第6話 過去と、師と姉
昔、内戦で疲弊したある小国があった。
ひとたびその国に入れば、命の保証はないと言われ、市街地や森の中でゲリラ戦が日常的に展開されていた。
そんな危険な国の深く生い茂る森の中を2人の人影が歩いている。
「ねぇ、師匠。どこに行くの?」
人影のうち、小さな方が尋ねる。
まだ10歳くらいだろうか。真新しい茶色のフードを頭から被っている。フードから出た手足は同年代より大分痩せていたが、その声には嬉しさが混じっており、時折フードから覗く瞳は希望に溢れていた。
「歩、もう目的地に着くわよ。あと、師匠と呼ぶのはやめなさい。私にはミランダ・E・シュナイダーっていう名前があるの」
腰まで伸ばした美しいブロンドの髪をいじりながら、少し苛立った様子でもう片方の影が応える。
顔立ちの整った20代後半の女性だ。170を超える身長と服の上からでも分かるスタイルの良さは、一瞬ハリウッドの女優かと思わせる。
しかし、何より一番に惹きつけられるのは、力強い意思を秘めた大きな灰色の瞳だった。
薄暗い木々の隙間から差し込む木漏れ日を受けて、瞳と髪が光っているように見える様子は、絵画を切り取ったような幻想さがある。
それだけでも目立つのに、彼女の服装は更に景色から浮いていた。
上半身を黒革のライダースジャケットで身を包み、下は動きやすいジーンズのズボンとスニーカーを穿いている。これでサングラスでもかけようものなら、どこかのハリウッドスターさながらだろう。
目的地に着きそうという、彼女の言葉にキョロキョロと辺りを見回す歩だが、ふいに視線をあげる。
「師匠」
「師匠じゃない! ……現れたわね」
2人の視線の先には、巨大な岩が鎮座している。その上に、まだあどけなさを残す綺麗な少女が胡坐をかいて座っていた。
勝気を思わせる切れ長の目、長い黒髪は手入れをしていないのか、ボサボサである。所々日に焼けてた肌を見ると、手入れなど考えていないのだろう。
着ている元々真っ白だったであろうワンピースは、変色し、元の色は見る影もない。よくよく見ると、その汚れは血であることが分かる。真新しい鮮血のような色もあれば、時間が経ってどす黒くなったものもあった。
「良い目をしてるじゃない」
歩から師匠と呼ばれた女、ミランダが少女を見て呟く。
歩とミランダを見つめる2つの瞳は、10代前半の少女が持つものではなかった。見たもの全てを殺さんとする意思が伝わってくる。実際に今までそうしてきたのだろう。
人ではない獣がそこにいた。
ふいに、それが立ち上がる。
歩たちとは5メートルほど離れている。
その距離を裸足で一気に飛び越え――襲い掛かってきた。
「あら、しょうがないわね」
ミランダが場にそぐわない、のんびりとした口調で話す。
「しかも、私から狙うなんて良い勘してるじゃない」
少女が狙ったのはミランダの方だった。
この国で生き抜いてきた経験が、ミランダの危険性を少女に教えたのだろうか。
少女が常人には見えない速さで手刀を繰り出す。当たれば間違いなく、人間の首をへし折る一撃が、寸分の違いもなくミランダの首筋へと迫る。
対するミランダは、その場から全く動こうとすらしない。
彼女の首が音を鳴らす直前――少女の手がピタリと止まる。いや、止められた。
驚いた少女が目を向けると、ミランダがその手首を掴んでいる。
少女の表情に初めて変化が現れたが、それも一瞬で消える。
瞬きする間もなく、今度は少女のしなやかな脚がミランダの頭部へと振り上げられる。
「……惜しいけど、私にはまだ届かないわよ」
そう言いながら、ミランダがその蹴りを軽々と躱す。
少女が再び驚くことはなかった。
代わりに出たのは苦しそうな声が聞こえる。
「ぐっ……」
彼女の腹にはミランダの拳が深々と入っていた。膝をついた少女が何とか踏み止まろうとする。しかし、余程重い一撃だったのか、やがて地面に伏せて動かなくなった。
「さて、帰るわよ」
ミランダは倒れた少女を肩で担ごうとする。
「師匠、その人どうするの?」
歩が少し震えた声を出す。
「連れて帰るのよ。それと、師匠呼ぶな」
ミランダが少女を担いだ時、何か小さなものが少女から落ちる。拾い上げてみると、ボロボロになったロケットペンダントだった。
ミランダが何の躊躇いもなく中を見る。
「ちょっ、師匠! 勝手に!」
「これは……」
そこには、たった一枚のメモの切れ端があるだけだった。
「マハル」
書かれていたもの――それが少女の名前だった。
数日後。
とある難民キャンプの一角で歩と真春が対峙していた。
「あんたもしつこいわね」
真春が明らかに不機嫌と分かる態度を出す。
「何度だって来るよ。お姉ちゃん、ご飯を一緒に食べようよ」
ここ何日か続く同じ問い。
それに対する答えもまた同じであった。
「まず、私をお姉ちゃんと呼ぶな」
「だって、僕より年上……」
「呼・ぶ・な」
明確な強い拒絶反応を示す真春に、歩はたじろぐ。歩の沈黙を肯定と受け取った真春が話題を変える。
「……で、あの化物みたいな女に言われたから来たと」
「そうだよ」
昨日と全く変わらぬ答えを聞き、真春は眉間に手を当て、大きなため息をつく。
「何度も言うように、あんたらに貰う飯なんか要らないのよ」
「でも、何か食べないと。お姉ちゃん、何日も食べてないじゃないか」
「ちっ、何度も言わせるな。……殺すぞ」
ここ数日の苛立ちが頂点に達したのか、真春を纏う空気が一瞬で変わる。
普通の人ならば、心臓を鷲掴みされるような感覚に、一歩も動けないだろう。
歩も下を向いてジッと動かない。
自分の睨みがようやく効いたと思い、真春が得意げな顔になる。
どんな恐怖の表情をしているのか、真春が歩の顔を覗き込もうとした時、ふいに歩が顔をあげた。
(さて、その顔を見せなさい)
だが、真春の思惑とは裏腹に、歩の表情に変化はない。それどころか、次に放った言葉は――
「この頑固野郎!」
「……は?」
あまりにも突然な悪口に、息さえも満足に出来なかった空間が霧散する。
代わりに、何とも言えない静寂が辺りを支配した。
「ふっ、ふふふ」
先に声を出したのは真春だった。心なしか笑っているように見えるのは気のせいだろうか。
「あんた、やっぱ殺すわ」
真春がミランダを襲った時以上の殺気を放った。
それにも関わらず、歩は先ほどと変わらない様子で話す。
「なら、僕が殺されなかったら、一緒にご飯を食べてよ! あと、姉ちゃんと呼ぶ!」
「ふふっ、あはははは! あんたが私に? 良いわよ。殺されなかったら……ね!」
「姉ちゃんの瞳が昔出会った時にそっくりで。……柄にもなく、昔を思い出してしまいました」
歩は瞼を開き、師の墓に向かって語り掛ける。
「今、この瞬間も夢の中なのかもしれません。いくら頑張った所で意味はないのかもしれません。でも……」
歩は一呼吸置き、自分の胸に手を当て目を閉じる。
そこに残っている何かを確かめながら、再び師匠に向かって話し出す。
開いた瞳には、確たる決意が秘められていた。
「次は全部解決したら来ます」
最後に墓前で手を合わせ、歩は墓地を後にするのであった。




