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薩摩軍対フスの戦車隊

 かつてフランス国王ヴァロア家を救った女性がいた。

 アキテーヌ公兼イングランド王とブルゴーニュ公の連合によって、首都パリも、即位のための聖堂があるランスも押さえられた。

 フランス王国王位は空いていた。

 前国王の王妃イザボール(淫乱とされる)が、

「あの子は国王の子では無い」

 と言った為、王太子シャルルは「私生児シャルル」と呼ばれ、自力でアキテーヌ・ブルゴーニュ連合を破らない限り王位に就けそうになかった。


 「乙女(ラ・ピュセル)」は突如現れた。

 彼女が起こした幾つかの奇跡を見て、シャルルはジャンヌに賭けてみることにした。

 ジャンヌは勝った。

 軍事教育の一つも受けた事がない少女は、神懸り的な火力の運用で敵軍を撃破する。

 オルレアンを解放し、シャルルをランスで即位させた。

 だが、敵と内通の疑いがあるブルターニュ公の弟リュッシモンを信じるようしつこく迫るジャンヌを、国王シャルル7世は疎ましく感じるようになった。

 やがて彼女を軍事的に支える将軍たちを転属させられたジャンヌは、そのまま戦場に赴き、捕らえられる。

 捕虜解放の身代金を、シャルル7世は出さなかった。

 そして「神より与えられた性を否定し、男装する魔女」という汚名を着せられ、ジャンヌ・ダルクは火刑されて消えた。


 その後、シャルル7世はジャンヌの言の正しさを知り、リュッシモン元帥と和解する。

 シャルルとリュッシモンは、ブルゴーニュ公とも和解し、アキテーヌ公即ちイングランド王を破って、彼の持つ大陸の領土を奪い取る。

 こうしてフランス王位を狙ったフランス貴族アキテーヌ公は、もう一つの領土イングランドの王のみとなった。

 この年、薩摩が何故か転生して来る。


 このアキテーヌ戦争中、不思議な事件が起きた。

 フランスと神聖ローマ帝国の国境、自由都市メス(ドイツ語でメッツ)に

「私はジャンヌ・ダルクです」

 と言う女性が現れたのだ。

 ジャンヌの家族が本人と認め、彼女はロレーヌの領主と結婚し、話題から消えた。

 フランスでは最近、母親の訴えにより、ジャンヌの復権を求める裁判が起こされている。

 かつてジャンヌを魔女とした司祭はイングランドに買収されていた為、新たな宗教判断を求めたのだ。


 その訴えがローマ教皇庁にも届いた時、ジャンヌ・ダルクを名乗る女性が現れたのだから騒ぎになる。

 教皇は周囲を退け、ブルゴーニュ公フィリップとジャンヌ・ダルクを名乗る女性とのみ話す。

 簡単に言うと、ジャンヌ・ダルクは3人いたという。

 1人はドン・レミ村で神の啓示を受けたという少女。

 彼女が「乙女(ラ・ピュセル)」ジャンヌである。

 彼女は戦いの前になると、ガタガタ震え、涙を流していたという。

 2人目は見た目はよく似ているが、勇敢な「オルレアンの解放者」ジャンヌである。

 味方の士気を上げる為、「乙女」の身代わりとなって敵陣に先駆けた女性だ。

 彼女はパリ包囲戦争で首に矢を受けて死んだ。

 直ぐに「乙女」ジャンヌが勇気を振り絞り、無事な姿を見せた為、ジャンヌは奇跡を見せたとされる。

 そして、影武者亡き後は自ら馬上にあって、ブルゴーニュ軍に捕まり、イングランドに処刑されたのも「乙女」ジャンヌである。

 では今いるジャンヌは?

 度々イングランド軍を撃破した「名将」ジャンヌである。

 ジャンヌ・ダルクの支持者アランソン公の縁者で、女ながら砲術の才が有った。

 体付きはともかく、顔が違う為影武者としては活動せず、作戦立案時にのみジャンヌ・ダルクとして振る舞い、無学なジャンヌに代わりジャンヌ・ダルクの署名で手紙や命令書を書いたのが彼女である。

 戦場では覆面をしてジャンヌに寄り添い、司祭ジャン・パスクレルとして指揮を補佐していた。

 この影のジャンヌが今更姿を現した理由は一つ、自分の活躍に免じて「乙女」ジャンヌの汚名を晴らして欲しいという事だった。

 教皇は肯き、きっとジャンヌ・ダルク復権に力を貸すと約束した。




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 このように、宗教の存在は重い。

 それでいて、イングランドに買収された司祭がいたりと、教会が腐っているのも確かであった。

 心有る者はカトリックを改革しようと志す。

 そのやり方の一つ、ルター派や清教徒(ピューリタン)、英国国教会をイグナトゥスは憎んで、薩摩と組んで発生前に潰す気でいる。


 だが、宗教改革は既に始まっていた。

 チェコのプラハ大学にヤン・フスという宗教学者がいた。

 金で罪を許す「免罪符」を批判し、聖書に立ち返るよう訴えた。

 そして裁判で異端とされ、処刑される。


 だが、腐敗した教会でなく、清廉なフスを支持する者も多かった。

 そのフス派はプラハの一大勢力であったが、ボヘミア王が異端となる事を恐れ、プラハの町をローマ教皇に帰順させるべくフス派の参事会を解散する。

 それに怒ったフス派が、プラハの市庁舎を襲撃し、カトリックの参事会員を窓から投げ落として殺害する。

 このプラハ窓外放出事件をきっかけに、フス戦争が始まる。

 フス派は、積極的に火砲、バリスタ、弩を装甲馬車(ターボル)に積み込み、移動可能なトーチカとして利用して戦う。

 このターボル戦法に、派遣された十字軍は何度も敗退する。

 フス派は内部分裂により衰退し、最終的には敗北した。

 薩摩が転移して来る僅か十四年前の話である。




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 フニャディ・ヤーノシュは、このフス派残党を傭兵として使っている。

 よって四輪の装甲馬車(ターボル)戦法も取り入れていて、オスマン帝国のメフメト2世に勝った事も有った。

 これまでの島津との戦いでは、少数の敵を侮って油断していたのだが、鬼島津の穿ち抜きの威力を目にし、本気になる。

 防御力と火力を併せ持つ装甲馬車(ターボル)部隊がトランシルヴァニアに展開し、島津軍と戦うべく南下を始めた。


 フニャディと激突する島津の西方軍を指揮するのは中務大輔家久の八千の兵である。

 先鋒島津豊久は、待って迎え撃つ事を嫌い、千二百の自軍をワラキアとトランシルヴァニアの国境付近にまで深入りさせていた。

 フニャディ軍も二千の装甲馬車(ターボル)部隊を出撃させる。

 トランシルヴァニア山脈を抜ける街道の町・ペトロシャーニ付近で両軍は激突する。

 ここを封鎖すれば十字軍主力、神聖ローマ帝国とハンガリー王国軍は南に進出し辛くなる。

 両軍それが分かるだけに、相手に渡すまいと激突した。

 フニャディ・ヤーノシュの長男フニャディ・ラースローは歩兵を突撃させて時間を稼ぎ、その間に装甲馬車(ターボル)を連結させ、火砲を準備する。

 2百人ばかりの歩兵は、適当に戦って後退する筈が、島津豊久隊の猛攻を受けて、予定より早く壊滅してしまう。

 敵本隊を求めて前進した豊久隊の目の前に、城壁が見えて来た。

「違うど!

 あいは山車(だし)やぞ」

 祇園祭の山車とは違うのだが、何というか、車に板壁が貼られ、そこに銃眼が開き、大小の砲が狙っている。

 もっともフニャディ・ラースローにしても

(こんなに速いのか!)

 と、万全な準備が整う前に殺到して来た島津軍に驚いていた。


「いかんちゃ!

 退け! 退け!」

 島津豊久は射程外への退避を命じたが、装甲馬車(ターボル)からの攻撃で犠牲が出る。

「盾、前へ!

 竹束バ持って種子島(てっぽう)隊は反撃!」

 不本意ながら島津豊久は、盾や竹束を防御壁とした銃撃戦に突入する。

 そして、銃撃戦はハンガリー軍有利であった。

 二匁玉の薩摩筒は装甲馬車(ターボル)を破壊出来ず、盾や竹束は装甲馬車(ターボル)の大砲には無力だった。


 島津豊久の反射神経は良い。

 数合で(勝てない)と理解した。


「退くど!

 俺いが殿(しんがり)を務める。

 皆は親父(おやっど)、島津中務の陣まで退いて、敵軍の山車(だし)んこつを伝えよ!」


……こう言われて逃げる薩人はいない。

 伝令だけを島津家久本隊に送ると、残りは散開して森に簡易防御陣を作り、迎撃、捨て奸(がまり)の態勢に入る。

「若殿こそ、早く退きやい。

 ここはわいらが食い止めもんそ」

「そうじゃ、そうじゃ。

 若殿が退かん内はわいどん等も居残っど」

「主ら、俺いが命を聞かんか!」

「聞けもはんな。

 二十歳にもならん若造(にせ)を死なせるよりは、わいらが死ぬるったい!」


 誰が死ぬとか不毛な話をしているが、敵は追撃して来ない。

 装甲馬車(ターボル)は布陣し、連結する時に、運搬する為の馬を外す。

 故に火力と防御力は有るが、機動力は全く無い。


「来んな……」

「来ませんな……」

「退くか……」

「そうしもそ……」

 拍子抜けした豊久たちだが、退くと決めたら脱兎の如く、トランシルヴァニアはおろか、ワラキアも駆け抜けてブルガリアまで戻った。




「してやられもんした」

 豊久は敗北を報告する。

 そして絵を描いて、敵の戦車について報告する。

 家久は黙ってその絵を睨んでいたが、

「俺いは帝都(コンスタンティノープル)に行って来る。

 又七郎(豊久)、三郎次郎(忠隣)、おはんら俺いが戻るまで陣を維持せい」

 そう言った。

 知将歳久の養子、島津忠隣は

「井楼を建てても良かとですか?」

 と尋ねる。

 高く組んだ戦闘用櫓、車輪がついていて、これも戦車として使える。

 応仁・文明の乱の頃、洛中の戦いで使われたが、近頃はそれ程使われていない。

 だが、敵の戦車相手なら、これが良いかもしれない。


「作って守るのは良か。

 じゃが、何時でも打って出られるようにしとけ。

 俺いは合戦で、そん戦車(いくさぐるま)バ葬ってやるつもりばい」

 島津の名将が生き生きとし出した。

島津四兄弟が生きていた時代より百年前のヨーロッパ、VLAD様だけが面白い訳じゃないです。

フス派のターボルなんてのも、人物じゃないですが薩摩と戦わせたいものでして。

もうちょっと前だとヤン・ジシュカというターボル戦の名人がいたのですが、彼や本物のジャンヌ・ダルクの時代だとVLAD様は居ないし、他にも居るヨーロッパの個性的な奴等とも戦えないので、あれもこれもは無理です。

出せる奴等と島津家を戦わせまくります!




おまけ:ヤン・ジシュカ対薩摩軍

「敵が極端に長い紡錘陣形を取って突っ込んで来ます」

「よし、中央は後退、左右両翼は前進。

 半包囲陣形で火力を一点に集中せよ!」

「敵の足が止まりました!」

「よし、全軍、逃げろ!」

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― 新着の感想 ―
ジャンヌダルクが3人いたというのは面白い説ですねえ。 元ネタ本があれば教えてほしいです。
[良い点] オマケに吹きましたw どこのミラクルヤンw
[一言] 「乙女戦争」ですね。ウォーワゴン戦術対策にフランキ砲の野砲化や「ドリフターズ」の抱え大筒や「衛府の七忍」みたくチェスト種子島(18連装斉射銃)が欲しい。
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