第8話 増える、謎
照らされる日差しに目を細めながら、歩は元来た道を戻る。
その頭には、いつの間にか亜紗の所から拝借してきた帽子があった。
人目を避けながら進む途中、前から1人の若い女性が歩いてくるのが見えた。
歩は、帽子を目深に被りやり過ごそうとする。
幸運なことに、女性は歩に気付いていないのか、黄色い声援を浴びせられることもなくすれ違おうとしていた。無事に切り抜けられそうになり、安堵の表情を歩がした時だった。
「夢の世界は楽しめました?」
心臓が止まりそうになる。
反射的に振り返り、歩はその女性をまじまじと見つめる。
「あら、そんなに熱い視線で見つめられると困ってしまいますなぁ」
京言葉を話す女性は、首を少し傾けて困った表情をする。
同時にその長い黒髪が綺麗に揺れ動く様に歩が思わず見とれてしまう。
穏やかに微笑んでいるその顔には、サプライズを成功させた子供のような嬉しさが隠れていた。
「それより、さっきの言葉はいったい……」
「何ってそのままの意味ですよ」
歩の問いにその笑みを崩さずに答えた。
短い会話のやり取りの中で歩が真っ先に思ったのは、
(この人自身が夢から出てきた住人みたいだ)
彼女が着ているのは真っ赤な着物であった。鮮血のような赤い色に金色の鷲の詩集が前面に施されている。腰まで伸ばした黒髪も、着物の色と相まって激しい自己主張をしていた。
独特な服装以外は絵に描いたような京美人であったが、歩は目の前の女性に少し違和感を感じていた。
「ふふ、驚いてますよね。ごめんなさい。それと……」
その女性は一呼吸置いて言葉を続けた。
「訂正があります。先ほど夢の世界は楽しめましたか? そう言いましたが、正しくは魔法世界という現実は楽しめましたか? です」
歩の思考回路が再び止まるには十分な一言だった。
「あら、こんなに人気のない路地に若い女を連れ込んで嫌ですわぁ」
「いやいや、落ち着いたところで話そうといったのはあなたでしょう!」
思わず大声になりかけるのを抑えながら歩が反論する。
人がいない事が分かってはいても辺りを見回すのであった。
「まぁ、この時間帯なら人はほとんど来まへんから、歩さんが見つかる心配もないでしょう」
「……自己紹介しました?」
言った瞬間、彼女の顔が輝くのを見て歩は後悔した。
「ふっふっふ、何でだと思います? 実は向こうの世界であなたとお姉さんの会話を聞いていたんですよ。それで、歩はんが私と同じ立場にいるのではないかと思いまして。その後、色々と調べさせて頂きました」
「あの場に……?」
歩が怪訝に思う。
「本当は出ていきたかったんですけど、その前にお姉さんが店を出てしまって。出られる空気でもなかったので、結局そのまま店に入らず立ち去りました」
「……そうですか。ところで、そろそろ名前くらい聞いても良いですか?」
歩の質問に女性が、わざとらしく口を大きく開け、驚いた顔をする。
「そうですな。私ばかりでごめんなさい。私の名前は覇道麗羽と申します。ここでは覇道財閥の一人娘で、魔法世界では国の御三家の一つ、覇道家のこれまた一人娘をしております」
麗羽が恭しくお辞儀をする。
その立ち振る舞いからは、にわか仕込みではない幼少からの教養の高さが感じられた。
思わず見入ってしまった歩であったが、咳払いをして気を取り直す。
「話を戻しますが、魔法が存在する向こうの世界が現実だとなぜ分かるのですか?」
「理由は主に2つ。まずは、記憶です。こっちの世界に戻ってきた時に不思議だと思いませんでした? あまりにも記憶が鮮明なことに。歩はんも、体がその記憶を覚えていません?」
彼女の言葉を聞き、歩は怪我をした指に無意識に力が入るのを感じた。
「そして、もう1つの理由は、私たちが今ここで全く同じ魔法が使える世界のことを話していることですよ。夢の体験を共有し、詳細に記憶していることがありえます? 私は物心ついた時から、この世界と魔法世界の二つの記憶を持っています。異なる世界を行き来する者を――アウェイカーと私は呼んでます」
麗羽が一呼吸つき、ジッと歩の反応を待つ。
「質問しても?」
「ええ、どうぞご自由に」
「今いるこの世界は、僕の知っている世界と大分違いますが、何故元いた世界だと言えるんです?」
歩の質問に対し、麗羽が満足そうに口元を綻ばせる。
一体何が彼女を喜ばせたのか怪訝な表情になる歩であったが、麗羽は御構い無しに答えを述べていた。
「確かに歩はんや私が元いた世界と微妙にこの世界は違っています。……歩はんが来てからですが」
「!」
「おそらく、魔法世界と歩はんが繋がったことによる影響の可能性がありますね」
麗羽の言葉に歩が強く反応した。
「ちょ、ちょっと待って下さい。僕が魔法世界と繋がってから変な世界になったんですか?」
「ええ。私がアウェイカーになった時はこんなことになった記憶はないですね」
麗羽が着物の袖を口に当てながら不思議そうな顔をする。
その仕草があまりにも絵になっており、もしカメラを持っていたら、思わずシャッターを切ってしまっただろう。
「まぁ、何にせよ私が歩はんに言いたかったのは、とっても興味があるということです。……あなたに」
麗羽の爛々とした瞳を見た歩が、思わず少し後ずさりする。
「あらやだ、ちょっと傷つきますわ。まずは、お友達から始めませんか? 色々魔法世界のことをお教えしますよ。それに、私以外のアウェイカーとお話しするのが初めてで嬉しいんです!」
興奮で朱が差した顔をしながら、麗羽が手を差し出す。
数秒考え込む歩だったが、最後には麗羽と握手を交わすのであった。
「キャー! やっぱり歩くんだわ!」
歩が色々と麗羽に聞こうとした矢先だった。
突如すぐ傍にある民家の窓が開き、見知らぬ婦人が大声で茶色い声をあげる。
お世辞にも綺麗とは言えない声であったが、人通りが少なく、静かな路地裏の住人達に情報が伝わるには十分な声量だった。
まるで合図でもしていたかのように、民家やアパートの窓が次々と開いていく。
恐ろしいことに皆、歩の姿を見つけ歓声を上げる様子に当の本人が頭を抱えた。
更には、少しでも歩に近づきたい一心なのか、住人が外へ続々と出てきている。
その光景を唖然として見つめる歩だったが、ふと横にいたはずの麗羽がいないことに気付いた。静かにこの場から去ろうと背中を向けた麗羽に慌てて声をかける。
「ちょっと麗羽さん! どこに行くんですか?」
その言葉に、立ち去ろうとしていた麗羽が立ち止まる。
顔を半分だけこちらに向け、
「だって、歩さんのような有名人と二人きりでいる所を見られたら、とんだスクープじゃないですか。私の家も財界では少し有名なので。……すみませんが、続きはまた魔法世界で話しましょう」
少しずつ後ずさりしていた麗羽が、今まさにご婦人たちの群れに取り囲まれようとする歩を置いていく。
ジリジリと包囲網を狭まれていく様子は、さながら猛獣の群れに放り込まれた兎のようだった。
歩との距離が残り50センチ程になった時、不意に猛獣たちの動きが止まる。それは、実際にはほんの数秒だったが、永遠に思える静寂に歩は感じた。
歩が無意識に唾を飲み込む。
それを合図に、猛獣の群れが一斉に歩へと飛び掛かる。
もみくちゃにされつつも、歩は麗羽の遠くなる背中に向かって叫んだ。
「最後に一つだけ! どうして僕に魔法世界の事を話してくれたんです?」
足早に去っていた麗羽の歩みがピタリと止まる。
「……嬉しかったんですよ。同じ境遇の人が見つかって」
徐に振り返った麗羽の表情は、今日出会って初めて見た偽らざる彼女の本当の気持ちを表しているように見えた。
「し、死ぬかと思った……」
1人言を呟きながら、歩が自分の部屋のベッドに倒れこむ。時刻は既に夜を迎えていた。
「まさか、あれからずっと追い回されるとは……」
入浴してサッパリとした後にベッドに座りながら、頭の中で今日あった事を整理する。
(次に目が覚めたときは魔法がある世界な気がする)
明確な根拠がある訳ではない。
推測の域を超えないが、それでも歩は今日1日を通して確信をしているのであった。
(後は、明日迎えた世界で考えよう。何だろう。急に眠気が……予想以上に疲れてたかな)
考えるのを中断すると直ぐに瞼が閉じる。
その先にどんな世界が待ち受けていようとも、変わらぬ決意を胸に秘めながら。




