農政見直し
島津中務大輔家久と島津図書頭忠長は、セルビア戦での和睦成立を報告し、セルビアとアルバニアを征服出来なかった事を島津家当主義久に詫びた。
そして和睦の条件に、ブルゴーニュ公フィリップの養女シャルロットと、家久の長男・島津侍従豊久の結婚が有る事を伝え、一門の棟梁の許可を得る。
政略結婚は当たり前、義久にも異存は無い。
「ないごて俺いが……。
あげな黄色か髪の女子等、まるで婆じゃ無かか……。
青い目に白過ぎる肌等、病気としか思えん」
ぶつくさ言っているのは豊久くらいであった。
「な!
豊め、女を知らんのが丸分かりじゃろ?」
「さいですな、叔父上。
黙って受ければ良かものを」
「一風変わった女子にときめかんものかな?」
「何時も同じ女子ばかり抱いておると飽きる。
たまには違か女子も良かたい」
「ほお? 我が娘には飽いたか?
忠隣殿……」
諱を口に出来る肉親、島津歳久が後ろに立っていた。
「ち、ちちち、義父上、ないごて此処におわす?」
「居って悪いか?
娘には夫を飽きさせぬのも妻の勤めと申しておこう」
「そいだけは、平に、平にご容赦を!
アレにそげな事言ったチ聞かれたくなかで」
(忠隣も嫁の尻に敷かれている口か)
家久は温い目で眺めている。
「又六兄さ、俺いが領土の留守居、あいがとごわした。
お陰で存分に槍働き出来もした」
「おはんの噂は、海一つ挟んだ出水にも聞こえて来たぞ。
……殺し過ぎじゃど。
恨みが溜まっておらんと良かが」
「俺いはそれでしかお家の役に立てんからの。
まあ、近々首供養しに行って来んでな。
ところで、出水に変わった事は無かですかい?」
「そんこつよ!
おはん等も付き合え。
大兄サに書状は出したが、口伝えもせんと」
歳久、家久、忠隣、豊久は義久の元に向かう。
義久の部屋には、まだ忠長が詰めていた。
「左衛門督、出水留守居大儀」
「ハハッ、お館様に置かれてはお変わり無く、お慶び申し上げもす」
兄弟だが、公式の場であり、堅苦しく挨拶を交わす。
「兵庫頭(義弘)殿はまだ此方には参られておりもはんか?」
「兵庫はスパルタに直行しおった。
稚児どん鍛えるのが楽しいそうじゃ。
又八郎(忠恒)殿があん歳で政治一切を任され、嘆いておっとじゃ」
「そん政治の事じゃ。
お館様は書状は読まれましたな?」
「うむ」
「俺いは間違っておりもした。
こん地では八公二民の年貢は通じもさん。
やり方バ変えんと我等、こん地で生きていく事出来もはん」
歳久はアナトリアで学んだ事を語り出した。
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島津家久がオスマン帝国から奪い取ったアナトリア半島の領土は、黒海やエーゲ海の沿岸地域だけである。
内陸への進出を嫌った。
家久が西方軍指揮官として十字軍と戦っていた時、アナトリアの領土は島津歳久が留守居役として、家久次男の東郷忠仍を補佐して守備していた。
歳久は、家久がかつて追い出したトレビゾンド帝国やクリミア・ハン国の動向を監視する。
そして領内を見回る。
「あいは稲穂じゃ無かか!!」
歳久は黒海に面した地域で水田を発見した。
『戦闘すれども統治せず』な弟と違い、歳久は出水島津領は安定した税収が見込めると考え、徴税計画を立てる。
元オスマン帝国の徴税役人を呼び、彼の考えを語った。
「収穫の八割が税なのですか?」
ビザンツ帝国と隣接している為、この地の知識人はラテン語やギリシャ語を話せる。
歳久にもラテン語やギリシャ語の通訳がいる。
間が入ってややこしいものの、徴税役人は思い当たる事が有る為、歳久説得を試みた。
「こいは何じゃ?」
歳久は、徴税役人が自分の前に差し出された短刀を見て尋ねる。
「私の言う事に間違いが有れば、その刀で私を殺して下さい」
役人の必死さを受け止めた歳久は居住まいを改める。
「ご領主様は米を食べますか?」
「うむ、米は豊葦原瑞穂国の誇りにして、これさえ食えれば生きていける五穀の長じゃ」
「ご領主の国は米を税としていますな?」
「そうじゃ。
そいが何か?」
「このヨーロッパとアジアでは麦が主食です。
ほとんどの地域で麦を植えています」
「ほうじゃの。
視察して分かった。
で、一体何なのじゃ?
ハッキリ言え」
「麦は米程収穫出来ないのです。
八割を税として取れば、米農家は生きていけますが、麦農家は餓死するしかありません。
八割という税は、どうか止めて下さい」
そう言うと頭を下げた。
歳久は愕然としている。
彼は農政の専門家ではない為、麦の事は知らなかった。
薩摩国は桜島の噴火で灰が降り、米の収穫が良くないとされる。
その為、麦や雑穀の栽培も推奨されている。
だが、税こと年貢と言えば米であり、雑穀は農民の食べ物として見逃されていた。
転移した薩摩半島も、相変わらず稲作をしている。
薩摩の農家が税率八割で生きている為、島津家は他の場所で農民が餓死したり、計算した程の収穫が得られないのは、怠けているせいだと考えていた。
その為、農民に暴行を加え、怠け癖を直そうとして逃散される。
麦と米は違う。
それが判れば、全ての事が理解出来た。
自分たちの政策の間違いも。
目の前の役人は、代々徴税を請け負っていたそうで、帳簿も提出した。
確かに米に比べ、麦は収穫率が低い。
だが歳久には疑問が幾つも有り、問い質さずには居られない。
「ないごて誰も、こん事を言わんのじゃ?」
(言ったら殺されると思うからだよ!)
そこに居た薩摩人以外の全員が心の中でツッコミを入れた。
口には出せない。
「これまでは言葉が通じず、上手く伝わるか自信が無かったからでしょう」
(上手い! そういう事にしておこう)
「なる程のお。
確かに言葉が通じんと、頼み事も出来んの。
じゃったら次の疑問じゃ。
ないごておはんら、米じゃのうて麦を植えちょるんじゃ?
米ん方がよう採れるのは、知っておるじゃ無かか」
役人は説明する。
ヨーロッパの事情は知らない。
この小アジアでは水は貴重だ。
黒海沿岸地域でないと水田は作れない。
収穫率の良さは知っているから内陸でも栽培しているが、主に陸稲である。
古来より麦を植えて来た。
麦の事はよく知っている。
米は貿易により、インドの方から入って来た。
だから、栽培方法を詳しく知っている訳ではない。
麦は寒さに強い。
米はその時に全滅してしまった。
また、水田からは蚊が発生する。
その蚊の害と、病気が流行する。
「それが一部の地域以外では、米を植えず、麦を作り続ける理由でございます」
「よう分かった。
最後の疑問じゃ。
ではオスマン帝国はどうやって遣り繰りしておっとじゃ?
こげに取れ高が低く、年貢も取らんでは、兵を養う事も出来んじゃろ?」
回答は貿易である。
西欧の文物を東に運び、東の香辛料等を西に売る。
故にビザンツ帝国の地の利が欲しかった。
故にヴェネツィアやジェノヴァとは共存関係にある。
共存関係であり、かつ競争相手でもある。
島津歳久は、諫言した徴税役人の手を取り
「よくぞ教えてくいもした。
あいがとごわーた。
間違いに気が付かんでいっちょったら、わいら一揆の中で死んじょったじゃろう。
よう、諫言しやった。
迷惑かもしれんが、これからも教えてたもんせ」
そう頭を下げた。
そして歳久は計算をする。
豊臣秀吉と戦おうとしていた島津家は、薩摩・大隈・日向・肥後・豊後に版図を持ち、肥前の龍造寺家は屈服させていた。
それらの地域から兵を出し、更に勝ちに乗じて参加して来た他国衆も合わせ、七万を超える兵力を動かしていた。
しかし、兄の絶対撤退命令が出て、五万が薩摩に、二万が大隈に退いた。
そしてあの桜島の謎の発光と転移。
豊臣政権のような検地はしていないが、大体の取れ高と維持可能兵力は計算出来る。
薩摩一国では米の取れ高およそ三十万石。
百石あたり七人の兵を養えるとして、薩摩だけだと二万一千を維持出来る。
しかし、転移した際の兵力は他国者も入れて五万。
これでは薩摩国は食い尽くされてしまう。
そこで、ビザンツ帝国皇帝の威を借り、東ローマ帝国再建を大義名分として外に領地を求めた。
そして、土地だけは得られた。
なのにその土地は、兵を養えるだけの穀物を生まない。
だから更なる領土拡大戦争を起こしたが、兵站の弱い島津家はそろそろ限界を迎える。
幸い、と言って良いものだろうか、一連の戦争で兵を一万近く失った。
食い扶持を減らす事が出来た。
それでもまだ、薩摩の国力で食わせられる数の倍が居る。
あと数年は何とかなる。
略奪で得た物資が豊富に有るからだ。
だが、それを過ぎたら?
周辺地域はもう食糧が無く、農民も逃げた。
彼等が怠けた結果なら、農民を入れ替えれば解決するだろう。
しかし、現実は「麦は米程に兵を養えない」という冷たい事実がある。
頭を捻って歳久が出した結論は
「兵たちに奪った土地を与え、米を作らせよう」
であった。
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「それが俺いの献策ごわりもす」
「うむ」
「上方の兵と違い、我等は田畑を守る武士にて、特に難しか事は有りもはん。
お館様も、先の戦の恩賞をどうするか、お悩みの事と察しもす。
薩摩者だけなら黙らす事も出来ましょうが、他国者もまだ二万程残っておりもす。
彼奴等に恩賞を与えずば、薩摩を離れ、他国に仕官しもそう。
さすれば日ノ本鎮西の兵、雇いし国は強くなりもんそ。
あのワラキア公ヴラドに鎮西侍が多数仕えたとか考えたら、頭が痛くなりもす」
「確かに脅威じゃ。
あん男は危険じゃ」
「そうごわす。
俺いどんらは、あん男が仕掛けた捨て奸で苦労させられ申した」
そういう事で、島津家は新方針を立てた。
恩賞としてブルガリアの捨てられた村や荘園を与える事にした。
今迄は地頭として年貢を取る権利を与えるだけだったが、土着して戻って来ない可能性も考慮の上で「領地」として認める事にしたのだ。
武士の本懐は「一所懸命」。
領地を与えられた、特に他国の武士は泣いて感激し、郎党を率いて下向した。
日本人は長年稲作をして来たせいか、水田由来の病気(寄生虫症等)に免疫や対策が有る。
稲作農業指導者としても、下向する武士への期待は大きい。
島津歳久、忠隣父子は、ブルガリア守護の役目を与えられ、下向した武士や現地住民、セルビアやアルバニアとで摩擦が起きた時に備えてブルガリアに入った。
薩摩総兵力四万の内、二万がブルガリアやギリシャ北部に移住した。
スパルタ島津家に二千、出水島津歳久に五千、そしてブルガリア守護の警固隊として三千が薩摩の外に出ている。
薩摩には、当主島津義久と、一万の兵が残った。
その手薄となった薩摩に、先年の報復としてクリミア・ハン国軍が攻め寄せて来た。
陸軍2万と海軍3千。
薩摩本国に再び敵が踏み込んだ。
おまけ:ビザンツ帝国のサツマニア調査
コンスタンティノス11世の御前に宦官が礼を取っていた。
この宦官は、東洋風の顔立ちを見込まれて、謎多きサツマニア属州に入り込んで調査を行なっていた。
彼等は何者で、どこから来たのか?
宦官は薩摩弁を覚える事から始めた為、報告までに3年を掛けてしまったが、きっとそれに見合う情報を得られたと思う。
拙い薩摩弁ながら、農民、兵士、神官、役人らから幅広く話を聞けたからである。
宦官は語る。
「彼等はジパングから来たもので間違い有りません。
中国と交易し、蒙古と戦っています。
寺院には蒙古撃退の呪文が残っていました」
「原始的な風習が残っているのだな」
「しかし、実際に強力な嵐が起こり、蒙古を撃退したそうです」
「言い伝えだろう?」
「その嵐を呼んだ事への感謝状が遺っていました」
「……まあ、それは後に回して……。
ジパング人にしては随分貧しいではないか。
その理由は?」
「ジパングは大きく3つの島から出来ています。
最大なのはキョー島で、そこに彼等の皇帝と将軍が住んでいます。
キョー島には黄金の寺院や黄金の神像が在るそうです」
「黄金の国というのは嘘ではないか。
サツマニアはキョー島では無いのだろう?」
「はい、サツマニアはチンゼーという、あのような国が9ヶ国ある島に在ったそうです」
「あんな国が他に8ヶ国もあるのか?」
「それが、シマンシュ家は9ヶ国の内、3ヶ国を支配していたそうです。
同等の強国があと2つあったと」
「サツマニア並の強国が2つか。
それでも十分恐ろしい。
どのような国か?」
「龍造寺家と大友家です」
「龍族国と巨人族国だと?」
「ギガンテスはキリスト教国ですが、ドラゴニアはキリスト教徒を見つけると殺して喰らうそうです」
「なんて国だ。
蒙古が負けるのも理解出来る」
「そのドラゴニアの王である熊を倒し、ギガンテスを征服ところでしたが、ギガンテスの国王ドン・フランシスコはキョー島に援軍を求め、キョー島の支配者である猿との決戦に備えていたそうです」
「待て、キョー島には皇帝と将軍が居ると言ったではないか。
何故猿がキョー島を支配している?
ドラゴンの王が熊なのもよく分からんが」
「キョー島で異変が起こり、第六天魔王が降臨して将軍を倒し、皇帝を手元に納めました。
ルシフェルは禿頭王に殺されたそうですが、ルシフェルの飼っていた猿が禿頭王を倒し、支配者にのし上がりました。
その猿は、無限に黄金を生み出す魔力があり、人間は全てその猿に屈服したそうです」
「その猿とシマンシュは戦う前に、こちらに飛ばされたというのか」
「そういう事です」
続いて、サツマン人について問う。
「ゲルマン人がブルグントやゴート、ヴァンダルといった部族に分かれるように、サツマン人も複数の部族に分かれています」
「それぞれを聞かせろ」
「最も多いのはハヤトン族です。
元々サツマニアに住んでいた為、サツマン・ハヤトンと呼んでいます。
小さく毛むくじゃらで力が強い、火山と共に暮らす人類です。
次にモッコス族がいます。
元々ヒゴという国に住んでいて、気質は極めてハヤトンに近いものの、ハヤトンのように一つの旗に纏まる事無く、小集団で争い合う民だそうです。
モッコス族もアソという火山と共に暮らす民だから、性質が似たのでしょう。
ハヤトンは豚を食べますが、モッコスは馬を生で食べます」
「……人外魔境だな。
他には居ないのか?」
「あとは日向者供です。
あのイェヒ・シマンシュの領地がヒューガ国で、それに支配されている民です。
軟弱だとハヤトンやモッコスに馬鹿にされていますが、ヒューガノイドは単に柑橘系大好きな普通の人間です」
「そうか。
大儀であった。
我々が普通に商売をするならヒューガノイド以外にあるまいな」
まあ、薩摩弁を完全に理解していない為、こんなものであった。
(ジパング残り1島は死国)




