鹿児島勅令
コリントス地峡会戦は、鬼島津の名を高めた。
ラルウァはラテン語で、ワラキアでは「カプカウン」、セルビアでは「アウゲル」と呼ぶ。
要するに「悪鬼」である。
兜の鍬形の形からも、島津義弘の想像図にはどれも三本の角が生やされるようになった。
島津義弘の大勝利は、ブルガリアで反島津勢力に包囲されていた島津忠長・伊集院忠棟の部隊を救う。
悪鬼が援軍に来ると噂になり、包囲軍は浮き足立った。
島津軍は城を打って出て、包囲軍を殲滅すると、捕虜を撫で斬りにした。
『ドラキュラ』ヴラド3世に仲間を串刺しにされた意趣返しもあったのだろう。
だが、この反島津軍は虐げられていたブルガリア人農民や零細騎士だった為、彼等を皆殺しにした結果、更に生産力は落ちた。
そこで島津西方軍は長駆遠征し、セルビア王国に侵入して乱取り(略奪)をする。
セルビア王国は、オスマン帝国との戦いに負けて君主はセルビア公に格下げされていた。
そのセルビア公は先日のコリントス会戦で戦死した。
君主不在だが、8千から1万の兵力を動員出来るセルビアは、島津西方軍と戦って何度も撃退する。
ようやく島津の鉄砲では、騎士の重装胸甲を貫けない事を理解し、セルビア軍は落ち着いた戦いが出来るようになった。
……勝とうが負けようが、セルビアの農村が戦場になっている事に変わりは無い。
荒らされて収穫が見込めない畑を捨てて農民が逃散する。
同様の農村荒廃はワラキア公国でも発生する。
島津西方軍のワラキア遠征において、途中脱落した三千人程の武士や足軽、彼等は食糧が得られない内にどんどん堕落し、何十もの盗賊集団に身を落とす。
この盗賊集団が、焦土作戦で疲弊したワラキアの農村を襲撃する。
ヴラド3世はこの賊討伐で忙しい。
更に問題なのは、反ヴラド3世派の貴族の中には、密かにこの日本人盗賊団と手を組み、ヴラド3世を失脚させるべく武器や食糧を補充したりしていた。
言葉?
共通の利害と、生活上切羽詰まれば、何となく分かるようになるものだ。
かくして「薩摩飢饉」は更に拡大する。
東欧の食糧事情は悪化し、難民が西側を荒らす。
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「ないやて? 皇帝陛下が鹿児島サ行幸なさっと?」
島津義久の元に、コンスタンティノス11世と主教や文官武官が揃って鹿児島訪問するという報せが届いた。
島津が担いだ権威で、大暴落していた権威だったが、各地征服の為にはこの権威を最大限に利用したい。
故に権威を蔑むような事はせず、祭り上げる必要がある。
義久は沿道の農民に清掃を命じ、無礼が有ったら即刻斬首と触れを出した。
また福昌寺に寄進をし、貴人が宿泊するに足る御堂を急造した。
この福昌寺は、かつてフランシスコ・ザビエルが宿泊していた事もあり、曹洞宗の寺院ながら、そういう事には慣れていた。
イグナトゥスもヨーロッパ式礼法を説明し、無礼にならないよう研修する。
饗応役は新納忠元で、文化人・教養人である上井覚兼を補佐役に任じた。
上井覚兼は島津家久・忠豊に従って出水に居たが、使者を出して、この役目の為に借りた。
こうして島津家は準備を整え、皇帝行幸を待つ。
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「この国は貧しいな」
皇帝コンスタンティノス11世は案内された宿舎でそう宦官たちに語った。
荘厳なフレスコ画も無く、尖塔も無く、ステンドグラスではなく薄い紙で太陽光を取り込んでいる。
謎の聖画と座り込んだ異教の神の像はそれなりに立派だが、他の絵画は白黒インクの濃淡で描いたものばかりだ。
およそ華麗さ、派手さと程遠い。
皇帝は貧しいと見たが、彼が連れて来た芸術家たちは違った。
「こんな表現方法は初めて見た」
「これは神や天子ではなく、王侯でもなく、市井の人を描いているぞ」
「この陶器は美しいな。
青が、まるで吸い込まれそうだ」
薩摩の芸術ではない。
宋や明の水墨画、景徳鎮の陶磁器等、中国の芸術品である。
島津氏が貿易や貢物で手に入れた物を、寺に寄進したものであった。
だが、中間にイスラム諸国やインドを挟むビザンツ帝国は、中国の存在を知る者はいても、その芸術・美術を詳しく知っている訳ではない。
それでも東洋美術に触れた芸術家たちは、サツマニア様式という新しい美術を創り出す。
さて、饗応である。
本膳料理を基本にしたが、ビザンツ帝国の料理を知った島津義久によって魔改造される。
ヨーロッパの料理は大皿料理で、それを取り分ける。
それに対し、本膳料理は一人ずつ料理を取り分けた膳を並べる為、少なく見えてしまう。
「とにかくデカい皿を使い、大盛りにせよ」
「ばってん、そいでは膳に乗りませんばい」
「じゃったら膳も大きくすれば良い。
頭を使え!」
料理も
「豚肉料理を多くせよ」
と命じる。
「魚料理は切り身(刺身)も良か」
「醤も良かが、アレが良かばい。
ほれ、琉球から送って来た……」
「スクガラスとか言う、小魚の塩汁ごわすか?」
「そいじゃ!
ビザンツの者はあの味が好きたい」
「ですがお館様、琉球からの献上品はそれ程多くは有りもはん。
使い切るこつになりもんど」
「仕方なか。
まずは饗応に使うこっちゃ」
豚肉料理については
「茹で、焼き以外に料理なんて有るかいな?」
と賄い方は悩み、
「いつぞや、明国との抜け荷(密貿易)で薩摩入りした唐人(中国人)がおわしましたな」
と移住した明国人にも助けを求める事になる。
その為、椅子に座るビザンツ人に合わせた、膳ならぬテーブルを2人掛で運び、一皿は大皿サイズ、そこに大盛りの刺身や豚料理、山盛りの玄米といった、京の料理人が見たら卒倒する料理が出来上がった。
それはビザンツ皇帝他、7百人の随員も喜ばせた。
「サツマニアにも、こんな美味い魚醤が有ったのか!」
「塩だけで味付けされた豚肉も良い!」
「この陶器も良いが、これを飾らずに料理に使うのか!」
そういう囁きを聞いて、義久は満足であった。
(唐津に出征した時に、又四郎が略奪して来たのが役に立ったわい。
あん時は皿とか壺とか茶碗とか、嵩張るもんばかりで無駄やち思ったがの)
饗応が終わり、宿舎に戻った皇帝は、随員たちに聞いてみた。
「この国をどう思う?」
コンスタンティノス11世は、答礼でサツマニア州を訪れた体で、この国を調べに来たのだ。
随員は様々な分野の専門家である。
「金銀財宝の類は乏しいようです。
石造りの建物もほとんど無く、一見貧しく見えます」
「しかし絹や陶器、紙等の贅沢品は豊かです。
我々の紙とは違いますが、まさか捨てる程有るとは!」
「農民もだが、支配階級も豪華な生活はしていない。
草で屋根を作るとか、古代のガリア人やケルト人のような生活ですな」
「しかし、芸術品にも匹敵する刀を持っている。
それを飾らず、本当に戦争に使っている。
しかも美しいだけで無く、凄まじく鋭く、剃刀の切れ味と戦斧の破壊力を合わせ持っている」
つまりは、これまでヨーロッパやアフリカ、アジア(ビザンツ人の言うアジアは中近東の事)に現れた事の無い、異世界からの転移国家であると結論を出した。
イエズス会とか言う似非キリスト教の宣教師は、この地球は丸く、ヘラクレスの柱の先の海(大西洋)を更に進むと西インド(アメリカ大陸)が在って、更にその先に巨大な海が在り、サツマニアはその海の先に在るジパングの一部だと言う。
寝言も大概にするが良い、と聖書を否定した宣教師は火炙りとした。
また別の宣教師は、アジアの先に在るインド、その先には超大国中国が在ったが、あの蒙古によって征服されてしまった。
蒙古は、海の彼方にある黄金の国ジパングを征服しようと兵を送ったが、撃退された。
サツマニアはそのジパングの一部だと言う。
同じ宣教師なのに、ジパングの場所がまるで違う。
東に行くのか、西に行くのか?
それに黄金の国ジパングの一部だと言うなら、この貧しさはどう説明するのか?
埒が明かないから皇帝は直接サツマニアを視察した。
火山を抱え、灰の降る中で農業をしている。
そして人口が多い。
となると、食糧は常に不足する筈だ。
それが強兵を育て、他国から奪う事に長けたのだろう。
皇帝はサツマニアの扱い方が何となく分かって来た。
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翌日、コンスタンティノス11世はサツマニア王島津義久と会談する。
その場で皇帝は、サツマニアにダキア属州、アジア属州(アナトリア半島)、マケドニア属州(ギリシャ北部)の支配権を認めると告げた。
「有り難き幸せ。
我等も奉公した甲斐が有りもした」
「そこで余はこの事を勅令として、全世界に発しようと思う。
サツマニア王も余と共に、その場に立ち会って欲しい」
「ははっ!」
薩摩の者たちは、権威だけの存在になっていた東ローマ皇帝を内心甘く見ていた。
しかし、そういう存在は寝技の達人、政治的に陰謀を巡らす名人であるのは、京都の公家を知っていれば分かる。
薩摩は京都から遠く、そういう京都の嫌らしさを知らずに来た。
ビザンツ皇帝は日本の公家のような小細工の名人であった。
文官、絵師、司祭等を前に、コンスタンティノス11世は島津義久と並んで勅令を発す。
「ローマ皇帝コンスタンティノスは、サツマニア王にダキア、アジア、マケドニアの軍権・警察権を委任する。
任命者であるローマ皇帝と委託者サツマニア王は同地を円滑に統治する事を神に誓う。
具体的には、税率9割という暴政を行う領主は、警察権を持つサツマニア王の名において、これを解任する。
税率は非常時に5割を許容するが、それ以外は収穫の4割を上回る事は無い。
我々両名の名誉に賭け、ここに神と民衆に誓うものである」
通訳を介し、島津義久は皇帝にしてやられた事を悟った。
確かに統治権を与えられたなら、悪政を敷く代官は更迭しなければならない。
源家・足利家の武家政権でも、表向きはそうなのだ。
ただし源頼朝始め歴代の将軍は、失脚させたい相手を解任する際に使うが、それ以外は新補地頭が苛政を行おうが黙認するとか、恣意的に運用しただけである。
公言されてしまえば、実行する以外は無い。
島津家の者たちは苦虫を噛み潰したような表情になった。
皇帝は、代わりに不足する分の穀物はビザンツ帝国が供与すると約束した。
しかしこれは、薩摩の食糧という命綱をビザンツ帝国が握るという事に他ならない。
(やって呉れもしたな、甘く見たのは誤りだったど)
義久は反省しつつも
(じゃが、薩摩者がそうそう上手く思惑通りに動くチ思ったら大間違いごわんど。
なんせあいつらは、儂ですら手綱を握るのに苦労する放れ馬たい。
このままで済むとは思わんこつじゃ)
そう嘯いていた。
兎にも角にも、鹿児島勅令は発せられた。
バルカン半島諸国は、胸を撫で下ろした。
暴政は禁じられ、暴れるサツマン人は、サツマニア王が処罰する事になったのだ。
各地の諸侯、セルビアの貴族たちはビザンツ皇帝を称え、帝国に帰順した。
これにてバルカン半島諸国は、ワラキア以外は全てビザンツ帝国を盟主と仰ぎ、ここに往年の東ローマ帝国が甦った。
だが、東ローマ帝国復活そのものが、次なる戦乱を呼ぶ事になる。
薩摩人には、別な御馳走がやって来る事になる。
おまけ:
薩摩が消えた日本では……
「関白殿下、この者が琉球の尚永王の使者です」
石田治部少輔が豊臣秀吉に取り継ぐ。
「拝謁の栄誉を賜り、恐悦至極に御座います」
二、三世間話をして、琉球の使節は質問をする。
「あの……私どもの交易相手であった島津様は如何したのですか?
船で通った時、桜島も無くなっていたのですが……」
「あ、ああ、あれね。
あれは、ほら、あれだよ、この秀吉が消した」
「は?」
「ほら、儂って凄いから、ちょちょいのチョイ!で」
「はあああ?」
「えっとね、儂の右手からは全ての物を燃やす極大の炎を出し、左手からは全てを凍りつかせる極大の氷を出して、それを一緒にぶつけたら薩摩は消滅したんだよ、うん」
「ご使者殿、殿下は日輪の子に御座る。
これ以上疑いなさるな。
私も誤魔化し切れん(ボソリ)」
「そうそう、この秀吉は太陽の子、炎の王子、怒りの王子だから、その時奇跡が起こるから何でも有りなのじゃ。
まあ、薩摩の事など忘れて、今後は博多の商人と付き合うが良い。
治部少、使者殿を島井や神屋に引き合わせよ」
かくして琉球王国は、日本と明→清との仲介貿易を生業とし、後世まで存続する事になる。




