騎士道というもの
ブルガリア・ワラキア国境付近で島津義弘と対峙しているポーランド・リトアニア連合国軍。
5対5の騎馬戦に、弓の腕比べ、相撲対レスリング対決と、こちらは戦争中とは思えない和やかな雰囲気であった。
いつの前にか、遠巻きに流浪の民たちが商売を始め、隠れていた農民が試合を見物に来ていた。
島津義弘とカジミェシュ4世は書状を交換し合う関係になっている。
そんなカジミェシュ4世は、島津軍が僅か千人程に減っているのは、とっくに気付いていた。
それでも攻める事をせず、時には島津軍に食糧や酒を差し入れたりしていた。
島津軍も礼として、島津義弘が会得した医術を伝えたり、刀を贈ったりする。
カジミェシュ4世は、カルマル同盟軍が近づくのを待っていた。
それは戦う為ではなかった。
カルマル同盟軍、ブランデンブルク・クルムバッハ辺境伯軍があと3日で到着するという時、カジミェシュ4世は島津義弘に和睦を前提とした会談を申し込んだ。
意外な申し出に義弘は驚いたが、応じる事にする。
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「手紙では知っていましたが、こうしてお会い出来るとは光栄です」
「儂も国王陛下とお会い出来るのを誇りに思っと。
じゃっで、陛下の兵児と戦えるのを楽しみにしちょちりもした。
ないごて和議になりもんそう?」
「我々が卑怯者にならない為です」
「卑怯者やと?」
「貴殿の兵力は千名もいない模様。
そんな少数を大軍で叩くのは、騎士道精神に悖ります」
「儂らを甘く見んで欲しか。
十倍や二十倍の差など、無いに等しか!」
(何を言ってるんだ、この人は?)
カジミェシュ4世と同席しているドイツ騎士団総長ルートヴィッヒ・フォン・エルリックスハウゼンや、リトアニア貴族連合議長ヨナス・ゴシュタウタス、モサーリスク公ヴラディーミル・ユーリエヴィチらは首を傾げる。
たった千人で勝てると思ってるのか?
というか、十倍や二十倍で差が無いとか、言ってる意味分かってんのか?
だが、島津義弘を見てみると、勝てると思っているどころでは無い。
勝って当たり前、負けるなんて有り得ないって表情をしている。
随員の川上久隅や東郷重位も同じ表情であった。
(こいつら、おかしい。
そんな奴等とうちの国王/大公はどうして話が合うのか?)
常識外れの連中と和かに接するカジミェシュ4世を部下たちは訝った。
彼等とカジミェシュ4世の関係は、東洋的な君主と家臣ではない。
封建社会の主従関係で、同盟者や神輿として担いでいるような関係である。
ヨナス・ゴシュタウタス等はカジミェシュ4世をリトアニア大公として迎えた首謀者で、ポーランド王として過ごしているカジミェシュ4世に代わってリトアニアの地を統治している。
「貴殿達には敬意を持っている。
余も戦ってみたかった。
だが、間もなく援軍が到着する。
余は貴軍に五十倍する兵力で戦うを望まない。
主に余の側の問題なのだ。
余の誇りが、たとえ貴軍が圧倒的に強かろうと、5万対千人の戦いをする事を許さないのだ。
余の誇りを分かって頂けるだろうか?」
島津義弘は
「分かっど。
よお分かっど!」
と肯定した。
背後では川上、東郷が尤もだと肯いている。
(どうしてだ???? こいつら、変!)
これにて島津義弘軍とポーランド・リトアニア連合軍の和睦が決まった。
連合軍は撤退する。
島津軍はそれを追撃しない。
勝ち負けは無しだから、どちらかがどちらかに賠償金を払う事もしない。
「トーゴー殿だったな。
貴方の戦技は誠に見事だった。
戦えたのが我が騎士団の誇りだ」
「あいがとごわす」
騎士団総長は東郷重位を讃えた。
かくして連合軍は北に引き上げて行った。
「それでフリードリヒの動きはどうなっている?」
カジミェシュ4世の顔が政治家の顔になる。
彼は先頃ソフィア郊外会戦で島津家久に討ち取られたオーストリア公兼ハンガリー王兼ボヘミア王ラディスラウス・ポストゥムスの義兄であった。
義弟が敗死したのは衝撃だったが、同時に好機でもある。
ポーランド王は西方進出を目論み、プロイセン連合と手を組んだりしていた。
義弟の死は、その爵位や領土を妻(ラディスラウスの姉)に相続させる良い機会である。
だが周辺諸侯のそういった動きに先制してか、神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ3世は、生家ハプスブルク家の子女を帝国内の貴族と縁組させて勢力を広げようとしている。
無能と言われているフリードリヒ3世だが、こういう婚姻政策は達人のようだ。
全てを奪われる前に、カジミェシュ4世も領国に戻って西方政策に力を入れたい。
だから何の事は無い、騎士道精神を理由に、噂で聞くに真正面から戦ったら危険極まりない島津家とは和議を結んで、全軍無傷で引き上げたかったのだ。
敵前逃亡は不名誉だから、「戦いらしきもの」はして、後は後続に引き継ぐ形で戦場を無傷で去る。
そしてその目論見は成功した。
首都クラクフに戻ったカジミェシュ4世は、やはりソフィア郊外会戦で島津家久に討ち取られたフニャディ・ヤーノシュの次男フニャディ・マーチャーシュと組んでフリードリヒ3世と対抗し始める。
マーチャーシュはハンガリー王マーチャーシュ1世として即位し、オーストリア公の爵位を巡ってハプスブルク家と争う。
カジミェシュ4世は妻に出来るだけ遺領相続させて、自領を増やす。
それに手を打つハプスブルク家に対し、マーチャーシュ1世と共同戦線を張る。
こんな政争中のカジミェシュ4世が、己の判断が正しかったと思わせる報がもたらされる。
島津義弘の千人の軍が、カルマル同盟とブランデンブルク・クルムバッハ辺境伯の連合軍1万2千を撃破したのだ。
(あいつら、やっぱり普通じゃない)
リトアニア宰相ヨナス・ゴシュタウタス等はそう思って身震いした。
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ポーランド・リトアニア連合軍と入れ替りに島津軍の前に立ったカルマル同盟クリスチャン1世と、ブランデンブルク辺境伯ヨハンだったが、彼等もまた神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ3世の行動に迷惑していた。
ヨハンの生家ホーエンツォレルン家は、ブランデンブルク選帝侯として、神聖ローマ帝国皇帝の選挙権(選定権)を有する由緒ある家である。
その長男ヨハンは錬金術に熱中し過ぎて選帝侯を相続出来ず、クルムバッハ辺境伯とされた。
その娘婿がクリスチャン1世である。
故に神聖ローマ帝国の動向には影響を受ける。
選帝侯含む様々な諸侯にハプスブルグ家が工作している為、戦地に長居せず、早くヨハンをクルムバッハの領地に戻してやりたかった。
ここでヨハンが戦死や不名誉な行動で諸侯として相応しくないと見做されたら、クルムバッハ辺境伯位の相続にハプスブルク家が介入して来るかもしれない。
さっさと一戦し、ヨハンを無傷で領国に戻したい。
……のだが、何故か当事者たるホーエンツォレルン家のヨハンの方がのんびりしている。
焦ったクリスチャン1世は、到着早々拙速に島津軍を攻撃してしまった。
島津義弘は川上久隈ら川上党を右翼に、肝付兼寛・禰寝重張ら肝付党を左翼に展開させ、自らは正面攻撃をする。
大軍が集中して突っ込んでくるのに対し、少数が三方に分散し、守りを固めず攻め有るのみという常識外れな戦い方である。
カルマル同盟は、デンマーク、ノルウェー、スウェーデン、シュレスヴィヒ、ホルシュタイン、アイスランドといった地域の同君連合で、到着が遅れたのもこれら北方の兵を集結させるのに手間取ったからだ。
そんな軍が到着早々、疲労のピークで仕掛けたのは完全な失敗である。
クリスチャン1世に余裕が有ったなら、敵は少数の方が恐ろしいという噂くらい聞いたかもしれない。
カジミェシュ4世も「本国に不安が有る」とだけ伝えて陣払いした為、クリスチャン1世は敵軍は僅か千人という情報以外持っていなかった。
大した騎士道である。
数に物を言わせて瞬殺して帰ろうと思っていたら、彼等の祖先のバイキングもビックリの猛烈な連中が湾刀や長柄についた刀を手に三方から奇声を上げて突っ込んで来たのである。
まさか自分たちが切り込み攻撃されるとは思ってなかったカルマル同盟軍は、寄せ集めである事も手伝って四散して敗走する。
それで良かった。
下手に長く抵抗していたら悲惨な事になっただろう。
馬鹿を見たのはクルムバッハ辺境伯ヨハンである。
何が何だか分からない内に敵に殺到され、兜を薙刀で殴られ、気絶して落馬した所を捕縛されてしまった。
島津義弘の元に連行されたヨハンは、敵軍の将として打ち首、晒し首になる所だった。
彼の命は、彼の趣味を知っている者によって救われる。
本当に救われたのか……それは何と言って良いか分からない。
「彼は錬金術伯です」
「錬金術とは何ぞ?」
「石や鉄を黄金に変える術です」
「そげな術が有っとな!?」
「酒を、より酒精の強い物にも変えられます」
「そいは凄か!」
「人を不老不死にも出来ます」
「そいは別に興味無か」
「不死身の兵士も作れます」
「死なん兵児になるくらい、気合次第で誰でも出来っじゃろ」
こうしてヨハンは薩摩に連行される。
クリスチャン1世は岳父を救うべく、身代金を支払うと言って交渉を始めるが、島津側に断られ続ける。
「命バ取りもはん。
丁重に、客人としてお迎えしたか。
申し訳無かばってん、お返し出来申さん」
(※島津用語で客人=自分の家の為に無償で労働してくれる有難い人)
やがてホーエンツォレルン家の方から、ヨハンの弟のアルブレヒト・アヒレスをクルムバッハ辺境伯位に就けたと言う事後報告が有り、解放交渉は打ち切られた。
ヨハン・フォン・ブランデンブルク氏は薩摩で思う存分錬金術に打ち込む事になった。
島津家は研究費として金は出す。
成果が出ないと手も出す。
だが、研究内容について口は出さない。
ヨハンは、薩摩の風習で盆休みと正月だけは三日ずつ休みを貰えたが、それ以外の日は休み無し、研究費は潤沢だが個人で使える金は無し(米で支給される)、食事は用意された物のみという、後世ブラック企業と呼ばれるような島津家の国家錬金術師にして錬金術奉行となる。
名ばかり奉行で、日々残業、毎朝早朝出勤、報酬無し労働は当たり前だったが、何故かヨハンは楽しそうであった。
そして、このヨハンの錬金術の研究が、薩摩の化学や薬学を飛躍的に発展させる事になるのだった。
こんな感じに大軍が集結すれど、実際に戦うのは少数で、キリスト教国同士が足を引っ張り合ってgdgdで終わるのが十字軍だと思ってます。
島津に限らず、ヨーロッパ諸国も自国だけで戦った方が相当に強い(ヴラド3世とかスカンデルベグとかそうだし)。
島津も他国衆入れた大軍だと余り強くないし(頭はおかしいけど)。
なお、薩摩の国家錬金術師に任されたヨハンのお仕事は
・鉄砲の強化と大砲の鋳造
・火薬の量産
・窯業の振興
・薬の開発
・在庫が切れた魚醤の開発、製造
・塩田の開発
・農業用肥料の改良
・水持ちの悪い土壌改良
・金銀銅の採掘と精錬
等等。
薩摩も協力的なので、人体実験の材料は大量にいます(主に捕虜)。




