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⑭エピローグ


「……というような事もありましたね」


 キアラは夢を見ている。ちゃんと屋敷の寝室で横になった記憶があるのでそれは確かだ。しかし自分の隣に座った相手が腕をこちらへと伸ばして、髪をくるくると弄ぶ指先が時折、肌をかすめるような動きがくすぐったいのは、起きている時の感覚と大差ないように感じられた。


 銀の時計に月の光を集めて枕の下に置いて眠ると、自分の望むままの夢を見る事ができる。年頃の少女達の間で流行っている可愛らしいおまじないを、キアラは姉から聞いてまさか叶うわけもあるまい、とは思いながらも一応試してみたのだ。

 結果として夢を見ているという認識と、起きた後もはっきりと残る記憶、更にそれを自分以外の存在と共有する、という不思議な現象が数日にわたって続いている。そして今日、起きている時と同じクリストフにようやく会う事ができた。


 自分の婚約者、クリストフは今の国王陛下の弟君で現在は公爵の称号と領地を預かり、王族の義務を果たすべく軍に籍を置いている。そんな畏れ多い相手に決して失礼のないように、とキアラは名家ヴァンティークの名に恥じないような振る舞いを心掛けて来たつもりである。しかし時間が経つにつれて相手の事をもっと知りたい、仲良くしたいという気持ちも生まれつつあった。そこへ姉が銀の時計の魔法、と面白そうな話を教えてくれて、軽い気持ちで実行してみたのである。


 不思議な夢の中で一番初めに遭遇した幼い子供は泣いていて、けれど次の日には少し成長した姿で登場し、楽しそうに釣りを教えてくれた。またその次は一体貴女は誰なのか、と訝し気に尋ねて来たのでこちらも正体を明かした。次は会うのが楽しみだと約束したのに結局、邪魔が入ってゆっくり話す事はできなくて、それでついに今日に至った。

 逢瀬を重ねる度に相手は背が伸び目つきが鋭くなり、キアラのよく知るクリストフとなったのだ。向こうは向こうで数年おきに見る不思議な夢の中、キアラが会いにやって来るのを待っていたらしい。



 ここには、随分と旧式のランタンの明かりしかない。炎が時折揺らぐ低い音、息遣いや、微かな身じろぎまで耳が拾う。今はクリストフがぽつぽつと昔の話をするのを、キアラも黙って耳を傾けていた。まだ婚約の段階であるからして普段は必ず互いの護衛なり従者なりが付き従っているが、今は本当の意味合いでの二人きりである。


 彼は長い足を持て余すように、やや行儀の悪い、と言われそうな態勢でこちらを向いている。髪を触っても良いですよと言ってみると、先ほどからずっと手を添えていて飽きた様子もない。不公平なのでキアラもちょっと身動きしてみたかったが、では実際にどこに手を伸ばすつもりかと考えると結局、両手は膝の上で大人しくしていた。 


 クリストフの昔話は彼が十四、五の頃にキアラが夢の中で会いに行った辺りに差し掛かっている。学校の二年次の課程に所属し船上実習をやっていた頃だったそうだ。それまでの幼い姿ではなく、目の前にいる姿に近い姿に成長していたのでキアラも何だか緊張したけれど、色々と話す事ができて有意義であり、純粋に楽しくもあった。


 そろそろお暇を、という時になってクリストフは、キアラの事を本気で引き止めようと思ったらしい。それが強行されていたら、またややこしい事態になっていただろう。キアラの態度があまりにも危機感がなく、早々にやる気がなくなってしまったらしいけれど。


 こちらがまだ夢の中で自由にできるという事実を呑み込めていない一方で、クリストフはほぼ制御ができている様子である。この場所のようにくつろぐための小さな建物まで自前で作り出して、悪夢の気配がない限りはそこで好きなだけぼんやりとするのが、一日の終わりのささやかな楽しみであったらしい。

 思うままに夢を見るなんて、今まで多くの人間が欲しがって一度か二度ばかり偶然成功しては、そして諦めた能力に違いない。

 ちなみにキアラは今まではしっかり他所行きの衣装で夢の中へ行けたのに、今回は寝る前の可愛い服装でここへ来てしまったのでとても気まずかった。


「あの年頃の時が一番、周囲がごたごたしていましてね。自分で決めた事とは言え、母には裏切者だと罵られ、兄とルイスさんは頃合いを見計らって弟王子を排除するに決まっていると、それが最後の捨て台詞で。王宮で一体、息子の何を見聞きして時間を過ごしていたのやら」


 彼は口元を皮肉気に歪めた、どこか寂しそうな笑みを浮かべる。きらきらとした海の眺めながら、自分と近い年齢のクリストフと色々な話をした夢を思い出した。婚約者だと初めて名乗ったキアラに、何を思ったのだろう。


「あの、……昨日は貴方が忠告して下さった通りの展開になってしまって、御迷惑をお掛けしました」

 

 込み入った話になる前に、とキアラは慌てて口を挟んだ。悪夢がいる、それは子供を早く寝かしつけるための方便ではなく、文字通り夢の中に潜む狡猾な生き物だった。クリストフが心配してくれたのにキアラは間抜けにも本当に襲われて、夢の中で階段から落ちて死ぬかもしれなかった。

 偽者の家族達だとわかっていても声や仕草は本物そっくりで嫌な夢だった。一晩経ってもまだ、誰にも知られないはずの心の内を覗かれて糾弾されたような気分の悪さが抜けていない。


「色々な事が一度に起こり過ぎて、もう何日も経ったような気分です」


 自分の婚約者が夢の中をあちこちへ渡って悪夢を排除して回っている、というのはなかなか衝撃であった。更には可愛い飼い猫もキアラを叩き起こして悪夢を現実の世界に引きずり出し、美味しそうに齧りついていた。あんなものを食べてお腹を壊さないか心配だったが、今日も猫は普段と同じくゴロゴロと過ごしていた様子だった。自分の周りは一体どうなっているんだ、とここ数日で信じがたい事実ばかりが明らかになった。


 そして何よりクリストフの事が知りたい、と軽い気持ちで願ったのは自分だが、数年前の姉の結婚式で大泣きした時に、さりげなくハンカチを貸してくれたのも彼であった。

 他にも知らされていないだけで実は、という案件がいくらでも出て来そうな気配がする。子供の頃に父を経由して受け取った白い猫、耳だけが茶色の胴の長いぬいぐるみは、恥ずかしがり屋の贈り主とやらに配慮してあまり深くは追求しなかった。今も領地の屋敷の、ベッドの上を定位置としている。


 クリストフは父や彼の兄君達と釣りに興じつつ、キアラの様子もうかがっていたのだろう。楽しんで下さい、と言うのがやっとの拙い挨拶や、お客様の相手をしないならと祖母から容赦なく課される苦手な指遣いだらけのピアノの練習曲。キアラが婚約者に対して必死で保とうとしたはずの、ヴァンティークの名に恥じない振る舞い。その実態はとっくに知られていた事になる。


「……がんばっていらっしゃるな、と。そこへわざわざ野暮な指摘をしようとは思いませんので」


クリストフは微かに笑って、急に年上の余裕を浮かべた目でこちらを見下ろした。今は随分と雰囲気は和らいでいるが、いつもはもっと高貴で威厳があって隙のない青年なのである。

 幼かった頃のキアラが両親や祖母、姉をはじめとしたヴァンティークの関係者に守られていたのとは対照的に、同じ年頃のクリストフは王宮で兄君と共に、周りの大人に良いようにされまいと戦って来たのだ。


 それに、とキアラの髪で遊んでいた手は満足したらしい。どこか名残惜し気に元の場所に戻った。


「結婚して強大な、野心のある縁戚ができるのはまた、子供の頃からの努力が水泡に帰しかねない事態ですから。引き受けて下さったヴァンティーク侯と、貴女には頭が上がらない」

 

 自分の我儘を通すのはいつだって骨が折れる、とどこか寂しそうな口調である。クリストフだって本当は気性が激しいとか冷たい方だとか、王位を継ぐ資質がどうのこうのと好き勝手に言われたかったわけではないはずだ。キアラが知っている限りでは、きちんと礼儀正しく優しい方だった。

 先日は身内が失礼な事をした、と王城に呼び出された一件の謝罪をされた。どうやらクリストフにはキアラが、いつも無理して頑張っているように思えたらしい。

 

「夢の中へ危険を顧みず助けに来てくれた貴女がまた会いたいと、そして実はいずれ婚約する間柄だと明かしてくれた時、繋がった言葉はずっと私の支えだった。本当の時間の流れの中で会う事ができたら、とずっと待っていた。だから、今の貴女の内心がどうであれ、私の婚約者として役目を果たそうとして下さったのが嬉しかった」


 そんな風に言葉を重ねられたキアラは、ずっと大人しくしていた手を思わず伸ばしていた。以前の夢の中では小さなクリストフ少年の手を取ってあげたのに、と握った婚約者の手の大きさに少し驚いた。けれどキアラも何か言わなければ、そのためにここへ来たのだと自分に言い聞かせた。 


「私は人見知りも泣き虫も、とっくの昔に克服しました。ええ、間違いなく。……本当ですよ、そんな顔をしないで下さい。貴方の婚約者はあの、よくご存じの釣り堀ヴァンティークの娘です」


 大体、先日王宮に呼び出されたのも、わざわざ仕事の合間に迎えに来てくれたのが申し訳ないのはこちらだった。

 反対の手の平でも包むようにして捕まえて、キアラはいよいよソファに膝で立つようにして相手を同じ目の高さで見つめた。


「貴方が兄君のために奔走されたように、私だって大好きな家族のためならいくらでも頑張れます。似た者同士なのですよ。この後、結婚して公爵夫人、貴方の妻になったら、貴方のために力を尽くすのは、私の喜びです」


 今思えば、泣き虫だったキアラがずっと甘える側だったがこれからは、と決意した時に唯一すぐそばにいたのもまたクリストフだった。


「政略結婚だからとか、貴方が王族の方であるとか、私が常に理性的であろうとした理由はさておいて。何しろよくご存じのように、ひどい人見知りでしたから。貴方は私の間違いなく初めて好きになった方です、いつも颯爽と駆けつけてくれる格好良い方」


 しばらく間があって、どちらも目を逸らさないままだった。クリストフはこちらが握っていた腕を後ろに少し引いたので、キアラは態勢を崩された。


「……人の夢に勝手に入り込んで言いたい事を言って。何か問題が起きたら貴女の父君と私の兄上から怒られるのはこちらなのに」


 ひどい方、と耳元で苦情を言われてもキアラも困る。大体振り回されたのはこちらも同じ、と腹の探り合いをしていた相手を見返した。


「僕の、命の恩人で初恋のお姉さんで人見知りで泣き虫の可愛い貴女だから許してさしあげますが」

「なんだか肩書が多いですね」

「一体、誰が混乱させたと? 幼気な子供を弄んでおいて」

「……」


 少しも自覚がないとは本当にひどい方だな、と彼は言う。貴方の婚約者はそういう女、とキアラは言ってやろうと思ったのに、抱き寄せられたので最後まで言えなかった。とりあえずなんだかくすぐったかった。







 現在、ヴァンティークの王都屋敷に当主夫妻と祖母、嫁いで行った姉を含めた子供達の一家全員が揃っている。そのためこちらに所属している使用人達は職種に限らず忙しくしていた。それでも心遣いの行き届いた丁寧な仕事は本当に、ありがたい限りである。

 キアラが夜会へ出かける用意をしている時、奥に繋がっている寝室ではてきぱきと帰宅後に速やかに就寝するための準備が進められていた。髪の毛を整えてもらいながらそちらをぼんやりと眺めていると、足元を飼い猫がすり抜けて行った。そのままキアラのベッドへ近づき飛び乗って、皺一つなく整えられたばかりのシーツを踏んづけ真ん中に居座った。猫さんそんなひどい、とシーツ担当の使用人達が嘆く声が聞こえる。


「……ココちゃんは丁寧な仕事ぶりを気に入って褒めているつもりなの、これでもね」

「そうだと私共も嬉しいのですが……。お嬢様、気を付けて行ってらっしゃいませ。どうか楽しい集まりになりますように」


 キアラはありがとう、と彼女達の仕事を労った。そして身支度を終えて部屋を出る前に、キアラのベッドで丸くなっている猫に声を掛けた。


「ココちゃん。私、結婚したら他所の土地へ行くけれど。きっと会いに来てね、約束よ」


 飼い猫に何を言っているんだと自分でも思ったが、けれどこのココちゃんに限っては突然会いに来てもあまり不思議ではないだろう。飼い猫は尻尾をふわりと揺らし、珍しい事に可愛い声でお返事をしてくれた。







 国王陛下の主催する夜会の会場に、ヴァンティークの当主である父は妻と娘を引き連れ足を踏み入れた。クリストフも会場で合流し、輪の中心にいた国王陛下夫妻に恭しく挨拶の口上を述べ、あちらからも形式に乗っ取った丁寧な返事の最後に、また釣りに行きましょうと個人的なお言葉を頂いていた。


 キアラは先日王宮で顔を合わせたクリストフの祖母君に声を掛けられた。先日はかえって気を遣わせてしまってごめんなさいね、と彼女は背後から向けられるクリストフの冷たい視線をものともせず、好みの合いそうな観劇を見に行く約束を正式に取り付ける事となった。

 話題になってようやく思い出したくらい、両親の不在とクリストフの忙しい時を狙ったキアラへの嫌がらせが発生したのが、もう随分と前の事のように感じられた。

 その後どうなったかというとクリストフが、国王陛下が弟のために新しく設けた公爵の紋章付きの手紙で、事の仔細と大変に腹が立った旨を書き連ねて各所に通達したそうだ。大慌てで謝罪に訪れた相手には書面に入りきらなかった分の叱責を延々と重ねたらしい。そんな風に招待客の一部が会場の隅で小さくなっているのを尻目に、キアラは横にいる婚約者に尋ねた。


「先ほど、陛下に何か耳打ちしていらっしゃいましたね」


 ヴァンティーク一家が挨拶に伺った際に、クリストフは兄君に何か短く話しかけていた。二人の目線が一瞬こちらに向いたのを、キアラは見逃さなかったのだ。


「『優しくてきれいなお姉さん』がようやく見つかったのに報告していなかったのを思い出して」

「……その説明で伝わったのですか?」


 キアラにとっては数日間だが、クリストフにとってはずっと長い期間の夢の経緯。それで問題ない、と彼は平然と答える。気恥ずかしいのと本当にその説明の仕方で大丈夫なのかと心配するキアラはクリストフに会場の一画、楽団の演奏が行われている一画へ誘導された。既に人々が集まって大変に賑わっているので、二人の親密さを一層広めていくためにも顔を出す必要がある。


 さあどうぞ、とこちらを見つめるクリストフの眼差しは、今までとは違って見えるような気がした。彼はキアラより齢が上の高貴な身の上であるため、幼い子供がはしゃいでいるような、と評するわけにはいかない。けれど夢の中で会いたかった、と言ってくれた愛おしい彼らの面影がはっきりと残っていた。


 そして彼の目に映っているであろう自分の姿も、想いが通じ合った分の変化が良い形で表れていて欲しいと、そう強く感じた。背伸びをしている事は否めないが、決してそれだけではなく、彼の隣に並び立つ事は嬉しい事なのだと。

 よろしくお願いします、と彼の腕をとりながら、二人は並んでゆっくりと歩き出した。


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