第12話 召喚・歓喜天
「オン・キリク・ギャク・ウン・ソワカ」
『オン・キリク・ギャク・ウン・ソワカ』
真言の大合唱が始まる。何も知らない俺でも、この空間が異様であることはわかった。
竈の入り口は、ものすごく熱い。段々、俺はぼーっと頭が働かなくなるのを感じていた。
一応、それでも、魔王から借りた数珠を、真言を一つ唱えるにつき、一つ玉を繰るのは忘れなかった。
真言は、唄うように、調子を付けて唱えるのだが、それがどういう調子なのかは、ここでは言えない。ハッキリ言って、真言そのものを多くの人の目にさらすような行為は、仏法違反で罰せられるのだ。だから、本当は、こうして真言を書くのもやばい。やばい、が、ただ真言を唱えたからといって奇跡を起こせるわけではない。真言には、それを唱える者の心と、調子が合って、初めて真言と言えるものになるのだ。
ともあれ。
俺は、空腹と暑さと異様な空気でフラフラしながら、なんとか真言を唱えている。
そして、やっと、101回目を唱え終わった頃だった。
――みしり。
そんな、木材がこすれるような音がした。
そして、その音は、どんどん広がっていく。
みしり。みしり、みしり、みしり……
10人の僧侶が、急に真言を止めたので、俺はうつむいていた顔を上げた。僧侶たちの表情は、ある者は険しく、またある者は驚きを隠せず、またある者は畏怖の表情を浮かべていた。
しかし、俺の後ろの、魔王だけが、変わらずに真言を唱え続けている。
「オン~」
みしり。
「ソワカ」
みしり。
やがて、ミシミシミシ、という音が連続で鳴り、遂には伽藍堂の屋根がバーンと吹き飛んだ。
「お、お……」
「おおおおおおおお!!」
僧侶たちが、畏怖と感嘆の声を上げる。そして、伽藍堂の中を巨大な何かが、のぞき込んできた。
「か、歓喜天……!!」
俺は、がたっと立ち上がって、そう呟く。そう。現れたのは、象頭の仏……あの、歓喜天の片割れであった。
「魔王様の時と同じだ!!」
「ニーニア姫も、さすが魔王様の娘!!」
「仏を召喚するとは……!」
口々に、僧侶たちが言いながら、慌てて歓喜天に頭を下げようとして……思いとどまった。
『ぬふふふふ、僧侶は天部に頭を下げてはいけない。なぜなら、僧侶は天部より位が上だから~。よく覚えてたね』
歓喜天が、歌うような口調でそう言う。……なんだか、すごい仏様って聞いていたのに、どこか子供のような幼さも感じる口調である。
『……で、僕を喚んだのが、その青い髪の娘か。うんうん、女の子に喚ばれると、なんか嬉しいよね』
『……浮気ですか、ガネーシャ』
そこで、歓喜天の背筋がぴん、と伸びる。歓喜天の後ろから現れたのが、同じく象頭の人。確か、十一面観音であった。
『浮気じゃない!まだ何もしてないもん!』
『ほう。まだ、ですか。まあよろしい。娘、天部に頭を下げる必要はありません。頭を垂れぬように』
十一面観音にそう言われ、俺は、無意識に頭を下げていたことに気付いた。何せ、本物の仏様である。そんなこと言われても、とてもじゃないが見下ろすことなんてできない。
俺は、おそるおそる、頭を上げた。
『そう。天部は、僧侶より位が下。よって、僧侶は天部に「命令」することになる。しかし、それを破ると、天部は僧侶に牙を剥く。「お前は私より上の位ではないのか」と』
……俺、僧侶じゃないんだけどな。そんな表情を浮かべていたせいか、十一面観音が、ふ、と微笑みを浮かべる。
『安心しなさい。ガネーシャ……歓喜天は、確かに子供っぽいが、「天部は俗に甘い」。万が一、歓喜天が怒ったとしても、ある一定数を超えなければ、私がなだめてあげましょう』
その、「一定数超えなければ」が怖ええんだよ。
俺は、歓喜天の方をちらりと見る。
『うん。一日1回、さっきの真言を唱えてね。あと、願いごとはいくつもしていいけど、願いが叶ったら、大根と、甘いお酒を供えて、「願いが叶いました、ありがとうございます」ってやること。本当は護摩行やるともっと良いけど、護摩行って熱いでしょ?だから、簡略化で良いよ』
そんなことでいいのか?俺は、正直、拍子抜けしていた。
しかし、歓喜天が、鋭い視線を送る。
『「そんなことでいいのか」って顔したよね。でも、「そんなこと」程度が守れないヤツが多いんだよ。しっかり守らないと、僕、祟るからね』
俺は、慌てて頭を下げようとして、「そうだ、頭下げちゃいけないんだ」と思い直して、なんとか踏みとどまる。
『しっかし、君も酔狂だね。僕みたいな厄介な仏を守護にするなんて。まあ、守護の印をあげるよ。僕を喚び出せるっていうのも、何かの縁だしね。うん、縁は大事にしないとね』
そう言って、歓喜天は、俺をぴっと指さした。
と思うと、俺の心臓辺りを、歓喜天の指から放たれたレーザーのような光で、刺し貫かれる。
「え……?」
俺は、反応できない。じわじわと、心臓が焼かれるように熱くなる。そして、肩甲骨の間辺りに、じわりと何かがしみ出した。
「カッ……かはっ……!」
俺は、ようやく、自分の心臓が瞬間的に止まっていたことに気付いた。しかし、僧侶も、すぐ後ろにいるはずの魔王も反応しない。ただ、歓喜天の「攻撃」を見ているだけだった。




