第11話 『お印の儀』の開始
翌日。
メイドから、魔王の指示として、まず、冷たい水で行水をすることになった。
お湯じゃだめなんかい、とか考えたのだが、メイドに言ったところ。
「しかし、儀式は儀式ですので」
と、俺が中年以降のおばさん・ばあさんだったら心臓麻痺で死ぬぞ、という、冷水を浴びることになった。
ちなみに、メイドは、冷水に悲鳴を上げる俺を、風呂場にまでわざわざ入ってきて、ニコニコと見ていた。この変態メイドが!!と思ったのだが、冷たい水をわざとメイドにひっかぶらせたのにも関わらず、良い笑顔で俺を見ていたので、「あ、こいつあかんやつや……。その、ダメな方の意味であかんやつや……」と関西弁で納得してしまった。
その後、ほぼ白湯に近い粥の上澄みのみの朝食を終え、白装束……笑えないが……を着せられた俺と、メイドと、側室となったリュウとで、「大伽藍堂」に向かった。
「うちの宗派は、結構何でもやるんですけど、『お印』を頂く際には護摩行と真言を唱えるんですよ」
俺が記憶喪失だと、魔王から聞いたのか、メイドが、わざわざそう解説してくれる。正直、何をするのか不安でもあったので、助かる、とは思った。絶対口には出さんけど。口に出したが最後、骨までしゃぶる勢いで、しゃぶり尽くされそうだと思ったからだ。肉体的にも、精神的にも。
「『お印』を頂ければ、晴れてその仏様の力を借りることができるようになります。今回、ニーニア姫は、歓喜天様のお印を頂くということで、歓喜天様の加護を受けられる、ということですね」
「はあ……なるほど。で、魔王……お父様は、複数の仏の加護を受けている、と」
「ええ。もちろん、そのたびに『お印の儀式』をする必要はありますが、魔王様ほどの神通力があれば、複数の天部を従えることも可能です」
渡り廊下の曲がり角を曲がったところで、メイドがすっと横に逸れた。俺の前には、巨大な門がその戸を閉ざしている。
「では、行ってらっしゃいませ、ニーニア姫」
「私も、側室の身だから、ついて行けるのはここまでなんだ。頑張ってね、ニーニア」
二人に見送られ、俺は、ゆっくりと、その門に手をかけた。
――
門をくぐって、すぐに感じたのは、ものすごい量の呪文を唱える坊さんが10人ほど。
そして、部屋の中心には、灰色の長い髪を炎になびかせながら、一心不乱に呪文を唱えるお父様――魔王の姿があった。
「……ニーニアか。約束通り、禊ぎと食事は済んだようだな」
魔王は、こちらを振り向くことなく、呪文をやめて、俺に語りかけた。
俺は、あまりの光景に、言葉を失う。
伽藍堂の中は、様々な仏画がびっしりと壁を覆い尽くしていて、窓らしきものはほとんどない。
明かりは、坊さんがいわゆるスタジアムやドームの2階席といえる場所にずらりと並んでおり、その坊さんの姿を、たいまつがほのかに照らす。しかし、主な光源というのが、部屋の真ん中に据えられた巨大な竈だった。
いや……竈というのは少しおかしいかもしれないが、俺の語彙力からすると、同じようなものだとは考える。
ともかく、竈が火を吹き上げ、それが風を呼び、申し訳程度の天窓から熱のこもった風を昇らせている。
そして、その竈の向こうにあるのが、金色に輝く、あのリュウの部屋で見た駒……の何十倍もあろうかという象頭の『歓喜天』の仏像だった。
「本来なら、護摩行もお前がするはずだった。しかし、父がお膳立てをしてやった。この、魔王たる父が、だ」
「はあ」
「感謝しなさい」
「……ありがとうございます」
俺は、なんで感謝の言葉を言わされているのか、疑問に思ったのだが、一応そう言っておく。魔王は、それで気が済んだらしく、俺の手を引いて、竈の口の対面に座らせ、自分は少し下がって、俺の後ろに座った。
正直、熱くて暑くてたまらない。魔王は、こんなことを昨日からずっと行っていたのかと思うと、やっと魔王に、少し感謝の念が湧いてきた。
俺が、おそらく定位置に座ったことにより、呪文が再開される。
……いや。これは、呪文ではない。経だ。オン、で始まる、ごく短い経を、10人の僧侶と魔王で唱えているのだ。
「真言を唱えろ」
無言で座っている俺の体に、どん、と衝撃が走り、そう魔王から告げられた。
どうやら、強めに突っつかれたらしい。
しかし、俺は、真言と言われても、何も知らないのだ。どうして良いかわからず、救いを求めるように後ろの魔王を振り向く。
魔王は、盛大なため息をつくと、自分の腕に通していた数珠を俺に押しつけ、言った。
「オン・キリク・ギャク・ウン・ソワカ だ。ただし、調子は合わせろ。ただ口にしても真言はそれほどの力を発揮しない。唄うように、自らの内のリズムに合わせて唱えろ。そうだな、101回だ。その数珠を一回りするくらい、唱え続けろ」
俺は、その「内なるリズム」が正直わからなかったが、それ以上詳しいことを聞ける状況ではないので、「はい」と素直に応じる。要は、坊さんたちの口調に合わせれば良いのだ。
俺は、その真言を、一回、二回と唱え始めた。




