第7話 探偵、六道亜紗
「さて、まずは……」
誰にも見つからないように移動した歩の向かった先、その通りの入り口には南町商店街の文字が大きく掲げてあった。
南町商店街――元々シャッター商店だった所を市の全面的な協力を得て、大幅リニューアル。
統一された中世の街並みを思わせる店の外観は、初めて来た者を別空間へ誘う。店自体は八百屋から喫茶店、カラオケやゲームセンターまで揃っており、さしずめコンパクトなアウトレットモールを連想させる。
今やこの市の重要な観光名所だ。
歩の職場もこの商店内の一角にあり、住まいも現実では洋菓子屋の3階だった。
商店街は今日も活気に満ちており、人が多い。ただ、歩の目的地は商店街の外れにあるので、危険な人込みの中を長時間進む必要はなかった。
地元民しか知らない裏道を通って、目当ての場所へ進んでいく。ようやくたどり着いた先の小さな看板を見て、歩は安堵した。
六家探偵事務所――周りの店と同じような中世を思わせる小さなビルの2階にある。
1階が小さな喫茶店になっているレトロな外観のビルにある。あるのはビルの前に置かれた小さな看板だけ。
2階へ向かうにはビルの横にある目立たない入口から入るしかない。どうやら、夢の世界でも全く商売っ気がないらしい。
喫茶店の脇道を進み、すぐ右手にある無機質な階段を上がる。
南町商店街はビルの内装も統一されているのだが、この探偵事務所の所長は夢の中でもわざわざ作り変えたらしい。
階段を上がると、すぐに扉が見えてくる。
歩がドアノブを捻ろうとした矢先、微かに化学薬品の匂いが漂っているのに気付く。
嫌な予感を抱きながら扉を開く。
すると同時に、化学薬品の異臭と白い煙が部屋の中から放たれてくる。
口元を押さえ、異臭と煙の元が何なのか目を凝らして見ると、部屋の半分を埋めていると思われる実験用のスペースが煙の中僅かに見えた。
その机の上には、この世の物とは思えない色をした液体の入ったビーカーや、今まさに白煙を立てている試験管の数々がある。
「亜紗さん! いませんか?」
歩が、未だ煙が立ち込める部屋に向かって、この事務所の主の名を大声で叫ぶ。
「その声は歩君か? 少し待ってくれ」
煙の中から声がした後に、窓の開閉音と大型の換気扇が回る音が聞こえた。すると、徐々に煙が薄くなってゆき、部屋の様子が見えてくる。
「すまない、実験に失敗してしまってね」
ようやく視界が晴れたその部屋に立っていたのは、こげ茶色のショートヘアをした20代の若い女性だった。
人形のように綺麗な顔立ちをしており、笑えば可愛らしさが大層引き立つはずだが、当の本人はこの事態に眉ひとつ動かしていない。歩も初めて会ったときはロボットなのではないかと疑ったくらいだ。
動きやすさを重視したジーンズとショートブーツを履き、所々謎の汚れが付いた白衣を羽織っている。
いつの間にか亜紗の涼やかで一見冷徹にも見える瞳が、歩を見つめていた。何もかもを見透かされているかのような感覚に歩は懐かしさを覚えていた。
「……亜紗さんですよね?」
「……それよりも歩君。外を出歩く場合は気を付けた方が良いとあれほど言ったはずだが。また君の奪い合いに巻き込まれたね。何とか辛くも逃げ延びた後は、商店街まで裏路地を使って来た。だか、途中で困っていた婦人に手を差し伸べた結果、お礼にキスをされ、心身ポロポロでここに来たのだろう?」
歩のことをまるで見てきたかのように亜紗が淡々と語る。当の歩は複雑な表情を浮かべていた。
「いつもながらですけど、どうして分かったんですか?」
「歩君、自分の姿を鏡で見たかい? 服はヨレて、髪はボサボサだ。普段の君はキチンとしているから、何か騒動に巻き込まれたと分かる。そして、服に付いている複数の女性の髪の毛を見れば、いつものファン騒ぎに巻き込まれたと誰でも推測できる」
亜紗に言われて、歩が自分の姿を見て納得する。
歩が理解したことを見て取った亜紗が、再び口を開いた。
「暴徒から命からがら抜け出した君が、表から行くのを避けて裏通りに入るのは目に見えている。それに、歩君の靴に付いている土は裏路の土だ」
「お礼にキスをされたのは何故……?」
「それこそ、誰でも分かるさ。頬に跡がうっすら残っている。余程強く接吻されたんだな」
「! 洗面所借ります」
歩が口紅の跡を消し去り戻ると、亜紗が応接用のソファで珈琲を飲んでいた。
背後では、大型の換気扇の音がやたら大きく聞こえている。部屋の様子はすっかり何事もなかったかのようだった。
「それで何か私に話があったのだろう?」
「実は――」
「なるほど。もう一つの世界と魔法、それに真春か……」
亜紗が一瞬複雑な表情をした。だが、すぐに何事もなかったかのように感情の乏しい表情に戻る。
「普通なら、病院をお勧めするのだがね。だが……」
亜紗がおもむろに立ち上がる。
歩を見下ろす視線は、どこまでも冷静だった。緊張が辺りを支配し、空気が変わるのを歩は感じる。
歩が緊張した面持ちで亜紗に向かい、改めて視線を合わせた。
まるで、互いの視線が合うのを待っていたかのように亜紗が口を開く。
「……君の真剣な頼みを無下にする訳がないだろう?」
その時、ふいに窓の外から暖かな陽射しが差し込み部屋を照らした。
まるで、自分の心を代弁するかのような演出に歩が思わず微笑んで言う。
「ありがとうございます!」
「さて、話の前に我々には圧倒的に今の状況に対する情報量が少ない。それを加味した上での私の考えだと思ってくれ」
亜紗がソファに座り直し、話し始める。
「事実だけを積み重ねて考えると、一番解決策を見出せるのが真春だ。初めは全く歩君の事が分からなかった。しかし、彼女の去り際に互いに肉体的接触があり、一瞬弟の事を思い出したと」
「肉体的接触という言い方はどうかと……」
つい、抗議しようと歩が意見を述べるが、言い終わらないうちに亜紗が言葉を続ける。
(自分の考えを話すときは人の意見を聞こうとしない。亜紗さんの癖は健在か)
「現実との接点を指していそうなのは、真春だけだ。そこを攻める以外あるまい。何せ、彼女はこの世界でも3年前から行方不明だ」
そう言った、亜紗の視線がデスクの上にある写真立てに注がれる。
そこには、亜紗と仲良く写っている真春の姿があった。
ほんの僅か、亜紗がどこか寂しさを感じさせる表情をする。だが、それも束の間、すぐに依頼人を前にする探偵の顔に戻っていた。
「いずれにしろ、今ある情報で立てられる仮説はあまりに少ない。真春を攻めて攻めて攻めるんだ」
そう言った亜紗は、子供がイタズラした時のようにニヤリと笑う。
「分かりました。ちなみに、シアの方はどうでしょう?」
「そっちについては、更に情報が少ないからな。推測はいくらでも出来るが、今話せるものはないとしか言えない」
元から亜紗の回答を予想していたのか、歩に落胆する様子はなかった。
「いえ、ありがとうございます!」
歩が最大限の感謝を伝えた後、外へ出ようと立ち上がる。
扉に手を掛け、1度掴んだノブを回すかと思いきや、不意に思い出したかのように振り返った。
「すいません、報酬の事を忘れてましたね」
振り返ると、亜紗はちょうど歩に背を向けているところだった。
そのまま振り返ることなく、ただ軽く手を挙げ歩に返事をする。
「友人を連れ帰ってくれるのだろう? 報酬はそれで十分さ」
「! 必ず!」
歩は再び前を向き、扉を開け放つ。明るい日差しが自身を、事務所の中を照らし出す。
そして、互いに背を向けたまま、六道探偵事務所を後にする歩であった。




