薩摩半島、黒海に転移す
「又三郎兄者、いくら正月じゃ言うて、俺いら全軍呼び戻すんはおかしかど」
天正十四年(1586年)正月、九州統一戦争の最中、急に「薩摩に兵を率いて戻るべし」という絶対命令を受けた島津家久は、当主である島津義久(又三郎)に食ってかかった。
前年島津家は大きく九州を侵攻し、宿敵・大友家の領地を奪取した。
家久は、その大友家を救うべく先発した豊臣秀吉の援軍を戸次川にて壊滅させ、勢いに乗っていた。
それだけに、この急な全面撤退命令が腑に落ちない。
同様に次男の島津義弘もむっつりしている。
彼も大友家の本拠・豊後国攻略にかかっている最中であった。
「ご当主の考えをお聞きしましょう」
三男の島津歳久が口を開く。
祖父の島津日新斎から「始終の利害を察するの智計並びなく」という評価をされた知将である。
島津家は長男・又三郎義久、次男・又四郎義弘、三男・又六郎歳久、四男・又七郎家久という四人の優秀な兄弟を持った。
この四兄弟の元、九州を平定し、京洛を支配する豊臣秀吉なる成り上がり者と一戦する、その予定であった。
しかし、突如当主により全軍を呼び戻されたのだから、たまったものではない。
そこで兄弟中の知将・歳久が冷静に理由を聞いてみた。
島津義久が何かを語ろうとしたその時である。
「桜島がおかしな光ば放ってっど!」
「あげな光ば見たこつなか!」
薩摩国は天変地異に見舞われる。
「誰かある!」
「はっ」
島津義弘の怒鳴り声に、控えの侍が反応する。
「様子がおかしい。
国中隈なく探って来い」
「はっ」
異変は、探りに行くまでもなく、夕刻には国境よりの急使の殺到で明らかとなる。
まず、桜島の向こう側、大隅国が消滅した。
また、北の肥後国も消えて海となっている。
代わりに吹上浜の先に有った海が消滅し、大地と陸続きとなっていた。
その大地より軍勢が押し寄せて来たというのだ。
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1453年4月、ビザンツ帝国を滅亡させるべく、首都コンスタンティノープルを包囲していたオスマン帝国皇帝メフメト2世は、強烈な地震に見舞われた。
ギリシャもアナトリア半島も地震はたまに起こる為、彼等は落ち着きを取り戻し、皇帝は変化が無いかを調べさせた。
だが、メフメト2世の目にも異変は見て取れる。
黒海側に陸地が突如増えていたのだ。
急な陸地の発生に、ボスポラス海峡には高波(日本では津波という)が起こり、コンスタンティノープルには甚大な被害が出たようだ。
同様にオスマン帝国の軍船も被害を受けている。
その陸地に出した偵察隊は、嫌な報告をもたらす。
「キリスト教徒です。
旗に十字が書いてありました」
その偵察員は、それが十字架ではなく、薩摩の家紋である事を知らない。
「未知の敵の出現です。
ここは退きましょうぞ」
そう進言する部下を、メフメト2世は叱りつけた。
「未知な敵である事か?
旗に十字の紋があるなら、それはキリスト教徒だ。
なれば、屈服して税を納めるか、敵対して亡びるかを問うまでだ!」
メフメト2世は、若くしてスルタンの位に就いた。
それ故に度々侮られ、ハンガリーやポーランドの軍と戦う度に父ムラト2世の復位を求められ、イエニチェリ(火器で武装した新鋭兵団)の反乱時にはスルタン位を返上する屈辱を味わわされた。
復位した父の死後、2度目の即位をしたメフメト2世は、周囲の臣に侮られないよう振る舞う。
それ故、少々強引なところも見られる。
黒海に薩摩出現という非常識極まりない事態に於いても、メフメト2世はそこに住まうキリスト教徒の屈服を求めた。
既に偵察部隊が、敵と思われる勢力の国境守備隊とぶつかり、打ち破ったと言う。
勝てると踏んだメフメト2世は、コンスタンティノープル封鎖に半数の兵を残し、自らは5万の兵を率いて謎の陸地に踏み込んだ。
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薩摩では非常事態に際し
「そうか、お館様はこの変事を予感し、俺いどんら薩摩っぽを国元に呼び戻されたんじゃ」
と勝手な解釈が成立し、国衆一丸となって謎の敵と戦うべく出撃した。
「いや、敵が何者か分からんから、まずは交渉が大事ぞ」
という島津歳久に対し、家久は
「捕虜と会ったけんど、何言ってるか分かりもはん。
交渉等言葉が通じねば成り立ちますまい」
そう答えた。
確かにそうだが、それでも敵を知らねばならない。
「又七郎、その捕虜はどげんした?」
「首にした」
文字通りの意味である。
もうその捕虜は話す事は出来ない。
歳久と義久は頭を抱え、仕方なし、家久に敵の迎撃を命じ、義弘に後詰を命じた。
「日ノ本言葉喋れん者は死んで当たり前じゃっどな」
「おお、豊寿もそげん思うか?」
豊寿丸は幼名で、今は諱を島津忠豊と言う。
やがて名乗りを島津豊久と改める、家久が倅である。
沖田畷の戦いで、元服前に初陣を済ませ首級一つを取った、立派な薩人である。
血気盛んな子が親に言う
「何万か知りもはんが、日ノ本言葉喋れん者は皆殺しにしもんそ」
それに親が答える。
「二歳が知ったような事ば言うな!
日ノ本言葉喋ろうが喋るまいが、皆殺しにすんが良か!
そん方が後腐れ無か!」
「流石、親父ん、南蛮人か紅毛人かは知らんが、言葉関係無く根切が良か!」
「根切りじゃ」
「異人の首狩りじゃ」
「戦じゃ、戦じゃ!」
「チェスト、ひっ飛べ!」
こうして島津家久・忠豊父子、伊集院美作守、新納大膳正、本庄主税助ら一万三千の薩摩軍は、川辺の地に進出し、万之瀬川を防衛線にして布陣をした。
その間にも細作を放ち、迫って来る敵軍の様子を探らせる。
「どうやら敵は多数の種子島銃を持っちょるの」
「総勢三万以上か、大義なこつごわす」
「道に不案内なせいか、のろのろ進軍しておりもす」
「じゃったら、案内をつけて、この川辺まで釣り出さんとな」
「三万の首から流れる血で万之瀬川が赤く染まるのか」
「そん為には、まず敵に万之瀬川を渡らせる必要があっど」
家久は伊集院美作守に、川を渡って謎の敵軍に仕掛けて、わざと負けるように命じた。
お得意の戦法に持ち込むのだ。
「じゃっど、一筋縄ではいかんかもしれん。
新納どん、おはんにやって貰いたかこつがある」
薩摩軍の軍議は念入りに行われた。
小出しに出撃させた兵力に負け続けさせ、ついに島津家久はメフメト2世を川辺に釣り出した。
もっとも、メフメト2世も敵がおびき寄せていると知って、あえて挑発に乗ってみた。
ラッパを鳴らし、楽隊が演奏しながらオスマン軍5万が侵攻して来る。
「あれは良かなあ! 島津んお家でんやってみたかの!」
「親父ん、そいは敵を首にしてからにしもんそ」
「そうじゃの。
良し、押し太鼓鳴らせ!!」
伊集院美作守の数百の兵が、鉄砲をイエニチェリに撃ちかける。
しばしの交戦の後、伊集院隊は川を渡って後退する。
「ふん、伏兵か。
その程度を余が見破れんと思うか、野蛮人め」
メフメト2世は、対岸の草地に隠れる敵兵を発見している。
「追撃せよ。
そして罠に嵌まったと見た敵軍が出現したら、それを撃て!」
伏兵の新納大膳隊は、イエニチェリの前衛部隊に側撃を掛けた所で、対岸の本隊から猛射を食らい、慌てふためいた。
だが、陣形を立て直すと、相変わらずイエニチェリ前衛部隊を袋叩きにしつつ、オスマン軍本隊にも反撃をする。
「少数の敵が粘る時は、必ず何か策がある。
注意せよ!」
メフメト2世が指摘したように、側面から島津忠豊隊が「首寄越せ~!」と叫びながら突撃して来た。
挟み撃ちに遭うオスマン軍だが、何せ数が多い。
確かに謎の軍の猛攻は凄まじいが、凌ぎ切れない事はない。
一隊が倒れても、すぐに別の一隊が入れ替わる不死のような軍隊。
その分厚さに、敵の騎兵は敗れ、バラバラに逃げていく。
そして対岸の敵軍も、徐々に後退し始め、そして一気に崩れた。
「よし、今が好機、敵軍を殲滅せよ」
ラッパが軽やかに鳴り響き、鼓笛隊が行進曲を吹奏する。
そして全軍、川を渡った。
その瞬間、狼煙が上がる。
「用心深い敵じゃったが、ついに罠に落ちたど!
もう芝居する必要は無か!」
家久得意の釣り野伏せり、しかも囮をわざと見破らせて伏兵を敵に破らせる、それ自体が囮という厄介な包囲作戦が発動された。
「良いか、全軍駆けよ!」
「首は打ち捨てじゃ!」
「根切りじゃ、根切りじゃ!」
「チェスト!!!」
見事なまでの包囲と、時間を掛けぬ周辺からの猛攻に、大軍であるオスマン軍は蹂躙されていく。
「何故このような事が??」
メフメト2世はナメていたのだ。
国境での戦いといい、少数の兵の戦いといい、野蛮人特有の猛攻は有るが、時間が来れば猛威は無くなり、腰砕けとなって逃げていく。
そんな最大瞬間風速的な兵を持つキリスト教徒の国は、軍を破ってから「屈服か、滅亡か」を押し付ければ屈服を選ぶ。
そうしてコンスタンティノープルを攻める上での後顧の憂いを断てればそれで良かった。
敵が必死の抵抗をするのも予想した。
策を立てて来るのも想像した。
だが、まさか敵が自分たちを獲物と見て、楽しみながら狩りをしている、そんな事は想定外だった。
敵兵は最適な戦術の元、凶暴さを発揮している。
自分たち以外にもこんなに有ったのか?という鉄砲を散々に撃ちかけてくる。
そしてメフメト2世は退却のタイミングを逃してしまった。
島津家久は、沖田畷の戦いで龍造寺隆信の首を取った。
戸次川の戦いで十河存保と長宗我部信親の首を取った。
その戦果にもう一つ名が加わった、オスマン帝国皇帝メフメト2世という名が。
2時間後に第二話アップします。