薩摩に戻るよう伝えよ。
シチリアは、薩州家に任せよ。
今は左様すべきであろう」
「ハハッ」
かくして島津忠辰ら島津薩州家は半独立勢力、フランス王国におけるブルゴーニュ公国と同じような立ち位置でシチリアの支配を認められた。
この勢力は「シシリアン島津」と呼ばれる事になる。
島津家久、この時期だけ見れば最強のチート武将。
彼が生きてあれば、何でも「家久に任せて釣り野伏で包囲殲滅で勝利」になる流れなので、話の流れ的にも、欧州の闇の深さ的にも、退場して貰いました。
でもご安心下さい、島津家久は復活します。
……代わりに島津忠恒がどっかに消えますが。




