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③姉と弟


「姉ちゃん、おかえり!」

「姉様、とちゃんと呼びなさい、エリック」 


クリストフと王城で別れた後、夕暮れの街をゆっくりと走る馬車はキアラ達を乗せ、郊外にヴァンティーク侯爵家が所有している屋敷へと帰還した。降りた先の敷地内では弟のエリックが、護衛を相手にしていた剣の練習を中断し、腕で汗を拭いながら人懐こい笑みを浮かべる。侯爵家の血筋に多い黒髪と青灰色の瞳の組み合わせは、姉弟に共通していた。

 

 弟はここから近くにある寄宿学校に通っていて、休みの日になると父の仕事を覚えるために屋敷へ戻って来て顔を合わせる。傍に駆け寄って来ると、前より更に体つきがしっかりして来たように感じる。姉の背丈を追い越した辺りから、少しばかり生意気な言動が増えて来ていた。


「キアラ、エリックもお帰りなさい。もう少しで夕食だから二人共、着替えていらっしゃいな」

「ファリィ姉様!」


 そこへ屋敷の玄関からやって来た姉の姿に、キアラは弟と揃って歓声を上げそうになって、慌てて口を閉じた。ファリィはヴァンティーク傘下の貴族青年と結婚して、現在は領地の経営にも参加していた。春先に社交が行われるようになると、友人達に会うためにこちらへ出て来る。おっとりとした性格でもちろんピアノも上手で、大好きな姉だった。


「エリックはいつも元気ね。キアラ、お母様とおばあ様が、キアラが心配だから先に行って傍についていてあげてって。そのドレスも、よく似合っているんじゃないかしら」


 上の姉の登場にはしゃぐ弟を横目に、キアラはもう大人とみなされる年齢なのでそこまではしないが、顔を見ればようやく家に戻ってくることができた、と少し安心した。義兄と、姉の二人の子供達も数日のうちにこちらへ合流するそうなので、しばらく屋敷は賑やかになるだろう。欲を言えばもう一日早く来て欲しかったと昼間の事を思い返しつつ、久しぶりに顔を合わせた事を素直に喜ぶ事にした。



 侍女達の手を借りて楽な服装に着替えたキアラは夕食ができるまでの間、姉を挟む配置で、弟と三人で客間の大きなソファに並んで座った。使用人が気を遣ってくれて、それぞれに好きな飲み物と、特製のアイシングの可愛らしいクッキーがすかさず運ばれてきた。


「わーい、三人揃うのって久しぶりだよね」


 嬉しそうな様子で話す弟の学校は全寮制で、姉は領地内とはいえ嫁いで行った。普段、両親と屋敷に残っている子供はキアラだけになった。このまま問題が無ければ自分もクリストフのところへ行く事になる。そうなると公爵領は王都からも、ヴァンティーク領からも少しばかり距離を隔てているので、こうして三人集まる機会は減る事になるだろう。


 そうでなくても、貴族の女性は二度と実家には戻れない覚悟で相手の家に嫁ぐように、と世間では言われている。婚約者であるクリストフがどこまで許してくれるかはまだわからないが、実際に顔を合わせてやり取りを重ねた結果、あまり悪い方に考える必要はないと思えるようにはなった。しかし安易に楽な想像をして、後から落胆はしたくない。そんな事を考えながら、キアラはレモンを絞った水に口をつけて、横の二人の話に耳を傾けた。



「……学校にね、父様が若い頃に立ち上げたって噂の釣りの同好会があるんだよ、息子だからって理由で会長にされちゃってさ。会員は秘密のサインでやり取りするんだよね」


 弟の言うように父の釣り好きは学生時代からのようで、確かに屋敷に招かれる共通の趣味の友人達というのは、若い頃からの知り合いという人が多かった。ヴァンティークの子供にもわかりやすいようにお医者さん、兵隊さん、お店屋さん、と各自わかりやすい自己紹介をしてくれたのを覚えている。ただし、後から聞いてみると実は宮廷医として王城に勤めていたり、軍で大きな部隊を率いていたり、となかなか油断はできない。

 横に座っている弟は右手の人差し指と中指を立てて、カニの鋏のような変なポーズをしてみせた。これが釣り同好会の秘密のサインらしい。からかわれているのでは、というキアラの指摘に、弟は笑いながら反論してみせる。


「ヴァンティークのブイ、だってさ。王城で働いている人にも会員がいるという話だから姉ちゃん、今度試してみてよ」


 キアラは真似して右手を鋏のようにして、王宮内で見せびらかしているのを想像した。きっと横にいるであろうクリストフが怪訝な表情を浮かべているところまで容易に想像がつく。


「……恥ずかしいから嫌。大体相手がその釣りの会員じゃなかったら、私がただの変な人じゃない」

「思ったより気さくな女性で済むでしょ。それで、キアラ姉ちゃんは最近どうなの? 公爵閣下と、少しは仲良くなった? 怒られてない?」


 怒らせると怖い人なんだってね、と弟は話の合間にもひょいひょい、と弟は早くも二つほど焼き菓子を口に運びながらこちらの反応を窺っている。キアラは王宮でも馬車の中でもお菓子を口にする機会があったので、今回は遠慮して手をつけない事にしつつ、どう答えたものかと思案した。


「……私達は大人なのですから。家同士の不利益になるような行動は、そもそも選択肢にありません」


 別にそもそも対立しているわけではない、とキアラは弟に説明する。そうじゃなくってさあ、と弟はもどかしそうな様子だ。それなりに心配はしてくれているらしい。


「もちろん、仲良くしたいとは思っているんでしょう?」

「まあ、それは一応……。決して、仲が良くないわけではありませんが」


 参考になりそうな父母も姉も、配偶者とそれぞれ上手に関係性を築いているように思える。しかしキアラの場合は相手が王族なわけで、と相手との距離に悩んでいた。



「……エリック、キアラはゆっくり、ちゃんと仲良くなりたいと思っているんだから、茶化したら可哀想よ。私だって、最初から上手く行ったわけではないのだから」 


 心配というよりは好奇心が勝っていそうな弟の様子に、姉は自分の夫の件を持ち出して窘めた。しかしエリックは納得がいかないようでさらに話を続ける。


「だって姉ちゃん、今は上手に化けているけど、実際は人見知りの泣き虫で心配なんだって。いつか取り返しのつかない失敗をするんじゃないかって、心配しているんだよ」 


 弟は段々と遠慮のない物言いになってくる。キアラは分が悪いので素知らぬふりを突き通す事にした。弟はそんな下の姉の態度が気に入らないようで、上の姉に更に話を振った。


「ファリィ姉様、知らない? 結婚式の時とか大変だったんだよ」


 弟の言う通り、四年程前の姉の結婚式の当日、キアラはおめでたいのと嬉しいのと寂しいので感極まって、途中で泣きながらこっそり退場したのは事実である。誰にも打ち明けてはいないが、流石に弟を誤魔化す事はできなかった。その日は主に身内に向けての式だったので、姉弟は得意なピアノの連弾を披露する予定だった。それに間に合うようには戻って来たので、キアラの中では問題なかったと思っている。


「何の話かさっぱりわからないわ。私はちゃんと姉様の結婚式でピアノを披露したもの」

「……僕が一人で切り抜ける覚悟を決める前に戻って来て欲しかったな」

「まあ、そんな事があったなんて。キアラはなんて優しい子なんでしょうね」

 

 キアラは恨みがましそうな弟の視線から逃げるようグラスの中身に口をつける。飲み干すと、傍で待機している侍女の一人がすかさずおかわりを運んで来てくれたのでお礼を伝えて受け取った。飲みこんだ水の冷たさは、あの日の事を思い出させるかのようだった。


 キアラは会場からこっそり抜け出した後の事を、今でも鮮明に思い出せる。雲一つないのいい秋晴れの日だった。

 泣きじゃくっている状態からどうやって会場に戻ったかと言えば、紳士的な誰かがキアラにグラスに入った冷たい水と、濡らしたハンカチを貸してくれて、と親切な方がいたものである。嗚咽が止まらない喉と、腫れてしまった目元をどうにか誤魔化せる程度に回復するまで、その誰かはそばにいてくれた。


 後でこっそり聞き回ったが、使用人の誰かではなかった。相手は名乗りもしなかったし、キアラは泣いていて、更にその酷い顔をあまり見せたくなくて相手をしっかりと見ていない。若い男性でおそらくヴァンティークの関係者、としか情報が手元に残らなかった。


 それ以来、キアラは人前で絶対取り乱してなるものか、と並々ならぬ決意を以て物事に取り組んでいた。その強い気持ちのおかげで、人見知りが克服されたともいえる。姉の様子を窺う限りでは、キアラの退場騒ぎについて当日の主役は何も知らなかった様子だ。素敵な弟妹達に恵まれて幸せ、なんてのんきな事を言っている。




「クリストフ様は今夜で仕事が一区切りするそうで、博物館に連れて行って下さるそうです」


 キアラは話題を変えようと、明日の予定を二人に説明した。どうしても見せたい物がある、と行き先を提案する内容の手紙にはそう綴られていた。


「……は、博物館?」


 弟には色気がないや、と付け足される。そこは王立の施設で、よその国からも訪れる人も大勢いる立派な施設である。生真面目なクリストフらしいと言えばその通りの行先だとはキアラも思っている。


「色気って。一体どこなら納得するの」

「……夜の人気のない庭園。もちろん二人っきり」

「ちょっと、エリック」

「だって、姉様も結構こっそりステファン義兄上と……痛いっ!」


 両側からほぼ同時にキアラには肘、ファリィには親指でわき腹を突かれた弟が悶絶している横で、二人の姉はそれぞれ何事もなかった風を装って座り続けた。そこへ夕食の支度ができたとの報告がやって来る。


「……まだ婚約の段階で、そんな場所にいるのを見られたらどうしてくれるの」


 立ち上がりながら、キアラは横でまだ苦しがっている弟に苦言を呈した。まだ婚約の段階であらぬ噂を立てられてはたまらない。節度のある付き合いは大事だと思っている。それにまだ二人きりになったところで、腹の探り合い以外の事を始めるような関係でもない。


「まあまあ、博物館なんて良いじゃない。知的な男性って素敵だと思うな。……キアラ、自分達がしっかりしていれば良いだけの話だから、外からの声なんて気にしなくて大丈夫よ」

「ありがとうございます、姉様」

「上手く行くように、後でおまじないを教えてあげるから、また後でね。ちゃんとよく効く奴」

「……おまじない?」


 突然妙な事を言い出した姉に真意を聞く前に、弟がようやく立ち上がった。エリックが焼き菓子の残りを抱えて、三人は子供の頃のように連れ立って食堂へと移動した。 


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