⑮小話 攻城兵器ルルちゃん
小話と後日談追加予定
あらすじ:クリストフ(14)は可愛いぬいぐるみを買った。
クリストフの足取りは軽い。全寮制の軍学校に外出届を提出して受理されたので、敷地から外へ出た。特に打ち合わせたわけではないが、同期が二人ほどお目付け役のつもりで後ろを付いてきている。休みの日に申し訳ないので、後で何か差し入れでもしておく必要があるだろう。
これから向かうのは完全に私的な用件だった。可愛らしい子供向けのお店で、こっそり特注した品が完成したらしい。
目的の場所はいかにもふわふわした雰囲気の雑貨店である。受け取るのは、耳が小麦色であとは白い猫のぬいぐるみだ。目の部分には透明な水色のガラス玉が使われていて、手触りも申し分ない。出来栄えには大変満足である。きっと喜んでくれるだろう、と思った。店員のいかにも微笑ましいと言わんばかりの眼差しに耐えて注文した甲斐があった。
渡したい相手、というのはまだ五歳くらいの女の子であった。人見知りがひどくて接触する機会が全く得られないので、彼女の父親に託す予定である。何度か顔を合わせても、視線すら合った事がない。毎回、最低限の挨拶のみで屋敷へ逃走した彼女の背中を虚しく見送るのみだ。
知り合いとするのも怪しい間柄でしかないのだが、実はクリストフと彼女、キアラ・ヴァンティークは面識がある。時間がずれた奇妙な夢の中で、十六歳の彼女は自称婚約者としてこちらを散々翻弄した挙句、気が済んで去って行ったという経緯だ。
よって、知り合いなのに向こうはまだ五歳なため知らないという奇妙な間柄である。受け取った包みを抱える帰り道、渡す手段は確保してあるので心配ないとして、もう一つ贈る前に準備しなくてはならない。
贈り物に一言添えるのは当たり前の習慣であるが、その場で思いつかなかった。同封するだけなので、内容は保留にしてカードのみ購入しておいた。
人の多い通りへ出て、若者向けらしい量を重視した出店を選んで気前の良い額を渡して、後ろを付いてきている二人にすぐ出せる物を、とお願いした。自分も、後で食べるように一つ購入しておく。
さて、クリストフの頭にはある作戦が準備されていた。きっかけは軍事史の授業に出て来た、有名かつ巨大な攻城兵器である。密かに工作員が潜んでいて、物珍しさから堅牢な相手の陣地に、中身に気が付かれずに運び込まれた。その奇策によって勝利を導いた逸話が広く知られていた。
内部に人が息を潜めているのに誰か気が付かなかったのだろうか、という疑問はさておき。侵略者が諦めて去って行ったのだ、という思い込みが判断力を鈍らせてしまったのだろう。最大の功績は難攻不落の砦を開けさせて内部に運ばれた、という一点に尽きる。
クリストフは簡素な包装紙に包まれたぬいぐるみが、女の子に気に入られる様子を想像した。贈り物によって気を引いて、その後を上手くやりさえすれば、人見知りの彼女の文通相手、くらいの地位は得られるのではないだろうか。
この作戦を思いついたクリストフは昨夜から随分と得意になっている。しかし、ふと考え込んだ。自分がやりたいのは相手を罠に嵌めるのではない。
可愛いぬいぐるみに釣られてそろそろと姿を見せた小さい女の子にする仕打ちではないな、と時間が経つにつれて冷静になって来た。
しかし数少ない機会ではあるのに、とクリストフはしばらく考え込んだ。しかし結局は、余計な真似をして嫌われたくないと結論に至った。
そもそもそのように強引な不審人物、彼女の家族が警戒するに違いない。自分は非常に政治的に不安定なのだ。これでも一応王族の身であり、後継ぎの座を争った兄とその後見人の慈悲によって、幸運にもこうして学業に専念できているのである。
とぼとぼと受け取った袋を抱いて学校の寮に戻って、購入しておいた揚げた魚を挟んだパンを食べた。冷めてしまってはいるが美味しかった。そうして、不貞腐れて寝たのであった。
季節の移り変わりの中で、秋の終わりというのは独特の空気が漂う。議会も無事に閉会を迎え、王都からは貴族たちが続々と領地へと引き上げている。そうして次の春を待つのであった。
クリストフも軍の学校が早めの長期休暇となるのを待って、王城へと一時的に戻った。どうしても捕まえたい人がいて、と入城の許可をもらった。目的の相手も王城のあちこちで挨拶や申し送りをしているらしく、すぐに見つかった。いつも飼い主と一緒にいる、耳だけ小麦色の白猫も従者の抱えているかごに、大人しく収まっているのが見える。
見た目は三十前後の、くせのない黒髪に青い瞳の持ち主である、いかにも頼りがいのある快活な笑みを浮かべて応対している。ヴァンティーク侯爵のルイスはかつて、自分と兄を救ってくれた人だった。本人はすぐに釣りの話をして誤魔化そうとするけれど、自分と兄にとっては恩人である。
軍の学校へ行く手続きなども、全て滞りなく手配してくれた。そのおかげで、不安定な立場にある自分のような者が、平穏に学生をやっていられるのである。
びっくりさせないよう、遠い位置から最初に声を掛けて近づく。その後ですみません、とクリストフはヴァンティーク候を物陰に引っ張り込んだ。彼の従者達や飼い猫の、不思議そうな、警戒の薄い視線を感じつつ、持っていた贈り物を娘さんにと半ば押し付けるようにして渡した。
「やあ、今年は一緒に行かないかい? 釣りでもしながら話したい事とか、どうだろう?」
誘ってくれる声に魅力的な話に揺らぎつつ、もう子供ではないから、と丁重に辞退した。残念、と心の底から寂しそうな顔をしている。けれど大人になったね、とも言ってくれた。
受け取ったルイスは軽いけど何だろう、と袋越しに中身を類推している。中身はぬいぐるみ、と説明した。真ん中の娘さんに渡して欲しいとお願いしつつ、クリストフはもう一つ注文を付け加えた。
「あの、お願いが一つあって。……娘さんが、僕にたどり着くような情報は可能な限り伏せて欲しくて」
「どうして? お礼のお手紙とか品物はどうしたらいい?」
「いいのです、本当に。そういう意図で押し付けるのではないから。ただいつも、……勝手に屋敷に押しかけて、ピアノを聞かせてもらうだけなのは申し訳なくて」
数年前まで、この季節になると自分と兄とはルイスの領地まで遊びに行っていた。たまにも息抜きは必要だという名目で、侯爵領は表向き歓迎してくれた。しかし彼の家族は正直迷惑だっただろうと、自分達は既に理解できる年齢になった。
当主をずっと王城に引き留めているだけでも申し訳なかったが、気にする事はない、とルイスの妻は明るく笑っていた。そしてその足元に隠れるように、見知らぬ訪問客を前に緊張と警戒に満ちた女の子が一人、いつも隠れていた。
その子は何も知らないけれど、夢に会いに来てくれた方のキアラが、彼女が教えてくれた未来の話が、今のクリストフを支えてくれている。どれだけ不安定な立ち位置だとしても、自分の選択は間違っていないと、穏やかな時間が必ずあるはずだと、焦燥や不安に駆られずにいられる。
ルイスはこちらの意図を推し量ろうとするように、じっと見つめている。その眼差しは彼女とよく似通っているように思えた。
「本当はありますが、下心はないと胸を張りたいのです」
「……なるほど。気を遣わせて申し訳ないね」
それじゃあ、とルイスはありがたい事に、それ以上の追及はしなかった。クリストフも兄に挨拶して、忙しい合間に少し相手してもらった後で、自分のいるべき場所へと戻ったのである。
冬が始まる少し前に、ルイスが領地から手紙を送って来た。あくまで個人的に、と美味しそうなお菓子付きである。すごく喜んでいるよ、と書かれているだけでささくれた気持ちはかなり楽になった。
幼い彼女の中では、ぬいぐるみは湖のほとりで出会った設定が生み出され、ルルちゃんという可愛らしい名前までもらったそうだ。姉に羨ましがられていて嬉しそうだった、という話が書いてある。
ああよかった、余計な事をしなくて。クリストフはほっと息をついたのだけれど、しかし、それも束の間である。ルイスの手紙には続きが長々と付け足されている。今後についてだが、と国内外にいる未婚の女性達の情報が簡潔に大量にまとめられている。
つまり、クリストフの将来についてなるべく、なるべく早めに希望を聞きたい、という話である。自分の娘はどうだ、などとは一切書かれていない。五歳の女の子なので当たり前なのだが。
「……なんてことだ、こっちに丸投げじゃないか!」
自称婚約者のキアラ・ヴァンティークは夢の中で会ったせいなのか、なんだかふわふわしていた。どうして婚約者の過去の姿に遭遇しているのかという疑問や、不可解な仕組みの事については少しも考えていなかった。クリストフに会えてよかったなどと、それであの夜は解散だったのである。
要するにこのままだと、クリストフとヴァンティークの令嬢との縁談が勝手に持ち上がるという話ではないらしい。ルイスとしてはおそらくこちらの意向を尊重したい、という考えではあるのだろう。
つまり兄とそれからヴァンティーク候に、自分で話の道筋を取り付けなければならない。膨大な根回しの他、本当の子供のように可愛がってくれたルイスは一体どのような反応をするだろうか、と既に頭が痛い。あっさり了承してくれるのと、いやそれは話が別、と釣りの話に逃げられてしまいそうな予想できれいに二つに分かれた。
やっぱりぬいぐるみの件で恰好つけなければよかった、とクリストフは再び不貞寝する羽目になった。




